74淀んだ闇 ~聖域の研究者のなれの果て3~
嫌な夢を見た。
狭い場所に一人閉じ込められている夢だ。上下左右、周囲を全て壁に囲まれていて出口はない。ただ、一か所窓の様なものはあって、その向こうには外の風景が広がっている。そして、そこには親しい友人の姿が見えていて、何か探している様に周囲を見回していた。
『エトワス!』
壁のせいで聞こえないのか、声は届かない。何度呼んでも同じだった。
『何処行くんだ?』
探しているものが見付からず諦めたのか、やがてエトワスが背を向けて歩き出す。
『待って!エトワス!』
この空間から脱出できない事よりも、気付いて貰えない事の方が悲しかった。
『エトワス!』
淡い光の中、目を覚ます。
「なんだ夢か……。って、夢じゃねえじゃん……」
小さく溜息を吐く。すぐに、ディートハルトは自分がいる場所を思い出していた。夢と同じ出口の無い場所にいる。
『どれくらい時間が経ったんだろう?』
夢の中とは違い、今は映像が見えないので外の様子は分からない。ラズライトの中は卵の中よりは狭かったが、その形状は卵と同じなのか、膝を曲げてゆったりと座っているような状態でいる。
「っ」
眠っていたせいでまだ少しボンヤリしていたが、少し動くと体に痛みが走り、怪我をしていた事を思い出すのと同時に完全に目が覚めた。
「何だ?」
ラズライトの壁の向こうに何か蠢いている不気味な気配を感じた。
「ああ……そうか。これだったのか」
バルコニーに魔物化したグラウカが現れる前に、ドロドロとした正体不明の濁った気配を感じた事を思い出していた。その時のものと同じだった。
『ラズライトを壊そうとしてるのか?マズイな』
早く脱出しなければ。そう思い、持っていた武器を確認してみるが、呑まれた時に落としてしまったのか、長剣も銃も無かった。唯一、ベルトの背中側に取り付けてある短剣はそのままになっていた。
「ダメか……」
ベルトに平行な水平の状態で鞘に収まっている短剣は、利き手で抜く事を想定していて逆の手からは柄の部分が遠い位置にあるため、負傷して利き手が使えない状態では鞘から抜く事が出来なかった。それ以前に、動くとあちこち痛いので思う様に体を動す事も出来ない。
『ここで術を使ったら、どうなるかな?』
理想は、ラズライトの壁ごとグラウカの体も破壊する事が出来て、この腹の中から一気に脱出する事だが……。
『そこまでの強い術が使えなかったら……』
ラズライトの壁を壊す事は出来ず、ラズライトの中で術が爆発してしまうか……。
ラズライトの壁は壊す事が出来るがグラウカの体までは破壊出来なくて、グラウカの胃の中に直接入った状態になって消化されるか……。
『どっちもヤバイな。術は使わない方がいいか』
グラウカと戦った時の事を考えると、あの頑丈さなら簡単には身体を傷付ける事は出来ない気がした。
『……エトワス達は、まだ近くにいるのかな?』
目を凝らしても柔らかく発光している壁以外何も見えず、音なども聞こえてこない。外の映像が見えていた時はラズライトの中にいるお陰か戦闘による外の衝撃等は伝わって来なかったが、グラウカが激しく動いた時だったのか、時折身体が浮くような感覚はあった。しかし、今はそれも無い。ただ、壁の向こうで何かが蠢いているのは分かるので、不気味だった。
『もしかしたら、グラウカは城から逃げてどっか移動したのかもしれないな……』
だとしたら、やはり何とかして自力で脱出しなければならない。そう思ったが、なかなか良い案が浮かばなかった。
「エトワス……」
やはり、今はもう近くにはいないのだろうか?ふとそう思い、遠慮がちに小さな声で名前を呼んでみた。
「エトワス、近くにいるのか?」
今度は少し大きな声で呼んでみた。しかし、返事が返って来ないので聞こえていないのか、そうでなければいないのかもしれない。
『まったく……。寝言でも起きても“エトワス、エトワス”って、煩いよ。いないんだから、見捨てられたんだろ』
突然返って来た言葉に、ディートハルトはギョッとして周囲を見回した。
『何処を見て……ああ、見えてないのか』
「ルシフェル!?ッ……何、で?」
音ではない声と話し方に覚えがあり、思わず声を上げる。急に体を動かしたせいで怪我が痛んだ。
『僕が喰われた時、君が僕をラズライトの中に閉じ込めただろう?だから、吸収されなかったんだよ』
記憶の中にあるものよりも弱々しい声が返って来た。
「え、おれが?覚えてねえけど……って。やっぱ喰われたんだ。グラウカの仲間だったのにな」
思わず小さく笑ってしまったが、たった一人でグラウカの腹の中にいるのではない事が分かり、少し嬉しかった。
『笑ってる場合じゃないよ……』
力の無い声だったが、不機嫌そうにルシフェルが言う。
『腹が減ってるのか、さらに進化するつもりなのか分からないけど、グラウカは今もどんどん魔物を捕食してる。ラズライトが壊されるのも時間の問題なんじゃないかな』
「ああ、だから、ラズライトの周りで何か動いている気配がするのか。でも、魔物を喰ってるって、どうしてそんな事が分かるんだ?」
『僕は暗いところでも見えるからね。周囲に……ここは胃袋の中だと思うけど、こいつが喰ったものが見えるんだよ。魔物の骸とか骨とか。気色悪くて吐きそうだよ』
ルシフェルの言葉に、改めてこの場所がグラウカの腹の中だと実感した。そして、自分には見えなくて良かったと思っていた。
「そう言えば、魔物が操れるんだよな?グラウカを操れないのか?」
『無理だよ。悔しいけど僕よりこいつの、というか、元々のグラウカを喰った地底の種族の力の方が上だから。でも、物を触れずに動かす事は出来るから、喰った物の残骸を動かそうと試してみたんだけど、今僕は身体の具合が最悪だからそれも無理だった』
「そっか。おれが近くにいるからか。前と立場が逆転したな」
ディートハルトの言葉に、ルシフェルは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
『君だけじゃないよ。僕を閉じ込めてるラズライトのせいでもあるし、君以外の、同じ様にラズライトに入った空の種族達のせいだ』
「え!?おれ以外の空の種族って?」
驚いて声を上げる。自分が呑まれた後、知らないうちに捕食されたのだろうか。
『兵達と、名前は忘れたけど、スー何とか様っていう今君がいるラズライトを作った人らしいよ』
「それって、スーヴニール様……」
自分達がグラウカを倒せなかったせいで、さらに、自分がアズールを訪れた事で魔物をおびき寄せてしまったせいで、それ以前に、グラウカをアズールに連れて来てしまったせいで、この国の空の種族達に被害者を出してしまった……。そう思うと罪悪感で血の気が引いた。
「どうしよう……。皆、無事なのか?」
『どうかな。ラズライトの中に入ってるから吸収はされてないけど。君みたいに煩くないから眠ってるのかもしれない。それにしても、こんなに沢山、腹の中に空の種族入りのラズライトが入ってるんじゃ、グラウカも相当具合が悪いだろうな』
ルシフェルの言葉に、皮肉な笑いが混じる。
『ラズライトの中にいるなら、無事でいる可能性は高いよな……』
声を掛けて無事かどうかを確認したかったが、もし眠っているなら、敢えて起こしてこの様な絶望的な状況にいる事を教えるのは酷だろうと思い、呼び掛けるのはやめた。
『ああ、そうだ。君は僕の知ってる空の種族の話じゃ、最強の存在なんだろ?僕じゃなくて君がこの状況を何とか出来ないのかい?』
「最強ってのは違うけど、何とかしようとは思ってる……」
ルシフェルの言葉で、一応新しい案は浮かんでいた。彼が言った“腹の中に沢山のラズライトが入っていると、具合が悪いだろう”という言葉だ。
「作戦があるんだ。グラウカの腹の中にもっとラズライトを増やしたら、気持ち悪くなって、まとめて吐き出すと思わないか?」
『……どうかな。出来れば、グラウカの吐瀉物になんてなりたくないけど……。というか、これ以上ラズライトが増えたら僕が死ぬかもね。アリアが悲しむだろうな』
自嘲なのか、ルシフェルはクスクスと笑っている。
「確かに嫌だな……(アリアって人は、こいつのどこが気に入ったんだろう?)」
『素敵な人だって言ってたよ』
「聞いてねえよ。っつーか、勝手に人の脳内の声を盗み聞きすんな!」
ディートハルトは小さく溜息を吐いた。ヴィドール国でルシフェルに近付いた時、自分も具合が悪くなった事を思い出していた。ルシフェルの言う通り、これ以上ラズライトが増えたら彼の体には悪い影響を与えるかもしれない。
「具合が悪いのに、よくそんなにペラペラ喋れんな」
『声は出していないから、“喋って”はいないけどね』
「まあ、そうだろうけど……」
自分は、考える事もきついという状態だったが、彼はそうではないらしい。
『仕方ねえな。何か、他の方法を考えよう……』
* * * * * * *
「地上へ下りるのは、延期となりました」
バルコニーに面した部屋に集められたヴィドール人達に、そうエトワスが告げる。地底の種族が進化した魔物にグラウカが捕食され逆に魔物の体を乗っ取った事、そして、グラウカがディートハルトや複数人の空の種族を呑んでしまったため彼らを救出に向かう事になり、地上へ下りるのは延期になった事等を丁寧に説明していた。
「ニコールさんやコウサに話を聞いていたから、延期は予想していました。ファセリアの方達がいなければ、私達が地上に戻る事は出来ないのですから問題ありません。大人しくお待ちしますわ」
ロサが静かにそう言うと、寛いだ様子で深く椅子に座っているピングスも頷いた。
「待つしかないもんね。だけどさぁ、グラウカさんが魔物化しちゃったってのは、事実なんだろうけど信じられないし、ランク、ああ、ごめん。ラファエル君やルシフェルを喰ったなんてショックだよ。その上、魔物としてこれから倒しに行くなんてねぇ」
ピングスが薄く笑って話す。戸惑っていてどう反応して良いのか分からず、苦笑いしか出来ないようだ。
「分かるわ……」
小さく溜息を吐き、ロサはエトワスに視線を向けた。
「グラウカさんは、今でも意識はグラウカさんのままで会話する事は可能なのですか?」
「おいおい、まさか、会いたいから連れて行ってってお願いする気かい?」
エトワスが答える前に、ピングスが声を上げる。
「ラファエル君をファセリア人に返して、一緒に国に帰りましょう!って説得する気じゃないだろうな?」
「そこまでは考えてなかったけど。でも、可能なら話してみたいわ」
ロサがポツリと言う。別に特別な感情を抱いている訳ではないが、長年、ほぼ毎日接していた上司が魔物化してしまったというのは、やはり信じられず、自分の目で確かめてみたいと思っていた。
「話せますが、現在の彼は人の姿とはかけ離れた状態で、巨大化して複数の魔物達を繋ぎ合わせたような物になっていますし、俺達は被害者を救出するのが目的なので、もしロサさんが説得するつもりでも、それが失敗した場合、魔物の命を取るつもりで攻撃します。それでも同行したいですか?」
無表情にも見えるエトワスの顔を見てロサは戸惑っていたが、やがてしっかりとダークブラウンの瞳を見返した。
「ええ。私達も同行させてください」
「え、私“達”?まさか僕も?」
「当然でしょ」
ピングスが引き攣った笑いを浮かべている。
「どう思う?」
エトワスは、翠達I・Kに声を掛けた。
「オレは、いいんじゃないかと思うけど。職場の仲間の事は気になるだろうし、どんだけヤバイ事になってるか……自分達が日常的に関わってて、飼い慣らそうとしている地底の種族がどんな奴なのかも、実感できるしね」
翠がそう答えると、他のI・K達も頷いた。ロサ達が帰国して報告した時に、話を聞いた彼ら以外の研究員や国王が、地底の種族に関わるのは危険だとは思わずに、逆に改めて“素晴らしい力”だと好意的に受け取る可能性は高いのかもしれないが、元々そう考えていたのだから今さらで、ヴィドール国の考えや状況が変わる事はないだろう。そう判断し、敢えてヴィドール人達も連れて行く事になった。
「では、ヴィドール国の皆さんも、安全は確保しますので、明日の朝俺達と一緒に来てください」
エトワスがそう言うと、ロサとファイター4人以外は不安そうな表情を見せていたが、特に不満を言う事はなくそれぞれの部屋へと戻って行った。
* * * * * * *
翌朝――。
少し霙が混じった冷たく強い風が吹きすさぶ中、不安げなアリアや、ライマー、オディエなど城内で生活するセレステや一般の空の種族達が見守る中、城の前庭にエトワスとI・K6人、騎士科の学生10人、シヨウと彼以外のファイター4人を加えた22人の地上の種族の戦闘員と、薬箱を携えたアカツキ、同行を希望したヴィドール人のロサとピングス、ラックとウィンの合計27名が集まっていた。この人数を、レミエルやブラッシュ達空の種族がドラゴンに乗せて、グラウカが居る場所まで運び、また連れ帰る事になっている。
「最悪な天気だねぇ」
防寒具に身を包んだピングスが寒そうに呟いた。昨日から天気が荒れ始めていたが、セレステ達の話によると、それは恐らくセレステの王が魔物に呑まれてしまったせいだろうという事だった。セレステとは違い物質である体や意思を持たない精霊たちやその属性の力が、王が不在というこの異常な事態に再びバランスを崩してしまっているらしい。
「この天気もグラウカさんのせいらしいし、我慢するしかないわよ。それにしても、今更だけど、本当にセンタービル内で見掛けた顔がいっぱいいるわね……」
揃ったファセリア人達を見てロサが小さく溜息を吐くと、ピングスが頷いた。
「今ここに来ているメンバーは、学生以外は全員センタービルに就職してたって言ってたもんねぇ。腹が立つやら感心するやら……。ジェイド君はホントに軍人さんで指揮官なんだねぇ。実験体に恋しちゃった初々しい新人研究員だと思ってたのになぁ。完全に騙されたよ……」
短い話を終えたエトワスの前に整列したI・Kと学生が敬礼しているのを見て、ピングスが力なく笑う。
その後すぐ、呼び出されたドラゴンにファセリア人とヴィドール人達が二人ずつに分かれ騎乗すると、ドラゴンは次々と空へと舞い上がり隊列を組んで西に向かって飛び始めた。
ドラゴンの飛翔を妨げてしまうため風を防ぐ事は出来ないが、ドラゴン1匹毎に霙と寒さを防ぐための結界が張られていて、凍えてしまう心配は無用の割と快適な移動となった。
一時間後――。
風が強かったせいで予定より少し遅れたが、ようやく目的地の山岳地帯に着いていた。地底の種族に近付くと空の種族達は気配を察知する事ができるため、レミエルを先頭に迷うことなくグラウカの元を目指していく。
レミエルの話した通り、そして地図に記されていた通り、そこには山に囲まれた大きな青い湖があったが、その湖の畔近くに立つ木陰に、捜していた魔物は蹲っていた。昨日と比べるとかなり体の形状が変化していて、さらに大きさも増しているため同じ個体の様には見えないが、その腹部は大きく膨らんでいて薄っすらと青い光を放っている。つまり、ラズライトは機能していてディートハルト達は無事の様だった。
「エトワス、ラファエルを、空の種族達を頼む」
「ああ、もちろん!」
レミエルの言葉を背に受けながら、エトワスは地上近くまで下りたドラゴンから飛び降りた。それに続き、I・Kや学生、ファイター達が次々とドラゴンから飛び降りる。そして最後に、ピングスとロサ、ウィンとラックが、着地したドラゴンの鞍を空の種族の手を借りて下りた。
エトワスを先頭に6人のI・Kが魔物から少し離れた位置に並び、その後方にはシヨウを含めたファイター5人と学生達10人が二列になって控えた。
ディートハルトと学生5人が集中攻撃した事で原型をとどめていなかった魔物の頭部は一晩で再生したようで、今は骸骨ではなくその顔立ちからグラウカだとはっきり判別できる状態に戻っていた。ただし、昨日バルコニーに姿を現した時と同じで肌の色は青紫で、白目は血走って赤くなり瞳は淀んだ灰色に濁っていた。そして、ボサボサの黒髪は汚れて束になり、薄く開いた口には人間とは思えない鋭利な黒い歯が無数に並び、蛇の様に長く黒い舌が覗いている。
「あれが、グラウカ!?」
思わずフレッドが眉を顰めて言うと、斜め後ろにいたジャックが答えた。
「昨日、最初に現れた時は体も人の姿だったんスよ。けど、どう見てもゾンビでヤバかったッス」
「それはヤバイ……!」
「マタ、オ前ラカ。シツコイ奴ラダ」
蹲っていた魔物は首をもたげ、苛立った様子でそう言った。くぐもった低い声は、グラウカのものとは程遠かった。
「アア、知ッタ顔ガ見エルナ?」
魔物の体に埋まる様に付いている沢山の目がギョロギョロと動き、ヴィドール人達に視線を定めた。
「うひぇ!喋った!」
「マジで、グラウカなのか!?」
「ヤバすぎねえか?」
「これは、マジで喰ったのか喰われたのか分かんねえな」
初めて魔物化したグラウカを目にしたシヨウ以外のファイター達が引いている。一方、ロサとピングスは、変わり果てた上司の姿を目にして驚きのあまり固まり、元々同行する気は無く嫌々付いて来ていたウィンとラックは恐怖で震えていた。
「アア……何ダッタカ……名前ガ出テ来ナイゾ」
大きな口を歪めて青紫の顔をしたグラウカが笑う。
「ピ、グス、貴方が、話して」
吐き気を感じているのか、ロサが口元を押さえて後退りした。
「……想像以上だったな、これは」
青い顔でロサの傍らに立っていたピングスが、数歩前に進み出る。
「それ以上は前に出ないでください。危険です」
エトワスがチラリと視線を向けピングスを制すると、ピングスは「分かった」と言うように両手を上げた。
「グラウカさーん?分かります?僕です。貴方の部下のピングスです!ロサも、ファイター達もいますよ」
少し離れた位置から、ピングスが大きな声で呼びかける。
「ブ・カ?」
「貴方が所属してる“ヴィドール魔物・古代生物研究所”の”RANK-A・B・X担当、及び外回り班”のスタッフです」
「オオ……ソウダ。私ノ部下達ダ!」
嬉しいのか、それとも可笑しいのか、グラウカは声を上げて笑った。
「認識は出来るのか……」
独り言のようにボソリと呟き、ピングスが言葉を続けた。
「ラファエル君達を喰っちゃったって聞きましたけど、ファセリア人の皆さんに返してやりましょうよ。そしたらきっと許して貰えるから……」
ピングスが途中で言葉を切り、しばらく躊躇った後にさらに続けた。
「一緒に、ヴィドールに帰りましょうよ」
そう言ったものの、この姿で帰れるのだろうかと考えていた。
「ヤット手ニ入レタ、空ノ種族ヲ返セダト?」
グラウカが表情を歪ませ、身の毛がよだつような不気味な音が言葉を紡ぐ。
「ランクXトAガ完全ニ私ノ一部トナレバ、サラニ素晴ラシイ力ガ手ニ入ル事ダロウ。観察ナドセズトモ ソノ力ヲ実感シ、使ウ事ガ出来ルノダゾ!」
「……」
苛立ったように話すグラウカに、ピングスは困惑して眉を顰めている。
「ソレヨリモ、何故、ヴィドール人ノ オ前達ガ、ソチラ側ニイル?敵ハ、ファセリア人ダロウ!?」
腹を立てているのか、身体に付いた目をギョロギョロと動かしグラウカは吠えるように言った。
「あ~、いや。別に僕達は、元々ファセリアの人達と敵対する気は無いですから。ジェイド君とは仕事仲間でしたしね」
後退りしながらピングスが言う。グラウカの現在の姿からしても、その言葉からしても、ファセリア人側に付いていた方が安全だと判断し、ファセリア人達に向けてアピールする言葉だった。その言葉を聞き、グラウかが苛立った様子で太い尾を振っている。
「ピングスさん達は、ドラゴンで上空に避難してください」
エトワスが振り返らずに口早にそう言うと、ピングスは弾かれた様に踵を返して走り出し、ロサと助手二人も慌ててその後に続いた。そして、ほぼ同時にグラウカが吠えた。
「貴様ラモ同罪ダ!全員喰ッテヤロウ!」
「!!!!!!!!!」
魔物となったグラウカが、文字では表現できない耳を割くような奇声を上げると、その呼び声に応え魔物達が何処からともなくゾロゾロと姿を現した。ピングスとロサ、助手の二人は、空の種族の助けで再びドラゴンに騎乗して急いで上空に舞い上がりギリギリのところで避難する事が出来た。
魔物達が集まる事は予め予想していたため、予定通り学生達がエトワスやI・Kの背を守る様に陣形を変え、ファイターも加わって集まって来た魔物をそれぞれ迎え撃つ。
「行くぞ!」
エトワスが短く言い、I・K達は一斉にグラウカに飛び掛かった。
「シツコイ奴ラダ!」
苛立たし気にそう言って立ち上がり、グラウカは大きく伸びあがった。メキメキと音がして、身体の形状が変化し始める。体長がさらに伸び、長さが増した分だけ触手の様な無数の足が新たに生えて来た。元々周囲に漂っていた刺激のある異臭がさらに強くなる。
「どれだけ魔物を喰ったんだ……」
眉間に皺を寄せたリカルドが言う通り、グラウカの身体のあちこちから魔物が生えるような状態で突き出してきていた。不気味な事に、その魔物は生きているのかそれぞれが独立して蠢いている。
「もう、何が何だか分かんねえな。色んな魔物の塊だ」
翠が苦笑いするのと同時に、魔物の前方が蠢き、何かが折れる様な鈍い音がしたかと思うと、左右に一つずつ新たな頭が生えて来た。その両方に、それぞれ元々あった物と同じグラウカの顔が付いている。
「やべ、吐きそう」
フレッドが青い顔で口を押えた直後、長い首を持つ頭部が3つになったグラウカが咆哮を上げ、同時にエトワスが中央のグラウカの首元を斬りつけた。すかさず翠も続き、他のI・K達も左右に分かれて新たに増えた首元を斬りつける。
「僕達もやるぞ!」
レミエルの言葉で、戦闘には加わらないピングス達ヴィドール人4人とアカツキを乗せたドラゴン以外の、上空を旋回していた空の種族達が、それぞれ掌サイズのラズライトをグラウカに呼ばれて集まって来た魔物達に投下した。それは大きな威力ではなかったが、それぞれ中に属性の力が封じ込められていて、風の属性のものは魔物を吹き飛ばし、火や雷の力が封じ込められていたものは魔物を焼いた。
グオオオオ!!!
進化を繰り返し最早生き物とは言い難い不気味な集合体になったグラウカの複数の腕や尾が、そして、魔物を吸収する事で得た力なのか、吐き出される糸の様な粘液の束が、煩い敵を仕留めようと狙う。
エトワスとI・K達の剣や術の攻撃を受けグラウカの体は傷を負っていたが、彼らを狙うのと同時に長い腕や触手を伸ばし、学生やファイター達に倒されて転がっていた魔物の骸を掴み取り喰っていた。すると、グラウカの傷の周囲の肉が大きく蠢き、ジワジワと傷を塞いでいく。
「倒した魔物の骸をグラウカに近付けるな!喰って傷を治しているぞ!」
気付いたレミエルが、上空からそう声を掛ける。すぐに学生達は術を使ってグラウカから遠ざける様に魔物を吹き飛ばし、ファイター達も蹴り飛ばしたり殴り飛ばしたりして遠ざけた。
『ラファエル、聞こえるか?返事をしろ!』
ドラゴンで上空に待機しているレミエルは、音ではない声でディートハルトに呼びかけていた。しかし、返事をする力がないのか応えはない。
『ラファエル、地上に帰るんだろう?』
やはり、ディートハルトからの返事はない。
『お前の仲間が、お前を心配して助けに来てるぞ!』
何度呼びかけても返事がなかったが、ふと思いつき、レミエルは一番効果がありそうな言葉を口にした。
『エトワスが、お前を助けに来たぞ!』