67空色の卵 ~再戦1~
珍しく暗い夜だった。連日賑やかに空を彩っていた星は見えず、重い雲に覆われている。しかし、聖地はセレステが生み出したラズライトによって、変わらず明るく照らされていた。
空の種族のアリアが城を訪ねて来てから数日が経っていた。ルシフェルが話した通り、その日アリアの自宅近くの森の中に魔物の姿は無かっただけでなく、グラウカも見付からなかった。そして、エトワスと翠はアリアの家から急いで聖地に向かったものの、そこにも魔物の姿はなく、結局グラウカと魔物の行方は分からないまま日が過ぎていた。
「泉の水、だいぶ増えてきたね」
欠伸を一つして眠そうな目で翠がそう言った。聖地の環境は順調に元に戻って来ているらしく、毎日少しずつ増えていく水は、今はくるぶしより少し上辺りの水深になっていた。そのため、見張り担当は卵の周囲に立つのではなく少し離れた水際の乾いた地面で待機している。エトワスと翠は大きな木の影に立ち、一人減って二人ずつ見張りに就くようになった空の種族の二人は、朽ちて倒れた木の幹に座り談笑していた。
「ディートハルトが順調に回復してるって事だな」
嬉しそうにエトワスが言う。
「ディー君に早く会いたいだろ」
「ああ」
木の幹に寄り掛かった翠が少しからかい口調で視線を向けると、空色の卵を見ていたエトワスは素直に頷いた。
「そうだな。元気になった姿を見たい」
ディートハルトが回復して元気になる事、それが、エトワスの一番の願いだった。
「ここまで辿り着けたんだから、すぐ見れるよ」
からかい甲斐がない、そう思いながら小さく笑うと、翠はポケットから煙草を取り出して口に銜えた。
「あれ?……火ィ点けてくれる?」
ポケットを探ったがライターが見付からず、エトワスに頼む。
「聖地だから、禁煙なんじゃないか?」
そう言いながらエトワスが煙草のすぐ近くに手のひらを翳すと、指先付近がぼんやりと赤く光り熱を帯びる。
「どうも。屋外だから大丈夫でしょ」
小さく笑って翠が煙を吐く。すると、突然突風が吹いた。
「!?」
「っ!」
強い風は泉を駆け抜けて行き、巻き上げられた泉の水は大きく膨れ上がると、まるで海の様な波を作って岸に向かって打ち寄せた。くるぶし程の水深とは思えない程の水量だった。
「……そういえば、アカツキが、ここは光と風の力に満ちてるって言ってたな……」
逃げる間もなく避ける事も出来ず大きな波を浴びてしまい、頭からびしょ濡れになったエトワスが無表情に言う。
「悪ィ。風属性の力か精霊さんを怒らせちゃったみたいだね。ってか、火気厳禁なの?それとも煙がダメだったの?」
これ以上風属性の存在を怒らせない様に、翠は、濡れて火が消えてしまった煙草をそそくさと携帯灰皿に入れた。
「火を点けた時点では何も起こらなかったから、煙の方なんじゃ……」
エトワスの視界の中に、誰かが走って来る姿が入る。同時に、近くにいた空の種族二人もキョロキョロと周囲を見回し始めた。
「何かヤな予感」
走って来たのは、顔馴染みの空の種族の青年、リッシュだった。
「出た出た出た!あの魔物だよ!」
翠の予感は的中した。
「もう城にも報せが行ってるから、すぐ此処にも応援が来るから安心して!ごめん、ここは任せた!」
ほとんど立ち止まる事なく早口でそう告げると、リッシュはすぐに方向転換した。そして、その場にいた空の種族二人も「お願いします!」と言い残し、リッシュの後に続いて城に向かって駆け出す。
「リッシュ、報せてくれてありがとう」
エトワスの言葉にリッシュは軽く手を上げて応え、現れた時と同様そのまま走り去っていく。
「あの魔物、オレらが見張りの時を狙って来てんのかな」
そう言いながら、翠がハンドガンを取り出した。
「時間帯を狙ってるんじゃないか?単に夜行性って事もあるのかも」
闇属性なら真夜中の方が動きやすいだろうし、この時間なら活動している人間も少ないからだ。答えたエトワスもハンドガンを準備する。
「ああ、そう。そういう事か」
前回と同じように、空の種族達はいち早く気配を察知していたが、魔物の姿はまだ見えず二人には気配も感じられない。とりあえず前回魔物が姿を現したのと同じ方角を向いて待機していると、程なくリッシュが話した通り大きな魔物が姿を現した。一度目の戦闘から5日ぶりだった。
「あれ?そっちから来るんだ」
翠が意外そうに言う。空から来ると思っていた魔物は、予想が外れて今回は地面を走って近付いて来ていた。無数の足がザワザワと物凄いスピードで動いている。
「こっちの方が助かるけどな」
構えていた銃の射程距離に入ったが、二人とも引き金を引こうとはしない。今回は早く駆けつけたI・Kとシヨウ、そして学生達が魔物の周囲にいるからだ。魔物は、攻撃を振り払うようにしながら卵を目指し近付いて来る。
二人はハンドガンをホルスターに戻して剣を鞘から抜いた。やがて泉まで辿り着いた魔物は、エトワスと翠の姿を気に留める事もなく真っすぐ卵に向かって突進した。
ドォオン!
すぐさま、エトワスを始め複数人が放った術が魔物に集中する。魔物は威嚇する様に吠えながら、煩そうに人間達を薙ぎ払った。しかし、上手く避けられてしまい苛立った様に咆哮を上げている。
「魔物を卵に近付けるな!」
そうブランドンが言うと、学生達は魔物を一斉に攻撃した。今回は全員が剣を手にしている。先に指示してあったのか、先輩I・Kのブランドンとクレイの指示に従い魔物を泉から遠ざけるよう誘導している。一方、フレッド、リカルド、ロイの同級生I・K達とシヨウは、エトワスと翠の近くまで来て卵を護る位置に移動していた。
魔物は泉の水を派手に飛ばし暴れまわっていたが、卵に近付く事は出来ず、その長い尻尾がギリギリ卵に届きその殻を掠める事しか出来なかった。
「ガアアアア!」
羽を傷めているのかそれとも隙が無いのか、魔物は威嚇するだけで飛び上がる事なくジワジワと卵から離れていく。
人数が多いため止む事のない攻撃は、魔物を泉から出す事に成功し確実に卵から遠ざけ始めていた。
「エトワス!」
魔物に術を放てるよう構えていたエトワスを翠が呼んだ。振り返ると、彼は卵のすぐ傍らに立っている。
一見したところ卵は無傷だが……。エトワスはブランドン達の攻撃で魔物が泉を離れていく事を確認し、早くなる鼓動を鎮める様に深く息を吸うと翠の元に歩み寄った。
「どうした?」
「さっき、尻尾がちょっと掠っただろ。そのせいかは分かんねえけど」
と、指し示された卵は、割れてはいないものの横向きに一筋、大きく殻にひびが入っていた。それは、孵化が近付き自然に割れたといったものではなく、明らかに傷付けられた事によって出来た傷に見えた。
「……」
割れてはいないし頑丈な殻だから大丈夫。そう思いながらも、自分の身体から血の気が引くのを感じる。ひびが入った際に、魔物の尻尾に付いた鋭利で長い棘が卵の中まで到達していたとしたら……。
「……」
エトワスは、ディートハルトの無事を確認したいが呼びかける事ができなかった。子供の頃に父親を亡くした時の記憶が蘇っていた。命というものが呆気ないという事はよく知っている。ほんの少し前まで普通に話し、笑い、生活していても、急に消えてしまうものだ。
「ディートハルト?」
動けないでいるエトワスに代わり、翠が名前を呼ぶ。しかし、返事はなく気配も感じられなかった。
「!」
エトワスと翠の様子に気が付いたフレッド、リカルド、ロイの3人が、魔物を気にせず二人が卵に意識を向けられる様に、二人と卵を護れる位置に陣形を変える。その意図に気付き、シヨウも加わった。
『オレが触れるかな?』
中にいるセレステの意思に関係なく卵に攻撃される、というレミエルの言葉を思い出しながらも翠はひび割れに触れてみた。中が窺える程の隙間はないため、可能かどうかは分からないが殻を少し割ってみるつもりだった。
「中を確認するため、少し割るぞ?」
エトワスに断りを入れるが彼からも返答はない。そこで、応えは待たずに短剣を取り出しその柄頭を使い、躊躇う事無く手早く卵の殻を崩し始めた。幸い、翠も卵に攻撃はされないようだった。
『フレッドが言ってたみたいに、中でドロドロになってたりしねえよな?』
黄身と白身になっていたら……等と一瞬思ってしまったが、あり得ないと否定する。
「ディー君?」
ひび割れの周囲の殻を崩しながら名前を呼ぶが、やはり何の応えも無い。
パリン パリン パリン
硬い殻は数センチの厚みはあったが、力を入れて叩くと少しずつ割れていく。砕けた殻は、周囲を照らす外灯代わりのラズライトの明かりを受けてキラキラと光り水の中へ落ちていった。それは宝石の様にも見え、この様な状況だが翠はそれを綺麗だと思ってしまった。
程なく、卵の殻に、中が窺えるほどの隙間が出来た。
「……」
中を覗くと、ドロドロした液体はなく、卵の底の方にディートハルトが蹲っているのが見えた。卵の殻が外の光を通しているのか中は予想以上に明るかった。柔らかい光に包まれたディートハルトは、眠りについた時と同じI・Kの制服姿のまま、猫が顔を手で覆い丸まっている様な姿勢でいるため、腕で隠れた顔を窺う事が出来ず安否は分からなかった。しかし、見える範囲内で確認した限り出血なども無く怪我を負っている様子はない。卵に出来たヒビよりもだいぶ低い位置に蹲っているため、彼がずっと同じ姿勢でいたのなら、もし魔物の棘が卵に深く刺さっていたとしても触れていない可能性の方が高かった。
少しほっとし、翠は近くに魔物がいない事を確認すると、さらに殻を割り割れ目を大きくした。
「っしょ」
卵に窓が出来た様な状態の穴をあけ、人一人が通り抜けられるくらいの大きさになると、翠は身を屈めて胸の辺りまで卵の中に入り、手を伸ばしてみた。
「……」
翠は、顔を覆っていたディートハルトの腕を動かして伏せていた顔を上向かせ、首に触れて体温を確認し、さらに呼吸と脈を確認すると、卵から上半身を抜き不安そうな表情をしていたエトワスに伝えた。
「大丈夫。傷一つ付いてない。まだ眠ってるみたいだけど、無事だよ」
エトワスに向かいそう言って、卵の中を指し示す。
「!」
翠の言葉を聞き安堵の表情を浮かべたエトワスは、卵に近付くとあいた穴から中を覗き込んだ。
「……ディートハルト?」
翠の話した通り怪我をしている様子もなく命を失ってはいないようだが、反応がないため拭いきれない不安を感じながら呼び掛ける。魔物の攻撃による傷は負わずに済んだのかもしれないが、自ら目覚めるのを待たずに無理に卵を割ってしまったのはマズかったのではないだろうか……。そう考え、エトワスだけではなく翠も少し不安になった。
「ちょっと城に戻って、空の種族を呼んでくる」
そう言って翠がその場を離れようとすると、エトワスが翠の腕を掴んだ。
「?」
不審に思い振り返ると、蹲っていたディートハルトが動いているのが見えた。直後に、ゆっくりと上半身を起こしたディートハルトは、目元に手を当て擦っている。
やがて、ゆっくりと瞼が開き、卵の割れ目から覗き込んでいた二人に向かい、眠そうな瑠璃色の瞳が向けられた。
「……」
何か言おうと口を開いたディートハルトの視線が二人の背後に移り、一瞬でその目が大きく見開かれる。
「!?」
次の瞬間――。
ドオォオオンッッ
ガアアアアッッ
轟音と同時に大きな咆哮が響いた。
ディートハルトの視線と表情に反応して反射的に振り返ったエトワスと翠が、魔物に食らいつかれる寸前で術を放っていた。
大きくジャンプした魔物が、卵の前に立つフレッド達4人を飛び越えて卵ごとエトワスと翠に食らいつこうとした瞬間だった。エトワスと翠が同時に放った術の威力で魔物の体が大きく吹き飛ばされた直後、フレッドとリカルド、ロイが魔物に向かい追撃の術を放っていた。ほとんど同時に放たれた術は威力が数倍になり、また、至近距離で撃ったため、魔物をさらに吹き飛ばすのと共にその体の一部を大きく破壊していた。
「!!!!!!!」
身の毛がよだつ奇声を上げて、身体の半分を抉られた魔物が泉の周囲の木々にぶつかりながら激しくのたうち回っている。炭の様な黒い体液が周囲に飛び散り、刺激臭を放っていた。
駆け付けた先輩I・Kと学生達が次々に魔物に飛び掛かっていく。
「今のは、本気でヤバかったよな……」
翠が術を放った右手を伸ばしたまま、肩で息をしながらそう言った。元々冷静なタイプだが、流石に心臓がバクバクしていた。
「そうだな。ディートハルトが反応してなきゃ、気付いてなかった」
エトワスの方は翠よりは冷静だったが、それでもやはり絶体絶命だった現実を実感し苦笑いするように薄く笑っている。
「いや、反応してなきゃって、目の前にあんなデカイヤバそうな奴がいたら、誰でも視界に入るって。っつーか、おれの反応じゃなくて、お前らの反応がすげえよ!」
目が覚めた途端、親しい友人たちの姿が目に入り嬉しく感じるよりも先に、その背後に見た事のない魔物の開かれた巨大な口があり恐怖に凍り付いた。二人とは違い自分は咄嗟に反応できなかった。
「絶対、みんな食われるかと思った……」
と、気が抜ける思いで言いながら、卵の割れた穴から半身を出すと並んで立つエトワスと翠に、それぞれ手を伸ばし、まとめてギュッと抱き寄せた。二人が無事で良かったと思うと、声も体も少し震えてしまった。
「ほんとに無事で良かった……!」
「完全に気を抜いてた。すまない。あと、おはよう」
「無理に起こして悪いね」
二人の間で、その腹の辺りに頭を伏せているディートハルトの金色の髪を、エトワスがクシャクシャと撫でた。
「良かった!無事だったんだな、フレイク!」
近くにいたフレッドが、魔物を気にしつつ振り返って笑顔を向ける。
「……ああ、そっか。あいつはおれを狙ってきた奴なのか。みんなでおれを護ってくれてたんだな」
ゆっくりと顔を上げたディートハルトは、合点がいった様子で頷いた。近くにいるフレッド、リカルド、ロイ、シヨウも、エトワスと翠も、衣服だけでなく顔や手など全身が濡れて泥が付いている。きっとディートハルトが眠っている間、そして今戦っている先輩I・Kや学生達も、魔物からディートハルトの卵を守ってくれていたのだと理解した。
「護ってくれて、ありがとう」
そう言いながら、ディートハルトは卵から身を乗り出す。手を差し出したエトワスの助けを借り、卵にあいた窓の様な穴から、殻の縁を乗り越えて外に出たディートハルトは、数日ぶりに外の世界に降り立った。
「わ!何だこれ?!」
乾いた硬い地面ではなく、足首まで水がある事に気付き、ディートハルトが驚き声を上げた。
「もう、身体は大丈夫なのか?」
すぐにそう尋ねるエトワスに、ディートハルトは大きく頷いた。
「全然。スッキリしてる」
どこも何ともなく、身体はすっかり軽くなっていた。空を見ると夜のようだったが、よく眠り、すっきり目覚めた朝の様な気分だった。
「そうか、良かった」
心底ほっとした様子でエトワスがそう言った。ディートハルトはその言葉通り、すっかり顔色も良くなり髪も肌も艶々して見える。
「おっと。喋ってる暇はないかも!」
翠の言葉に慌てて振り返ると、少し離れた位置で、先輩I・Kと学生達が戦っていた魔物の沢山の目が、全てディートハルトに視線を向けているのが見えた。
「セレステヲ喰ワセロ!」
呻くような声が響く。
「喋った……!?」
「しつこい奴だな」
ディートハルトは大きく目を見開き、エトワスが不快そうに舌打ちをする。同時に、魔物はディートハルトに向かい突進していた。激しく傷ついていながらも、セレステという獲物しかその眼中には無いようだった。
「セレステェエエ!!」
くぐもった咆哮が響く。
「!」
丸腰のディートハルトは、慌てて術を使おうと身構える。同時に、ディートハルトの前に立つエトワスが、魔物に向かい刀身が赤く輝く剣を構え、その隣の翠も再び術を放つため両腕を眼前に構えた。さらにその前に立つフレッド、リカルド、ロイも術を放つため構えて、シヨウも身構える。
そして、真っ先に、前列にいた同級生I・K達3人が迫りくる魔物に向かい光球を放った。少し遅れて翠も同じ術を放つ。
ドオォン!!!!
轟音と共に連続して光が魔物に命中する。今回は魔物を吹き飛ばす事は無かったが、思惑通り、突進してきた魔物の足を止めさせその勢いを弱めた。その隙を逃さず、エトワスが光を帯びた剣で斬りかかる。
「!!!」
エトワスが飛び退くと、続けてシヨウや同級生達もエトワスと同じ場所に拳や剣の刃を叩き込む。続けざまに、魔物の後方から先輩I・Kや学生達も攻撃した。魔物は複数の深い傷を負ってはいたが、それでも倒れる事はなく咆哮を上げながら、攻撃してきた人間達を喰らおうと暴れ狂い、手当たり次第に襲い始めた。
「うわっ!?」
「ヤバッ!」
「うわわわ!」
学生達が魔物の牙を逃れ慌てて四方八方に散っていく。
「おい!お前の狙いはおれだろ!」
ディートハルトが魔物に向かいそう怒鳴った。途端に、ディートハルトに向かい魔物は方向転換する。
エトワスと翠を始め同級生達とシヨウが、当然の様にディートハルトを背に庇って武器を構えた。その直後に、再び魔物が大きな口を開けてディートハルトに食らいつこうとする。すぐ近くにいる人間ごとまとめて喰うつもりの様だった。
「!」
雷の属性を帯び紫色の光を纏ったエトワスの剣が、ジャンプしたエトワスの手で魔物の頭上から振り下ろされ、大きく開いた魔物の口の中目掛けて放たれた翠の術がその喉の奥で弾け、さらに続けざまにフレッドやリカルド、ロイ、シヨウが魔物を攻撃すると、最後に、ディートハルトが放った術が魔物の身体を吹き飛ばした。
「あれ???」
本人は、学院で習った術を使ったつもりだったのだが、見た事のない鮮やかな水色の光が、無数の刃の様に形を作り魔物の身体に降り注ぐ。
「!」
魔物は奇声を上げ、その光を振り払う様にのたうち回った。
ズウウウンッ
重い音を立て魔物が地面に崩れ落ちとうとう動きを止めたかのように思えたが、突然ザワザワと沢山の足を動かすと、背の低い植物を踏み潰して移動し始めた。
グアアアアアッ
と、一度大きく天を仰いで身の毛のよだつような音で吠える。そして再び前進を始めた。そのまま逃げるのかと思われたが次第に動作が遅くなり、泉から数十メートル離れた先の地点で動きが止まった。
「止まったな……」
学生の一人が言う。その言葉通り魔物は動かなくなった。
学生達が数人、恐る恐る魔物に近付いて行くが、やはり魔物は動かなかった。今までギョロギョロと動いていた体を覆う複数の目も今は動きを止めている。
「やった、倒したぞ!」
魔物から数歩離れた先から確認していた学生が言い、他の学生達がワアッと歓声を上げる。ようやく魔物との戦いは終わったようだった。
「何、さっきの術?セレステの力って奴?」
翠が驚いた様に言い、ディートハルトを振り返った。
「分からない。何か、勝手に出たんだ」
ディートハルトは慌てて首を横に振る。本当に、自分でも全く分からない現象だった。
「フレイク先輩!」
と、ディートハルトの姿に気付き、学生達の中からニコールが駆け寄って来る。
「良かった、目を覚ましたんですね!」
「ディート先輩!無事だったッスね!」
ニコールとほぼ同時に、金髪の男子学生ジャックも声を上げて走って来た。
「良かったッス!」
そう言って、ジャックがガバッとディートハルトに抱き着くと、ニコールがジャックに体当たりする様にグイと押しやって、代わりにディートハルトの手をギュッと両手で握った。
「もう、体は大丈夫なんですね!?」
「あ……うん。ありがとう。もう、すっかりよくなった」
少々気圧され気味にディートハルトが答えると、フェリシアも笑顔を向けた。
「ほんと、顔色がよくなりましたね!」
ディートハルトの姿に気付き、他の学生達も周囲にワラワラと集まって来た。
「卵の中って、どんな感じだったんですか?」
「眠くなって、気が付いたら今のこの状況って感じだから、どんなだったかっていうのは分からないんだ」
後輩学生の質問に、ディートハルトが少し困った様に答える。
「じゃあ、目が覚めたりとかって事は無かったんですね」
「全然。夢も見てないし」
ディートハルト本人に質問している者達がいる一方で、卵の方に興味津々の学生達もいた。
「おー。これが卵の中かぁ」
「綺麗だなー。割れた殻がガラスみたいだな」
「面白い割れ方してるな」
等と、不思議そうに観察している。
「本当に良かったな。同級生達も後輩達もみんな心配してたけど、これで全員一緒にファセリアに帰れるな」
やって来たブランドンも、そう言って笑顔を見せる。
「ありがとうございます。と言うか、また、先輩達やみんなの世話になってしまったみたいで、すみません」
ディートハルトが申し訳無さそうに言うと、ブランドンはハハハと笑った。
「謝る必要は無い。礼の言葉だけで充分だ」
「そうですよ。あんな強敵と戦う機会を持てて、俺達も貴重な……」
そう言って魔物の方を振り返った後輩のオースティンが、言葉を飲み込む。
「魔物が……!?」
オースティンの言葉に全員が振り返ると、いつの間にか、数十メートル先に倒れていた魔物が姿を消していた。
「嘘だろ」
誰かが呟き、どよめきの声が上がる。
「少なくとも、絶命して溶けた、という事ではなさそうだな」
魔物が居たはずの場所まで行き、地面を調べたリカルドが眉を顰める。絶命するとドロドロに溶けて液状になってしまうタイプの魔物もいるのだが、傷から流れ出たものだと思われる黒い体液がほんの僅かに地面に沁み込んだ跡が残っている程度で、他に何も残っていなかった。
「でも、逃げたんだとしても、あんな大きな魔物が移動して誰も気が付かないはずはないけどな」
ロイが訝し気に首を捻る。
「いくら、全員魔物から離れていたとはいってもな」
眉間に皺を寄せたリカルドが頷いた。
「どうだ?何か分かるか?」
近付いて来たディートハルトに、リカルドが尋ねた。
「……とりあえず、あいつから感じた気配は今は近くに感じられない」
ディートハルトは、周囲を見回しながら少し歩いてみてそう答えた。
「とりあえず、ディー君がそう言うんなら、近くにはいないんだろうから安心していいのかも」
ディートハルトを真似て翠が言う。空の種族リッシュ達は、まだ姿も見えていない魔物の気配を感じ取っていた。セレステのディートハルトも同じ様に、もしかしたらそれ以上に気配を感じ取れるはずだ。
「そうだな。あいつが生きていれば、また空の種族達が気付くだろうから、ひとまず全員城に戻ろう」
エトワスの言葉に、全員がホッとした様に頷いた。