君と君と君と君
掴みかけた手は、そのまま滑り落ちていった。
掴みそこねた手が、行き場をなくして、ぷらぷらと揺れていた。
滑り落ちた手の先を見降ろして息をつく。
「ねぇ、君は何したいわけ?」
一個下の階の窓枠に手をかけた相手が、嬉しそうな笑顔で屋上に立つこちらを見上げる。
ウソみたいに明るい笑顔だった。
「ね、ね、驚いた? びっくりした? 焦った?」
ぶら下がったまま、明るい笑顔で、弾んだ声で、相手が問いかけてくる。
「君は馬鹿なの?」
先ほど行き場をなくしていた手をちらっと見る。
この手が行きたかった場所など考えるまでもなく決まっている。
その時に焦っていたかどうかなどは知らない。
ただ、驚いたかどうか、びっくりしたかどうかで言えば答えは否だった。
「うわ、ひっどいなぁ。ちょっとくらい心配しないの? 優しい言葉とかかけてくんないの?」
笑いながら言われても困る。
そもそもこの状況をどうすればいいのかも分からない。
とりあえず最初の質問に答えておいた。
「君の考えることはいつも馬鹿みたいだから何をしても驚かない。ついでに心配する必要性も優しい言葉をかけなければいけない必要性も分からない」
「うっわぁ辛辣ぅ」
笑い顔のまま、ぶら下がったまま。
一向に動く気配もない。
どう考えても腕が疲れているだろうに動かない。
「ねぇねぇ」
「何?」
「助けて」
「は?」
「窓、鍵、あいてないっぽい。あかない」
「……ねぇ」
「何さ」
「やっぱり馬鹿なの?」
「うん、それでいいから助けて」
溜息をついて階段を降りる。
一つ下の階の廊下を通り、端の教室に入る。
窓に近づき、ぶら下がる不審者を見つけた。とりあえず窓を開ける。
「開けたよ」
「あぁ、ありがと」
「……」
「……」
「ねぇ」
「何?」
「引っ張りあげて」
「……」
無言でつかむ。
奇しくも、行き場をなくしていた手が当初の目的通りのものをつかむ結果になった。
ずいぶんと面倒な遠まわりをしたものだ。
しかし、掴んだはいいが上がる気配がない。
「ねぇ」
「何さ?」
「君に、上がる気はホントにあるのかな?」
「え、あるよ、あるに決まってるじゃん」
「……そう」
「うん、もちろん」
「馬鹿にしてる?」
「え、何を?」
上がらない。
仕方なく両手でつかんでいるにもかかわらず、数センチと浮く気配すらない。
「ねぇ」
「何さ?」
「手、離していい?」
「あぁぁ、ちょ、待って! 頑張るから! 俺頑張るから待って!」
頑張られた結果、持ち上がる。
体勢がどうにかなった結果、自力で這い上がり教室に着地した。
笑顔が変わらない。
嘘みたいな笑顔。
ずっと変わらない。
「何考えてんの、君」
「いやぁ、ちょっとした好奇心だよ」
「やるならやるで、窓開いてるのくらい確認しときなよ」
「そっちなの? いや、まぁいいけどさ」
「ぶら下がるの失敗したらどうする気だったの?」
「あぁ、考えてなかったなぁ。失敗すると思わなかったしさ。助けてくれると思ったし」
「めでたい頭だね」
「るっさい。でもでも、焦ってくれたね」
「焦ってない。ついでに驚いてもない」
「嘘だよ、焦らないわけないでしょ」
近場の椅子に座って、ずっと笑って、言い続ける。
どう考えても行動も言葉も、頭がおかしいとしか思えない。
馬鹿なのは知ってたけど。
「だって、困るでしょ?」
「困る?」
「そうさ。俺が笑ってないと、ばれちゃうじゃないか」
「何が」
「分かってるくせに」
「何が」
「笑うために俺はいるんだよ?」
「分かりやすい存在意義だね」
「全くだね。んで、君は無表情のためにいるんだよね」
「あぁ、そうだね」
「あっちの君は、怒るためにいるでしょ。あそこの君は泣くためにいるんじゃん」
「あぁ、そうだね」
「困るでしょ?」
「あぁ、困るね」
「大変でしょ?」
「あぁ、苦労するね」
「だから、死なないよ」
「うん」
「だから、死ぬことはないよ」
「うん」
「だから、してみたかったんだよね」
「そう」
「うん」
「君のいう君たちが」
「ん?」
「君を殺さない限りね」
「あぁ、そうだね。見捨てられたら、死んじゃうかもね」
「そうだよ」
「見捨てる気、あった?」
手をちらりと見る。
「ないね」