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海利社長

 

「日本漁業の未来研究会に出席されると伺いましたが」


「そうなんだ。業界代表として次の会議に出席するよう要請されている」


「代表としてですか? でも水産会社の代表といえば、太平洋魚食か極東魚食でしょ。なんでうちが?」


 海利社長に呼ばれてテーブルについたばかりだった嘉門部長が驚いたような表情になった。

 それは、同席している自分も同じだったし、海野も同じような顔をしていた。


「さあ、どうかな? 理由は聞いていないからわからないが、とにかく業界の代表として呼ばれるからにはそれに相応しい発言をしなければならないと思っている」


 3人は大きく頷いた。


「一水産会社の考えではなく、漁業や水産資源全体を見据えた意見でなくてはならない。だから、先日、幸夢さんが言っていたことを基に、〈漁業と水産資源保護への未来提言〉をしたいと考えている。皆さんの力を貸して欲しい」


 海利社長は3人に向かって頭を下げた。


        *


 その1週間後、日本漁業の未来研究会第3回会合が始まった。

 今回は、前2回の出席者に加えて流通系の代表者たちが出席していた。


「いつまで魚が輸入できるのか、とても不安に思っています」


 口火を切ったのは海利だった。


「買い負けが常態化しているのです。中国のみならず、ヨーロッパやアメリカにも買い負けています。更に、成長著しい新興国との競争も激化しています」


 それで会場の雰囲気が一気に暗くなったが、もう一つの重要な指摘を躊躇うことはなかった。


「買い負けだけではありません。水産物の自給率が下がり続けています」


 その途端、会場が騒めいた。

 日本の水産業が置かれている厳しい現状を真正面から突き付けられたからだ。

 そんな中、黙っていられなくなったのか、出席者の誰かが声を発した。


「事務次官、日本の水産物の自給率は何パーセントですか?」


 急に問われた谷和原は焦ったような表情で後ろを振り返って漁業水産省の担当者に資料を要求した。

 しかし、慌てた担当者は手が震えたのか、うまく渡せず資料を床にぶちまけてしまった。


「そんなことも頭に入っていないのか?」

「事務次官のくせして何やってんだよ!」


 会場の怒声が大きくなり、騒然としてきたが、谷和原は資料を持ったまま固まったままだった。

 それを救ったのが豪田だった。


「60パーセントを切っています。残念ながら1964年の半分近くになっています。国内生産量の減少が主な原因です」


 しかし、会場は納得しなかった。

 というより、却って火に油を注いでしまった。


「他人事みたいに言うな!」

「そうだ、そうだ!」

「行政は何をやっているんだ!」

「しっかりしろよ!」


 神妙な表情になった豪田が深く頭を下げても怒声は止まらなかったが、それを静めるように海利が手で制すると、一気に会場が落ち着いた。


「行政の責任だけではないと思います。我々にも責任があります。我々流通業者は魚の資源量はもとより各種漁法が及ぼす海への影響などを真剣に考えてきたでしょうか? 頭の中は売上と利益のことだけだったのではありませんか?」


 その途端、ざわざわと騒がしくなり、隣の人と目を合わせる人が増えた。

 しかし海利はそんなことに構うことなく言葉を継いだ。


「私は本当に反省しています。会社のことしか考えてこなかった自分を情けなく思っています」


 すると自分事として受け止めたのか、打って変わって静かになり、視線が海利に戻ってきた。

 海利はそれを逃さなかった。


「私たちは分岐点に差し掛かっています。決断の分岐点です。それは未来を決める分岐点と言っても過言ではありません。人類の未来がかかっているのです。もし、水産物の持続可能性が閉ざされることになったら人類に未来はないでしょう。魚がいなくなった世界は人類の滅亡を意味するのです。ですから、もう一刻の猶予もありません。今すぐ行動しなければならないのです」 


        *


 昼食休憩をはさんで、会議は午後も続いた。


「四方を海に囲まれて世界有数の漁場を有しているのに、水産物の自給率100パーセントが実現できないなんて、絶対おかしいですよね」


 NPO法人代表の大和が口火を切った。


「おかしいですよ。みっともないですよ。世界中の笑いものですよ」


 漁業コンサルタントの真守賀が吐き捨てるように追随した。

 すると、〈またあいつらが〉というように漁業連盟理事長の権家が顔をしかめたが、口を開くことはなかった。


「漁獲規制の早期実施しかありません。次年度以降の資源量に悪影響を与えない漁獲量の設定を魚種別に行い、その上で、譲渡可能な個別割当を行うのです。日本でも一部の魚種で漁獲量の設定が行われていますが、ヨーイドンのオリンピック方式のためにすべての漁船の報告を集計したら漁獲枠を超えていたということがしょっちゅうじゃないですか。各漁業者に個別割当をしないと、これからも同じことが続きますよ」


 真守賀が口を閉じると大和が引き継いだ。


「ITQと呼ばれる譲渡可能個別割当の導入が世界の趨勢(すうせい)となっています」


「そんな規制は必要ない!」


 もう辛抱していられないというように権家理事長から濁声が飛んだ。


「海や魚のことは漁師が一番知っているんだ。何度言ったらわかるんだ。外部からとやかく言われる筋合いはない。漁業連盟ではいろんな対策を打っている。だから、そのうち魚の数が増えてくるのは間違いない」


「そうでしょうか?」


 すかさず真守賀が反論した。


「欧米の漁業先進国でも色々な事を行ってきました。しかし、どれもうまくいきませんでした。最新型の漁船や最新の漁具などによる漁獲能力の向上が対策効果を打ち消したのです。ですので、漁獲量の上限設定とITQ制度の導入しか道は残されていなかったのです。それ以外の対策では問題は解決しないのです」


 権家が苦虫を噛み潰したような顔で真守賀を睨んだが、口は結ばれたままだった。

 世界の最新情勢に対する反論は持ち合わせていないようだった。

 チャンスと見た真守賀は更に突っ込んだ。


「ITQを導入した国の漁師は収入が増えています。日本の漁師よりはるかに高収入です。何故だと思いますか?」


 いきなり振られた権家は少し動揺したようだったが、それでも〈知るか〉というような表情になって真守賀を睨みつけた。


「答えは簡単です。漁獲量を規制されたら、より価値のある魚だけに集中するからです。そして、よりおいしい時期、つまり旬の魚だけに集中するからです」


 それを後押しするように粋締が援軍を送った。


「大きく育って脂が乗った魚や旬の魚は高く売れます。何故って、おいしいからです。だから、価値の低い、つまり、安く叩かれる小さな魚には目もくれなくなるのです」


 当然でしょう、というような表情を浮かべて椅子に座ると、真守賀が〈ありがとう〉というような視線を送り、更に言葉を継いだ。


「適切な規制は水産資源の保護と漁師の収入増の両方に寄与するのです」


 すると、今まで一度も発言しなかった男性が手を上げた。


「獲る側だけでなく、売る側の意識も変えなくてはいけないと思います」


『さかなや恵比寿さん』のオーナー、差波木(さばき)漁太(りょうた)だった。


「私の店では持続可能性の高い漁法で獲った魚の仕入れを優先しています。一本釣りや延縄漁(はえなわりょう)で獲った魚が最優先なのです。逆に海底を砂漠のようにしてしまう底引き網漁や1年未満の幼魚まで捕獲してしまう巻き網漁で獲った魚の仕入れは優先度を下げています。しかし、大手の流通業者は〈どういう漁法で獲った魚なのか〉ということに余り関心が無いように思います。環境に優しい漁獲方法なのか、環境を破壊する漁獲方法なのか、そういうことに意識が向いていないのです。それよりも、いかに安く仕入れて安く売るかということばかり考えているように思います」


 そして、チラシのようなものを掲げた。

『お魚のおはなし』という題がついていた。


「毎月1日にお客様にお配りしています。今が旬の魚とその調理法がメインですが、資源量が増えている魚と減っている魚のこともお知らせするようにしています。また、自然環境の変化や海洋汚染の情報も載せています。一介の魚屋が何故そんなことまで、とお思いでしょうが、これは我々がやらなくてはいけない使命だと思っているのです。何故なら、流通業者はお客様と接する唯一の存在だからです」 


 そこで差波木は海利に目を向けた。


「海利さんが午前中にお話しになった『水産物の持続可能性が閉ざされることになったら人類に未来はない』という言葉はとても重い意味を持っています。今こそ、この言葉を真剣に受け止めなければならないと強く思っています」


 それを受けて海利は敢えて立ち上がった。


「ありがとうございます。水産物の持続可能性をすべての関係者が真剣に考える時期に来ていると思います。漁業者、流通業者、消費者、そして、行政、そのすべてです。最後に、弊社の女性社員の言葉を紹介させて下さい。彼女はこう言いました。『魚を主役として、漁業者と流通業者、消費者が共に幸せになれる取組ができれば持続可能な幸福循環を創り上げることができる』と」


        *


「ありがとう。皆さんのおかげで良い提案ができたよ」


 第3回の会議の翌日、海利社長が3人に満面の笑みを向けた。


「持続可能な幸福循環というキーワードが参加者全員に共有できたと思う」


 その笑みが心からのものと思えたので嬉しくなって思わず頬が緩んだ。

 嘉門部長も海野も同じようで、とても嬉しそうに顔を綻ばせていた。


「そうそう、私たちと同じ想いの流通業者がいてね。え~と、」


 背広の内ポケットから名刺入れを出した。


「そう、この人」


 名刺を机の上に置いた。

 さかなや恵比寿さんのオーナー、差波木漁太の名刺だった。


「彼と話してみるといい」


 そう言って、その名刺をこちらの前に動かした。


「ありがとうございます。早速伺ってみます」


 名刺を仕舞って頭を下げたところで秘書が入ってきて、メモを渡した。

 次の予定を知らせに来たようだった。

 3人は慌てて立ち上がり、改めて礼を述べて退室した。


 ホッとしてエレベーターのボタンを押した時、嘉門部長から誘いの言葉をかけられた。


「今夜、ちょっと付き合わないか。慰労会というかなんというか……」


 どう返事していいかわからなかったので海野に視線を向けると、「無理にとは言わないけど」という前言を(ひるがえ)すような弱い声が耳に届いた。


「いえ、とんでもありません。嬉しいです。な?」


 海野が慌てたように同意を求めてきたので、すぐさま頷いた。


「はい。喜んでご一緒させていただきます」


「そうか。じゃあ、ちょっとだけな」


 照れくさそうに部長が笑った。



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