76淀んだ闇 ~聖域の研究者のなれの果て5~
「やったぞー!」
ワーッ!と、学生達が歓喜の声を上げている。
グラウカを倒したメンバーが振り返ってみると、肩を叩きあったり飛び跳ねたりして喜ぶ学生達とヴィドールのファイターの周囲には沢山の魔物の骸が転がり、生きている魔物達が慌てふためいた様子で一斉にその場を逃げ出していく様子が見えた。操っていたグラウカが消滅し、その力から解放されたようだった。
戦う魔物がいなくなり、グラウカも倒された事に気付き、湖の畔にいたディートハルト達のもとへ学生達とファイターが集まって来る。
「ディート先輩!」
学生達の中にいた金髪の学生ジャックが、エトワスの傍らのディートハルトの姿に気付き心配そうな表情で駆け寄って来た。
「無事で良かったッスー!俺、昨日一緒に戦ってたのに助けられなかったから責任感じてたっス!」
と、緑色の目を涙目にしてディートハルトをギュッと抱き締める。
「あ」
エトワスが一瞬目を見開く。
「うぅっ!」
ディートハルトが呻いてジャックは慌てて手を放した。
「ああっ、怪我してるっスよね!すみません!」
「だ、大丈、夫……!」
と、痛さで生理的に目を潤ませながら、ディートハルトは首を振った。
「別に一緒にいたからって、ジャックが責任感じる必要は全然無いから……」
そうジャックに話していると、さらに学生達が寄って来た。
「フレイク先輩!酷い怪我!大丈夫ですか!?」
「フレイク先輩!無事で本当に良かった!」
ニコールに続き、フェリシアはそう言って涙ぐむと、ディートハルトの無事な方の手を両手でキュッと握った。再びエトワスが面白くなさそうな表情をしていて、フレッドと翠が苦笑いする。
「フレイク先輩、私のせいで本当にすみません!」
「え?」
フェリシアの言葉にディートハルトが何の事かと面食らっていると、さらに後ろから現れたオースティンが言った。
「いえ、俺も、ろくな援護が出来ずすみませんでした!フレイク先輩が犠牲になってしまったのは、俺の責任です!」
「ええと……」
ディートハルトは困った様な表情で口を開く。
「あのさ、別に誰の責任でもねーから。皆それぞれ、ちゃんと戦ったじゃん。おれは、卑怯なグラウカのせいで酷い目に遭ったってだけだし」
と、小さく苦笑いした。
「逆に、おれの方がまた助けられた訳だから。皆、ありがとう。お世話になりました」
そう言って、学生達だけでなくエトワス達同級生や先輩I・K、ファイター達にも視線を向けると、皆が穏やかな笑顔で応えた。
「オースティン、学生達が全員揃っているか、それと、怪我をしていないか確認してくれないか?」
直ぐ近くにいたオースティンにエトワスが声を掛ける。すると、慣れた様子で学生達がさっと整列した。
「全員無事です。負傷している者もいますが、重傷者はいません」
一人ずつ確認しオースティンがそう答えると、エトワスはホッとした様子で頷いた。
「分かった、ありがとう。アカツキ、負傷者の手当てを頼んでもいいか?」
「ええ、もちろんです!では、まずは一番酷い君から。さ、座ってください」
エトワスに言われ、アカツキはディートハルトに座る様促すと、張り切った様子で持っていた薬箱を開いた。
「レミエル、援護してくれた空の種族は皆無事か?」
怪我を負ってはいたがI・K達は全員無事であることが分かっているため、エトワスは今度はレミエルに目を向けた。
「え?ええと……1、2、3……」
エトワスの言葉に反応してすぐに整列した学生達とは違い、空の種族達は地上に下りたドラゴンと共にそれぞれ好きな場所に腰を下ろして談笑していたり、一か所に留まらず移動したりしているため、レミエルが数えるのに苦労している。
「ヴィドール人は、ロサさん達を含めて全員無事だぞ」
エトワスに視線を向けられ、彼が話す前にシヨウが先に報告した。
「ああ、ありがとう」
後は……、とエトワスは周囲を見渡す。
「ラズライトに入ったままの被害者は……」
「空の種族の兵は、既に全員ラズライトから出ていて皆無事です」
スーヴニールが微笑んでそう教える。未だあちこちに散らばった状態だったラズライトは消えていて、ラズライトの中に入っていた兵達5人は集まってお互いの無事を喜びあっていた。しかし、一つだけまだラズライトが残っている。
「じゃあ、あれはルシフェルか」
ディートハルトの言葉に、スーヴニールが頷いた。
「ええ、そうです。兵達のラズライトは私が作ったものでしたが、あのラズライトは君が作ったものなので、君にしか中の人物を解放できないのです」
「そっか」
「まだ終わっていませんよ」
早速立ち上がろうとしたディートハルトに、包帯を手にしたアカツキが呆れた様に言う。
「じっとしていてください」
「ラファエル、そこで待ってろ。俺達がラズライトをこっちに持って来てやるから」
近くにいたシヨウがそう言って、ファイター達に声を掛け手招きする。
「うっし!」
「おう」
シヨウに応えた彼と同じく体格のいいファイター達は、離れたところに転がっていたラズライトの前まで行くと、協力してラズライトを移動させ始めた。
「せいっ!」
卵型なので、ただでさえ思い通りに真っ直ぐ進まない大きな青い石を、草や石、土の塊などでデコボコしている地面の上を軌道修正しながらゴロンゴロンと豪快に転がして来る。
「あの中にいたら、吐きそうだな……」
「目が回ってるだろうな」
見ていた学生達が囁き合っている。
シヨウ達の筋力のおかげで、程なくディートハルトの目の前にラズライトが運ばれてきた。
「ありがとう。助かった」
ディートハルトはアカツキの応急処置が終わると、早速ルシフェルをラズライトから出す事にした。
「ん~……」
体が痛いため、ぎこちなくルシフェルのラズライトを覗き込む。深く青い石の中に人影が見えているが、はっきりとは見えないのでルシフェルが眠っているのか起きているのかは分からなかった。そして、どうやって外に出したらいいのか分からない。自分が出た時は、気が付いたら外に出ていたといった状態だった。
「エトワス、剣貸して」
ディートハルトが、エトワスに向かい手を差し出す。
「は?」
ディートハルトはI・Kの制服姿だったが、グラウカに攻撃された時に自分の使っていた剣は手放してしまっていた。
「いや、ちょっと柄んとこでさ、剣の重さを利用して思いっきり叩けば割れるかなって」
「そんな物理的な……と言うか、力任せな手段でいいのか?いいなら、俺がやるけど」
ディートハルトは怪我人だ。そうでなくても、彼より自分の方が筋力はあるだろうと考えたエトワスが、鞘に収めている剣の柄に手を掛ける。
「いや、マズいだろ!中身ごと割れたらどうすんだ」
傍で見ていたフレッドが眉を顰める。フレッドの言葉に中身ごと割れたところを想像してしまい、近くで聞いていた学生達が若干引いている。
「その時はその時で、仕方がないんじゃないか?」
リカルドがそう言うと、翠が薄く笑った。
「そうなったら、アリアさんには黙っとかなきゃだね」
「だったら、ノミと金づちでちょっとずつ穴をあけた方がいいんじゃねえか?」
シヨウが一番まともな事を言う。
「そんな面倒な事をしなくても、ラファエルが、『割れろ』とか『砕けろ』とか『消えろ』とか念じれば、ラズライトは消せるぞ」
空の種族達の人数を確認し終えて戻って来たレミエルが呆れたように言う。スーヴニールは面白がっているのか、ただ微笑していた。
「え、マジで?」
「ラズライトの双眼を持ったお前が作ったものは誰も手が出せないが、作った本人なら簡単に消せる」
ディートハルトは痛む体で何とか地面に膝を着くと、ラズライトに手を置いた。冷たくも温かくもない、滑らかな石の感触がする。ぼんやりと淡く発光するラズライトは、ディートハルトの瞳と同じ色をしていた。周囲にいた学生達が、興味津々に集まって来る。
「……ええと、じゃあ、割れろ」
ディートハルトが半信半疑といった調子で言う。すると、ラズライトは一瞬強く輝き、直後に無数の光の粒になってキラキラと煌めきながら宙に溶ける様に消えた。
「わぁ!」
「おお!」
「綺麗……!」
近くで見ていた者達から感嘆の声が上がる。
「おい、ルシフェル?」
ラズライトが消え、顔色の悪いルシフェルが姿を現すと、その生死が分からないため少しびくつきながらディートハルトが名前を呼んだ。
「ルシフェル」
カッと目が開かれ、赤い瞳が真っ直ぐにディートハルトの姿を捉えた。
「僕を、石ごと叩き割ろうとしたな!」
「あんただって、ずっと俺の事を喰い殺そうとしてただろ」
ディートハルトが怯みかけながらもルシフェルを睨みつけるが、上半身を起こしたルシフェルは、呻いて頭に手を当てている。頭痛がする様だ。顔が青いのは、ラズライトに閉じ込められていたからなのか、セレステ3人が近くにいるせいなのか、それとも、彼が中に居たラズライトをファイター達が豪快に転がしたからなのかは分からない。
「ラファエルに情けを掛けて貰えて良かったな。お前が空の種族の血を引いていなければ、ラズライトに守られる事はなかったぞ」
腕組みをしたレミエルが言う。
「……そうかもね」
珍しく素直にルシフェルが言う。ファセリア人と空の種族に取り囲まれているからだろう。
「ああ、そうだ、エトワス。空の種族達も人数は揃っている。上空にいたから誰も怪我はしていないはずだ」
「そうか。良かった」
レミエルの報告にエトワスはホッと息を吐いた。目的を無事に果たせただけでなく、全員が無事で安堵していた。
「言葉が出て来ないねぇ……」
薄く笑いながら、離れた位置に避難していたピングスがロサに同意を求める。今は二人が乗っていたドラゴンも地上に下り、騎手の空の種族も近くに待機していた。
「本当ね……。フローに、どう説明したらいいかしら……」
グラウカと親しい“RANK-C・D・E担当及び兵器開発”と呼ばれる部署に所属している女性研究員を思い出し、ロサが溜息を吐く。
「グラウカさんは、”魔物に襲われて命を落とした”って言うしかないんじゃない?……多分、地底の種族に喰われた時点で、もう人間のグラウカさんは死んじゃってたんだよ」
今回の戦いが始まる直前に実際に言葉を交わしたピングスは、そう感じていた。
「そうね。私達の事は分かっていたみたいだし会話も出来たけど、違和感があったものね。グラウカさん以外の存在も混ざってた気がするわ」
「ああ、僕も思ったよ」
ロサの言葉にピングスは深く頷いた。
「ジェイド君が、『複数の魔物達を繋ぎ合わせたような物になっています』って言ってたけど、その通りで、見た目だけじゃなかったのかもね」
きっと、複数の意思も混ざりあっていたのだろうと、二人は思った。
「……だけど、私たちは、あんな危険なものを飼って制御出来ているつもりでいたのね」
ロサが気が抜けた様に言う。自分から望んでこの場に来ていたが、グラウカの変わりようと激しい戦闘、そして目の前で起こった事の全てが衝撃的すぎて、頭がぼんやりしていた。
「そうだなぁ。地下にいる魔物達も本当はかなり危険なのかもねぇ。僕はヴィドールに無事に戻れたら転職しようかな」
「私もそうするわ」
ピングスの言葉にロサは深く頷いた。もう、3種族と関わるのはうんざりだと思っていた。
「全員無事で良かったな。よし、エトワス、城に戻ろう!」
アカツキが負傷者の応急処置を終えると、レミエルは機嫌良さげにエトワスに笑顔を向けた。
「ああ、そうだな」
「スーヴニール様は、こちらへどうぞ」
レミエルの巫女であるブラッシュに促され、スーヴニールが白銀のドラゴンのもとに向かう。
全員が、来た時と同じドラゴンに乗り込み、救出された8人は彼らのため予め用意されていたドラゴンへ乗る事になった。
「ディートハルトさんは、僕のドラゴンにどうぞー」
と手を振っているのは、卵の見張りの際に付いていてくれたリッシュと言う名の空の種族だ。
「因縁の魔物を倒せて良かったですね!地上の皆さんは強くて本当にすごかったです!」
ディートハルトが後ろの鞍に乗ると、リッシュは嬉しそうにそう笑顔を見せた。
「さあ、行きますよ!」
スーヴニールの乗るドラゴンを先頭に、次々にドラゴン達が空に舞い上がる。
この地に来た時は霙混じりの強い風が吹いていたが、今は風も収まり頭上には青い空が広がっていた。