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LAZULI  作者: 羽月
58/77

58緑の森 ~ランタナ7~

 翌朝、ディートハルトが目を覚ますと部屋の中には誰もいなかった。いよいよ扉のところへ行く日だというのに、寝過ごしてしまったのだろうか。そう焦ったが、時計を確認してみると起きる予定の時間より僅かに前だった。そこで、すぐに身支度を整えてエトワスの姿を捜して部屋を出た。

「おはよう」

外にを出ると、捜すまでもなくエトワスが歩いてくるところだった。

「体調はどうだ?」

と、いつもと同じように尋ねる。

「昨日よりは、良くなってるかも」

理由が分かったせいかモヤモヤは消えてぐっすり眠れ、昨日より体が軽い気がしていた。

「それなら良かった」

と、エトワスは安心した様に爽やかな笑顔を見せるが、実は彼の方は昨夜よく眠れていなかった。ディートハルトに『おれ、エトワスの事、好きだから』と言われた言葉が気になり、“どういった意味で好きなんだ?”という疑問が頭の中をグルグル回っていたからだ。

「今日は必ず成功させるから、安心してくれ」

エトワスがそう言うと、ディートハルトは少し笑った。

「昨日フェリシアとニコールとジャックも、似たような事を言ってくれた。皆、おれなんかに、ほんと親切だよな」

「いつの間に。先を越されたな」

少し悔しそうにエトワスが言う。

「“なんかに”じゃないよ。前にも言ったけど、皆ディートハルトの力になりたいんだから」

「朝ゴハンの準備が出来たよー」

翠が、いつも通りのノンビリした声で呼んだ。マレッティと共に朝食の準備をしていたらしい。

「ああ、今行く」

と、エトワスが答えるのを聞きながら、ディートハルトは小さく溜息を吐いていた。

『とうとう、この日が来てしまった』

どうなるかは分からないが、ネガティブな事は考えない様に、そして、みんなに甘えすぎず迷惑を掛けない様に気を引き締めて行こう。そう思っていた。



 マレッティ神父も一緒に和やかな朝食の時間を過ごし、片付けも終えると、ディートハルト達は丁寧に礼を言って教会を出発した。

 小雨が降り寒さを感じる中、合流した非番の学生5人の案内でランタナの南の森の中にある遺跡に向かう。予想通り、ディートハルトを狙い普段は見掛けない様な魔物達が現れたが、今のところ数も少なく、逆にこちらは人数が多いので、予定していた時刻には目的地の遺跡に辿り着いていた。


 森の中の開けた場所に、少し大きめの劇場程の大きさの石造りの建物があった。

「間違いありません。空の種族の遺跡です」

建物を目にしたアカツキが言う。

「見ただけで分かるの?」

「感覚で、分かります」

ディートハルトの問いにアカツキは迷うことなく頷いたが、ディートハルトの方はよく分からなかった。ただ、“これが遺跡か”としか思わなかった。

 遺跡の外観はシンプルなもので、特に装飾も見られず灰色の石のブロックが積み重なっただけの造りをしていた。一見すると墓所の様にも見えなくもない。そして、その左右には中央の建物よりは小ぶりの天井部分が崩れ落ち壁のみが残った建物の跡があった。今日は天気が悪いせいか、最近はその辺りを掘っていると言っていたヴィドール人の姿は見られなかった。


「おはよ」

予定通り遺跡の入口付近に立っていたフェリシアに静かに近付き、翠が短く小さい声を掛ける。

「中に10名全員います」

同じ様に声を落としたフェリシアが短く伝えた。

「了解」

翠は振り返り、木陰に待機している仲間に合図を送った。それを受け、ディートハルト以外のI・K5名が静かに走り寄る。続いて、エトワスを先頭に、ディートハルト、アカツキ、シヨウ、そして非番の5名の学生も近くまで来た。

「今日は、グラウカと助手の男女2名は、ファイター1人と共に地下1階の西側の部屋にいます。そして、研究員のピングスとロサは、ファイター2名と共に地下1階の東側の部屋にいます。残り1名のファイターは、地下2階に下りてすぐの場所に立ち見張りをしています。そして、ルシフェルは遺跡内を一人でウロウロしていて一か所に留まっていないので、現在何階のどこにいるのか分かりません。学生達ですが、エメとオースティンは地下1階のグラウカ達4名がいる西の部屋近くに、ニコールとジャックは地下1階のピングス達4名がいる東の部屋近くに待機しています。それぞれの東西の部屋に続く十字路まで私が案内します。その後、改めて地下2階の奥の部屋にフレイク先輩達を案内するため、此処に戻って来ます」

フェリシアがそう話すと、翠達I・Kはブランドンに注目した。

「キサラギとルスは西の部屋でグラウカ以下4名を確保、クレイとリカルド卿、コーリーは東の部屋で4名を確保。俺は地下2階のファイターを捕らえる。何処にいるか分からないルシフェルは、見付けた者が捕えるという事でいいか?」

ブランドンの言葉に、I・K5名が問題ないと頷いた。


「じゃ、行きますか」

「気を付けろよ」

ニッと笑う翠にエトワスが声を掛けると、翠は「そっちも」と返して遺跡に視線を向けた。

「じゃな」

歩き出す直前、翠は一度振り返り、小さく言ってディートハルトの頭をクシャクシャッと撫でた。

「帰りを待ってるからな」

そう言って笑顔を向ける。

「早く元気になって帰って来いよ」

続けてフレッドもそう言って、ディートハルトの肩をポンポンと軽く叩いて行く。

「お前もI・Kだ。ちゃんと戻って来い」

フレッドと同じくリカルドもそう言って肩を軽く叩くと、ロイもポンと肩に手を置いた。

「またな」

そのまま、フェリシアを先頭にI・K達は遺跡の中へと入っていった。



「俺達も中に入ろう」

しばらくすると、エトワスはそう言って外で待機する事になる5人の非番の学生達に視線を向けた。

「後はよろしく頼む」

「はい、お気を付けて」

ランツという名の学生がそう言って敬礼すると、残りの4名もそれに続いた。


 エトワスを先頭に、ディートハルト、アカツキ、シヨウの順に遺跡内に入る。遺跡の1階は通路にヴィドール人が設置した明かりが灯されていて、それに加えて天井に近い位置にも等間隔に窓があるため明るかった。

すぐに、遠くから小さな足音をが響いてくる。姿を現したのはフェリシアだった。

「こっちです」

「I・Kは?」

「それぞれ西と東の部屋に向かってて問題ないから、大丈夫」

兄に答えながらフェリシアは足早に遺跡の奥に向かった。

「思ったより静かですね」

遺跡内の通路を進みながら、アカツキが辺りに耳を澄まして言う。

「人間は、みんな地下にいるんだろうな」

“人間は”、そうエトワスが言ったのは、窓から時折魔物が侵入してくるからだ。夜間に遺跡内に魔物が入り込まない様に、ヴィドール人達が出入口に木材で扉を作っていたため、遺跡に入った時にその扉を閉めていた。しかし、事前に聞いていた通り窓からそう数は多くないが魔物が入って来る。遺跡の外に待機している学生達の目を逃れたものや対応出来なかったものが、入り込んできているのだろう。幸い、遭遇する魔物は強いものではないため順調に目的地に近付いていた。


 しばらくすると十字路に差し掛かった。正面に続く通路には、木箱が一つ置かれていて『立ち入り禁止』と書かれた紙が貼られていた。

「この先は床が崩れてて危険だから」

フェリシアはそう言って、東の方の通路へと向かう。


「この先が地下への階段だけど、少し暗いから気を付けて」

フェリシアの言葉通り、階段付近は少し薄暗くなっていた。そして、階段を下りていくと、遠くから人が騒ぐような声が聞こえて来た。きっと、I・Kとヴィドール人達だろう。彼らの任務の成功を祈りつつ、そのままさらに下の地下2階を目指す。

「この下の階で、ファイターが見張りをしてるんだな?」

シヨウが言う。そこにいるのは、シヨウも顔見知りのファイターの誰かだ。

「はい。でも、ブランドン先輩が先に下りてますので、もう接触しているはずです」

「フェリシアは、後ろに行け」

そう声を掛けた兄に従い、フェリシアは後ろの方へと移動した。代わりにシヨウが先頭に出て階段を下りていく。

 フェリシアの話した通り、そこではブランドンとファイターが戦闘中だった。ブランドンは剣を鞘から抜いているため、ファイターの方はそれを避けながら攻撃の隙を伺っているという状況だ。

「おっ、コウサじゃねえか!」

そこにいたファイターは、シヨウとは割と仲の良い人物だった。

「あ?」

突然大きな声で名前を呼ばれ、砂色の髪と目をしたファイターが意表を突かれた様子で振り返る。当然、その隙を逃さずブランドンは剣の切っ先をコウサの喉元に突きつけた。

「おっ?え?マジか……おいっシヨウ!邪魔すんな!って、何でお前がこんなとこにいやがるんだ?」

驚いてシヨウの方を向き、直後に突きつけられた剣に気付き、交互に視線を向けて少々キレ気味に、名前を呼ばれたファイター……コウサが声を上げる。

「いやぁ、それが、話せば長くなるんだ」

階段を下りたシヨウは、困ったように頭を掻いた。

「お前、ランクXを逃がして、そのまま姿をくらましたって聞いたぞ。情が移って出来心でやってしまったんだろうって噂だったけど、どういう事なんだよ?っつーか、何でこの国にいるんだ?」

剣を突き付けられたまま話すコウサの言葉に、シヨウはウッと言葉に詰まる。最初は巻き込まれてしまっただけだったが、情が移ったと言われたら言い返せない。

「何か、可哀相に思えてな……」

「ハァッ?マジだったのか!」

驚き呆れた様子でファイターが声を上げる。

「シヨウ、世間話してる暇は無いんだけど」

そう言いながらエトワスが階段を足早に下りて来る。傍らにはディートハルトもいて、その後ろにはフェリシアとアカツキがいた。

「消えた新人研究員とランクX!?そうか!シヨウとお前がグルんなって、ランクXを逃がしたのか!」

「ああ、あの時の」

エトワスが思い出した様に言う。見覚えのあるファイターだった。ディートハルトと地底の種族のなれの果ての戦闘の際に、闘技場の入り口で銃を持って待機していた2人のうちの一人だった。親切な男だった事を覚えている。

「いや、ちょっと待て!どういう状況なんだ?何で揃ってこの国にいる?」

コウサは混乱しているようだ。

「ジェイドもラファエルも、元々ファセリア人なんだよ」

シヨウが言う。

「は?ええと、じゃあ、こいつの仲間って事か?」

と、コウサは改めて剣を手にしたブランドンに目を向けた。

「でも、それじゃ何で俺が襲われるんだ?ファセリア帝国から遺跡調査の許可は下りてるんだろ?お前ら盗賊なのか?この遺跡からは金目の物は出てないぞ」

コウサの言葉にブランドンは苦笑いして、エトワスに視線を向けた。

「簡単に説明して、同行をお願いしたんですけどね」

「シヨウの言った通り俺達はファセリア人で、遺跡調査の許可を出したこの国の人物と敵対する勢力に所属してるんだ。そして、グラウカが“弟”だと言ってたラファエルは、グラウカ達がこの大陸から拉致して実験体にしてたんだ。つまり、グラウカ達研究員は犯罪者なんだよ。その事も含めて俺達の上司がこの遺跡に来ているヴィドール人達に話を聞きたがっているから、同行して欲しいんだ」

エトワスの言葉をポカンとして聞いていたコウサは眉を顰めた。

「……マジか?じゃあ、それが、シヨウがランクXを可哀相に思って逃がした理由か?で、あんたは、ヴィドールの研究員に化けてランクXを取り返しに来てたって事か?」

「まあ、そうだな」

シヨウが頷く。最初は巻き込まれていただけだという事は伏せておく事にした。

「俺は化けたんじゃなくて、採用試験を受けてちゃんと通過して研究員になったんだ」

エトワスが訂正する。

「でも、俺には関係ないだろ?誘拐にも研究にも関わってないし、今この国にいるのも、ただ護衛を命令されたからだ」

「分かってる。だから、付いて来て貰えるなら危害を加えるつもりは元々ない。話を聞くのもグラウカ達研究員だけだから、すぐヴィドールに帰れると思うぞ」

エトワスの言葉に、コウサは「はぁ」と間の抜けた返事をする。

「なら、いいぜ」

コウサはあっさりそう言って両手を上げた。

「俺は、元々ランクBとXの事はちょっと気にはなってたんだ。まだガキだからな。グラウカさんの言ってた“弟”ってのは元々信じてなかったし、親はどうしたんだろうってずっと思ってた。何の研究をやってるのかなんてのは興味ねえけど、ガキどもを誘拐して騙してたってのは俺も気に入らねえ。だから、ヴィドールを裏切るわけじゃねえけど抵抗はしない。お前らに付いて行けばいいのか?」

「ああ。彼に従ってくれ」

と、エトワスがブランドンの方を見る。

「よし。じゃあ、行くぞ」

ブランドンに促され、コウサは大人しく階段を上り始めた。

「ああ、そうだ。この階にはランクAと地底の種族のなれの果てしかいねえぞ。グラウカさん達は地下1階だ」

振り返って言ったコウサに、エトワスが礼を言う。

「分かった。ありがとう」


「コウサは、いいヤツだぞ」

ブランドンとコウサが階段を上って行くと、シヨウがそう言った。

「知ってる」

エトワスは小さく笑った。ヴィドールで、エトワスの事を新人研究員だと信じていたコウサは、ディートハルトと地底の種族のなれの果ての戦闘が始まる前に、すぐ近くで戦闘を見物しようとしていたエトワスの事を『度胸がある』と褒め、その身を気遣う言葉を掛けてくれた。

「大丈夫。ファイターはグラウカ達とは関係ないってちゃんと話してあるから、一応一緒にウルセオリナまで来て貰うだけだよ」

エトワスの言葉に、シヨウはホッとしているようだった。


 地下は、一階の建物とは違う時代に違う人間が作ったものだと昨日学生が話していたが、その言葉通り一階とは雰囲気が異なっていて、壁一面にレリーフが施されていた。単に模様なのか象形文字のようなものなのかは分からないが、何か紋様が刻み込まれている。

『この感じ、ギリア地方の遺跡のものに何となく似ているな……』

エトワスはそう思っていた。例の、地底の種族のなれの果てと思われる魔物に襲われた二年生の学年末試験の際に訪れた遺跡も、似たような雰囲気だった。ただ、ギリア地方の遺跡にはレリーフは無かったような気がする。

「なあ、エトワス、ここって、ギリア地方の遺跡に雰囲気が似てないか?」

同じ事を考えていたディートハルトが、眉を顰めてエトワスに言う。

「俺も今そう思ってた」

「ここは、空の種族が作ったものではありませんね。きっと、地底の種族が作ったものなのでしょう」

アカツキが、歩きながら壁のレリーフに触れて言う。

「このレリーフが何なのか分かるのか?」

エトワスの問いにアカツキは首を振った。

「恐らく文字だと思いますが私には読めません。ただ、空の種族のものではないという事は分かります」

「でも、何で空の種族の建物の真下に地下を作ったんだろう?扉を使う奴を待ち伏せするのに、ここに住んだ方が早いって思ったのかな?」

ディートハルトの言葉にシヨウが頷く。

「その方が早えもんな」

「この規模ですから、昔は大勢が住んでいたのかもしれませんね」

「今は一匹だけらしいし、助かったな」

エトワスは心の底からそう思っていた。もし、複数の地底の種族のなれの果てが待ち構えていたら、この人数では対応するのが厳しい。


「ルシフェルに気付かれたかも……」

フェリシアの案内でしばらく通路を進むと、ディートハルトがそう言って周囲を見回し眉を顰めた。声は聞こえないが気配を感じていた。という事は、向こうもディートハルトに気付いている可能性が高い。

「扉の部屋で、魔物と一緒に待ち構えてるのかもしれないな」

それならそれで分かっている分戦いやすい。そう、エトワスは思っていた。

「お兄ちゃん、魔物が」

フェリシアの声に振り返ると、魔物が1匹こちらに向かって来る姿が見えた。すぐに、魔物に一番近い場所にいたフェリシアが術を使う。エトワスも使うE・Kの術だったが、属性の力を剣には纏わせず直接対象に向かって放った。


キイィィン


という甲高い音と共に魔物が凍りつき動きを止める。それは、一階から階段を下りて来た様だった。

「フェリシア、案内してくれてありがとう。ここから先はもういい。お前はシヨウと一緒に地上に戻って他の学生達と合流しろ」

「分かった」

フェリシアが頷くと、エトワスはシヨウに目を向けた。

「シヨウ、妹を任せてもいいか?」

「ああ、もちろんだ。任せろ」

エトワスの言葉にシヨウはすぐに頷く。

「だけど、いいのか?この先にルシフェルとランクCがいるんだろ?」

「大丈夫だ」

エトワスが翠とレイシに聞いた話では、ルシフェルは魔物や物を”操る”事は出来ても、本人の戦闘能力は高くはないようだった。そして、部屋は空っぽだと聞いている。つまり、ルシフェルが操れる”物”はないという事になる。となると、敵は地底の種族のなれの果て一体だけと考えて良さそうだった。

「あの、フェリシア、シヨウ、ありがとう。気を付けて」

ディートハルトが声を掛けると、フェリシアは少し表情を曇らせてディートハルトの両手をキュッと握った。

「フレイク先輩も。早くよくなって帰って来てくださいね」

「俺は、お前が元気な姿を見た事がないからな。次は、元気いっぱいな姿を見せてくれ」

そう言って笑い、シヨウはディートハルトの頭をグシャグシャと撫でた。

「またな」

そう言って、シヨウとフェリシアは元来た道を戻って行く。


「ゴールまであと少しだな。魔物がこれ以上集まって来るとマズイから、急ごう」

ディートハルトはそう言うと、残ったエトワスとアカツキに背を向け突然走り出した。自分がいる限り魔物達がどんどん集まって来るのは分かっているのだから、さっさとアズールへ行ってしまおう。そう思っていた。全力で走っていけば、ルシフェルの意表を突いてその脇をすり抜けて扉を通れるかもしれない。

「待て、ディートハルト!無茶するな!」

と、慌ててエトワスとアカツキが後を追う。

「待て!」

すぐに追いついたエトワスが、ディートハルトの腕を掴んで引き留めた。

「だって、急がないと。おれが早くここからいなくならないと、遺跡にどんどん魔物が入って来るから」

「今この遺跡には、I・K6人と卒業目前の騎士科の学生10人、ファイターも5人いるんだ。魔物の心配はしなくてもいい」

「そうだけど、ここまで来た魔物はどうするんだ?おれは今役に立たないし、エトワスが困るじゃん」

眉を寄せて訴えるディートハルトに、エトワスが困った様に笑顔を見せた。

「分かったよ。急ごう。でも、走るな」

「うん。じゃ、歩くから。早く行こう」

ディートハルトは素直に従い歩き出す。

「場所が分かるのか?」

迷わず歩き出したディートハルトに、エトワスが尋ねた。

「何となく。ルシフェルがこっちにいる気がする」

「ええ。私も、こちらで合ってると思います」

扉の守護者の一族であるアカツキも、しっかりと頷いた。


「この先に、ルシフェルがいる」

壁にレリーフの刻まれた通路をしばらく真っ直ぐ進み、視線の先に部屋の入口が見えてくるとディートハルトがそう言った。

「分かった。アカツキは安全なところで待っていてくれ。ディートハルト、俺が先に行く」

エトワスはディートハルトの前に移動し、逆にアカツキは少し離れた後方へと移動した。


 その部屋は通路と隔てるドアはなく、オースティンが話していた通り何もない空間が開けていた。四方の壁に、天井と床にも、通路と同じ紋様が彫り込まれている。そして、そのどこにも扉らしきものは見当たらなかった。

「久し振りだね」

その部屋の中央付近にルシフェルが立っていた。ディートハルトと同じように、気配を察していた様で驚いている様子はなかった。そして、その背後には、ルシフェルの2倍はある大きさの人型の生き物が蹲っていた。それは、予想していた通りヴィドールでも飼われていたランクC……“地底の種族のなれの果て”と呼ばれている魔物だった。

「あんた、羽はどうしたんだ?切り落としたのか?」

ルシフェルの背に、大きな黒い翼は無かった。

「相変わらず、君はおかしなことを言うね。この国では目立つから、しまっているだけだよ」

ルシフェルは呆れた様に笑っている。

「え、しまえるもんなのか?」

そう言えば、シュナイトの家に飾られていた写真のシャーリーンにも翼はなかった。

「そんな事より、空の種族の君が来てくれて、良かったよ」

ルシフェルが赤い瞳でディートハルトを見据え、口元だけに笑みを浮かべて両手を差し出す。

「せっかく扉らしい物を見付けたのに、残念な事に開かないんだよ。どうしてかな?でも、空の種族の君を僕が吸収したら開くかもしれないよね?」

やはり目は笑っていないまま、口だけは楽しそうに笑みの形に変えルシフェルが言う。

「でも、まだヴィドールにいた時と同じみたいだね。弱っちいままみたいだけど、この際それでもいいよ。吸収させて貰う」

歩み寄るルシフェルに向かいディートハルトは自分が装備している剣を抜こうとしたが、その前にエトワスが背に庇い前に立っていた。

「下がってろ」

ディートハルトはエトワスの言葉に従い、邪魔にならない様にすぐに後ろに下がった。

「ああ、君も見た顔だね。ラファエル、前はファイター2人を引き連れて来てたけど、今度は裏切り者の研究員が一緒なのかい?」

うんざりした様に言ったかと思うと、ルシフェルの目が一瞬ぼんやりと赤く光った。その直後、彼の背後に蹲っていた魔物が立ち上がってエトワスに飛び掛かる。


ガガガッ!


長く鋭い爪が振り下ろされ、石造りの床に傷を付けた。その攻撃を飛び退いて避けたエトワスは、刃が赤く光る剣で魔物の手首付近を斬りつけた。

「!!!!」

刃で焼かれた異臭と共に低い咆哮を上げ魔物が大きく暴れる。間髪入れず、エトワスは左腕を突き出した。直後に、掌付近の宙に現れた光の球がバチバチと音を立てながら急速に大きくなり、魔物の身体の中央に向け放たれる。

「!!!!」

まともに喰らった魔物は背後の壁に激しくぶつかり体のバランスを崩した。その体勢を整える前に、すかさず剣を構えたエトワスが斬りかかる。

「!」

魔物がギリギリで体を反転させたため、剣の刃は魔物の背を浅く斬っただけだったが、その分厚い皮膚が焼かれたため、周囲に焦げ臭い匂いが漂った。


グアアアアッ


威嚇する様に低く吠え、魔物が再び無傷な方の腕をエトワスに向かい振り上げた。同時に、ディートハルトがハンドガンの引き金を引く。

「!」

魔物の足元を狙って撃たれた弾丸は全て命中し、鋭い爪がエトワスを攻撃する前に魔物はよろけて体勢を崩し床に崩れ落ちた。

「思ったより使えないな……」

ルシフェルが独り言の様に言った声が聞こえた途端、魔物がムクリと体を起こした。そして、両腕を振り回し暴れ始める。それは、魔物の意思で動いているというより、糸か何かで操られているかのような奇妙な動きだった。獲物を狙って攻撃している訳ではなく、飛んだり跳ねたりして、ただ滅茶苦茶に激しく暴れている。それは、意図が感じられない全く動きの読めないものだった。その上、両腕や足が壁や床にぶつかり、魔物自身も傷ついているようだが全く何の反応も示さなかった。

「!」

エトワスがディートハルトを抱え込んで身を伏せた直後、それまでディートハルトが立っていた場所へ魔物が力任せに腕を薙ぎ払っていた。すぐ近くの壁に凄まじい勢いで腕が当たり鈍い音がする。魔物の鋭い爪に引き裂かれるか叩き潰されるところだった。

「扉がどこにあるか分かるか?」

急いで身を起こし、ディートハルトの手を引いて立ち上がらせると、早口にエトワスが尋ねる。

「ええと……」

扉なんてないんじゃ……と、言い掛けたところ、床の中央付近に描かれた幾何学模様が目に付いた。部屋に入った時にルシフェルが立っていた位置だ。円周に沿って文字の様なものが書かれ、大きな円にいくつもの大きさの違う円が重なっていて、中心には明らかにその部分だけ違う質感の白く円形の物がはめ込まれている。鏡の様だったが、それが硝子なのか石なのか、それとも金属なのかは分からなかった。

「わっ!」

床に気を取られていたディートハルトを、再びエトワスが抱きかかえるように引き寄せる。ギリギリ避けたが、今度は振り下ろされた魔物の足に踏まれるところだった。

「床の真ん中が怪しくないか?」

暴れ続けている魔物を避けながら、エトワスに言う。

「あそこを調べてみる」

「分かった」

エトワスは短く答え、魔物に向かい術を放った。ディートハルトが床の紋様に近付ける様に魔物を遠ざけるためだ。狭い部屋の中で使うような術ではなかったが……


ドオォォンッッッ!


爆音と共に火球が魔物を襲う。

やはり魔物は攻撃を受けても何も感じていない様だったが、火球がぶつかった衝撃で吹き飛ばされて、部屋の隅にいたルシフェルの方へ突っ込んだ。

「!?」

ぶつかる直前、ルシフェルは魔物からギリギリ逃れたが、完全に怒りに火が付いた様子で魔物に向かい何やら強い口調で命令した。直後に、魔物はエトワスのみを狙い激しく攻撃し始める。

「!」

ディートハルトはエトワスが心配になってしまったが、彼が何のために魔物からこちらの注意を逸らしてくれたのかを思い出し、部屋の中心に走ると膝を着いて身を屈め気になっていた白い石の様なものを確かめた。

「!?」

覗き込んだ直後、鏡の様な白い部分に水面の様な波紋が出来る。

『液体だったのか』

と思った瞬間、白い円形の部分が強く光り水が勢いよく溢れ出した。

「うわっ!」

しかし、水に触れた手や服は冷たくなく濡れてもいない。水かと思ったものは水ではなかった。しかし、見た目は水にしか見えないそれは噴水の様に吹き出すと部屋中に流れ広がり、壁を伝って上りレリーフに流れ込むとそのまま天井に達してその面を覆った。

「?!」

部屋の異変に、エトワスとルシフェルも気が付いて動きを止めると、同時に魔物も動きを止めた。

「見ただけで何もしてないんだけど、何か水っぽいのが出た!」

エトワスの元に駆け寄りディートハルトが言う。直後に地響きの様な音が響き、微かに地面が揺れ始めた。

「地震!?」

部屋の床、壁、天井を覆った水の膜の様なものは発光し、徐々にその光の強さが増してきていた。

「一度退こう」

危険を感じ、エトワスがディートハルトの腕を引く。ルシフェルは呆然として周囲を眺めていて、そのせいか魔物は床に崩れ落ちたまま動かなくなっている。その隙に2人は部屋を出た。


「これは、何事ですか?」

部屋の外で待機していたアカツキが駆け寄って来る。地響きはまだ続いていた。このままでは建物が崩れるかもしれなかった。

「何か水みたいのが溢れて来たんだ。あれって扉と関係あるのか?」

ディートハルトの言葉に、アカツキは眉を寄せた。

「いえ、そんな話は聞いた事がありませんが。一体、何があったんですか?詳しく話してください」

「何か部屋の中央に鏡みたいな水面があったんだ。それで……」

「後で話そう。外に出るぞ!」

これ以上揺れが酷くなると移動する事も出来なくなるだろう。エトワスに促され、アカツキとディートハルトは走り出す。“扉”の部屋から溢れ出た発光する水の様な物は、壁や床や天井を伝いどんどん流れ広がっていく。遺跡全体を覆う勢いだった。

『どうしよう。おれ、なんかヤバイ事したのかな』

何かしでかしてしまったのではないだろうか、と、ディートハルトは少し怖くなっていた。

『もしかして、扉を壊してしまったとか?』

元来た道を辿り、そのまま上の階へと続く階段を上ると、東の部屋の方から走って来たリカルドとロイに会った。先輩I・Kのクレイと、学生のジャックとニコール、ヴィドール人4人も一緒だ。

「お前ら何でここに?と言うか何が起きたんだ?」

リカルドが走りながら尋ねる。

「分からないんだ。とりあえずここを出よう!」

既に、水の様な物は彼らを追い越してその先まで行き、既に地下全体を覆い尽くした様だった。

「エトワス!」

地上階への階段が見えて来たところで、エトワスは名前を呼ばれた。見ると、西の部屋の方から来たらしい翠の姿がある。フレッドと、エメとオースティン、そして、グラウカを含むヴィドール人の姿もあり皆必死に走っていた。

「お前らも逃げてるって事は、相当ヤバイって事?」

「多分な」

立ち止まらずそのまま全員で階段を駆け上がり一階に出ると、シヨウとフェリシアの姿もあり、シヨウがフェリシアを気遣う様にしながら前方を走っていてエトワスはホッとした。しかし、揺れが少しずつ大きくなっていて、徐々に走りにくくなってきている。

「崩れて来たのに合わせて、全員で術を使って瓦礫を吹き飛ばすか?」

走りながら翠が言う。ファセリア帝国学院騎士科の必修科目の術なので、今ここにいるファセリア人は皆同じ術を使える。一斉に合わせて使えば、崩れて来る石に潰される確率は多少下がるかもしれない。しかし、翠がそう言った直後、周囲を覆った水の様なものがさらに強く輝き眩しくて目を開けていられないくらいまでになった。そして、続いていた小さな揺れが急劇に大きな揺れへと変わった。

「!?」

複数の悲鳴が上がり、何かが壊れる様な重い音がした。


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