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LAZULI  作者: 羽月
46/77

46雪の町 ~お願い~

 扉の守護者達の村を訪れてちょうど10日目になり、ようやく天気が回復して雪が止んだため、ディートハルト達は長夫妻や村人達に別れを告げて村を発った。

 魔物避けの煙が出るランタンを手にしたアカツキの案内で森を進むと、守護者を捜し彷徨った時とは違い魔物に遭遇する事もなく15分もしないうちに森を抜け出して王都の西の門へと辿り着いていた。

「冗談だろ。こんなに近かったのか……」

鉄の門の前でシヨウが呆気にとられたように言うが、アカツキ以外の全員同じ思いだった。

「正しい道を知っていれば大した距離ではないんです」

持参した水筒の水で魔物避けの薬草の火を消し、背負った大きなリュックにランタンをしまいながらアカツキが話す。

「ですが、こんなに近いのに、この町に来るのは初めてです」

シュナイトの部下が門を開ける様子を、アカツキはどこか楽し気に見ていた。



「ディートハルトの体調をみて決めなければならないが、いつどのような船が出るか調べておくから、君達は自由に過ごしていてくれ」

シュナイトの屋敷に戻るとすぐ、ファセリア帝国行きの船をシュナイトが手配すると申し出てくれたため、ディートハルト達は出発の日までそのまま彼の屋敷に滞在する事となった。

 扉の守護者の村を生まれて初めて出たアカツキは、早速王都を見物するためにシヨウを案内役にいそいそと出掛けて行き、ファセリア人達はそのまま屋敷で使用人のレイチェルが淹れたお茶を飲んでいた。

「ディートハルト、ちょっといいかい?」

仲間達とくつろいでいたところ、シュナイトが来てディートハルトを連れ出した。


 シュナイトがその部屋の扉を開くと、柔らかな色彩がディートハルトの目に飛び込んできた。

「……」

窓に掛けられたカーテンも、ソファもその上のクッションも寝具類も、部屋に置かれている物のほとんどが、優しいパステルカラーで統一されているからだ。それに加えて同じような色合いをした沢山のおもちゃも置かれている。ぬいぐるみ、ボール、おもちゃの楽器、積み木に木馬……。小さな子供が喜びそうな物がいっぱいだ。壁際の背の低い本棚には、様々な絵本も並べられていた。

「ここは君の部屋だ。全部、君のものだよ」

成人用のベッドの傍らに置かれたベビーベッドの脇に立ち、シュナイトがそう言って笑顔を向けた。

「え……?」

どう見ても子供部屋といった雰囲気なので言われている事が分からず、ディートハルトは困惑した。

「はぁ」

天井から下がっている星や月を模したカラフルな飾りを見て、目を瞬かせる。

「シャーリーンは気が早くてね。まだ生まれてもいないのに、こんなものまで揃えていた」

そう言って、シュナイトは絵本と共に並べられていた分厚い本を1冊手に取った。『詳説 世界史』と書いてある。よく見ると、近くには世界地図や百科事典、医療用の人体解剖図鑑まであった。

「セレステは賢いから、あっという間に知識を得て色々な事を吸収するはずだって言ってね」

「……」

つまり、この部屋は、シャーリーンが産む予定だった子供のために用意していた部屋という事だ。もし、ここで生まれ育っていたらどうなっていただろうか。ディートハルトはそう思いながら部屋の中を見回した。実際に自分が幼少時代に過ごした部屋は、家具すら殆どない薄暗くて寒い場所だったのに、今目の前に広がっているのは当時の自分には夢に見る事さえ出来なかったであろう想像もつかない次元の部屋だ。あまりに差が激しすぎて、頭がぼんやりする。ただ、部屋の中にある様々な物を半ば呆れた様に見る事しかできなかった。

「あ……」

ふと、本棚にあった一冊の本が目に付いた。それは、『レテキュラータ大陸のいきもの』というタイトルのレテキュラータ大陸に棲む様々な生き物を紹介した本のようだったが、表紙にはドラゴンの絵が描かれていた。

「レテキュラータ大陸には、ドラゴンがいるんですか!?」

本を手に取り目を輝かせるディートハルトに、シュナイトが「え」と、言葉に詰まる。ドラゴンは物語や伝説に登場する生き物で、実際に確認された訳ではなく未確認生物という類のものだった。しかし、ディートハルトが期待で目をキラキラとさせているため事実を告げる事が躊躇われた。

「そういう話は、あるにはあるんだが……、ちゃんと確認されてはいないな……」

ガッカリさせてしまう事を申し訳なく思いつつシュナイトが答えると、本を開いて見ていたディートハルトは少しガッカリした様に言った。

「何だ。やっぱり、レテキュラータでもドラゴンはゾンビと一緒で未確認生物なのか……」

「え?(ゾンビ?)」

そう本に書いてあるのだろうか、と、ディートハルトが広げた本を覗き込むが、ゾンビについては書かれていなかった。まさか、ファセリア大陸ではゾンビは未確認生物扱いなのだろうか、いや、そもそもゾンビは“生物”なのだろうか?と疑問に思ったが、この件については触れない事にした。


「ほら、来てごらん」

シュナイトは、暖炉の上に置かれていた写真立てを手に取りディートハルトに差し出した。

「あ、この人……」

「そう。シャーリーンだ」

生まれ育ったランタナの家で養父の本に挟んであった写真を偶然見付けてしまい、シャーリーンだという人物の姿を見たことはあった。ただ、養父に見付かりはしないかと怯えていたせいか、それとも当時は自分を産んだという女性を嫌っていたせいで無意識のうちにちゃんと見ようとしていなかったからなのか、その顔立ちはハッキリとは覚えていなかった。

「こんな顔してたのか……」

緩く波打つ青みがかった銀髪に、深い青と緑の目をした女性だった。ディートハルトと似てはいない。華やかで柔らかな印象も受けるが、芯の強そうな眼差しをしていた。こちらに向かい幸せそうな笑顔を見せている。今のディートハルトより少し年上だろうか。翼は無いようだった。

「知らなかった」

ディートハルトがぽつりと漏らした言葉を聞き、シュナイトは無言でディートハルトの頭をクシャリと撫でた。

「君さえよければ、君を正式に私の息子として届け出て国王陛下に紹介したいと考えているんだが……」

唐突にそう切り出され、ディートハルトは驚いてシュナイトの顔を見上げた。

「君が生まれ育った環境やこれまでの事は、君の友人達に色々話を聞いたよ」

シュナイトは守護者達の村に滞在している間に、ディートハルトのファセリア帝国での生活について話を聞いていた。

「幼い頃は色々大変だったみたいだな。何なら、君を養ってくれたという医者夫婦に直接会って礼を言ってもいいくらいなんだが……」

不穏な笑顔を見せるシュナイトに、ディートハルトは思わず苦笑いしてしまう。

「まあ、一応シャーリーンと君の命を助けてくれたのだから、ひとまず保留にしておくとしよう。それで……」

と、シュナイトはディートハルトに向き直り再び尋ねた。

「どうだろう?私の息子という事で紹介しては迷惑だろうか?」

「息子……おれが?」

ディートハルトは複雑な表情で呟いていた。言われている事に実感が湧かない。生まれて初めて自分に対して使われた単語に強い違和感があるだけだった。

「血も繋がってないのに?」

ディートハルトが窺うような視線を向けると、シュナイトは再び笑顔を浮かべた。心なしか嬉しそうだ。

「そうでもないぞ。その髪、君の髪の色は、私譲りかもしれないぞ?」

「へ?」

ディートハルトは目を瞬かせた。シュナイトとディートハルトは外見に似通った部分はないのだが、髪の色は同じだった。言われて初めて気が付いた。

「生命はともかく、君の体はシャーリーンのお腹の中で成長したのだから、夫である私の影響を受けていないとは言い切れないぞ。実際、彼女は、君の片方の瞳が私と同じ色である事を期待していたからな」

「……」

シュナイトの笑い声に、ディートハルトは無言で眉を顰めた。

「これなら、ずっと捜していた私の家族が見付かったと説明しても、皆君が私の息子だとすんなり信じてくれるだろう。ラズライトの瞳ではないが、シャーリーンも1つの瞳は青い色だったしな。ちなみに、君の祖父にあたるテオドールも青い瞳で、祖母のヒルデガルトは私達と同じ髪色だよ。今は少し南の方の暖かい地方で夫婦共に暮らしているが、君の事を知ったら物凄く喜ぶだろうな」

シュナイトはとても嬉しそうで、ディートハルトはどう反応していいのか分からなかった。

「私の事は、“お父さん”と呼んでくれて構わないぞ。“父さん”でも“パパ”でもいいな」

シュナイトはニコニコして言う。どれも、今まで生きて来て一度も口にしたことのない単語だ。

「……本気なんですか?」

「やっぱり、“パパ”は無しか?」

シュナイトが、少し残念そうに言う。

「そうじゃなくて。おれは、シャーリーンさんが産んだのかもしれないけど、レトシフォン閣下が待っていたのは、会いたかったのは、おれじゃなくてシャーリーンさんじゃないんですか?おれを仕方なく引き取った養い親のローマンは、シャーリーンさんにしか興味は無かったですよ。それが普通なんじゃないですか?」

ディートハルトの言葉を黙って聞いていたシュナイトは、小さく溜息を吐いた。

「本当に、その男を殴ってやりたいな……。ディートハルト、おいで」

シュナイトはディートハルトを部屋の扉の前に手招きした。

「……」

ディートハルトは訳が分からないまま言葉に従い、おずおずとシュナイトの近くに行く。すると、シュナイトは、ディートハルトをの体の向きをクルリと変えて部屋の中を向かせた。

「よく見てごらん。さっき言った通り、ここは君のためだけの部屋だ。君と会えるのを楽しみに待っていたからこの部屋を用意していた。そして、この19年、もちろんシャーリーンを心配し待っていたし会いたかった。だけど、同じくらい君の事も心配して待っていたし会いたいと思っていた。シャーリーンは、私に初めて会ったその日に、お腹の中にいる君の事を私に話したんだ。だから、私は最初から君の事は知っていたし、シャーリーンに求婚する時には君にもちゃんと尋ねたんだぞ。“私の子供になって家族になってくれるかい?”って。そしたら、シャーリーンは、君が了承して喜んでいると答えた」

シュナイトがニコリと笑う。もちろん、ディートハルトはその様な事は知らない。

「だから、君が私の息子だと分かって嬉しくない訳がない。シャーリーンの事は、本当に残念だし辛い。だけど、偶然なのか運命なのか、君とこうしてまた出会えて本当に幸せだと思っているよ。何なら、ディートハルト・レトシフォンとして、このままここで暮らしてくれても大歓迎だ。ミドルネームも考えなければならないな」

「え、でも……」

ディートハルトが困惑した顔をすると、シュナイトは優しく笑った。

「分かっている。アズールに向かわなければならないし、体が回復した後は、君はファセリア帝国のI・Kだからファセリアに帰るんだろう?大切な友人達もいるし。でも、ここは君の実家だし私は君の父親だから、君もそう思ってくれると嬉しい。それは、無理そうかい?」

シュナイトの言葉に、ディートハルトはしばらく間をおいてから首をゆっくりと横に振った。

「……今まで家族なんかいなくて、いきなりでよく分かってなくて……自分が空の種族とかセレステって言われてる事も、未だに意味が分かんなくて混乱してるけど……、嫌じゃないし……無理じゃない……と思います」

嬉しいのかどうかは分からないが、胸の奥がジワリと温かくなったような気がした。

「そうか、ありがとう!では、今、この瞬間から正式に私は君のパパだ!」

笑顔でシュナイトはそう言った。“お父さん”や“父さん”よりも、“パパ”と呼んで欲しいらしい。

「聞いていいですか?」

「ああ。何だい?」

「シャーリーンさんが空の種族だって知って、驚かなかったんですか?あと、赤ん坊が聖地の卵から生まれたって、何で信じられたんですか?」

少なくとも自分は、自分が空の種族だと言われても全く信じられなかったし、何をふざけた事を言っているんだと思った。

「始めて出会った時に、彼女は有翼の姿をしていたからな。翼を持った左右目の色が違う相手に『私は、空の種族の巫女なんです。助けてください!』と言われれば、空の種族というものがいるのかと、すぐ信じられた。お腹の中の赤ん坊が、聖地に自然発生した卵から生まれた存在だという話は流石に半信半疑だったが、話の辻褄は合っていたし、赤ん坊の父だと思われる男の影も彼女からは感じられなかったし、不思議な力も色々と披露してくれたから、セレステという存在の話も事実だろうと信じられたんだ」

確かに、見た目の印象は説得力があるよなとディートハルトは思った。自分も、真っ黒な翼と赤い瞳のルシフェルに会った時は、本当に地底の種族なのだとすんなり信じた事を思い出していた。

「20年前の秋……」



 レテキュラータ国王に仕える六将の一人として、王都の西側を預かるようになってから1年程経った晩秋の朝、シュナイトは部下の兵6名と共に西の森へと向かった。この森にしか生息していない氷獣目当てで森に入った者達がいないか、見回るためだった。


『わざわざ閉ざされた門を開いて、自ら死にに行くとはな……』

鉄製の頑丈な門を開ける部下を眺めながらシュナイトが呆れた様に言う。昔は門に鍵を掛けていたらしいが、鍵を壊して森に入る者が後を絶たないため、今は敢えて鍵を掛けない様になっていた。ただし、掛け金を外すにはそれなりに力がいる。

『余程、腕に自信があるのでしょうね』

シュナイトと同年代の若い兵が、やはり呆れた様にそう言った。

『死体を回収して身元まで調べなければならないこっちの身にもなってみろ、って言いたいですけどねぇ』

別の兵が言う。彼の背の荷物は遺体を入れるための袋だった。

『でも、これから寒くなってくるから、今までの季節よりは犠牲者も減るし楽になるよ』

そう言ったのは、彼らよりも年長の兵で、もう何年もこの仕事をしている人物だった。レテキュラータ王国の冬は厳しい寒さで雪が降る事も多いため、森に入る者達も寒い季節は避ける傾向にあった。


 森に入ったシュナイト達は、木に付けられている目印を目当てに薄暗い森の中を進んで行った。すると、程なく植物をかき分ける様な音と共に足音が響いて来た。誰かがこちらに向かい走って来る様だ。きっと、獲物を狩りに来た者だろう。そう全員が思った。


『!?』

木々の間から現れた人物の姿に全員が目を丸くする。それが、獰猛な生き物が棲む森の中という場所にはそぐわない若い娘だったから、と言うより、その娘の背に大きな翼があったからだった。人なのか魔物なのか、それともまた別の生き物なのか……全員がそう思っていると、娘の声が響いた。

『お願い、助けて!』

その声でハッと我に返り、シュナイトは娘の背後に迫っていたムカデに似た魔物に向かい術を放った。

氷の塊が魔物目掛けて降り注ぐ。娘に牙が届く寸前で、魔物は地面にドサリと落ちた。

『……』

シュナイトが振り返ると、有翼の人物は目をキラキラと輝かせてシュナイトを見ていた。

『すごい!貴方、ずごく強いのね!』

はしゃぐ姿に兵達は呆気に取られ、あるいは警戒した様子で有翼の人物を見ていたが、その主はポカンとしていた。

『え、ああ、いや……』

青みがかった長く波打つ銀の髪に、右は深い緑色の瞳、左は深い青色の瞳をした娘は、その背に淡い水色の翼を持っていた。

『怪我は無……ああ、怪我をしているな』

怪我は無いか、そう尋ねようとして、一目で怪我を負っている事が分かる姿に気付き慌てて言い直す。

『え、ホント?大変!』

擦りむいた頬に触れ、指に僅かに血が付いたのを見て娘は眉を顰めた。

『大丈夫。たいした事ない傷だし、あとも残らないだろう』

顔の傷なので心配しているのだろうと思いシュナイトがそう言うと、娘は首を横に振った。

『違うの。私の血に引き寄せられて魔物達が集まって来るはずだから』

真面目な顔でそう言うと、娘はシュナイトに真っ直ぐ視線を向けた。

『私は、空の種族の巫女なんです。助けてください!』

『空の種族?』

始めて聞いた言葉だったが、背に翼のある姿を見ると、その様な者が存在するのだろうとシュナイトはすんなり納得出来た。

『ええ、私は……』

『閣下!』

部下の兵が娘の言葉を遮って剣を構える。

『ああ、ほらやっぱり!私を追って来たのよ』

背後を振り返ると、娘の言う通りゾロゾロとこちらへ向かって来る魔物の姿があった。

『応戦しつつ退却する。森を出よう』


『怪我は大した事ありませんが、無茶はしないようにしないといけませんね』

シュナイトの屋敷でメイド長をしているレイチェルは、少し呆れたように言ってソファの前のテーブルにハーブティーの入ったカップを置いた。シュナイトが森から連れ帰り保護した娘を、医師が診察し終えたばかりだった。

『ええ。分かってます。でも、どうしても無茶しない訳にはいかなくて』

『赤ちゃんがいるのに、ですか?』

レイチェルが再び呆れた様に眉を顰めた。シュナイトは、初めて知った事実に驚いてしまっていた。

『赤ちゃんがいるから、です』

『一体どういう……』

『レイチェル』

テーブルを挟んで娘の前の席に座ったシュナイトが、名前を呼んでレイチェルを止める。

『まずは自己紹介をしよう。私は、シュナイト・ヴェルナー・レトシフォン。ここレテキュラータ王国の王に仕えている。君は?』

『私は、空の種族の巫女、シャーリーンといいます。アズールから来ました』

“私は、シャーリーンといいます”の部分しか分からず、シュナイトは目を瞬かせた。傍に控えたレイチェルと執事のアプローズも、キョトンとしている。

『すまない。アズールと言うのは町の名か?どの大陸のどこの国にある?そして、空の種族というのは?』

シュナイトの問いに、シャーリーンは困った様な表情になった。

『ああ、どうしましょう。長い間交流が無かったから、地上では知られていないのね』

小さく溜息を吐いた後、シャーリーンは改めて自分が何者で、何処からどういった理由でこの地にやって来たのかを説明した。


『……』

話を聞き終えたシュナイトは、無言でお茶を飲んだ。

『よく分かった』

フゥと小さく息を吐くシュナイトに、“え!?”と、メイド長と執事が思わず視線を向ける。二人はシャーリーンの話を半信半疑で聞いていたが、主は疑った様子もなく大きく頷いていた。

『しかし、どうしてわざわざ地上に、しかも危険な森の中に移動したんだ?危険から逃れるのに遠くに移動できる術を使えるのなら、アズールの中で安全な場所に移動すれば良かったのではないか?』

シュナイトに鮮やかな若葉色の目を向けられ、シャーリーンが小さく笑みを浮かべる。

『その安全な場所というのが、遠く離れた地上しか思い浮かばなかったんです。アズールの中で聖地は一番安全な場所です。強い結界に護られていて闇属性の地底の種族に属する魔物は近付く事のできない、光の力に満ちた場所です。この子の卵を襲った魔物は、そんな聖地に侵入して来たんです。だから、もし、その聖地からアズールの城に移動して避難していたとしても、魔物はすぐに追ってきていたでしょうし、空の種族の兵達はそんな強い魔物と戦う力はないので、この子が無事だったとは思えません。魔物の追って来れない場所へ逃げるしかなかったんです』

そう言って、シャーリーンはお茶を一口飲んだ。

『長い間、アズールと地上の交流はありませんけど、遠い昔、まだ交流があった頃には地上と行き来する事が出来る扉があったそうです。そして、その扉を管理しているのが、地上のレテキュラータという場所にある森の中に住む人達……扉の守護者の一族だと聞いていました。だから、移動先にこの地の森の中を選んだんです』

シャーリーンは自分の腹にそっと掌を当てた。

『セレステの子を卵から自分の体に移して安全な場所に移動する、という術は本当に緊急事態に1度だけ使える術なんです。だから、アズールに戻るには自力で帰らなければならなくて、扉の守護者達を探さなければならないんです』

『仲間の空の種族達は、迎えに来てくれないのか?』

シュナイトの問いにシャーリーンは首を振った。

『力の強いセレステがこの子の気を辿って、地上にいるという事までは分かるかもしれません。でも、それ以上は。捜しようがありませんから。でも、大丈夫です。この子は何としてもアズールに連れ帰ります!』

表情を曇らせているシュナイトに向かい、シャーリーンは笑顔で強く宣言した。

『あの、シュナイトさん、一晩だけ泊めてもらってもいいですか?明日の朝、すぐに出て行きますから』

シャーリーンの言葉にレイチェルはポカンと口を開け、シュナイトは苦笑いした。

『事情を聞いたからには放り出したりなんてしない。森の中に住んでいる人を探すのは、私も手伝おう。元々あの森には仕事で定期的に入る事になっているから、兵達にもついでと言っちゃなんだが手伝って貰うから、私に任せて、君は扉の管理者が見付かるまでこの家に滞在していたらいい』

シュナイトの言葉に、今度はシャーリーンの方が目を丸くした。

『いいんですか?ありがとうございます、シュナイトさん!』


 間もなく冬がやって来たが、森の中で探し続けている扉の守護者は見付かっていなかった。

『ごめんなさい、シュナイト。こんなに長い間お世話になってしまって……』

すっかり雪で真っ白になった庭を眺めていたシャーリーンが、申し訳なさそうにシュナイトを振り返る。

『いや、私の方こそすまない。簡単に“手伝う”なんて言っておきながら、全く役に立ってないな』

シュナイトは苦笑い気味に言う。

『いいえ。貴方が助けてくれなければ、私はとっくの昔に森の中で死んでいるわ。……ねえ、シュナイト。不思議に思っていたんだけど。あの光は何かしら?最近町にいっぱい似たようなものが飾られ始めたのだけど。結界を張っているの?』

暗くなり始めている窓の外に、町の明かりが見えていた。

『結界ではなくて、装飾だ。もうすぐ新年を迎えるこの時期になると、ああやって飾り付けるんだ。……もっと綺麗に見えるところに、これから出掛けてみないか?』

『シュナイトと二人で、お出掛けするの?』

シャーリーンが左右違う色の瞳で、シュナイトを見上げる。

『ああ、そうだよ』

『わー、行きたい!』

シャーリーンは、零れそうな笑顔で頷いた。


 それから程なく、年が明ける前にシュナイトはシャーリーンに求婚し、シャーリーンはそれを喜んで受け入れた。そして、そのまま地上に留まりこの地でセレステの子を産む事に決めた。

どうしてもセレステの子をアズールで休ませなければならないが、それはまた改めて、その子が生まれてから考えようという事になった。



「私達のせいで、君に大変な思いをさせてしまったな」

シャーリーンとの昔話を終えたシュナイトが、申し訳なさそうに言う。

「おれは、ファセリアで生まれ育って、エトワス達と出会えて良かったって思ってます。閣下の方が、ずっと辛かったんじゃありませんか?」

ディートハルトの言葉に、シュナイトは小さく笑った。

「そうだな……。でも、君とこうして出会えて、全く分からなかった19年前の真相の一部が分かり、心が大分軽くなった。時が止まったようだったが、やっと動き出したよ。こうして可愛い息子が帰ってきてくれた事でな」

シュナイトは身を屈めてそう言うとディートハルトの顔を覗き込み、頭をクシャクシャと撫でた。

「本当は、アズールにも付いて行きたいんだが……。君の友人達も気を遣うだろうし自重するが、全力でサポートさせて貰う。必要な物があれば、いや、欲しい物があれば何でもパパに言いなさい。どんな我儘でも叶えてあげよう」

笑顔を向けるシュナイトに、ディートハルトは目を瞬かせていた。

「あ、ありがとうございます、閣下」

ディートハルトの言葉に、シュナイトは少し不満そうな顔をした。

「ええと、パパ」

ディートハルトが言い直すと、シュナイトはニッコリと笑って、再びディートハルトの頭をクシャクシャと撫でた。



* * * * * * *


 ディートハルトは一人、ベッドに身を投げ出して考え込んでいた。立て続けに色々な事があり、何だかついていけなかった。もしかしたら、これも夢なのではないだろうか……?ふとそう思う。

寝転がったまま、枕元に置かれていたフカフカのウサギのぬいぐるみを何気なく手に取ってみた時、少し乱暴なノックの音が聞こえた。

「おおー。これまた可愛らしい」

ノックがあったと思った直後、返事を待たずに扉が開き声がした。翠だ。

「レイチェルさんが、お菓子を用意してくれたぞ」

そう言いながら、大きなトレーを持ったエトワスも続いて部屋に入ってきた。

「一緒にお茶でも飲もうぜ。……すげえな」

最後に部屋に入ったフレッドは、天井から下がっている星や月を模したカラフルな飾りを不思議そうに眺めていた。要するに、彼らは部屋を見物に来ていた。

「どうした?具合が悪いのか?」

窓際のテーブルにトレーを置いたエトワスは、ベッドに転がったままのディートハルトに近寄り身を屈めた。

「どうもしねえけど……」

と言いつつ、ディートハルトはエトワスに背を向ける。

「お茶、淹れたぞ」

せっせと人数分のティーカップに紅茶を注いでいたフレッドが声を掛ける。椅子に座り早速手を伸ばした皿には、シナモンとジンジャーの香りがするクッキーやラズベリー等の果実の盛られたタルト、一口サイズのケーキが沢山並べられていた。

「あぁ、なんか最近薬草っぽいもんばっか飲み食いしてたから、この手の味が懐かしいわ」

立ったままティーカップを手にして口を付けた翠が言う。

「スイーツ、食わないのか?」

ベッドの端に座りエトワスが尋ねると、ディートハルトはゴロリと寝返りを打ちエトワスの方に向き直った。

「食うけど。何かさ……、おれの事、息子だとか言うんだ」

「え?ああ、レトシフォン閣下か。本来そうなってたはずだからな。シャーリーンさんと離婚してないんだし、それならやっぱりディートハルトは息子って事になるよな。……いきなり父親と家族が出来て嫌なのか?」

エトワスに問われ、「う~ん……」と、ディートハルトは困ったように眉を顰めている。

「嫌って訳じゃないんだけど。さっきまで、親も家族もいなかったから混乱してる。嬉しいんじゃないかと思うけど、信じられない気持ちもあって不安って言うか……。何か、よく分からないんだ」

「そうか」

ふと見上げると、エトワスが真剣な眼差しで話を聞いてくれている事に気付いた。

「でも……」

「?」

ディートハルトは無言で身を起こしエトワスににじり寄ると、エトワスの耳元に顔を寄せた。

「エトワスと一緒にいれるのは、すっげー嬉しい。これは、断言できる」

本心からの言葉を、彼にだけ聞こえる様にそう言った。シュナイトの件はよく分からないが、これだけは間違いなかった。

「!」

不意打ちの様に至近距離で囁かれ、エトワスが面食らいながらディートハルトに視線を落とすと、彼は楽しそうに小さく笑みを浮かべていた。

「……(そんな事を言われたら、俺は……)」

元々ディートハルトが自分を特別に慕ってくれている事は自覚しているが、ひとまずこうしてディートハルトの体調が落ち着き、危険もなく安心出来る環境にいるせいなのか、今改めて自分限定の名指しで向けられた言葉と笑顔にクラクラした。澄んだ瑠璃色の瞳は、心からの親しみの込められた真っ直ぐな視線を注いでいる。

「おぉっ、これ、めっちゃ美味いぞ!」

笑顔に惹かれディートハルトを抱き寄せそうになっていたエトワスは、プチケーキに感動したフレッドの声で我に返った。

「……」

「エトワス?」

不思議そうに名前を呼ばれ、エトワスは小さく笑う。

「何でもない。俺も、こうやってディートハルトと過ごせる事が嬉しいよ」

エトワスの言葉に、ディートハルトは嬉しそうな笑顔を見せた。

「あいつら、本当に仲がいいよなー」

エトワスにじゃれつくようにくっついてその顔を見上げているディートハルトと、嬉しそうに笑顔を返しているエトワスの姿を一瞥し、フレッドが呆れた様子で言う。学生の頃から仲が良いとは思っていたが、これ程だったとは思わなかった。

「元々仲良しっつーか、エトワス君の方は学生の頃からあんな感じで言動は変わらないんだけどね。最近のディー君は怖いくらい素直だから仲の良さが増した様に見えるよね。おかげで、次期公爵様のからかい甲斐があるっつーか」

クックックと、翠が笑う。

「でも、あれじゃ、エトワスじゃなくても落ちるだろ」

「ハハッ。そうかも」

「でもさ、誰がどう見ても惚れてんのに何で告白しないんだろうな?」

部屋が広く距離があるため聞こえていないようなのを良い事に、声を落としたフレッドが言う。

「それはさぁ、エトワスの気持ちは分かるよ?あの見た目だし、オレだってディー君ならオッケーって思っちゃうけどさ。だけど、ディー君側の立場に立ってみなよ」

翠が苦笑いして言う。

「少なくともオレなら、相手がいくら完璧なイケメン王子様でも戸惑うわ。しかも、付き合った場合、自分はカノジョって立場だよ?ついでに、お姫様扱いされるんだよ?」

「あ~そうかぁ。確かにそうだなー……」

フレッドが困惑気味に眉を寄せる。

「でしょ?」

「フレイクが中身のまんまの外見だったら、ケイス先輩みたいなイメージだしな」

ワイルドな先輩I・Kを思い出したフレッドが言い、同意した翠は苦笑いした。

「でも、最近のディー君は、普通にエトワスにじゃれついてるし、エトワスの方からのスキンシップも全く気にしてないみたいだし、どう思ってるかは分かんないけどね」

エトワスに寄り添い笑顔を向けているディートハルトは、端から見ると子供やペットがじゃれついているようにも見えるし仲の良い恋人同士のようにも見える。

「まあ、フレイクが元気になって良かったよな」

フレッドは、ジャムの乗ったクッキーを頬張った。今こうして平和な時間を過ごせているのも、ディートハルトの体調が全快とまでは言えなくとも回復しているからだ。

「俺は、正直もうダメかもって思ってた」

「シヨウ君とシュナイト閣下と、守護者さん達のおかげだね」

空になったティーカップをトレーに戻し、煙草を銜えた翠が言う。

「ほんとだよ。おかげで俺たちも任務終了。やっと帰る事ができる」

頷いてフレッドがディートハルトに視線を向けてみると、相変わらずエトワスと楽しそうに話していた。

「あんな顔、初めて見たな」

ディートハルトが心から楽しそうな笑顔を浮かべているのを見たのは、初めてだった。

「ってゆーか、俺、よく考えてみたらフレイクとまともに会話した事ない気がするな。何人かいる中で、フワッと言葉を交わす程度みたいなのはあるけど。もしかしたら、顔とか名前とかちゃんと把握してくれているかどうかも怪しいよな。俺ってキャラ的にも薄いし元同級生A……いや、Pくらいの認識かも……」

フレッドが遠い目になる。

「何言ってんの。これ迄も普通に喋ってたじゃん。ヴィドールで記憶が戻った時もハグしてたし?」

「そうだけどさ、沢山いる同級生の一人って思ってる可能性が……」

「ディーくーん、ちょっと!」

と、翠が唐突にディートハルトに向かって手招きした。

「こっち来て」

「?」

不審げな表情をしながらも、ディートハルトは拒否せずに翠達のいる大きな窓近くに置かれたテーブルへと近寄った。

「何だよ?」

あと一歩、という近付きすぎない微妙な距離を置き、ディートハルトは立ち止まった。

「彼が、用があるんだって」

指に煙草を挟んだ手でピッと指し示した先は、フレッドだ。

「!?」

突然そう言われ、フレッドは驚いた。鮮やかな瑠璃色の瞳が視線を向ける。

『やっぱ綺麗だな……』

ラズライトの瞳とはよく言ったものだ。澄んだ瑠璃色は、ラズライトの光の様に深くそれでいて鮮やかに煌めいている。まともに近い距離で正面から見たのも見られたのも初めてだった。

『って。じっくり観察してる場合じゃなかった。どうしよう』

何を言おうかと頭の中であたふたと考えていると、ディートハルトはほんの少し眉を寄せて僅かに首を傾げた。怒ったのだろうか。フレッドは、さらに焦る。

「何だよ、フレッド?」

ごく自然にディートハルトの口から出た自分の名前に、フレッドは目を丸くした。

「ほらね」

翠が薄く笑っている。フレッドは、ディートハルトが名前を憶えていてくれたという事実に、心臓がドキドキした。

「おれに用があるんだろ?」

「ふ、フレイク!」

勢いよく椅子から立ち上がったフレッドは、ガッシリとディートハルトの両手を握った。

「な、何だよ?」

手を握られたまま体は可能な限り距離を取ろうと引いているディートハルトに、嬉しそうな笑顔を向ける。

「俺の事、覚えててくれたんだな!」

「は?……もう、記憶は全部戻ってるけど」

「卒業してから、もう結構経つのにさ!」

「いや、普通覚えてるだろ。つか、卒業して1年も経ってねえし。ちょっと離れてた期間もあるけど、お前もI・Kで進路一緒だし、翠と一緒で今までずっと近くにいんじゃん」

ディートハルトの意外な言葉にフレッドは驚いていた。

「興味ない奴の事は、覚える気すらないのかと思ってた!」

「あー確かに。それはあるな。でも、フレッドは、2年の学年末試験でエトワスと一緒におれの事助けに来てくれたし、そうじゃなくても最近もずっと色々と世話になってるし、いくらおれでもちゃんと覚えてるって」

そうディートハルトは苦笑いしたが、フレッドは感動していた。まさか、学生の時の事もちゃんと覚えていてくれた上に、“世話になってる”と思ってくれていたなんて!と。眼中にない存在だと思っていたので、それ以上に認識されていた事が妙に嬉しい。

「ありがとう!!」

と、掴んだ両手をグイと引き、ガシッと抱き締める。

「改めて、これからもよろしくな!」

「は、はあ」

ディートハルトは困惑した表情で身を引いた。

「用って、それか?」

「一緒にスイーツ食おうぜ、な!」

と、笑顔のフレッドは、今度はテーブルの上に並べられている菓子を両手で指し、空いている椅子に座る様促した。そしてすぐに、お茶の注がれたティーカップを目の前に置く。

「砂糖とミルクは入れるか?」

「あ、あぁ、どうも」

フレッドのテンションに付いていけず、戸惑った表情のまま席に着いたディートハルトは、恐る恐るといった様子で手を伸ばすと小さなチョコレートケーキを摘んだ。

「!」

おずおずと口に運んだが、それはとても美味しかったのだろう。困った表情が一瞬で消え明るいものへと変わった。すぐに続けてまた手を伸ばし、今度はあんずジャムの乗った一口サイズのタルト菓子を選び取るとクルリと振り返った。

「エトワスも食えば?甘さ控えめのもあるみたいだし」

よほど感動したのだろうか。甘い物が苦手なエトワスにまで勧めている。

「じゃあ、それを食べさせてくれるか?」

ディートハルトに呼ばれ歩み寄ったエトワスは、ディートハルトの背後に寄り添うように立って肩に手を置くと、肩越しに覗き込む様にしてディートハルトが手にしている菓子をもう片方の手で指さした。

「これ?で、いいのか?」

と、ディートハルトが躊躇なく差し出したタルトを、手ではなく直接パクリと口で受け取る。

「美味しいだろ?」

「ああ」

本音かどうかは怪しいが、ディートハルトに尋ねられたエトワスは、極上の笑顔を返した。

『張り合ってるし』

翠が小さく笑って、煙草の吸い殻を灰皿に入れる。わざわざディートハルトとの仲の良さを見せつけているかのような言動が、意外に子供っぽいと思えて可笑しかった。

『シマッタ……』

他意はない軽いハグのつもりだったのだが……。エトワスの方を敢えて見ないようにし、フレッドは室内に視線を移した。


「あ、あの写真って、もしかしてシャーリーンさんか?」

本当は部屋に入ってすぐに気付いていたのだが、早くその場の雰囲気を変えようと、たった今気付いたふりをしてみる。

「ん?ああ、そうだって言ってた」

唯一、場の雰囲気に気が付いていないディートハルトは、何の違和感も感じる事なくフレッドの指し示した写真に視線をやった。

「は、羽はないんだな」

ディートハルトと会話するのは新鮮で嬉しいが、少し緊張してしまう。エトワスの視線が怖いからだ。

「おれも思った。ヒナなのかな?」

「おおー。かーわいい」

フレッドとは違い、翠は初めて気付いた様子で暖炉に向かうと写真立てを手に取った。

「この人が、ディー君ママかぁ。へえ、目の色が右と左でホントに違うんだ。両方とも同じでラズライト色のディー君は、突然変異ってヤツ?」

振り返った翠の言葉に、ディートハルトは眉を顰める。

「変な言い方……」

するな、と、言いかけたディートハルトは、ラズライトという言葉である事に気付いた。

「あのさ、ランタナにこの人の墓があったと思うんだけど」

と、傍らのエトワスを見上げる。

「墓の中に、ラズライトが入ってんのかな?」

「空の種族が必ず石を遺すのなら、ディートハルト宛に何かメッセージを遺してる可能性はあるかもしれないな」

エトワスの言葉に、ディートハルトは思案するようにしばらくの間沈黙した。

「おれは別に興味ねえけど、あの人はラズライトが欲しいかな?」

シュナイトの事を考えていた。他人事なのでよく分からないが、何となくそう思う。

「まさかお前、墓を掘りおこす気か?」

呟いたディートハルトの言葉に、フレッドが複雑な表情をして振り返った。死者を冒涜する様で賛成ではなかったし、単純に怖いと思ってしまったからだ。

「いや、ラズライトがあるかなと思ったんだけど。……だよな。やっぱ、掘り起こすのはちょっとな」

教会の墓地にある墓を実際に掘り起こす事を想像し、ディートハルトは眉を顰めた。フレッドと同じことを考えたからだ。何年も前に埋められた土葬の棺など開けてみたいとは思わない。

「ランタナの町に行くつもりもねえし」

誰に言う訳でもなく、小さくぽつりと付け加える。次の目的地はランタナ方面だが、生まれ育った町に二度と足を踏み入れる気はなかった。


「……雪、すごいな」

ふと窓の外に視線を向け、ディートハルトが驚いた様に言う。ここ数日雪が降り続いていて今朝アカツキの村を出た時は降っていなかったのだが、王都に着いた頃から再び降り始め、外に積もった雪はさらに厚くなってきていた。

「ルピナス地方も、雪は結構降るんだろ?」

ディートハルトの視線を追ったエトワスが言う。

「うん。寒いとこだから。でも、こんな大雪は滅多にないけど」

と、ディートハルトは小さく溜息を吐く。

「おれさ、ガキの頃、雪だるまを作りたかったんだ。でも、一人じゃどうしても頭を体の上に乗せられなくてさ。かといって、一緒に作ってくれる友達なんて誰もいなかったし。だから、雪だるま作りなんて興味ねえしって思ってたんだけど、本当はすっげー悲しかった。今だから言えるけど」

と、幼い頃を思い出して小さく苦笑する。自分でも、こうして昔の恥ずかしくて情けない事を話せるのが不思議だった。彼らなら、馬鹿にしたりしないと確信でき安心感があるからだろうか。

「じゃあ、今から作ろうか?ディートハルトが乗り気で、体調が悪くなければ」

「え?」

エトワスの提案に、ディートハルトは目を瞬かせた。ただ、ふと思い出した昔の話をしただけだったので、予想外すぎて驚いていた。

「いいんじゃね?やるからには、本気でやるよ」

翠も乗ってニヤリと笑う。

「じゃ、2チームに分かれて競争しようぜ。お前ら2人が組んで、こっちは俺とキサラギで組んで競争するってのはどうだ?」



* * * * * * *


「どうした?」

書斎を訪ねて来たディートハルトに、シュナイトは笑顔を向けた。

「あの、閣下にお願いがあるんです……」

「ああ、パパにお願いかい?なんだい?」

“閣下”と言われたのを“パパ”と言い直し、シュナイトは尋ねた。つい先程、どんな願いでも聞くと言ったばかりだったため、シュナイトは内心ドキドキワクワクしつつ、息子が何を所望するのかと続きの言葉を待った。財力と権力とコネをフル活用して、息子の願いを叶えてやるつもりだった。

「庭に、雪だるまを作る許可をいただければと」

遠慮がちに言われた言葉に、シュナイトは笑顔のまま一瞬沈黙した。

「……ん?雪だるま?雪で作る人形の事か?」

知ってはいたが、思わず聞き返してしまう。

「はい。あ、そんなに目立つ物は作らないので」

慌ててディートハルトが付け加えると、シュナイトはプッと吹き出した。

「いや、もう思う存分、どんな大きいものでも好きなだけ幾つでも作りなさい。何処に作っても構わないよ」

吹き出したものの、笑いを堪えるよう努力しながら言う。

「それで、雪だるまは、一人で作るのかい?」

アカツキの処置で体調は落ち着いているとはいえ、心配して尋ねていた。

「いえ、エトワス達と競争するんです」

その言葉に安心する。彼らが一緒なら心配はいらないだろう。

「そうか、それはいいな……!」

シュナイトは笑いを堪え、肩をプルプル震わせながら言う。

「バケツでも野菜でも何でも、必要なものがあれば遠慮なくアプローズに言いなさい。寒くないように、外に出る時は防寒着をちゃんとしっかり着て出るんだぞ」

「はい、ありがとうございます!」


 嬉しそうに去って行ったディートハルトと入れ違いに、お茶を持ったレイチェルが部屋にやって来た。

「どうなさいましたか、閣下?」

ニヤニヤしている主に、レイチェルが不思議そうな目を向けた。

「ディートハルトは、今から友人達と雪だるまを作るらしい。庭に作っても良いかと、わざわざ私に尋ねに来たんだ」

「あらまあ」

レイチェルも思わず笑みをこぼす。

「可愛いものだな」

「そうですね。それじゃあ、着替えと、温かい飲み物を用意しておきます」

「ああ、頼む」


 その頃、庭では……。


「競うポイントは、まず大きさ。それから、顔も作って見た目がちゃんと雪だるまになってなきゃダメって事でいい?」

翠の言葉に、3人が頷いた。

「よし!大きいの作るぞ」

生まれて初めての一人ではない雪だるま作りに、ディートハルトはとてもワクワクしていた。

「あ、作り方は自由だけど、エトワスは、氷の術で雪だるまの土台を固めたり、かさ増ししたりとかは無しな」

フレッドが言う。

「え、やる気満々だったのに」

エトワスが残念そうに言う。

「先に言ってて良かったぜ」

「ディートハルトは、こうしたいって事が何かあるか?」

エトワスに尋ねられ、ディートハルトは機嫌良さげに答える。

「ううん、特に無い」

「よし、じゃあ、作ろうか」

エトワスの言葉で、二人ずつに分かれ早速雪玉を作り始める。


「あっちは、頭と体と手分けして作るみたいだな」

翠とフレッドの方を観察していたエトワスが言う。

「じゃ、こっちは、協力して一緒に大きなのを作ろう!」

両手で雪を固めていたディートハルトが、そう言ってエトワスを振り返った。

「そうだな」

早速、2人で協力して雪を集め、ある程度の球になると転がし始めた。

「すごい大きいのが出来そうだな。すっげー重くなってきた」

ディートハルトが楽しそうに笑う。しばらくの間エトワスと二人でゴロゴロ転がした雪玉は、かなりの大きさになっていた。

「もう、そろそろ、いいかもしれないな。これ以上大きくすると、頭を乗せるのが大変だ」

エトワスの言葉で2人は転がすのを止め、一度立ち止ってみた。

「うん。いい感じだな」

「そうだな」

ディートハルトが満足そうに笑うのを見て、エトワスも嬉しそうに笑顔を見せる。

「でも、手がヤバイ」

そう言ってディートハルトは自分の手を掴んだ。手袋はすっかり濡れて、外してみると手も赤くなっていた。怪我をして治りきっていない傷に当てられた包帯も湿っている。

「冷たいを通り越して痛い」

そう言いながらも楽しそうに笑っている。

「一度、中に戻るか?濡れた包帯を……」

「いいよ。全然平気だから。ただ冷たいだけ」

言い掛けたエトワスの言葉を遮ってディートハルトが笑顔を見せる。

「手、貸して」

エトワスは自分の手袋を外して上着のポケットに突っ込むと、ディートハルトの両手をそっと包み込むように握った。

「いや、エトワスの手も冷たいじゃん」

「手はね」

そう言ったエトワスの掌の辺りが淡く赤い色に発光し始める。握っていた状態から手を放し、ディートハルトの手を覆った状態のまま少し距離も離すと、エトワスの手の代わりにディートハルトの手全体をふんわりとした赤い光が覆った。火属性の術を加減し、ちょうどいい温かさの熱を生じさせていた。

「おー、流石。メッチャ温かい!けど、冷たすぎて感覚がおかしくなってるから、ジンジンする」

クスクス楽しそうにディートハルトは笑っている。

「良い雰囲気になって、エトワスが告ってんのかと一瞬思ったけど、暖を取ってるだけか」

ディートハルト達の様子に気付いた翠が、雪玉を転がす手を止めてハハと小さく笑う。

「あー、いいなぁ」

翠の言葉に立ち止ったフレッドが、羨ましそうにそう言った。

「何?エトワス君に手ぇ握って欲しいの?それとも、ディー君の手を握りたいの?」

「いや、何でだよ。寒いから、あったかい術が羨ましいだけだよ」

自らが作った雪玉に寄り掛かり、フレッドが言う。

「何だよ、お前ら負けを認めたのか?」

2人の視線に気付いたのか、ディートハルトがそう声を掛けて来た。

「いや。俺達は余裕だな~って思って、休憩してるとこだよ」

フレッドと翠は、それぞれ雪玉を作っていて、2つの雪玉はかなりの大きさになっている。

「エトワス、頭、頭作ろう!」

フレッドがフフンと笑って言うと、ディートハルトは急いで雪玉造りを再開した。



* * * * * * *


 シュナイトに仕えている執事のアプローズは、調べて来たばかりのファセリア行の船のリストを持ち、主の部屋を訪ねていた。


コンコン


ノックの返事を待ち入室すると、デスクを離れたシュナイトが窓辺に立って笑顔を浮かべていた。

「閣下、ファセリア行の船のリストです」

「ありがとう。助かるよ」

楽しそうなシュナイトに、アプローズもつられて頬が緩んでしまう。

「ディートハルト様達ですか?」

「ああ。元気そうで良かった」

リストを受け取ったシュナイトは、笑みを浮かべたまま少し寂しそうな顔をする。

「良い事なのだが、こんなにファセリア行の船はいるんだな」

「ここを発ってしまわれたら、寂しくなってしまいますね」

アプローズは主を気遣う様にそう言った。

「ああ。だが、体を治療する事が何よりも大事だからな。今回は、行先も分かっているし、何より頼りになる仲間達も付いているから、安心だ。元気になってから、改めてこちらに帰省して貰う事にしよう」

そう言って、シュナイトは、リストから視線を上げ再び窓の外を見た。

「お。そろそろ完成しそうだな」

窓から見下ろした庭には、2個の大きな雪だるまが出来ていて、それぞれのチームが野菜や木の枝などを使って顔を作ろうとしているところだった。


「思ったより、大きいのが出来たなー」

完成間近の3段の雪だるまを、ディートハルトは満足そうに眺めていた。

「よし、これでいいかな」

不安定にならないよう位置を調整しエトワスが頭の雪玉を乗せた。

「じゃあ、仕上げに顔を作って」

「うん!」

ディートハルトは張り切って、手にした人参等で顔を作っていく。顔のパーツは、シュナイトの指示なのか、わざわざ使用人が使えそうな物を見繕って持って来てくれていた。

「ちゃんとした雪だるまって、生まれて初めて作った!」

雪玉も綺麗な球形に出来たし、高さもあり、顔も我ながら可愛い雪だるまが出来たのではないかと思った。何より嬉しいのは、一人で作ったものではないという事だった。

「いい出来だな」

エトワスの笑顔に、余計に嬉しくなる。ふと見ると、翠とフレッドも仕上げに入っていて、翠が雪だるまの頭にバケツをかぶせ、フレッドが雪だるまの手になる枝を刺していた。

「大きさはいい勝負だね」

二つの雪だるまを見比べて翠が言う。

「顔も、どっちもいい感じだし、それじゃ引き分けかな」

エトワスが笑う。

「うん、傑作だな」

ディートハルトも、2個の雪だるまを眺めて満足そうに言った。

「おれのこれまでの人生で、最高の雪だるまだ」

ディートハルトの言葉を聞いて、フレッドが笑う。

「俺も、こんな巨大な雪だるま作ったのは人生初だ」

「確かに」

「大人が本気で作った奴だからね」

エトワスと翠も笑う。そもそも、雪だるまを作ったのは何年も前の子供の頃以来だった。

「じゃ、フレイクの体調が良くなって次作る機会があったら、今度は皆で協力して超巨大雪だるまを作るってのもいいかもな」

フレッドの提案に、ディートハルトが乗る。

「いいな、それ!体のとこにトンネルとか作りたい」

「じゃ、その上に滑り台も作ろうぜ」

「それってもう、雪だるまじゃなくて遊具じゃん。だったらもう雪祭りでも開催して、雪だるまでも滑り台でもかまくらでも作って、雪合戦大会とかしちゃえば?」

翠が笑うと、ディートハルトとフレッドは、「面白そうだな!」と乗り気な様子だった。

「その時は、主催はウルセオリナの次期公爵様って事でね」

「それはいいけど、ウルセオリナは豪雪地帯じゃないから肝心の雪がな……。運が良ければ、ちょっとした雪だるまくらいは出来るかもしれないけど……」

「じゃあ、ディー君が、パパにお願いしたらいいんじゃね?この国、雪多そうだし」

「あら、素敵ですね!」

突然声がして振り返ると、笑顔のレイチェルの姿があった。

「レテキュラータは冬が長いですし、ご覧の通り雪も沢山降りますから、雪遊びし放題ですよ。ソリに乗れる場所やスキーの出来る場所もありますしね」

「ホントですか?」

ディートハルトは、レイチェルの話に興味を持ったようだった。

「ええ。坊ちゃんは、まずは体を治してくるのが先ですけどね。全快したら、改めて帰宅も併せて祝うパーティーを開きたいって閣下も仰ってましたし、その時にまた遊ぶ計画を立てたらいいかもしれませんね」

レイチェルの言葉をディートハルトはポカンとして聞いている。レイチェルの視線はこちらを向いているので、きっと自分の事を言っているのだろうが、他人事の話のような気がしていた。

「それにしても、立派な雪だるまが出来ましたねぇ」

レイチェルに褒められ、ディートハルトが嬉しそうな顔をする。

「皆で、頑張ったので」

「ええ、窓から拝見してましたよ。ああ、また雪も降り出しましたし、皆そろそろ一休みしませんか?熱いお茶を用意していますよ」

レイチェルに促され、4人は満足そうな表情で大きな雪だるまの出来た庭を後にした。


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