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食楽喜楽

 

 和食フレンチの食楽喜楽はグルメワールド誌の一つ星を獲得した有名レストランで、和食の一流料理店で10年、本場フランスの三つ星レストランで7年の修行を積んだ皿真出(さらまで)追志(おいし)がオーナーシェフとして腕を振るっている。


 彼には拘りがあった。

 地球環境に優しい食材を使うという拘りが。

 野菜は有機栽培。

 農薬や除草剤を使わず、有機肥料で育てた作物を優先した。

 肉は放し飼いのもの。

 飼育小屋ではなく、農場で放し飼いにされたものを優先した。

 魚は天然もの。

 それも、底引き網や巻き網ではなく、一本釣りや延縄漁(はえなわりょう)で釣り上げたものを優先した。


 そしてそれらのことを開店前の朝礼でスタッフに繰り返して言い続けた。


「地球の資源は限られている。だから、自分達だけ良ければいいという考え方ではいけない。限られた資源を次の世代に引き継ぐことが使命だと思わなければならない」


「私たちの店は、野菜様、肉様、魚様に支えられていることを忘れてはならない。ただの食材と思ってはいけない。自然からの贈り物と感謝しなければいけない」


滋味(じみ)に満ち溢れた大切な贈り物を健康に良い料理に昇華させなければならない。お客様の健康に貢献することこそが我が店の存在価値である」


「食べることは楽しい。おいしい料理に出会った時には喜びが溢れてくる。だから、料理人の仕事は楽しく喜びに溢れている。さあ、最高の笑顔で最高の料理を提供しよう」


        *


「上等な甘鯛を持ってきました」


「何処の?」


「駿河湾です」


「どれも50センチ級だね」


「それに、形がいいでしょう」


 食楽喜楽へ出入りしている仲卸『魚自慢(さかなじまん)』代表の目利(めきき)調太郎(ちょうたろう)が自慢気な表情になった。


「また、あの名人のかい?」


「そうです。活〆(いきじめ)の達人漁師が神経締めにした鮮度抜群の甘鯛です」


「彼は本当に凄いね」


「ええ、最高の漁師です」


 活〆達人漁師の名前は、粋締(いきじめ)(しゅん)

 親の跡を継いだ三代目漁師であり、目利と皿真出が信頼を寄せている凄腕の漁師だった。

 直接会ったことはなかったが、目利から聞いて彼のことはよく知っていた。


 粋締は小学生の頃から漁船に乗り、親の跡を継ぐことが当たり前と思っていたが、漁の楽しさと共に厳しさも肌で感じていた。

 年々漁獲量が減っているのを目にしていたからだ。

 その原因は底引き網漁にあった。

 父親は多くの漁師と同様に稚魚や幼魚を乱獲しており、その結果、厳しい経営を余儀なくされていた。


 それを見ていた彼は跡を継ぐや否や漁法を一本釣りや延縄漁に変えた。

 資源保護の必要性を痛切に感じていたからだ。

 ただ、一人だけ漁法を変えても意味がないので、他の漁師にも一本釣りや延縄漁への変更を勧めた。

 乱獲防止無くして漁業の未来はないと訴え続けた。


 しかし、反応は鈍かった。

 目先の利益にこだわる漁師が多いからだ。

 それでも彼は諦めずに訴え続けている。

 そのことを目利から聞いて以来、彼を応援し、彼が獲った魚を仕入れ続けている。


 そんなことを思い出していると、「蒸し物、椀物、塩焼き、ムニエル、なんにでも出来ますが」と目利がレシピを口にした。

 もちろん皿真出に異論があるはずはなかった。

「今夜のメニューは、甘鯛で決まりだね」と口にした時には、既にコース仕立てのすべてが頭に浮かんでいた。


        *


「優美さん、甘鯛を三枚に下ろしてください」


「承知いたしました」


「三枚に下ろしたら、それを細かく切ってください」


「はい」


 優美との意思疎通が日毎に良くなっていた。


「できました。次は、塩でしめて水洗いでよろしいですか」


「ウィ、マダム♪」


 歌うように返すと、すぐに次の作業に移って料理を仕上げていった。


 一皿目が出来上がった。

『酸味フルーツ添えジェノベーゼ風甘鯛のタルタル』

 二皿目は『甘鯛のポワレ、皿真出スペシャルソース添え』

 甘鯛のアラから作ったフュメ・ド・ポワソンにウニとシャンピニオンを加えた特製ソースが、サクサクの皮と柔らかい身にマッチして絶妙の食感を引き出す一品。

 そして三皿目は『特製スウィートパスタ、フレンチ風』

 甘鯛と甘海老に甘橙(オレンジ)甘蕉(バナナ)を入れたホワイトソースを絡めて、自然の甘みを引き出したフレンチパスタ。

 これらに食後の飲み物とデザートをつけると税込み5,980円のコースが出来上がる。

 そのことを告げると、「5,980円ですか?」と優美がオウム返しをした。


「高い?」


「いいえ、逆です。予想よりかなり安いので……」


 優美は〈そこまでしなくても〉というような表情を浮かべていたが、皿真出はそのことに感謝しながらも小さく首を振った。


「できるだけ多くの人に食べていただきたいんだ。だから、高すぎてはだめなんだ。本当は5,000円を切る価格で出したいのだけど、それでは採算が取れない。泣く泣く5,980円なんだよ」


 冗談めかしに両手の人差し指を目の下に当てて泣き真似をすると、優美が突然「ありがとうございます」と頭を下げた。


「えっ、ありがとうって……」


 戸惑っていると、笑みが返ってきた。


「お客様に代わって御礼を申し上げました」


「あっ……」


 思いがけない言葉にちょっと感動した。

 それだけでなく、素晴らしいスタッフと働ける喜びがじわ~っと込み上げてきた。


「こちらこそ、ありがとう」


 皿真出は優美より深く頭を下げた。



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