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LAZULI  作者: 羽月
47/77

47雪の町 ~とりとめのない話1~

 ディートハルトは窓際に置かれたソファに座っていた。

「……」

体調が悪い訳ではないが、疲れていた。

「疲れた……」

わざわざ呼ばれた美容師の手によって少しカットしてもらい整えられたばかりの金色の髪はいつも以上にサラサラの艶々で、磨かれた手足の爪はピカピカ、保湿クリームを塗られた体からはフンワリと甘い香りが漂っている。

 扉の番人たちの村へ行った事でディートハルトが間違いなくシャーリーンの産んだ子供だという事が分かると、屋敷の使用人達のディートハルトに対する扱いは“お客さん”から“帰宅したご令息”へと見事なまでに完全に切り替わった。早朝、シュナイトは王城へ向かう前に『彼らに必要なものがあれば何でも用意してやってくれ』『息子の事をよろしく頼む』と言っただけなのだが、その言葉で使命に燃えたレイチェル達女性の使用人の手によって、ご令息というよりご令嬢……というより王女の様な状態に仕上がっていた。まだ治りきっていない傷に巻かれた真っ白な包帯さえ眩しく見えている。

「こんな目に遭うなんて思わなかった……」

ディートハルトは自分の手の甲を鼻に近付け、フンフンと匂いを嗅いだ。つい昨日までは薬草の香りに包まれていたのに、今日は全く違う香りを纏う事になり何だか落ち着かなかった。

「いい香りだな」

と、隣に座ったエトワスが、ディートハルトの髪を繰り返し指で梳いて触れながら言う。金色の髪はサラサラのツルツルで触り心地が非常に良い。フワリと甘い香りが鼻をくすぐって、エトワスは目を細めた。

「エトワスも、家に帰ったらこんな風な扱いなのか?」

エトワスはウルセオリナの次期領主で、住んでいる場所も使用人の沢山いる大きな城だ。

「こんな扱いって?」

「風呂に入る時とか、女の人が周りにいっぱいいて体を隅々まで洗ってくれたり、風呂上りにはクリームを塗りまくってくれたり?」

キョトンとしてディートハルトの言葉を聞いていたエトワスは、アハハハと可笑しそうに笑う。

「まさか!何か、退廃的なシチュエーションだな」

ディートハルトが言っているのは、使用人達に甲斐甲斐しく世話を焼かれているのか、という意味だと分かっていたが、言い方が可笑しくて笑ってしまった。翠がいたら喜んで食いついてきそうな話だ。

「寮での生活と変わらないよ。自分の事は自分でやってる。頼めばそういうのもやってくれるだろうけど、間違いなく祖母と母親と妹の顰蹙を買うな」

クスクスと笑いが収まらない様子のエトワスに、ディートハルトは「そっか」と神妙な表情で頷いた。

「じゃあ、ここが異常なんだな」

「ああ、いや、別にそういう事じゃなくて。ディートハルトがレトシフォン閣下の息子だって分かって今みんな喜んでるから、レイチェルさん達も一生懸命、大切にお世話してあげたいって思ってるんだよ。またすぐにここを発つから、余計にそうなんじゃないか?」

エトワスの言葉をディートハルトは複雑な表情をして聞いていたが、やがて納得した様子だった。

「でもさ、落ち着かないんだよ」

そう言いながら、ディートハルトはソファの背に斜めになる様にダラリと座って、コテンとエトワスに寄り掛かり肩に頭を預けてそうぼやいた。

「じゃあ、一人で入るので、どうぞお構いなくって言えばいいよ」

「言ったよ。言ったけど、“いいえ、閣下に任せられておりますので!”って」

「それじゃあ、断れないな」

エトワスは笑いながら、甘い香りのするディートハルトの髪を再び指で梳いた。扉の守護者の村で蜘蛛のような魔物と戦い、その後二人で話し、頼ってもいい甘えてもいいと伝えて以来、ディートハルトは非常に素直になっていてエトワスは嬉しかった。

 ディートハルトが肩に頭を乗せているので、そのまま体に腕をまわして抱き寄せたいところだったが、嫌がって逃げられては困るので髪に触れるだけにとどめている。そのうち、“いつまで、おれの髪に触ってるんだ”と苦情が来そうな気がしていたが、今のところ気にならないのかディートハルトは何も言ってこない。それはそれで全く意識されていないという事だが、それでも幸せな時間だった。

「あーでも困ったな」

ディートハルトが眉を下げる。

「何が?」

「レトシフォン閣下の両親が訪ねてくるかもって話」

溜息と共にディートハルトが返事をする。

 シュナイトは扉の守護者を探すためにディートハルトと共に森に入った日の前日、実家に使いをやって“年末年始は仕事があるので会えないかもしれない。いつ戻るか分からない”と連絡していたのだが、昨日、森から戻ってすぐにまた使いを送り両親に帰宅を知らせるのと共に、シャーリーンの子――息子が見付かったという事も手紙に書いて伝えていた。そのため、もしかしたら、両親がシュナイトの屋敷を訪ねて来るかもしれない、そうシュナイトに聞かされていた。仮に知らせを受けてすぐに夫妻が家を発つとすれば、二日後にこちらに着く事になるらしい。

「来るかな?」

「20年間行方不明だった孫が見付かったって分かったら、まあ、すぐに駆け付ける可能性が高いんじゃないかな」

「だよな。胡散臭いから、直接見て本物かどうか確かめなきゃって思うかもな」

ディートハルトが眉を寄せる。

「うーん。性格にもよるだろうけど、単純に会ってみたいって気持ちの方が大きいんじゃないかな」

エトワスが笑う。

「ディートハルトは、会いたくないのか?」

相変わらずディートハルトの髪を弄りながらエトワスが言う。

「会うのはどうでもいいんだけど、おれは超庶民だし、やっぱ貴族の人達からの印象は悪いと思うんだ」

そうなると、シュナイトに申し訳ないと思っていた。

「俺も一応貴族だけど、初対面の頃からディートハルトの印象は悪くないよ」

「あ、そうだった」

エトワスが公爵家の跡継ぎだという事を忘れていた訳ではないが、うっかりしていた。

「一応、どころじゃねえだろ。エトワスはさ、特殊なんだよ。物好きっつーかさ」

サラリと返されエトワスが苦笑いしている。

「でも、だから、おれは救われたんだ。ありがとう、おれを悪く思わないでくれて」

そう言って、ディートハルトはエトワスの体に腕をまわして、じゃれつく様にキュッと抱き着いた。

「!」

急に嬉しい事を言われてくっつかれ、エトワスは薄っすらと頬を染める。

「俺がディートハルトの事を悪く思う訳ないだろ」

実はドキドキしつつそう言って軽く笑いながら、エトワスは自分もディートハルトの背に軽く腕をまわした。エトワスの胸に顔を伏せていたディートハルトは顔を上げてニコリと笑う。

「うん、ありがとう」

「……」

至近距離にある瑠璃色の瞳に真っ直ぐ視線を注がれ、エトワスはクラリとした。ディートハルトがふんわりと纏っている甘い香りのせいかもしれない。

 彼の瑠璃色の瞳は、初めて会った頃は冷たくて寂しそうな、何より警戒して敵意のある瞳だったが、今は暗い(かげ)は無くなり明るく澄んでいた。

『綺麗だな……』

エトワスにジッと無言で見つめられ、ディートハルトが不思議そうな表情をする。

『可愛いな……』

長いまつ毛に縁取られた大きな瞳は元々その造り的にも甘めの印象を受けるが、エトワスを信頼しきっている事が分かる純粋な眼差しに何だかキュンとして胸が苦しくなる。

 エトワスは、笑みを浮かべているディートハルトの頬に触れ、その唇を親指でそっと辿り撫でた。ディートハルトは不思議そうな表情のまま、ただエトワスを見ている。

『いいのか……?』

エトワスは引き寄せられるように、ディートハルトとの距離を縮める……。


コンコン


突然、扉をノックする音がした。

「!」

エトワスは我に返り、内心焦りながらディートハルトの頬に添えていた手を引いて、その背に回していた腕もさりげなく放して扉の方に顔を向けた。

「誰だろ?」

ディートハルトは少し眉を顰めてそう言った。またレイチェル達に何かされるのではないかと警戒していて、たった今エトワスと甘い雰囲気になりかけていた事には全く気付いていなかった。

「はい?」

ソファを立ち上がりそう言って、扉に近付いて開ける。

「温かいお茶と、お菓子をお持ちしましたよ」

そう告げたのはレイチェルだった。

「わ、ありがとうございます」

トレーを目にしたディートハルトの目がキラキラと輝く。ティーセットと共に、生クリームの添えられたシフォンケーキの皿が乗っていたからだ。明らかに喜んでいるディートハルトの様子に、レイチェルも笑顔を見せる。

「甘い物がお好きなんですね」

「はい、すごく!」

「では、料理長に伝えておきますね」

レイチェルは笑顔でトレーをテーブルに置きカップにお茶を注いでいたが、ふとエトワスの表情に気付き首を傾げた。

「あら、どうかなさいました?ご気分でも?」

「え?ああ、いえ。少し考え事を……」

エトワスは首を横に振って笑顔を返す。

「そうですか。それでは、何かありましたら遠慮なく呼んでくださいね」

そうディートハルトに告げて、レイチェルは部屋を出て行った。

「何か心配事とか?」

気になったのか、ディートハルトが少し心配そうにエトワスに尋ねる。

「帰ったら忙しくなるなーって思ってね。心配してる訳じゃないよ」

と、エトワスは話を合わせて笑顔を見せるが、実際のところは、危うく理性が飛ぶところだったと内心焦っていた。



* * * * * * *


「あ~。寒いけど熱い」

フレッドが喋るのと同時に、吐かれた息が白くなる。

「でも、これ、美味いな」

「だろ?」

同じく白い息を吐き、シヨウがニヤリと笑う。フレッドとシヨウそして翠は、シュナイトの屋敷からそう遠くない場所にある町中の公園で、シヨウお気に入りの屋台のホットサンドを食べながらノンビリとした時間を過ごしていた。屋敷内は快適ではあったけれど暇をもてあましていたため、朝食が済むと町に出ていた。特に連れ立って出掛けた訳ではないがタイミングが同じだったので、それから3人で共に行動している。

「二人も誘えば良かったな」

公園内には、多くはないがそれぞれの時間を過ごす町の住人の姿があった。3人と同じ様にベンチに座り屋台の食べ物を頬張っている二人連れ、犬を連れ散歩をしている婦人、公園の縁に沿って走ったり歩いたりしている者達……。そこには長閑な光景が広がっていた。

「ディー君に外を歩き回る許可は下りないでしょ。衛兵だけじゃなくてレイチェルさん達も見張ってるっぽかったし」

チーズ入りのホットサンドをパクリと齧り、翠がフレッドに答える。

「あー……」

それもそうだな、とフレッドは頷いた。ディートハルトは寝込んではいないだけで、体が全快したという訳ではない。


「もう昼食ですか?」

と、不意に背後で声がする。モグモグしながら振り返ると、いつの間にやって来たのかアカツキの姿があった。彼も屋敷を出ていたらしい。

「いや、2度目の朝食。アカツキ君もどう?」

「いえ、私は一度で充分です」

翠が屋台を指さすが、アカツキは首を振った。

「それより、少し気になる二人組が居たので、貴方たちに伝えておこうかと」

ディートハルトの追手だろうか?そう、3人は眉を顰めた。せっかくノンビリとした平和な時間を過ごせると思ったのだが、と。

「村の行商人達に、この町にはとてつもなく大きな書庫があると以前から聞いていたので、先程行ってみたのですが……」

そう前置きし、アカツキは偶然見掛けたという男女の二人連れについて話し始めた。


 朝食が済むと、アカツキは一人屋敷を出て気になっていた図書館を訪れていた。場所は、アプローズという名の執事に事前に聞いていた。まずはどんな本があるのか一通り見て回ろうと本棚の間を歩いていると、偶然、近くにいた男女の言葉が耳に入った。しかし、二人の話す言葉が大陸間の共通語でもこの国の言語でもなかったため、何を話しているのか分からなかった。ただ、その会話の中に“ルシフェル”や“ラファエル”等と聞こえた部分が何度かあり、また、何やら困っている様子で溜息を吐いていた事が気になったため、二人が手にしていた本を棚に戻してその場を去った後に、二人がいた辺りの本棚まで行き何の本を読んでいたのか確認してみた。


「二人が読んでいた本は、一応、空の種族や水の種族を扱っているような内容でしたが、はっきりと明記されてはいないので、三種族を知らない者が読めばただの子供向けの創作物語といった内容のものだったのですが、話していた単語が気になりまして」

「それって、ヴィドール人だったんじゃ……」

フレッドが腕組みして眉を顰める。

「ええ。私もそれが気になったので、貴方たちに知らせようと思ったんです。幸い、屋敷に着く前にあなた達と出会えましたから、もしかしたらまだあの二人組は書庫にいるかもしれません」

「ディー君がこの国にいる事は知らないだろうから追手じゃないとは思うけど、確認した方がいいかもな」

やれやれ、といった調子で翠が言う。

「それでは、私は、屋敷に戻ってこの事を報せてきます」


 傾斜の急な青緑色の屋根にベージュの石壁をした図書館は、近くまで行ってみると予想以上に大きく、門から建物の入り口まで距離があり立派な外観をしていた。そして、その中もまた、彫刻の施された壁や凝った造りの手すりを備えた長い階段があるなど、宮殿の様な華やかな内装をしていて、ズラリと並んだ本棚や机がなければ豪華なホテルか富豪や貴族の住まいの様だった。

 訪れている人がそれ程多くないため、それとなく、アカツキの話した人物と特徴が一致する相手を捜しながら、翠は一番近くにあった雑誌の並んでいる本棚へと近付いてみた。フレッドとシヨウも、それぞれ別方向にある本棚の間に姿を消している。ファッション誌、経済誌、趣味の雑誌……等、様々なジャンルのものが並んでいるが、どれも手にとってみようと思う程興味を引かれるものはない。ゆっくりと歩いて本棚の間を移動する。

 と、フレッドとシヨウが無言でやって来た。そして、『見てみろ』と少し離れた場所を指し示す。見ると、大きな机の上に沢山の本を積み重ね、何やら調べている様子の人影が2つあった。男女の二人連れだ。

『あいつは……』

はっきりとは思い出せなかったが、見た顔ではある。シヨウとフレッドの様子からすると、間違いなくヴィドールの人間だろう。

「知り合い?」

声を落として尋ねると、シヨウも小声で答えた。

「一人は、見覚えあるだろ?ジェイドの同僚でランクA、B、X担当の奴らだ」

「!」

そう言われて思い出した。二人のうち、本を眺めている栗色の髪に眼鏡を掛けた青年の方は、エトワスと一緒にいる姿を頻繁に見かけたような気がする。

「何してるのか、聞いてみてよ」

そう翠がシヨウに言うと、『俺がか?』とでも言いたげに顔を顰めた。

「オレらは無理だけど、シヨウ君なら、ディー君とは無関係だって誤魔化せるでしょ」

騙されて巻き込まれただけだとか、金で雇われた等と話せば、信じて貰え警戒心を抱かれる事なく話を聞き出せるかもしれない。そう、翠は思った。

「俺に、潜入捜査みたいな真似が出来ると思うか?」

「……だね」

きっとシヨウは嘘を吐く事は下手だろう。少し考えてみてから翠は納得した。



* * * * * * *


「何か調べてるっていうより、図書館で時間潰ししてる感じだったぞ」

居間でレイチェルの淹れてくれたお茶を一口飲み、フレッドが報告する。図書館で見たヴィドール人達は、昼食時には図書館を出て近くの食堂に入ったが、その後は図書館に戻り午後になってもずっと同じ場所に居てただダラダラと本を眺めるだけで、特に何かメモ等を取る様子すらなかった。その後は、滞在しているらしい近くの宿泊施設に戻り動きはないのだが、念のため現在は翠とシヨウが見張りを続けている。

「ディートハルトを追ってきた可能性は低いけど、気にはなるな……」

エトワスは、隣に座っているディートハルトにチラリと視線を投げた。いつもなら「おれが吐かせてやる!」等と息巻いていそうなところだったが、少なくとも今のところ彼は黙って大人しく座っている。

「じゃ、この国で何してんのか聞きに行く?」

不意に顔を上げそう尋ねるディートハルトに、エトワスは頷いた。

「そうだな。俺が行くから、ディートハルトはフレッドと此処で待っててくれるか?」

どういった反応が返ってくるか……。窺うようにそう言うと、ディートハルトは素直に「分かった」と頷いた。よく手入れのされた艶々の髪がサラリと揺れる。

「こっちは、任せてくれ」

そう請け合うフレッド任せ、エトワスはすぐに屋敷を出た。

 日暮れが近付き暗くなって来ていたが、時刻的にはまだ夕方前なので街の人通りは少なくない。


 フレッドに聞いた宿泊施設の前に行ってみると、翠が細い路地で壁に寄り掛かり煙草を銜えていた。少し離れた所に陣取ったシヨウは、低い塀に腰を下ろして手にした瓶を煽っている。一見、道端で酒を飲んでいるかの様にも見えるせいか、通りを行く通行人が彼を大きく避けて足早に歩いて行くが中身はただの水の様だった。

 翠のところにやって来たエトワスの姿に気付き、シヨウも近付いてくる。

「今、二人は別行動してて、男は1階のカフェでお茶してる。もう一人のお姉さんの方は、部屋から出てないよ」

カフェの方に視線はやらずに翠が言う。

「そうか。別個行動してるなら好都合だな。今から、直接会いに行こう」

「乗り込むのか?」

シヨウの言葉に、エトワスは首を振った。

「普通に話しに行くだけだ」

「じゃあ俺は、この場で待機でいいか?何かあれば加勢する」

腹の探り合いには参加できない。そう考え、シヨウは申し出た。

「分かった。じゃあ、翠、行こうか」

「了解」


 早速、二人は小さな宿泊施設の一階にあるカフェに向かった。宿内に続く出入口からではなく、外の通りに面した入口から入る。目的の人物は店の奥の方の席に座り、クリームとフルーツの乗ったプリンを食べながらノートを広げていた。しかし、そこには一文字も書き込まれてはいない。

「珈琲二つください」

すぐ横の席に着き、早速やって来た女性店員に翠が笑顔で注文する。ヴィドールの研究員である栗色の髪の青年は全く気にする様子も無く、スプーンを片手にぼんやりとして、真っ白なノートを眺めていた。

「レイシ」

と、友人を呼ぶかの様に、エトワスが軽く声を掛ける。

「?」

知人がいるはずもない異国の地で突然名前を呼ばれ、栗色の髪の青年ははっとして顔を上げた。

「あぁっ!?じ、ジェイド!?」

エトワスの姿を目にし、勢いよく身を引いたレイシが目だけでなく口も大きく開ける。ヴィドールに居た時とは違い、エトワスは白衣を着ておらず眼鏡も掛けていなかったが、すぐにレイシは気付いていた。

「久し振りだな」

小さく笑顔を浮かべるエトワスに対して、言葉が出てこないのかレイシはただ口をパクパクさせていた。

「な、何でここに?」

「国に帰るのに、ヴィドール国からじゃ直行便がないからな。ついでに、知り合いに会いに来たんだ」

エトワスが誤魔化して答えるが、完全に嘘を言っている訳ではない。ヴィドールとファセリア間に客船等の行き来が無いのは事実で、“ついで”ではないが、ディートハルトとシヨウを追って来たのもその通りだ。

「そ、そうか。ファセリア行の船はないもんな」

レイシは納得した様子で頷くが、すぐに質問し直した。

「いや、でも、どうして今僕がここにいるって分かったんだ?」

「偶然、ここに入ったら気付いたんだ。驚いたよ。レイシこそ、どうしてこの国にいるんだ?ラビシュで留守番組だっただろ?」

これ以上質問される前に、と、エトワスが逆に聞き返す。

「ああ。でも、君らがランクBまで逃がしてしまっただろ。だから別の仕事にまわされたんだよ」

元々ランクAとXはグラウカのファセリア行きに同行する予定だったが、残るはずのランクBがいなくなってしまったので、留守番組の仕事が無くなってしまったという訳だ。

「別の仕事って?」

「ああ、それはさ、この国で……」

ごく自然にエトワスに問われ、思わず答えそうになってしまったが、レイシはハッとして口をつぐんだ。

「話せないよ」

「どうして?」

「どうしてって……。君らはビル内を滅茶苦茶にして、ランクXとBを逃がして姿を消したんだぞ。話せる訳ないだろ。僕らを騙してたし……」

と、レイシは眉を寄せる。

「すまない。それは謝る。でも、君達の国が、俺達の国の人間を拉致して非人道的な扱いでやりたい放題してくれたからな。彼を無事に救出する事が最優先事項だったんだ」

淡々と語るエトワスの言葉を聞き、レイシは小さく笑った。

「どうしても信じられなかったけど、グラウカさんの言ってた通り、ランクXも君も本当にファセリア兵なんだな」

「ああ」

「ついでに、眼鏡も嘘だったのか?」

「え?……ああ、元々別に目は悪くない。変装するため掛けてたんだ」

「何だよ。眼鏡仲間だと思ったのに」

そうレイシが口を尖らせるため、エトワスは苦笑した。

「……一応聞くけど。君も同じで、やっぱりヴィドール出身のファイターじゃないのか?」

レイシは、エトワスの正面の席の翠にも目を向けた。レイシは、彼にも見覚えがあったからだ。エトワスとは違い、全く変装していなかった上に今もファイターの上着を着ているので記憶の姿のままだ。

「そ。ファセリア人で彼の同業者」

翠が肯定すると、レイシは不安そうに唇を歪めて笑った。

「そうだろうね」

ランクXが姿を消す直前、ランクCと戦うためデータを取った際に彼を援護するファイターとしてその場にいたのを覚えている。大きくて狂暴なランクCと戦っていて、その時は流石ファイターだなくらいの印象で何も違和感を感じなかったのだが、本当はファセリアの兵なら戦えて当然だ。

「という事は……。僕は、ここで捕まって犯罪者としてファセリア帝国に連れて行かれるのか。偶然って言ってたけど、本当は君達は僕を捜してたんだな」

ファセリア兵二人が相手で逃げる事を諦めているのか、口では笑っているレイシの表情は絶望していた。

「失礼します」

と、トレーを手にした店員がやって来て、テーブルの上にカップを置くと「ごゆっくりどうぞ」と微笑み、去って行った。

「君個人に恨みはないし、捕まえる理由もない。随分世話にもなったし、感謝しかないよ。偶然見かけたってのは嘘じゃない。ただ、俺達から見れば、自分達の国ファセリアで不審な行動を取っているヴィドールを放っておく事はできないからな。君がこの国にいる理由が気になるんだよ。まさかこの国を単純に旅行してる訳ではないだろうし、ここに何をしに来ているのかは知りたいんだ」

穏やかに話すエトワスを、レイシは探る様に見ている。

「それなら、僕は、連行されない?」

「ああ、もちろん」

「絶対に?」

「ああ。君が、ラファエルに対して罪悪感を抱いていた事も知っているし、君の事は本当に信用しているから」

エトワスは本心からそう言った。

「そうか、良かった。ジェイドの事、同僚だけど友達だって思ってたから嬉しいよ。ありがとう。……別に、君たちが知って役に立つような事はしてないと思うよ」

やがて、ほっとした様子で息を吐くとレイシは口を開いた。

「ヴィドールが、世界中あちこちで遺跡を調査してるっていうのは別に隠してないし知ってるだろ?だから、この国にも来たんだよ。遺跡を探してるんだ。他の大陸には何か所も遺跡があるのに、この国ではまだ見付かってないから。でも、観光案内所でも地元の人と話しても遺跡があるって話は聞かないし、大きな図書館で調べても何の情報も見つからなくさ」

と、レイシは表情を曇らせる。

「それに、せめてと思って、骨董屋とかお土産屋さんを覗いたんだけど、小さなラズライトすら見当たらないんだ。だからといって手ぶらで帰る訳にもいかなし……。本当はさ、もしかしたら西の森の中にあるんじゃないかとは思ってるんだけど、危険な場所だって言うし今回はファイターにも同行して貰ってないから入れなくてさ。もう、手詰まりでさ。何でもいいから、報告するためのネタが無いかなって探してるんだけど、何もなくて困ってるとこなんだ」

レイシ達が一日中図書館でブラブラしていた事を考えると、それは嘘ではないかもしれない。そう、エトワスと翠は思った。

「そうか。じゃあ、ファセリアの方はどうなったんだ?予定通りにグラウカさん達はランタナに行ったのか?」

「行ったよ。でも、今回は、ファセリア帝国にとって不利益になる様な事はしていないはずだよ。それに、ジェイドも知ってるだろ?ファセリア帝国での遺跡調査は、ちゃんと許可を貰ってあるし……」

エトワスの問いにレイシは一瞬答える事を躊躇ったが、そう前置きをしてから話し出した。

「ジェイドも出てたミーティングで話してた通り、ファセリアで見付かった空の種族に関係あるらしい遺跡に、グラウカさんはランクAを連れて行ったんだ。そこに、空の都への扉らしい物が見付かったって事でさ。ほら、ランクAはその“鍵”になるはずだから。覚えてるかな?空の都の話」

「ああ。空の印を持つルシフェルが鍵の候補だって、グラウカさん達が話していたな」

それは、エトワス達も把握している話だった。実際には、鍵である空の印は“ラズライトの瞳”だが、グラウカはそれを“翼”だと勘違いしている。

「そうそう。でさ、その遺跡には実際に扉みたいなものがあるらしいんだよ。でも、開かなかったんだって。最近こっちに届いた手紙に書いてあったんだけどね」

『そりゃ開かないだろうな』

と、エトワスと翠は思っていた。しかし、相槌を打つため、エトワスは怪訝そうな顔をしてみせる。

「ルシフェルがいたのに、開かなかったのか?」

「そうなんだよ。だからそこで頓挫しちゃってて……。でも、彼が鍵なのは間違いないだろうから、もしかしたら鍵以外に条件があるのかもしれないって、一応皆まだファセリアに滞在して調査中なんだ。ああ、そうそう!奇妙な話なんだけどさ、地底の種族のなれの果てが扉を守ってるらしいんだ。もしかしたら、単に遺跡に棲みついてるだけかもしれないどね。でも、面白いと思わないか?扉の鍵は地底の種族の血を引くルシフェルで、扉を守ってるのも地底の種族のなれの果てだなんてさ」

レイシは楽しそうに話している。

「空の都への扉は、地底の種族のなれの果てが守ってるのか?」

扉を守っているのは、アカツキの村の者達だ。その地底の種族のなれの果ては、レイシの言った通り単純にそこに棲みついているだけだろう。エトワスと翠はそう思っていた。

「うん。地底の種族のなれの果てだけじゃなくて、遺跡内には魔物もいっぱいいたらしいよ。でも、ランクAだけじゃなくてファイターも付いてってるから、グラウカさん達は安全だと思うけど。とは言っても、怖いし僕は行かなくて良かったって思ってるけどね」

レイシはそう言って笑う。

「そういう訳でさ、僕達がこの国で遺跡を探そうとしているのは、鍵の事も含めて何か新しい情報が出てこないか期待してるからでもあるんだ」

「そうだったのか」

『なんつー雑な……』

エトワスは納得した様子だったが、翠は呆れたような目を向ける。

『行き当たりばったりすぎんだろ』

「鍵以前に、それって本当に扉なの?空の都?ってのが、そもそもただの伝承なんじゃねえの?」

当然、伝承とは思っていなかったが、わざと翠がそう言うと、レイシは「う~ん」と唸って腕を組んだ。

「やっぱり、そういう意見は多いよね。特にファセリアには3種族の伝承は伝わってないみたいだしそう思うのかも。でもさ、扉らしいものが見付かったのは事実なんだ。だから、夢は持ち続けていたいよな。扉の先に何があるのか、ワクワクするだろ?」

話しているうちに警戒心が解けたのか、レイシが笑顔を見せる。

「一つ謎なんだけど。変じゃねえ?空の都って、空にあるんでしょ?高い山のてっぺんに恐ろしく高い塔が立ってて、それを“扉”って呼んでるなら分かるけど」

「あー分かる!僕も子供の頃そう思ってたよ!雲の上まで突き抜ける様な塔とか階段があるんだろうなって。実際はさ、きっと、すごい魔法とか僕達地上の人間は知らない様な術の力を使った装置があるんじゃないかな?」

翠の言葉に、レイシは目をキラキラさせて話した。

「ああ、なるほど。魔法かぁ」

翠は納得したように頷いて、チラリとエトワスを見た。レイシの言葉は真実なのか、と、エトワスの反応を窺っていた。

「ありがとう、レイシ。色々教えてくれて」

これ以上探り出せそうな事はない、そうエトワスは判断していた。

「ほらね。別にファセリア帝国に迷惑は掛けてないし、ジェイド達の役に立ちそうな情報もなかっただろ?」

本当にそう考えている様子で、レイシが笑う。

「そうだな」

実際は、確実にグラウカやルシフェル、ファイター達がまだ遺跡にいる事が分かり、地底の種族に属する魔物が待ち構えている事も分かった。

「あのさ、ただ聞くだけなんだけど」

口を付けていなかった珈琲を飲み、すぐに席を立とうとしたエトワスをレイシが呼び止めた。

「ランクXもこの国にいるのか?あ、いや、ただ、あの子が元気かなって思って。あと、記憶とか戻ったのかなって……」

エトワスが一瞬厳しい表情を見せたため、レイシが慌てて付け加える。

「他意はないよ。ジェイドには話しただろ。ロベリア王国から連れ帰ったやり方とかを含めて、僕はずっと彼の事が引っかかってたって事。それに、君らには敵わないって分かってるから、捕まえようなんてまず思わないし、全然誰にも報告する気もないよ」

レイシは、エトワスがヘーゼルと戦い重傷を負わせたという事を知っている。ランクX達が脱走した日の夜、血塗れになりビルへ戻ったヘーゼルは瀕死の状態だった。その時の様子を見た訳ではないが話には聞いていて、後日、右目が潰され惨たらしい大きな傷跡を刻まれたヘーゼルの姿は実際に目にしていた。

「……元気だよ。薬も摂取しなくなったから、記憶も戻ってる」

「そうか。良かった。じゃあ、僕らの事怒ってて恨んでるだろうね」

エトワスの言葉にレイシはそう言って、本当に申し訳なさそうに小さく笑った。

「あ、ジェイドも元気そうで良かったよ。ヘーゼルさんと戦って、死んだかもしれないって聞いてたから心配してたんだ」

「誰に聞いたんだ?」

少し驚いてエトワスが尋ねる。

「ヘーゼルさん本人が話して噂になってたよ。ついでに、それ以上に、他の部署の女性研究員達がすごい騒いでたよ。ジェイドの事、イケメン新人だと思って目を付けてたのに、いなくなっちゃうなんてー!って嘆く人達と、捕らわれの実験体を助けに来たなんて、騎士様がお姫様を助けに来たみたいだってキャーキャー言ってる人達がいてさ」

「ジェイド君は、潜入向きじゃないね」

翠がそう言って笑う。

「ああ、そう言えば君も噂になってたな。ランクCとの戦闘の時、身を挺してランクXを庇ったろ?研究施設の人間が実験体を庇うなんてまずあり得ないからさ、禁断の愛だって言われてた」

と、レイシが翠の方を見てニコニコ笑いながら教えると、今度はエトワスが小さく笑った。

「愛がなきゃ、庇う事なんて出来ないもんな」

「いやいや。職業柄、非戦闘員を守るのは当然ってだけなんで。っつーか、そう訓練されてきたからさ。自分が怪我するのは想定外だったし」

翠が苦笑いする。

「でも、その後すぐ君達はまとめていなくなったから、結局、ランクXはどこか外国の王子様で、ジェイド達王子様に仕える騎士が救出しに来たんだろうって噂されてたよ。少なくとも、僕がヴィドールを出た時点ではね」

「王子様にしちゃ、ガラが悪すぎるけどねぇ。ま、百歩譲って“ラファエル”君なら、ありか……」

少なくとも、翠とエトワスは、インペリアル・ナイトとエレメント・ナイトという称号を持つ特殊な騎士ではある。

「だけどさ、君らはともかく、ラファエルは本当に兵士なの?そう見えないんだけど」

「体の具合が悪くなければ、優秀な兵士だよ」

エトワスがそう言うと、レイシは納得したようだった。

「そうか」

「噂はどうでも良いけどさ、ヘーゼルは無事だったの?あの状態で?」

エトワスも同じことを思っていたが、翠が話を戻す。

「無事というか、命に別状はないって感じかな。ただ、右目は使えなくなって眼帯してるから、物語に出て来そうないかにも海賊って感じになってたよ。僕は後になって話に聞いただけなんだけど、あの夜たまたまビルに居て彼を見てしまった別の部署の人達は、怖すぎてトラウマになったって言ってた」

「ああ、あれは、なかなかインパクトあったもんね。だけど、こいつの方も結構ホラーだったよ。腹に剣が突き刺さっててさ。マジで死ぬとこだったもんな」

と、翠がエトワスに視線を向ける。

「ええぇ!」

レイシがギョッとしてエトワスを見る。

「ヤバかったけど、目よりは全然マシだな」

そう言いながら、エトワスは半分残っていたコーヒーを飲む。

「と言うか、あの剣が俺の剣だったら、ちゃんと攻撃を防げてたはずなんだ」

ヴィドール製なのが問題だったと言いたげに、エトワスはブツブツ言っている。

「そりゃね。ジェイド様のために職人さんがプライドと時間を掛けて魂を込めて作った逸品じゃないし。でも、達人は道具を選ばずって言うじゃん?」

「それを言われるとそうだけど。うちの祖父みたいな事を言うなよ」

エトワスが、少し悔しそうに言う。

「でも凄いなぁ。僕とは全然違う世界にいるって言うか、戦えるって尊敬するよ。僕なら抵抗できずにすぐ殺されて終わりだ」

話を聞いていたレイシが小さく笑う。

「僕もファセリア帝国の遺跡行きに志願したら良かったな。ジェイド達の国がどんなとこか、見てみたくなったよ」

「観光目的なら、案内するから来たらいい。まだしばらくは、俺は家には戻らないから連絡が取れないと思うけど、落ち着いた頃にでも」

エトワスが笑う。

「じゃ、ジェイドと連絡を取りたいと思ったらどうしたらいいの?」

本気なのか、レイシが身を乗り出して尋ねた。

「とりあえず、宛先をファセリア帝国の“ウルセオリナ城のジェイド”宛にして手紙を送って貰えたら、この国からだったら届くかも?」

エトワスの言葉に、レイシは目を瞬かせた。

「え、そんな大雑把な宛先で良いの?」

「同じ名前の人間がいる場合もあり得るか。じゃあ、エトワス・ジェイド・ラグルス宛にしてくれたら確実かも」

「それ、名前?長いね」

「ああ。だから、ヴィドールではジェイドって名乗ってたんだ」

「なるほど」

エトワスのフルネームをノートに書き留めたレイシは、納得した様子で頷いた。ジェイドはファセリアの兵、そう思っているため、“ウルセオリナ城”と言われても、そこが職場なのだと納得していた。


「じゃあ、レイシ、俺達は行くよ。またな」

そう言って、今度こそエトワスは席を立った。

「ああ、うん。そうだ、ジェイド。グラウカさん達はヘーゼルさんの船でファセリアに行ってるから、もしかしたら彼もファセリアに上陸してるかもしれない。怪我が良くなってないし戦える体じゃないみたいだけど、ジェイドの事を凄く恨んでて手下を使って捜してるみだいだから気を付けた方がいいよ」

身を案じてくれているレイシの言葉にエトワスは意表を突かれてしまったが、今回は作ったものではない笑顔を返した。

「分かった。ありがとう」

それじゃあ、と、レイシに別れを告げ、会計を済ませたエトワスと翠は店を後にした。


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