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悪役令嬢は悪役令嬢らしく振舞うためにじっくり考える  作者: 南蛇井


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4/4

『リリエルが「怒らないでくれてありがとう」と言ってしまう回』

放課後の温室。


ガラス越しの陽光が柔らかく差し込む中、レディアナは一人、鉢植えの薔薇を観察していた。


(棘はあるが、無闇には刺さらない。……理想的ですわ)


そこへ、おずおずと声がかかる。


「あの……レディアナ様」


振り返る。


ヒロイン、リリエル。


緊張した面持ち。


(単独接触。高リスク。発言要注意)


「ごきげんよう」


「ご、ごきげんようです」


しばし沈黙。


温室の中は静かだ。


リリエルがぎゅっとスカートを握る。


「今日は、その……お礼を言いに来ました」


(お礼? 何に対して?)


レディアナの思考が回り始める。


「怒らないでくれて、ありがとうございます」


――停止。


思考、停止。


(……何に対する礼?)


リリエルは必死に続ける。


「殿下と一緒にいるところを見られても、ひどいこと言われなくて……」


「水もかけられなくて……」


「陰で悪口も広められてなくて……」


「わたし、ずっと覚悟してたんです」


深呼吸。


「でも、レディアナ様は何もなさらなかった」


真っ直ぐな目。


「それって……すごく優しいことだと思います」


完全に、想定外。


レディアナの脳内で警報が鳴る。


(違う。優しさではない。最適化だ)


(悪役令嬢として最善を――)


(だが結果的に彼女は救われている?)


分類不能。


リリエルは続ける。


「だから……ありがとう、ございます」


ぺこり、と頭を下げる。


温室に静寂が落ちる。


レディアナの指先が、わずかに動く。


(ここで否定する?)


(“誤解しないでくださる?”と線を引く?)


(あるいは冷笑?)


どれも選べない。


なぜなら――


どれも“正しい悪役令嬢ムーブ”ではないから。


「……わたくしは」


声がわずかに揺れる。


(揺れ? なぜ?)


「何もしておりませんわ」


「はい」


リリエルは微笑む。


「それが、ありがたいんです」


――直撃。


レディアナの思考が崩れる。


(何もしないことが、価値?)


(悪役令嬢の存在意義は、摩擦では?)


(摩擦を起こさぬなら、わたくしは何?)


沈黙。


リリエルは少し迷ってから、さらに言った。


「わたし……本当は、怖かったんです」


「殿下が優しくしてくださるほど、レディアナ様が傷つくんじゃないかって」


レディアナ、瞳がわずかに見開かれる。


「でもレディアナ様は、冷静で」


「強くて」


「だから、すごいなって」


微笑み。


悪意ゼロ。


計算ゼロ。


純粋な尊敬。


レディアナの内部で、何かが軋む。


(これは……敵意ではない)


(断罪フラグでもない)


(善意……?)


処理不能。


完全未定義。


長い沈黙の後。


レディアナはゆっくり口を開く。


「……怒るべき理由が、まだ確定しておりませんので」


それが精一杯だった。


リリエルは首を傾げる。


「理由が確定したら、怒るんですか?」


「理論上は」


「そっか」


にこり。


「その時は、ちゃんと受け止めますね」


柔らかい返答。


また、想定外。


レディアナの思考が空回りする。


(受け止める?)


(怒りを?)


(対立前提ではない?)


(それは……戦闘ではない?)


温室の扉が開く音。


そこに、偶然通りかかったアルベルト。


二人の穏やかな空気を見て、凍る。


「……何を話している」


リリエルが振り向く。


「あ、殿下。レディアナ様にお礼を」


「お礼!?」


アルベルト、混乱。


レディアナは静かに言う。


「誤解を招く表現は避けていただける?」


「は、はい!」


だが空気は柔らかいまま。


アルベルトは状況を読み取れない。


(なぜ平和なんだ……)


レディアナは一礼した。


「本日は情報量が過多ですので、これにて失礼いたします」


退場。


温室を出た瞬間、壁にそっと手をつく。


(何もしていないことに、感謝された)


(怒らないことが、価値?)


(わたくしは……)


思考がまとまらない。


その夜。


ノートに書かれた新項目。


「“怒らない悪役令嬢”の存在意義について」


ペンが止まる。


初めて、答えが出ない。


一方その頃。


温室に残されたアルベルトは呟く。


「……怒らせる難易度が、さらに上がった気がする」


リリエルは少し考えてから言った。


「もしかして、怒らせなくていいのでは?」


アルベルト、固まる。


その発想はなかった。


こうして――


物語はまたしても動きそうで動かず、


しかし確実に、何かだけが変わり始めていた。


それでも。


その日もやはり、


大事件は起きなかった。

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