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ガンボールには腑に落ちない点が一つだけあった。それは悪魔が防戦一方になっていたことである。最初の攻撃以降まったく攻撃してくることはなく、また土の中に身を潜めていたのにも関わらず、見つかったとなれば隠れる場所のない空に行ってしかし逃げることもせず、その後はただただ攻撃を受けて反撃をしてこない。具体的なことは分からなかったが、何らかの意図があるはずだと思っていた。
各々の魔術によって体の半分以上を失ってもなお、悪魔がその身を留まらせていることと、エリア十一に来てから感じていた、空気中に漂う魔力の濃度が増していることで、ガンボールはようやく思考の引っ掛かりに一つの結論を見出した。
あの悪魔は大規模な魔法でもって自分たちを排除しようとしているのだと。
ゆえに、ガンボールは気の緩んでいる面々に指示を飛ばし、詠唱を開始した。
「『宣誓 空の糸 太陽の裾 グリンジャージョーの薬指 廓然として相贖う』ヴァッサムゴーデン」
ガンボールの憶測と行動は正しかった。
呪文を唱えて魔術を発動させた次の瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。枝葉が折れて舞い、木々は根っこから、あるいはその半ばで千切れ、山肌の土砂崩れのように大地は捲れ、辺り一帯を巻き込んだ巨大な森の残骸が嵐となって渦を巻く。
時間にすれば数十秒、あるいは数分だろうか。嵐が収まり残ったのは、周囲二キロメートル弱に草木の一本もなく、周囲と比べて数十センチから一メートルほど沈んだ地面のみであった。
更地の中にガンボールたちの姿はどこにも見当たらず、悪魔は依然として宙に浮き、その体は元の形に戻っていく。
吹き飛ばされた先、丸太の下敷きになったガンボールはこめかみを二度叩く。
「全員生きてるな?」
「なんとかね」
「問題ありません」
「無事よ」
「これから反撃する。お前らにかけたヴァッサムゴーデンの効果を切るから、各自で安全を確保しろ」
「なにする気?」
「目にもの見せてやんだよ」
「あんまり派手にやると、またリンデル様に怒られるよ」
「馬鹿が。この状況じゃもう関係ないだろ」
「俺に当たるなよー」
「全員大丈夫だな? あと、近づくなよ」
魔術を解いて丸太から這いだし、片膝をついて手を組んだガンボールは、目を閉じ祈りを示す。
「『我は求め訴えたり』リアライズ」
呪文を唱えると、ガンボールの体が淡く光を纏い、パタン、と読みかけの本を閉じるような音を立てて、光は弾けて消えた。
ガンボールは目を開け立ち上がり、遠くに見える悪魔を睨むと「ぶっ殺す」丸太を蹴飛ばし拳を握った。
「『波濤の残骸 仇為す万象 夢喰わぬ嘴で袖振る影を鏡に映す』
『遠く 道の先 光の柱 退走する鉄の冠 パークバインの花園で請い願う 南十字の朱旗が背を貫き天を仰いでなお静寂』」
「二重詠唱⁉ ってか、本当に何する気なのよ……」
グレースの驚きは最もだった。彼女はまだこれらの魔術を扱える段階にすら立てておらず、またラッドでさえ後述された魔術を行使することはできない。
それはさておき、グレースの声はラッドの計らいでガンボールには届いていない。
「パンテーラ、リッケンバッカー!」
怒気のこもった静かな声が大気を震わせる。生成された空の広くを覆う透明で薄いヴェールが、一つの大気の層を成すようにゆらりとはためき、夜を引き連れてきたかと思わせるほど分厚く暗く真黒い雲が晴天を穢した。
悪魔を焼く光の断罪が天を貫くその光景は、瞬きよりも早く訪れた。
雲の中でゴロゴロと龍がいななき、かと思えば一瞬、地獄の釜の底より深い闇をした雲が、太陽の輝きよりも強く、神の裁きのように閃いた。あわや世界が終ろうかというほどの閃光の数々はしかし、かけられたヴェールに止まり、渦をなして中心へと収束していく。ヴェールが錐形に凹み、重みに耐えかね破れ、光の奔流が地上へと流れ落ちる。破れた先にいるのはちょうど、悪魔であった。
光に呑まれた悪魔の姿は見えなくなる。忘れていたかのように遅れてやってきた音と衝撃が、遠く離れた四人の全身を突き抜け震わせた。
光の正体は雷であった。天に昇り衝き立つ巨大な雷の柱は、時折ささくれのように方々へと、その本体と比べれば小さな雷を伸ばし、地面に破壊の痕を残していく。さすがにガンボールたちのところまでは届かなかったが、あと百メートルも近くに行けば巻き込まれていたかもしれない。それほど規模が桁外れの被害をもたらしていた。
唱えた魔術は数秒ほどで役割を終えて消え、空は元の晴天へと戻った。しかし、その下の大地は焼け焦げ炭化し、あるいはクレーターのように凸凹になっていた。もちろん悪魔の姿形など見る影もない。
ガンボールはその惨状を見ながら「ふう」と息を吐く。どこかスッキリと晴れやかな顔をしていた。
「いやー、あれだね。言いたいことは色々あるけどさ、一旦合流しようか」
合図はしていなかったが、ラッドの声が聞こえてきた。
「ラッド、信号弾」
「荷物どっかいったからないよ」
「じゃあ適当に魔術撃って集合」
「了解」
「承知しました」
「ええ」
会話を終えると空に五つの放電と思われる閃光が放たれた。
ガンボールは「意外と近いな」と言って歩き出す。
気分よく意気揚々と歩き出したガンボールであったが、そこかしこに転がる丸太や、盛り上がったり妙な傾斜になったりしている地面のせいで歩きにくく、全員が合流したのはそれから数十分後のことであった。