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第8話 (3/3)

 駅へと続く道を、おれも黒田もゆっくりと歩いていた。いつもなら数分で着くはずの距離を、そのわずかな時間を惜しむように一歩ずつゆっくりと。

 足を踏み出す度に、おれの手とすぐ隣を歩く黒田の手が微かに触れ合う。ほんの少し手を伸ばせば指を絡めて手を繋ぎ合わせることもできるだろうけど、周りを歩く人たちの目を気にしておれも黒田もそれ以上はお互いに近づこうとしなかった。

 やっぱりまだ、周りの視線は気になる。だけど今は、今までとは少しだけ違う。こんなふうに人の目を意識してるのはおれだけじゃないって、ちゃんと分かる。黒田もおれと同じことを考えてるんだって分かるから、今までみたいに怖くない。

 交差点の信号待ちで立ち止まった時、そっと隣の黒田を見上げると目が合った。おれがそっちを見るより前から黒田はおれを見ていたようだ。

「……なに見てんの」

 目を逸らすのも不自然だし、かと言ってどんな顔で黒田の視線を受け止めたらいいのか分からなくてそんなふうに言ってみる。すると、黒田は優しく微笑んだ。

「きれいだな、と思って」

「またそれかよ」

 前にも言われた言葉だけど、そこに込められた黒田の気持ちを知った後ではどうにもやりづらい。黒田も言った後で恥ずかしくなったのか、わざとらしい咳払いをしながら交差点の向こうに顔を逸らした。

「黒田って本当におれの髪好きだよな」

 顔真っ赤にして否定してくるだろうと予測してたのに、黒田は黙っている。反対側の信号機をじっと睨みつけているその横顔は、夜の暗さの中でもはっきりと分かるほど赤い。

 なに黙ってんだよ。何でもいいから反応しろっての、バカ。

 心の中でそんな悪態をついていると、黒田は眼鏡のブリッジを指で押し上げながら少し下を向いた。何となく、居心地悪そうに見えなくもない。

「綺麗なものを見たら、目が離れなくなるのは当たり前だ。それしか見えなくなって、ずっと見ていたくなるのがそんなにおかしいか。鈴原にはそういう経験ないのか」

「別に、おかしいとは言ってないだろ。でも……」

「なんだ」

 交差する道路の青信号がゆっくりと点滅し始めている。それを見ているふりをして、さり気なく黒田から目を逸らした。

「……それが、見た目だけの奴だったら? 中身は最低最悪のクズでも、それでもずっと見ていたいって思うの?」


 見た目だけで好きになったって、その後も気持ちが絶対に変わらないという保証はない。吉野みたいに、第一印象で顔が好みだと思っても些細なことで気持ちが冷めてしまうというのは決して珍しいことではないんだ。人が心変わりするのはどうにもできないことだから、それをとやかく言うつもりはない。

 頭ではそう分かっていても、心まで割り切れるほどおれは冷めていない。そもそも誰かを好きになるって、そんな簡単に割り切れるような気持ちじゃできないと思う。

 でも、黒田はそうじゃないかもしれない。おれと違って、見た目と中身を完全に切り離して見ているのかもしれない。


 赤信号が青に変わった。周りで信号待ちをしていた人たちが歩き出し、少し遅れておれ達もその後に続く。

「もしそうだとしても、俺はそういうところも含めて綺麗だと思うようになる。どうしようもない性格も、顔も、髪も、その人の全部が好きになる」

 黒田は前を向いて、はっきりとした口調でそう言った。相手の中身を知っても自分の気持ちが揺らがないということによっぽど自信があるのか、黒田の横顔は凛としている。

「結局、髪かよ。髪さえ良ければ中身はどんなにひどくてもいいのか」

「そうじゃない。きっかけが何であれ、一度好きになったら滅多なことでは嫌いになれないんだ。どうしても」

「幻滅とか、しないんだ?」

「まあ、あまりにもひどいところがあったら多少はがっかりするかもしれないけど……嫌いになることはないよ」

 行く手に駅の改札口が見えてきた時、不意に黒田はおれの右手をぎゅっと握った。周りにはさっきよりも人が増えてるのに。

「……周りの人、見てるよ」

「構わない。俺は人に見られて困るようなことなんて何もしていない」

 指を絡めて繋ぎ合わせた手が、お互いの体温で少しずつ温まっていくのが分かる。指先に微かに感じる、少し速い脈拍。


 やっぱりまだ、周りの視線は気になる。でもきっとそれは、黒田も同じなのだろう。

 気付かれないようにそっと見上げた黒田の横顔は、さっきのまま真っ直ぐに前を向いている。冷たい夜風に黒田の髪が微かに揺れて、それまで隠れていた耳が露わになった。

(……あ)

 黒田の耳、赤くなってる。

 でもそれが見えたのはほんの一瞬のことで、またすぐに黒い髪で隠れてしまった。


 おれと違って艶があって、癖のないサラサラの黒い髪。

 おれはずっと黒田が羨ましかった。黒田の綺麗な黒い髪を初めて見たその瞬間、目を離すことができなくなった。あの時にはもう心を奪われていた。その事実を自分で認めるのが悔しくて、ずっと見ないふりしてたんだ。

 ひと目見た瞬間に目が離せなくなって、いつの間にか目で追うようになって、気が付いた時にはどうしようもなく好きになっていた。自分にないものを持っている人を羨ましく思う気持ちが、いつの間にか好きだと思う気持ちに変わっていた。

 それは決して珍しいことでもおかしなことでもなくて、よくある、ありふれた、とても普通のことなんだろう。今までずっと不思議でならなかったことが、今になってやっと理解できた気がする。


「黒田って、変わってんな」

「そんなことない。俺は普通だ」


 何が普通で、何が普通じゃないとか、周りの視線とか、やっぱりまだ気になるけど。

 自分のこの髪の色、今はそんなに嫌いじゃないかもしれない。そんなことを思いながら、おれは黒田の手をぎゅっと握り返した。

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