きょうだい犬あり 遠方より
◆安眠どころでは
二〇二五年七月二〇日午前一〇時半、ついに実現した。
我が家の盲導犬・エヴァンが、きょうだいのエデンと五年ぶりに再会したのである。
エデンはパピー(仔犬)時代に股関節の手術を受け、キャリア・チェンジして家庭犬になっていた。現在、大阪府内のドッグカフェで看板犬を務める。人気者らしい。
前夜は気分が高揚して眠れなかった。目が覚めると、二時台だった。もちろん、エヴァンのことではない。
前日、エヴァンにエデンの話をしないでいた。興奮しないか心配したからだ。これまでにも、仲間の盲導犬が訪ねてくると、吠えて飛び跳ねた。これが、きょうだいの来訪となれば、安眠などしてられないのは、犬も同じはずだ。
◆Eきょうだい
ひょんなことから二頭のつながりが判明した。
筆者の小説やエッセーにエヴァンがよく登場する。出生地・生年月日に加えて名前を明かしため、読者が
「間違いなく、お兄ちゃんか弟だ」
と確信し、メッセージを送ってくれた。
とりとめのない話と思われるだろう。しかし、同じ母親から同じ日に生まれた、つまり同胎の仔犬たちに名前を付ける際、その訓練所ではルールがある。同じアルファベットで始めるのである。EVANとEDEN。遺伝子診断に回さなくても、れっきとしたきょうだいと断言できる。兄弟でも姉妹でもないのは、エヴァンはオス、エデンはメスだからだ。
◆お手ってなあに
外の気配にエヴァンが反応した。
ただ、心なしか、いつものエヴァンではない。妻が駐車場で迎えている。筆者が治療院のドアを開けると、エヴァンの声が一段と大きくなった。
エデンが入って来る。エデンもエヴァンに直進する。人間なら最大の見せ場になるところだが、再会の挨拶はあっけなく終わった。
やはり血を分けたきょうだいなのだろう。二頭がスキンシップらしきものをしている。マウントなどしないのは、さすがにきょうだいだ。
時おり、エヴァンは筆者を心細そうな眼付きで見上げる。何しろ、ビジターは二家族、十人と一頭。こんなに治療院が混んだのは初めてだった。
積もる話もあっただろうに、二頭は人間の応対に追われていた。
「わっ、かわいいなあ」
「そっくりや」
次々に撫でられる。
先方の子供がエデンにお手を要求している。ほぼ機械的に前脚を出している。ところが、エヴァンは「お手」に、ほとんどシカト状態だった。
「盲導犬にとってどうでもいいことは、教えてないのですよ」
訓練士から聞いたことがあった。それを我が家でも家訓としていた。教育の力は大きい。
◆楽しみは次回に
正直、昼食の心配をしていた。
お遍路さんの地・四国には「お接待」の文化が根付いている。
「ウチに来て、ひもじい思いして帰んだちゅうのは許さんぞ」
遠慮していると、年寄りによく言われたものだった。質量はともかく、客人のもてなしに粉骨砕身するのが四国人だ。
大人数で入れる店があるかどうかだ。何よりも、エデンは家庭犬である。入店を認めてくれる店はないだろう。いっそ、生地の近くの河原で、バーベキューでもやっては、と考えていた。
エデンとエヴァンを思いっきり駆けさせてやりたい。経験からして、老いも若きも、人も動物も、秘境の大自然を満喫してもらえること請け合いだった。
ところが、一行には次の予定が入っていた。鳴門の渦潮観光が待っていた。それもいいだろう。さらなるお楽しみは次の機会に!