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LAZULI  作者: 羽月
45/77

45灰色の森 ~イシ5~

 ディートハルトを残し書庫を出たエトワスと翠は、フレッドと共に村の広場へと向かった。途中、何度かムカデに似た魔物と遭遇したが、広場近くでも村人達が倒したばかりの魔物を囲み座っていた。フレッドの話した通り、村人達はだいぶ疲れている様子だった。見ると、そこかしこに魔物の骸が転がっている。

「参ったよ。いくら何でも短時間でこんなに沢山の魔物とやりあった事なんてないからさ」

3人の姿に気付き、同世代の男が苦笑しながら声を掛けてきた。

「大体皆同じ方角からやって来るから、魔物の来た方へ辿っていけば巣があるかもしれないんだが……」

青年の傍らに座り煙草を銜えて一服していた白髪交じりの男が、そう言って森の方を指さす。

「巣を潰せば、一気に片付くって事だな」

頷いたフレッドが問うようにエトワスの顔を見た。行くかどうかを尋ねていた。

「巣ねぇ。つい最近、酷い目にあってるからなぁ」

翠が少し遠い目をして森の方を見る。村を訪れる直前に蛾の様な魔物の巣に入ってしまった事を思い出すと、あまり気乗りがしなかった。

「なぁに。この手の奴は毒は持ってないから安心していい」

行って欲しいという事なのか、煙草を吸っている男がそう言って笑った。

「魔物避けの植物を燃やして巣を(いぶ)したら殆どの魔物が麻痺してしまうから、その隙にやっつければいいんだよ」

「ああ、アカツキが助けてくれた時みたいな煙を使うのか」

翠と同じ様に蛾の魔物を想像して、フレッドが顔を顰める。

「上手くいけば巣の奥にいる親玉の女王が出てくるから、そいつを始末すれば雑魚は散って逃げてしまう。そうすれば、村に侵入してくる魔物は減るはずだ」

「じゃあ、巣を探しに行ってみるか?」

フレッドが改めてエトワスに尋ねる。少しでも村に侵入する魔物が減るのなら、村人達の負担も軽くなるしディートハルトの危険も減る。そう考えエトワスは頷いた。

「そうだな。翠は残るなら、ディートハルトを頼む」

エトワスが視線を向けると、翠はやはり出掛ける気にはなれないらしく、煙草を銜えノンビリとした仕草で敬礼してみせた。

「了解」


 その後、すぐに村人から巣を燻すための植物を用意してもらったエトワスとフレッドは、シヨウにも声を掛けて3人で教えられた方角……魔物達がやってくる方へ向かって森の中へと足を踏み入れた。

「本当に、みんな同じ方から出てくるな……」

感心しているのか、それとも不思議に思っているのか、シヨウが独り言の様にそう言った。習性なのだろうか、木陰からぽつりぽつりと現れるムカデの様な魔物は、蟻の行列の様に同じ方向から同じ道を辿って村へと向かっている。

「蟻みたいに仲間のために道標みたいなもんを残してんのかな?それか、とにかくフレイク目指して一直線に進んでるのかな?」

「どっちにしても、俺たちも巣まで迷わずにすむから助かるな」


 何気ない会話を交わしながら魔物の道を辿り数分歩いていくと、目の前の木陰にゴツゴツとした大きな土の塊が現れた。高さは標準的な成人女性の身長くらいで幅はそれよりは短くドーム型をしていた。

 日が傾き始めた事もあり森の中は早くも薄暗い闇に包まれている。それぞれが手にしたランタンの明かりに照らし出されたその土の塊は、ゆらゆらと揺らめく灯火によって作り出される影のせいで蠢いている様にも見えた。

「これが、巣なのか?」

とフレッドが首を傾げるとその疑問に答えるかのように、土の塊が地面に接している付近から背の低い植物を揺らし魔物が姿を現した。暗くて分かりにくいが、土の塊の下の部分に横長の隙間があるようだった。魔物の巣である事は間違いない。


「火をつけるぞ?」

まずは出てきたばかりの魔物を倒すと、3人はランタンを近くの木の枝に掛けて、エトワスだけが一人で巣に近寄り鳥籠のような物に入れられた枯れ草の玉に術で火をつけた。そして、魔物が出てきたばかりの出入り口付近の隙間を少し崩して広げ、煙が勢いよく立ち上る籠を差し入れた。その後、巣から少し離れて待ったが1匹の魔物も出てこない。


「出てこないな。みんな中で煙にやられてんのかな?」

しばらくして、抜き身の剣を構えたまま拍子抜けした様子でフレッドが言う。

「それならそれで助かるけどな。じゃあ、このままにして帰るか?」

シヨウの提案に、待ちくたびれた二人が賛成しようとした時だった。

 突然、巣に亀裂が入ったかと思うと直後にボロボロと崩れ落ち、中から1匹の魔物が姿を現した。

「これが、女王、様!?」

フレッドが思わず”様”を付けてしまった程大きな魔物だった。頭だけでも人間の頭の数倍はあり、その姿形も今まで目にしてきた物とは少し違っていた。

 全体的な色合いや頭部が人間の頭蓋骨に似た形であるところは同じだが、その直ぐ下に生えた手の様なものが多く、連なった体は平らで薄っぺらではなく、女王蟻のように丸みを帯びた筒状で無数の足が生えていた。そして、蛇が鎌首をもたげている様な体勢を取ったちょうど胸部辺りに、木の根が絡み合い網状になったような部分があり、その奥が青く光っている。

「なあ、あれって……」

フレッドが見ているのは、網目の隙間から青い光が漏れ出ている魔物の胸部だった。

「ああ、ラズライトかもしれないな。でも、どうして?」

何故、地底の種族に属し、ラズライトによって退けられるはずの魔物が、その身にラズライトを宿しているのだろうか?

あれはラズライトではなく、魔物の器官の一部なのだろうか?

ラズライトなのだとしたら、これがディートハルトに声を聞かせたり映像を見せたりしているモヤモヤが宿っている石なのだろうか。

疑問は湧くが、空の種族ではないエトワスには答えは分からない。


 煙で燻されたせいか、酷く苛立っている様子の魔物は、眼前の人間達を捕らえ牙で噛み砕こうと無数の手を伸ばした。

「とにかく、こいつを倒すぞ」

エトワスは敵を見据え剣を構えなおした。



* * * * * * *


「少し、眠りますか?」

壁に寄り掛かって座ったディートハルトは、片膝を立てた上に腕を置き、きつそうにずっと俯いていた。しかし、アカツキが尋ねると首を横に振る。

「眠ったら余計夢を見そうな気がする」

起きている今でさえ妙な声や映像に悩まされているのだから、眠って完全に自分の意識を手放してしまったら、どうなるか分からない。

「それでは……」

と、アカツキは咳払いをした。

「気晴らしに昔話でもしましょうか?それとも、古い歌を歌いましょうか?」

『どっちも、やめてくれ』

そう思うディートハルトの目には、実在しない物が見えていた。


 やはり顔立ちははっきり見えない赤毛の女がカウンターの椅子に座り、客らしい人物と談笑している映像だった。身振りや手振りでそれが分かる。初めはどこか飲食店なのかと思ったが、女の背後に棚があり小瓶や小箱の様な影が無数に並んでいるため、雑貨屋なのか薬屋なのか、とにかく何かの商店のようだった。

 ディートハルトに映像を見せているものは、よほどその女に心を奪われていたのだろう。状況は違ったが、同じ女の映像が何度も切り替わって現れた。


 女の映像が消えると、次は擬天石と呼ばれていた石が現れた。幾つものゴツゴツした状態の石を手作業で削り綺麗な球形へと加工していく。

『良い出来だ』

そういった満足そうな言葉も聞こえてくる。自ら、”紛い物”だ等と馬鹿にしてはいたが、良い品を作り出している事の自負もまたそこにはあるようだった。


『僕は、最高の擬天石を作り出す事が出来るんだ』

セレステとして生まれながら、沢山のラズライトを生み出す事はできないが……。

少し卑屈な感情が流れ込んできた。


天然物でも模造品でも、どうでもいいだろ。正直ディートハルトはうんざりしていた。


「っ!」

一瞬、鈍い頭痛がした。

「どうしました?」

ずっと物語を話していたアカツキが、眉を顰めたディートハルトの顔を窺うように覗き込む。


 断続的に聞こえていた声や見えていた映像が、突然、洪水のように一度にどっと押し寄せてきていた。耳鳴りのような頭が痛くなる感覚の中、幾つかの言葉は意味を成していて拾うことが出来る。


『裏切った』

『何故だ』

『復讐を』

『帰りたい』

『天の瞳が欲しい』


切れぎれになった意味を取る事が出来る言葉の内容は、怨念とも呼べるものだった。どれも重く哀しみに満ちドロドロとして、心がざわつき吐き気がする様な負の感情を伴っている。

その怒濤の様な声や映像が不意に途切れ、ぽつりと声が響いた。


『……とうとう、ラズライトを遺す時が来た』

その声だけは、同じく哀しみに満ちてはいたが、今までのものとは違い、若い男の声として聞こえた。


「ちょっと、頭が……」

額に手を当て、ディートハルトは呻くようにアカツキに訴える。

「痛いのですか?」

アカツキは体温を測るためディートハルトに触れようとした。

「うぁっ!」

ディートハルトは声を上げてアカツキの手を大きく振り払い、立ち上がった。

自分の周囲を大きな炎が取り囲む映像が見えたからだ。恐ろしく熱いであろう紅蓮の壁の向こうに誰か二人分の人影があるのが分かった。

 そしてまた、炎に囲まれている自分の周囲にも複数人の気配がある事に気付く。炎の壁に動きを封じられ、恐れおののいていた。


『あなたがくれた石は、本当に素晴らしいわ!』

女の声が響く。顔の見えない赤い髪の女だった。

炎の向こうの女の手には沢山の青く光る石があった。全て、この空の種族の男が捧げ続けたものだろう。

その幾つかが、女ともう一人……女と共にいる地上の種族の男によって使用され、石に注がれた術が発動してこの炎の渦を呼び起こしている。

『一番美しいっていう“本物の石”も、私が貰ってあげるわね』


 女がそう話すと、絶望に似たひどく悲しい感情が流れ込んできた。周囲にいた者達が怒り狂い口々に罵っているのも分かる。


『さようなら』

女が手にした青く光る丸い石を新たに投げると、炎はより一層大きく凶暴に襲いかかってきた。


「どうしました、ヒナ?大丈夫ですか?」

ディートハルトが急に勢いよく立ち上がったので、アカツキも立ち上がり窺うようにディートハルトの瞳を覗き込む。

ディートハルトの知らないうちにヒナという呼び名が扉の守護者達の間に定着しているようだったが、頭痛が酷くぼんやりしていたためディートハルトは気が付かなかった。


『だから、あの女はよしなさいと言ったのに……』

悲しげな女の声がした。赤毛の女のものではない。


 この人は……。


雰囲気に覚えがあった。

灰色の翼と髪をした、モグラから逃れるようディートハルトに警告のメッセージをくれた空の種族の女性だ。


『もう、帰りましょう?』

『鍵がないのに、どうやって?』

二人の声は、深い悲しみに染まったものだった。


しかし、にわかに男の雰囲気が一変する。

『……最期の“石”を遺す前に、地上の種族どもに復讐を……!』



「頭痛薬を用意しましょうか?」

アカツキは、立ちつくしたままのディートハルトにそう声を掛けた。

「……いい」

ディートハルトは短く答えると、顔を上げ小屋の出入り口に向かって足早に歩き出した。

「どこに行くんですか?待ってください」

そうアカツキが声を掛けた時には、既に扉を開いている。


「ん?お出掛け?」

外の階段に座り煙草を銜えていた翠が、大して驚いた様子も見せずに振り返った。隣にはシュナイトの姿もある。

「ラズライトの在処が多分わかった。今から行きたい。付き合ってくれないか?」

ディートハルトがそう言うと、反対されるかと思いきや翠はあっさりと立ち上がった。

「エトワス君に、よろしくって言われてるからね。いいよ、行こうか」

「私も行こう」

と、シュナイトも特に反対する事なく立ち上がる。

二人とも、少し前から村に侵入する魔物がいなくなり、雑談くらいしかやる事がなく暇になっていた。

「ラズライトの在処が分かったのですか?一体どこにあるのですか?」

ラズライトと聞き強い興味を持ったのか、ディートハルトを追って小屋を出てきたアカツキも引き留めようとはしない。

「あっちだ」

ディートハルトが指さしたのは北西だった。その方角に、ディートハルトに映像を見せていた男の気配が感じられた。



* * * * * * *


「ぅうひっ!」

フレッドが奇妙な声を上げている。

「痛ててっ!ヤベェ!痛ぇ!」

と、自分の体から引きはがそうとしているのは、魔物の腕だった。既に魔物の本体からは切り離されているものの、フレッドの胴体や大腿の辺りをガッチリと掴んでいる。長い指の先端部分が鉤状に弧を描いている上に、ギザギザとしたノコギリの歯ような小さな突起が並んでいるため、衣服や皮膚に引っかかり、なかなか取れず痛かった。

「流石、親玉。しぶといな」

そう言いつつ、シヨウは足首付近に絡みついていた魔物の腕を力任せにはぎ取り投げ捨てた。服が裂け筋状の傷が出来て出血しているようだがお構いなしだ。

魔物は手を何本か失い胴体に傷を受けているにも関わらず、全く勢いを失わず赤く光る目は爛々と輝いている。


「あれが関係あるのか……?」

思案するようにエトワスが見ているのは、魔物の胸部付近で炎の様に揺らめいている青い光だった。魔物が激しく動くので、それ自体が生き物であるかのように踊って見える。

「それなら、あの青い光を狙えばいいって事か」

と、シヨウが準備運動でもするように肩を回しながら言う。

「よし、じゃあ、全員であの青い光を狙うんだな!」

ようやく魔物の手を全て取り除いたフレッドが、そう言って頷いた。

「体を起こして貰わないとな」

エトワスは、今は地面に伏した状態になっていた魔物に鎌首をもたげさせようと、軽く右手の拳を握った。煩わしいと感じさせるような術を使うつもりだった。

しかし……。

「!?」

エトワスが術を使うより僅かに早く、突然蛇の様に身を大きく起こした魔物が飛びかかってきた。

 魔物の巨体に巻き込まれないように3人それぞれ身を翻して次の攻撃に備えるが、魔物の方はエトワス達には見向きもせず、その背後へ向かい真っ直ぐに突き進んでいく。それ程大きくない植物をなぎ倒し、大きく頑丈な木は幹を抉り深い傷を残しながら、魔物はエトワス達をその場に残し長い体で移動していく。小型の列車を見送っている様だった。


「何なんだ?」

「逃げたのか?」

「行こう。村に向かうつもりかもしれない」

巣の中に隠れたままだったハサミ状の尾の先まで現れ、そのまま目の前を通り過ぎていく様子に、エトワスは魔物を追うため走り出した。

この大きな魔物が村に侵入してしまえば、被害が大きくなる事は間違いない。それに、ディートハルトが危険な目に遭う事は防ぎたかった。



* * * * * * *


 翠は、ズンズンと森の奥深く目指して歩いていくディートハルトの背中に向かって尋ねた。

「どこまで行くつもり?」

「だから、ラズライトの所までだって言ってるだろ」

ディートハルトの言うラズライトは、村の中かその周辺にあるのだろうと勝手に予想していたのだが、村の境界をあっさり越えて森の中へと入ってしまっていた。今は、結界の石があった場所よりもさらに遠くへ来てしまっているのではないかと思われる。

「それは分かるけど。まさかこんな森の中にま……」

「待った」

突然立ち止まったディートハルトが、翠の言葉を遮った。

「向こうから来た」

「何?……は?」

ディートハルトが見据える木立の間の闇に目を凝らすと、何やら赤い光と青い光が激しく揺れながら猛烈な早さで近付いてくるのが見えた。

「青いのだけじゃなくて、赤いのも見えるんですけど……」

「魔物か?」

ぼやく翠の傍らで、シュナイトが剣を構えた。

 一方、最後尾にいたアカツキは、さっさと後退して大きな木の幹の陰に身を隠した。戦闘に加わる気はないからだ。その代わり、少しでも周囲がよく見渡せるようにと仲間のために灯りを掲げている。

「ラズライトは壊さないで欲しい」

ディートハルトが言った時、揺れる光が姿を現した。

「でかっ!っつか長っ!」

そう言った翠だけでなく、シュナイトもアカツキも目を丸くしていた。

 現れたのは、今まで見た物よりもだいぶ大きな魔物だった。黒っぽい骸骨の眼窩に並ぶ赤い点が、燃える火の様に不気味に揺らめいている。

「何で魔物がラズライトを持ってんの?魔物除けの効果があんじゃねえの?」

「石の方が魔物を取り込んで操ってるんだ。おれを捕まえろって命令してる。あと、地上の種族を全員殺せって」

ディートハルトがラズライトに近付くにつれ、聞こえる声は騒音と呼んで良いほどに煩くなっていた。怨みや悲しみといった重い念をひたすら放ち続けていて目眩がした。

「そりゃ迷惑な……」

魔物との間合いを計り、同時にディートハルトの位置を確認しつつ、翠が攻撃のタイミングを窺っていると、魔物の尻尾の方からオレンジ色の光と共に複数の人影が現れた。魔物の巣を目指し森に入ったエトワス達3人だった。


「ディートハルト!?」

追ってきた魔物の傍らにディートハルトの姿を見付け、エトワスは目を見開く。

「ラズライトの在処が分かったっつーからさ」

エトワスに何か言われる前に、と、翠は真っ先にそう言った。その間にも魔物はディートハルトを捕らえようと襲いかかって来る。

「やっぱり、あれがそうなのか?」

「らしいね。あのラズライトが魔物を操ってて、ディー君を捕まえてついでに地上の種族を皆殺ししようとしてるってさ。でも、あの石は壊しちゃダメらしいよ」

翠が3人に説明する。

「じゃあ、ディートハルトを……」

早く避難させよう、とエトワスが言いかけたところ、当の本人が自ら魔物の前に進み出た。


「あんたの声は聞こえてる。でも、イシを受け取る気はねえよ」

ディートハルトは魔物の胸部で青い光を放ち続けている石に向かってそう言った。その言葉を聞いて怒ったのか、魔物は大きく体を起こしディートハルトに飛びかかる。

「何か知らないけど?説得とかする気なら刺激しないようにやってよ」

近くにいた翠のおかげで助かったが、魔物の長い手に捕まるところだった。

「……」

ディートハルトは僅かに眉を顰める。刺激しないようにと言われても、別に悪態をついた覚えもないし挑発したつもりもない。じゃあ、どう言えばいいのだろう?

「……」

少し考えてみて、なるべく丁寧に話してみる事にした。

「魔物を使って地上の種族に危害を加える気なら、石は二度と機能しない様におれが粉々に破壊する」

「説得する気なんてないんじゃないか?あれって脅しだよな」

フレッドが近くにいたエトワスに言った。

「単なる意思表示だろ」

どちらにせよ魔物は怒り狂っている様だった。大きく牙を振り上げ、何とかしてディートハルトを捕らえようと狙っている。丸腰のディートハルトとアカツキ以外の者は、それを防ごうと次々に魔物に攻撃をしかけた。

「でも、おれは、あんたの知り合いが残したイシに助けて貰った。だからっ!?」

魔物の牙が、ギリギリのところを掠めてディートハルトの傍らの木の幹に突き刺さった。

「っ!あぁ、クソ……!やっぱ粉砕してやろうか……」

魔物の体の一部が掠り弾き飛ばされたディートハルトは、痛む体を起こし魔物に向き直った。

「石を壊していいなら、狙うぞ?」

ディートハルトを庇い前に立ったエトワスが、いつでも攻撃に移れる状態に剣を構えたまま、チラリと後ろを振り返る。

「待って!待ってくれ」

痛くて思わず腹が立ってしまったが、ディートハルトは気を取り直し石に向けて言葉を続けた。

「おれが、あんたをアズールってとこに連れてってやる」

ディートハルトの前に立ち邪魔をしているエトワス達に喰らいつこうとしていた魔物の攻撃が不意に止んだ。身を起こし、牙を開いたり閉じたりしてガチガチと苛立たしげな音を鳴らしているものの、動揺したようにふらふらと体を左右に揺らしている。

「あんたの知り合いは、あんたがアズールに帰る事を望んでただろ」

石の放つ声は、嘘のようにピタリと止んでいた。


『帰れる……』


しばらくして、ぽつりと一言、言葉が頭に流れ込んできた。

ディートハルトに問いかけているのか、それとも、自分でただ言葉の意味を確認するためだけに繰り返しているのかは分からないが、怨嗟のような負の感情はもう感じられなかった。


『アズールに帰れる』


「あ、でも、こっから扉までは遠いから、今すぐっていうのは無理だけど、おれがあんたを運んでやるよ。約束する」


『ああ……!』


嘆いているのか歓喜しているのか、判別出来ない複雑な感情が流れ込んできた。

「おれと来るなら、もう、その魔物は解放しろよ」

ディートハルトはそう言って石に手を伸ばした。

先程自分で宣言した通り、ラズライトが誘いを拒むなら破壊するつもりだった。


『……』


しばらく待つと、ラズライトをガッチリと囲んでいた木の根に似た物が、枯れていく植物の様にゆっくりと細くなりボロボロと崩れ落ちていった。

「!」

直後に、落ちてきた青い石をディートハルトは受け止めた。

一瞬、熱い物に触れてしまったかのような痛みを感じ、色々な声や映像が流れてきたが、その感覚はすぐに消えてしまった。

 石が落ちるのと同時に、魔物も力尽きたように崩れ落ちる。心なしか、一回り小さくなったようにも見えた。元々巣の奥底に潜んでいて地上に姿を現す事はごく希でしかないはずの魔物にとっては不本意だったのか、戦意を完全に無くした様子で落ち着きのない素振りを見せ始めたかと思うと、すぐに足をざわつかせ後退し始めた。巣へ戻るつもりなのだろう。


「触れてて平気なのか?」

エトワスが尋ねる。ディートハルトが左手に掴んでいる掌サイズのラズライトは、一度溶けた複数の物を無理に冷やし固めて一つにしたようなゴツゴツとした不格好な物だった。今は光が消えて黒っぽい石になっていて、声も聞こえず映像も見えない。

「うん」

ディートハルトは石から視線を上げてエトワスの顔を見ると、疲れたような表情で少し笑って見せ小さく頷いた。

「もう、大丈夫」



* * * * * * *


「ラズライトとは不思議な石ですね……」

持ち帰ったラズライトに興味深げに視線を注ぎ、アカツキはお茶を啜っていたディートハルトに言う。

 村に戻った一行は現在再び長の家に集まっていた。ディートハルトが初めて長に面会した時と同じ部屋で、長の姿もあった。

「訳が分からない石だって思ってたけど、謎が解けて何かすっきりした」

と、ディートハルトが頷く。このラズライトに宿る空の種族の男が見せた映像の内容は、この場にいる者達に全て話し終えていた。

「要するに、空の種族が必ず残す石って形の遺言書みたいなもんだよな」

「それじゃ、そのラズライトの場合は、性悪な女に引っかかってフラレた上に裏切られた空の種族の男が、腹いせにお門違いな復讐を遂げようって思って、最期の力を振り絞って同じ空の種族宛に遺した仇討ちお誘いのメッセージってワケ?要するに怨念の結晶?」

翠がそう言うと、ディートハルトは頷いた。

「一方的に愚痴ってるだけな感じだけど。まあ、そんなもんかも」

「いやいや、そんなまとめ方されたら不憫じゃないか?惚れた相手に一生懸命貢いだあげく、裏切られて殺されたんだろ?自棄になったのも分かる気がするけどな」

同情した様子でフレッドがそう言った。エトワスも同じ意見なのか苦笑いしている。

「でも、何でその女は貢いでくれる相手を殺したんだ?」

それ以上石が手に入らなくなってしまうのに、と、不思議そうにシヨウが言う。

「はっきりとは分かんねえけど……」

と、ディートハルトが首を傾げつつ話す。

「貰った疑天石を返したくなかったからだと思う。男が女に渡してた擬天石は、元々、仲間の空の種族達に渡さなきゃならない物だったから、その女にコッソリ渡してた事がバレて、本来受け取るはずだった空の種族達が女のところに返して貰いに行ったんだ。でも、女はそれに抵抗した。その場に一緒にいた、擬天石を作った男も含めて空の種族達を全員殺そうとしたんだ」

ディートハルトの言葉にシヨウが眉間に皺を寄せる。

「逃げられねえって思ったからかもしんねえけど、何も殺さなくてもいいのにな」

「空の種族が死ねば天然のラズライトが手に入るって事を知ってたみたいだから、それも狙いだったのかも」

ディートハルトは、空の種族の男達が炎に巻かれた時の状況を思い返していた。

女は、『一番美しいっていう“本物の石”も、私が貰ってあげるわね』そう言っていた。

「空の種族達が地上から姿を消すわけだな」

シヨウが呆れた様に鼻で笑った。ごく一部の者がやった事だが、これではどんなに光の神に祈ろうと、空の種族達が戻って来てくれるとは思えなかった。

「心が痛みますね」

アカツキも小さく溜息を吐き、話を聞いていた他の者達も頷いている。

「それなら、その時死んだ空の種族達のラズライトが、まだ他にもあるという事ですか?」

アカツキが尋ねると、ディートハルトは目の前に置かれていたゴツゴツとしたラズライトを手に取った。

「いや、これが、女に殺された数人分の空の種族の石なんだ。基になってるのは裏切られた男の石だけど。……裏切られた男は、女に襲われた時に死んだんじゃなくて、殺された仲間のラズライトを持って逃げ延びてこの森に入ったんだ……」



 想いを寄せていた女は、擬天石という淡く青く光るこれまでに見たことのない不思議な天の宝石に心を奪われていただけにすぎなかった。地上に存在しないその宝石は美しく貴重であるだけでなく、それぞれに様々な魔法の様な力があり驚くほど高値で売れる。

 分かってはいたのだが、石を持っていく度に女が笑顔を見せる事が嬉しくて、その石を自分が作ったと話した時に、心底驚いた様子で尊敬と称賛の眼差しを向けてくれたのが心地よくて、女のもとへ通い続けた。

 石を渡し、その見返りとして笑顔を向けてもらい何気ない言葉を交わす。たったそれだけの、ごく短い、しかし幸せな時間を求め仲間を裏切り続けていた。本来なら、地上の種族と共に地底の種族を相手に戦っている戦地にいる同族達へ届けるための石だった。仲間の傷を癒し、また、その戦力の一部とするためのものだ。そのほとんど全てを、その女に捧げた。

ただ、女が喜ぶ顔を見たくて。そして、少しでもその作り手に関心を抱いて欲しくて。

しかし、女は石と財だけを求めていた。


 女の使った擬天石の炎によって絶命した同族のラズライトを持ち、一人運良く逃げ延びたものの、絶望し為す術もなく地上を彷徨っていた時、予想外の人物が現れた。天の瞳を持たずに生まれてきた事を共に憂い慰めてくれた、生まれた時から側にいる巫女だった。地上に下り捜し続けてくれていたらしい。


『もう帰りましょう?』

巫女は言った。広大な森のどこかに、空へ続く扉を知る者達がいるという。

『鍵がないのに、どうやって?』

自嘲気味に問うと、巫女は、その者達の村は沢山の空の種族達が訪れていて、その中にセレステ達もいるはずだと教えた。


 宛もないまま、何日も何日も暗く獰猛な魔物が潜む森を進んだ。しかし、とうとうある日、魔物の巣に落ち巫女は命を落としてしまった。


『逃げて……』

魔物に喰われる寸前、巫女はそう言った。

巫女を助ける間も遺されるラズライトを受け取る僅かな時間さえもなく、魔物から逃れるため必死で走って逃げた。


『何故だ……何故こんな目に遭わなければならない……!?』


絶望し、地上の種族を呪いながら、巫女が遺した言葉に従いただただ走り続けた……。



「結局、帰ることも復讐することもできなくて、森の中で力尽きて死んだんだ。それで、沢山の思いを遺すために、仲間のラズライトと自分のラズライトと、さらに自分で作った擬天石を合わせて一つにしてこれを作ったらしい。ついでに、数人分の意思というか念というか魂というか、そんなものもこの石に残ってる」

それは、ディートハルトがラズライトを掴んだ時に流れ込んできた、最後の声と映像だった。

「気の遠くなるような長い時が流れて、やっとラズライトの目を持つ者に出会え、一部始終を伝える事が出来たのですね……」

アカツキの言葉に、ディートハルトは頷いた。石の声や映像から解放されたせいか、何だか疲れがどっと出て瞼が重くなってきていた。



* * * * * * *


「いつまで降り続くんだろうな」

窓際に置かれた低い長椅子に座り本を眺めていたエトワスは、ふと顔を上げると振り向いて外に目をやった。体力を消耗したディートハルトが再び寝込んでしまったため、ラズライトを持って村を発つつもりが、既に3日の足止めを食っていた。

 守護者達の村を訪れてから8日目を迎える今朝になり、ようやくディートハルトは歩き回れる程に回復していたのだが、天候の方があまり良くなかったので未だ村に滞在している。今もまた、薄曇りの空から断続的にチラリチラリと雪が降っていた。

「せっかくだから、雪合戦でもする?」

床に敷かれた敷物の上にあぐらをかいていた翠も、手にした本から顔を上げて窓の外に視線を向けた。外では村の子供と一緒に、フレッドとシヨウが雪遊びに夢中になっている。

「寒いのに、飽きずによく遊んでんな」

村に侵入する魔物がいなくなったので暇だからだ。特にシヨウは雪が珍しようで、寒い寒いと言っていた割に本気で楽しんでいる様だった。

 シュナイトは、ここ数日は長と話をしている時間が多く、今もまた別室の長を訪ねている。レテキュラータ西の森を預かる六将として村の代表に話を聞き、加えて、空の種族の巫女シャーリーンを知る者同士として言葉を交わすためだった。そのシュナイトの部下たちは、それぞれ村人達の仕事を手伝ったり書物を読んだり子供達の遊び相手をしたりと、思い思いに過ごしているようだ。


「ぅん……」

エトワスにもたれ掛かって眠っていたディートハルトが身じろいだ。朝から長の家の一室で、エトワス、翠の二人と共に、村の者達が娯楽目的で読むという大陸間の共通語で書かれた本を借りて読んでいたのだが、すぐにうつらうつらとし始め、やがて隣に座るエトワスに寄りかかり寝入ってしまっていた。動いた拍子に、開いたままディートハルトの膝の上に乗せられていた本が、厚く柔らかい敷物の敷かれた床に滑り落ちストンと静かな音を立てた。

「……」

本が落ちた事に気付き目を覚ましたディートハルトは、半分閉じかけた目をして手を伸ばし緩慢な動作でそれを拾うと、数ページ捲った後に何故かバサバサと振ってみてからパタンと閉じた。そして、今度はゆっくりと体を起こし立ち上がると、自分が下敷きにしていたクッションを持ち上げてその下をじっと見る。何かを探しているようだった。

「どうした?」

エトワスが尋ねると、ディートハルトはぼんやりとした顔で首を少し傾げた。

「……ラビ君が、いない……」

「そこにはいないと思うよ」

寝ぼけているディートハルトに、エトワスは大したリアクションも返さずに言う。

「何で……?」

「寒いから、どっかあったかいところに旅にでも出たんじゃないか?」

エトワスが適当な事を言うと、ディートハルトは何かを考えるかのように眉を寄せて沈黙した。しかし、納得したのかすぐにまたクッションを抱きかかえて長椅子に座り直す。

「捜しに行かなくてもいいのか?」

面白半分にエトワスが尋ねてみると、ディートハルトは首を振った。

「い……」

エトワスに寄り添い早くも再び眠る体勢に入ったディートハルトは、眠そうにもごもごと答える。

「エトワスがいるから」

言いながら、クッションは自分の膝の上に置き、代わりにエトワスの腕を抱きかかえたのは、彼がラビ君のようにいなくなってしまうのを防ぐためだろうか。

「俺は、どこにも行かないよ」

本の中やクッションの下に隠れたりもしない。

エトワスは、早くも寝息を立て始めたディートハルトの顔に視線を向け僅かに口元に笑みを浮かべた。ささやかだが平和なこの時間が、少しでも長く続いてくれたらと思う。

 しかし、邪魔はすぐに入った。

「起きて下さい」

同じ部屋の隅で、無表情にもくもくと己の作業を続けていたアカツキが、不意に立ち上がってディートハルトの元まで近付くと、その肩をゆさゆさと揺らした。

「薬の時間です。飲んで下さい」

ディートハルトが目を開くと、アカツキは少し大きめの素焼きの器を差し出した。

「……」

ディートハルトは半分目を閉じ眉間に皺を寄せている。しかし、拒否はせずに器を受け取ると、薬草を煮出したものを口に含んだ。

「熱い。不味い。すげーマズイ」

ディートハルトは眉を顰めたまま、空になった器をアカツキに返した。

「起き抜けに、いきなり強烈なもん飲ますなよ」

刺激的な味のせいで、一応覚醒はしたらしい。

「でも、おかげで前ほど体調は悪くないだろ」

エトワスがやんわりと窘めると、ディートハルトは目を擦りながら頷いた。

「あぁ、うん」

2日連続での魔物との戦闘後、再び少し発熱はしたが以前よりディートハルトの症状は良くなっていた。

「でも、何かやたら眠い」

「それは、薬のせいではありませんよ」

やはり、身体が何よりも休眠を必要としているせい……そうアカツキが口にするより早く、ディートハルトは納得したように1人で頷いていた。

「そっか。ここはあったかいし、エトワスの側だと気が緩むっつーか安心するっつーか、居心地いいからかな」

アカツキは真実を告げるのは止めた。未だ眠気が残り本調子ではないせいか、深く考えもせず思ったことをそのまま口にしたディートハルトの言葉を聞き、エトワスが嬉しそうな笑みを浮かべた事に気付いたからだ。しかし、アカツキの様子にエトワスの方は何かを察したようだった。

「それなら、もう少し眠ったらいい。俺もここにいるから」

「ん。でも、もういい。流石に寝てばっかなのも、ヤバイような気がしてきた」

エトワスの提案にディートハルトは首を振った。

「それに、いつまでもここにいちゃ悪いしな。早く帰らないと」

そう話すディートハルトの言葉に、エトワスは一瞬ドキリとした。彼もまた、空の国へ戻りたいのだろうか、と。しかし、ディートハルトは小さく欠伸をした後、少し心配した様子で続けた。

「おれ、せっかくI・Kになれたのに、クビになったりしてねえかな?」


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