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第2話

 口では『人を見た目で判断するな』と言うくせに、髪は染めるなだのピアスは空けるなだの学校指定のセーターを着用しろだの、生徒の外見をやたらと気にしている。それって要は、学校は生徒を見た目で判断してますよってことじゃないのか。だったら最初からそう言い切ってしまえばいいのに、どうして『大事なのは中身だ』なんて薄っぺらい嘘をつくのか。

 中身なんて目に見えない不確かで曖昧なもので、そいつがどんな人間なのかなんて分かるわけがないだろ。

 だからおれは『大事なのは中身だ』なんて薄っぺらい、見え透いた嘘をつく奴のことは信用できないと思っている。どいつもこいつも、どうせ見た目でしか人を判断できないくせに。


「おー、鈴原おはよ。ギリ間に合ったな」

「……おう」

 ふらふらと自分の席に歩み寄ると、机にカバンを置いて椅子に座る。そのままカバンに顔を突っ伏した瞬間、朝のホームルーム開始の予鈴が鳴り響いてきた。

「間に、合った……」

「珍しいじゃん、寝坊か」

「スマホのアラーム、全然気が付かなくて……寝過ごした」

 川島はけらけらと笑いながら自分の席に戻っていった。


 時々こういう失敗はするけど、ここまでガッツリ寝坊したのはずいぶんと久しぶりのことだ。昨夜、寝る前に眺めていた動画配信サイトでたまたま流れてきた古い映画のダイジェストを何気なく見てみたら思いのほか面白くて、そんなつもりはなかったのについ本編を一気に観てしまったのがいけなかったようだ。

 母ちゃんに叩き起こされて急いで着替え、いつも家を出る時間をだいぶ過ぎてから飛び出してきたから、朝飯を食いっぱぐれてしまった。家を出てから学校に着くまでの間、電車に乗っている時以外ではほとんど全力疾走してたから、もう既に体力が底を尽いて足もふらふらしてる。成長期の男子高校生に朝飯抜きは堪える。せめてトースト一枚くらいは食べてくればよかった。


「鈴原、いつまで寝てんの。一時間目体育だから早く着替えないと」

「えっ……た、体育?」

 顔からさっと血の気が引いていく。おれの体力はここに来るだけで既に使い果たしてしまったというのに、なんでよりによって一時間目から。

「今月マラソンばっかでつまんねえよなー、たまにはバスケやりたい」

「あ、今週からマラソン終わったら残りの時間は好きにしていいって。ケンちゃんが言ってた」

 頭がぼうっとしてる。クラスメイト達の喋る声もどこか遠くから聞こえてくるようで、現実味がなくふわふわした変な感覚。これ、大丈夫かな。やっぱり朝飯抜いて全力疾走なんかしなきゃよかった。

 今からでも体調悪いって言って、保健室で休ませてもらった方がいいかもしれない。でも風邪ひいてるわけでもないのに休みたいなんて言ったら、絶対に体調不良の理由を聞かれるだろう。夜更かししたせいで寝坊して朝飯抜いて走って来たからです、なんてバカ正直に答えたら休ませてくれないかもしれない。かと言って納得してもらえるような理由も思いつかないし。

「ほら鈴原、早く行こーぜ」

「あ……うん」

 仕方ない、最初のマラソンだけ耐えたら残りの時間は適当に休んでいればいいか。


 *


 この学校では毎年秋に全校生徒強制参加のマラソン大会が開催される。走行距離は何年もずっと変わらず学校の敷地をぐるりと一周し、それに加えて近所の河川敷をいくらか走り、また学校に戻ってきて終わる、というコースだ。時間制限があり完走できなかった奴は歩いて戻ってくればいい、しかもそれによるペナルティなどは一切ないので、当然のことながらやる気のある奴とない奴とで熱意の温度差がとんでもなくでかい。

 本格的な駅伝やフルマラソンと比べたらだいぶ緩い条件のもとで開催される割に、大会当日の一ヶ月前くらいから体育の授業で練習と称して持久走をやらされるので、体力のない奴にとってはこの時期の体育はもはや拷問でしかない。何を隠そう、おれもそのうちの一人である。


(球技大会とかだったら、少しはやる気も出るんだけどな……)

 体育館の裏の道をのろのろと走りながら、そんなことをぼんやりと思ってみたり。さっきからずっと喉も口の中もカラカラに渇いていて痛いくらいだ。脚が恐ろしく重い、前に一歩踏み出すだけでもひどく力が要る。

 もうおれの後ろを走ってる奴は数人しかいない。おれとしてはいつも通り走ってるつもりなのにスタート直後からどんどん抜かされて、ほとんどの奴らはもうとっくに完走しているようだ。

 なんか、頭が少し痛い。足元がふらついて、真っ直ぐ走れない。地面が回ってるみたいで気持ち悪い。

 これってもしかして、めまい? なんかヤバいかもしれない。

 もはやこれ以上走るのは無理だ。せめて転んだりしないよう、足元をよく見ながら歩こう。足を引きずるようにしてようやく校庭まで戻ってくると、もう既に完走した奴らがサッカーの試合を始めているのが見えた。

(元気だな……)

 とにかく早くゴールして、後は保健室で休ませてもらおう。あと少しだ。


「わーっ、危ない! 避けろ!」

 その時、突然でかい声が飛んできた。ふらつく頭を上げたのとほぼ同時に強い衝撃が額に走り、全身が地面に吸い込まれるみたいに崩れていく。

「あ……」

「鈴原!」

 少し離れたところでサッカーボールがバウンドして、更に向こうへと遠ざかっていく。どうやらこれが頭に直撃したようだ。

 朦朧とする意識の中、誰かが駆け寄ってきたのは分かった。でも視界に薄い靄がかかったみたいに景色がぼんやりして、誰なのかまでは判別できない。

「大丈夫か!?」

 川島かな。でも川島ってこんな声だったっけ……。


 *


 瞼を上げると、白い天井が視界に広がっていた。見たことのない天井だけど、学校の天井だということだけはすぐに分かった。

「……」

 どこだ、ここ。どうやらベッドに仰向けで寝てるようだけど、周りは白いカーテンで覆われていて部屋の様子が見えない。

 もしかしてここって、学校じゃなくて病院?

 あわてて身体を起こそうとすると、頭がふらついて鈍い痛みが走る。

「いっ……」

 その痛みで急に意識がはっきりと覚醒して、さっき見ていた光景が甦ってくる。

 そうだ、校庭に戻ってきたところでサッカーボールが飛んできて、それの直撃を受けて倒れて、それで……。


「起きたか」

 不意に、カーテンの向こうから男の声がした。

「え? あ……」

「開けるぞ」

 おれの返事を待たずに、シャッと音を立ててカーテンが引かれる。そこに立っていたのは黒田だった。

「く、黒田? なんで」

「気分はどうだ。まだ痛むところはあるか?」

「頭……痛い」

 まだ状況が何ひとつ掴めていないまま、おれは黒田からの質問に素直に答えた。

「それ以外は?」

「……腹減った」

 黒田はしばらく黙っておれの顔をまじまじと見ていたけど、急に深いため息をついた。

「まあ、その様子だと心配なさそうだな。でも倒れた時に頭打ってるかもしれないから、今日にでも病院に行った方がいい」

「おれ、倒れたの?」

「覚えてないのか」

 しんから驚いたようにそう言われて、さっきの記憶をもう一度思い返してみる。

 サッカーボールが頭に直撃して物理的に倒れたことは覚えてるけど、その後の記憶がどうにも曖昧だ。記憶が全くないってわけじゃないけど、今日あったことなのか、それともずっと前にあったことを今日のことだと勘違いしているのか、自分でもよく分からない。時間の感覚がはっきりしなくて変な感じだ。

「なんか……廊下を歩いて、ここまで来たような気はする」

「失神したのかと思って救急車を呼ぼうとしたのに、鈴原が起き上がって自力で保健室まで歩いていったんだよ」

 そうだったのか。あの状態でよく自力で歩いてこられたもんだ、と他人事のように感心してしまう。そのへんの記憶があやふやなのはおそらく相当眠かったからだろう。

 とにかく、ここが病院ではなく学校の保健室であることは分かった。やっぱり無理しないで最初からここで休ませてもらえばよかったかな。


「そう言えば、保健の先生は?」

「さっきまでいたけど、昼飯食べてくるって出て行った」

「え、今って昼休み?」

「そうだ」

 なるほど、どおりで腹が減ってるわけだ。朝飯を抜いたまま昼まで何も口にしていなかったのだから当然と言えば当然か。そう思うと、それに応えるように腹の虫が部屋中に響き渡るほどの轟音を立てた。黒田にも聞こえたはずなのに、黒田は顔色ひとつ変えずにいつもの仏頂面でしらっとしている。

「鈴原はいつも弁当だったよな。教室行くついでに鈴原の弁当取ってくるから、もう少し寝てろ」

「マジで? 悪いな、ありがと。あ、弁当はカバンに入ってるから、カバンごと持ってきてくれる?」

「分かった」

 黒田はおれに背を向けると、さっさと保健室から出て行ってしまった。


 ……ん?

 そういやなんであいつ、おれがいつも弁当持ってきてるの知ってんだろ。

 黒田も弁当派で、いつも教室で弁当食ってるおれを見てるから知ってるってことなのかな。でもそんなこと、いちいち記憶しておくものだろうか。現におれだって黒田が弁当派か学食派かなんて知らないし、今まで気にしたこともないのに。一緒に弁当食べるような仲の良い友達ならともかく、ろくに会話したこともないクラスメイトの昼飯事情なんてわざわざ観察しないだろ、普通。

 それも学級委員長の役目だとでも思ってんのかな、あいつ。


 数分も経たずに黒田は戻ってきた。

「鈴原が起きたって先生に伝えてきた。弁当食ったら今日はもう帰っていいそうだ」

「えっ、マジで? やった」

 つい弾んだ声を上げてしまい、黒田のあきれたような目つきに気付いてわざとらしく咳払いなんかして誤魔化す。黒田はおれにカバンを渡すと、カーテンの向こうへ引っ込んだ。教室に戻るのかと思ったらそうではなかったらしく、保健の先生が使っている机に自分の弁当を広げている。

「なに、黒田もここで食べんの?」

「悪いか」

「いや、悪いとは言ってないだろ」

 なんでこう、いちいち突っかかってくるんだ。そんなにおれのこと嫌いなら、わざわざ同じ部屋で食べなくたっていいのに。


 保健室のベッドの上で食べる弁当は、いつもより格別に美味い。こんな優雅で贅沢な時間を過ごせる場所がこの学校内にあったなんて、今日倒れなかったらずっと知らないままでいただろう。

 開け放したカーテンの向こうにちらと視線を向けると、黒田はおれの方など全く気にもせず本を読みながら黙々と弁当を食べている。

 嫌なら嫌で別にいいけど、同じ部屋で弁当食べてんのに本読んでるってどうなんだよ。自分の存在を無視されてるみたいで何となく面白くなくて、わざと興味なさそうに話しかけてみる。

「そういや今日って、頭髪検査だったよな。もう終わったの?」

「いや、まだだ。帰りのホームルームの前にやるらしい」

 無視されるかと思っていたのに、思いのほかすぐに返事が返ってきた。

「ふーん……帰っちゃっていいのかな、おれ。せっかく前髪切ってきたのに」

「……え」

 かぼちゃコロッケに伸ばしかけた箸がぴたりと止まる。

 しまった、今のは言わなくていいことだった。何を口走ってんだ、おれのアホ。

 ぎっ、と椅子の軋む音がして、黒田がこっちを向いた。さっと下を向いて、何でもないような顔してコロッケと白米を同時に口に詰め込む。


 別に、黒田に言われたから前髪を切ってきたわけじゃない。ハマ先にゴタゴタ言われるのが嫌だから切ってきただけのことだ。そんなこと黒田だって分かってるだろう。

 でもなんか今の言い方じゃ、言われたとおり前髪切ってきたよって黒田に報告したみたいじゃん。黒田にとってみれば、だから何だよって感じだろう。

 後悔先に立たず、今になって猛烈に恥ずかしくなってきた。やっぱり頭打ったのかもしれない、いつもならこんな間抜けなこと絶対に言わないのに。


「まあ……今日やらなくても、どうせまたすぐ近いうちにやるだろうし。気にしなくていいんじゃないのか」

 そう言って、黒田はまた机の方に向き直った。

 気にしなくていいって、別におれは頭髪検査を受けないで帰ることを気にしてるわけじゃないんだけど。

(……なんだ)

 こいつって頭いいくせに、変なところで鈍感なんだな。思わずほっとため息をついてしまう。黒田に言ったことを恥ずかしいとか思った自分がとてつもないバカに思えてきて、それがまた二重に恥ずかしくなってくる。


「鈴原は、あまり髪を短く切らない方がいいと思うけど」


 午後の授業開始が近いことを知らせる予鈴が鳴り響く。黒田が何か言ったような気がしたけど、ちょうどタイミング良く予鈴の音が重なってよく聞き取れなかった。

「え? なに?」

「何でもない」

 黒田は空になった弁当箱を片付けて席を立った。

「制服はカバンに入ってるから、帰る前にちゃんと着替えろよ。先生には俺から伝えておく」

「あ、うん……悪いな」

「気を付けて帰れよ」


 保健室のドアが閉まる音をぼんやりと聞きながら、弁当箱にふたをする。

 あいつの言うとおりにするのは癪だけど、一応おれのことを心配して病院行けって言ってくれたんだよな。

 面倒くさいけど、仕方ないか。

「……ん、あれ」

 ベッドから下りようとした時、さっきまでの頭痛が跡形もなく消えていることに初めて気が付いた。

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