持続可能な幸福循環(3)
2日目が始まった。
「本日のテーマは『海の環境をどうやって守っていくか』です。議論に先立って、環境保全庁の源長官からお話を伺います」
源は谷和原に目礼をしてから立ち上がったが、発した声は厳しかった。
「海は汚れています。いや、私たち人間が汚しています。産業廃棄物、生活用水、一般のごみ、更には、プラスチック、多種多様な汚染物質に海は悲鳴を上げています。人間の営みの多くが海洋汚染につながっているのです」
海に漂うプラスチックごみの写真がスクリーンに映し出された。
「プラスチックは生活を便利にしてくれました。しかし今、私たちに害を及ぼそうとしています」
太平洋全体を見渡した航空写真が映し出された。
「直径5ミリ以下の小さなプラスチックが、近海だけでなく外洋に広がっています。太平洋の広い海域に浮遊しているのです」
小さなプラスチックが拡大されて映し出された。
「これ以上分解されない状態になったマイクロプラスチックは植物プランクトンと間違えて動物プランクトンに食べられ、それが食物連鎖によって、より大型の魚の体内に入っていきます。それを食べた人間の体内にも当然入ってきます。更に、」
源の顔が強ばった瞬間、スライドが変わった。
網に絡まれて動きが取れなくなった海鳥の姿が映し出された。
「漁網の海上不法投棄によって多くの海鳥が死んでいます。大型の海獣や魚も網に絡まって死んでいます。心無い漁師が引き起こす悲惨な事故です」
権家と長男、粋締と取出が唇を噛んだ。
それを合図にするようにスライドが変わった。
石油コンビナートを出港したタンカーが大海原を航行していた。
しかし、次のスライドには、その船が座礁している姿が映し出されていた。
「タンカーから膨大な量の石油が流出しています」
石油で真っ黒になった海鳥のスライドに変わった。
「こうなったら飛び立つことも魚を捕ることもできません」
会場は水を打ったように静まり返った。
するとまた画面が変わって、南国の楽園のような白砂のビーチが映し出された。
しかし次の瞬間、そのビーチは真っ黒になった。
「海上油井施設で起きた事故の写真です。タンカー事故とは比べ物にならない膨大な量の石油が流出しました。その結果、多くの魚類、貝類、鳥類が死に、白い砂浜は真っ黒な浜になってしまいました。その影響は今後何十年も続くことになるでしょう」
黒浜のスライドの上に、白い文字が浮き上がった。
『聞こえませんか、海の悲鳴が!』
沈黙が会場を支配した。
誰も息をしていないようで、時が凍ったように感じられた。
それはスライドが消えて源長官が着席しても変わらなかった。
それが永遠に続くかと思われた時、NPO法人代表の大和が手を上げた。
そして、源の言葉を噛みしめるような表情で立ち上がり、ゆっくりと会場を見回した。
「海は、海だけで完結しているのではありません」
静かな口調だった。
「森林に降った雨が川に流れ込みます。その川の水は海に流れ込みます。海水は蒸発して雨となり、森林に恵みの雨を降らせます。森林と川と海は繋がっているのです」
出席者に何かを思い出させるような口調になった。
「森林は川に水分を流し込んでいるだけではありません。大地の有機物を含む豊富な栄養素を届けているのです。その栄養素が海に流れ込み、それを植物プランクトンが食べます。植物プランクトンは動物プランクトンに食べられ、動物プランクトンを小魚が食べます。その小魚を大型の魚が食べます。森林の栄養素が海の生き物を支えているのです。森林と川と海は繋がっているのです」
そこで急に声が大きくなり、厳しい口調に変わった。
「森林はどうなっていますか? 川はどうなっていますか? 森林は破壊され、護岸工事によって河川はコンクリートで塗り固められています。海岸線や干潟はどんどん消失しています。何故?」
訴えかけるような目だった。
「人間の都合です。自分たちの生活を優先した結果、自然環境を激変させてしまったのです。そのことによって河原や自然な川岸や干潟が消えただけでなく、それらを生育場所としていた生き物は住処を失ったのです」
そこで話を切り、諭すような口調に変わった。
「生態系という言葉を思い出してください」
その後、多くの出席者から発言があり、谷和原が会を締めくくろうとした時だった、源が発言を求めたのは。
「海の環境悪化は海のせいではありません。もちろん、魚のせいでもありません。原因は人なのです。人が環境悪化を引き起こしているのです」
そして、胸に手を当てた。
「人の歴史は自然破壊の歴史でもあるのです。それを自覚しなければなりません」
自らに言い聞かせるような口調になった。
「今の暮らし方を変えない限り、海の環境悪化、地球の環境悪化は続きます。いや、もっともっと悪くなっていくのです」
そして、〈よく考えて欲しい〉というふうに間を取って、会場全体に視線を送った。
「皆さんは暮らし方を変えられますか?」
静かな声だった。
しかし、心の奥まで届くような強さを持っていた。
出席者の目は一心に源に注がれているようだった。
物音一つしない中、諭すような声が発せられた。
「環境悪化を止める特効薬はありません。私たち一人一人が、地球に優しい、海に優しい生き方をするしかないのです」




