69空の都アズール ~脱ヒナ~
翌日――。
ディートハルトの提案通り、グラウカを城におびき寄せるための噂が流される事になった。その具体的な内容は、『現在、このアズール大陸に正常に使える扉は城にしかなく、その扉を開く鍵はラズライトの双眼を持つラファエルのみ』である事、そして、『ラファエルは近日中に地上に戻る予定(次にいつアズールを訪れるかは不明)』というものだった。ただ、レミエルの提案で、噂を広めるのは地上人達よりも城内で働く空の種族達に協力して貰った方がそれぞれ知り合いもいるため効率がいいだろうという事になり、地上人達は城に待機して噂が広まるのを待つ事になった。
また、扉と道が安定している事も確かめられたので、ディートハルトも含めたI・Kとエトワス、そしてスーヴニールの話し合いの末、グラウカが城に姿を現すのを待つのは噂を流した日の翌日から数えて3日間として、4日目の朝にはI・Kと学生達5人は地上に下りる事になった。一度に全員が地上に下りないのは、ヴィドール人達をウルセオリナまで連れて行くのに馬車等を使う事になるので、まずはそれらの準備をするためだった。エトワスとシヨウ、そして残りの学生5人は、準備を待ちヴィドール人達と共にそのままアズールに待機する事に決まった。
地上人達が残り数日となったアズールでの時間を自由に過ごす事になった一方で、ディートハルトだけはセレステとして身に着けなければならない事を、城のセレステ達から学ぶ事になったのだが……。
「マジか……」
ディートハルトは顔面蒼白で佇んでいた。
数メートル下の地面には、エトワスや翠、フレッドだけではなく、他の暇なファセリア人達とファイターに加え、城内で暮らすセレステや城内で働いている空の種族達も沢山集まり頭上を見上げている。その大半は野次馬だった。
「子供たちは皆ここで練習するんだ。大した高さじゃないだろう?」
ディートハルトから少し離れた背後に、腕組みしたレミエルが立っている。ディートハルトは現在、ちょっとした高さの崖の上にいた。
「そういう問題じゃねーよ」
ディートハルトにとって高さはあまり問題ではない。高所恐怖症ではないからだ。
「……」
真下に広がっているのは青い水面だった。細い水が流れ落ちる場所……滝壺だ。流れ落ちる水量はチョロチョロチョロチョロといった具合だが、その滝壺は深い。練習場として人工的に作った場所のようで、崖とはいっても高飛び込み用のプールの飛びこみ台のように足場が張り出していて、自然の崖の様にぶつかったら危険なゴツゴツとした岩壁も無い。そして、眼下の水は非常に澄んでいて青く、底には真っ白な砂が溜まっているのが目視出来る。もちろん水の中はプールの様に何の障害物も植物の様な物も無く、魚等の生き物もいないようだった。少なくとも、落ちたとしても怪我をしたり植物に絡みつかれる等といった危険はなさそうだった。
「何かビビッてねえか?あいつ、高いところは平気だよな?」
腕組みをしたシヨウが意外そうに言う。ヴィドール国にいた頃の“ラファエル”は、ラビシュのセンタービル内の誰も近付かない危険な最上階によく一人でいた。あのビルの高さに比べたら、今彼がいる崖の高さなど2階建ての建物の屋根の上程度なので大したことはないはずだ。
「高いところはな」
エトワスが頷くと、彼に並んで上を眺めていた翠がのんびりと言う。
「飛べたら問題ないんだけど、落ちたらマズイんだよね」
「でも、下は深いプールになってるし、死にはしねえだろ」
「まあな」
エトワスはシヨウに答えながら、着ていた上着とシャツだけでなく靴まで脱ぎ始めた。
「翠も、備えててくれ」
「はいはい」
初めからそうなる事を予想していた翠は、自分もI・Kの装備を外し始める。
“お前ら、何やってんの?”といった視線をフレッドが向け、近くにいる女子学生達は、フェリシアは不審げな目で眺め、エメは“キャーッ”といった反応を示していた。ニコールは“どうしたのだろう?”と単純に不思議そうに見ている。
「あ、もしかして、フレイクって泳げないんだ?」
フレッドが気付いてそう言うと、周囲のI・Kや学生達は「ああ、なるほど」と、驚いた様子も無く納得したようだった。帝国の精鋭部隊と言われるI・Kであろうとディートハルトなら実は泳げないと言われても意外ではない。
その頃、崖の上では……。
「ほら、早く飛んでみろ」
しびれを切らした様子でレミエルが促す。
「だから無茶言うなよ!羽なんてねえのに!」
崖の端近くに立ち、振り返ったディートハルトがキッとレミエルを睨み付けた。本人の言う通りその背に翼はない。
「何度も言っているだろ?休眠を終えたんだから意識すれば翼は現れるし、そうでなくても、お前は空の種族だから、飛び降りて危険を感じたら無意識に翼は必ず現れるんだ」
「……」
100%疑いの目で見て来るディートハルトに、レミエルはフンと鼻を鳴らした。
「往生際が悪いぞ!」
と言いながら無理矢理背中を押す。
「何しやがあーっ!」
足場を失い、悲痛な声を上げディートハルトは落下した。レミエルの話した通り、水面に到達する前に翼が……
現れず、大きな水飛沫が上がった。
「落ちた?」
ディートハルトとは対照的に、翼を広げ崖の上を飛び立ったレミエルが不思議そうに首を傾げる。
予め待機していたエトワスがすぐに水に入って潜り、ディートハルトを岸まで抱えて泳ぐと、同じく準備していた翠に速やかに水から引き上げられ、ディートハルトはゴホゴホと咳き込んだ。
「信じらんねえ!押すなよ!」
水と涙と鼻水を手の甲で拭い、ディートハルトがレミエルを見上げて睨み付け抗議する。
「フレイク先輩、この寒いのに気の毒になぁ」
「ディート先輩、可哀相に……」
等と、見物していた学生達が憐れんだ表情でヒソヒソと囁き合っている。
「何故、翼が現れない?」
全く濡れる事無く、フワフワと水面の上空に浮いているレミエルが、心底不思議そうにディートハルトに尋ねた。
「知らねえよ!」
「ラズライトの瞳を持たないセレステは存在するが、翼を持たない空の種族など聞いた事もないぞ。よし、もう一度試してみよう」
「飛べなくても問題ねえし、もういいよ」
ディートハルトが眉を顰める。別に翼など無くても全く何の支障はない。それに、すぐにまた地上に下りてこれまで通り生きていくのに、翼があっても意味は無い。
「ヒナのままでいいのか?」
ディートハルトは拗ねた様にプリプリしていたが、レミエルの一言は効いたようだった。
「やってやるよ!」
と、濡れて重くなったI・Kの上着を脱ぎ棄て、シャツも脱ぎ、そのままどんどん脱いで最終的に潔くパンツ一枚という姿になる。
余分な脂肪は付いていないが筋肉もほとんど付いていないという線の細い体に、女子学生や空の種族の女性達の反応は特になかった。誰かが「寒そう」とポツリと呟いただけだった。その言葉通り今日の風はとても冷たく、ディートハルト本人も寒そうに体をカタカタ震わせている。
「予想を裏切らないっつーか、簡単に挑発に乗ったな」
その姿のまま裸足で再び崖を上っていくディートハルトを面白そうに見上げながら、翠が言う。
「単純だからな」
近くで見ていたリカルドがそう言うと、エトワスがすぐに訂正した。
「気が強くて素直なだけだ」
リカルドは半笑いを浮かべている。
「よし、行ってみろ!」
服を限界まで脱いだのだから先程より確実に軽くなっている。今度は上手くいくだろう。ディートハルトはそう考えながら、レミエルの言葉を受けて今回は自分の意思で崖を飛んだ。
「マジかああーっゴボボッ」
“やっぱ無理!”と言う間もなく、再びディートハルトは水没した。崖を飛んだと言うより、単に飛び下りている状態だ。
「……もう、ヒナでいい……鼻に水入った、耳も水入ったし水飲んだ死ぬ……」
再びエトワスと翠に引き上げられたものの、ディートハルトはがっくりと地面に両手を付いて項垂れている。
「う~ん。理由は分からないが無理か。史上初、翼の無い空の種族が誕生したのか、それとも素質が無いのか。まあ、生まれつき不器用な者もいるからな……」
レミエルが考え込んで唸っていると、ディートハルトは顔を上げキッとした目でレミエルを睨みつけた。
「馬鹿にすんな!」
今回はレミエルも挑発してはいないのだが、ディートハルトの闘争心に火が付いたらしい。
「ディートハルトさーん。風に乗るイメージですよー。必ず、風が助けてくれますー」
と、空の種族のリッシュが野次馬の群れの中から声を掛ける。
「頭の中で、背中に翼がある事をイメージしたら良いですよー」
「目の前に可愛い小鳥がいると思って。自分が追いかけてくとこを想像してみてください」
「ドラゴンでもうまくいきますよ!」
等と、子供の頃の練習を思い出したのか、それとも自分の子供など身内を連想しているのか、空の種族達が口々にアドバイスし始めた。
「飛ぶ練習より先に、泳ぐ練習をした方がいいような気もするが」
観察していたリカルドがそう言うと、ロイが肩を竦める。
「もう、初めから水に飛び込む構えでいけばいいのにな。その方がダメージも少ないし、綺麗に水に入れる」
「いや、泳げないんだから、それはもっと無理だろ。っつーか、飛び込みの練習じゃねえし」
傍で聞いていたフレッドが苦笑いする。元同級生達がその様な会話を交わしている間に、ディートハルトは再び崖の上に戻っていた。
「大丈夫。落ちない。羽があるんだ。飛べる飛べる飛べる……。よし、鳥の後をついて行くぞ!」
ディートハルトは小さく呟いて自分に言い聞かせると、目を閉じて一度大きく息を吸って吐き、続けてもう一度深呼吸する。空の種族達のアドバイス通り、自分の背に翼がある事をイメージして、目の前に羽ばたく小鳥がいる様子を想像した。
「……」
意を決し目を開くと、敢えて下は見ない様にして正面を向いた。
「!」
「おおっ」
野次馬達がどよめく。
一瞬、淡い水色の光がディートハルトを包んだ直後に、真っ白な翼が現れていた。他の空の種族達と同じように翼の根本や先の方は淡い色でグラデーションがかかっていて、ディートハルトの色は淡い水色だった。
「パンツ一丁じゃなきゃ、絵になったのにねぇ」
崖下から見物していた翠がそう言う。ディートハルトは空の種族だという事は既に分かっていたので、今さら翼が現れても驚きはしなかった。
「やっぱり綺麗だな……」
やはり驚いてはいないエトワスも静かにそう言った。その姿に見惚れている様子だ。
「せめてパンツ1枚じゃなくて布を自然に巻いてるとかなら、いかにも天使って感じで宗教画っぽかったのにな」
フレッドは翠の言葉に答えてそう言った。ファセリア帝国製の一般的な男物の紺色のトランクス型のパンツは、有翼の人物が身に着けている物としては見た目が少し惜しかった。
「行け」
満足そうに頷き、改めてレミエルが促した。
「よし!」
小さく頷き、ディートハルトが地面を蹴って飛ぶ。
今回は飛べると信じられた。
「えええぇっなんッ」
何で!?
という心の底からの疑問は、大きな水飛沫によってかき消された。翼はあるのだが、使い方が分からなかったせいなのか、何の抵抗も出来ず重力に負けて落ちていた。空中に浮いたり、神秘的な翼のおかげで少し速度が落ちた等という事も無く、重力の影響を正しく受けて加速して水面に落下した。
「……ゴホッ ゴホゴホッ……」
服よりも翼の方がたちが悪かった。重い上に嵩張る分余計に水の中でもがく事になり、エトワスと翠だけでなく、リカルドや数人の学生達までもがディートハルトを引き上げるのに協力してくれた。
「ごめ……今回はだ、大丈夫だって、思ったん、だけ……」
寒さのあまり、すっかり血の気の引いた顔でカタカタ震えながらディートハルトが元同級生や手を貸してくれた学生達に謝罪する。今は翼は消え見慣れた姿に戻っていた。
「残念だったな」
「気にするなよ」
「まあ、飛べなくてもこれまで通りだし何も不便はないしね」
「だな。翼などお前には特に必要ないだろう」
エトワス、フレッド、翠、リカルドが気の毒そうな表情をして順に声を掛け、学生達も口々に、
「大丈夫か?」
「これ以上は、風邪引いちゃうッスよ」
「もうやめた方がいいんじゃないか?」
等と、どちらが先輩か分からない事を言っていた。彼らの見た目はディートハルトよりも年上に見えるが、実年齢もディートハルトと同じか一歳上なので、思わず素で話してしまっているようだ。
「あー……翼がある事は分かったんだ。良かったな」
レミエルも、飛べない事には触れずに、作ったような笑顔を浮かべて“うんうん”と頷く。
「どうぞ、使ってください」
と、空の種族達が、ディートハルトを始め水に濡れた地上人達にタオルを渡してくれた。
結局、飛べないまま練習は終了となり野次馬達も解散し、ディートハルト達は城に戻って水に濡れた者はそれぞれ浴室で温まると、昼食後には、今度はセレステの力の扱い方を学ぶため、ディートハルトは再びレミエルに連れて行かれる事になった。
* * * * * * *
「そうそう。よく出来てるね。そんな感じだよ」
金とラズライト色の目を細めて笑顔でそう言ったのは、医師をしているというオディエという名のセレステだった。スーヴニールと同じように中性的な人物だ。
「はぁ」
褒められたのにディートハルトが曖昧な返事をしているのは、“よく出来てる”という実感がないからだ。光属性の力が強いという医師に光の力の使い方を教えて貰い、治癒の術を習ったばかりだが、実践して試す対象……怪我人や病人や生き物がいないので、ちゃんと出来ているのかどうか分からなかった。かといって、自分自身には使えない術だというので、自分で試してみる事も出来ない。
「試せたらいいんだけど、セレステは聖地で休めば怪我や体の不調は治っちゃうからねぇ。それに、今はセレステ以外の身近な空の種族にも、試せそうな人はいないし……」
ディートハルトの言いたい事を察して、オディエが小さく笑う。部屋の隅に置かれた観葉植物さえも非常に元気そうで生き生きしていた。
「でも、良かったです。これからは、誰か怪我してもすぐ助けられるって事だから」
自分がセレステだったという事はどうでもいいと思っていたが、治癒の術を扱えるようになったのはとても嬉しかった。
「お前達は、物騒な環境に身を置いてるみたいだからな」
ディートハルトが光の力の扱い方を学ぶのに付き合っていた、というより見物しに来ていたレミエルが言う。
「ああ。ちょっと前にエトワスが怪我した事があって、でもその時何も出来なかったんだ……」
ヴィドール国での出来事を思い出してディートハルトは表情を曇らせる。
「その前には」
翠も怪我をして……と言おうとしたディートハルトに、レミエルは少し呆れたような目を向けた。
「お前は、本当にあいつが好きなんだな」
「えっ、いや、だって……いい奴だし」
ポソポソと言い訳のように言うと、オディエが笑顔を向けた。
「セレステは自然発生する卵から誕生する生き物だから、子孫を残そうという本能みたいなものはないし異性だからと言う理由で無条件に引かれる事もないからね。惹かれているのなら、純粋にその相手の事が好きなんだよ。良い人と出会えて良かったね」
“いい人”、それは確かにその通りだと思った。ランタナを出て帝都で彼と出会った事で人生が変わった……そう思っている。エトワスだけではない。翠もそうだ。帝都での生活が始まったあの日、出会ったのがあの二人でなければ、幼い頃周囲にいたような人間しかいなかったら、もしかしたら今も自分は孤独で、それどころかアズールに辿り着く事もなくヴィドール国かどこかで死んでいたかもしれない。そう思った。
「……はい。そう思います」
ディートハルトが真面目な顔でそう答えると、単に惚気ているだけだと思っているレミエルは再び呆れた様に小さく笑った。
「お帰り。遅かったな」
夕食を終え、エトワスと翠、フレッドが部屋でのんびり過ごしていると、ようやくディートハルトが帰ってきた。午前中は飛ぶ練習もしているので疲れ切っているかと思いきや、何故かその表情は明るく元気そうだった。
「エトワス、服、脱げよ!」
扉を開けて出迎えたエトワスの顔を見るなり、ディートハルトはそう言った。
「?」
不思議そうな顔をしながらも上着を脱ぐエトワスに、さらにディートハルトは言う。
「じゃなくて、裸になれよ」
「え……」
「あれ?予想に反して、エトワス君がそっちのポジションって事?」
翠がニヤニヤ笑ってそう言うと、エトワスは眉を顰めて翠に視線を投げ、フレッドは目を丸くしている。
「翠も、服脱げよ」
「は?え、嘘、オレも?」
目を瞬かせる翠に、ディートハルトは大きく頷いた。
「そう。二人とも早く上半身裸になれって!」
「ええと。俺は、退室した方がいいかな?」
フレッドが、ジリジリと後退りする。
「フレッドは、どっか怪我してないか?最近じゃなくて過去の怪我の痕とかでも」
「え、怪我?……いや、別に。ああ、昨日の戦闘で足にちょっと痣は出来てるけど」
不思議そうな視線を向ける3人に、ディートハルトは得意げに言った。
「おれさ、治癒の術を習ったんだ!傷あとも消せるはずだって」
「え、すげえじゃん。それは見たい!」
フレッドがそう言って戻って来る。
「そういう事か……」
「何事かと思ったわ」
エトワスがほっとした様に言い、翠は苦笑いしている。
「ええと。上手くいかなかったらゴメン。でも、失敗しても何も変わらないだけで悪化するとかって事は無いから」
自信満々に言ったものの、ディートハルトは急に弱気になっていた。使い方を習っただけで、実践するのは初めてだからだ。
「全然いいって」
そう言ってズボンの裾を上げたフレッドの、足の脛に出来ている痣にディートハルトは手を翳した。術の使い方の基本は同じで既に学院で学んでいるため、光の属性の力に集中する。すぐに、薄っすらと掌付近が淡く光り始めた。
「おお!」
フレッドが声を上げる。
「何か、ちょっと温かいぞ。あと、癒されてる気が……多分、するような?」
「あ、ダメかも。集中力が切れる……」
ディートハルトがそう言うと、光はフッと消えてしまった。
「魔術って、瞬間的に放つタイプの奴はいいけど、ある程度持続して発動しなきゃなんない奴は難しいんだよな」
エトワスの言葉に、翠とフレッドも頷く。
「体力も必要だしね」
「あと、雑念が湧かない様にすんのも結構大変なんだよな。あ、でも、ほら。今ので、さっきより薄くなってるぞ。痛みも軽くなった気がするし」
フレッドの言う通り、青い痣は薄くなっていた。
「うーん、試験なら30点くらいの出来だよな……。エトワスと翠の怪我の痕も消したかったんだけどな。今日はもう、体力が足りないか」
二人がそれぞれヴィドールで負った怪我の傷痕を消したいと思っていたディートハルトは、残念そうに言う。それでも諦めきれずフレッドで何度か試してみたが、自分で言った通り体力不足のようで完全に治す事は出来なかった。
「……明日また、試させて貰ってもいいか?」
悔し気なディートハルトの言葉に、3人は笑って頷いた。
自身の持つ力を使いこなせ、翼で自由自在に飛ぶ空の種族――ヒナではない一人前の空の種族になるにはまだもう少し時間が掛かりそうだった。
* * * * * * *
同時刻――。
セレステ達の城があるアズールの中心都市から西の山の中に、その地底の種族は蹲っていた。これまで多くの魔物を吸収してきたため体の回復は早く傷はほぼ完治していたが、最後に喰ったものが悪かったようで意識が混濁していた。
20年前に卵を捕食しようとした際には巫女に邪魔をされて卵を手に入れる事が出来ず、今回は、大勢の地上の種族達が卵の周りに集まっていて妨害されてしまった。過去に邪魔をした巫女は、どの様な術を使ったのか卵をその場から消し去った直後、自身もその場から掻き消えるようにいなくなってしまい、どうする事も出来なかったのだが、今回はその時以上に腹立たしかった。つまらない存在の地上の種族共のせいで卵に近付けなかったばかりか、酷い怪我を負ってしまった。
『(オノレ、虫ノ様ニ、ウジャウジャト……)』
聖地で卵を狙ったあの日、ひとまず退避し再び出直そうと考えていたところ、ここ数日ずっと付きまとっている煩い地上人の男の姿が視界に入った。木陰に身を潜めていたらしい。
『おいおい、大丈夫か?まあ、相手の数が多すぎたな。しかし、どういう事だ?卵から出て来たのはランクXに見えるんだが……。似てるだけで別人かもしれないが、ジェイドの姿も見えるし、裏切り者のファイターと見覚えのあるファセリア人達が守っているという事は、やはり本人なのか?そうだとしたら、一体何故卵に入っていたんだ?いや、卵から生まれるセレステという生き物は、皆ラファエルと同じ姿をしているという可能性もあるか……。しかし、素晴らしいな!卵の殻も素晴らしい!どちらも、何としても手に入れ持って帰りたい!』
一人でペラペラと喋り続けていると男を見ているうちに、ふと閃いた。
『(ソウダ。コイツヲ喰エバ)』
何の力も持たない地上の種族など捕食しても全く何の意味もないのだが、その姿を手に入れる事は出来る。そうすれば、地上の種族共に気付かれずにこの場を離れられるだろう。そう考えると、昔は人の姿をしていた地底の種族の魔物は、地上人の男が事態に気付く間もなくパクリと飲み込んだ。
『アアア……フフ……フハハハ!』
呻いた大きな魔物が突然くぐもった笑い声を上げる。様々な魔物が混ぜ合わさった大きな体は、その表皮の下で何かが蠢いていたが、やがてギシギシと軋む音を立て縮み始めた。
『グゥ……ガ……ア…アァ』
『グ……進、化……シタ、ゾ』
低く呟く姿は、大きな魔物ではなく一般的な人間の姿ほどになっていた。
『フハハハハハハ!!!』