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「外法 獣装、いきます!」
「かかってこい!」
ウルデリックは軽やかに地面を蹴って一息に距離を詰め、リッケンバッカーに肉薄する。
大振りな左腕の一撃は読まれていたようで、重心を一歩後ろにずらしただけで躱される。ウルデリックも当たらないことは想定内で、左足を軸にしながら勢いを利用して一回転し、右足の踵で蹴飛ばした。
ドン、と鈍い音が響くも、リッケンバッカーは右腕でしっかりと受け止めていた。二人の視線がバチっと重なり火花を散らす。「この程度か?」挑発気味に眉を上げたリッケンバッカーの目は、存外にそう物語っていた。しかし、模擬戦だけに留まらず、普段からこうして挑発もとい馬鹿にしたりいじったりするようなことを言われてきたウルデリックは、もはや慣れたもので、全く気にすることなく次の攻撃へとつなげていく。
姿勢を低くして、ぴったりとくっつくくらいまで間合いを詰め、細かい打撃を浴びせる。リッケンバッカーはといえば、躱したり受け止めたりしているが、ウルデリックの間合いの埋め方と手数に押され、防御しきれず被弾する箇所が少しずつ増えていった。
傍から見ると二人が踊っているような印象を受けるほど、どこか優雅な雰囲気があり、その動きは洗練されたものであった。
パン、と一際大きく乾いた音が屋上いっぱいに響く。着実に相手の防御を崩していったウルデリックが渾身の掌底をお見舞いした。だが、リッケンバッカーはその掌底に拳を合わせて防いで見せた。それはまさしく、準備運動を終えた第二ラウンドの始まりの合図でもあった。
「『双天逆巻き 雨落ちて巡れ』ガラク」
ウルデリックが呪文を唱えると、リッケンバッカーの体は縦に半回転して天地をひっくり返された。
回転して露になったリッケンバッカーの無防備な背に再び、ウルデリックの掌底が深々と突き刺さる。小さく息を漏らしたリッケンバッカーは、その衝撃で吹き飛ばされ、床を転がっていった。
前回の模擬戦では、リッケンバッカーが攻勢に転じた直後に放った魔法の範囲攻撃により、ウルデリックは数秒の硬直を余儀なくされた。その隙をつかれ、鋭く重たい一撃をもらい気絶してしまったのが顛末である。そのため、相手が攻勢に転じてからの作戦として、今回は中距離から相手のリズムを崩し、距離を詰めて重い一撃を与え、吹き飛ばすか自身が離れるかをして、また中距離から崩す、というヒットアンドアウェイ戦法で戦うことにした。
「『ジョルトクラインの拳で空を渡る』バララクタール」
ウルデリックが再び魔術を発動する。握った拳を何もない虚空に向かって振るった。リッケンバッカーは立ち上がって、前を向いたばかりの顔に衝撃が走り、後ろにのけ反りながらよろめいた。ここぞとばかりに、ウルデリックは間髪入れず、軽く細かくしかし大胆に、次々と拳を振るっていく。
空砲を打つような乾いた破裂音が何発も辺りに散る。
リッケンバッカーは初めの一発でこそ体勢を崩したものの、続く攻撃には一切動じることがなかった。不可視のはずの衝撃波を左手一本で打ち砕き、あるいはいなし、また人差し指と中指を立てた右手では、縦や横や斜めと適当に一本の線を空中に引くことを繰り返しては、一歩また一歩、ウルデリックへと迫っていく。
ウルデリックは魔術を放ちながら後退し、相手の様子を観察していた。
リッケンバッカーがその空間に傷跡を残す一線は時折、バチ、と音と光の火花が鳴って帯電している。
おそらくそれは罠であり、線を描いた場所に触れようものなら、感電して麻痺と硬直を起こすことだろう。放つ魔術で隙を作ることもできていない現状では、より接近することが困難になったと言える。さらに、時間が経つに連れて、帯電する箇所は増えていくため、何か手を打たねばこのまま詰んでしまう。ウルデリックの焦燥が汗となって頬を伝っていった。
お腹の中から深く長く息を吐いたウルデリックは、左拳を前に出して間合いを計り、これ見よがしに力をこめた右の拳を腰深くに構えた。リッケンバッカーは足を止め、「面白そうだ」と言わんばかりの挑発的な視線を送った。
長い長い、しかし三秒にも満たない沈黙を経て、力を溜めた拳を突き出すフリをしたウルデリックが地面を蹴り、最短最速でリッケンバッカーへと突っ込んでいった。その動きに合わせて、リッケンバッカーは数歩退がりながら、進路上に線を引く。
罠に構わず、さらに一歩踏み込みを強めたウルデリックは、右手の四本の指を親指で弾いた。指のそれぞれから衝撃波が飛び、眩い明滅と鼓膜をつんざく放電が発生する。
「獣装」
空中の線が罠であったことを確認したのと同時に、ウルデリックはより効果を強めるためのおまじないとして呪文を呟いた。小さな少女の体は瞬時に一回り以上膨れ上がり、かと思えば顔まで覆うほど全身にたっぷりの毛が生えた。
当然のように、所構わずまき散らされた放電の餌食となるウルデリックはしかし、大量の毛によって被害を最小限に抑えつつ、リッケンバッカーの懐深くへと肉薄する。
右の拳はブラフ、本命は力を溜めに溜めた左の拳である。そう予想し腕をクロスさせて防御するリッケンバッカーの正中に、ウルデリックの鋭い突きが放たれる。
あわや吹き飛んだかと思われたリッケンバッカーの体は、まるで動じず一歩後退させることさえできなかった。
「素直すぎるぇっ」
予想以上にまるで威力も感じず、また直線的すぎる動きに指導の一つでもしようと言葉を発した直後、毛に紛れた死角からの蹴りが無防備な横っ腹を強襲した。「ぐっ、」と低く息を漏らしたリッケンバッカーは受けきることができずに、ものすごい勢いで屋上の壁へと衝突すると、一際大きな破裂音が木霊し、壁を破壊してそのまま下へと落ちていった。
ウルデリックの本命の攻撃はこの蹴りであった。
「地力で優るなら強みを押し付けろ。劣るなら有利になるまで崩し続けろ。それも無理なら逃げるか、戦うなら相手の意識の外から攻めろ」
この三か月間で、戦闘に関して師匠とその経験から教わったことのうち、根底に据えた考え方が先述のものだった。
バララクタールという魔術の本質は、自身を基点に発生した衝突の威力を任意の場所へと飛ばすことにある。体であればどこで衝撃を発生させようと魔術の適用範囲内であるし、また、体の延長と見なすことができるならば、武器や防具や自身と接している物体などもその対象となるのだ。
ゆえに、リッケンバッカーは壁に激突するまで抵抗することもできずに吹き飛び、衝突した壁は減衰しなかった衝撃によってものの見事に砕け散った。
だが、この魔術の仕様をきちんと把握している者は少なく、力をこめた時間とその強さによって威力が増す衝撃波を飛ばすだけ、と勘違いしている人が大勢いる。リッケンバッカーも例に漏れず勘違いをしている一人であった。そうしてまた、拳から繰り出すという偏見と常識が根付いていた。
ちなみに、仕様を理解しているのは発見者のフラットラッドとそれに親しい者たち、あとは昔から生きているどこぞのばばあくらいなもの、というのは余談である。




