50ウルセオリナ ~本音1~
強く冷たい風がダークブラウンの髪をかき乱す。
「寒……」
思わず呟くと、すぐ隣に立つ長くクセの無い黒髪をポニーテールにしている同級生が頷いた。
「ランタナは帝都より気温が低いもんね。早く宿に帰りたい」
「そうだね。ただ立ってるだけだと余計に寒いし、まだ遺跡の中の方がいいかも」
そう言うと、逆の隣に立っていたフワフワの明るい金髪の同級生が「そう?」と返す。
「中には不気味な魔物がいるし、わたしは少しくらい寒くても外の警備担当で良かったって思うけど」
「あたしもそう思う。フェリシアはお兄ちゃんみたいに術も得意だからいいかもしれないけど、あたしもエメと一緒で外の方がいいかな。狭いところは苦手だから」
黒髪の同級生ニコールが、その場で伸びをしながら言う。彼女の言う“苦手”は、魔物と戦うのに自由に動きづらくて不便、という意味だった。
「そんなに得意って訳じゃないけど。……お兄ちゃんと言えば、もう一年近くになるんだ……」
フェリシアの呟きに、ニコールがハッとした。
「あっ、ごめん」
「ううん、大丈夫。もう慣れたっていうか、現実なんだって受け入れられてるから」
フェリシアは友人にそう言って微笑んだ。兄であるエトワスが戦死したと聞かされたのは春の事だ。正確に言えば、E・K達が戦地から帰還せず行方不明だという事を実家からの手紙で知ったのだが、それ以来、実家からは兄について何の連絡もない。“遺体が見付かった”とも“生還した”とも聞いていなかった。
その代わり、最初の“E・K達が行方不明”だという知らせがあってから一か月後に、祖父からの使者がフェリシアのいる帝都まで直接やって来て、祖父からの言葉として『こちらから“戻っても良い”と連絡があるまで、当分の間ウルセオリナに帰省はせず帝都にいるように』と伝えられた。その伝言についての理由は、まだ何が起こるか分からないから安全のためにという事だった。お陰で、夏休みも冬休みも帰省する事はなく、帝都にあるニコールの家にお邪魔させて貰った。
「寂しい気持ちに変わりはないんだけど、元々、お兄ちゃんも私も寮生活で生活の場が別々だったし、毎日顔を合わせてた訳じゃないから事実として受け入れられてるのかな。いつも近くにいたとかだったら、強い喪失感があったのかもしれないけど」
フェリシアがそう話すと、金髪の同級生エメが、ヘーゼルブラウンの目を潤ませた。
「わたしは無理……!絶対、無理。絶対あり得ないから」
「あ、ごめん、エメ」
失言してしまった、と、フェリシアが自分の口元に手を当てる。
「そうだよね。エメは、エトワス様が無事だって信じてるんだよね。ごめん、あたしがうっかり話題に出しちゃったから。ほんと、ごめん!」
フェリシアとニコールが、焦った様子でエメを慰める。
「話題、変えようか。ええと……夕飯は何食べる?私は、クリーム系のパスタにしようかな」
「じゃあ、あたしは、今日はガッツリ肉料理かな」
フェリシアの話題に乗り、ニコールが明るい調子で楽しそうに言う。
「今日は、って、ニコールは昨日もというか、いつも肉料理じゃなかった?」
「そうだけど、昨日はあっさり系の肉料理だったから、今日はガツンと来る奴にするんだ」
二人が敢えて明るく話していると、エメは鼻をぐずつかせながら目元を拭って顔を上げた。
「わたしは……。スープパスタにする」
「いいね、美味しそう!」
フェリシアが即答すると、三人は同時に少しだけ小さく笑った。
「だけど、あたしは、そろそろ学食のメニューが懐かしいな。この遺跡の調査っていつまで続くんだろう?」
ニコールが少し疲れたように言う。
ヴィクトールの叔父アーヴィングが皇帝代理となってしばらくすると、それまで交流の無かった遠いヴィドール国の学者達が突然ファセリア帝国にやって来て、ルピナス地方にある遺跡の調査を始めていた。
その一団の中にはファイターと呼ばれている戦闘員も同行しているのだが、遺跡のある森から遺跡内に侵入してくる魔物の数が多いので、彼らを援護するため、そして、ヴィドール国側には伏せられているが、遺跡にやって来たヴィドール人達を密かに監視する目的で、ファセリア帝国学院騎士科の学生達がランタナへ派遣されヴィドール人達遺跡の調査チームに同行していた。
遺跡の調査は既に数か月続いていて、学生たちはその間、3週間ずつ交代でヴィドール人達に同行するという任務に就いているのだが、フェリシア達のグループがこの地に来てから今日でちょうど一週間が経とうとしていた。
「だいぶ前に、遺跡内で何か見付けたって話は聞いたけど、ヴィドール人達のメンバーが入れ替わってもまだ調査が続いてるって事は、他にも何か探してるのかも。それが見付かるまでは調査は止めないんじゃない?」
フェリシアの言葉に、まだ目の赤いエメが頷いた。
「まだ全然帰りそうな雰囲気じゃないもんね。でも、何の遺跡なんだろう?すごく古い文明の遺跡って聞いたけど、ルピナス伯爵も存在をご存知なかったって言ってたよね」
「そうだよね。そんな遺跡の事を、何でヴィドール人が知ってるのかって事の方が気になるけど……」
フェリシアがそう言うと、ニコールが眉を顰めた。
「フュリー、きっとそれって触れちゃいけない奴かも。知らない方がいい奴だよ、きっと」
「そうかも。……そう言えば、3年前にギリア地方の小さな無人島でも遺跡が見付かったって話があったよね。同じ文明のものなのかな?」
と、フェリシアが“何の遺跡か”に話を戻して首を傾げる。
「ああ、ギリア地方の遺跡って、先輩達の学年末試験の会場で、事故があったとこだよね?」
「そう、それ」
ニコールの言葉にフェリシアは頷いたが、兄達がその試験会場に行った“先輩達”だという事は口に出さなかった。エメがまたエトワスを思い出して泣き出すといけないと思ったからだ。
「……」
しかし、エメの方はしっかり覚えていたらしく、無言でまた目を潤ませている。
「い、遺跡って、知られてないだけで意外といっぱいあるのかもね!ファセリア大陸の歴史の勉強をしなおしてみようかな」
遅れて気付き、慌てた様子でニコールが言う。
「そうだね。帰りに本屋さんに行って歴史の本を探してみようか?」
そう答えつつ、フェリシアは『お兄ちゃんのせいで!』と、兄を少し恨めしく思っていた。
* * * * * * *
レテキュラータ王国を出た船は数週間を掛け、ようやくファセリア大陸北西のギリア地方の港町、北ファセリアに到着していた。
「ここが、ファセリアか」
港に降り立ったシヨウとアカツキが、物珍しそうに周囲を見回している。
「雰囲気は、レテキュラータ王国と似ていますね」
ディートハルト達が久し振りに見るファセリア帝国内は、数か月前に騒ぎがあったとは思えないくらい通常と変わらぬ雰囲気だった。
「ほっとするなー」
馴染みのある街並みの雰囲気を目にして、フレッドがしみじみと言う。
「全然変わってないな」
数か月前ファセリア大陸を離れてから、ファセリア帝国がどうなっているかという情報は全く入っていない。レテキュラータ王国のシュナイト・W・レトシフォンの話では、アーヴィングが皇帝代理となったという話が伝わって以降、特に新しい情報は伝わっていないとの事だったので、未だヴィクトールはウルセオリナにいる可能性が高いと思われた。
「そう言えば、キサラギってこの町に家があるんじゃなかったか?」
北ファセリアには、翠の母方の祖父母の家がある。父の故郷シオン国で生まれ育ち、子供の頃にファセリア帝国が気に入ったあまり一人祖父母の家に移住した翠にとっては、その祖父母の家が実家の様なものだった。
「あるよ。爺ちゃんと婆ちゃんが住んでる。流石に死んだとは思われてないだろうけど、行方不明くらいには思ってるだろうから、オレがここにいるって知ったら、めっちゃビックリするかもね」
と、翠が苦笑いする。
「そりゃそうだろ。卒業式後、帰省してないんだろ。早く顔見せに行けよ」
「安心させてやった方がいいな」
フレッドの言葉にエトワスが頷くと、翠とフレッドがエトワスの顔を見る。『お前が言う?』という視線で見ていた。
「ま、じゃ、ちょっと寄って来る」
この日翠は祖父母の家に寄る事になり、ディートハルト達は町の宿に泊まる事になった。
翌日、ディートハルトら6名は人目を避けつつ陸路で南に向かった。北ファセリアで得た最新情報でも、未だアーヴィングが皇帝代理のまま動きは無いという事だったため、帝都ファセリアはそのまま通過し、途中、アルタイカという町で一泊、その後、ウルセオリナ地方の湖の畔の町オドラータに向かった。
「すげぇな。オアシスの何倍あるんだ」
大きな湖を見て、シヨウが感動した様に言う。
「さらに驚く事に、あそこにお城が見えるでしょ?あれ、エトワス君個人の別宅なんだよ」
湖の畔に立つ白い城を指さし、翠が言う。
「は?」
シヨウとアカツキは理解出来なかったのか、反応が薄い。
「宿泊出来たら良かったんだけど、ごめん。鍵は持ち歩いてないんだ。町に管理してくれてる人がいるからそこにも鍵があるんだけど、俺が姿を見せたら色々マズイから」
「いや、ここまで来れば、目的地はすぐそこじゃん」
フレッドは、やっとゆっくり出来ると嬉しそうだが、エトワスは浮かない表情だった。祖父であるシュヴァルツに説教される事は確実だからだ。
* * * * * * *
そして、ウルセオリナ城――。
船の着いた北ファセリアからウルセオリナまでは距離があるため、列車も利用し数日掛けて城下町に着いてから1時間程が経過し、現在エトワスはウルセオリナ城で祖父であるウルセオリナ公爵に面会したばかりだった。
日が落ちて冷え込んで来た気温のせいだけでなく、その場の空気が冷たく感じられた。
「閣下、只今帰還いたしました。ご無沙汰しております」
執務室に入りそう告げ頭を下げたエトワスを祖父が無言で見ている。エトワスが部屋に入る前に、慌てふためいた使用人により帰還の報せを受けていたためシュヴァルツは驚きはしなかったが、怒り心頭といった様子だった。
「長い間連絡もせず、勝手な行動を取り続け申し訳ございませんでした」
「この、愚か者がっ!」
エトワスが予想していた通り、開口一番に怒鳴られた。
ウルセオリナ公爵シュヴァルツは70代前半だが、体格も良く声量も衰えておらず迫力があり、エトワスよりも部屋の外を偶然通りかかった使用人の方が慄いていた。
「お前は自分の立場という物が……いや、それ以前に、お前なりの事情があったにせよ、無事でいる事を報せる事くらいは出来たであろうが!どれだけ私がっ……、クローディアやソフィアが嘆き悲しんだか、分かっているのか!?……勝手な行動を取るにも程があるっ!……どうしようもない馬鹿者がっ!!」
公爵は激高するあまり言葉が出て来ないようだった。
「その上、個人的な理由でE・K達まで巻き込みおって!」
「仰る通りです。申し訳ありません」
「何が仰る通りだ、愚か者ッ!!」
何を言っても、愚か者か馬鹿者のどちらかの言葉で罵られそうなので、余計なことは言わない事に決めた。
「エトワス!」
同じ様な言葉で延々と怒られ続けていると、名前を呼ぶ声と共に扉が大きく開き、二人の女性が駆け込んで来た。
「まあまあ!本物だわ!!」
と、真っ先にエトワスを抱き締めたのは、祖母のクローディアだった。二人の登場によって場の空気が柔らかいものに変わったため、少しほっとする。
「今まで何の連絡も寄越さないなんて、本当に馬鹿な子ね……!」
そう、祖父と同じく馬鹿呼ばわりしているのはその娘――エトワスの母ソフィアだ。口にした言葉は責めているものだったが、その表情は祖父とは違い笑顔だ。
「申し訳ありません」
「ええ、ええ、良いのよ。無事だったんですもの。本当に良かったわ」
“良かった”と何度も繰り返し、祖母は紫色の瞳に涙を浮かべ笑顔で腕を伸ばし、孫の頭を撫でる。
「E・K達に、貴方が酷い怪我を負ったと聞いたわ。もう大丈夫なの?」
「はい、問題ありません。ご心配をお掛けしました」
「全くだ!」
フンッと、シュヴァルツが鼻を鳴らす。
「良いじゃありませんか。こうして元気な姿を見せてくれたんですもの。こんなに嬉しい事はありませんわ。ねえ、ソフィア」
夫を窘め、クローディアは娘に同意を求める。
「ええ。言いたいことは沢山あるけれど、お父様が既に仰ってくださったみたいだし。本当に良かった。お帰りなさい」
祖母と同じ紫色の目を潤ませ、母も微笑む。
「疲れたでしょう?お腹が空いているのではない?この時間だから軽食しかすぐには用意できないでしょうけど、一緒に戻ったお友達も呼んでお茶でもしましょうか?外国の話を聞かせて頂戴」
「待て待て!話は終わっていないぞ!」
エトワスの手を握って引っ張り、早くも連れて行こうとする妻をシュヴァルツが止めた。
「まあ、そうなの?……それじゃあ、お茶の用意だけ先にお願いしておくわね」
「また後でね」
そう言って不満そうな祖母と母が静かに部屋を出て行くと、疲れた様に深く溜息を吐きシュヴァルツは椅子にドサリと腰を下ろした。
「…………」
腕組みをして目を瞑り、長い間沈黙していたが徐に口を開く。
「おおよその事はE・K達から聞いているが、改めて、何があったのか、今まで何をしていたのかを話せ」
「はい」
エトワスは時間を遡り、出撃してからの事を順を追って話し始めた。ディートハルトが話しても良いと言ったため、空の種族やアズールの話にも触れてE・K達と別れてからの事も含め全てを説明した。
「……」
長い話を聞き終えたシュヴァルツは、再び深い溜息を吐いた。
「何故、レテキュラータ王国に行くことはI・Kに任せ、お前はヴィドールからE・K達と共に戻らなかった?……と、尋ねたいところだが、お前の答えは分かっているから言わなくていい」
そう言って、シュヴァルツはもう一度小さく溜息を吐く。
「友人を大切にし、放っておけないという気持ちは分かるが、お前はもう学生ではないのだぞ?I・K達にももちろん、フレイクは元同級生で同僚でもあるという動機があっただろうが、彼らは陛下に命じられ任務として動いていたはずだ。お前はどうだ?百歩譲って、拉致されたフレイクの救出に協力し、同時にヴィドール国の動きを探っていたというところまでは良い。だが、I・K達とはヴィドール国で別れ、すぐに帰国し報告した後、ヴィクトール陛下のために動き国内の安定に力を尽くすのが、お前のやるべき事だったとは思わないか?お前はヴィクトール陛下に仕えている身だぞ?最優先すべきは、陛下とこのファセリア帝国だろう?」
「はい、承知しております」
「ハァ……」
と、シュヴァルツは、何度目になるのか分からない溜息を吐いた。
「分かっていて、己を優先し行動したというのだな?」
「はい」
エトワスは、素直に全てを肯定している。説教をやり過ごすためではなく、祖父の言う通りだという自覚があった。
「お前の事だ、そうだろうな。もし、全く分からずにやったというのなら、過ちを教え今後は正しく判断出来るよう導く事も出来ようが、理解していながら敢えてとなれば、たちが悪いぞ」
シュヴァルツは眉を顰め、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「……アーヴィング殿下が、皇帝代理として帝位に就いているのは知っているな?」
「はい。詳細は把握していませんが」
「そうか。ヴィクトール陛下は、現在もここウルセオリナ城におられる。今回帰還したI・Kと共に、改めてお前からも陛下に報告しろ。確認したい事はまだあるが、まずはそれからだ」
その言葉でようやくシュヴァルツの元から解放されたエトワスは、ひとまず部屋で待機しているよう言い渡された。しかし、言い付け通りすぐに自室へは向かわず、そのままI・K達がいるはずの部屋へと向かった。
「お、エトワス君。怒られた?」
扉をノックすると、それに応えて出て来たのは翠だった。I・K達は2人ずつ同じ部屋を使っていると聞いていたが、部屋の中には翠とディートハルトがいるだけでなく、フレッド、アカツキ、シヨウも集まっていた。
「まあ、それなりに」
曖昧に返事をして、エトワスはディートハルトに視線を向ける。
「体調はどうだ?」
久し振りに長距離を移動したため、ずっと気になっていたからだ。だから、祖父の言い付けを無視して真っ直ぐ自室に戻らず、ここに来ている。
「ああ、うん。大丈夫。さっき薬も飲んだし問題ない」
「そうか、それなら良かった」
答えたディートハルトの顔色は悪くはない。嘘ではない様で一安心した。
「じゃあ、また後で」
そう言ってすぐに部屋を出ようとするエトワスに、ディートハルトが急いで駆け寄る。
「どこ行くんだ?」
「俺は、自分の部屋にいるよう言われてるんだ。今たっぷり説教されたばっかりだし、ちゃんと部屋にいないとな」
これ以上の不興を買うと本当に、ウルセオリナどころか部屋から出るなと言われてしまうかもしれなかった。
「ああ、そっか……」
エトワスは小さく笑ってそのまま去って行ったが、部屋に残されたディートハルトは少しションボリしていた。
『ここはエトワスん家だし、自分の部屋に戻るのは当たり前だよな』
そう考えながら、ベッドの端に腰を下ろす。
「しっかし、何かもう訳がわかんねえな」
暖炉前の椅子に座っていたシヨウが、そう言って頭を振る。
「シュナイトさんとこの屋敷でもビビったけど、ジェイドはこのデカイ城が家で王子様って奴なんだよな?」
「ちょっと惜しい。似たようなもんだけど王子様じゃなくて、次期公爵様。皇帝家に継ぐ階級の公爵家のご令息で皇帝家の血も引いてる、ここウルセオリナ地方の領主の跡取りだよ」
翠の詳細な説明に首を振り、シヨウがボヤく。
「ヴィドールにも一応王って呼ばれてるトップはいるけど、貴族階級?ってのはねえから全然分かんねえな。ちょっと前までは分かりやすく“新入り研究員のジェイド”だったのにな。お前らだけじゃなくてラファエルまでアイケー?とかって奴で、今から皇帝に報告するとかって言ってるし。ワケ分かんねえ」
ウルセオリナに戻って来たので久し振りにまたI・Kの制服を身に着けている翠とフレッドが笑う。制服が無いためレテキュラータで着ていたシンプルな衣服を身に着けているディートハルトは、話を聞いていないようでぼんやりしていた。
「シヨウ、私も全く分からないので安心してください。アイケーやイーケー、ヘーカやカッカ等と言われても何が何だか。どう違うのか理解できません」
アカツキが穏やかに笑う。
「そうだよな?良かったぜ」
そうシヨウがホッとした様に言った時、再び扉がノックされた。
扉の近くに居たフレッドが出てみると、そこには使用人の男性が立っていて、全員揃ってヴィクトールのもとに行くよう伝えられた。数か月前にロベリア王国に向かうまでの間滞在していた時と変わらず、別棟の最上階がヴィクトールの部屋だった。
「キサラギ、ルス、よく戻ったな」
人好きのする笑顔を浮かべて悠然と椅子に腰を下ろしたヴィクトールは、全く変わりがなく元気そうだった。その傍らには、ウルセオリナの領主シュヴァルツが控えている。
「フレイク、相変わらず眩しいくらいに美しいな。無事に帰って何よりだ」
「お騒がせして、申し訳ございませんでした」
エトワスも呼ばれていて、彼の横に並ぶ形でディートハルト、翠、フレッドと続き、皇帝に向かい片膝を床に着いて胸に片手を当て、頭を垂れている。
アカツキとシヨウはその様な彼らからは離れた後ろの方に立っていた。
『これが皇帝か。若いな』
『年配の男性の方ではなく、この方がこの国の長なのですね』
二人は部外者のため、緊張感の漂う空気など全く気にもせず完全に他人事で、まるですぐ近くで観劇でもしているかの様にノンビリとファセリア人達を観察していた。実際、自分たちの世界とはかけ離れた光景はもの珍しく、娯楽作品の一場面の様で面白かった。
「先に帰国したI・KやE・Kだけでなく、シュヴァルツやエトワスにも先に話を聞いているが、お前たちの口からも改めてこれ迄の事を話して貰おうか。キサラギ、ルス、ロベリア王国で私と別れてからの事を話せ」
そう促され、翠とフレッドがチラリと視線を合わせるが、翠が口を開いた。
「私達が乗ったヴィドール行きの商船には、既にお耳にも入っているでしょうが、ウルセオリナ卿が何度か剣を交えている、赤の海賊というあだ名を持つヘーゼルという男が乗船しておりました」
と、丁寧な口調で話し出す。正式にI・Kとして皇帝に謁見している場であり、また、難しい顔をしたウルセオリナ公爵シュヴァルツも同席しているからだ。
「船長の協力のもと船内に2週間程身を潜めていたところ、ファセリア大陸より南西の島ラリマーのブルネットという人物の船に、私達の乗っていた船が襲撃され、ヘーゼルが呼び出したと思われる魔物とブルネット達が交戦する騒ぎとなったのですが、その際ブルネットのもとにおられたウルセオリナ卿と偶然お会いしまして、情報交換した後、共にヴィドールへ向かう事になりました。その後……」
ヴィクトールは既にエトワスから話を聞いたという事だったので、ヴィドール国についてはドールや三種族、地底の種族のなれの果てなど、耳に入れておいた方が良いと思われる事だけを改めて伝え、エトワスと合流してから後の事はかい摘んで簡単に報告した。
「……以上です」
「分かった。事前に聞いていたI・KやE・Kの報告とも、エトワスの話とも一致するな」
ヴィクトールが満足そうに頷く。
「さて……」
と、ひじ掛けをトントンと指で軽く叩き思案していたが、やがてピタリと動きを止めた。
「まず言っておくが、私は、姿を消したとされる三種族そのものにも、その力にも興味はない。少なくとも、この国に悪い影響がない限りはな」
そうはっきりと言い切ったヴィクトールの言葉に、エトワスをはじめディートハルトや翠、フレッドも安堵していた。
「そして、アズールと言ったか……地上の世界と全く関りを持つ事なく平和に暮らしているであろう者達の世界を侵害する事は、あってはならないと思っている。それ以前に、現在ファセリア帝国は、他国に関わっている場合ではない。その上で、考えるべき事は二つ……」
左右のひじ掛けに腕を置き、ヴィクトールは悠然とした態度で足を組んだ。
「一つは、アーヴィングを追及し私が帝都へ戻る事。もう一つは、三種族の力を手にせんと、我が国を含む他国にまで無遠慮に入り込み活動しているヴィドール国にどう対処するか、だが……。知っての通り、現在アーヴィングは帝都で皇帝代理を名乗っている」
そう言って、ヴィクトールは目の前に並ぶエトワスと3人のI・Kの顔を順に見る。
「I・Kに調べさせたところ、お前達の報告にもあった通り現在ヴィドール人達はルピナス地方の町ランタナ近くの遺跡を調査している事が分かった。そして、その許可はアーヴィングが正式に出している事も判明している。ヴィドール人の調査チームはもう半年以上ランタナに滞在しているが、その間、ファセリア帝国学院騎士科の学生達を警備に当たらせていて、それもまたアーヴィングが許可している事からすると、アーヴィングは三種族の事を知らない可能性は高い。一応、学生達にはヴィドール人達が何を調査しているのか探らせてはいるようだがな」
ヴィクトールの言葉に出てきた学院の騎士科という単語に、ディートハルトは少し懐かしさを覚えていた。自分はもう学生ではないのだが、何だかやっと自分の故郷に帰って来たという気がしてホッとする。
「エトワスも話していたが、アーヴィングは、ヴィドール人による遺跡調査の許可と発掘品を持ち帰る事を引き換えに、ドールや操る事の可能な魔物を譲り受け、国内で騒動を起こし私の命も狙ったのだろう」
そこまで話し、ヴィクトールは一度言葉を切った。
「キサラギが入手したヴィドール国のドールの存在で、ファセリア城内に侵入したVゴーストがヴィドールの物だという事は証明でき、ヴィドール人によるランタナの遺跡調査を許可しているのがアーヴィングであることから、アーヴィングを追及する事も出来るだろうが、背後にヴィドール国がいる事を考えると再びドールや魔物を国内に放たれる可能性が否定できず未だ手が出せないという状況だ。ヴィドール人の目的は、あくまで遺跡なので、ファセリア帝国と無駄に戦うつもりはないはずだが、遺跡の調査を続けたいがために再びアーヴィングに手を貸そうとするかもしれないからな」
ヴィクトールの話をアカツキは不思議そうに聞いていた。外の世界とは交流の無い小さな村で生きて来た彼には全く縁のない話だからだ。一方、シヨウの方は、自分の国にも関係のある話なので興味深そうに耳を傾けている。
「アーヴィングとヴィドールが秘密裏に交渉した事を示す確かな証拠があれば、アーヴィングだけでなくヴィドール国も追及する事が可能で、濡れ衣を着せられたロベリア王国にもこちらの味方に付いて貰う事も出来るだろうが……」
確かな証拠がない状態で、ヴィドール国のドールと酷似した物がファセリア帝国内に居てヴィクトールの命を狙った、と主張するだけでは、ヴィドール国はアーヴィングとの関係にしらを切る事も出来る。ラビシュの町中での戦闘後、翠が回収し、先に帰国する先輩I・Kが託されヴィドール国から持ち帰ったドールは、ヴィドール国にとってはファセリア人に盗まれたものなので、数か月前にファセリア城内に現れたVゴースト――ドールも、“盗まれた”と言い逃れる事が出来るからだ。そして、恐らく、ヴィドール国は『ファセリア帝国内での騒動が収まった後に、アーヴィングに遺跡調査の許可を貰った』と言うだろう。
逆に確かな証拠があってヴィドール国を追及した場合、ヴィドール国は表立ってはファセリア帝国に対してドールや魔物を送り込む事はないだろうと予想していた。この場合、ヴィクトールとアーヴィングのファセリア帝国内での争いではなく、ファセリア帝国とヴィドール国間の戦争になってしまうからだ。その展開は、ヴィドール国にとってデメリットの方が大きく避けたいはずだ。
「フレイクが戻った今なら、フレイクを拉致したという事を理由に遺跡にいるヴィドール人達を全員捕える事が出来る。そうすれば、奴らが本国に連絡を取る事を阻止し新たなドール等が国内に侵入する事を防ぐことも可能だろう。無駄な戦いは避けられる。その隙に今得ている情報でアーヴィングを追及する事としよう」
「陛下、よろしいでしょうか」
話を聞いていたエトワスが、発言する事を求めた。
「何だ?エトワス」
「現在ルピナス地方に滞在しているヴィドール人のメンバーが交代していなければ、ですが、グラウカという名の男が居るはずですが、その男は三種族の研究の指揮を執っている人物です。もしかしたら、彼はヴィドールとアーヴィング殿下の交渉内容について何か知っているかもしれません」
エトワスの言葉を聞き、ヴィクトールが椅子から身を乗り出す。
「それは良い報せだ。その男にも話を聞かせて貰おうか」
椅子に深く座り直し、ヴィクトールが唇を大きく笑みの形に変えた。
「あのー、いいッスか?」
突然、後方に立っていたシヨウがそう言った。
「どうした?」
ヴィクトールに視線を向けられ、シヨウが困った様に頬をかく。
「ちょっとジェイドに話したい事があるんスけど。出来れば、今」
ヴィクトールに対してどのような態度で接したら良いのかが分からないため、シヨウはそう言った。
「だ、そうだ」
そう言って、ヴィクトールがエトワスに視線を向けた。エトワスはヴィクトールに一礼し、シヨウのすぐ傍まで近寄る。
「どうしたんだ?」
「いや、役に立つ話か分かんねえんだけどな」
エトワスに手招きして部屋の隅まで移動すると、シヨウは声を潜めて話し出した。
「本当か?」
しばらくの間、二人は何やら言葉を交わしていたが、やがてエトワスは「ありがとう」とシヨウの腕を叩き、ヴィクトールの前に戻って来た。
「シヨウからの情報なのですが……」
「ああ、聞こう」
頷くヴィクトールに、エトワスはシヨウが今話したばかりの内容を整理してヴィクトールに伝えた。
「先程お話したグラウカが、アーヴィング殿下の交渉内容について知っている可能性が高い事が分かりました」
エトワスの言葉に、ヴィクトールが興味深そうな視線を向ける。
「ヴィドール魔物・古代生物研究所の研究員達が町の外に出る際には、遺跡調査が目的の場合だけに限らず必ず彼らファイター達のもとへ連絡が行き、数名が護衛として同行する事になるそうですが、この一年半程の間に複数回、研究員達がファセリア大陸へ向かうという連絡があったそうです。研究員以外、例えば国の使者等が外国を訪れる際にはファイターではなく兵が同行する事になるそうですが、近年、そのような使者がファセリア大陸を訪問したという話は聞かないと」
「なるほど。アーヴィングと交渉したのは、研究員の誰か……という事か」
ヴィクトールがニヤリと口元に笑みを浮かべる。
「はい。研究員の誰か、という事になれば、ドールや魔物を扱う部署のトップであるドグーという男か、三種族を研究している部署のトップのグラウカという事になるのですが、シヨウの証言では、ドグーが研究施設を出る事はないと、休日の日ですら研究施設に籠っているということです」
エトワスの言葉を聞き、ヴィクトールはシヨウに視線を向けた。
「シヨウといったな。有益な情報を提供してくれて感謝する」
「お役に立てたなら、光栄です」
グラウカには悪いが、自分の国がファセリア帝国に魔物やドールを送り込む事には賛成できない。シヨウはそう思っていた。
「そうだな……」
ヴィクトールはしばらく思案し、翠とフレッドに視線を向けた。
「キサラギとルスは、バルビエ、コーリー、それからブランドン、クレイと共に直ちにランタナへ向かい、扉が開かれる前に遺跡の調査に来ているヴィドール人達全員を捕らえ、必ずグラウカという男を連れて戻れ。ひとまず、ファセリア帝国のI・Kを拉致し危害を加えたという理由で連行しろ」
続けて、ディートハルトへと視線を向ける。
「そしてフレイクは、以前お前がウルセオリナの海岸でVゴーストと共に居たと報告したB・Kのカーティス・エイデンという男の特徴など詳しい情報を、グレンとリアに教えてくれ。その男もVゴーストと関わっていたのなら証人になるかもしれない。二人に捕えさせる」
ヴィクトールが今話した言葉に出て来た者達は、全員ヴィドール国へ潜入したI・K達だった。
「あの、陛下……」
ディートハルトが怪訝そうに口を開く。
「どうした?」
「私は、特徴などを教えるだけ、ですか?」
「お前は協力者と共に、個人的な用件で遺跡に向かわなければならないだろう?今は他の事は気にしなくていい。ゆっくり休養し身体が回復したらまたI・Kとして戻って来い」
ディートハルトの素性を含め全て報告を受けていたヴィクトールは、アカツキとシヨウに視線をやってそう言った。
「はい……」
ディートハルトは俯いて小さく返事をした。ヴィクトールはあくまでディートハルトをファセリア帝国のI・Kと認識していて、空の種族やセレステという事で特別視している様子はなく、それが嬉しかった。しかし薄々予想はしていたが、エトワスが同行出来ない様な状況である事は寂しかった。そして、その予感は当たっていた。
「エトワスは、シュヴァルツと共に戦いに備えてくれ。遺跡のヴィドール人達を捕らえるまでは待機という形になるが、追及に反発し、アーヴィングが武力で抵抗する可能性もある。アーヴィングが皇帝代理となった際に、既に戦いとなる事に備えシュヴァルツを通し各領主家の意向は確認済みだが、改めて各地方の領主達と接触し連携体制を整えて貰いたい」
案の定そう続けられた言葉に、ディートハルトはガッカリしていた。
『やっぱり、エトワスは一緒に行けないのか……』
しかし、エトワスは公爵家の人間なのだから仕方ない、分かっていた事だと自分に言い聞かせる。
「お待ちください、陛下!」
予想外にエトワスが声を上げた。珍しく焦った様子を見せている。
「どうした、エトワス?」
「私を、ディートハルトに同行させてください」
「何を言っている!」
と、ヴィクトールより先にシュヴァルツが声を荒げた。
「お前は、先程叱責を受けたばかりだというのに、まだ勝手な事を言うのか!? 許されるはずなかろう!」
流石に皇帝の前で罵る事はしなかったが、明らかに怒っていた。
「申し訳ありません。ですが、どうかお願いします」
「口先だけの謝罪など無意味だ!ふざけるな、いい加減立場を弁えろ!」
フム……、と、ヴィクトールは思案する様に、頭を垂れるエトワスと怒っているシュヴァルツの顔を交互に見た。
「私は構わないが……。お前の祖父が、納得する様に説明した方がいいな」
少し苦笑い気味にヴィクトールに言われ、エトワスは祖父の顔を見た。
「……ディートハルトの目的地もランタナの遺跡ですので、翠やフレッドと目的は違っていても、彼らと共に行動して問題ないはずです。私は、ヴィドールに潜入した際グラウカの部下となっていたのでグラウカがどんな男かよく知っています。そして、ランタナの遺跡にはルシフェルという地底の種族も来ていて、さらに地底の種族のなれの果てと呼ばれている魔物も待ち構えているはずですので、戦闘になる可能性が高いと予想されます。以上の事から、私も同行した方がI・K達がグラウカらを捕らえる際にも力になれるかと思います……」
自分もディートハルトと一緒に行きたいという理由が、“グラウカを捕らえる際の戦力になるから”というものでは無理矢理な気がすると自分でも思ったが、エトワスはそれらしい事を口にした。
「ふむ。つまり、ひとまず目的地が同じなので、皆揃ってランタナに行けばいいという事か。そして、その場合、エトワスが同行していた方が戦力になって良いと……。まあ、一理あるな」
人数は多いに越したことはないだろう。ヴィクトールは、エトワスの主張で納得した様だった。
「それならば、お前が行かなくても、同じ様にヴィドールに潜入していたI・Kが既にいるではないか。しかも、お前以上にヴィドールの事を知っているヴィドール人のシヨウ殿もいるのだから、彼に協力して貰えば全く問題ない。しかも傭兵という事だから充分戦力にもなる。お前である必要はあるまい?」
呆れた様に話すシュヴァルツの言葉に、ヴィクトールが頷いた。
「それも一理あるな」
『何か、悪ィな……』
部屋の空気は重苦しく非常に気まずいものになっていて、話題に出されたシヨウは、エトワスに対し心苦しく思っていた。
一方、エトワスの隣のディートハルトも、レテキュラータ王国で自分がエトワスに『側にいて欲しい』と頼んだから、エトワスは約束を守ろうとしてそう言っているのだと考え、申し訳なく思っていた。そこで、自分は大丈夫だと、約束の事は気にしなくていいとエトワスに伝えようと顔を上げた。しかし、それよりも一瞬早く翠が口を開いていた。
「下手な理屈捏ねてねえで、正直に言えよ、エトワス」
そう言ってエトワスに視線を向ける。シュヴァルツとのやり取りを見かねての言葉だった。正直に話した方が、まだ説得力があると思っていた。
「……」
翠の言葉に逡巡していたエトワスは、やがて再びシュヴァルツに視線を戻した。
「私は……、ディートハルトが、大切なんです。……今は、アカツキの治療のおかげで持ち直していますが、少し前までは長い間眠ったままで本当に、……命が、危うく見える状態に迄なっていました。そんな彼を放っておくことはできません。心配なんです!もう安心だと分かるまで付いていたい。……俺がいなくても、俺じゃなくても大丈夫なのは、充分承知しています。……でも、他の誰にも任せたくない。俺が、側にいたいんです!」
畏まった言葉を使う事も忘れ、素に戻り、ただ感情のまま訴えていた。
「…………」
エトワスの言葉を聞き、シュヴァルツは無言のまま強く眉を顰めている。
「……これは、単純明快な説明だったな」
シュヴァルツの沈黙が長いため、少し苦笑した様にヴィクトールがそう言った。
「…………」
「公爵閣下、僭越ながら申し上げます」
翠が口を開く。
「……何だ?」
怒りを抑えている様子で、シュヴァルツが翠に視線を向ける。
「ウルセオリナ卿が話された通り、フレイクの身体の状態は良いとはいえず、アズールという地で治療しなければ、確実に近い将来命を落としてしまうそうです」
『焚きつけたのはオレだからな。何とかしねえと』
そう思い、翠は未だ眉間に深い皺を刻んでいるシュヴァルツに向かって話し出した。これ以上シュヴァルツを怒らせない様にと、真面目な態度と言葉を続ける。
「お聞き及びの通り、ファセリア帝国で生まれ育ったフレイクは自分が空の種族である事を最近まで知らず、アズールは彼にとっても未知の場所です。その様な場所に向かい、いつ戻って来られるのか、そして、ランタナからアズールへ続いているとされる神出鬼没の“扉”という物が、逆にこちらの世界へも同じように続いていて確実に戻って来れるのか。その様な事も実際行ってみなければ分かりません。もしかしたら、戻って来れず、二度と会えなくなる可能性もあります。ウルセオリナ卿は、学生の頃からフレイクと親しくされてきました。今ここにいる誰よりも強い絆で結ばれております。どうか、許可してやって頂けないでしょうか」
「閣下、お願い致します」
黙って状況を窺っていたフレッドも、我慢できずに翠の言葉に身を乗り出す。
「ウルセオリナ卿がどんなにフレイクの身を案じておられるか、自分達はずっと近くで見て参りました。もしこのまま、もう会えなくなるという事になってしまえば、あまりにも酷です」
「……」
ディートハルトは心臓がドキドキしていた。エトワスの言葉は言うまでも無く、翠やフレッドの言葉にも驚いていた。
『どうしよう。おれのために言ってくれてるんだ……』
そう考えると非常に嬉しいが、いたたまれなくなっていた。
「シュヴァルツ、どうする?私がエトワスに、『I・K達と共に行け』と命じる事もできるが……。反対するか?」
ヴィクトールは小さく笑みを浮かべながら、窺うようにシュヴァルツを見た。シュヴァルツは額に手を当て、深く溜息を吐いている。
「……いや。陛下のご命令とあらば、反対は致しません」
「!」
とうとう折れたシュヴァルツの言葉に、エトワスは深く頭を下げた。