第1話 ロックな一日(前)
ロックとエヴァンス
朝。
パドゥーラ郊外の練兵場には、兵士たちの掛け声が響いていた。
歩兵たちは隊列を組み、号令に合わせて槍を突き出す。その向こうでは騎兵たちが馬を走らせ、さらに奥では何組かに分かれて模擬戦が行われている。
俺は腕を組み、その様子を眺めていた。
隣にいるのはエヴァンスだ。
「結局、ルートビッヒはコスタを奪い返しに来なかったな」
「ああ。皇帝崩御の後、後継者争いが起きているらしい。その争いに介入しているようだ」
「七十年以上の治世だったか。長生きしすぎて、後継者が先に逝っちまったんだっけな」
「そういうことだ」
「そりゃ荒れるわけだ」
レミーラ皇帝カール=ハインツの死。
七十年以上も帝位にあった皇帝が死んだことで、巨大な帝国は後継者を巡って揺れているらしい。
あのルートビッヒも、その争いに介入しているという。
そのおかげと言っていいのか、今のところ東部辺境軍は大人しい。
第三次コスタ戦役の後、大将――アムル=ドゥットゥカースは伯爵から侯爵へ昇爵した。
そして戦役で獲得したコスタ、ライプニッツの二都市についても、統治を委任されている。
おかげでパドゥーラは以前よりずっと忙しくなった。
「今日は夜、どうだ?」
エヴァンスが唐突に言った。
「なんだ?」
「奥方の手料理を食べていかないか」
「おお、いいのか?」
「ああ。世界一うまいぞ」
真顔だった。
こいつは妻の話になると信用ならない。
エヴァンス。
南北戦争の頃から大将と一緒に戦ってきた仲間であり、俺と並んで軍の副官を務めている男だ。
銀髪で背が高く、顔もいい。
戦場では攻撃を得意とし、その激しさから『烈火』なんて呼ばれている。
普段は冷静な奴なのだが、妻の話になると少々おかしくなる。
まあ、飯に罪はない。
「じゃあ、お邪魔するとするか」
「ああ」
「しかし……今日は騒がしいな」
さっきから練兵場の外が妙にうるさい。
「きゃあああ!」
「頑張ってー!」
「こっち向いてー!」
黄色い歓声が飛び交っている。
そうか。
今日は月に一度の練兵公開日だった。
町外れにあるこの練兵場を市民に開放し、兵士たちがどのような訓練をしているのか自由に見学できる。
軍隊は怖い存在じゃないってことを町の人に見てもらったほうが良いと大将がはじめたイベントだった。金もかからない。
もっとも、見物に来た若い娘たちが軍の訓練に興味を持っているかと言えば、かなり怪しい。
娘たちの視線は、そのほとんどが騎兵隊へ向いていた。
「お前の部下が人気だな…… 俺の部下に声援がまったくないが……」
「騎兵だからな」
「それにしても、なんかキラキラしてる奴が多くないか? 俺の部下とは大違いじゃねえか」
「騎兵だからな」
「……」
俺は隣を見る。
エヴァンスは涼しい顔をしていた。
エヴァンスの部隊は、隊長以下、美形揃いとして有名だった。
その筆頭が『パドゥーラの貴公子』なんて呼ばれているこいつなのだから、まあ、そういう連中が集まるのかもしれない。
俺にはよく分からん。
そんな黄色い歓声の中から――。
「いけー! コリンズー!」
妙に聞き覚えのある声がした。
「……」
振り返る。
若い町娘たちに混じって、見慣れた女がいた。
「何をしている」
「あら、ロック」
リオは悪びれもしない。
「見れば分かるでしょ。コリンズの応援よ」
どうやらエヴァンスの側近を務める騎兵を応援しに来たらしい。
「お前、先月はジェームスじゃなかったか?」
「ああ、別れたわ」
「……早くねえか?」
「ちょっと合わなかったみたい」
「パドゥーラに来てから何人目だ?」
「さあ?」
リオは指を折る。
「二十人くらいじゃない?」
「二十人……」
「あんたと違って、私はモテるのよ」
リオ。
リオ=グランディア。
南部有力貴族アスナ公家、ドゥットゥカース本家の縁者であり、エルの従妹にあたる。リービッヒではよく見られることだが、エルと同じく母方の姓を名乗っているため、ドゥットゥカース姓ではない。
南北戦争の頃から大将の側近の一人で、パドゥーラには面白そうだからという理由でついてきた。
黒い髪をセミロングに切り、ところどころに色の違う髪を混ぜた、妙に洒落た髪型をしている。
確かに顔はいい。
あの天使様には及ばないにしても、美人の部類には入るだろう。
ただし、天使様以上に胸は薄い。
頭も回る。
人当たりも――他人に対しては――抜群にいい。
商人や貴族との折衝では、こいつ以上に便利な奴はそういない。大将も、その能力についてはかなり高く評価している。
だが。
従姉の純愛っぷりを毎日のように嫌になるほど見せつけられている身としては、こいつの男遍歴を見るたびに思う。
同じ一族で、どうしてここまで違うのだろう。
「こんな洗濯板を好む馬鹿が二十人もいるのか?」
リオの眉がぴくりと動いた。
「モテない男がひがむのって、一番哀れね」
「誰がモテないって?」
「なんたって私はパドゥーラ三大美女の一人よ。私が声をかければ、大抵の男はイチコロなんだから」
「パドゥーラ三大美女?」
「知らないの?」
そういえば部下たちが、そんな話をしていた気がする。
天使エル。
歌姫シャンテ。
そして――こいつ。
まあ、こいつが唯一手が届くのかもしれん。
手が届かないものには憧れこそ持つかもしれんが実需はない。
「……しかし、若い連中の趣味は分からんな。成熟した女性の魅力がわかっていない」
「どういう意味よ!」
答えずに練兵場へ目を戻す。
「お前、暇なのか?」
「失礼ね。ここの侯爵閣下様より働いている自負はあるわよ」
「それと比べるな」
最近の大将は、何を考えているのかますます分からなくなってきた。
少し前には、ホウアンとかいう妙な男をいきなり召し抱えた。
何者なのかと聞けば参謀だという。
軍師のヴァン先生がいるのに、参謀格を拾ってきたらしい。
しかも今度は――。
「あいつ、釣り仲間のお爺さんにも士官の声をかけてたらしいじゃない」
「ああ……」
「何やってんだかね」
「俺に聞くな」
大将が人を拾ってくるのは今に始まったことではない。
だが、最近は拾ってくる場所までおかしくなってきている気がする。
そのときだった。
「ぐわっ!」
男の悲鳴が響いた。
模擬戦をしていた騎兵が、盛大に吹き飛ばされる。
「コリンズ!」
リオが叫んだ。
「はっはっは! 皆さん、まだまだ甘いですぞ!」
豪快な笑い声。
吹き飛ばした張本人が、悠然と立っていた。
グランワルド。
『パドゥーラの豪鬼』と呼ばれる猛将である。
相変わらず、人間というより熊?いや、もっと別の何かに近い。
こいつも不思議な男だ。
そもそも、今ここにいること自体がおかしい。
グランワルドは前パドゥーラ伯エルバの縁者だった。
南北戦争では敵として戦い、こいつを捕らえるまでにはずいぶん苦労させられた。
本人も捕縛された時点で死を覚悟していただろう。
実際、大将はエルバの縁者であるグランワルドを処断するつもりだった。
それを止めたのが嬢ちゃんだった。
グランワルド自身、娘を人質に取られながら戦わされていた。
その事情を知った嬢ちゃんが助命を求めたのである。
嬢ちゃんが珍しくあれだけ強く迫れば大将に思うところがあっても首を縦に振らざるを得なかった。
そして今では――。
「もう一本! 誰でも構いませんぞ!」
パドゥーラ軍の練兵場で、若い兵士たちを嬉々として吹き飛ばしている。
人生、分からないものだ。
「あの顔で、娘には頭が上がらんらしいぞ」
俺がぼそりと言う。
返事がない。
「リオ?」
「あああああ! コリンズぅぅぅぅ!」
リオは地面に転がった男へ駆け寄っていった。
その後ろ姿を眺める。
「……次は一か月もつと思うか?」
エヴァンスが腕を組んだ。
「騎兵だからな」
「それ、もう関係ねえだろ」
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