第七十四話「託すということ」
〖前書き〗
前回まで:
六人は、それぞれ異なる役目を果たしながら、崩れかけた道を守った。
信玄は、異なる声を一つの流れへ束ねることもまた、守る者の役目であると知る。
龍地で学んだ理は、水だけでなく、人を治める道へと少しずつ形を変え始めていた。
崩れた道へ張られた縄の前で、人々は静かに足を止めていた。
誰一人、不満を口にはしない。
一鶴の指示に従い、山側の細い道を一人ずつ歩いていく。
その様子を見届けると、信玄はふと樹玄へ尋ねた。
「一つ、気になることがある」
「何でしょう」
「もし、一鶴が間違えていたらどうする」
風が静かに吹き抜けた。
樹玄はすぐには答えなかった。
代わりに、崩れた道の向こうを見つめる。
「信玄様は、先ほど誰へ役目を託されましたか」
「一鶴だ」
「では、なぜ一鶴だったのでしょう」
信玄は考える。
一鶴は最も広く周囲を見ていた。
六人の動きを知り、それぞれの報せを受け止められる位置にいた。
「一番よく見ていたからだ」
「はい」
樹玄は穏やかに頷く。
「では、一鶴が間違えたなら」
信玄は続きを待った。
「それは、一鶴一人の間違いではありません」
勘助がわずかに眉を上げる。
樹玄は続けた。
「報せる者。
見る者。
測る者。
止める者。
誰か一人が見誤れば、最後の判断も揺らぎます」
信玄は縄の向こうを見た。
もし三那兜が土を見誤れば。
もし四糸乃が深さを測り違えれば。
もし五風が人の流れを見落とせば。
一鶴の判断もまた、変わってしまう。
「判断とは、一人で生まれるものではないのか」
「はい」
樹玄は静かに答えた。
「だから、託すとは責任を押しつけることではありません」
その言葉に、勘助が小さく息を漏らした。
「支える、ということですか」
「ええ」
樹玄は頷く。
「託したなら、その者が正しく判断できるよう、皆で支えるのです」
その時だった。
坂の上から六嗣が駆け下りてきた。
「一鶴!」
息を切らせながら叫ぶ。
「山側の道も、少しずつ沈んでる!」
一鶴はすぐに坂の上を見た。
三那兜も顔を上げる。
四糸乃は、山側を歩く人々の足元へ目を向けた。
「どれくらいだ」
「今は歩ける。でも、このまま人を通し続けたら、もっと崩れるかもしれない」
一鶴は少しだけ考えた。
そして、縄の前へ出る。
「いったん全員止める」
六嗣が目を見開く。
「人も?」
「ああ。山側を固めるまで、誰も通すな」
「分かった!」
六嗣が宿の者たちへ走る。
五風は旅人たちへ声をかけ始めた。
「道を直すまで、ここで待ってくれ」
二羽花は足を止めた馬の鼻先を撫で、落ち着かせる。
三那兜と四糸乃は、山側の泥と道幅を確かめに向かった。
誰も、一鶴の先ほどの判断を責めはしない。
代わりに、新しく見えたことを伝え続ける。
一鶴もまた、その報せを受け、
人を通す判断から、いったん全てを止める判断へ変えた。
信玄は静かに目を細めた。
「なるほど」
樹玄を見る。
「託すとは、決めた者を一人にしないことか」
「はい」
樹玄は柔らかく笑った。
「最後まで見続けることです」
信玄は坂道へ目を向けた。
一鶴は決めている。
だが、一人では立っていない。
三那兜が土を見る。
四糸乃が形を見る。
五風が人を見る。
二羽花が馬を見る。
六嗣が人をつなぐ。
皆が見たものが集まり、一鶴の判断を支えている。
そして、その一鶴を信玄が見ている。
信玄は静かに息を吐いた。
「国も同じか」
勘助が隣で笑う。
「違えば困りますな」
信玄も小さく笑った。
国を治める者とは、
すべてを見る者ではない。
見る者たちを信じ、
報せを受け、
必要な時に託し、
最後まで支え続ける者。
風が龍地の坂を渡っていく。
縄はまだ張られている。
道はまだ完全には直っていない。
それでも人々は混乱することなく、
その場で静かに待っていた。
一人が守っているのではない。
互いに支え、
互いに託し、
互いに見続けている。
龍地で芽吹いた理は、
異なる役目を束ねることから、
互いを信じて託し合う理へと、
静かに育ち始めていた。
〖後書き〗
今回のまとめ:
・信玄は「託す」とは何かを樹玄へ問いかける
・樹玄は、託すとは責任を押しつけることではなく、最後まで支えることだと語る
・一鶴は新しい報せを受けて判断を修正し、六人はその判断を支え続ける
・信玄は、国を治める者もまた、託し、支え、最後まで見届ける者であると理解する
作者ノート:
これまで龍地では、
「受ける」
「分ける」
「逃がす」
「守る」
「残す」
という治水の理を学び、
さらに
「異なる役目」
「束ねる者」
へと話が進みました。
今回は、その先にある「託す」という理を描きました。
本当に人を束ねる者は、一人で抱え込まず、信じて任せ、最後まで支える者なのだと思います。
キーワード:
龍地/武田信玄/山本勘助/森口樹玄/一鶴/六つ子の前世/託す/支える/統治/治水




