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 ウルデリックはそれらの光景に息を呑み、ただただ見入っていた。

 自分では到底敵わないであろう強大な力を振るう悪魔、次々と放たれる見たこともない魔術、そして他の参加者とは明らかに実力の違う師の圧倒的な光景。そのどれもがウルデリックの心を掴んで離さない。


「すごい……」


 各々の第二ラウンドが幕を閉じ、ベロニカが再度一時停止させる。「どうだった?」高揚している様子のウルデリックに満足気なベロニカが尋ねた。


「みなさんすごいです。私じゃ、勝てません」

「負けたやつもおるがな」

「まあ今回は特に厳しくしてるから仕方がないよ」

「あの悪魔はどれくらい強いんですか?」

「勝負の勝ち負けは時の運もあるからなんともねぇ~。でも単純な比較でいいなら、あれは異界で上から七番目に強い悪魔だよ」

「なな……」


 ウルデリックは指折り数えて「なな?」驚きを通り越した困惑を顕にする。もはや雲よりはるか高見の頂に目を凝らすようで、それがどれほどのものなのか想像すらできない。さらにその想像の先を行くガンボールを師と仰ぐ自分は、そこへ辿り着くことなどできるのだろうか。果てなき道の先に初めて目を向けた時、人は歩き出したことを後悔するのだ。ウルデリックは自身の体をぎゅっと抱いた。


「とはいってもあれは弱体化させてるけどね」

「魔力量は上級並、魔法は封印させておるし知能はせいぜい頭の良い動物くらいじゃな」

「えっ、じゃああの爆発とか鎖とかは」

「あれは魔術じゃよ」

「魔術って、悪魔でも使えるんですか?」

「愚問じゃな。そも魔術とは世界に起こり得る現象の顕現、人にできて悪魔にできん道理などない」


 ウルデリックがこのことを知らないのも無理はない。見習い魔術師の多くは、初代ベロニカの正史を体験し、起こった出来事を劣化再現させるという風に教わる。また、悪魔が魔術を扱えるというのは人に教えてもらうか、十章以降の記憶を覗いたものか、文献を読み漁ったものでもない限り知りようもないことである。


「知らなくても別にいいんだけどね」

「それはどういう」

「だって一度見ただけでとか、受けただけとかで再現できるものじゃないもん」


 鳥を見て腕をはためかせても飛べないように、魔術の再現と一口に言ってもそうそうできるものではない。それこそ、絶大な魔力量と幾億もの魂で構成された最上位の悪魔でもなければ、初見で再現など不可能と言ってよい。加えて、そんなことが可能な者たちは総じて強力な魔法を扱える存在なのだが、大人が児戯に興じるくらいの酔狂でも発揮しなければ、わざわざ魔術など扱うはずもないのだ。


「しっかし、この二人はダメじゃな」


 椅子の肘置きに体重をかけて頬杖をついたリンデルはため息を吐いた。その対象はヴェルゴバスキリングとビップバーンウィークルである。前者は賭けに負けて敗れ、後者は悪魔ともども共倒れしている。


「何がいけないのでしょうか」

 自己肯定感の低いウルデリックは、自身よりもはるかに優れていると感じた彼ら彼女らに対して辛辣な物言いをするリンデルの考えが分からず、少しの怒りをはらんだまま、つい勢いで尋ねていた。


「状況判断、行動、戦術、おまけに魔術魔法の扱い方、どれをとっても未熟そのものじゃろ」

「そう、でしょうか。少なくとも私よりは」

「そりゃ当たり前じゃろ。昨日今日魔術師になった生まれて間もない赤子に、劣るわけなかろうて。それこそやつらを侮辱しとる」


 リンデルはリンデルで思うところがあるらしく、ウルデリックに乗せられてか憤慨している様子であった。それはつまり、裏を返せば期待しているということでもあるのだ。


「まあまあ、そうは言ってもリンデルさぁ。皆がみんな君みたいに、遊び半分の魔術の実験で七日間夜を晴らしたりできるわけじゃないんだよ。というか、そんなことされたら私が困るんだから」

「人を節操のない魔術バカとでも言いたげじゃな」

「わかってんじゃーん」

「そういうお主こそ、国境線を引いてくれと頼まれて、大陸を横断する底の見えない渓谷を作ったの、忘れたわけではあるまいな」

「なにおぅ~、それを言うならリンデルなんて、地面の底が気になるとかなんとか言ってさぁ、穴を掘ってマグマを噴出させてたじゃん。しかも何か所も。山どころか島が出来たし、被害すごかったんだからね」

「そんなもん若気の至りじゃ。というか、お主なんて——」

「あ、あの」


 白熱し始めた二人のやりとりに、勇気を出してウルデリックは割って入った。このままでは数分、数十分、あるいは数時間と昔話で非難合戦が続くどころか、そのうち実力行使に出かねないという恐怖に背中を押されてのことだった。


 もし戦いにでもなれば、自分には止めようもない。なんなら死ぬかもしれない。それらに比べれば、今勇気を出すことのなんと簡単なことか。

 しかし、そんな振り絞ったなけなしの勇気では恐怖まで抑え込めるはずもなく、割って入ったはいいものの、紡ぐ言葉を忘れて頭は真っ白になっていた。


「ま、今日のところは痛み分けってことで、どうじゃ」

「そうだね。ウルちゃんもごめんね。止めてくれてありがとう」


 二人は互いを見合わせたあと、あっけらかんとして非を認め、またウルデリックの顔を立て、潔く和解を果たした。


「それじゃあ、脱落した子たちを転送するけどいいよね」

「よいぞ」


 とリンデルが承諾する前に、ベロニカは仮想世界に送り出した五人の魔術師たちを今いる部屋へと呼び戻した。

 音もなく現れ倒れ伏す面々はしかし、外傷どころか服の汚れすらどこにも見当たらない。この部屋に来たときのままの状態で、一人また一人と意識を取り戻していく。


「全員起きたな」

 自分たちの現状を正しく理解した面々はふらふらと立ち上がる。神の御前で信徒が座して言葉を賜るなどという無礼は、その矜持が許さない。


「よい座って楽にしておれ」

 そんな面々を見兼ねてか、リンデルが制して許可を下す。そうして地べたに座りこむのを確認してから、リンデルは続けた。


「さて合否発表といきたいところじゃが、実はまだ一組残っておる。よって休憩がてら観戦しようではないか」


 リンデルに目を向けられたベロニカは意図を察し、パチンと指を鳴らした。

 試験参加者の方に大きなモニターが表示される。映し出されているのはガンボールたち四名と、首の切れた悪魔の姿である。

 モニターの前では誰も声を上げず、ただその光景に目を見張るばかりだ。悔しがるものや不甲斐なさに歯噛みするもの、心の中でときめいているものや嫌な顔をしているものなど、一種多様な感情が渦を巻いている。


「じゃあ再生するね」

 ベロニカの合図で時が流れだし、第三ラウンドのゴングとなった。



 突然、悪魔の首が伸びて繋がった。

 その光景を見て、まだ試験が続くことを悟ったガンボールは後退する。

 元の状態に戻った悪魔はのそりと起き上がり、ぱちりと目を開けた。

 肌を透過する強烈な悪寒が、心臓の輪郭を柔らかくなぞる。


 ——やばい!

 一人離されていたグレースは、すぐさま駆け寄ろうとするも、足が竦んで動かない。

 ——ダメっ!

 声も出ない。

 伸ばした手は、届かない。


色蝕(しきしょく)


 静かな声が世界に木霊した。

 瞬間、真っ白な世界は黒へと染め上がり、ガンボールたちもまた同様にして色を失った。

 混沌さえ排するほどの真黒(まくろ)な世界にぽつり、と佇むそれは、死者の魂を地獄に導く胡蝶(こちょう)がごとく、ただそれとして口元を豊かに綻ばせる。


 それは竜の祖にして王である。

 それは幾百幾千の魂ひしめく異界に君臨せし、十三の(いただき)の七である。

 それは時として魔王よりも多くを語られる、現界史上の厄災である。

 冠する名をアジ・ダハーカ。まさしくそれは、悪魔であった。



 ——おかしい。

 リンデルは想定と違う結果になった現状に少々困惑していた。


 いくらアジ・ダハーカの解言を封じているとはいえ、一段階目の魔法でもガンボールたちでは即死するはずであった。唯一生き残れる可能性があるとすれば、自身の弟子であるフェンリーのみと考えていたのだが、その当人も抗った様子は見られない。つまり、放たれた魔法に呑まれた者たちは、すべからく命を落としていなければならないのだ。


 パキ、パキ、と乾いた泥が砂になって剥がれ落ちるみたいに、ガンボールを覆っていた黒が口元だけひび割れる。


「『五刑磔戒(ごけいたっかい) 孤白(こはく)骸晶(がいしょう) 寄るべ亡くして彷徨うて 手繰(たぐ)りて渡す沙汰の果て』外法 首切り」


 ガンボールは完成版のオリジナル魔術を発動させた。この魔術は色々と制約が多く、そのため先ほど使ったのは簡略化させた、いわばβ版みたいなものである。

 体に纏わりついていた黒から次々と骨の手が伸び、骸骨が生まれ出でる。その骸骨たちもまた黒く、ガンボールは色を取り戻していた。


「ほう」

 アジ・ダハーカは興が乗ったとばかりに感嘆の声を上げ、何が起こるのかを待っている。


 地面の黒からも骸骨が次々と顔を出していく。ついでとばかりに、フェンリーの黒からも生まれ出で、解放された彼女もまた色を取り戻す。


 地面から現れた骸骨たちの行動は二つに分かれた。

 一方は片膝をついて縦二列に並び、アジ・ダハーカの前まで続く道を作った。

 もう一方はアジ・ダハーカへと組み付き、どろどろと溶け合って、斬首台へと形を変えた。

 身体を拘束されたアジ・ダハーカはしかし、まるで動こうとはしない。


「フェンリー、開けろ」


 両刃の柄まで黒い剣を掲げて跪いている一番手前の骸骨から剣を受け取ると、ガンボールはアジ・ダハーカまで続く道を歩き出した。

 フェンリーは状況も分からないまま「はい!」と返事をして、手を組み祈るように魔法を発動させる。


「『開け』クレイドルコフィン」


 瞑っていた目から血が流れていることなど気にも留めず、フェンリーは集中する。

 解言を伴う二段階目の魔法の行使は、莫大な魔力消費に加えて身体の一部を捧げなければならない。悪魔は内包する魔力量が桁外れなだけでなく、肉体を魔力で構築しているため消耗は無いに等しいが、人間ではそうもいかない。


 他の魔法使いの多くがそうするように、フェンリーが捧げたのは自身の血であった。

 パキパキと音を立ててラッドが色を取り戻した。


 フェンリーの感覚では、グレースを解放させることはできないと踏んでいたが、次いでグレースも同様に色を取り戻していく。ほっとしたのも束の間、フェンリーはその場に倒れ込んだ。

 気が付いたラッドとグレースがフェンリーに駆け寄るのと、ガンボールがアジ・ダハーカの目の前まで到達したのはほとんど同時であった。


「こいつらはお前の殺してきた者たちだ」

「派手な葬式だな」

「嫌いか? 王の最後には相応しいだろ」


 ガンボールが上段に剣を構える。

 アジ・ダハーカは口元をにやりと歪め、「やってみよ」恐怖の微塵もない声で笑った。

 振り下ろされた剣閃が走り、その首と胴を真っ二つにせんと刃が鱗に触れた。

 瞬間、音もなく刃は止まり、深々と切り裂くどころか、鱗の一枚も傷をつけることが叶わない。

 驚き訝しむガンボールをよそに、アジ・ダハーカを拘束していたものが、さらさらと塵になって消えていく。


「期待外れだな」


 心底つまらなそうな言葉を投げたアジ・ダハーカは、ガンボールを見ていない。

 ガンボールがもう一度切りかかろうとすると、死角から尻尾が伸びて横なぎに振り払われた。

 尾の一撃を剣で防いだものの、ガンボールは吹き飛ばされて距離が空く。

 握っていた剣も骸骨たちと同様に、さらさらと塵になって消えてしまった。


「何を驚いている。我の黒で我を傷つけられる道理などなかろうて」


 雄大な肢体で大地を踏み締め、組み伏せられていた体を起こす。立ち上がるだけでガンボールたちの身長を超える頭部から、ぬるりと視線が彷徨った。


「色蝕」


 唱えて再び黒が広がる。アジ・ダハーカはもはや彼らから興味という色を失くしていた。先ほど蘇ったのは何かの偶然だとばかり思っていたのだ。


「『閉じろ』クレイドルコフィン」

 再び魔法を発動させたフェンリーは血を吐き気を失った。黒は自壊し塵となってガンボールたちへは届かない。


「それで、三手目はどうする?」

「レアルバレット」


 アジ・ダハーカが再度魔法を発動するより速く銃声が鳴り響く。射程を切り詰め最大威力を有した、何十発もある弾丸が一斉に放たれるも、体表にひしめく鱗や魔力で形作られた尻尾はもちもん、関節や喉や目玉でさえ傷つくことはなかった。


 ——つまらぬ。

 その目は退屈を雄弁に物語っていた。


「そこな娘の方がまだ見どころはある。……やはり、似ているのは顔だけか」


 それはガンボールにとって禁句であった。

 熱した石を水の中に投げ入れたように、怒りが殺意を急激に沸騰させる。今すぐにでも己が全身全霊の力でもってその口を黙らせてしまいたい。

 生来の直上的な思考を理性で制してきたガンボールは、自分のそれが単一化していくのを感じながらも、最後の一線の前で踏みとどまっている。辛うじて我を忘れていないのは、自身に課した楔と背後に控える仲間を思ってのことだ。


「ガンボール!」

 魔法で静かに伝えれるはずなのに、ラッドは声を張り上げた。


「思いっきりやれ! こっちは俺がなんとかする!」

 ガンボールは躊躇した。グレースなんかは心底懐疑的といった目をラッドに向けている。


 ——できるのか?

 ガンボールは意識的に瞬きを行う。少しでも疑った自分を恥じる程度には、ガンボールはラッドのことを信頼していた。


「任せた」

 ぼそりと小さな呟きを残したガンボールの言葉は、「任された」ラッドにだけ届いた。

「お前ら動くなよ」


 とラッドは言うものの指示は形式的なもので、フェンリーは動ける体ではないし、グレースも実力差が分からないほど馬鹿ではない。何より、二人もラッドを信頼しているうえに、ラッドを信じるガンボールのことも信用している。


「『宣誓 空の糸 太陽の裾 グリンジャージョーの薬指 廓然(かくぜん)として相贖(あいあがな)う』ヴァッサムゴーデン」


 ラッドは呪文を唱えながら、土壇場で今朝習得したこの魔術のことを思い出す。


 第九章八十九節、かつてベロニカの辿った歴史の中で起きた、悪魔による第一次大規模侵攻の一幕。

 国一つが一夜と待たず滅びを迎え、その隣国が次は自分たちの番であると怯える傍ら、悪魔の軍勢ゆきゆきて、最前線の砦にて相対する。兵士たちは一刻一秒でもその侵攻を遅らせ、あるいは食い止めようと戦った。


 兵士たちはその命、その魂の最後の一片まで戦い抜いてもなお、散りゆき免れえぬ滅びを見る。

 絶望に深く沈んでいく途上にあって、一人の青年が死地へと迷い込んできた。


 突如として現れたその青年は、放つ魔力で山をも消し飛ばし、立てた爪で空をも抉る。御旗に誓いて兵に命と力を与え、一本の剣で万の軍勢を切り伏せた。

 その奮闘に感化された兵士たちも再び立ち上がり、史上初めて、悪魔の侵攻を食い止めるに至る。


 後の世に語られ一つの魔術の礎にもなった歴史の一端、その不動の要塞の名を冠して唱えるはヴァッサムゴーデン。


 かの魔術は一切の動作行動を封じられる代わりに、あらゆる状態変化を拒絶する。つまり、魔術を発動した瞬間から、内外問わず何ものの干渉も受け付けなくなる。

 発動したが最後、解除するまで動けなくなるため、普段はあまり使い勝手のよい魔術とは言えないが、ことここに至っては最適解でもあった。ガンボールが何も気にすることなく暴れることができるのだから。


「『砲弾 鉤爪 軍旗 刀剣 万世大禍(ばんせいたいか)に四宝携え 死刻空骸(しこくからがら)尽き果てるまで』ガラディーン」


 呪文を唱えたガンボールに神威(かむい)が宿る——。

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