71淀んだ闇 ~進化~
「おい、起きろ」
肩を揺すられて目を覚ます。いつの間に眠ってしまったのだろうと思いながら周囲を見回すと、すぐ傍らにレミエルが立っていて眠そうな目で見下ろしていた。
「少し休む、の、“少し”が長すぎたな。夜が明けたぞ」
「え……」
驚いてソファから体を起こす。窓の外は明るくなっていて、自分の腕時計を確認すると9時過ぎを指していた。
I・K達を地上に下ろした日は遅くまで光の術を発動する練習をして、その日だけでは習得できず、その翌日も朝から夜遅くまで練習を続けた。深夜になって『少し休む』と練習に付き合ってくれていたレミエルに告げてソファに横になったのだが、気が付いたら今だった。
ソファの上だけでなく床に散乱した沢山の紙には、ファセリア帝国では見られない文字の様なものと図形がかかれている。魔法陣を描こうと練習したものだった。
「お前がそこで眠ってすぐ、僕も寝てしまった」
そう言って、レミエルは欠伸を一つする。
「まだ完璧に描けないし、術も上手く発動できてないのに」
この魔法陣に必要なアズールの古い文字は何とか覚えたし図形の形も覚えたが、綺麗な円を描くというのは地味に難しい。多少いびつになっても問題ないらしいが、そうすると、円の中に文字や図形が上手く収まらなくなってしまう。
「後でまたスーヴニール様に見て貰え。とりあえず、朝食を食べて来い」
道を作るという光の術は、光の属性の力を扱うスーヴニールに教えて貰ったものだった。
「ああ、うん。そうする」
小さく頷き、ディートハルトは散乱した紙を一つにまとめてゴミ箱に捨てると、長く滞在してしまったレミエルの個室を後にした。
「おはよう。もしかして、寝てないのか?」
食堂になっているバルコニーに行くと、エトワスがいてそう声を掛けて来た。前の席にはシヨウがいて、すぐ隣のテーブルにはフェリシア達仲良し三人組が、反対側の隣のテーブルにはオースティンとジャックがいる。
「いや、遅くまで練習してて、ちょっと休もうって思ったらいつの間にかガッツリ寝ちゃってて、今起きたとこ」
ディートハルトは普通にそう答えているが、何だかエトワスの視線を避けてしまっていた。特に喧嘩してはいないのだが、何となく距離を取っている。二日前に一度地上に下りてまた戻って来た際に、エトワスとエメが一緒にいるところを見て焼きもちを焼いた訳ではない。地上に下りたら、これまでの様に近くにはいられなくなるんだよなとボンヤリ思い、同時に、エトワスはウルセオリナの次期領主なので、ただの一般人の自分とは住む世界も違うし、小さな子供でもないのにあまり馴れ馴れしく接するのはよくないような気がしていた。とはいえ、その事はとても寂しく感じられた。
「で、術って奴は使えるようになったのか?」
「いくつかは、なった。まだちょっとしか試せてないけど、治療系とか、あとシールドを張る奴とか。戦闘で役立つ攻撃系は、まあ使えると思う」
シヨウに答える時は、自然と彼の顔を見る事が出来た。
「でも、今日までしか教えて貰えないから、まだもうちょっと頑張らねえと……」
明日の朝にはもう、先に地上に下りているI・K達と遺跡の跡地で合流する予定なので、残された時間は今日一日しかない。今練習している道を作る術をしっかり扱えるようになり、既に教えて貰ったラズライトの作り方の方も、もう一度復習しておきたかった。
「術なんて使えねえから分かんねえけど、大変そうだな」
「そう言えば、今日、ルシフェルとアリアさんって人をこっちに連れて来るって言ってたよな?」
話にだけは聞いているが、ディートハルトはまだアリアという人物に会った事はなかった。
「ああ。これから二人を迎えに行く事になってるんだ」
エトワスが答える。
「……じゃ、おれも一緒に行きたい」
思わず、そう言っていた。エトワスに対して馴れ馴れしくしてはいけないと思うし、何だか避けてしまっている状況だったが、そのくせ側に居たいとも思ってしまう。複雑な心境だった。我儘を言ってはいけないと分かっているが、明日には地上に下りるので、今日までは一緒にいたいと思ってしまっていた。
「術の勉強があるんじゃないのか?」
シヨウが単純に疑問に思った様子でそう言い、エトワスは意外にも首を横に振った。
「正直ルシフェルの事は、俺は信用してないんだ。心変わりしたとはいっても地底の種族だし、卵を襲って来た魔物や、あの魔物みたいな奴を呼び寄せたり操ったりって可能性もゼロじゃないって思ってる。だから、ディートハルトはこの城で待っててくれないか?」
心配して言ってくれている言葉だと分かっていたが、ディートハルトは拒否されたようにも感じていた。
「あいつの事は、俺も信用出来ないからな。その方がいいだろう」
シヨウもエトワスの言葉に納得したようにそう言った。
「分かった。じゃあおれは、飯食って、また勉強に戻る事にする」
色々な気持ちを押し込めて、ディートハルトは素直に頷いた。今は、術を使いこなせるようになる事に集中しよう。そう思っていた。
「じゃあ、行って来る」
時間を約束しているのか、腕時計に目をやったエトワスが席を立つと、シヨウもそれに続いた。彼も一緒に行くらしい。
『シヨウも行くんだ……』
ズルイ。
思わずそう思ってしまったが表情には出さず、連れ立って部屋を出て行く二人を視線だけで見送っていた。
「……」
二人が姿を消すと、ディートハルトは空の種族達が用意してくれている朝食を食べようと、壁際のテーブルまで行った。
保温効果のあるラズライトの上に、スープなどの料理も並んでいたが、パンケーキを一枚皿に乗せシロップを掛けた。
『何だ……?』
空いている席に着こうと振り返ったディートハルトは、急に違和感を感じた。以前、レテキュラータ王国のアカツキの村で、地底の種族に属する魔物“モグラ”の気配を感じた時のものに似ている。
「……いや、でも。何か違うか」
周囲を見渡し、バルコニーの向こうに広がる景色に目を向けて見てみるが、特に変わったところはない。モグラは頭上から襲って来たので念のため上を仰ぎ見るが、視界に入るのは天井だけだった。
『すごく濁ってる様な……』
何かドロドロとした気配を感じていた。しかし、モグラの時とは違い恐怖や不安はない。
『危険を感じないって事は、地底の種族のヤバイ魔物じゃないのか……』
卵を襲って来た魔物の気配ではないため、後でレミエルに聞いてみようと考えていると声を掛けられた。
「ディート先輩、こっちに座ったらいいッスよ!」
ジャックだった。ディートハルトがキョロキョロしているのを、どこの席に座ろうか悩んでいると思ったようで、手招きして懐っこい笑顔を浮かべている。
「あれ?何か、しょげてます?」
翠の様に気さくな学生に、以前のディートハルトだったら鬱陶しくて無視していただろうが、最近ではその様な事もなくなっていたため普通に彼の方を見て答えた。
「え、そうか?別に普通だけど?」
ディートハルトはジャックに誘われるまま、つい先程までエトワスとシヨウがいたテーブルの席に座った。
「そうっスか。って、飯、それだけッスか?」
皿に一枚乗っているパンケーキを見てジャックが目を丸くすると、ニコールも声を上げた。
「あたしなら空腹で倒れちゃう!せめてスープとかサラダとかも食べた方がいいですよ」
「うーん、でも、今はいいかな。起きたばっかだし」
ディートハルトは首を振る。目覚めたばかりで、あまり食欲がなかった。
「じゃ、お茶淹れます」
そう言ってジャックは席を立って壁際のテーブルに向かい、そこに用意されている空のカップに、同じく置かれていた大きなティーポットからお茶を注いだ。
「さっき淹れて貰ったばっかだから、温かいッスよ」
と、テーブルに置く。
「ありがとう。寒いから嬉しい」
受け取って礼を言った時、アカツキがバルコニーにやって来た。
「夢中になって本を読んでいたら、いつの間にかすっかり夜が明けていました」
そう言って、少し眠そうな笑顔を向ける。
「え、徹夜したのか?」
「ええ。本が面白過ぎて、眠くならなかったので」
ディートハルトに笑って返し、アカツキはトレーにサンドイッチとスープとサラダ、お茶を乗せて来るとディートハルトの前の空いていた席に腰を下ろした。
「おや?エトワスは、どうしたんですか?」
近くに彼がいない事を不思議に思ったのか、アカツキが尋ねた。
「ルシフェルとアリアさんって人を、シヨウと一緒に迎えに行った」
「ああ、そう言えば、今日迎えに行くって言っていましたね。でも、貴方がエトワスに付いて行かないというのは珍しいですね」
ディートハルトとエトワスはいつも一緒にいるイメージなので、アカツキは意外に思っていた。
「行くって言ったんだけど、ルシフェルは信用できないから、おれは念のため此処にいろってさ」
無表情に、何でもない事の様にそう答える。
「なるほど。やはり地底の種族ですからね。セレステを前にして本能に逆らえず捕食するという事もあり得るでしょうね」
アカツキは納得した様子で頷いた。
「地底の種族って凄いですよね。元は人間なのに、捕食して姿形を変えるなんて……」
フェリシアが眉を顰めると、エメとニコールも頷いた。
「姿が変わる事より、私は、食べるって事に引いちゃうな」
「最初から魔物の姿をしているならまだしも、人間の姿で人間を捕食するって事だもんね……。ああーダメだ。ルシフェルがフレイク先輩を捕食してるとこ想像しちゃった。完全にゾンビじゃん!吐きそう!」
ニコールは、ウっと口を押さえ、ディートハルト本人とフェリシア、エメは眉を顰めている。
「ディート先輩、お茶に砂糖入れるッスか?」
女子三人が眉を顰めて話す傍らで、ディートハルトの隣に座ったジャックが、ニコニコしながらシュガートングで摘まんだ角砂糖を差し出す。
「ああ、うん、ありがとう」
「2個?」
「3個」
「了解ッス」
「何だか、後輩の彼らの方が、先輩に見えますね」
と、食事をしながら静かに見ていたアカツキが、悪気なく言う。後輩が先輩に尽くしていると言うより、先輩が後輩のお世話を焼いている様に見えていた。
「騎士科もI・Kも、環境的に嫌でも鍛えなきゃなんないし、ガタイのいい人間が多いからな」
その様な環境の中で、自分の見た目と体格が他人の目にどの様に映るのか、経験によって自覚しているディートハルトが、どうでもいい事の様に答えた。ディートハルトも低身長ではないが、オースティンとジャックはディートハルトより背が高く体格も良い。
「ディート先輩より俺達は年上なんで、年齢も関係あるかも」
ニコニコしながらジャックが答えた。
「うん。フレイク先輩は見た目が可愛いのに加えて、あたしたち全員1年後輩だけど、1歳年上だもんね。たった1つ違いだけど、なんかつい年上ぶっちゃうって言うか」
ニコールも笑顔を向ける。
「ディート先輩を見ると、何か実家にいる弟を思い出しちゃうんスよね」
自分と同じように金色の髪をした弟を思い出し、ジャックが言う。
「おい、お前ら、先輩に失礼だろ」
同級生の言動に眉を軽く顰め、真面目なオースティンが窘めた。
「えー、何で?オースティンだって、ディート先輩の事“可愛い”って言ってたじゃん」
「うんうん。あたしも聞いた!」
「う、い、いや、それは!馬鹿にしてるとか軽く見てる訳じゃなくて、客観的に見て、その、顔の造りに対しての感想で……」
「セレステは、皆さん中性的で見目が良いですからね」
オースティンが困っているので、アカツキが助け舟を出した。
「あーそうッスよね。ディート先輩も含めて、みんなやたら綺麗……」
ジャックが言い掛けて、途中で言葉を止める。すぐ横に座るディートハルトが驚いた様な表情をしていたからだ。その視線の先を追うと……。
「グラウカ!」
ディートハルトが勢いよく立ち上がった。いつの間に現れたのか、グラウカがバルコニーをこちら側に向かい歩いてくるところだった。
「お前、今までどこに……っつーか、いつの間にそんなところに!」
そう言いながら、すぐにホルスターからハンドガンを抜き銃口を向けた。グラウカが有翼でなければバルコニーの手摺り付近に降り立てるはずはなく、かといって、普通に階段を使ったのだとしても、出入口がよく見える位置に座っているディートハルトたちに気付かれずにテーブルの間を通過し現在彼が立つ位置まで歩いて移動する事は不可能だった。何故その場所にいるのかが全く分からなかった。
「!」
弾かれた様に全員が立ち上がってグラウカに注目し、戦闘が始まると予測したアカツキは離れた出入口近くに避難した。
「ランクX、ヤット見付ケタゾ」
黒い髪は汚れて束になりボサボサで、顔や手の皮膚にはあちこち傷が出来、色は青紫で瞳は灰色に濁り、白目部分は赤く血管が幾筋も走り充血して笑みを浮かべた姿で掛けられた言葉と声に、アカツキ以外、彼を知っているメンバーはギョッとしていた。その姿はもちろん、本来の彼の声とも違っていたからだ。聞き取り辛く、まるで聖地で戦った魔物の声のようだった。そして、ゆらりゆらりと不自然に体を揺らし足を引き摺るように近付いて来る様は、記憶にある姿とは全く違っていた。
「ゾンビ!?」
と、ディートハルトが言い、後ずさる。
「絶対そうッスよね!ヤベェ!やっぱいたんだ!」
ディートハルトと同じく、銃を構えていたジャックも、青ざめて怯んだ様に後退した。
「ゾンビって、あたし初めて見た」
ニコールはそう言ったが、オースティンと女子学生三人は怯む事無くグラウカを見据えてそれぞれ近くに置いていた剣を構えている。
「ゾンビな訳あるか!」
オースティンが言い、剣を構えたまま一人前に進み出た。ゾンビは創作作品のキャラクターで実在はしない。
「グラウカさん、自分から出頭してくれて助かりました。貴方も他のヴィドール人と同じ様に、一緒にファセリアに来て貰います」
冷静にそう告げて、グラウカに歩み寄る。
「オースティン、やめろ、喰われるぞ!」
ディートハルトと同じくグラウカがゾンビだと思っているジャックが、焦った様にそう言った。
「ジャックの言う通りだ、オースティン!どう見ても生きた人間じゃねえだろ!そいつに近付くな!喰われたらお前もゾンビになるぞ!」
ディートハルトがそう言った時だった。
「退ケ!」
と、グラウカがオースティンを手で薙ぎ払う。
「!?」
グラウカの手は、突然人間の手とは思えない程に膨れ上がって巨大化し、その形状もゴツゴツとしていてまるで聖地で戦った魔物の様な物へと変化していた。すぐにジャックがオースティンに駆け寄り、素早く引っ張ってグラウカから距離を取らせる。
「グラウカも地底の種族だったのか……?」
銃を構えたまま、眉を顰めてディートハルトが独り言のように言う。
「その可能性は低いでしょう。もしそうだったら、貴方やルシフェルを捕まえて研究対象にしてはいないのでは?」
冷静なアカツキがそう答えた。
「そ、そっか。だよな。……お前は、何なんだ?グラウカじゃないのか?」
真っ直ぐとディートハルトに向かい、ゆっくりと歩み寄って来るグラウカに、ディートハルトは尋ねた。
「私ハ、グラウカダ。君ノ兄サンダヨ。分カラナイノカイ?」
どう見ても、グラウカはゾンビに見えた。濁った眼は生きている様には見えない。
「グラウカは人間だったぞ?」
「進化シタンダヨ。アノ魔物ハ、私ヲ吸収シタ ツモリダッタ ミタイダガ、私ノ方ガ、奴ヲ乗ッ取ッテヤッタンダ!」
笑っている様だが、不気味なくぐもった音が辺りに響いた。薄く開いた唇の隙間から、人間のものとは思えない尖った黒い歯が並んでいるのが見える。
「ダカラ、オ前ヲ 喰イニ来タ」
「応援を呼んで来ます!」
と、アカツキが言い、踵を返し走り去る。
「それって、やっぱお前が乗っ取られてんじゃねえの?」
ゾンビの様な見た目は恐ろしいが、地底の種族の魔物に乗っ取られたグラウカだと思うと、少しはマシだ。ディートハルトは、グラウカに狙いを定めて発砲した。
パンッ パンッ パンッ
乾いた音が響き、グラウカの身体に命中する。
赤い血ではなく、人や動物等とは違う暗緑色の黒に近い液体が飛び散った。すると、グラウカの身体が大きく傾き蠢いたかと思うと、腕と同じく身体も大きく変化して、メキメキバキバキと音を立てながらその背に不格好な翼が現れた。
聖地で戦った魔物の姿に、赤く目を光らせた顔だけがグラウカのもの、といったグロテスクな姿になっていた。
「フレイク先輩、こいつは捕えずに、ここで倒しますか?」
I・Kであるディートハルトにオースティンが尋ねる。魔物なのか人間なのか不明の状態だが、一応、意思疎通は出来るようなので確認していた。
「ああ、倒そう。生きたまま捕えて連れ帰るのは、危険すぎる」
ディートハルトの言葉を聞き、オースティンが剣を構えるとグラウカに飛び掛かった。先程は不意を突かれたが、今度は相手の攻撃を上手く避けて斬りつける。
「オ前達ニ用ハナイ!邪魔ヲスルナ!」
グラウカが言い、魔物の様な咆哮を上げた。すると、バルコニーの手すりを超えて複数の魔物達が姿を現した。
「マジか!」
ジャックが突然現れた魔物達を銃で撃つ。グラウカと違い普通の魔物だったが、群れでどんどんバルコニーへとなだれ込んで来る。フェリシア達3人もジャックと共に魔物を迎え撃ち、それぞれ剣や術で交戦し始めた。
「おれ達より、自分を研究対象にした方が良かったんじゃないか?」
ハンドガンの弾が切れてしまったため、剣に持ち替えたディートハルトがグラウカに向かって言う。
「ソウダナ。オ前ヲ喰ッタラ、ソウサセテ貰ウ」
再び、笑う様な不気味な音が響き、並んだテーブルを弾き飛ばしながら、グラウカはディートハルトに向かい襲い掛かって来た。
「!」
ディートハルトが身体を捻ってかわしたところへオースティンが斬りかかり、魔物の羽の先を大きく削ぎ落した。
ガアアアア!!
鋭い声が上がり、同時にディートハルトも剣を振り下ろす。
ガツッ
手が痺れる強い衝撃と共に、剣の刃がグラウカの胴体に食い込んだ。頑丈な体に深い傷が出来るが、大きな腕で煩げに振り払われる。
「!」
弾き飛ばされたディートハルトは、石造りの床で背中を強打する寸前、受け身を取ってすぐさま体を反転させると左手を翳し術を放った。魔物の体ではなく人の姿を保っている頭部を狙ったため、グラウカの顔が大きな叫び声を上げる。直後に、オースティンが剣で同じ場所を狙った。
「!」
術と剣での続けざまの攻撃に頭部を激しく損傷したグラウカは、それでも笑う様な狂気に歪んだ表情を浮かべてディートハルトとオースティンを交互に見据えた。最早その姿は完全に人ではなかった。
『脆弱ナ存在ノクセニ、生意気ナ』
グオオオオオ
もう一度グラウカが吠えると、ジャック達4人が対応しきれていない魔物達が、ディートハルトとオースティンに向かって飛び掛かって来た。
「!?」
「!」
ディートハルトは咄嗟に魔物を蹴り飛ばし、オースティンは袈裟懸けに叩き切る。
「クソッ!こんな狭いとこに、どんどん湧いてきやがって!」
ジャックが吐き捨てる様に言う。その言葉を聞き、ディートハルトは近くにいるオースティンに向かって言った。
「場所を変える。多分、おれを追って来るだろうから下に誘導する!」
そして、翼を広げてバルコニーから飛び立……てたら良いのになぁと思いつつ、飛ぶことはできないため、翼の無いいつも通りの姿で魔物を避けて階段を目指した。幸い、今いるバルコニーは2階にあり、すぐ近くに階段もあった。予想通り、階段を駆け下りるディートハルトを追い魔物の一部がその後に続き、さらにオースティンがその後を追った。
一方、グラウカは身体が大きすぎて階段を下りられないため、苛立った様に咆哮を上げていたが、すぐにバルコニーから直接1階へと飛び下りた。ディートハルトを追わずにそのままバルコニーに残った魔物達は、ジャックとフェリシア達3人が引き続き相手をする。
「大丈夫ですか!?」
そこへ、バタバタと空の種族の兵達が姿を現して戦闘に加わった。アカツキに知らされ慌てて駆けつけた者達で、卵を守る際にもいたリッシュの姿もある。
「よし、片付いた。私達も一階に行こう!」
空の種族達が加わった事もあり、程なくバルコニーに残っていた魔物を一掃し終えると、フェリシアが同級生達を振り返った。
「先に行ってて。あたしは、コウサさん達に応援をお願いしてみる!」
ニコールがそう言って一人駆け出した。城内の一室に、シヨウと同僚の捕らえられているファイター達4人がいるはずだ。暇な日中はその辺をうろついている事も多いが、暑い国出身で寒さに弱い事もあり、室内にいる時間も長い。気温がまだ低い午前中の今なら部屋にいる可能性が高かった。
「城内にも魔物がいるかも!気を付けて!」
走り出したニコールの背に向かい、エメが声を掛けた。
「あ、良かった。皆さん集まってたんですね!でも……無事って訳じゃないみたいですね」
エメの言っていた通り城内にも魔物が入り込んでいた。
ヴィドール人達の部屋の前にいるはずの空の種族の見張りの姿はなかったため、ニコールが一番手前にあるピングスとラックの部屋の扉を開けてみると、惨状が目に飛び込んで来た。
閉ざされた窓の前には壊れた家具が山積みになり、床の上には4体の魔物の死骸が転がっている。その部屋の隅で女性研究員のロサと助手のウィンという若い女性が震えていて、長椅子の上には怪我をして横たわったもう一人の助手ラックという青年が、そして彼を介抱する様に傍らには研究員のピングスがいて、ファイター4名、レダスとバンダ、そしてコウサとチャドは見張りをするように窓際と扉近くに立っていた。
「一体、何が起こってんだ?」
部屋を訪ねたニコールに向かい、コウサが真っ先に声を掛ける。
「グラウカって人が襲って来たんです」
「は?」
コウサだけでなく、その場の全員が訝し気に眉を顰めた。
「あの人、地底の種族が進化したっていう魔物に喰われたみたいなんですけど、逆にその魔物の意識を乗っ取ったみたいで。この城に居るフレイク先輩、えっと、ラファエルさんを捕食する為に、魔物を引き連れてやって来たんです」
ヴィドール人達に分かるよう、ニコールは口早に説明した。
「貴女、名前を勘違いしてない?グラウカさんじゃなくて、ルシフェルがラファエルを捕食しようと襲ってきたんでしょ?長い黒髪の若い男の事よ?」
ロサが引きつった笑いを浮かべながら言う。
「いえ、違います。ランクAと呼ばれている地底の種族のルシフェルさんではなく、皆さんのリーダーで研究員のグラウカさんが襲って来たんです」
ニコールが間違っていない事を証明するため言い直すと、ロサは口をあんぐりと開けた。
「ちょ、ちょっと待て。じゃあ、この魔物、グラウカさんが連れて来たってのか?何てこった」
研究員のピングスが頭に手を当て、驚き呆れた様に言う。
「魔物と合体してゾンビみたいな姿になってます。今、そいつとラファエルさんが戦ってるとこなんです」
「ちょっとヤバイ、アレな上司だと思ってたけど、そこまで狂ってたなんて……」
口に手を当てたロサが嘆く。
「で?ファセリア兵達は僕達を保護するって言ってたくせに、放置なのか?」
ピングスが不満そうに言った。
「正規兵はラファエルさん以外、今この城にいないんです。学生もあたしを含めて5人しかいません。シヨウさんも不在です。だから、ファイターの皆さんも手を貸してくれませんか?」
ニコールの言葉に、ロサが「ダメよ!」と即座に首を振る。
「ファイターは、私達の身を守るためにいるんだから!」
「ヤバイ魔物になってるグラウカの目当ては、ラファエルなんだな?」
コウサがニコールに尋ねた。
「そうです」
「なら、ここには雑魚しか来ないだろ。ファイターが三人いりゃ充分だ。俺は加勢に行く」
コウサの言葉に、ニコールはパァっと明るい表情になる。一人でも戦闘慣れした味方がいるのは助かるからだ。
「助かります!」
コウサは肩を竦めると、早速言った。
「よし、行くぞ」
「あ、待ってください。怪我人の応急処置をします」
簡単な手当の仕方なら学生達は全員学院で習っていて、そのために必要なものも各自装備品として最低限持ち歩いている。ソファで怯えた表情をしている青年を放っておくことは出来ず、ニコールはソファの傍らに跪くと装備品のポーチの中から消毒液や包帯を取り出した。
「大丈夫ですよ、大した傷じゃありません。縫う必要もないみたいですし、これならすぐ治ります」
調べると、青年の傷は酷い物ではなかった。魔物に襲われた事に対する精神的ショックの方が大きかったらしい。
「ほ、本当かい?」
「はい。あたしたちは騎士科の学生なので、自分達が怪我を負う事は珍しくなくて見慣れていますし、処置の実習も日常的に受けているだけでなく、実際に経験もあって慣れています。知識も技術もありますから本当に心配ないですよ」
そう言って、ニコールは青年の上着を脱がせると、部屋に置かれていた水差しの水で傷を洗い、消毒液で消毒し化膿止めを塗布すると手早く包帯を巻いた。
「これで大丈夫です。騒ぎが収まったら改めてお医者さんに診て貰ってくださいね。これは鎮痛剤と炎症止めです。一錠ずつ服用してください」
「あ、ありがとう」
ラックは目を潤ませ尊敬のまなざしを向けて、ニコール礼を言った。
「お待たせしました、コウサさん」
その頃――。
「クッソ!このゾンビ、やたら硬い」
なかなか剣の刃が通らないため、ディートハルトが吐き捨てる。フェリシア達が合流し、ディートハルトとオースティン、ジャック、フェリシア、エメの合計5人で戦っていたが、未だ決着が付いていなかった。
グラウカが“乗っ取ってやった”というだけの事はあり、聖地で戦った魔物よりは知恵があるらしく、闇雲に襲って来る事はなく逃げたり防御に徹したりしつつ攻撃してくるため、非常に戦いにくかった。先程から全員で同じ場所を狙おうと、頭部を攻撃しているのだが、より一層グロテスクな姿になるだけで、大してダメージを与えられていなかった。
「防御力が異常に高いから、こちらの体力が消耗してしまいますね」
オースティンがディートハルトに言う。大きな怪我ではないが、グラウカの反撃を受けて皆傷だらけになっていた。
「やっぱ、このまま、一番無防備な頭だけ狙おう。脳はあそこにある?はずだから。……多分」
現在、虫と爬虫類を融合させたような体に、ホラー作品に登場しそうな不気味な骸骨が生えているといった姿になったグラウカだったが、生き物には見えないため、頭部を狙えばその動きを止める事が出来るのか、そもそも脳があるのかも自信がなかった。
「そうですね、了解です」
ディートハルトの意見に同意し、オースティンが早速術を放った。続けざまに、ディートハルトとジャック、フェリシア、エメが同じ術を使う。一度ではなく、力が続く限り撃ち続けた。威力の高い爆発を伴う術がグラウカの頭部で連続して炸裂し、その衝撃で、大きな巨体が吹き飛んで城壁にぶつかった。硬い物同士が衝突する凄まじい音が響く。
「やった!」
ジャックがいち早く声を上げた。グラウカはぶつかったままの姿勢で動かない。
ディートハルトは剣を手にしたままゆっくりとグラウカに近寄った。同時にオースティンが、いつでも対応出来るように術を放つため手を掲げている
「おい、グラウカ!」
声を掛けるが反応はない。
「やったか?」
小さく独り言を言い、ディートハルトは首を傾げているかの様に斜めになっていた髑髏を覗き込んだ。黒い眼窩の奥の目玉は失われ、先程まで灯っていた赤い光も見えない。
「!」
と、小さく悲鳴が上がった。
振り返ると、フェリシアが体を鷲掴みにされている。腕ではなく、誰も注目していなかった長い尾の先が手の様に開き彼女の身体を捕らえていた。
「クソッ!」
と、近くにいたオースティンが尾に向かい術を放つが、フェリシアごと尾を激しく振って避けられてしまう。
キィイイイン
耳をつんざくような高音が響く。
ディートハルトが、すぐ目の前にあるグラウカの髑髏に向け手を翳していた。宙に発生した光の玉は急速に大きく膨れ上がっていく。
「私ニ喰ワレロ。ソウデナケレバ、娘ヲ殺スゾ」
聞き取りにくい呻きの様な声が響く。
「彼女を放さないと、おれがお前を殺す」
逆にディートハルトはグラウカを脅し返した。すると、フェリシアが苦しそうな声を上げる。グラウカが握り潰そうとしているからだ。
「待て!」
ディートハルトは慌てて手を下ろした。大きくなっていた光球は、一瞬で蒸発した様に消えてしまう。グラウカは笑うと、ディートハルトを腕で薙ぎ払った。
「っ!」
至近距離で攻撃されたため、城壁近くの木の幹に激突してディートハルトが呻く。グラウカの巨大な手が当たった左半身に衝撃を感じた直後、今度は幹に打ち付けた右半身に激痛が走る。どこか骨が折れたかもしれない。ディートハルトはそう思った。
グラウカの攻撃を予測してすぐに立ち上がろうとするが、痺れた腕と脚に力が入らず崩れ落ちてしまう。グラウカは尾でフェリシアを掴んだまま大きくジャンプし、ディートハルトのすぐ近くに着地した。鼻歌でも歌っているのか、不気味な音が妙なメロディーを奏でている。
「ランクX、イヤ、ランクAAAヲ手ニ入レタゾ!」
グラウカは、痛みで動けないでいるディートハルトを大きな手で掴んだ。ポタリポタリとディートハルトの右頬を伝った赤い血が地面に落ち、グラウカは感極まった様子で大きく吠えた。崩れずに残っていた髑髏の下の方から長い舌が伸び滴る血を掬い、笑う様な声を上げる。
「クソッ……」
ディートハルトは何とか右手を上げ習ったばかりの風の術を使おうとするが、すぐにグラウカは脅すようにフェリシアを掴んだ尾を振って見せた。
オースティン、ジャック、エメの3人も、ディートハルトとフェリシアを捕らえられているため、動く事が出来ないでいた。
「フェリシアを、早く、助け出せ!」
ディートハルトは顔を上げると、近くにいたエメとジャックに向かいそう言った。二人は弾かれた様に尾の方へ走る。グラウカの方はディートハルトを手に入れたからか、フェリシアへの興味は失ったようで、3人の学生に尾を攻撃されるとあっけなく解放した。
「!」
オースティンが落ちて来たフェリシアに駆け寄り抱き止めてキャッチすると、そのまま担ぎ上げてグラウカから離れる。
「ディート先輩!」
ジャックが叫び、掴み上げられているディートハルトを救おうと剣で斬りかかるが、グラウカは逆の腕でジャックを払い除け、勝ち誇った様に笑った。
『え、そっち?』
その場にいた全員がそう思った。くぐもった笑う様な音が発せられたのは、今まで話していた髑髏の口の部分ではなく、魔物の上部……ゴツゴツした塊のてっぺん付近からだった。額なのかは分からないが、とにかく上の、人で言うなら眉間の様な位置がぽっかりと丸く開き、中には四方八方から鋭利な歯なのかトゲなのかが無数に並んでいる様子が見て取れる。恐らく、そこも口なのだろう。その場所へ、グラウカはディートハルトを放り込もうと持ち上げた。
「クソッ!」
ディートハルト本人は両腕ごとガッシリと掴まれ身動きが取れないため、学生達が剣や術で攻撃して阻止しようとする。その攻撃は全て当たり、増えるグラウカの傷からは黒い体液らしきものが吹き出していてグラウカは煩わしそうに身を捩っているが、ディートハルトを放そうとはしなかった。
「!?」
そして、とうとうグラウカは自分の腕ごと額の穴の中にディートハルトを押し込んだ。
「やめてっ!!」
「ディート先輩!!」
同時にエメとジャックが悲鳴を上げ、フェリシアとオースティンは、諦めず攻撃を続けた。
逆さまになり、霞む目でポッカリと空いた穴を見上げながら、ディートハルトはエトワスの事を考えていた。“助けて欲しい”なのか、“もっと一緒にいたかった”なのかは自分でも分からないが、とにかく彼の姿を強く求めていた。
「!」
突然、辺りが一瞬稲妻の様な青い光に包まれた。
「あ……」
学生達が目を丸くする。頭上から、複数の空の種族達が舞い降りて来たからだ。剣や槍を構えた空の種族の兵達が一斉にグラウカに飛び掛かる。
「!」
しかし、既にディートハルトを呑んでいて手が空いていたグラウカは、煩い虫でも振り払うように空の種族達を叩き落とし、無造作に掴むと次々と口に放り込んだ。
「いけない……!」
小さな声が聞こえ、再び周囲が青い光に包まれ何度か点滅する様に強く光る。地上に舞い降りたのは空の種族の王、スーヴニールだった。地上の種族である学生達には何が起こっているのか理解できなかったが、グラウカの体の中の一か所が青く点滅しているのが分かる。
「オオ!ココニモ、新タナ ランクAAAガ!」
笑う様に言い、グラウカがスーヴニールに腕を伸ばした。
『マズイ!』
オースティンとジャックが同時にグラウカに術を放ち、グラウカの一つの腕を打ち落とす。
「この、化け物め!」
新たに空から舞い降りて来たレミエルが何か風の術を使うが、その澄んだ青緑の光で覆われたスーヴニールは、魔物の無事だった方の腕で掴まれたままで、そのまま呑みこまれてしまった。
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