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アーネム戦記  作者: Tanu1016
第六章 278年の嵐 後編

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第10話 肉薄

 ◇


「エル隊、突入してきます!」


 本陣へ報告が飛び込む。


 ホウアンが地図を見る。


「閣下」


「ああ」


 今度のアムルはすぐに答えた。


「中央左翼を当てます」


「やれ」


「エル隊左側面へ!」


 命令が飛ぶ。


 中央左翼が向きを変える。


 突出したエルの側面を叩き、エヴァンスも反転できれば、まだ挟み込める。


 判断そのものは正しい。


 だが。


「敵中央、圧力増大!」


 次の報告が入った。


 ホウアンが顔を上げる。


 蒼い疾風旗。


 モンド。


 こちらがエルへ兵を向けた瞬間を見て、中央へ攻撃を強めてきた。


「モンド殿が来ます」


「分かってる」


「このままエル隊へ兵を回せば中央が薄くなります」


「中央左翼を半分戻せ」


「半分ではエル隊を止めきれません」


「ああ」


「全部戻せば、エル殿が通ります」


 一瞬。


 アムルが黙った。


 どちらを選んでも、一方は捨てなければならない。


「正面を支える」


 アムルが言った。


「承知しました」


 一度左へ向けた兵が、再び正面へ戻る。


 その間にモンド軍がぶつかった。


 槍と盾の音が重なり、中央の戦列が大きく揺れた。


 ◇


「反転!」


 エヴァンスが叫んだ。


「右を厚くしろ!」


 その時。


 正面のギルフォード隊が止まった。


 それまで下がり続けていた兵たちが、一斉に足を止める。


「……やっぱりか」


 エヴァンスが歯を食いしばった。


 ギルフォードが剣を抜く。


挿絵(By みてみん)


「反撃!」


 今度はリービッヒ兵が前へ出た。


 エヴァンス隊は二方向を向かされることになった。


 正面にギルフォード。


 右後方にエル。


「前衛はそのまま! 第三、第四隊は右! 本隊への道を開け!」


 命令に従い兵が動く。


 まだ崩れてはいない。


 だが、戻るべき道には紅い疾風がいる。


 無理に突破しようとすれば、今度はギルフォードへ背を晒すことになる。


「本陣へ戻りますか!」


 副官のコリントが叫ぶ。


 エヴァンスは紅い疾風、その向こうにある碧い疾風を見た。


 遠い。


「……無理だ」


「では?」


「東へ抜ける!」


 決断は早かった。


「本陣は諦める! パウロのところへ行くぞ!」


「はい!」


「全隊、ラレド側へ! 隊列を崩すな!」


 およそ四千。


 打撃は受けている。


 それでも、まだ軍として動ける。


「下がるな! 横へ抜けるだけだ!」


 エヴァンス隊はギルフォードの圧力を受けながら、少しずつ戦場の東へ弾き出されていった。


 ◇


 ロックも異変に気づいた。


 正面からの圧力はまだ続いている。


 だが、先ほどまでより明らかに薄い。


 その分の兵が中央へ流れている。


 左を見る。


 蒼い疾風旗が中央へ寄り、その先では紅い疾風旗がすでにパドゥーラ軍の戦列へ深く入り込んでいた。


「そういうことか」


 それまでの苦笑が消える。


「こっちが本命じゃなかった」


「モンド将軍が?」


 副官が聞く。


「いや。あの人は本気で抜きに来てた」


 ロックが耐えられなければ、そのまま突破するつもりだったのだろう。


 陽動ではない。


 ただ、本当に決着をつけるための攻撃が別にあった。


「中央へ五百回せ!」


「しかし、こちらも――」


「残りで耐える!」


 ロックが怒鳴った。


「本陣まで行かせるな!」


「はい!」


 五百の兵が中央へ向かって走る。


 ロックは遠くの紅い疾風旗を見た。


「間に合えよ……」


 そしてすぐに正面へ向き直る。


 モンド軍はまだ目の前にいる。


「来るぞ! こっちは俺たちで持たせる!」


 ◇


 エルはさらに前へ出ていた。


 左では、残してきた部隊がアムル直属軍の攻撃を受け続けている。


「第一隊、押されています!」


「まだ持てる?」


「はい!」


「なら持たせて」


 その向こう。


 蒼い疾風が中央へ近づいている。


「モンド様の部隊、入りました!」


「うん」


 父は来た。


 約束通り。


 こちらが抜けた場所を、そのままにはしなかった。


「父さんの部隊が入る。残した部隊は大丈夫」


 エルは前を見る。


 敵本陣が近い。


「進むよ」


「はい!」


 紅い疾風旗がさらに奥へ入った。


 ◇


「敵、本陣方向へ!」


 伝令が駆け込んでくる。


「紅い疾風旗です!」


 ホウアンが顔を上げた。


 アムルも、もう肉眼で見ていた。


 紅い疾風旗。


 その下の銀髪まで見える。


「中央右翼を寄せろ!」


「モンド隊と交戦中です!」


「予備は」


「残りわずかです!」


「ロックは」


「増援を送っています!」


 だが、まだ来ない。


 左翼のエヴァンスはすでに切り離され、東へ押し出されている。


 右翼のロックは、モンドを受けながら中央へ兵を割いた。


 そして中央には、蒼と紅の疾風旗。


 二つが碧い疾風旗へ近づいていた。


 ◇


「通して」


 エルが言った。


「押せ!」


 ケントが槍を振るう。


 本陣前の護衛兵へ、リービッヒ兵がぶつかった。


 槍と盾が激突し、怒号が重なる。


 その向こう。


 碧い疾風の下に、一人の男が立っていた。


 アムル。


 エルの手綱を握る手に力が入る。


 顔が見える。


 昨夜、月明かりの下で見た顔が、今は兵たちの向こうにある。


『君のことは愛してる』


 その声が蘇った。


『この手で君を斬る』


 エルは剣を握り直した。


 自分も答えた。


 あなたを斬る。


 そのために全力を尽くす。


 ここまで来た。


 なら。


「……行く」


「エル様?」


 ケントが振り返る。


 エルは答えず、アムルから視線を外さなかった。


 ◇


 アムルにも見えていた。


 紅い疾風旗。


 銀の胸当て。


 黒と紅のマント。


 短い銀髪。


 エル。


「閣下! 敵が本陣前まで!」


 護衛の声は聞こえている。


 それでも、視線はエルへ向いたままだった。


 目が合う。


 昨夜。


 斬ると言った。


 エルも同じことを言った。


 そして、本当にここまで来た。


「……そうか」


 アムルが剣の柄へ手を伸ばす。


挿絵(By みてみん)


 エルも馬を前へ出した。


 ◇


「急げ!」


 ロックが叫んでいた。


「走れ! 本陣まで行かせるな!」


 五百の兵が中央を駆ける。


 紅い疾風旗。


 碧い疾風旗。


 二つが、あまりにも近い。


 ◇


「エル様!」


 護衛兵の一角が押し込まれる。


 その向こうにはアムルがいる。


 エルが馬腹を蹴ろうとした。


 その瞬間。


「させるか!」


 横から怒声が飛んだ。


 パドゥーラ兵数百が、エル隊の側面へ一気に突っ込んでくる。


「敵増援!」


 ケントが馬を返した。


「左!」


 槍列が横腹へ激突し、紅い疾風が大きく揺れた。


「エル様!」


 エルはまだアムルを見ていた。


 近い。


 あと少し。


 だが、その間へ次々とパドゥーラ兵が入り、道を塞いでいく。


「こちらを!」


 ケントが叫ぶ。


 エルは一度だけ目を閉じた。


 そして開く。


「……分かった」


 馬首を返した。


「増援を止める」


「はい!」


 紅い疾風旗が向きを変え、ロックから送られた兵へぶつかった。


 ◇


 アムルはそれを見ていた。


 紅い疾風旗が兵の向こうへ消えていく。


「……ロックか」


「そのようです」


 ホウアンが答える。


 アムルは剣の柄から手を離した。


 だが、状況が戻ったわけではない。


 左翼のエヴァンスはすでに戦線から切り離され、およそ四千を率いてラレド方面へ向かっている。


 右翼ではロックがまだモンドを止めているものの、中央救援のために兵を割いた。


 中央にはモンド軍とエル隊が食い込み、パドゥーラ軍の戦線は完全に裂けていた。


 ホウアンも同じものを見ている。


「閣下」


「……ああ」


「この戦線は維持できません」


 アムルは答えなかった。


「エヴァンス殿は切り離されました。ロック殿はまだ持っていますが、中央救援のため兵を割いています。このまま踏みとどまれば、次はロック殿まで巻き込まれます」


 ホウアンが地図の中央を指す。


「本陣まで下げます」


 アムルは地図を見た。


 今度は長く迷わなかった。


「……分かった。退く」


「承知しました」


 ホウアンはすぐに振り返る。


「全軍後退! 本陣まで退け! 隊列を崩すな!」


 太鼓が鳴り、旗が振られる。


 野戦は、ここで終わった。


 ◇


「後退だ!」


 伝令を受けたロックが叫ぶ。


「第一隊から下げろ! 第二隊は残れ。一度に背中を向けるな!」


 兵を一隊ずつ後ろへ送る。


 モンド軍は当然、そこへ押し込んできた。


「来ます!」


「分かってる!」


 槍列がぶつかり、ロック隊がまた数歩押される。


 それでも止める。


 後ろでは、味方が本陣へ向かっている。


「急げ! 俺たちは最後でいい!」


 ロックは正面を向いたまま、最後まで戦列を支え続けた。


 ◇


「退くか」


 モンドが言った。


「そうだね」


 ヴァンが答える。


「追う」


 モンドは即答したが、目の前のロック隊は後退しながらもまだ戦列を保っている。


「ヴィオラに伝えろ。無理はするな。崩せるなら崩せ。無理なら本陣まで押し込めと」


「はい」


 中央を見る。


 紅い疾風旗も、すでに攻撃方向を変えていた。


「エルにも伝えろ。深追いするな」


「よろしいのですか」


「ああ」


 戦線は裂いた。


 エヴァンスは東へ追い出した。


 アムルとロックは本陣へ下がる。


 今日の目的としては十分だった。


「ここで無理をする必要はない」


 モンドはそう言って、下がっていく碧い疾風旗を見送った。


 ◇


 東。


 エヴァンスも、ギルフォードの圧力を受けながらラレド方面へ移動していた。


「味方の旗が見えます!」


「パウロか!」


「はい!」


「良いところまで出てきてくれている」


 ラレド側には、再建途中の守備隊がいる。


 今の状態では自力で野戦へ出せる軍ではない。


 だが、エヴァンスの四千が加われば話は変わる。


「このまま合流する!」


「はい!」


「本陣には戻れない。だったらこっちは俺たちで持つぞ!」


 エヴァンス隊は隊列を保ったまま東へ抜け、ラレド側へ向かった。


 ◇


 日が傾き始めた頃。


 アムルとロックの残存兵力、およそ七千は本陣まで後退した。


 エヴァンスは約四千をまとめたままラレド方面へ退き、パウロのいる守備隊へ合流する。


 パドゥーラ軍は壊滅していない。


 打撃は大きい。


 だが、まだ戦える。


 それでも、この日の野戦に敗れたことだけは明白だった。


 本陣では碧い疾風旗が風に揺れている。


 その下に戻ったアムルは、何も言わず遠くの戦場を見ていた。


 少し遅れて、最後まで敵を押さえていたロック隊も帰ってくる。


 遠くには、まだ蒼と紅の疾風旗が見える。


 アムルの視線は、そのうち紅い疾風旗から離れなかった。


 野戦は終わった。


 そしてパドゥーラ軍は、本陣まで押し込まれた。

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