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 上半身を起こして伸びをしたガンボールは、ベッドから出てカーテンを開けた。太陽はすでに頂点まで昇りかかっている。窓の下では、早朝の慌ただしさから解放された人々の往来と、緩慢で少しの華やかさを装う街並みが覗かれていた。ガンボールは大きくあくびをして、出かける準備を始めた。


 服を脱いでカゴに入れ、シャワーを浴びる。体を拭いてパンツを履き歯を磨く。コップ一杯の水を飲み、服を着て荷物を持って外に出た。この間わずか十五分である。


 家の鍵を閉めたガンボールは、いつものように柵を飛び越え建物の三階から飛び降りた。いちいち階段を使うのが面倒くさいと横着した結果である。はじめの方こそ、これを見た住人から「心臓に悪いからやめてくれ」とか「子供が真似をするだろう」などと文句も出たが、無駄だと思ったのか慣れたのか、いつの日からか何も言われなくなっていた。


 着地と同時に「よっ」と声がして、顔を上げると片手を挙げてラッドがやってきた。


「これから協会だろ? 一緒に行こうぜ」


 有無を言わさず歩き出すラッドの背に「おう」とだけ返して、ガンボールは横に並んだ。

 ガンボールは半ば目を閉じながらふらふらと歩いていた。昨日は夜間巡回の任務に就いていたので、家に帰ってきたのは日が昇ってからだった。任務終わりに呼び出し命令が下されていなければ、陽が沈みだす頃までベッドの中だったはずだ。ため息の代わりに大きなあくびが出た。眠気覚ましにと、上着のポケットから煙草を取り出し火をつける。ゆっくりと吸って肺いっぱいに満たした煙を吐き出す。ツンと鼻を通り抜けガツンと喉の奥に響く刺激に脳が覚醒していく。半開きだった重たい瞼も徐々に開き始めていた。


「あらガンちゃん、いつになく早いのねぇ。洗濯物取り込んだ方がいいかしら」


 店の前を掃除していたパン屋のおばちゃんは、嬉しそうな声でおほほと笑い空を見上げた。ここ一年ほど、ガンボールが活動を始めるのは早くても夕方からであり、そのほとんどはお店が閉まり出す時間帯なので、こうして住人と顔を合わせるのは稀なことであった。


「うるせぇよ」ガンボールは悪態をつきつつ、煙草をぎゅっと握り潰してポケットに入れた。

「朝飯なんかある?」

「あるよ。昨日の売れ残りだけど」


 おばちゃんは言うなり店の奥に行き、細長い切れ込みの間に焼いた腸の肉詰めを挟んだパンを二つ持って戻って来た。それはどうにもできたてのように見えたが、ガンボールは受け取るなり大きな一口でかぶりついた。


「うめぇ。あんがと」

「おばちゃんありがとね。今度また買いにくるよ」

 パン屋のおばちゃんはニカっと笑うと「怒られるようなことはほどほどにね」手を振って見送った。

「うるせぇ」


 前を向いたまま手を振り返したガンボールは、三口でパンを胃に落とした。


「また怒られるようなことしたの?」

「まだしてねーよ」


 悪魔退治の成功率や任務の達成率という面だけを見れば、ガンボールは非常に優秀な魔法使いであったが、被害を承知の上で暴れることも多々あり、度々厳罰されてきた実績がある。そういう場合、逃げないよう誰かが付き添いのもと、魔法協会本部まで呼び出しを受けるということが通例になっていた。


「じゃあ任務か」

「詳しくはリンデルのばばあから聞くけど、事前に聞いた話じゃ馬鹿の尻拭いらしい」


 昨日の仕事終わりのことだ。協会員の受け付け嬢から今日の正午に協会へ来るよう連絡を受けた。その受け付けも呼び出しの理由や内容までは分からないが、推察では、ある任務の引継ぎではないかということだった。というのも、その日の朝に悪魔の調査と討伐任務に行った二名が帰ってこないらしい。可能ならばこれらの救出、及びその任務の引継ぎではないかと目されている。


 実際のところがどうなのかはまだ分からなかったが、気が乗る案件ではない。そんなもの十中八九死んでいるからだ。死体を持って帰るなんて仕事が、気持ちのいいものであるはずがない。


「ってことは俺も行くのかぁ」

「だろうな」


 言葉とは裏腹にラッドはどこか楽し気に見えた。相変わらず能天気で楽天的な頭だなとガンボールは鼻で笑った。


「足引っ張んなよ」

「やばくなったら全部任せるわ」


 ラッドは親指をぐっと立てて笑った。呆れつつも、ガンボールもつられて乾いた笑みを浮かべた。



 ガンボールたちが向かっている魔法協会本部とは、大陸の東西南北にある四つの協会支部と、全ての魔術師及び魔法使いを管理する元締めの施設である。ここで様々な任務を受けたり、魔術や魔法の練習、研究、実践訓練、あるいは昇格試験などなどできることは幅広い。千年以上前に栄えていたアスフィア王国の王城を改修して使われている本部は、支部とは名ばかりの掘っ立て小屋しかないような場所と違い、傍から見てもその荘厳さが窺い知れるというものだ。


 道すがら出会う見知った人たちに、先ほどのおばちゃん同様の好意的な驚きを示されながら、二、三の言葉を交わして、ガンボールたちは魔法協会本部へとたどり着いた。



 水の張った深い堀にかかる吊り上げ式の桟橋を渡る。王城設備の名残ではあるものの、外敵などは滅多にないため、平時は橋が渡された状態である。

 堀の中にいる魚が一匹跳ねた。ぽちゃんと音を立てて水底に沈む。波紋に乱された水面が静寂を取り戻すよりも先に、ガンボールたちは扉を開けて中へと入っていった。


 滑らかな石のタイルに真っ赤なカーペットが道のように敷かれ、適度な陽光に照らされた空間へとガンボールたちは招かれた。カーペットの先には木製のカウンターと女性が立っている。


 ガンボールたちは正面の受け付けカウンターにいる女性のもとまで行くと、

「三級魔法使いのガンボールだ。リンデルのばあさんに呼ばれてんだけど」

 不躾な態度と口調で言った。受け付けの女性はと言えば慣れたもので、

「呼んでまいりますので少々お待ちください」

 笑顔を崩さず、事務的で丁寧な対応を見せた。


 女性が席を立って奥へ消えたのと、「相変わらず口の聞き方がなっとらんクソガキじゃな」後ろから声が聞こえてきたのはほとんど同時だった。ガンボールたちが振り返る。十代前半の少女のように華奢で、背が低く、悪目立ちするくらい真っ白な髪の毛を背中の中央くらいまで伸ばし、大人へと移行する途上の童顔をした女の子がやってきた。


「一時間も遅刻しおって」


 女の子、もといリンデルは手に持っていた木製の杖でガンボールの脛を小突いた。


「どうせそれ見越して早めの集合時間にしてんだろ」

「ま、正直あと一時間は遅れてくると思っとたがな」

「俺が起こす前に家出てたんで、今日はやる気あるみたいですよ」

「やる気はいつもあるっての。……で、要件はなんだよ」

「任務じゃよ任務。ほれ」


 リンデルはもう片方の手に持っていた一枚の紙をガンボールに手渡した。さっと目を通したそれは、悪魔の調査および討伐に関する依頼指示書であった。受諾署名欄には見知った名前の二人と、昨日の日付印が押されている。


「状況は?」

「悪魔を見つけたという報告が昨日の夕方頃に上がってから不明じゃ」

「報告内容は?」

「場所はエリア十一の転移地点から北西に二キロ、魔力量からして中級悪魔らしいの」

「中級程度にやられたのかあいつら」


 ガンボールは持っていた紙をラッドに渡した。


「まあまあ、まだそうとまったわけじゃないんだしさ」

「じゃあ、さっさと行くかぁ。荷物はっと」

「こちらに」


 先ほどの受け付け嬢がリュックを二つ持って戻って来た。


「さすが、仕事がお早い」


 荷物を受け取ったラッドに褒められた女性は「ふふっ」と小さく微笑むにとどめた。


「依頼書等の手続はこちらで済ませておきますのでご安心ください」

「ほれ、さっさと行かぬか」


 荷物の中身を確認してリュックを背負った二人を急かすようにリンデルは言う。ガンボールは反抗期の子供のように「今行くっての」と煩わしそうな声で返した。


「『我が身を彼方に』レステガロン」

「それでは行ってきます」

「お気を付けて」


 呪文を唱えたガンボールと挨拶をしたラッドは瞬く間に姿を消した。

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