表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
LAZULI  作者: 羽月
59/77

59空色の花 ~卵~

「!」

ハッとして、瞑っていた目を開ける。

最初に視界に入ったのは、暗い紺色の服の布地だった。咄嗟に守ろうとしてくれたのだろう。地面に膝を着き蹲っていたディートハルトは、エトワスの腕の中に抱え込まれていた。

「エトワス」

「!」

名前を呼ぶと、顔を上げたエトワスは不思議そうに辺りを見回した。ディートハルトもつられるように周りを見る。二人は静かな森の中にいた。元々遺跡は森の中にあったが、ランタナの森とは少し生えている植物の種類が違い雰囲気が違うような気がする。何より、遺跡の中にいたはずなのに床も壁も天井もなくなり完全に屋外にいて、建物ごと綺麗さっぱり消えていた。崩れ落ちて来たはずの大量の瓦礫もなく周囲には何の形跡もない。

 そして、二人の近くには、翠やフレッド、リカルド、ロイ、学生達、アカツキにシヨウ、先輩I・K、そしてヴィドール人達の姿もある。それぞれが、膝を着いたりしゃがみこんだり頭を庇うような態勢を取ったりした姿で、遺跡にいたほぼ全員がそこに居た。

「ん……?あれ?」

「何で外にいるんだ?」

「ここは……?」

「どうなってるんだ?」

と、次々我に返り、自分の体を確かめてみたり周囲を見回したりしている。

「ランタナじゃないみたいだな」

エトワスの言葉に頷いたディートハルトは、振り返った先を指さした。

「あそこから、森を抜けられるんじゃないか?」

ディートハルトが指さす少し先の方に、開けた場所があるのが木々の間から見えていた。

「行ってみよう」

状況が全く分からないため、敵味方関係なく皆がディートハルトとエトワスの後に続き、ゾロゾロと同じ方向へ向かって歩き出す。


「あ……!」

立ち並ぶ木々が途切れると、視界が急に開けた。

地平線まで見渡せる様な大地に、延々と花が咲いている。その全てが青空の様な色をした花だった。それは、ディートハルトが夢で見た事のある景色と同じだった。その花のものなのか、風に乗り仄かに甘い香りが漂って来る。

「ここは……」

ディートハルトが言い掛けた時だった。

「僕達は、死んだのか?」

と、後ろから付いて来ていたヴィドール人の一人が、呆然とした様にそう言った。研究員の助手をしていたラックという青年だ。

「!」

途端にヴィドール人や学生達がざわつき、ラックの隣にいたもう一人の助手がワッと泣き出した。

「そんな!」

「あ、ウィン、待って!」

泣き出したウィンはクルリと向きを変え、森の中へと走り去っていく。その後を慌ててラックが追いかけた。

「ちょっと待ちなさい!何処に行くの!」

と、女性研究員のロサがその後を追い、さらに男性研究員のピングスも後に続く。

「あー、おいおい、ちょっと待った!」

「クソ!そんな事があってたまるか!」

吐き捨てる様に言ったグラウカもその後を追い、唖然としてその様子を見ていたファイター4名は、互いに顔を見合わせていたがその場に残っていた。

「グラウカ達が逃げるぞ!追わないと」

フレッドが走り出そうとするが、それを翠が止める。

「いいよ、ほっといて。オレら死んじゃったんなら、お役目終了でしょ」

特に慌てた様子も無い、ノンビリとした普段通りの彼だった。

「仕方ないね」

そう言って、ポケットから未開封だった煙草を取り出して火を付ける。

「一本貰えるか?」

「どうぞ。皆さんも、いる?」

ブランドンに煙草を差し出すと、翠は近くに居たファイター達の方を振り返って勧めた。一応、元同僚のファイター仲間なので全員顔見知りだからだ。

「ああ、どうも」

「お、ありがたい」

等と、遺跡に来ていたファイター4人は、ありがたく煙草を頂戴して一服する。4人共冷静だった。ちなみに、シヨウともう一人の先輩I・Kクレイは、喫煙はしないようで辞退している。

「さて。これからどうしたらいいんだ?」

腕組みをしたリカルドが、小さく息を吐く。

「ここはやっぱり、誰かご先祖様とか、お迎えが来るんじゃないか?昔飼ってたピロちゃんが来ないかな……」

ロイがそう言った。二人も状況を受け入れている様で落ち着いている。

「マジか……」

対照的に、フレッドはショックを受けた様子で肩を落としていた。

「まあ、職業柄そういう事もあるって分かってたけど。そっかぁ……」

学生達は茫然として無言のまま立ち尽くしていた。遺跡内に入った5名だけでなく、非番で遺跡の外に待機していた学生達も全員そこにいた。

「でも、何で急に?」

「だよな。俺達は、外に立ってただけだし、遺跡が揺れ始めてからすぐに離れて避難してたのにな?」

「ああ。掠り傷一つ負ってないよな」

「もしかしたら、建物の光がヤバかったんじゃないか?」

「え、眩しいだけで、照らされても痛くも痒くもなかったのに?」

と、外にいた学生達が話し合っている。

「ねえ、お兄ちゃん。もう一人きょうだいが、弟とかがいたら良かったね」

フェリシアがポツリと言う。ウルセオリナの跡継ぎを心配していた。

「……」

エトワスが妹に言葉を返そうとした時だった。ディートハルトがクルリと振り返って言った。

「あのー……。えっと、何て言うか。大丈夫。おれ達は死んでないから。皆、生きてるよ」

始めからそう思っていたのだが、皆が次々に話すため、どのタイミングで伝えたらいいのかと迷っていた。

「えっ本当か!?」

フレッドが声を上げ、一斉に全員がディートハルトに視線を向けた。

「うん。おれは体調が悪いままだし、この景色はよく知ってる。『アズールに帰って来い』って言われる夢で何度か見てる。この花もこの香りも、おれはよく知ってる」

ディートハルトはもう一度そう言うと、その場にしゃがんで青い花に手を伸ばして花びらに触れた。これは夢の中の物では無い。現実にそこに存在する生きた植物だ。

「本物の、実在する花だ」

とても懐かしい感覚に胸が痛くなる。

「それじゃ、ここは……」

立ち上がり、エトワスの言葉にディートハルトはもう一度頷く。

「アズールだと思う。きっと、知らないうちに扉が開いたんだ。でも、ゴメン。おれのせいで、みんなを巻き込んでしまったみたいだ」

生きてはいても、未知の場所に強制的に連れてきてしまったのだから大差はない。皆ホッとしている様子だったが、申し訳なくなりディートハルトは俯いた。

「いや、そんな事より、死んでねえって分かってたんなら、最初からそう言ってくれよ!寿命が何年か縮んだじゃん!」

フレッドがガシっと勢いよくディートハルトの肩を掴んで揺すったため、エトワスが引き剥がそうと腕を伸ばす。

「ごめん。何か、言い出すタイミングが……」

「つーかさ、むしろ巻き込まれてディー君ごとアズールに移動できてなきゃ、あのまま崩れた遺跡に潰されて皆死んでたんじゃねえ?」

翠の言葉に、皆が同意して頷く。

「そうだな。むしろ助けて貰った事になるな」

ブランドンが言った。

「ここが死後の世界ではなくアズールならば、何も心配いりません。扉があってセレステ……つまり、貴方さえいれば、私達の暮らす地上と行き来できるはずですから。皆さん無事に戻れますよ」

アカツキがにこやかに言う。妙に嬉しそうな顔をしていた。そして、アカツキの言葉を聞いたフレッドを始めとする一同も、再び安堵した様子で笑顔を見せている。

「と言っても、此処には通って来たはずの扉が見当たりませんね。地上と同じで、きっと別の場所にあるのでしょう。まずは住人である空の種族を探した方が良いかもしれませんね。それにしても綺麗な場所ですね。あ~、花の良い香りがします」

普段より口数が多くテンションの上がっているアカツキは、早速花の海へと足を踏み出した。そして、両手を広げて深呼吸し、周囲を見渡すようにその場でゆっくりと回転している。

「あぁっ!ちょっと待て。グラウカ達がいないぞ!」

急に思い出したのか、焦った様にリカルドが言う。

「せっかく同行して貰える事になったのに、逃がしちゃったもんねぇ」

「いや、お前がほっとけっつったんだろ!」

まるで他人事の様に言う翠に、フレッドが食って掛かる。

「どうせ、そんなに遠くには行ってないだろう。I・Kは任務続行だな。捜しに行くぞ」

ブランドンが言い、任務強制終了ではなかったI・K6名は森の中に引き返していく。ディートハルトとエトワス、アカツキとシヨウ、そして学生達はその場で待つ事にした。


「お前らは、グラウカさん達と行かなくて良かったのか?」

留まっていたコウサを始めとするファイター4人にシヨウが尋ねる。

「俺は、ガキの虐待に反対だからグラウカに従う気は無えよ。ってか、こっち側に付いてねえと、ヴィドールどころか元居たファセリアにも戻れそうじゃねえしな」

コウサの言葉を聞いた同僚の3名が不思議そうな顔をして、どういうことかと説明を求めた。

「やっぱなー。グラウカのヤツ、胡散臭ぇって思ってたんだよ」

「ランクXはファセリア兵で?それを誘拐したって馬鹿じゃねえの?」

「俺らまで仲間だと思われたら、たまんねえな」

等と、コウサとシヨウに話を聞いた他の3名もグラウカに対し否定的な事を口にしている。

「おっし。じゃあお前らも、こっちの味方って事だな!」

そう言ってシヨウがガシッとコウサの肩を掴むが、ディートハルトは胡散臭そうな目でファイター達を見ていた。

「何だよラファエル、俺らを警戒してんのか?俺は、シヨウと同じでガキには優しいんだぞ」

そう言って、コウサはガハハハと笑う。“ガキ”って、おれの事じゃないよな?と思いつつ、ディートハルトは面倒臭いので絡まれない様に、エトワスの横にスッと避難した。

「ディートハルト、貴方の夢には、空の種族達の暮らす場所は出てこなかったのですか?」

ヴィドール人達とのやり取りなど興味のないアカツキが、どこまでも続く青い花の海を眺めながら不意にディートハルトに尋ねた。

「え?ああ、大きな城が何処かにあるはずなんだけど……」

確か、夢の中では白っぽく見える城があった。そう考えながらディートハルトは周囲を見渡した。しかし、今いる場所からは見えないだけかもしれないが、遠くには木々が立ち並びその向こうになだらかな山が見えているだけで、それらしい城はない。

「方角が違うんじゃないか?」

ディートハルトがキョロキョロしているので、エトワスが言った。

「ああ、うん、そうかも。何か夢とはやっぱり違うんだな。……鳥の声も聞こえるし、蝶とかもいるし」

夢の中では生き物は虫一匹いなくて静寂に包まれていたのだが、実際は花の上を薄紫や白、黄色など、様々な色の蝶が賑やかにヒラヒラ舞っていて、森の中からは長閑な鳥の声も聞こえて来た。

「どうしよう。どっちに行ったらいいのか、分からない」

少し申し訳なく思いつつ、ディートハルトは途方に暮れてエトワスの顔を見上げた。

「大丈夫。I・K達が戻ってきたら、手分けして辺りを調べてみよう」


 それからおよそ15分程経った頃、結局誰も見付けられないままI・K達が戻って来た。

「見付からなかった。まずい事になった」

「少なくともアズールからは出られないだろうから、大丈夫。また改めて捜せばいいよ」

落ち込むフレッドとは対照的に翠は呑気だった。

「森の奥に入っても迷い込むだけだろうし、きっとすぐ近くに隠れてんだよ。で、これからどうすんの?」

と、翠がディートハルトの方を向く。

「あ、うん。おれも土地勘とかないし、全然何処に向かえばいいのか分からないんだけど、その辺を歩いて調べてみようかって……」

そう話した時だった。

「あ、誰か、来る」

森の奥から人影が近付いてくるのが見えた。急いでいるらしく、足早に近付いて来る。

「グラウカ達か?」

I・K達が勢いよく振り返った。


「あ?おお~!光の神様!イメージ通りの空の種族じゃん?」

翠がそう言ってシヨウを見る。

「!……そ、そうだな」

近付いてくる人物の姿がはっきり見える様になってくると、その背に鳥の様な翼を持っている事が分かった。

「マジで光の神だ……」

ヴィドール人のファイター達はどよめいて、シヨウと同じように目を見開いている。また、学生達と、ヴィドール国で有翼のルシフェルを見ていないメンバーも唖然としていた。

 注目される中、近付いて来た有翼の人物は、一同を見渡すとディートハルトに視線を止めた。

「お前が、ラファエルだな?」

ディートハルトに向かいそう言ったのは、右は青、左は銀色の瞳をした有翼の人物だった。肩の辺りまでの長さの髪も銀色で、翼は僅かに淡い碧を帯びた白だ。片目が青いという事は、彼もまたセレステなのだろう。ディートハルトとは対照的に少し目尻の吊った整った顔立ちをしていて、性別の判別が難しかったが、身長はディートハルトより高くその口調と落ち着いた声質からして青年のようだった。

「ようやく来たか」

警戒し、若干引き気味の一同が見守る中、ディートハルトしか見えていないといった様子で青年が言い放つ。

「まったく。遅すぎる。死ぬところだったぞ!」

「……(何だこいつ?)」

有翼の奴は、皆どうしてこう偉そうなんだろう?と、ルシフェルの事を思い出していると、相手は大きな溜息を吐いた。

「本当にお前は、僕の話を全く聞いていなかったからな」

そう、不機嫌そうに言う。

「誰なんだ?初対面だし、話した事ないだろ?」

ディートハルトが口を尖らせると、相手も負けずにキッと眦を吊り上げた。

「僕は、レミエル。お前の兄弟卵として生まれた兄みたいなものだ。初対面じゃないぞ。お前の姿を直接見たのは初めてだが、お前が卵の中にいる時に会っているし、夢の中でもお前が幼い頃から何度も話し掛けていた。まあ、お前は完全に無視して全く僕達の話を聞いていなかったけどな」

フンと、レミエルは鼻を鳴らす。

「……」

それには事情が……と思ったが、面倒臭いので黙っていた。それよりも、“兄”という言葉が引っかかっていた。突然出来た父母に続き、今度は兄か……と、ディートハルトは眉を顰めた。

「きょうだい、らん?って?」

「同時期に発生した卵を兄弟卵(きょうだいらん)と言うんだ。僕の卵の方がお前よりも2か月と12日早く発生して、孵化したのも、お前がシャーリーンと共に地上に下りた時より3年以上前だった。だから僕の方が兄になる。つまり、間違いなく5~6歳は上だな」

やはりどこか偉そうに説明するレミエルに、ディートハルトは曖昧な返事を返した。

「あぁ」

正直、どうでもいいと思っていた。

「よし、ラファエル、来い。聖地に行くぞ」

「え……おれ?」

レミエルの呼びかけに、再びディートハルトは眉を顰めた。

「……お前以外に、誰がいる?」

振り返ったレミエルも眉間に皺を寄せた。

「いや、でも、何でラファエルなんだ?」

ラファエルというのは、ヴィドール国で呼ばれていた名前だ。ルシフェルがそう名付けて欲しいといったと聞いているが、初対面のレミエルという男に、偶然にせよ突然同じ呼び名で呼ばれる理由が分からない。

「お前が卵の中にいる頃、僕がお前に名付けた名前だ」

フフンと、何故か得意げにレミエルが言う。

「……知らないけど」

全く覚えていないし、知らない事だった。

「知らなくても事実なんだ。行くぞ」

「ちょっと待てよ!みんなは……」

強引に腕を引っ張ろうとするレミエルの手をディートハルトは振り払い、意識せずに傍らに立つエトワスの手を子供の様にキュッと掴む。自分だけ連れて行かれたらこの場にいる者達はどうなるのだろう。

「心配いらない。ブラッシュ」

まさに心配していたディートハルトが言い掛けると、レミエルは振り返って呼び掛けた。いつからそこに居たのか、もう一人の空の種族がそこに居た。

「はい。大丈夫です!」

ブラッシュと呼ばれた人物が笑顔で言う。

「皆さんも、全員同じ場所にご案内しますので」

細身の、金茶の髪をショートカットにした女性だった。やはり左右違う色の目をしていて、右がオレンジ左が金色だ。彼女は青い瞳をしていないので、恐らくセレステではなくシャーリーンと同じ一般的な空の種族だ。

「皆さんと一緒にいらしたこの場にいない地上人達も、今私達の仲間が捜していますので後で会う事ができますよ」

そう言って、どこか少年の様にも見える笑顔で言う。レミエルとは違い友好的な雰囲気だった。

「それは助かります。でも、そいつらはアズールと空の種族の皆さんにとって敵になる奴らだから、接触しない方が良いっスよ。拉致して地上に連れてこうとしかねないんで」

翠がそう言うと、フレッドやリカルドも頷いた。

「元々、俺達はそいつらを捕らえようとしてたので、俺達に捜させてください」

フレッドの言葉に、レミエルは機嫌悪そうにフンと鼻を鳴らした。

「ああ、なるほど。そいつらがラファエルを捕まえていた奴らだな。それなら、居場所だけ僕たちが突き止めるから後は君らに任せる」

レミエルがそう言うと、ブラッシュは心得た様に頷き、指笛を吹いた。


 その数秒後……。

「!?」

不意に大きな影が差し、驚いて頭上を見上げると、さらに度肝を抜かれてしまった。

「ドラゴン!?」

ディートハルトだけでなく、その場にいる地上から来た全員が驚いてどよめく。そこには、いわゆるドラゴンに、蝙蝠ではなく鳥の様な翼が這えた生き物が複数いた。色は頭のてっぺんから長い尻尾の先まで全て青みを帯びた薄い灰色で、それぞれに騎手が乗り手綱を握っている。

「此処から町まで少し離れていますので、こちらに分乗していただいて移動します」

ブラッシュがそう言うと、ドラゴン達は体重を感じさせない優雅な動きでフワリと広い花畑に着地した。予めこちらの人数が分かっていたのか、ドラゴンは15頭程いる。

「どうぞ。二人ずつ乗れますので、分かれて乗ってください」

ブラッシュの言葉に、「すげぇ!」と興奮気味に声を上げたり歓声を上げたりしている者と、「これに乗る……?」等と警戒している者に別れていたが、促されるまま全員がドラゴンに乗り込んだ。


 一人でドラゴンに騎乗したブラッシュが、一番最初に空に舞い上がる。騎手以外誰も乗っていないドラゴン2頭もその後に続いた。

「危険な地上人の事はブラッシュに任せて僕達は城に向かう。ラファエル、お前は僕と来い」

そう言って、レミエルがエトワスの隣にいたディートハルトの腕を掴む。その瞬間、既視感の様なものがあり『ああ、夢の中でおれの腕を掴んだのはこいつだったのか』とディートハルトは思った。

「行くぞ」

レミエルの言葉に、それぞれが乗ったドラゴン達がゆっくりと羽ばたき上昇する。翼を持たない地上の種族に気を遣ってか、レミエルとディートハルトの騎乗したドラゴンを先頭に隊列を組み、その気になれば飛び下りれる程度の地面に近い低い位置をゆっくり飛び始めた。あまり翼を動かさない安定した飛び方だった。


「本物のドラゴンなんだよな?すっげー」

初めて見ただけでなくドラゴンに騎乗する事になり、ディートハルトは嬉しくてドキドキしていた。

「未確認生物じゃなかったんだな!ちょっと触ってもいいかな?」

「ああ」

ディートハルトの後ろに座ったレミエルは、興味無さそうに短く返事をする。

「……硬い。冷たいんだな。鱗じゃないよな?じゃあ、これって硬い皮膚なのか……。ザラザラしてる!」

恐る恐るその表面に触れてみて感動している。

「やっぱり、火を吐いたりするのか?」

「風属性だから、火は吐かない」

「じゃ、鳴いたりするのか?」

「滅多に鳴かない」

「何て名前なんだ?」

「風竜だ」

手綱を握るレミエルが、少し面倒臭そうに答えている。

「ふうりゅう?それって、生き物の名前?それとも、この個体だけの名前?」

「生き物だ。個体の名前は無い」

「じゃあ、付けてやらないとな……」

楽しそうに考え込むディートハルトの様子に、レミエルは呆れている様だった。

「風に関係あるって事で、ピューとかビューとか…じゃなきゃ羽がモコモコだから、モコとか……」

「そんな事より、自分の事や僕の事、この国の事は気にならないのか?空の種族に関する事なんて、ほぼ知らないんだろう?」

「え?ああ、別に。聞きたい事を思いつかないから」

というより、何を聞いたらいいのか分からなかった。強いて言えば、一番知りたいのは、いつファセリアに帰れるのか、という事だけだった。


 景色が一面の花畑から森へ変わり20分程飛んだだろうか。前方に町らしき物が見えて来ると、町の上空を通過するためドラゴン達は高度を上げた。

「ここが、アズールの中心だ」

立ち並ぶ白い街並みは、目を瞠る様な異国……という雰囲気ではなく、ファセリア帝国やレテキュラータ王国のものに近かった。そして、その様な町の向こうには白い城が見えていて、その周囲には広い森が広がっていた。


「着いたぞ」

町の上を飛び城まで行くと、レミエルに続いて城壁内の開けたスペースにドラゴン達が次々に舞い降りる。全員が地上へ下りると、来た時と同様に空の種族が操るドラゴン達は次々に空に舞い上がり、そのまますぐに飛び去ってしまった。

「……」

ディートハルトは、目の前にそびえ立つ大きな建物を無言で見上げた。その城が、夢の中に出て来た物と同じかどうかは分からない。夢の中ではかなり遠くに見えていたからだ。その城は白い石造りで、大きな柱と大きな窓が目立っているせいか、建物の大きさ自体はファセリア城やウルセオリナ城と大差ないようだが、地上で目にする城よりも広いような印象を受けた。

 その大きな柱の間から、ゆったりとした白っぽい服を着た一人の空の種族が姿を現し、石造りの階段をゆっくりとした足取りで下りて来る。

「アズールの王、スーヴニール様だ」

レミエルがそう言い傍らに視線を落とす。しかし、同じドラゴンに乗っていたディートハルトは、いつの間にか彼の隣から姿を消していた。どこに行ったのだろうと眉を顰め周囲を見回すと、ダークブラウンの髪と目をした地上人の横にいる姿を見付けた。ディートハルトを迎えに行き城に連れ帰ろうとした際に、レミエルの手を振り払ったディートハルトが、離れたくないという意思表示のようにピッタリと寄り添いその手を握った男だ。知らないうちに彼の隣へ移動していたようだ。

『あいつなのか……?』

姿を見た事は無いが、レミエルは、ディートハルトが特に慕っている地上の種族がいる事を知っていた。確か名前は“エトワス”と呼んでいた気がする。


「アズールの王、スーヴニール様だ」

レミエルはディートハルトの傍に行くと、改めて地上からの訪問者に向かいそう紹介した。

「ようこそ、アズールへ」

階段を下りて来た王スーヴニールが、客達を見渡して静かにそう言った。同時に、ディートハルトを含めてこの場にいるファセリア人達は、自然な仕草で胸に片手を当てると地に片膝を着いて頭を垂れた。その様な文化のないヴィドール人のファイター達とアカツキは、幾分畏まった様子でそのまま立っている。

「地上の儀礼は必要ありません。起立してください」

フワリと笑い、スーヴニールが穏やかな声を掛ける。その言葉に顔を上げ、ファセリア人達は立ち上がった。

「……あ、ごめん」

クラりと眩暈がしてバランスを崩しディートハルトがふらついたところを、傍らに立つエトワスが手を伸ばして支えた。ディートハルトは小声で謝罪し、改めてアズールの王へ視線を向ける。

 王は、背が高く中性的な顔立ちをした人物で、ディートハルトと同じ瑠璃色の瞳と、もう片方は薄紅色の瞳を持った人物だった。風に吹かれ、癖の無い長い髪がサラサラと肩を滑る。瞳と同じ薄紅色の金属の様な光沢のある不思議な色合いの髪をしていた。その背にある翼は地は白く、端の方から薄紅色の柔らかなグラデーションがかかっている。色合いは華やかだが落ち着いた印象を受ける人物だった。そして、今まで目にした有翼の人物の中で、最もヴィドール国の教会の光の神の像の雰囲気に近かった。

「今は扉が不安定になっているため、暴走してしまい皆さんまで巻き込んでしまったようですね」

感情の窺えない穏やかな声でスーヴニールが言う。その声もまた中性的で、性別を感じさせないものだった。

「あの、その暴走って、やっぱりおれのせい……ですか?」

エトワスの隣に立つディートハルトが、恐る恐るスーヴニールに尋ねた。薄紅色と瑠璃色のオッドアイがディートハルトの姿を捉える。

「いいえ。扉……と言うより、アズールと地上を繋ぐ道が元々不安定になっていたのです。その上、扉は長年使用されていなかったため、封印が解けると共に一気に強い力が放たれてしまったのでしょう。誤作動してしまい全く別の場所に飛ばされなかったのは幸運でした」

スーヴニールが淡々と語る。

「そう、なんですね」

皆を巻き込んでしまったことには変わりないが、とりあえず、暴走したのが自分のせいではなかったと分かり、そして、別の場所に飛ばされなくて良かったと、ディートハルトは少しホッとしていた。

「心配いりません。もうしばらく待てば扉も道も安定し、正しく作動する事になるでしょうから、皆さんは元通り地上へ戻る事ができます。それまでの間は、城に部屋を用意させますので、どうぞこのアズールに滞在してください」

そう言って、スーヴニールは初めて微かに笑みを見せた。その言葉を合図にした様に、新たに別の空の種族達が複数人姿を現してスーヴニールの背後に控えた。

「さて、巫女シャーリーンが守った子、よく帰ってきましたね」

「あ……はい……」

ゆっくりとした足取りで歩み寄るスーヴニールを、ディートハルトは不思議な思いで見ていた。

『……おれは、この人達と同じ生き物なんだな……』

どんなに証拠が揃っても、自分はエトワス達と同じ普通の人間だという気しかしないため、有翼の人間に違和感しかなかった。夢を見ている様な気さえする。

「ラズライトの双眼を持った子。待っていましたよ」

スーヴニールはそう言いながら、ディートハルトの頬を両手で挟むようにしてその瞳を覗き込んだ。

「……」

ディートハルトは、スーヴニールの手を振り払いはしなかったが、何かを探っている様な、感情の窺えないスーヴニールの視線に少し不安になり、無意識に傍らに立つエトワスの腕に触れていた。

「やはり、力がかなり乱れて体に大きな負荷をかけていますね。すぐに休まなければなりません」

僅かに眉を寄せて言うスーヴニールの言葉に、レミエルが一歩前に出る。

「僕が、連れて行きます」

「ええ、レミエル。そうしてください。今は、ゆっくりと話している時間も無い様ですので、また目を覚ましたら話しましょう」

ようやく手を放し、スーヴニールがディートハルトに向かい微笑んだ。

「地上の方々は、どうぞ自由に過ごしてください。何か用がある時は彼らに声を掛けてください。必要な物を用意します。部屋へも彼らが案内します」

スーヴニールの言葉で、控えていた使用人らしき空の種族達が前に出た。代わりに、スーヴニールは城の中へと戻って行く。


「さあ、僕達は聖地に行くぞ」

レミエルに声を掛けられ、ディートハルトは少し戸惑った様子で傍らに立つエトワスを見上げた。

「今まで無理したから疲れてるだろ。ゆっくり休んで来い」

「あ、うん」

エトワスに笑顔を向けられ、ディートハルトは小さく頷く。やはり、自分一人だけが違う生き物だと実感させられる様で、何だか少し寂しかった。不意に、どうして自分は空の種族として生まれたのだろう、と思ってしまう。その様子を見ていたレミエルが、フンと小さく鼻を鳴らした。

「エトワス、だな。お前も一緒に来るか?」

突然、レミエルがエトワスに視線を向けてそう言った。

「え?」

名前を呼ばれた事で、エトワスだけでなくディートハルトも驚いてレミエルを見る。

「……俺も?聖地に?……いいのか?」

「ああ。来たくなければ無理にとは言わないが」

「行く」

何故、来いと言われているのか分からなかったが、エトワスは即答した。元々、側に付いていたいと思っていたので、それは予想外の嬉しい言葉だった。

「あのう、私も、聖地の近くまででも構いませんので同行しても良いでしょうか?」

アカツキが、遠慮がちに口を開く。エトワスと違い、ディートハルトが心配というより聖地がどのよな場所なのか興味があるようだった。

「別に構わない。聖地と言っても今は卵も発生していないし、見ても面白い物は何も無いと思うが。来たければ勝手に付いて来い」

レミエルはどうでも良いと言った口振りで、あっさりそう言った。

「え、そんな感じ?じゃあオレらも行く?」

聖地というので、空の種族以外は立ち入る事の許されない禁足地だと思っていたが、レミエルの口振りだと、まるで観光地のようだった。

「そうだな」

と、話を聞いていた翠とフレッドも顔を見合わせて頷き合い、結局、エトワスとアカツキだけでなく、翠、フレッド、リカルド、ロイの同級生メンバーに加え、シヨウの合計7人が同行する事になった。先輩I・K2人と学生達10人は遠慮した事もあるが、ファイター4人も含めた16人は、聖地には行かずに城やアズールの町を見物しに行く事を選んでいた。


「森の奥まで少し歩くぞ。付いて来い」

そう言って早速レミエルは歩き出す。城の周囲に広がる森の中に入る様だった。ディートハルトとエトワスたち地上の住人以外にも、空の種族3人が後ろから付いて来る。

 城門を出るとすぐに森の中に入ったが、木立の間から日の光が差す明るい場所だった。魔物の気配は全くなく小鳥が囀る声もあちこちから聞こえ、背の低い茂みにはさまざまな色合いの木の実が実っている。とても平和で長閑な心地よい雰囲気だった。

「もう少し歩けば、聖地と呼ばれている場所に入る」

しばらく行くと、レミエルが先頭を歩きながら振り返らずに説明した。そのすぐ後ろにはディートハルトが、そして、ディートハルトがエトワスの傍から離れないため必然的にその隣にはエトワスが、さらにその後ろには翠とフレッド、リカルドとロイが続き、その後ろにシヨウと、子供の様に周囲をキョロキョロしながら歩いているため遅れているアカツキが続いた。

「本来、卵は聖地の泉に不定期に数個ずつ発生するんだ。大体、数年で数個といったくらいの数だ。でも、ラファエルの卵が魔物に狙われてシャーリーンと共に姿を消して以来、一度も一個も卵は発生していない。もちろん、その事とラファエルの件に関係があるのかどうかは分からないがな。ただ、卵が発生しなくなってから聖地とこの大陸は荒れ始めたんだ」

歩きながら、レミエルが淡々と話す。

「荒れ始めた?これで?」

ディートハルトはレミエルの言葉が信じられなかった。少なくとも、今歩いている場所は自然が豊かでとても長閑な雰囲気で、とてもそうは見えないからだ。

「まあ、そのうち分かる」

レミエルの言った通りだった。


「ここが……」

辿り着いた場所は、勝手に神秘的なイメージを抱いていた聖地とは程遠い雰囲気だった。泉を囲む木々は、何年も前に倒れたり折れたりした事を窺わせる様に朽ちていて、泉そのものは干上がり、本来は水底だったはずの乾燥した白い砂の地面がむき出しになっている。かろうじて中央付近に水が残っているが、少し大きな水たまり程度の大きさしかなかった。

「木の方は、お前の卵を狙って侵入してきた魔物のせいでああなったんだが、泉の方は年々水量が減り少しずつ小さくなってしまったんだ」

レミエルが苦々し気に言う。

「酷いな……。綺麗なところだっただろうに」

「ああ。もう、見る影もない」

エトワスの言葉に、レミエルが口元だけで笑った。

「ですが、光と風の力は他の場所よりもかなり濃いですね……」

周囲を窺っていたアカツキが、独り言の様にそう言う。

「ん?お前は地上の種族なのに……ああ、そうか。扉を守る一族なんだな」

レミエルが納得した様子で頷いた。

「ええ、そうです」

「それなら、お前はラファエルの命の恩人だな」

レミエルの言葉に、アカツキは嬉しそうに笑みを見せた。

「さあ、ラファエル。眠るのに邪魔になるものは全部ここに置いて行け」

本来の泉の畔だったと思われる位置に立ち、レミエルがディートハルトを振り返った。促されたディートハルトは、言われるがままI・Kの基本装備である長剣や短剣、ハンドガンを外してエトワスに預けた。

「あ、そうだった……」

上着の内ポケットの中に入れていたものに気付き、ディートハルトは取り出した。

「それは……」

ディートハルトが掌に載せている物に目を留め、レミエルが眉を顰める。

「町で使用されてるラズライトの模造品……と、ラズライトの混合石だな?」

「連れて来たんだ。アズールに帰りたいって強く願ってたから」

レテキュラータ王国の森の中で、魔物を操っていた複数のラズライトと人工石の塊だった。ディートハルトと共に守護者の村に行った仲間達とアカツキにも見え覚えのある物だ。


「アズールに着いたぞ。約束は守ったからな」

ディートハルトはそう言いながら、石を乗せた手を泉の方に差し出した。水は無くなってしまっているが、ここは聖地だ。泉の底……砂の上に置いてやったらいいだろうか。そう考えていると、ボンヤリと石が青く光り始めた。

「あぁっ!?」

ギョッとする。

ゴツゴツとした石が突然分離して細かく割れてしまったからだ。おれのせいじゃないよな??と焦っていると、石の光は消え、その代わりに石の中から小さな光が現れフワフワと複数宙に舞い上がった。

「今までその石に留まっていた者達だろうな」

そうレミエルが言う。

そして……。

「!?」

ディートハルトの目の間に複数の人影が現れた。シャーリーンの時と同じように半透明の姿をしているため、既に亡くなった人物なのだろう。白い翼と白い髪に、銀色の瞳をした人物を先頭に、茶色の髪と瞳をした人物や、淡い緑色の髪をした人物、金色の髪をした人物の姿が浮かび上がっている。ディートハルトのすぐ目の前に立つ人物は、その片方の瞳の銀色は僅かに金色を帯びていて、同年代の大人しそうな青年に見えた。アカツキとシヨウが目を大きく見開いているところからすると、その場にいる全員にその姿は見えているようだった。元同級生達は一度ランタナでシャーリーンの姿を見ているため、二度目となる今回は驚いていないようだ。

『ありがとう』

そう言った声は、ディートハルトには聞き覚えのある物だ。扉の番人達の村で幻と共に聞いた声と同じだ。しかし、そこにはもう怒り等の感情は含まれておらず穏やかなものだった。

「戻れて良かったな」

ディートハルトがそう言うと、青年は泣き出しそうな表情で小さく微笑み、ゆっくりと感慨深げに周囲を見渡した。そして、もう一度ディートハルトの方を見て笑顔を向けると、宙に溶けるようにそのまま消えていった。しばらくの間、複数の小さな蛍の様な光は周囲を飛んでいたが、それもやがて消えてしまった。

「消えた……」

シャーリーンも宝剣のラズライトに遺っていた人物も、生きた者の様に長く会話したため、意外だった。

「もう力が残っていなかったんだろう。セレステの様だが、ラズライトの瞳も持っていないようだったしな」

レミエルが言う。

「あ……」

ディートハルトの手の上に残っていた砕けた石も、細かい粒子になり風に舞う様にして消えてしまった。

「あいつ、ここに帰って来れて、ちょっとは救われたのかな?」

気の毒な最期だったため、少しでも癒されていれば良いが……と思っていた。

「ああ、きっと救われてる。嬉しそうだったしな」

エトワスがそう言うと、レミエルが冷めた声で口を挟んだ。

「他人を気にしている場合じゃないぞ。お前も早く行かなければ、ラズライトを遺す事になってしまうぞ」

「え!おれもラズライトを遺せるのか!?」

“早く行かないとお前も死ぬぞ。”という内容よりも、石の事が気になってしまった。

「当たり前だ。空の種族なのだから意思とは関係なく死ねば自然と遺る。そうでなくても、セレステだから生きている今でも作り出す事は出来るがな」

薄々そうなのだろうかとは思っていたが、はっきり言われると地味にショックだった。普通の人間ではなくエトワス達とは違うんだと、どんどん思い知らされていくからだ。

「あーそうだよな。どうせ、おれは普通の人間じゃねーんだもんな。分かってるよ……」

ディートハルトがブツブツ小さな声で独り言を言っていると、エトワスが苦笑いしながらレミエルに尋ねた。

「次は、何をすればいいんだ?」

何か特別な儀式でもあるのだろうか……そう考えていると、レミエルは枯れた泉を指し示した。

「服を着たままで眠れるなら、もう眠るだけだ。早く行ってこい」

「パジャマとか持ってねえし、このままでいい」

「全裸になれって意味じゃないの?」

翠がノンビリとした口調で言う。

「脱がねえよ。っつーか、普段、裸で寝てねえし」

そう言って、レミエルの指し示した方を見る。

「……え……と。どこに行けば?」

行けと言われても……。乾燥した窪地の中央に水たまりがあるだけだ。どこに行けばいいのだろう?少なくとも眠るような場所には到底見えない。そう思うディートハルトだけでなく、地上の住人全員が同じ事を考えていた。

「泉が残ってるだろう?あそこだ。行けば分かる」

泉?と、再び全員が内心首を傾げていた。

「……泉ってあれか?あの真ん中の水たまり」

ディートハルトが指さすと、レミエルは頷いた。

「ああ、そうだ」

「あ、あぁ。そっか……」

水たまりではなく、あれが泉だったのか……。そう考え、少々不安を感じながらディートハルトは目を凝らして窪地の真ん中を見る。ランタナの遺跡の時の様に、あの泉が別の場所へ通じていて、近付けば自動的に移動させられるのだろうか……。

「早く行け」

「分かった。じゃあ、すぐ戻ってくるから」

傍らに立つエトワスの顔を見上げディートハルトがそう言うと、エトワスが話す前に、すかさず横からレミエルが口を挟んだ。

「そう、すぐには無理だぞ。20年近くも地上にいたんだ。それなりに時間がかかる」

淡々と言われ、ディートハルトはさらに不安になり眉を顰めた。

「え……。どれくらい?」

普通に睡眠を取るのと同様に、数時間程眠ってすぐにファセリアに戻るつもりだった。

「お前次第だな」

目に見えて不安そうにしているディートハルトに、エトワスは笑顔を見せた。

「待ってるから。ゆっくり休んで来い」

「……うん」

歯切れ悪く返事をしたディートハルトは、エトワスと離れがたくてその手に触れる。レミエルの口ぶりだとかなり長い時間掛かるのかもしれない。レテキュラータ王国ではシュナイトも“セレステの子は生まれてくるまでに、長い間聖地の卵の中で過ごす”と話していた。確か数十年や数百年と言っていた。もしそうだとしたら……。

「……」

何か言いたそうな顔をしてエトワスの顔を見上げているディートハルトの手を、エトワスはキュッと掴んで胸に引き寄せた。そして、まるで恋人同士の様に指を絡ませて握りなおす。周囲に大勢人がいる事は分かっていたが、以前から翠達にはディートハルトとの関係をからかわれているので、今さらだ。空の種族達にもどう思われようと構わない。それよりも、目の前の不安そうな顔をしているディートハルトの様子の方が気になった。

「大丈夫だよ」

「うん。でも……」

手を握り合い、至近距離で互いに見つめ合っている。

「お前達、まさか一緒に卵の中で眠るとか言い出すなよ。いくらなんでも不可能だからな」

翠ではなく、痺れを切らしたレミエルが冷めた声を掛ける。翠とフレッドとロイが小さく吹き出し、リカルドとシヨウとアカツキは苦笑いしていた。他の空の種族達は、気の毒そうな表情をしている者とやはり苦笑いしている者に別れている。

「そんなに別れを惜しまなくても今生の別れじゃない。長くても数週間、早ければ数日で目覚めるんだから、続きは再会してからにしろ」

「え、数日!?」

予想外の言葉にディートハルトは嬉々とした表情を浮かべるが、直後に頬をほんのり染める。

「分かってたんなら、最初からそう言えよ。百年くらいかかるかと思っただろ!」

と、今日が初対面のレミエルに食って掛かる。

「逆に百年かかるなら、最初からそう言ってる。そもそも、お前達が恋人同士で短期間でも離れていられないなんて僕が知ってる訳がないだろう」

フンと、レミエルは呆れた様に鼻を鳴らした。

「へ……えぇっ?……いや、そういう関係じゃ……。ただその、寂しいなって思っただけで……だって、長い間会えなかった事が前に2回もあるから……もうそういうのは嫌だし……」

頬を赤く染め、ポソポソと話す言葉が徐々に小さくなっていく。

「……」

ハートを射抜かれるとかキュンとする等という形容を体感しつつ、エトワスは冷静になるよう努めた。

「長くても数週間で良かったよ。これでゆっくり休めるな」

そう笑顔を向けると、ディートハルトは照れた様に小さく笑って頷いた。レミエルはただただ呆れているのか、小さく息を吐いている。


『よし……』

気を取り直し、ディートハルトは窪地の砂の上に足を踏み出した。しかし、すぐにクルリと振り返り足早に戻って来た。

「どうしたんだ?」

まだ何かあるのだろうか?と、不思議そうに尋ねるエトワスを見上げ、ディートハルトは少し躊躇った後に言った。

「何週間も待たせそうな時は、先に戻っていいから。あと、何か言おうと思ったんだけど……。何か、どう言えばいいのか……」

何を言って良いのか言葉が出ない。ここに来るまでに長い時間が経っていて色々な事があった。そう思うと様々な気持ちがごちゃ混ぜになって、何から言えばいいのか言葉が見付からなかった。

「大丈夫だから、こっちの事は気にするな。あと、話なら戻って来てから聞くよ」

そう言って、エトワスはディートハルトの頭をクシャッと撫でて笑った。

「ああ、ええと……じゃあ一つだけ」

そう言って、エトワスの顔を見上げた後、彼以外の仲間にも順に視線を向ける。

「エトワス、翠、フレッド、アカツキ、シヨウ、そして、リカルドとロイも。みんな、ここに来るまでずっと一緒にいてくれて、色々力になってくれて、ありがとう」

どうしても伝えたかった言葉を口にした。エトワスは一瞬、軽く目を見開いたが、すぐに笑顔に戻った。

「ああ。これからも力になるし、ディートハルトが望んでくれるなら一緒にいるよ」

「どういたしまして」

エトワスに続き、翠が笑いながらそう言うと、

「フレイクも、身体キツイのによく頑張ったよな。俺達が少しでも力になれたんなら、良かったよ」

そうフレッドも笑顔を見せた。

「お役に立てて良かったです」

「ああ、無事にここまで来れて良かったな」

アカツキに続きシヨウがそう言うと、リカルドとロイは顔を見合わせて小さく笑った。

「礼を言われるような事はしていないが、無事に辿り着けて良かったな」

「いいから、早く行って来い」

ディートハルトは照れた様に笑顔を見せ、今度こそ枯れた泉に降り立ち、真っ直ぐに水たまりを目指した。


『行けば分かるって、ホントか……?』

半信半疑に歩いて行く。

『泉に近付いたら、どっかの部屋に移動して、寝心地良さそうな普通のベッドが置いてあるとかならいいな。鳥の巣みたいなのじゃなくて普通のベッドがいい……』

と……。

泉まであと数歩という距離まで来た時だった。

「!」

やはり、扉の時と同じように水たまりが柔らかく光り出した。続けて、泉から宙に向かい光の粒がフワリフワリと舞い上がる。

『やっぱまた、どっか別の場所に飛ばされるパターンなのか……』

ディートハルトは無意識にその光に手を伸ばしていた。

柔らかい水色に発光する光の粒はどんどんと増え始め、小さなシャボン玉の様に無数に周囲を舞い始めた。

『綺麗だな……』

そう思った。

そして、一同が見守る中、ディートハルトの周囲に集まった沢山の光の粒は弾ける様に消えた。


「あ……」

エトワスは、思わず小さく声を上げてしまっていた。同時に、仲間達もどよめいている。直前までディートハルトが立っていた位置に彼の姿は無く、代わりに大きな卵が現れていた。扉の守護者達の村で見たような木の小枝が積み重なった鳥の巣の様な物の上に、人ひとりがすっぽり収まってしまいそうな大きさの卵が乗っている。巣の方も卵そのものも、青や水色が混ざり合った不思議な色合いで、ガラスの様な質感に見えた。表面に光沢があり透明感があるが中は見えない。

「マジか……」

翠も唖然として卵を見つめ、他の者達も目を丸くしている。頭では理解していたが、現実としてこの様な物を目にしてしまうと、ディートハルトはやはり空の種族だったのかと改めて驚いてしまっていた。

「あの中で、眠ってるのか?」

たった今目の前で起きた事が信じられない思いでエトワスが尋ねると、レミエルが「そうだ」と頷き、窪地に降り立った。そして一同を振り返り「来い」と小さく手招きする。

「もう一度、改めて卵の中に戻ったんだ。今頃気持ちよく眠ってるはずだ」

卵に触れ懐かしそうに眺めながら、レミエルが言う。間近で見る卵の表面は、青空が映っている様にも見えた。

「エトワス、お前も卵に触れてみろ」

と、レミエルが急にエトワスの方を振り返った。名指しで言われ促されるまま卵の殻にそっと触ってみると、冷たくも温かくもなく滑らかな感触だった。この中でディートハルトが眠っているのだと思うと、とても不思議だった。

「どうだ?卵は、どんな感じがする?」

「……触感の事か?冷たくも温かくも無い。見た目と質感はガラスみたいだと思ったけど、意外にサラサラしてるな」

レミエルの質問の意図が分からずエトワスは一瞬答えに迷ったが、感じたまま答えた。

「フン。やっぱり、お前なら触れるか」

何か試されたようだった。

「中にいるセレステの意思とは関係なく、卵を守るための機能が備わっているから、普通は触れると攻撃されるんだ」

「攻撃?」

エトワスは思わず眉を顰めたが、他の者達も、内心『触らなくて良かった』と冷や汗をかいていた。

「個体によって違うが、卵に触れると電流が流れたり、火傷する程熱かったり、逆に一瞬で触れた部分が凍結する程冷たかったり、毒物が放たれたという事もあるらしい。もっとも、こういった攻撃を受けても平気で卵を狙う奴らがいるから、あまり意味はないんだがな」

レミエルは真顔なので、冗談を言っている訳ではないらしい。攻撃される可能性があると知りながら敢えて触らせたということが分かり、エトワスは少し呆れてしまっていた。彼以外の6人も苦笑いしている。

「お前なら触れるだろうと思ったんだが、一応試してみたんだ」

「つまり、俺が卵を狙って近付いてはいないから触れたって事か?それで試したと?」

セレステの卵というだけでなく、単純に珍しくて見た目も美しい卵だ。様々な目的で狙われてもおかしくない。レミエルから見れば、エトワスはただの地上の種族の一人だ。そのため、その様な欲を抱いていないか試されたのかもしれない。エトワスはそう思った。

「違う。卵に攻撃される事なく触れるのは、普通は同族でもセレステか巫女だけだ。でも、空の種族ですらないお前が触れた。つまり、この卵の中のセレステが、それだけお前を信頼していて心を許してるという事だ。だから、卵も警戒する必要がなく攻撃しなかったんだ」

「ああ、そういう事か。でも、それなら、俺じゃなくても触れると思うぞ」

少なくとも、この場にいる者達は攻撃される事はないはずだ。

「そうかもしれないが……」

そう言いながらレミエルが卵の殻を拳で叩く。硬そうなコツコツという音がした。

「でも、お前は、こいつにとって特別な存在なんだろう?」

レミエルは「知っているぞ」とでも言いたげな口振りで言い、左右違う色の瞳でエトワスを見ている。彼は自分をディートハルトの兄みたいなものだと言っていたが、全く似てはいない。アーモンド形の目をした、ネコ科の大型動物の様なシャープな印象を受ける青年だった。

「ディートハルトも言った通り、別にそんな関係じゃないよ」

エトワスは苦笑する。先程レミエルに“恋人同士”と言われ現に今もそう思われているようなのは、自分が彼の目の前で明らかに誤解される様な行動を取ったせいだと分かっているため、動揺はしない。

「でも、特別なのは間違いないだろ?」

「“特別”って、何で?」

と、エトワスではなく翠が尋ねた。レミエルは、エトワスだけでなくディートハルトともここアズールで初めて顔を合わせたはずだし、言葉もそう多くは交わしていない。先程一度だけ仲が良さげなシーンを見ただけで、そう断言する理由が何か他にもあるのだろうか。そう思っていた。

「……僕は、ずっと前からラファエルに呼び掛けていた」

レミエルがそう話し出す。

「僕が呼び掛ける時には、あいつの心の声も聞こえるんだ。と言っても全部じゃなくて、強い感情を伴ったものだけが、僕に届く。だから、ラファエルがエトワスの事を心の底から信頼していて慕っている事を僕は知っている。お前の名前を僕が知っていたのも、それが理由だ」

名前を聞かれた覚えはないし名乗ってもいないのに、何故知っているのかとエトワスは疑問に思っていたのだが、これで謎が解けた。それはそうと……。レミエルが聞いたディートハルトの強い感情を伴った言葉とは、具体的にどういったものなのだろう?ディートハルトは、レテキュラータ王国に行った頃には、もう夢の中の声は聞こえなくなったと話していたはずだ。となると、それよりも前にレミエルはディートハルトの声を聞いていたという事になる。

「そうだったのか。……例えば、ディートハルトのどんな声が聞こえたんだ?」

エトワスを慕っている事が分かる言葉どはどんなものなのか、エトワスは無性に気になってしまった。

「……それは」

口を開きかけたレミエルだったが、話すのは止める事にした。同族のディートハルトの事は兄弟卵という理由もあるが、単純に命を心配しずっと気に掛けていたのだが、プライベートな事にまでは興味はない。今ここで、この地上の種族に自分が聞いた言葉――『エトワスはやっぱ優しいな』『エトワスが遊びに誘ってくれた!嬉しい!』『流石エトワスは強いし、すっげーカッコイイよな!』等といった言葉を教えてやって、彼に惚気られでもしたら恐ろしく面倒だ、そう思っていた。

「戻ってきた時に、直接聞いてみろ」

レミエルの胸中を知らないエトワスは、その言葉で現在ディートハルトは卵の中で療養中だという事を思い出し、少し心配になった。

「ディートハルトは、眠りから覚めてここから出てきた時は、もう体は完全に回復してるんだな?」

「そうだ。体が回復するだけじゃなく、セレステの力も使える様になって、地底の種族に属する魔物達から狙われる事も余程相手が強い力を持った物でない限り、滅多になくなるだろう」

「そうか、良かった……」

エトワスはホッと息を吐く。ずっと心配してきたため、気が抜ける思いだった。その様子を見てレミエルが小さく笑う。ホッとしたのは自分も同じだからだ。

「僕も、やっと解放された思いだ。目覚めるまで早くても数日はかかるだろう。いなくなった巫女に代わり彼らが交代で卵を見張るから、僕達は城に戻るぞ」

レミエルがそう言うと、共に付いて来ていた3人の空の種族達が、少し距離を置いて卵を背にして囲むように立った。彼らは一般的な空の種族なのだろう。皆、青以外のオッドアイをしていた。


「何か、舞台とか、大掛かりな手品を見てるみたいだな」

レミエルは、撤収とばかりに早々に背を向け元来た道を戻り始めていたが、その場に留まったフレッドが卵をしげしげと眺めながら言った。

「あー確かに。演劇の舞台っぽいね。随分派手な演出だけど」

卵の周囲をぐるりと一周して観察しながら、翠がそう同意する。どこかの富豪か貴族が、オブジェとして目立つ場所に飾っていてもおかしくないと思った。

「頭では理解したつもりだったが、まさか、本当にフレイクが空の種族だったとはな……」

リカルドが、未だに信じられないといった表情で卵を見る。

「卵ってのがな。信じられないけど、存在してるんだからな」

ロイもそう言った。

「素晴らしく美しいですね。風と光の力に満ちています」

アカツキは卵をうっとりと見つめていた。荒れた聖地は他の場所より少し風と光の力が強いと感じる程度だったが、目の前の卵からは比べ物にならないくらい純粋な強い力を感じている。

「これがグラウカに見付かったら、発狂するかもな。どうにかして持ち帰ろうとするんじゃないか?」

腕組みをして無言で見ていたシヨウが、誰にともなくそう言った。その言葉に、ファセリア人達がハッとする。

「おっと。こっちに気を取られてて、あいつらのこと忘れてたわ」

「ああ。まずいな。ブラッシュさん、だっけ?捜してくれるって言ってたけど、早く城に戻った方がいいかもな」

「よし、行くぞ!」

翠とフレッドに続きリカルドがそう言って、早速クルリと卵に背を向けた。

「エトワス、オレらは先輩達と学生に手伝って貰ってグラウカ達を捜しに行くわ。お前はどうする?このまま卵についとくか?」

翠が尋ねると、近くに立っていた空の種族の一人が声を掛けてきた。

「もし、魔物が侵入してきても、僕達が対応するから大丈夫だよ」

同世代に見える、ライトブラウンの髪と瞳をした青年だった。片方の瞳が僅かに緑を帯びて見え、その背には髪と同じ色合いの翼を持っているが、これまで出会った空の種族の中では落ち着いた色合いをしていて全体的に親しみやすい雰囲気のせいか、翼がなければ地上の種族と変わらない姿だった。

「すぐに応援も呼べるしね。あぁ、でも、別にここに居ても大丈夫だよ。人数がいっぱいいた方が、卵にとってもいいと思うし」

「ああ、ありがとう。それじゃあ、一度戻ってから、また改めてここに来させて貰う」

そうエトワスは答えた。ひとまず卵は安全だという事で、グラウカ達がどうなったか把握しておきたかったからだ。そして、扉が開いた際に近くにルシフェルがいた事も気になっていた。地底の種族の彼が、対極の存在である空の種族が大勢いるアズールに来れたかどうかは分からないが、もしかしたら彼の情報も何か入っているかもしれない。

『おやすみ』

そう心の中だけで言い、エトワスは卵をもう一度そっと撫でると、翠達と共に城へと向かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ