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グレースネルアスフィアは木の幹に背を預けて足を投げ出し、フェンリーグレイスバーグは抱えた膝の上に顎をのせて縮こまっている。対称的な性格の違いが見て取れる二人だが、任務を諦め放棄しているという姿勢は共通していた。
「よっ、助けに来たぜ」
努めて明るく気安い感じでラッドは話しかけた。これに対してもまた二人の反応は正反対で、グレースは嫌なそうな顔をし、フェンリーは安堵した表情を見せた。
一見して二人の様子は、魔法協会員揃いの白いローブや制服が土や泥で汚れていたり、持っていたであろう荷物がなかったり、擦り傷のような軽い損傷が見られるものの、大きな怪我をしていることはなさそうであった。動けない状況ではなかった、と考えたガンボールが「状況は?」と二人に訊ねた。
「お風呂に入れなくて気分が悪いことを除けば損害は軽微ね」
「拭わせるのは尻だけにしろよ図々しい」
「他に拭ってもらったことがあるみたいな発現やめてくれる気色悪い」
「背中を流す栄誉を与えるわとか言ってただろ」
「酔って記憶のない時の話でしょそれ!」
「流すのは水だけってか。上手いねぇ、今の熟年夫婦的な掛け合いをどう見ますかフェンリーさん」
「寝てから言え、ってところですね」
頬を赤らめて舌打ちをしたグレースはそっぽを向き、それとは違う意味で舌打ちをするフェンリーは、小さくため息をこぼして本題に入った。
「状況ですが、昨日、ここから真っ直ぐ百メートルくらい行ったところに異形型の悪魔を発見。見た目は直径三メートルくらいの球状で、全周に約五十個の目玉のみで構成されています。報告を行ったのち戦闘を開始しましたが、ご覧の通りです」
「能力は?」
「詳しいことは分かりませんでした。ただ、こちらの攻撃は全て通らず、悪魔の攻撃は物質を直接捩じってぐちゃぐちゃにするといった印象でした」
「なんで戻ってこなかった?」
「転移できなくなってたのよ」
不機嫌を顕にしたままの顔を向けたグレースが答えた。
「それどころか進んでる方向もぐちゃぐちゃになってたから、助けがくるまでじっとしてたってわけ」
「まあ、妥当な判断だな」
「二人はまだ戦えるの?」
「なめないでくれる?」
「余力は十分に」
「それじゃあ、さくっといきますか」
そうしたラッドの宣言とは裏腹に、グレースとフェンリーが見つけた悪魔の場所まで歩いてみても、悪魔の姿はどこにもなかった。そこにあったのは、まるで防壁のように数十本の倒木に外周をぐるりと囲まれた壁と、その内側は掘り返されたように下生えの一本もない円形の大地だけであった。
「話と違くない?」
木々の隙間から中の様子を覗いていたラッドが他の三人を見て言った。
「何よこれ」
「こんな壁、昨日はありませんでした」
「当てが外れた?」
同じように中の様子を覗いた面々は、現実逃避をする者、事実を述べる者、次の可能性を探る者、と三者三様であった。
ガンボールはその円形の大地の空を見上げた。邪魔な木々が取り払われ、雲の一つもないきれいな青を太陽が泳いでいる。その光は、余すことなく円形の大地へと降り注いでいる。ガンボールはとんとんと地面を踏んだ。
「ラッド、下だ」
ガンボールが何かに気が付いたことに気が付いたラッドは反射的にしゃがみ、地面に手を付き魔法を発動させた。
「見っけ。中心、地中五メートルくらい」
「フェンリー、開けろ」
「はい! クレイドルコフィン」
両手を組み祈るように膝を折ったフェンリーが、求めに応じて即座に魔法を発動させた。瞬間、地面に亀裂が走り、両開きの扉のように大地が開いた。
中にはガンボールの予測とラッドの探知、そして二人の証言の通りの姿をした悪魔が、目を閉じじっとしている。一見して動く気配はなさそうである。
「レアルバレッド」
ガンボールは防壁の上に立つと魔法を発動させた。ガンボールの周囲に魔力で作られた不可視の弾丸が現れる。指を拳銃の形にし、眼下に眠る悪魔に狙いを定めた。何かの合図はなしにガンボールが頭の中で「いけ」と命じると、宙に装填されていた弾丸たちは音もなく悪魔へと放たれた。
弾丸が当たる寸前、悪魔はその瞼の全てを一斉に開いた。
悪魔を蜂の巣にするかと思われた弾丸はしかし、軌道が変わり、地面や壁や空などといったあちこちに飛んでいく。一発の弾丸はガンボールの頬を切って背後の木を穿った。切れた皮膚から流れた鮮血は、頬を伝ってゆっくり、顎から滴り落ちていく。
悪魔は再び瞼を閉じると、全身にあるその目玉の全てを一か所に集めて合体させた。体の半分ほどの大きさになった一つ目がぱちりと開く。中にはたくさんの目がギョロギョロウゾウゾとひしめき合っている。「ひっ」と小さく声を上げたグレースは一歩後退った。
ガンボールは間髪入れず弾丸を生成し打ち込んだが、悪魔は直上に跳ねて躱し、数十発の弾丸は地面に着弾して土埃をあげた。跳ねた悪魔はといえば、どういう理屈か空中で静止すると、一つになった目玉をぐるりと縦に回転させて、裏返しの白目に剥き出しにした。その目の横一線に切れ込みが走ったかと思えば、バカッと開き、
「ぎぃぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
金切り声が森一帯に響き木霊した。
ガンボールは壁から下りて他と同じように耳を塞ぎ、身を小さくする。奇声をおさめた悪魔は瞼を閉じ、今度はまた元の数十の目玉に分かれ、いくつかはガンボールたちをじっと凝視している。
ガンボールはその一つと目が合い、はっと気が付く。
「散開! 視界に入るな!」
言うなり走り出したガンボールの元いた空間が、一拍遅れて歪み捻じれてバチンと弾ける音が鳴った。地面と背後にあった木の根元半分ほどが球状に抉られている。ガンボールは悪魔からの視線を切るため、木の後ろへ身を隠しながらその場を離れた。
その光景を見た他三人が、遅れてガンボールの意図を理解し動き出す。それと同時に、それぞれの場所の空間が歪み出し、同様の破壊をもたらした。ラッドは横に飛んで走り出し、グレースは靴が脱げて前方に勢いよく転び、フェンリーは身を翻して木の壁に背を付き張り付いたことで、各々は難を逃れていた。
全員間一髪といったところで躱すことはできたものの、それぞれバラバラに、かつ簡単には動けない状態に陥ってしまった。かろうじてグレースとフェンリーの場所が近いというくらいで、ガンボールとラッドはそれぞれ反対方向にいる。
しかし、ガンボールはいたって冷静なまま、とんとん、と自身の左のこめかみを叩いた。
「聞こえるか?」
独り言のように呟くガンボールに「聞こえてるよ」とラッドの声が返ってきた。これもまたラッドの魔法の能力で、発せられた音波を操作し、離れた位置に届けることで、遠隔での会話を可能にするというものである。これまでも同様の事態に際して、こめかみを叩くことを会話の合図にしていた。
ラッドならば、自身と同じことを考え魔法を使用しているだろうという信頼でもあり、もし仮に合図がなくともあちら側から声を届けていたに違いない、というガンボールの打算でもあった。
「試したいことがあるから、指示をするまで全員その場に待機」
「了解、伝えとく」
短く伝え終えると、ガンボールはさっそくとばかりに弾丸を生成した。
ガンボールの魔法は、魔力や付近にある物質を弾丸状にして射出することができる。弾丸にはそれぞれ、大きさ、速度、射程、弾数など、内容の上下限はあるものの細かい調整が可能であった。これらを用いて、ガンボールは攻撃が当たらなかった仕組みについて検証を開始した。
一つ目の検証項目は、速度を最大限にした威力重視の弾丸を用意し、悪魔の能力の強度の有無やどれくらいの効果であるのかを確認する。結果、わずかな時間拮抗したかと思えば、それまでと同じように弾丸はどこかへ飛んで行ってしまった。単純な威力という意味ではこれ以上のものを用意する必要がある。また、ガンボールの姿が見えていないからなのか反撃はこなかった。
二つ目の項目は、全く同じ軌道上に連続して弾丸を打ち込み、悪魔の能力がある一定時間継続したものなのか否かを確認する。結果、八発目の弾丸が悪魔の目玉を撃ち抜いた。ほとんど確定的な事柄として、悪魔が瞼を閉じると魔法は解除されると考えられる。
ゆえに、三つ目として、目玉のほぼ全てに連続して弾丸を撃ち込んだ。だが、やはりというか、相手も中級悪魔にしては知恵がある方で、瞼を閉じるタイミングを調節し、被弾を最小限に抑えていた。これを繰り返せばいずれ倒せるかもしれないが、あまりにも時間がかかりすぎる。
そうして、四つ目の検証からは温存していた魔術を駆使する。
「『軍靴磔刑退くに能わず アルビスアルバールが列を為す』メルインブラック」
ガンボールが呪文を唱え終えると、悪魔の頭上に真っ黒いカーテンが下りて全身を包み込んだ。これは数秒間の間、包んだ相手の視界の一切を遮断する魔術であった。見えなければ弾丸への対処もできないのではないか、と踏んでのことであったが、目論見は外れ、弾丸は同様に逸れて当たることはなかった。
「『カロナヴァトスの篝火が異邦の兵を焼く』ブルーグリル」
呪文を唱え終えると、ガンボールは右手の指を二本立て、その指で悪魔目掛けて投げるように空を切った。瞬間、悪魔の全身が青い炎に包まれ燃えたかと思えば、すぐさま鎮火し、その表面には軽い火傷の跡すら残っていないようであった。
ブルーグリルという魔術は魔力を燃やす炎を生み出すものである。魔力で体を構築している悪魔にしてみれば致命的な攻撃なのだが、物質やすでに現象として再現された魔法に対してはあまり効果が認められない。つまり、悪魔に攻撃を届かせ難いのは、すでに顕現された魔法によるものであると言える。
あらかたの検証を終えたガンボールは「よしっ」と呟き、指の骨をパキポキと鳴らしてこめかみを叩いた。
「全員に繋げてくれ」
「おーけー、もうしてあるよ」
「じゃあ作戦を伝える。とその前に、フェンリー」
「なんでしょうか」
「何秒くらい閉じれる?」
「一秒も無理でした」
「分かった、それなら変わりなくだな。俺が弾丸を撃ち込んで、悪魔の瞼が閉じた目玉に魔術をぶち込む。質問はないな? 始めるぞ」
「ちょ、ちょっとそんな急に!」
「カウント三つで魔術の詠唱開始」
「了解」
「承知しました」
「もー、後で説明しなさいよ」
ガンボールは右手を銃の形に構えて左手を添え、「レアルバレット」と囁くように唱えた。銃弾はガンボールの周囲ではなく、悪魔の目の直線上に何十発と生成されていき、静かに発射を待っている。
「三、二、一」
カウントを始めた瞬間に、ガンボールは弾丸を発射させた。撃ち込まれた弾丸は検証した時と同じように、悪魔に当たることなく次々と逸れて木々や地面や空へと吸い込まれていく。しかし、検証の時とは違い、ガンボールによって統制された弾丸は悪魔の小細工を上回り、カウントが終わる頃には、悪魔は全ての瞼を同時に閉じることとなっていた。
「『屰時に転ぶ猩々がジョルトクラインの拳で空を渡る』バララクタール」
「『滴り落とした遠雷が砂に溺れ 軋る鉤爪で五腑を焼く』ドムスパークル」
「『リンガー・リンガー 角笛の汽笛が喉を貫く』ノックバイパー」
悪魔の瞼が閉じられた直後、詠唱を終えた三人の魔術が放たれた。
ラッドは悪魔との間にある虚空に拳をふるった。
グレースは両の手首を合わせて十本の爪を立てた。
フェンリーは右手の親指と小指を立ててラッパのように息を吹き込む。
速くて重い何かに衝突させられた衝撃に悪魔の半身は潰れて凹み、雷が遠く響いて自身を貫き焼いたかと思えば、体内の五か所が熱と音と閃光に見舞われ、体の内側から何かが共振し増幅されて膨張すると、耐え切れずに爆発した。
「やった!」
一人歓声を上げたグレースはしかし、この結果をもたらしたのがガンボールであることを思い出して苦い顔をした。三級魔術師のグレースにとって、当初の見積もりでは難なくこなせる任務のはずだった。だというのに、自身だけでは討伐どころか、十分な情報を得ることも撤退をすることさえできず、何かと目に付く同期に救われ、自分にはできなかった悪魔の能力の見極めと討伐をされてしまう結果となった。悔しい、よりも先に妬ましいという劣等感が追い縋るようになったのはいつの頃からだろう。嫌いだ。劣っていると認めてしまっている自分も、その要因も、そうした思考も。
グレースは深呼吸をして雑念を脇にどけ、「合流しよう」と自分に言ってフェンリーのもとへと歩き出した。
「全員しゃがんでその場に待機!」
切迫したガンボールの声が勢いよく鼓膜を貫き、反射的に身を屈めるのと同時に、悪魔のいた空を見た。倒したと思っていた悪魔はまだ、その原型を三分の一ほど残していた。