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LAZULI  作者: 羽月
7/74

7青の封印 ~忘却1~

 「おいっ、目を開けたぞ」

「グラウカさん!起きましたよ!」

最初に耳に飛び込んできたのは、仲間を呼ぶ若い男の声だった。


………………。


視界に入る自分を取り囲んでいる男達も、その背後に見える天井も見知ったものではない。しかし、今の彼にその事実は何も意味をなしていなかった。”こいつらもこの場所も知らない”ただそう感じただけで、それ以外の思考に結びつかず、自分の置かれている状況を把握するに至らなかったためだ。

「やっと、目が覚めたか」

男達のリーダーらしき黒髪の人物がゆったりとした足取りでやって来て、彼を覗き込むとそう言って笑った。しかし、端から見れば人好きのしそうなその笑顔も、今の彼――ディートハルトには、非道い不快感を与えた。

「……」

微かに表情を曇らせ、ディートハルトはまだぼんやりとしている思考を呼び覚まし考えようと努力した。

『おれは……どうしてここに?……ここ?……ここは、どこだ?』

どうしても、何処なのかが思い出せない。

『おれの部屋じゃない……』

住み慣れた学生寮ではない事に気付いた。

『……こいつらは……?……エトワスと翠は……何処に……?』

続いて、周囲の人間が知らない相手である事にも気が付いた。

「君には尋ねたいことがあるんだ。起きてもらおうか?」

そう言いいながら、やはり微笑を浮かべたまま黒髪の男は腕を伸ばした。

「おれに、触るな!」

ディートハルトは、助け起こそうとした黒髪の男の手を払いのけ、ゆっくりと体を起こした。ようやく、だんだんと記憶がはっきりしてきていた。

『……ああ、そうか。エトワスはいないんだった……』

まず、最初に思い出したのはその事だった。絶望感に近い悲しい思いが心を沈ませる。次に、翠やヴィクトールと共に隣国ロベリア王国へ行き、その城下町で一人休んでいた時に知らない男達に囲まれ急に苦しくなったことも思い出し、その直後から記憶が途切れていることにも気付いた。今周囲にいる男達の中に見覚えのある顔があるため、どうやら自分はそのままその時の男達に捕らえられてしまったようだった。

『おれは、捕まったのか……。情けねーな……』

記憶が鮮明になって来るにつれ、気分は最悪になっていく。そしてそれは次第に冷たい怒りへと変わっていった。

「……テメェら、おれをどうする気だ?」

今までただの硝子玉のように生気のなかった瞳に突如冷たい怒りの色が浮かび、微笑んでいた黒髪の男も思わず表情を固くした。

「我々と共にヴィドールへ来てもらう。君はラズライトに共鳴したからね。色々調べさせてもらうよ」

きつい視線にも怯むことなく淡々と語る黒髪の男に、ディートハルトは眉を寄せた。目眩がした。余程たちの悪い風邪でもひいてしまったのだろう。相変わらず体が重かった。それに加え今のこの状況だ。賞金首としてアーヴィングの元へ差し出されようとしているのではないという事だけは理解できたが、男の言っていることの意味自体全く分からない。その訳の分からない理由で、妙な者たちに自分はヴィドール国へ連れて行かれようとしているようだ。しかも”色々調べる”などと気持ち悪いことを言っているではないか。

「……らず……らいと?……って何だ?」

半ばどうでもいいと思ったものの、訳の分からないことを言われっ放しでいるのも癪にさわるため尋ねてみた。

「なるほど。自覚はしていないのか」

男達は、何やらディートハルトには理解出来ないことを囁き合いながら興味深げに頷きあっている。

「何だって聞いてんだよ!答えろ!」

苛立ったディートハルトは、男達を睨み付けて言った。

「短気な奴だな。君たちの住むファセリア大陸では知られていないようだが、ラズライトというのは古代の遺跡から出てくる石だよ。”空の石”と呼ばれている」

「で、それが何だってんだ?」

やはり男達の言っていることが理解できず、ディートハルトは不審気に尋ねた。

「”空の石”は古代に空に住む種族が使っていたという石だ。さっきも言った通り、その石に共鳴したということは、君は“空の種族”かその亜種、もしくは空の種族の天敵だった”地底の種族”ということになる。君の場合酷く苦しんでいたようだから、”地底の種族”ではないかと思っているんだが。まあ、我々としては……」

「ちょっと待てよ!何の話してんだ?何言ってんのか全然分かんねえよ。ってゆーか、石に共鳴とか、空と地面?とかテメエそれ本気で言ってんのか?馬鹿じゃねえ?頭大丈夫かよ??」

ディートハルトは、四面楚歌だという状況を全く理解していないのか、ただ単に神経が図太いだけなのか、心底馬鹿にした様子で目の前の黒髪の男を見上げた。

「……まあ、知らないなら仕方がないな。ヴィドールに着けば分かるだろう」

黒髪の男はムッとした様子だったが、ここでカッとなっては大人げないと思ったのだろう。フッと表情を崩して笑った。そして、見るからに戦闘員といった感じの体格のいい男2人を残しディートハルトに背を向けた。

「帝国のインペリアル・ナイトさんの話し相手にでもなってやっててくれ」

「……冗談じゃねーぜ」

立ち去りかけた黒髪の男の背後でディートハルトが低く呟く。

「!」

いち早く気配を察し、ディートハルトの話し相手を申しつけられた男二人が飛びかかった。しかし僅差でディートハルトは彼らをかわすと、ちょうど扉の前で振り向きかけていた黒髪の男を力任せに蹴飛ばした。その男はドアノブに手をかけていたところだったため、扉はそのまま勢い良く開き、男の方も部屋の外の床に叩きつけられた。そして被害者が状況を理解する間もなく、加害者の方は彼を飛び越えて走り去って行った。

「う……早く捕まえろ!」

痛む顎を抑えながら、黒髪の男は呻くように命令した。


『ふざけやがって!!』

窓らしきものも別の通路も見当たらなかったので、ディートハルトは目の前に続く階段を駆け上がった。しかし、一体ここはどこなんだ?という漠然とした思いが完全に疑問となる前に、彼は足を止めることとなった。

「マジ……かよ……」

半ば茫然として呟く。階段を上りきったとき視界に飛び込んできたのは、ロベリア城内でもその城下町の風景でも無かった。ただ青一色の……正しく言えば、水色と紺碧の空と海だけがそこに広がっていた。

「…………」

船縁に近寄り四方を見渡す。男達に捕まったのは長くても数時間前のことだと思っていたのだが、それは間違いだったらしい。陸地らしきものは全く見えず、単調な景色はまるで世界の果てまで続いているかのようだ。ディートハルトは思わず暗い気分になりかけたものの、その思いを振り払い必死で対策を練った。

『ここはこのまま大人しくしてて、ヴィドールに着いてから隙を見て逃げ出してファセリア大陸行きの船に乗れば……』

浮かんだ甘い期待は一瞬にして崩れ去った。

『財布が無い!……ということは、乗船券が買えない……』

ディートハルトは、そう思うとすっかり落胆してしまった。密航しようとは考えないところが、翠達と違い真面目だったりする。

「!」

その時、やっと駆けつけてきた男二人にディートハルトは取り押さえられた。

「大人しくしやがれ!」

「狭い船内で暴れてもらうと困るな」

続いて、そう言いながら顎が赤く腫れた男も姿を現した。

「痛ぇだろ!」

丸腰の少年兵だと高を括っていた考えを改めたのか、男二人はがっしりと必要以上の力でディートハルトの腕を押さえつけている。しかし、ディートハルトの方はもう逃げ出そうとはしなかった。逃げようが無いことが分かったからだ。それに、動き回る体力もなかった。気落ちしてしまったせいで余計体が重くなったような気もする。

「状況が理解できないわけではないだろう?ファセリア大陸には帰れないよ。君は、我々に協力せざるを得ないんだよ。仲良くやろうじゃないか?」

ゆっくりと教え諭すようにそう言うと、黒髪の男は微笑した。


* * * * * * *


「あ~……何か気持ち悪い、かも……」

ディートハルトを追って、翠とフレッドの2人がヴィドール行きの船に乗り込んでから2週間程が過ぎていた。先輩I・K達のアドバイスに従った計画を実行した結果、まず港で働く人物と親しくなり、その人物の協力を得てロベリア人の船長と知り合う事ができて船に乗せて貰える事になった。二人がヴィドールへ行きたい理由は、『幼馴染で家族同然の友人が、突然何も言わずにヴィドールに行ってしまったので心配だから捜したい』と、話してある。制服のせいで二人がファセリア人だという事はバレてしまっているが、自分達は今年学校を卒業したばかりの新人I・Kだという事を説明し、『就職するのと同時に主を失い仕事も失ってしまった身だ』と伝えたら、それで納得して貰えた。何故制服を着たままなのかという船長からの質問に対しては、『皇帝代理に賞金首とされていて、捕らえられそうになったところを着の身着のままでロベリア王国まで逃げて来た』と答えたのだが、これも信じて貰えた。そして、そのヴィドールへ向かった“幼馴染”も、一緒にロベリア王国へ逃げて来たところだったのだが、一人だけ急に姿を消してしまったという設定だ。この設定のお陰で、所持金は少ないだろうと判断されたのか、船長は金を取らずに船に乗せてくれた。こうして無事乗船できる事になったのだが、やはり賞金首のI・Kだという事は知られない方が良いだろうと言う船長の判断で、他の船員達には見付からない様に、隠れて乗船させてもらう形になっている。

「逃げ場がないから、どうしようもないよね」

少し顔色の悪いフレッドにそう返し、翠はハンモックに揺られつつ、船長が『暇だろうから持って行け』と渡してくれた雑誌をパラパラとめくって眺めていた。クロスワードパズルの雑誌だったのだが、面倒くさいのと内容がロベリア王国に関する事が多くよく分からないため、単に誌面を視線が滑ってるだけといった状態だ。

船長が用意してくれた場所は荷物を載せている船倉の一角にある食料庫だった。そこへ食材を取りに来る料理担当の船員も船長から話を聞いていて翠達の事を知っていて、一日二回、食事や飲料水の差し入れをしてくれるため割と快適に過ごせている。ただ、少しは恩を返さないと悪いと思ったため、調理の下準備として野菜の皮むきなどは手伝っていた。

「だけどさ、船、苦手だったんだ?」

「いや、酔ったのは今回が初めてだよ。つっても、船に乗る機会なんてこれまでにあんま無かったけどな。……学生の時、ギリア地方であった試験の時以来かな」

「あ~、あの騒動があって打ち切りになった試験の時ね。オレは待機してただけだけど、最初の2グループが大変な目に遭った」

翠は、二年生の学年末試験の事を思い出していた。その時、帝国北のギリア地方にある小さな無人島で実戦の試験が行われた。ギリア地方はファセリア大陸の北に位置する島で船で行き来されているのだが、試験会場はその海峡に浮かぶ島の一つだった。

「そうそう。俺とエトワスは二番目のグループでまだ良かったけど、一番目のグループだったフレイクとバルサムが死ぬとこだったんだよな」

「バルサムは、マジでヤバイレベルの重傷を負ってたもんね」

その時、試験会場となった島の遺跡内に棲みついていた大陸では見られない魔物に襲われ、バルサムという名の同級生とディートハルトが怪我を負い、教官一人は殺されている。

「ああ。だけど、フレイクも相当ヤバかったんだ。聞いてないのか?」

そう言って、フレッドがハンモックの上で体を起こす。

「魔物に殺られそうになってた寸前で、ほんと間一髪!ってタイミングでエトワスが助けたんだよ」

「は、マジで?初耳だけど」

翠は目を丸くして、雑誌を置くとフレッドに目を向けた。確かにその時ディートハルトも怪我を負って戻って来たが、その様な話は聞いていなかった。

「最初に試験を受けたグループ内で、フレイクとバルサムだけが逃げ遅れた状態になっててさ……、いや、実際には、他の奴らが魔物に襲われたバルサムを見捨てて逃げ帰ったのを、フレイク一人だけが逆に助けに向かったってのが正しいんだけど。で、フレイクはバルサムを助け出したんだけど、魔物を倒す事は出来なくてさ、結局、自分が魔物に捕まっちまって、今度はバルサムの方がフレイクのために助けを呼びに行こうとしてたんだよ」

話しているうちに船酔いの気分の悪さも和らいできて、フレッドは瓶に入った飲料水で口を潤すと話を続けた。

「その時、あいつらの後のグループだった俺とエトワスとジェスも遺跡の奥に入っててバルサムとフレイクを探そうとしてたとこだったから、すぐバルサムには会えてさ、酷い怪我をしてたバルサムはジェスがそのまま連れ帰って、俺とエトワス二人でフレイクのとこに駆けつけたんだ。そしたら、デカイ人型の魔物がフレイクの首を掴んだ状態で殴り殺そうとしてるとこだった」

「それで、ギリギリ間に合ってエトワスがその魔物を倒したんだ?」

翠の言葉にフレッドが首を横に振る。

「倒してはいない。エトワスの剣で刺されたからフレイクを放したってだけで。俺も銃で撃ったんだけど、それでも倒れなくてさ。一応隙を作る事はできたからフレイクだけ連れて何とか三人で逃げたんだ。その後もしつこく追いかけられてさ、しかも新手の魔物まで増えてかなりヤバかったんだけど、教官と他のグループの奴らが大勢駆けつけてくれたから形勢逆転出来て、あとは知っての通りだよ」

「すぐに島から全員退避して、試験は途中で打ち切りになったよな」

「ああ」

フレッドが頷く。

「想定してたのより魔物の数も多いし強い奴もいて、最初に試験を受けた学生の一部が怪我をしたから試験は打ち切りになった……って聞いてたけど、そんな事があったんだ。教官が一人死んだってのは噂になってたけどな」

試験はグループ毎に別れて順に受ける事になっていたため、後ろの方のグループだった翠達は、安全な場所で順番を待ち待機していて、実際に試験会場で何が起きていたのか詳しい事は知らなかった。

「何だ。エトワスに聞いたかと思ってた。……そうか。エトワスは、やっぱフレイクの事を気遣って話さなかったんだな」

フレッドが納得したように頷く。

「だけど、あの魔物はマジでヤバかった。二度と会いたく……!?」

苦笑いしてフレッドが言いかけた時だった。突然船が大きく揺れた。ガツッという鈍い音と共に衝撃があったところをみると、ただ波に揺られただけという訳ではなさそうだった。

「何だ?座礁でもしたのか?」

そう言いながら翠は周囲を探るように視線を向ける。

「えぇっ?いや、だって、こんな海の真ん中で?」

「だよな。じゃあ、魔物かも?」

と、ワーワーと何やら人が騒ぐ声が聞こえ始めた。甲板に大勢の人が集まり始めたらしい。本当に座礁したのかもしれない。まずいな。そう二人が思いかけたときだった。

「クロノ海賊だ!早くあいつを連れてこい!!」

遠くからこのような言葉が聞こえてきた。

「クロノ海賊?」

フレッドも船酔いをすっかり忘れ騒ぎに聞き耳を立てている。

「海賊つったよな?マズイんじゃないか?俺達も見付かったら殺されるかも?」

「そんな簡単に殺される訳にはいかないって。I・Kなんだし、ディー君を助けなきゃだし」

そう言って、翠がハンモックを下りる。

「状況確認に行ってみようか」


「ああ、“黒の”海賊か。なるほどね」

こっそりと物陰に身を隠し、様子を窺いながらフレッドが呟く。先程の衝撃は、別の船がぶつかってきたのが原因だったようだ。ピッタリと横付けにされた船から、地味な無彩色の服を着た者達がゾロゾロとこちら側の船に乗り込んできている。

「でも、海賊のイメージとは何か違うな?」

フレッドが首を捻った。海賊といえば、もっとこう野性的な荒くれ者達で、手下は汚れたボロボロの服を纏い、その一方で船長は洒落た格好をして大きな宝石などの装飾品を身に着けて、肩には派手なオウムや猿を乗せている様なメージなのだが、“黒の海賊”という者達は、皆日に焼けた逞しい体をしてはいるが野性的という程でもなく、服装もボロボロだったり酷く汚れたりはしておらず、衛生的な服を纏い商船や漁船の船員といった風体をしている。

「へぇ。オレの勘は当たってたのか」

黒の海賊の指揮を執っている者の姿を目にした翠は、ニヤリと笑った。短い黒髪をしたその人物が、翠がロベリア王国の港近くの酒場前で言葉を交わしたあの女だったからだ。

「勘って?」

「いや、あのリーダーっぽいお姉さんさ、こないだロベリア王国で見掛けててちょっと話もしたんだよ。船乗りっぽいなーって思ってたんだけど、当たってた」

「は?マジで?」

次々と船に乗り移った黒の海賊たちは、翠たちの乗った船の船員が右往左往している間に素早く船室の方へと散らばっていった。海賊ならば、近くにいる者から容赦なく殺害していきそうだったが誰一人そうする者は無かった。それぞれ武器は手にしていたが、人には目もくれず相手に襲い掛かる事はない。まるで何かを探しているかのようだった。そして、翠がロベリアで出会った黒髪の女は自分の船の船首に立ち、時折指示を与えながらその様子を眺めている。と、急に黒の海賊達の間に動揺が走った。

「やあ、ブルネット。生きていたのかい?しぶといな……。でもまあ、会えて嬉しいよ。と言っても、少々ぶしつけな訪問だが」

そう言いながら、翠達の乗った船の船室から甲板へ姿を現したのは、やはりロベリア王国の同じ場所で翠が目撃した、派手な赤い服を着た男だった。

「うわ、マジで?あいつまでいたのか!」

翠は思わず笑ってしまった。彼は、確かヘーゼルと呼ばれていたような気がする。そしてまた、彼の方も海賊と呼ばれていた。

「ヘーゼル!?……まさか、この船にお前が乗っているとはな」

ブルネットと呼ばれた女は、驚いた様子でそう言った。彼女の唇は、何故か意味ありげな笑いの形に歪められている。

「何か、因縁の相手って感じだな」

フレッドが言う。

「これは、友人の船でね。残念だけど、君を招待した覚えはないから大人しく帰ってもらおうか?」

緩い笑みを浮かべるヘーゼルとは対照的に、ブルネットは冷たく言い放った。

「誰の船だろうが関係ない。捜しているものが見付かるまでヴィドールの船は調べさせて貰う。お前には関係の無い事だ。邪魔をするな」

「おい、大丈夫なんだろうな?」

ブルネットには聞こえない程度の声量で、ヴィドール人らしき男がヘーゼルに不安げに尋ねている。翠とフレッドはそのすぐ傍らの木箱の影で、事の成り行きを見守っていた。

「当たり前だろう。誰に言ってる?」

ヘーゼルは余裕の表情でそう答えると、赤い小さな球を取り出して海の中へ投げ込んだ。

「あいつ、よっぽど赤が好きなんだな」

フレッドがそう呟く。それは、ただのボールに見えたのだが、水面ギリギリで発火して水の中に入った途端強く光ったかと思うとすぐに消えた。

「不発だったのかな?」

翠が言う。しかし、それは合図だったのだろう。突然大きく海がうねり船が揺れた。そして、その直後に海の中から勢い良く飛び出してきた何かが甲板にバラバラと落ちてきた。

「っ!」

フレッドは、思わず上げそうになった声を、口を押さえてかろうじて堪えた。それは、派手な赤と青と黒の縞模様にトサカのような鰭がついている1メートル程の長さの海ヘビだった。良く見ると、腹部に小さな無数の足が生えているため、ヘビではなく海に棲息する魔物なのだろう。

「なんつー気持ち悪さ……」

フレッドが、思いっきり眉を顰めている。甲板を不気味に飛び跳ね噛みつこうとする夥しい数のヌルヌルした生物に、黒の海賊たちだけでなく元々この船に乗っていた船員たちも慌てふためいて逃げ惑う。しかし、しばらくすると、その生物が黒の海賊達のみを狙っていることが分かった。

「さぁて。君にはこれじゃあ物足りないだろうからな。特別なのを用意してやろう」

ブルネットに向かってそう言いながら、ヘーゼルは再び海に向かって球を投げ入れた。やはり赤い球だったが、今度のものは倍程の大きさがあった。

「!?」

二度目に現れた海の生物は、大波を立たてながら登場しただけでなく二隻の船を大きく軋ませた。

「おお。でっけーイカ……」

「タコじゃねえ?あれ、食えるかな?」

足だか腕だか分からない、吸盤の並んだ大きなものが海から生えるように複数出て来て船の上で暴れている。

「そりゃ、食えるでしょ。イカでもタコでも」

「ちょっと待てよ。1、2、3……ああ!間を取って来やがった。足、9本だよ!結局どっちか分かんねえ!」

フレッドが悔しそうに言う。

「どっちでもないんじゃね?吸盤に付いたトゲトゲした歯みたいな奴が、何かガリガリ食ってるし……」

翠の言う通り、吸盤一つ一つに付いた鋭利な歯の様なパーツは、足だか腕だかが巻き付いた対象……船縁や木箱などに齧りつき咀嚼しているようだった。ただ、それ程力は強くないのか、対象を大きく破壊し噛み砕くなどといった事はなく、その表面を削り取る程度に慎ましく食べている。それでも、その対象が人間などの生物であれば怪我はしそうだった。

「うっわ、気持ち悪っ!」

「っつーか、派手なのか地味なのかよく分かんねえな。まあ、塵も積もればで船にもダメージになるとは思うけど」

物陰に身を潜めたI・K二人組は呑気な傍観者でしかなかった。一方、そのイカの様な魔物の標的となったブルネットは、翠達が乗っている船の甲板へと触手で叩き落とされてしまった。

「あ、ブルネットちゃんがピンチ。よし、ヒーロー登場!ってね」

そう言いながら、翠は『よいしょっ』と、物陰から出て行こうと立ち上がった。

「あれ?」

しかし、ヒーローの登場は必要なかったらしく、黒の海賊の船からブルネットの元へ数人助太刀が現れた。長剣を手にした二人の剣士は、海賊や船乗りと言うよりも翠たちのよく見知った帝国の兵士のような雰囲気だった。というより、むしろ知っている人物のようにも見える。

「……な、なあ、キサラギ。ユーレイって信じる……?」

掠れかけた声で、フレッドがそう尋ねた。

「……他人の空似ってのは、信じるかも」

翠もフレッドと同じ思いでそう答えると、二人は顔を見合わせた。そして再び視線を元に戻す。

「いや、だって……でも何で?」

フレッドが呟く。魔物相手に剣を振るっているダークブラウンの髪をした青年は……。

「……とりあえず、加勢しねえ?」

「そうだな」

近くまで行けば、確かめられるだろう。そう考えた二人は剣を抜くと、やっと物陰から這い出した。

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― 新着の感想 ―
ディートハルトは真面目なんですね。密航なり、金品を他で奪うとか色々できそうなのに……。 赤い球はなんでしょう? 魔物呼びの効果があるのかなぁ……。 イカとタコの中間は微妙ですね〜。 それにその魔物と戦…
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