表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/31

7

 ドンドンドン、と何かを叩く音が遠くに聞こえた気がした。まどろむ意識の中からのっそり起き上がり、また同じ音がして、今度こそ家のドアを叩く音が鼓膜を揺らしているのだとガンボールは気が付いた。


「誰だよこんな時間に」


 カーテンを閉め切っているため部屋の中は薄暗いが、漏れてくる陽の光からして日中であることは確かなようである。ガンボールは大きなあくびをしながらドアの鍵を回し扉を開けた。


「うわっ、びっくりした。急に開けないでよ」


 立っていたのはグレースであった。今日みたいな非番かつ任務のない日であっても、グレースはかっちりと制服に身を包んでいる。ガンボールは数えるくらいしか彼女の私服姿を見たことがなかった。

 自分は夢でも見ているのか、というか驚いたのはこちらの方だ、と面倒くさくなったガンボールはドアを閉めようとしたが、引いてもびくともしない。ガンボールは諦めて手を離した。


「昨日の今日でなに」

「何って、そりゃ私の師匠のとこに連れてくのよ」


 グレースがどういった意図と経緯でこのような行動に出ているのかをガンボールはすぐに察した。彼女は普段から言葉が足りなかったり文脈が飛んだりするのだが、長い付き合いでなんとなく分かるようになってしまったのだ。そのことに対して言いたいことがないわけではないのだが、今ここでそれを言っても不毛であるし、何より仲裁してくれる人間もいない。結局のところ、こうして家に突撃されている時点で、ガンボールはグレースの言いなりになる他に選べるまとも選択肢がなかったりする。そのことが余計に腹立たしかった。


「十五分待ってろ」

「早くしてよね」


 パタン、と静かに扉が閉まるのを見て、ガンボールは考えるのを止めた。

 部屋の中で待ってもらえばよかったか、と思い至った時にはシャワーを浴びていて、考えは水と一緒に流れて消えた。



 グレースに案内されたのは魔法協会本部の一室であった。

 ノックもせずに扉を開けたグレースに続いてガンボールも中へと入った。


 そこは二級魔法使い以上が申請すれば与えられる執務室のような場所で、大抵の場合は魔術の研究や悪魔に関連する資料等が散乱する物置になっている。その散らかり具合も人それぞれではあるものの、かろうじて足の踏み場が確保されているというのが平均的で、リンデルのように整理整頓が行き届いた清潔な空間を保っている人物というのは稀であった。

 その稀な一人に入るのが、一年ほど前からグレースの魔術の師匠をしているイゴールだ。


「師匠、連れてきました」


 椅子に座って何かを書いていたイゴールは顔を上げ、入室した二人を見とめると、優しそうな笑みを浮かべて立ち上がった。


「よく来たね。待っていたよ」


 ガンボールはイゴールを見て違和感を覚えた。あまり関りがないとはいえ、直接会って話したこともある記憶の中でのイゴールは、自身より身長が高く、溌溂としていて、外見からも内面からも良い意味で若いという印象を持っていた。


 しかし、その違和感は擦れ皺枯れた声から、疲れだけではなさそうに思えた。深い藍色の短髪に眼鏡をかけた人の良さそうな柔和な顔には、深くまた細かい皺が増え、身長は百七十センチメートル前後くらいのガンボールとほとんど変わらず、むしろ縮んだようにさえ見える。細身な体躯は以前にも増して痩せ衰えている感じがした。

 それはまるで死期を悟った老木のような静けさをさえ思わせている。


「立ち話もなんだ、座って話そうか」

 そう促されたガンボールは、机の前に置かれたソファに腰をかけ、イゴールはその対面に座った。


「お茶もでなくてすまないが、早速本題に入ろうか」

「私が入れてきましょうか」

「なに大丈夫。長話はしないつもりだよ。それと、グレースは席を外してくれるかな」

「あ、はい。分かりました……」

「すまないね、ありがとう」

「部屋の外にいるので何かあれば呼んでください」


 子犬のようにうるさく鳴くところか、水分の足りない萎れた花のようなところばかり見てきたガンボールにとって、ふわふわとどこか浮足立っているグレースは新鮮に見えた。


「突然呼び出して申し訳ない。グレースもああいう子だから、かなり強引だったんじゃないかな」

「いつものことですから、気にしないでください」

「聞いていたよりも、そして以前あった時よりもずっと誠実で聡明な、男前になったね。時の流れとは中々に速い」

「イゴールさんは、少し痩せましたね」

「ははっ、言葉を選ばなくてもいいよ。……そうだね、私の命はもうじき輪廻に還るんだ」


 ガンボールはどう返していいのか言葉に詰まり、また重たい雰囲気に口を閉ざした。

 生物の寿命は魂の大きさに比例しているとされ、人類の場合、それは髪と眼の色に現れる。黒に近いほど寿命は短くなり、また、現在の人類の平均寿命は千年前と比べて、イゴールと同じ二百歳くらいまで減少していた。


 イゴールは申し訳なさそうに「すまないね。どうも死期を悟ってからは辛気臭くてかなわない」言って、乾いた笑みを浮かべた。


「それで、ガンボール君。君は二級魔法使いの試験を受けるんだってね」

「推薦人が集まれば、ですが」

「その若さでもう二級とは、老い先短い僕としては、後進が育ってくれていて頼もしいかぎりだよ。だからね、グレースからの申し出もあるわけだし、僕が推薦をしてもいいと思っている」

「それは、私としてはありがたいお話ですが。いいんですか」

「本音を言えばグレース本人を推薦したいところなんだけどね。僕としても推薦人なんて初めてだし。だけど現状はそうも言ってられないわけだ。君もよく知る通り、二級魔法使いはここ五年の戦いでその数を大きく減らされてしまったから」


 イゴールのその眼鏡の奥の目にはガンボールの姿がくっきりと映っていたが、さらに奥では五年前に起こった異界侵攻の再開と、二年前に起こった魔教徒による悪魔の大襲撃の様子が、鮮明に残されているようだった。


 多くの者にとってそうであったように、イゴールにとってそれらの出来事は長らく三級魔術師で燻ぶっていた自身が魔法に目覚め、二級魔法使いになった転換点でもあった。

 そうしてまた、伸び悩んでいる弟子にとって、少なからず自身がそうでありたいと親心に近い思いをイゴールは抱いていた。


「ありがとうございます」

 イゴールの言葉にガンボールは頭を下げた。その頭部に「ただし」と投げかけられて頭を上げた。


「ただし一つだけ条件がある」

「内容によります」

「なに大したことではないよ。近々リンデル様から依頼があるだろう、それにグレースを同行させてやってほしいんだ」

「それはまあ、事前に本人との間で交わした条件を達成してもらえれば、私としては問題ありません」

「条件とは?」

「六十節まで扱えるようになることです」

「なるほど、たしかにそれは妥当なところだね」

「二つ、質問してもいいですか」

「聞こう」

「なぜ依頼があることをご存じなのですか」

「その依頼に関わっているからだよ。内容についてはどこまで把握している?」

「魔教徒に関するものということだけ」

「そう、その中核を成す一人、ニビルグランツと言ったかな。それを僕が捕まえてね、尋問して複数の拠点の位置を聞き出したんだ。ほら、僕の魔法はあらゆる指向性を操作するものだから。それで、協会としてはその情報の信憑性の調査と壊滅に意欲的だということだ。まあそういうわけだから、僕も依頼内容はある程度把握しているのさ」

「分かりました。では二つ目ですけど、なぜグレースを?」

「質問を返すようで悪いんだけど、君はグレースの実力をどう評価しているかな」

「年齢を鑑みれば十分優秀だと思いますよ」

「本音は?」

「……、自己の過小評価が全てにおいて足を引っ張っている印象です。一言で言えば未熟です」

「手厳しいね。でもまあ概ね私も同じ評価をしていてね。だからこそ、殻を破るきっかけというのは多い方がいいし、その環境を用意するのも師としての務めだと僕は考えている」

「そうまでしてもらえるなんて羨ましいかぎりですね」

「ははっ、もうしてあげられることがあまりない、という情けない話だよ。無責任にも未熟なまま置いていくなんて、これほど忍びないこともないんだ」

「そういうものですか」

「弟子をもてばいずれ分かるさ。ベロニカさんはどうだったんだい」

「あの人は師匠面していますけど、あまりいい記憶はありませんね」

「それで今の実力なら、結果的には正しかったんじゃないかな」

「そう思いたいです」

「さて、あまり女の子を待たせるのもよくないし、話はこの辺で終わりにしようか」

「ありがとうございました」

「こちらこそありがとう。推薦の件は僕からリンデル様に伝えておくよ」

「よろしくお願いします」


 ガンボールは再度お礼とともに頭を下げて退出した。

 扉を開けるとそのすぐ横に、壁にもたれて呆けているグレースが立っていた。


「終わったの?」

「だから出てきたんだよ」

「嫌な言い方。で、何の話だったわけ?」

「二級試験の推薦をしてくれるんだと」

「へぇ。よかったじゃん」

「その代わり、次の任務にお前が同行すんの念押しされたけどな」

「約束は守ってもらうわよ」

「お前もな」

「分かってるって」

「あ、ガンボールさん。ちょうどよかった、今から伺おうかと思っていたところでした」


 ガンボールたちが来た道を戻り廊下を曲がったところで、前から来ていた事務職員の一人に呼び止められた。


「今日非番のはずなんすけど」

「リンデル様から呼んでくるよう言われまして」

「あのばばあ……」

「あ、じゃあ私は修練場に行ってくるから」


 グレースはそう言うと、さっさと行ってしまった。廊下を早足に歩くその足取りは、子供が外に遊びに出るように軽快で、声をかける間もないほどだった。残されたガンボールは職員に言われた通り、リンデルの私室へと向かった。



「で、何の用だよ」

 椅子に深々と座りお茶を飲むリンデルの机の前に立ったガンボールは、苛立ち半分、諦め半分の気持ちを言葉に乗せた。


「そう急くな。それに分かってるおるのじゃろう」

「依頼の件だろ」

「その通りじゃ」


 湯気の立つお茶に息を吹きかけ湯呑みに口をつけたリンデルは、まだ熱かったのか舌を出して机の上に置き、一枚の紙を引き出しから取り出した。ガンボールに手渡されたその紙は依頼書であった。


「ま、書いてある通りじゃよ。エリア四十九の未開拓領域に魔教徒の拠点があるとの情報が入った。その情報の真偽も含め調査を任せる」

「明日かよ、急だな」

「すでに勘付かれている可能性が高いのでな。早いに越したことはなかろう」

「それはそうだけど。戦闘になった場合はどうする」

「なるべく生け捕りと施設の原型を留めるのが望ましいが、割に合わんなら暴れて構わん」

「了解」

「ただし、やりすぎて消滅させたりするでないぞ」

「分かってるっての。俺だって好きで毎回破壊してるわけじゃねーから」


 リンデルは深いため息をこぼした。

 リンデル自身もガンボールが意図的に被害を大きくしようとしているわけではないということは理解している。しかし、先の中級悪魔との戦闘でもそうだが、なぜかその規模が毎回大きいのだ。処理をするのも修繕したりするのも面倒で余計な手間でしかないうえに、ガンボールなら被害を最小限に抑えて任務を達成できるだろう、という期待が根底にあった。それが毎度のごとく裏切られたとあっては、評価している自分自身を見直すべきかもしれない、という悩みがため息に表れていた。


「それと誰を連れて行くのか決めておるのか」

「一応、グレースを連れて行く予定」

「実力不足であろう」

「六十節まで覚えてもらう。それが連れて行く条件だ」

「それならまあ、及第点ではあるが。間に合わんじゃろ」

「そん時はラッドを連れてく」

「そんなに薄情だから人から好かれんのじゃぞ」

「いいんだよ別に。それより他に何かあんのか」

「ない。それと今回は遅刻はするなよ」

「あるじゃねぇか」


 依頼書を折りたたんで尻ポケットに入れ、そのまま背を向け部屋から出て行ったガンボールは、グレースのいる修練場の方へと向かった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ