『ついに王子が「怒ってくれ!」と直談判する回』
王立学園・薔薇の庭園。
完璧な舞台。
完璧な距離感。
完璧な空気。
――にもかかわらず、何も起きない日々が続いていた。
アルベルトはついに限界を迎えた。
「……呼び出しに応じてくれて感謝する、レディアナ」
レディアナは優雅に一礼した。
「“重要なお話”とのことでしたので、熟考の上参りましたわ」
(重要度は高。警戒レベル三。発言は慎重に)
アルベルトは深呼吸する。
そして――
「怒ってくれ」
沈黙。
風が吹く。
薔薇が一輪落ちる。
レディアナ、まばたき一回。
「……はい?」
「怒ってくれと言った」
「対象は?」
「私だ」
「理由は?」
「君が婚約者だからだ」
完全に論理が崩れていた。
レディアナの思考回路が高速で回る。
(これは挑発? 罠? それとも精神的混乱?)
アルベルトは一歩近づく。
「なぜ何も言わない。なぜ責めない。なぜ水もかけない」
「水は物理的損害が発生しますわ」
「そこじゃない!」
声が裏返る。
「私は君に責められるはずの立場だ! なのに君は分析しかしない!」
レディアナ、冷静。
「状況を正確に把握するのは当然ですわ」
「感情はないのか!?」
「あります」
即答。
「ただし、表出は最適化しております」
アルベルト、頭を抱える。
「私は……君が怒ることで物語が動くと思っていた」
「物語?」
「……いや、その……」
口を滑らせた。
レディアナの目が細まる。
(“物語”? 自覚的? メタ認識? 危険ワード)
「殿下は、わたくしに“役割”を期待しておられるのですね」
アルベルトは黙る。
図星だった。
レディアナは静かに続ける。
「悪役令嬢として、感情的に振る舞い、嫉妬し、非難し、最終的に断罪される……その流れを」
アルベルト、目を逸らす。
「……そのほうが自然だ」
「自然、とは?」
「……」
言葉に詰まる。
レディアナはゆっくりと扇を閉じた。
「殿下」
「なんだ」
「わたくしは、怒るべき時を慎重に選んでおります」
「いつだ、それは」
一拍。
「本当に怒るべき時ですわ」
沈黙。
アルベルトは困惑する。
「では今は違うのか?」
「はい」
即答。
「現状、決定的違反は存在しません」
「私がリリエルと親しくしてもか?」
「親しさの定義が曖昧です」
「私が彼女を評価してもか?」
「評価は自由です」
「では、私はどうすればいい!?」
ついに叫んだ。
王子、取り乱す。
レディアナはその様子を見つめる。
(これは……予想外)
胸の奥が、わずかに揺れた。
(殿下は、わたくしに怒ってほしい……?)
アルベルトは肩で息をする。
「君が何も言わないと……私は自分が正しいのか間違っているのか分からない」
その言葉に、レディアナの思考が止まる。
初めて、分析が途切れた。
(……指標?)
「怒られることで、境界が見えるんだ」
静かな声だった。
「君が何も言わないと、私はどこまでも進めてしまう」
風が止む。
レディアナは、初めて少しだけ視線を逸らした。
(これは……計算外の発言)
長い沈黙。
アルベルトは覚悟を決めたように言う。
「だから――」
「一度でいい」
「感情でぶつかってくれ」
レディアナの指先が、わずかに震える。
(感情で……?)
(最適化なし? 計算なし?)
(それは、悪役令嬢として正しいの?)
思考が暴走する。
最適解が出ない。
分類不能。
前例なし。
沈黙。
三十秒。
一分。
アルベルト、息を止める。
そして――
レディアナは口を開いた。
「……」
「……」
「……」
「……熟考いたしますわ」
アルベルト、崩れ落ちる。
「またか!!」
庭園に響く叫び。
レディアナは一礼した。
「感情の即時使用は高リスク行為ですので」
そして去る。
残された王子は芝生に座り込んだ。
「……私は何と戦っているんだ」
その頃、レディアナの脳内。
(感情でぶつかる……?)
(それは悪役令嬢の枠を超える行為では?)
(だが――)
胸の奥に、ほんの少しだけ、
分析不能の熱が灯っていた。
しかし。
その日も結局、
何も起きなかった。




