表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
LAZULI  作者: 羽月
39/77

39灰色の森 ~大切なもの2~

 ディートハルトは肩で息をしながら魔物と対峙していた。

どちらも傷を負い、互いが相手の出方を窺っている。

ちょうど魔物がいる位置の土壁の地上近くに、太い木の根が張り出していた。真下でジャンプすれば、上手くいけば手が届いて地上に脱出できるかもしれない高さなのだが、動くことが出来ない。僅かでも魔物から注意を逸らせば襲われるからだ。互いにとどめを刺す機会を狙っている状況だった。

『……セレステって何なんだよ?』

ふと疑問が浮かぶ。

 セレステとは、空の種族の中で”力を持つ”一部の者達で、しかも自分はそのセレステの中でも特にレア物で強い力を持っていると聞かされたのは何だったのだろう。”力”というのは、とりあえず筋力の事ではなかったらしい。武器がないので素手で魔物に殴りかかったら非常に痛かった上に、その攻撃は全く効いていないようだった。逆に、ディートハルトの方は手を傷めてしまい、大きく擦りむき出血したばかりでなく緩く握っただけで痛みで拳が震えてしまう。

 筋力の事ではないのなら術のような力の事かとも思ったが、学生時代からあまり得意分野ではなかったし、それは今も同じなので、どうやらそれも違うらしい。だとすれば、権力や影響力といった類のものだろうか。

『使えねえ……』

遠い国での権力など、今この場では何の役にも立たない。ディートハルトは舌打ちした。

そして、魔物を刺激しないよう、ゆっくりとした動作で両腕を前方に伸ばした。両掌付近の宙にブンッという音とともに、ぼんやりと輝くオレンジ色の光の球が発生する。それは瞬く間に膨張し、目標物にぶつかるのと同時に弾けて破壊するという術で、ヴィドール国のルシフェルの部屋で使い扉を破壊したものだった。


「……」

オレンジ色の光球は小ぶりのサクランボくらいの大きさで止まり、それ以上にはならなかった。光も淡く、消える寸前の蝋燭のように頼りなげなもので、今にも完全に消滅してしまいそうに点滅を繰り返している。

『こんなところで、やられる訳にはいかねえんだ!』

と、思ってはいるのだが、気合いだけではどうにもならない。気力はともかく体力の方は限界で、身体は既に音を上げていた。

「っ!」

突然、魔物が飛び掛かってきた。

体勢を低くしてディートハルトを窺っていたのだが、ディートハルトが術で攻撃を仕掛けようとした事で、逆に攻撃する力が残っていない事を教えてしまったようだった。

魔物が着地したのと同時に、爪に抉られた土砂が飛ぶ。

ディートハルトは魔物の攻撃をかわしていたが、完全には逃れきれずに魔物の身体に押し倒されてしまっていた。右足は完全に魔物の大きな腹の下敷きになっている。

今になって気付いたが、蜘蛛のように見える魔物の足は5対あった。鋭い爪を持つそれぞれの足には、鱗の間から太くて固い釘のような刺がまばらに生えていて、押し倒された際にその刺に触れたのか、右頬から右腕の肘の辺りまで縦方向に幾筋かの傷を負っていた。

「……っ」

魔物の下から這い出そうと顔を上げると、すぐ間近に魔物の胸の辺りが迫っていた。

「!?」

本能的に感じる気色悪さと不快感に一気に血の気が引き、同時に恐怖を覚えた。

咄嗟に、左手に触れていた固いもの……石か何かを掴み上半身を起こすと、鱗にも毛皮にも保護されていない魔物の無防備そうに見える頭胸部と腹部の境目付近を狙い、力任せに殴り上げた。


ガツッ!!


手に感じる痺れるような衝撃と同時に魔物は大きく跳ね、ディートハルトの上から飛び退いた。

大きなダメージを与える事は出来なかったが、魔物の身体からは粘ついたオレンジ色の体液がわずかに滲み出している。

自由になったディートハルトは、距離を取るため壁際まで避難した。


「……、……」

息が上がって苦しい。

再び、長い睨み合いが続くかと思われた。しかし、魔物は獲物を仕留める事をとうとう断念したのか、ゆっくりと後ろ向きに移動し始め、長い脚で横穴の位置を探り出すとそのまま中に入り、ディートハルトに目を向けたままジリジリと後退し始めた。


 やがて、魔物の姿と気配が完全に横穴の奥の闇に消えると、ディートハルトは土の壁に背を預け、両足を投げ出して地面に座りこんだ。

「クソ、逃げたか……」

さも悔しそうに呟いてみるが、内心では安堵していた。

「……」

ふと傍らに視線を落とすと、土砂の中に人形が半分埋まっている事に気付いた。穴に落ちた時にはずみで手放していまい、すっかり忘れていた。

首に巻かれた赤いリボンに指をかけて引っ張ると、土の中から現れた人形は初めて見た時と同じ状態に汚れていたが、穴に落ちてから出来たと思われる新しい傷などは無いようだった。


『待たせてたんだった』

ディートハルトは人形を上着のポケットに入れてふらつきながら立ち上がると、穴から脱出するため、大きく張り出した頑丈そうな木の根の位置を改めて確認した。

右足を傷めているので、無意識のうちに左脚のみに体重を掛けるような姿勢で両手を伸ばし、木の根の下でジャンプしてみる。

「……」

届かなかった。

続けて、数回ぴょんぴょん跳んでみた。

「…………」

届きそうだと思ったのだが、何度試してみても指先が掠りもしなかった。かといって、土の壁は柔らかく、手や足をかけて充分に体重を支えられそうな物は見あたらない。

『作戦を変えよう……』

ただジャンプしてもだめだったので、ディートハルトは踏み台を作る事にした。魔物が鋭い爪で掘り起こしてくれたおかげで周囲には土砂もある。一箇所に集めて固めたら足場になるだろう。

早速、土をかき集めようとディートハルトはしゃがみ込んだ。

「?」

両手で土をかき集めて掬おうとした時、土の中から出てきた何か光るものに気が付いた。一瞬、人形の硝子製の目かと思ったが、そうではなく淡く発光する青い石の欠片だった。割れたものなのか、本当に小さくて薄い。

『ラズライト……。まさか、人形の目はラズライトだったって事はないよな?“ガラス”だって言ってたもんな』

「あっ」

土の中から指でつまみ上げようとすると、今までと同様にディートハルトが触れた瞬間、強く発光しその後すぐに光は消えた。しかし、崩れ去る事はなく黒ずんだ冷たい石へと変化する。

『……今、何か……』

言葉のようなものが、ほんの一瞬、聞こえたような気がした。


“ドウカ アナタハ ニゲ……”


そう、聞こえたような気がした。

同時に、胸の中に不思議な感覚が湧き上がったかのようにも思えた。悲しいような悔しいような、理由も分からず気が滅入るような、嫌な感じだった。

「……」

もう一度確かめてみたくて石を拾って恐る恐る握ってみるが、もう何の変化も起こらず音も聞こえない。

『気のせい……』

半分ほっとしつつ、そう思いかけた時だった。


「そんなとこで、何やってんの?」

突然降ってきたはっきりとした声に、ディートハルトは頭上を仰ぎ見た。

「大丈夫か?」

穴の縁から翠とシヨウが顔を覗かせていた。

「え……」

ディートハルトは面食らったように穴の底から二人を見上げた。何故、二人がそこにいるのだろう。

「ほら、手を……あぁ、届かねえな」

シヨウは腕を伸ばしたが、穴の底に膝を付いているディートハルトには到底届かない程距離がある。

「何で、あいつらが……」

困惑したまま、ディートハルトが呟いた時だった。

「ディートハルト!」

遅れてやってきたエトワスがシヨウの横から穴の底を覗き込み、彼と一緒に来たらしいフレッドとシュナイトまでもが穴の縁に姿を現した。

「穴に落ちただけって訳じゃ、なさそうだな」

躊躇いもせずに穴の底に飛び降りたエトワスが、間近でディートハルトの姿を目にした途端眉を顰めた。

「……何で、お前らがこんな所にいるんだ?」

結局、ディートハルトの事は信用していない二人の子供が、呼びに行ったのだろうか。少しだけ苦い思いが胸に広がる。

「姿が見えないから捜してたら、村の子供がディートハルトは『森に行った』って言うから」

エトワスは、ディートハルトの上着のポケットに無理矢理ねじ込まれておよそ3分の2がはみ出ている物体に視線を落とした。

「人形は取り戻したみたいだな」

「まあ、一応」

「丸腰で魔物とやりあったのか?」

負傷し泥だらけの姿に、エトワスは半ば呆れたような、溜息でも吐きそうな表情をした。

「あぁ、モグラとちょっと……」

ディートハルトの視線の先を追って見ると、大きな横穴がぽっかりと口を開けていた。

『巨大モグラか?』

「立てるか?」

モグラの事には触れず、エトワスはディートハルトに手を差し出した。

「……」

一瞬表情を曇らせ、ディートハルトはエトワスの手は借りずに無言で立ち上がった。

心配してくれているのは分かるが、今はその差し出された手を取る気がしない。左手は傷めていたし、右手は血と泥で酷く汚れていたからだ。どちらも、情けない自分を象徴しているように思えて、エトワスの目にその弱さを敢えて晒すようで嫌だった。

「……」

ディートハルトの態度にエトワスは苦笑する。彼の目には、ディートハルトが強がっているようにしか見えていなかった。

「ほら!手を出せ」

と、シヨウが再び穴の縁からディートハルトを引き上げようと手を差し出した。ディートハルトは翳った表情のまま躊躇った素振りを見せる。出来れば、手は借りず自力で脱出したかった。作戦も練ってあるのだから、きっと上手くいくはずだ。しかし、周りの雰囲気がそれを許さなかった。それに、今更再びしゃがみ込んで土の山を作り始めるのも滑稽だ。

「……」

仕方なく、ディートハルトはエトワスの助けを借りて、しぶしぶといった様子で右腕を伸ばしてシヨウの手を掴んだ。

「ディー君ってさ、姿くらますのが趣味なわけ?」

「ってゆーか、無鉄砲にも程があるよな」

「言ってくれりゃ、付き合ってやったのに」

シヨウに引き上げてもらい穴の底から抜け出したディートハルトに、地上で待っていた翠とフレッドとシヨウが呆れたように口々にそう言った。

「……外出の許可は貰ってたし、遠出してねえし」

視線を逸らしボソリと呟くディートハルトに、さらに翠とフレッドの二人が続けた。

「そーゆー問題じゃないっての」

「そんなに俺達は信用ないのか?」

残念そうに言ったフレッドの言葉に、視線を逸らしたままディートハルトがポツリと返す。

「……お前らだって」

「?」

「お前らだって、おれの事、信用してねえだろ」

それは、自分が弱くて情けないせいだ。そう分かっていた。だから、小さな子供にすら頼りなく思われてしまう。決して彼らが悪いのではない。

「そりゃあね、今までの事があるから。仕方ないでしょ」

いきなり、何拗ねてんだ?そう言いたげに翠が苦笑すると、同じくシヨウに引き上げて貰い地上に戻ってきたエトワスが口を挟んだ。

「信用していない訳じゃなくて、心配してるんだ」

ディートハルトにとっては、“心配される”という事は“信用されていない”事だと、そう感じているのだとエトワスは気付いていなかった。

「…………」

数秒間、考え込むように沈黙していたディートハルトは、決意したかのようにキッとした表情でエトワスに視線を向けた。

「もう、いいからほっといてくれ。おれは、自分の事は自分一人で片付ける。お前らだってやるべき事があるだろ?おれに構わないでくれ」

本当は、今みたいに心配されるような弱い人間であっては、リカルド達の言った通り、いつまで経っても他人に迷惑をかけ続けてしまうので、強くあろうと思っている。そのためには、やはり、自分の事は誰に頼る事もなく自分一人の力でやり遂げるべきだと思う。だから、頼りなく見えるかもしれないけど、もう気を遣わないで欲しい。これからは、わざわざおれのために無駄に時間を割かないで、自分達のために行動して欲しい。……そう伝えたかったのだが、上手く言葉にする事ができなかった。

「ディー君が、そーゆーなら」

無言のエトワスに代わり、翠がそうあっさりと言う。ディートハルトの心中は分からないため、昔から変わらない、極端に他者を拒絶する拗ねて意固地になっている子供じみた発言としか思っていなかった。こういった時のディートハルトは機嫌が悪いため、関わらない方が良い。

「……」

翠の言葉に、真意が伝わらなかった事を感じ取り、ほんの一瞬ディートハルトは怯んだような表情を見せたが、そのまま何も言わずに背を向けると森の外に向かって歩き出した。

もう、おれに構わないで欲しい。という、一番伝えたい事は伝えたのだから、それでいい。そう思っていた。


「機嫌悪いねぇ」

ディートハルトの後ろ姿を見送りながら、翠が苦笑いした。

「うーん。一応I・Kだもんな。助けて貰ってばっかじゃ、やっぱプライドが傷つくのかもな」

フレッドが納得したように頷く。

「だろうね。ディー君はカッコワルイって思われたくない子だから。……ああ、こっちも傷ついちゃってるみたいだねぇ」

翠がチラリとエトワスに視線を投げる。

「…………」

翠の言う通りなのか、エトワスは相変わらず無言のまま立ちつくしていた。

「面と向かって、キッパリ拒絶されたからな。手も握って貰えなかったし」

シヨウが同情したような目でエトワスを見る。

「大丈夫。よくある事だから」

翠が呑気な口調で笑う。

確かに、よくある事だった。今までに何度似たような言葉を聞いたか分からない。でも、何か違う……。瑠璃色の瞳は、少し不機嫌そうではあったが、怒っているものでも拗ねて拒絶しようとしているものでも無かった。

『……ディートハルト?』

エトワスは、表情を曇らせ、遠ざかっていくディートハルトの後ろ姿を見つめていた。



* * * * * * *


 ディートハルトが村の中に戻ってみると、子供達は村の広場に居た。アカツキも一緒だ。

「アラレ!」

ディートハルトがポケットから取り出した人形を差し出すと、アヤメは嬉しそうに掛け寄り、お礼を言ってギュッと抱きしめた。

「良かった。もう戻ってこないかと思ってた」

少年に付き添っていた少女も笑顔を見せる。

「目はモグラが持ってったみたいで見付からなかった。悪いな」

一応、謝罪すると、アヤメは満面の笑顔で「また、お婆ちゃんに付けて貰うから大丈夫です」と答えた。その本当に嬉しそうな表情に、沈んでいたディートハルトの気持ちも少しだけ軽くなる。単なる幸運とはいえ人形を持ち帰る事が出来て良かったと思った。

「……だけど、ヒナさんボロボロ。大丈夫?」

何気ない少女の言葉に、浮上していたディートハルトの気分は再び急降下する。

「血がいっぱい」

「返り血だ」

魔物の体液はオレンジ色だった。その事実を知らなくても、見ただけで嘘と分かる言葉に、少女だけでなくアヤメも同情したような視線を向けた。本当に同情しているのか、少女もそれ以上何も言おうとしない。


 礼を言い二人が広場を去って行くと、アカツキは呆れたような視線をディートハルトに向けた。

「モグラと戦ったんですか?」

「あれは、どう見てもモグラじゃねえだろ」

「正式名称は、”モグラトリグモ”です。土の中に棲み、地表に朽ちた枝葉を糸で固めた蓋を作って、落とし穴に落ちた獲物を捕食する魔物なのですが、多く捕食しているのは、穴に落ちた獲物よりもモグラなので、この名前が付いています。通称、”モグラ”」

「略す位置がおかしくねえか?間違った情報が伝わるような略し方すんな!」

ディートハルトは眉を顰めてアカツキを責める様に睨む。

「ですが、昔からそう呼ばれていますから」

そっけなく言うアカツキに、ディートハルトは不満そうに口を尖らせた。

「だったら、本物のモグラの事は何て呼んでんだよ?紛らわしいだろ!」

「哺乳類のモグラは、“モグッ”と略しています」

「モグ?絶対嘘だろ」

ディートハルトは薄く笑う。

「嘘ではありません。それと、モグではなくモグッです」

「……」

もう、どうでもいいや。そう思った。

「血を流したのに、よく無事に帰って来られましたね。大人しいので人間を襲う事は滅多にないのですが、地底の種族に属する魔物なので空の種族だけは例外で、罠にかかると間違いなく補食されるんですよ。セレステともなると至高の獲物のはず。血の臭いに群がってくるはずなんですが」

聞かされた嫌な事実に今更ながら背筋が寒くなる。

「運が良かったですね。治療をしますから来て下さい」

一気に疲れが増したような気分で、ディートハルトは早速歩き出したアカツキの後ろ姿を重い足取りで追った。



* * * * * * *


 夕食後、鳥の巣状の寝床の中に座ったディートハルトは、1人ぼんやりとして窓の外の空に視線を投げていた。とは言っても、眺めているという訳ではない。日が沈むのが早く天気も悪いため、窓の外は真っ暗で何も見えなかった。

多少体調が回復したのを良いことに昼間体を動かし過ぎたせいか、強い疲労を感じていた。しかし、眠る気にはならないので、ただ何をするわけでもなく1人無言で座っている。

「…………」

アカツキが食事と薬を運んできた以外、他に誰も姿を見せていない。日が落ちたせいか村人達の活動する気配も感じられず、辺りは静寂に包まれていた。


 ふと、記憶の中に似たような状況があった事を思い出した。

何もない、狭く薄暗い部屋に1人きりで、ただウサギのぬいぐるみだけを大事に抱えて座っていた。自分のいる部屋だけが、扉一枚隔てた外の世界とは全く別の空間で闇と静寂に包まれている。……それは当たり前の日常だった。だから、心細いと思った事はなかったはずだ。


 小屋の扉がノックされ、エトワス達かと一瞬ドキリとしたのだが、姿を現したのは別の人物だった。

「起きていたのか」

静寂を破りそう言ったのはシュナイトだった。

「……レトシフォン閣下」

予想外の人物の来訪に、ディートハルトは少し驚いたような視線を向ける。

「寒いだろう?」

シュナイトが腕に掛けていた布を広げて見せる。

「アカツキから借りて来た。カーテン代わりだ。少しはマシになったらいいが……」

そう言って、シュナイトはガラスの無い窓の前に布を広げ、外から風が入って来ない様に持ってきたピンで布を留めた。

「眠らないのか?」

火の灯った蝋燭が入ったランプを低いテーブルの上に置いてシュナイトが言う。元々同じランプが1個置いてあったので、薄暗かった部屋は少し明るさが増して暖かいオレンジ色の光に包まれた。

「眠くないので」

シュナイトの問いに短く答えると、シュナイトは寝床の傍らに腰を下ろした。

「じゃあ、私と少し話でもしようか?」

「はぁ」

親しげに微笑みかけられ、ディートハルトは曖昧な返事を返す。彼は自分を産んだ人の夫だったという事実を知ったばかりだったが、だからといって特に、彼に対して新たな感情も興味も抱いてはいなかった。

「シャーリーンについては、どれくらい知ってる?」

唐突な問いに、ディートハルトは一瞬面食らった。

『なんだ。そう言う事か……』

既婚の身で新たに別な男と結婚した妻の話を聞きたいのだろう。すぐにそう納得する。

「……おれを産んだ人で、余所者だったって事くらいしか。長の家で話した通りで、ある日突然、怪我を負った状態で町に現れて、それを治療したのが町で唯一の医者のローマンって男だったって聞いてます」

「町で唯一の医者というのなら、その人物が、君が産まれたときに”取り上げた”と言っていた医者なのか」

ディートハルトは、無言で軽く頷いた。

「シャーリーンの夫なら、その医者が君の養父という事か」

「そんなんじゃないです。あいつは、シャーリーンって人狙いだっただけで、おれは邪魔なオマケで、でも手放すと世間体が悪いから仕方なく家に置いてただけで、いつ死んでもいなくなっても良いってくらいに思われてました」

ディートハルトは淡々と話す。

「なるほど……」

シュナイトは小さく溜息を吐いた。

「君は、18歳だと言っていたな?」

「そうです」

ディートハルトは再び頷いた。

何で突然そのような事に話が移るのだろう、と、内心首を傾げる。聞きたいのは浮気の真相ではないのだろうか?

とはいえ、シャーリーンの事を聞かれたとしても、ディートハルトはシャーリーンが何を考えていたのか等は全く知らなかった。

「まだ1年以上も一人で頑張っていたのか……」

シュナイトが独り言のようにそう呟いた。

「……セレステの赤ん坊は気紛れで、いつ産まれてくるか分からないらしい」

説明するため、シュナイトはそう言ってディートハルトに笑いかけた。

「何十年も、何百年も、聖地の卵の中で過ごす者もいるそうだ。守護者である巫女の胎内に取り込まれた赤ん坊は、流石にそこまで長い年月留まってはいないそうだが。巫女の方が参ってしまうからな。だから、いつ産まれてもいいように、常に準備万端だった。可哀想に助産師の女性には、うちに住み込んで貰っていたよ」

懐かしそうに笑うシュナイトの姿に、ディートハルトは戸惑っていた。話が掴みきれない。

「私とシャーリーンは、君を二人の子供として育てるつもりだったんだ。”ディートハルト”という名前も、二人で話し合って決めていたものだ」

「え……」

困惑しきった瞳がシュナイトに視線を注ぐ。自分の名前を誰が考えたか等、今まで全く知らなかった。と言うより、適当に付けられたものだと思っていた。

「でも……本当の子供って訳じゃないのに」

セレステは両親を持たない生き物だと判明したばかりだ。

「君はシャーリーンにとって護り育てるべき大切な存在で、だとしたら、それは私にとっても同じだ」

「…………」

ディートハルトはどう反応していいのか分からなかった。そもそも、自分の感情がよく分からない。それに、夫が妻を大事に想う気持ちは何となく理解できるが、他人でしかないその子供まで大切だと言っているのは理解できなかった。同じくシャーリーンの夫であったローマンは、妻を大事に想ってはいたようだが、その子供の事は嫌っていた。

「二人で楽しみに待っていたんだよ。君が産まれてくる時を」

そう言うと、シュナイトは一度言葉を切った。

「だから、家に戻った時、シャーリーンが姿を消したと知って本当に驚いたよ。町中捜したし森の中にも何度も行った。何か月も、いや、何年も探し続けたんだ。でも、見付けられなかった」

シュナイトは深いため息を吐いた。

「……」

「長に話を聞いて、いなくなった理由は分かったが、今、とても後悔しているんだ。彼女と君の側にいなかった事を」

「……奥さんを、じゃなくて、おれを恨んではいないんですか?」

「君を?何故?」

本気で驚いた様子でシュナイトが問う。

「だって、おれがいなければ、奥さんはファセリアには行かなかっただろうし、怪我だって負わなかったかもしれない」

生まれる前から自分は人に迷惑を掛けていたのか……、そう思うと気が重くなった。やはり、リカルド達の言った通りだと思っていた。

「おかしなことを言うな」

そう言ってシュナイトが小さく笑う。

「君がいなければ、私とシャーリーンは出会えていないよ。それに、君が生まれてくるのを楽しみにしていたと言っただろう?恨むなんて、とんでもない。もちろん、シャーリーンの事もだ。多分、シャーリーンが医者と一緒になったのは、知らない土地で君を守るためだったんだろう。それは、正しい選択だったと思う。その場に、本来なら守ってやらなければならかった私はいなかったんだからな」

そう語るシュナイトは、本当にシャーリーンの事を恨んでもおらず信じている様子だった。

「私は、どんな事があっても力になろうと思っていたし、君達二人を守ろうと思っていた。いや、そう誓っていた。でも、結局何も出来なかったんだ」

寂しい目をして話すシュナイトに、ディートハルトは何と言ったら良いのか分からなかった。

『少なくとも、おれは別に誰の力も期待してなかったし……。いや、違うな』

『悔やまれても、正直困るし……。これも、違うかな?』

何を言っても、シュナイトを励ます言葉にはならなそうだった。

「でも、相談もしないで黙って出てったのは奥さんの方だし……」

結局、他人事としか思えない言葉しか見つからなかった。

「彼女は強い女性だったからな。当時の私は仕事が忙しくて帰宅できない日が続いていたから、私を巻き込むことなく1人で解決しようと思ったんだろう。それに、楽天的でもあったからな。何の問題もなくすんなりやり遂げられると思っていたのだろうな」

夫であるシュナイトに迷惑を掛けたくないと思ったのであろうシャーリーンの気持ちは分かるような気がした。

「……でも、無茶だ」

空の種族の血に群がる地底の種族やその亜種たちの、執拗さと恐ろしさはディートハルトもよく知っていた。巫女だったというシャーリーンがどの様な力を持っていたのかは知らないが、たった一人で魔物に応戦しながら、土地勘のない異国の地を旅するのは無謀だと思った。

「そう。だから私はシャーリーンを支えてやりたかった。二人の力になりたかった」

そこまで言うと、シュナイトはふっと表情を崩し、ディートハルトに笑みを向けた。

「ディートハルト。君は、君を大切に想ってくれている人達に、遠慮せずに力を借りたらいい」

「え……」

突然、自分の事に話が及び、ディートハルトは意表を突かれたようにシュナイトを見た。

「彼らが君の事を心配しているのは、信用していないからではないと、私は思うぞ」

鮮やかな緑色の瞳は穏やかな視線を投げていて、決して非難している訳でも説教している訳でもない事が伝わる。

「…………」

ディートハルトは眉を寄せた。シュナイトは、シャーリーンの浮気の真相を暴くために話をしようと持ちかけたのではなく、そう言いたかったのだとディートハルトにも分かった。

“君もシャーリーンも同じだ。”シュナイトはそう言っていた。

「また明日にでも、彼らとちゃんと話をしたらどうだろう?」

穏やかな笑顔でそう言うと、複雑な表情をしたまま黙っているディートハルトに「寝るときは、火の始末は忘れずにするように」と言い残してシュナイトは部屋を出ていった。


「なんだよ、あのオッサン。おれの事は関係ねえだろ……」

少し不機嫌になり、ディートハルトは座っていた寝床の中に潜り込んだ。シュナイトの話を色々と聞いたせいか何故か気分が落ち着かなかった。早く眠ってしまいたい。

「…………」

しばらく暖かな布にしっかりと包まってじっとしていると、そのまま眠れそうだったのだが、ディートハルトはのっそりと身体を起こした。そのまま這い出て、シュナイトに言われた通り蝋燭に顔を寄せるとフッと火を吹き消す。シュナイトは持参したランプを置いていったので、もう一つのランプの明かりも同じようにして消した。



* * * * * * *


 それからしばらくして、浅い眠りに就いたディートハルトは夢を見ていた。


柔らかな灰色の翼を持った女性が森の中を走っている。

知らない人物だった。

何かに追われでもしているのか、酷く焦った様子で転びそうになりながら必死に足を動かしている。

何故、羽があるのに飛ばないのだろうか。そう思いかけたが、片方の翼が不自然に折れている事に気付いた。


 何に追われてるんだろう?


そう思った時、彼女のものらしき声が聞こえた。

『どうか、貴方は逃げて……!』

同時に、地面からブワッと黒いものが溢れて、大きな波のようにその女性に襲いかかった。

直後に悲鳴が響く。


「っ!?」

目を覚ましたディートハルトは、勢いよく身を起こした。

「…………」

夢の中の女性が最期に残した台詞……それはモグラの穴の底で見付けたラズライトの欠片に触れた時に、聞こえたような気がした言葉と全く同じだった。

「なんて、嫌な記憶……」

掠れかけた声でポツリと呟いた自分の言葉にギョッとする。

『記憶?……ただの夢だろ?』

無意識に自分の首に手を当てたディートハルトは、うっすらと冷たい汗をかいている事に気付いた。

「ヤな夢だった……」

わざわざ声に出して言い直し、寝床から這い出した。

夢の余韻なのか、不気味な存在が自分の近くにいるような気がして、キョロキョロと暗い部屋の中に視線を走らせる。窓辺に歩み寄って、シュナイトが取り付けてくれたカーテン代わりの布をめくって外も見てみた。

ポツリポツリと闇の中に立つ小屋は、ほとんどの家の窓にぼんやりとした灯りが灯っていて、まだそれ程遅い時間では無いことが分かった。少しだけ安堵する。しかし、嫌な感覚は相変わらず消えないで残っていた。

夢の中で見た女性は有翼だったが、シャーリーンではない。それは間違いないと断言出来た。他人が登場する夢で自分には全く関係ない物だったのに、何故こんなに胸がざわつくのだろう?

「……」

しばらくの間、窓の外を眺めていたディートハルトは、気晴らしに小屋を出てみる事にした。

少し散歩したら気分が良くなるかもしれない。そう考えていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ