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LAZULI  作者: 羽月
40/77

40灰色の森 ~大切なもの3~

 ディートハルトは小屋を出てすぐの扉の前に立ち、どこに向かうかしばらく立ち止まって考えていた。

『こっちに行ってみるか……』

昼間とは逆に、敢えて避けた方へ向かって足を進めてみる。それは、仲間達が滞在していると教えられた民家のある場所だったのだが、ほんの数軒先の小屋なのですぐに建物の近くまで来てしまった。その民家の窓からは、他の家と同じように明るい光が漏れている。

ディートハルトは俯いて、どうしようかと躊躇っていた。

「……」

気まずい別れ方をしてしまったばかりなので、扉を叩いて「こんばんは」と中に招き入れて貰う勇気はなかった。そこで、その民家に近付く事無くまたクルリと背中を向けて元来た道を歩き出す。

すると、扉が開く小さな音がして、背後から声を掛けられた。

「ディートハルト」

時間を気にしてか、控えめな声で名前を呼んだのはエトワスだった。

「……あ」

気まずくて、ディートハルトは立ち止まったものの視線を逸らし、意味もなく左耳のピアスを弄る。

「こんなところで何してるんだ?何処か出掛けるのか?」

エトワスは仲間達と居間で雑談していたのが、昼間と同じように窓際に立ち煙草を吸っていた翠が、窓の外のディートハルトの姿に気付いた。当然、ディートハルトは彼らがいる小屋を訪れるのだろうと思っていたのだが、近くまで来た途端、何故か方向転換してしまったので、エトワスが後を追って出てきていた。

「あ……いや、散歩しようかなって」

「じゃあ、俺も付き合うよ」

エトワスはそう言って、外套をディートハルトの肩に羽織らせた。不気味な雰囲気から逃れる事にだけ気を取られていたので、ディートハルトは薄着のままで外に出てしまっていた。エトワスの方はちゃんと上着を着ているので、ディートハルトのために持って出てきたのだろう。

「……」

寒かったので嬉しいのだが、ディートハルトは同時に少し落ち込んでしまっていた。

また、心配されてしまった……と。

「体調はどうだ?」

「ああ、うん。だいぶいい。普通に動けるし」

あの、植物の香りがする鳥の巣状のベッドに何の効果があるのか謎だったが、与えられる薬は効いているのだろう。少し怠いくらいで、本当に体調は良くなっていた。

「そうか。良かった」

エトワスがホッとしたように笑顔を見せる。


 今日は今年最後の年末で明日からは新年を迎えるという日だったが、村はとても静かだった。各家庭ごとに静かに新年を迎えるという風習があるからだ。

 エトワスの言葉にディートハルトが短く返事をする、という会話を時々交わしながら静かな道を並んで歩いていた二人は、広場まで来ると足を止めた。広場には火の灯った外灯があり、広場を囲むようグルリと立っていて明るいからだ。その先まで進むと、今歩いて来た道と同じように民家の窓から漏れる明かりしかないため、闇の中に入り込んでしまう。

広場の真ん中の大きな木の下に石で出来たベンチがあったので、少し疲れてしまっていたディートハルトはそこに腰を下ろした。エトワスはそのすぐ前に立っている。

「……あのさ」

自分からは何も喋らないでいるのも妙に落ち着かなくて、ディートハルトは口を開いた。しかし、口を開いた後になって何を話したら良いのか分からなくなって困ってしまう。エトワスは、言葉の続きを待ってディートハルトに視線を向けていた。

「……ええと」

初めは見たばかりの悪夢の話をしようと思ったが、口に出すとあの夢の中で有翼の女性を襲った不気味な何かが現実に這い出してきそうな気がしたため、話すのは止めた。代わりに、ずっと引っかかっていた事を口にする。

「昼間は……ってゆーか、今まで色々ごめん」

視線を合わせる事は出来ず、俯き加減にそう言った。

「色々って?」

いきなり何の事を言っているのだろう。そう、エトワスは疑問に思っていた。すぐに、ヴィドールでディートハルトが遺していった書置きにもそう書かれていた事を思い出す。

「え……」

聞き返される事は予想していなかったので、ディートハルトは返答に詰まる。しかし、今度はきちんと考えている事が伝わるようにと、言葉を探した。

「……せっかく力を貸すって言ってくれたのに、ほっといてくれって言った事とか……助けて貰ったのに素直に感謝しなかった事とか……この村に来る時、一人だけ寝てた事とか……」

記憶を辿ってみると、あまりにも沢山謝らなければならない事がありすぎて、だんだん憂鬱になってきた。

「ヴィドールを抜け出す時におれが余計な事したせいで、すんなり逃げられなかった事とか……」

「それは翠に聞いたよ。ルシフェルに脅されてたから、やむを得ず会いに行ったんだろ?」

ディートハルトの言葉を止め、エトワスが言う。

「ああ……、うん。あいつ、何でかおれ達がビルを抜け出そうとしている事を知っててさ、脱出直前になって、おれを連れ去ろうとするなら仲間達に危害を加えてやるみたいな事を言いだしたんだ。で、おれは、そんな事を言うのはおれが羨ましいからなんだって思ってしまって。それじゃあ、あいつも抜け出せるよう連れてってやろうって思ったんだ。でも、それは間違いだった……」

ディートハルトは悔しそうに唇を噛む。

「だからさ、やっぱりおれの判断がマズかったって事だし……」

「もし、ディートハルトがルシフェルの声を無視して、彼の部屋に行かなかったとしたら、事前にグラウカに、逃げるつもりだって事を話していたかもしれないだろ?それなら、ディートハルトがルシフェルに会いに行ったのは余計な事じゃなかったと思うよ」

「……そう、かな?」

エトワスの言葉に、ディートハルトは少し気分が軽くなる。

「だって、会いに行く以外選択肢はないだろ。翠も、俺と同じ事言ってたぞ」

言ってはいたが、『行く前にせめてオレに事情を話して相談してくれてたら良かったんだけどね』とも言っていたが……。

「でもさ、それ以前に、わざわざヴィドールまで助けに来てもらった事はやっぱり迷惑を掛けた訳だし……」

まだまだある、と、記憶を遡ってディートハルトが考えていると、エトワスは笑い出した。

「ちょっと待ってくれ。どうしたんだ?いきなり。懺悔の時間なのか?俺は聖職者じゃないけど」

「おれは、真面目に話してんだ!」

笑われてムッとしたディートハルトは抗議したが、エトワスは気にする様子もなかった。しかし、一応言葉だけでは謝ってみせる。

「悪かった。真面目に聞くよ」

「……もう、いい。あんまり沢山ありすぎてきりがない。とにかく、色々悪かったって思ってんだ。昔からなんだ。おれは何をやっても周りに迷惑かけてて……だから……反省してる」

エトワスは宣言通り、黙って真剣に聞いている。しかし、自分で抗議したものの、あまり真剣に聞かれるのも話しにくいと思った。

「それで……いい加減もう、自分の事は自分で片付けるべきだって思ったから……、だから、その、エトワス達が力を貸してくれるってのは本気で嬉しいと思うけど、でも、そしたらやっぱり迷惑をかけ続けるって事になるし……あ、もちろん、お前らが“迷惑じゃない”って言ってくれてんのは分かってるんだけど……でも、だから、ええと……」

自分で何が言いたいのかよく分からなくなってきた。

しかし、エトワスの方は「分かった」と短く言った。

せっかくの厚意を拒絶するような事を言って怒っているだろうか?そう考え、ディートハルトは目の前に立つエトワスを恐る恐る見上げた。

「ディートハルトが俺達の事をお節介で迷惑な奴らだと思ってて、本気でもう関わらないで欲しいって言うなら、俺達はそうするよ」

「そんな事言ってねえよ!」

ディートハルトは慌てた。また言葉足らずな説明で思っている事を誤解されてしまったのだろうか、と。

すると、エトワスはシュナイトの時と同じように、ふっと表情を崩して少しだけ笑った。

「分かってる」

「え……」

「だから、ここにいるんだ」

「……」

シュナイトにもエトワスにも、上手い具合に誘導されているように感じるのは気のせいだろうか。少しだけ面白くない。

「翠達も言ってただろ?好きでやってるんだからって。ディートハルトに関わるのが嫌だったら、俺達はとっくの昔にファセリアに帰ってるよ」

「あ……」

確かに、翠もフレッドもその様な事を言っていたかもしれない……、と思い出す。口の辺りに手を当てて考え込んでいるディートハルトを眺めていたエトワスは、何かを思いついた様に小さく笑みを浮かべた。

「もっと簡単に言おうか?」

「え?」

不思議そうな瞳を向けるディートハルトに、エトワスは“おいでおいで”と手招きした。

「?」

促されるまま、ディートハルトが立ち上がってエトワスに近付くと、エトワスは不意に手を伸ばしてディートハルトの頭を抱え込むようにそのまま胸に抱き寄せた。

「俺は、ディートハルトが好きだ」

「!?」

突然何の真似だと、ディートハルトは面食らっていた。

言葉だけでは伝わらない部分を補うため、自分がディートハルトを大切に想っているという事が少しでもちゃんと伝わってくれたら、そう思い、エトワスはディートハルトを抱きしめていた。

「だから、好きでここにいる。翠もフレッドも多分シヨウも。さっき、“わざわざヴィドールまで助けに来て貰った”って言ってただろ。それは違う。確かに翠とフレッドは陛下に命令されたんだろうけど、俺の聞いた話では逆だったよ。ロベリア王国で、ディートハルトがヴィドール行きの船に乗せられたって事が分かると、すぐに二人は港まで走ったらしい。でも、その時にはもうヴィドール行きの船は出た後だったから、何とか追いかけようって考えて、すぐに他のヴィドール行きの船に密航するため、急いで陛下達との合流地点に戻ってそう伝えたら、先輩I・K達に説教されたんだって」

エトワスが話す言葉を、ただディートハルトは聞いていた。

「自分達I・Kの任務は、ロベリアで情報収集して陛下を無事にウルセオリナに連れ帰る事だろうって。フレイクの件はウルセオリナに帰ってから考えればいいってね。でも、二人が聞こうとしなかったから、陛下が、それなら行ってこいって正式に命令したらしいよ。ディートハルトを救出して、ついでにヴィドールの様子を探って来いって。フレッドも言ってけど、命令は関係なしに、二人は自分の意思でディートハルトを迎えに行くためにヴィドールに行ったんだよ」

ディートハルトはエトワスの胸に頬を押しつけられた状態のまま、茫然として頭のすぐ上から降ってくる彼の涼やかな声を聞いていた。

「もちろん、俺もね」

エトワスは、抱え込んでいるディートハルトの頭を、そっと撫でた。

「お前が俺を心配してくれてたように、俺も、翠達にお前が連れていかれたって話を聞いてすごく心配だった。具合も悪かったっていうし。すごく単純だろ?ディートハルトが好きだから、気になるし心配だし助けたいって思う。それだけだよ。俺達は、ディートハルトの力になれるなら、役に立てるなら嬉しいんだ。だからさ、そんなに卑屈になるなよ」

エトワスの言葉にディートハルトは眉を寄せた。徐々に、彼が言っていることの意味が分かってくる。多分シュナイトが言っていた事と同じなのだろう。

「この間も言ったけど、遠慮しないで何でも話してくれないか?一人で無理しないで相談して欲しいんだ。俺達も、ディートハルトに聞いて欲しい事があったら相談するから」

エトワスの言葉を聞き、ディートハルトは小さく溜息を吐いた。一人で黙ってファセリア帝国に向かったシャーリーンの事を、“無茶だ”と思ったが、自分も人の事を言えないかもしれない。

だとしたら、遠慮しないで甘えてみても良いのだろうか……。

ディートハルトを抱きしめたままのエトワスの腕の中で、ディートハルトはそっと目を閉じた。言葉の温かさも、体温の温かさも嬉しくて心地良かった。

しかし、不意にある事を思い出す。

「おれは……」

と、顔を上げてエトワスを見上げる。

「おれも、エトワスがヴィドールで怪我してすごく心配だったし助けたいって思った。でも、あの時何も出来なかったんだ……」

そう、悔しそうに眉を顰める。

「エトワスが死ぬかもって思ったら……いなくなるかもって思ったら怖くて、頭が真っ白になって学校で習ったはずの事を何も思い出せなくて……」

瑠璃色の瞳に涙が滲む。

「たまたまシヨウが通りかかって助けてくれたから良かったけど、おれは何もできなくて、役立たずだった」

瞳を潤ませるディートハルトに、胸を締め付けられる思いで言葉を聞いていたエトワスは、我に返ると焦って瑠璃色の瞳を覗き込んだ。

「そんな事ないよ。ディートハルトがシヨウを呼び止めてくれたんじゃないか」

「そうだけど、シヨウは、おれが頼まなくても助けてくれたと思う」

と、ディートハルトが拗ねたように口を尖らせる。彼の言う通りシヨウが見殺しにするような人間ではないとエトワスも知っているため、困ってしまう。

「そうかもしれないけど……」

エトワスは、苦笑いするしかなかった。

「だけど、俺は……。仮にディートハルトがあの場で冷静に対処してくれていたとしたら当然感謝したと思うけど、俺が死んでしまうんじゃないかって事が怖くて、そのせいで動揺して頭が真っ白になってたって現実の方が、嬉しいというか……」

と、少し頬を緩めてエトワスが本音を漏らす。

「え、何で?」

それは、情けないだけではないだろうか。しかも、自分が死んでいたかもしれないのに。と、ディートハルトは怪訝そうに首を傾げた。

「俺の事をそれだけ大切に想ってくれてるって事だろ?」

エトワスを助けて欲しいと涙を流してシヨウに懇願したという事実は、申し訳なくていたたまれないが、同時に嬉しくてたまらない。

「そうじゃなきゃ、驚いたり緊張したりはしても冷静に対応出来るものだからな」

「……」

ディートハルトは驚いたように目を見開いていたが、なるほどそうなのか、と思っていた。エトワスが戦死したという報せを聞いた時も、ヴィドールで怪我を負った時にも、怖くてたまらなかったのは、自分にとってエトワスが凄く大切な存在だったからなのか……と。

「そっか……。うん、大切かも」

ディートハルトは神妙な顔をして頷いた。

そして、大切な相手だから助けたいと思うし力になりたいと思うのだと納得して、改めてエトワスが“ディートハルトの事が好きだから力になりたい”と話していた言葉も正しく理解した。とはいえ、エトワスが負傷した時自分が何も出来なかったという事実に変わりはなく悔しいのだが、エトワスはむしろ喜んでいるという事が分かったため、その件についてはもう触れない事にした。

『大切“かも”?断言はしないのか……』

と、内心ちょっとだけガッカリしているエトワスの顔をディートハルトは見上げた。

「……エトワス」

色々ありがとう、そう言おうとして、ディートハルトはふと違和感を覚えた。

エトワスと話をしていて忘れかけていたが、先程目を覚ました時に感じていた嫌な感覚がまだ消えないでいる事に気付いたからだ。それどころか、徐々に強くなり妙な胸騒ぎへと変わり始めている。

おかしい。

周囲には何も不気味な存在などないし、一人でいる訳でもない。それに、とても嬉しい言葉を掛けられてこうして温かく抱き締められているという状況なのに、何故強い不安を感じるのだろう?


 ふっとエトワスが腕の力を緩め、そっと体を離そうとする気配に、ディートハルトは思わず自分の方から抱きついていた。

「エトワス、もっと……」

「えっ?」

ディートハルトの言葉に、エトワスは固まった。

『ね、ねだられるような事をした覚えは……。……まさか……して、欲しいのか?』

エトワスが内心どぎまぎしている事など気付きもせず、ディートハルトは申し訳なさそうな照れたような表情でエトワスを見上げた。

我ながら子供じみていて恥ずかしいとは思ったが、今更だ。

「もっとこうしてたい。あと少しだけでいいから。さっき見たヤな夢が、どうしても忘れられないんだ。だから、ごめん」

『何だ、そういう事か……』

エトワスは気付かれないよう溜息を吐き、再びディートハルトをそっと抱きしめると、『大丈夫だよ』、と言う様に背中をそっと撫でた。何にせよ、ディートハルトが素直に頼ってくれている事が嬉しかった。


 しばらくすると、ディートハルトはエトワスから身を離した。相変わらず胸騒ぎは消えなかったが、原因が分からないのでどうしようもない。

「あのさ、おれ……エトワス達の力を借りてもいいかな?頼ってもいいかな?」

恐る恐る尋ねるディートハルトに、エトワスは「もちろん」と頷く。

「いつでも甘えてくれ」

笑いながらわざとらしくそう言って両腕を広げるエトワスに、ディートハルトは自分の言動が恥ずかしくなって、ほんのり頬を染めた。

「少し冷え込んできたな」

エトワスの言う通り寒さが増してきた様な気がする。風が出てきたせいかもしれない。

「うん」

「そろそろ戻ろうか?」

そう言って促し、背を向け先に歩き出したエトワスを追おうと、ディートハルトは足を踏み出した。

「?」

動かなかった。

何かに引っ張られているような妙な感覚がある。

しかし、見下ろした自分の足に変なところはないし、痺れたり痛かったり等といった異常もない。

「??」

訳が分からないまま周囲を見回し、続けて頭上を見上げたディートハルトは息を呑んだ。

「!」

その瞬間、一気に血の気が引く。

「えっエトワスっっ!」

切羽詰まった様子で名前を呼ばれ、エトワスが驚いて振り返ると、ディートハルトは未だ木の下に立ったままだった。

「どうした?」

「今、力を貸して欲しい」

「?」

「上、おれの上の木……」

ディートハルトに言われるまま頭上を見上げてみると、ちょうどディートハルトの真上の木の枝から、大きな蜘蛛が逆さまにぶら下がっていた。

前足を器用に動かし何かを操っているような仕草を見せている。恐らく糸か何かでディートハルトの動きを封じているのだろう。

「モグラがっ……!」

モグラじゃなくて蜘蛛だろ?とエトワスは思ったが、そんな事を言っている場合ではなかった。よく見ると、その1匹だけでなく、やや小振りの蜘蛛が他にも数匹木の枝にいるのが見える。それらは間違いなくディートハルトを狙っていた。

エトワスは外に出るため念のため持ってきていた剣を鞘から抜くと、右手で柄を握り水平に構え、左手の掌でその刃を刃先に向かって素早く撫でるように辿った。直後に、鉄の刃が赤く発光し始める。その光を受けて、ディートハルトのすぐ近くに反射する幾筋かの糸が見えた。

エトワスが剣で糸を焼き切りディートハルトが束縛から解放されると、宙にぶら下がっていた蜘蛛はツーっと地面に下り立った。と同時に、立ち上がるような体勢で二人めがけて飛び掛かる。

「!」

エトワスはディートハルトを自分の背後に押しやると、自ら魔物に向かって踏み込み、剣を袈裟懸けに振り下ろした。その剣の軌跡をそのまま辿り、赤い光の帯が追う。

切り込んだ刃は魔物の固い外殻に護られた身体を焼き、魔物は2つに分断されてあっけなく絶命した。

「何で急に集まってきたんだ?」

エトワスが周囲に視線を走らせる。いつの間にか、闇が溢れ出ているかのように、村の外から入り込んだらしい蜘蛛に似た魔物達が暗がりの中から徐々に広場に集まりつつあった。

「多分、おれの血の臭いを嗅ぎつけたんだ」

アカツキの言葉を思い出し、ディートハルトが言う。

「それか、昼間の奴と同じ奴で仲間を連れておれを追って来たのかも。あいつら、空の種族を喰うらしい」

「その手の奴か」

「夢の奴はこれだったんだ……」

『こいつらに、喰われたんだ』

夢で見た空の種族の女性はこの魔物に襲われて絶命したのだと、そう直感で悟った。

「……多いな」

そう呟いたエトワスは、左手に剣を持ち空いた右腕を前方に伸ばした。その掌付近の宙にブンッという音とともに、ぼんやりと輝くオレンジ色の光の球が発生する。それはディートハルトが昼間使おうとして不発に終わった術だった。

バチバチという音と供に膨張した光の球を、群れをなしている魔物めがけてというより、広場の何もない場所を狙って放つ。直後に爆発音が響いた。


ドオォン!!


地面が抉れ土砂が散る。

しかし、仕留めた魔物の数はゼロだった。住居へ被害が及ぶ事を避けつつ魔物を攻撃するなら、他にも効果的な術があるのに……そう、ディートハルトは不思議に思いかけたが、すぐに、エトワスがわざわざ派手な術を使用した意図を理解した。爆音に驚いた村人達が次々と小屋の外へと飛び出して来たからだ。

「これで、翠達も呼べる」

そう言ってエトワスがニヤリと笑ってみせる。彼の期待通り、ほどなく村人達だけでなく翠達が姿を現した。

「二人っきりで年越しデートしてたんじゃないの?何でこんな大量に蜘蛛さんをご招待してんだ?」

眠そうな表情で、抜き身の剣を構えた翠が怠そうに言う。目に見えて迷惑そうだ。

「ごめん。おれを喰うために集まって来たんだ。悪いけど、力を貸してくれたら嬉しい」

「あ?」

翠は驚いてディートハルトを振り返った。近くに居たフレッドも目を丸くしてディートハルトを見ている。翠の眠気は一気に吹き飛んでいた。

「……い今、何っつった?」

「ごめん。おれを喰うために、集まって……」

「や、もういい!」

律儀に全く同じ台詞を復唱しようとするディートハルトを遮り、翠はすぐさまエトワスに向き直った。

「お前、ディー君に何かしたのか?何かおかしくなってんぞ。精神が崩壊するような、パパのレトシフォン閣下に詫びなきゃなんない事したんだろ?」

「するか。ふざけた事言ってないで手伝え」

魔物を相手にしていたエトワスは、翠に視線すら向けずに冷えた声でそう返した。

「借りるぞ」

翠の言葉にディートハルトはムッとした顔で短く言うと、手を伸ばして翠の手から剣を奪った。

「ちょっと待った!」

そう言って、翠はディートハルトの手から剣を奪い返す。

「ご要望にお応えして張り切って戦っちゃうから、ディー君は喰われないように身を守りつつその辺をウロウロしてなさいね」

「…………」

何か言いたげな不満顔だったが、ディートハルトは翠の言葉に従い身を守るべく避難した。


 エトワス達だけでなく、村人達も積極的にモグラとの戦闘……と言うよりモグラ狩りに参加したため、文字通り蜘蛛の子を散らすように魔物は森に退散し、しばらく後にはディートハルトを補食しようと狙う魔物は1匹もいなくなった。


 戦闘の終了した広場では、村人達が何故か和気あいあいとしながらモグラの死骸を一箇所に集めていた。村人達の話によると、モグラトリグモの鱗や刺や毛皮は利用価値が高く、とても重宝されているらしかった。さらに、フレッドとディートハルトは青ざめていたが、その肉も美味らしい。

「……何かおれ、色んな人に助けられてばっかだな」

村人達が器用にモグラを縄で棒に縛り付け、二人がかりで肩に担いで運び去って行くという少し奇妙な光景を眺めながら、ディートハルトはポツリと呟いていた。エトワスは頼っていいと言ってくれたが、やはり自分が情けないと思ってしまう。

「それは、誰でもみんな同じだと思うよ」

並んで立ったエトワスも、やはり村人達を眺めながらそう言った。

「…………あのさ、エトワス」

ディートハルトは言ってしまっていいものだろうか、と、悩んでいた。ここまで言うのは、やはり厚かましすぎるだろうか……と。

「……実は……頼みが……あったりする」

早速頼ってくれるのは嬉しかったが、その言い方が可笑しくてエトワスは思わず笑いそうになった。しかし、笑うとまた抗議されそうなので我慢する。

「正直、こんな事を言うのは、厚かましくて恥ずかしくて情けない事だと分かってるけど……」

前置きが長いよ、そう心の中だけで言って、エトワスは真面目な顔を作って頷いた。

「……」

ディートハルトは、まだ口に出す事を躊躇っていた。

「もちろん、迷惑なら拒否してくれていい」

だから、何だ。と、思いつつエトワスは無言のままで言葉の続きを待った。

「……おれと……」

空の国へ行くのに1人じゃ不安なので、扉のとこまでで良いから一緒についてきてほしい。そう言いたかったが、ディートハルトは厚かましくて恥ずかしいと思っているので言えなかった。そこで、具体的なお願いをするのは避けて、曖昧な言葉を選んでみた。

「……これからも、おれの側にいてくれねーかな?」

「…………」

軽く意表を突かれたエトワスは、しばらく言葉を失ってディートハルトを眺めていた。

「やっぱ、迷惑だよな。ゴメン。聞かなかった事にしてくれ」

「いや、いいよ」

ディートハルトの真意は測りかねるが、どういった意味にせよ断る理由はないので、エトワスはそう答えた。

「……」

すると、ディートハルトはほんのり頬を紅潮させ、嬉しそうな視線をエトワスに向けた。

「いいのか??じゃ、じゃあ、空の国まで一緒に付いてきて貰ってもいいか?」

ディートハルトは、エトワスがあっさりと受け入れてくれたので、一番の望みを口にしてみた。

「それは、……最初からそのつもりだよ」

『なんだ、そういう事か……』

内心苦笑しつつ、エトワスはそう言って笑った。

「オレはまた、大胆にも次期公爵様にプロポーズしたのかと思った」

「俺も」

「そうとしか聞こえなかったな」

密かに二人のすぐ近くで会話を聞いていた翠とフレッドとシヨウが、ヒソヒソと言葉を交わしている。

「よし、じゃあ、面白そうだからオレらも交ぜてもらおうか」

フーッと煙草の煙を吐き、二人の元へと歩き出した翠の後をフレッドとシヨウが追う。

「……」

その様を見送りながら、やはり近くで一部始終を見聞きしていたシュナイトは、そっと溜息を吐いていた。

『初めは色々と心配だったが、案外幸せそうで安心した……』

本当に、彼らが一緒なら心配はないだろう、そう思っていた。


 再び魔物に狙われる事を警戒し、その晩ディートハルトはアカツキの勧めで長の家に滞在する事になったのだが、その時にはもう、妙な違和感も胸騒ぎも綺麗さっぱり消えていた。

モグラを撃退するまでずっと消えなかったその違和感は、運悪く命を落としてしまった夢の中の女性が与えてくれた警告だったに違いない。ディートハルトはそう考えていた。


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