35白の大陸 ~誰にも話した事のない話3~
長い話を終えてディートハルトが再び眠ると、シュナイトは書斎に隣接する応接室に彼の友人達を呼んでいた。
「西の森を預かる者として全面的に君達に協力するつもりだが、改めて君達の素性を教えて貰えるだろうか」
シュナイトは彼らに深く関わる気はなかったため敢えて聞かなかったのだが、協力するからには彼らが何者なのか知っておいた方が良いと考え尋ねていた。これまでの話からすると、ディートハルトはファセリア帝国の人間だというが、最初に行動を共にしていたシヨウという青年はヴィドール国の人間だという。どういった繋がりがあるのか全く分からなかった。
「お世話になっている身でありながら、大変失礼いたしました」
そう言ってエトワスがスッと頭を下げる。
「ディートハルトも含めた私達4人は、ファセリア帝国の人間です。私は、エトワス・ジェイド・ラグルスと申します」
エトワスの名を聞きシュナイトは軽く目を瞠った。その名には憶えがある。
「聞いた事がある名だな。確かファセリア帝国南部ウルセオリナ地方の領主の……。しかし、そうだとしたら君は……」
と、僅かに眉を顰める。数か月前ファセリア帝国で起こった騒動については、レテキュラータ王国にも報せが届いている。皇帝ヴィクトールは暗殺され、ウルセオリナ地方の領主の跡継ぎも、まだ若い身で戦死したはずだ。
「ああ、いや、いい」
エトワスが口を開き掛けたため、シュナイトは手で制した。彼が本当にファセリア帝国の公爵家の跡継ぎかどうかについては半信半疑だったが、ひとまず全員に聞こうと視線を移す。
「それでは、君達は?」
「インペリアル・ナイトのスイ・キサラギと申します」
「同じく、インペリアル・ナイトのフレッド・ルスです」
2人の言葉にシュナイトは小さく息を吐いた。
「君達は、私をからかってはいないだろうな?」
インペリアル・ナイトと言えばファセリア帝国の皇帝直属の兵だ。次期公爵といい、少し胡散臭く思っていた。
「いえ、まさか」
翠は首を振り、襟元からI・Kの認識票を引っ張り出し、腰のベルトから外した剣と揃えてシュナイトに差し出した。剣だけでなく認識票にも帝国の紋章が刻まれ、I・Kの個人番号、そして名前等が記されている。身分証代わりに示していた。続けてフレッドも翠に倣い同じ物をデスクに置く。
「これは、私個人の紋章です」
エトワスも指輪2つが通されたチェーンを首から外し、翠がデスクに置いたドッグタグの横に置いた。
「それから、こちらも」
と、上着のポケットの中から、預かっていたディートハルトの学生証を取り出してデスクの上に並べた。
「もう学生ではないので効力は切れていますが、身分証にはなるかと」
シュナイトは、デスクの上に置かれた品を無言で手に取った。
「……」
初めにドッグタグを手に取り、続いてファセリア帝国の紋章が刻まれた剣を少し鞘から抜いてみて元通り収めると、エトワスの指輪を確認し、最後にディートハルトの学生証を手に取った。
「どれも、本物らしいな……」
ドッグタグも剣も偽物にしては質が良すぎるし、指輪の方は紋章は調べてみなければ分からないが、2つペアになっている事と、指輪そのものもはめ込まれた宝石も上質でかなり高価な品であろう事から、少なくとも貴族の持ち物だという事は間違いなさそうだった。そして、学生証は、ディートハルトの写真が貼られているため彼の生年月日と何処の学校に在籍していたのかは分かった。
「ファセリア帝国学院騎士科……」
あの少年は、見掛けによらず兵を養成する学校に通っていたのか……と少し驚いてしまっていた。
「ディートハルトも含めて4人とも同級生で、今年の春にファセリア帝国学院騎士科を卒業しまして、エトワス以外の3人は絶妙なタイミングで新人インペリアル・ナイトになりました」
ファセリア帝国で騒動が起こったまさにそのタイミングで。と、いう意味を込めて翠が言う。
「彼も、インペリアルナイトなのか!?」
翠の言葉に、シュナイトは思わず声を上げてしまった。騎士科の学生というだけでも驚いてしまったが、インペリアル・ナイトというのは少なくとも今の彼とは全くイメージが結びつかない。
「今は体調が悪いので弱っていますが、学生の頃は成績も優秀でしたし、銃の腕は学年一でした」
エトワスがそう説明する。
「そうか……。確認させてくれて、ありがとう」
そう言って、シュナイトは、それぞれが差し出した品を返した。
「シヨウ君は、ヴィドール国の人間だと言ったな?」
続いて、シュナイトはシヨウに視線を向けた。
「え?あぁ、はい。俺は、ヴィドール国の、古代に滅びた3種族を研究している“ヴィドール魔物・古代生物研究所”という施設に所属している傭兵です。事情があって失業してしまったので、“元”傭兵ですが」
急に話し掛けられ、気を抜いていたシヨウが少し慌てて答える。
「ヴィドール国とファセリア帝国か。君らの接点が全く分からないな」
シュナイトはそう言って、4人にソファに座る様促した。
「しかし、ディートハルト君と関係があるのだろう?」
シュナイト・W・レトシフォンという人物がどういう人間なのかは分からないが、これから広い西の森で扉の守護者を捜すのに彼の協力は不可欠だった。そこで、エトワスはファセリア帝国内で起きた事の詳細は伏せて、ディートハルトに関係あることだけを説明する事にした。
「ファセリア帝国で混乱が起きて1月半程経った頃、ディートハルトがヴィドールの学者に拉致されてしまい、私達は後を追ってヴィドールに向かったのですが、その際にヴィドール人であるシヨウが救出に協力してくれたのです」
エトワスの言葉に、シヨウは『巻き込まれただけ、なんだけどな』と内心苦笑いしながら頷いた。
「拉致?」
不穏な単語にシュナイトは眉を顰めた。
「ファセリア帝国の騒ぎがひとまず収まった頃、私とフレッド、そしてディートハルトを含めたI・K数名は、隣国のロベリア王国を任務で訪れる事になりました。その時、ヴィドール国の学者達がロベリア王国内の遺跡の発掘のため滞在中で、偶然その学者達とディートハルトが出会ってしまったんです。……閣下は、空の種族が使っていたというラズライトと呼ばれる石をご存知ですか?」
翠の言葉に、シュナイトは遠い記憶を辿った。
「名前だけはな」
確か、妻のシャーリーンが、セレステ特有の青い瞳を“ラズライトの瞳”と呼ぶのだと言っていた気がする。その時は、瞳の色について話題にしていたため石そのものについては詳しく聞いてはいない。
「私達も詳しくはないのですが……」
翠は、ディートハルトが連れ去られる事になった経緯をシュナイトに説明した。
「なるほど……。ヴィドール国は古い時代の文明や人間達を研究し、その技術を手に入れようとしているという話だからな」
シュナイトが腕組みをして眉を顰める。
「はい。ディートハルトも研究対象の実験体として“ランクX”と呼ばれ、ヴィドール国が作り出している兵ドールや、彼らが“地底の種族のなれの果て”と呼ぶ魔物と戦わされる等、様々な事を試され、実験されていました」
翠から話を引き継いだエトワスの言葉を、シュナイトは眉を顰めたまま無言で聞いている。
「なるほどな……」
シュナイトは小さく溜息を吐いた。
「一つ気になったんだが、先程見せて貰った学生証には彼の名前はディートハルト・フレイクと記されていて、君達も彼をディートハルトと呼んでいるが、シヨウ君が“ラファエル”と呼んでいるのはどうしてなんだ?」
ずっと、そのことが引っかかっていた。
「ああ、それは、ヴィドールではそう呼ばれていたからで……」
と、説明するのが苦手なシヨウはエトワスに視線を向ける。
「ヴィドール人の研究員のリーダーでグラウカという名の男がディートハルトを拉致した張本人のなのですが、その男はディートハルトを拉致してすぐ、彼の記憶を奪う薬を使用して、彼がグラウカの弟で名前は“ラファエル”だと、ディートハルト本人と、グラウカの仲間の研究員以外の者達に説明していたんです」
エトワスは、グラウカがディートハルトの記憶を奪う薬を使った理由を含め、ヴィドールでの出来事も丁寧に説明した。
「そうだったのか……」
シュナイトは、溜息を吐いた。最初は、エトワス達ファセリア人の事を、町で自分とシャーリーンの噂を聞きつけ、何か企んで近付いて来たのではないかと勘繰ってしまったが、どうやらその心配は全く無さそうだった。
「これは、偶然なのか……」
エトワス達の話を聞き終えたシュナイトは、4人が退室すると窓辺で暮れかけた空を眺めながら一人静かに呟いていた。
ディートハルトを産んだ女性については聞くのが怖くて確かめられていないが、その女性が誰であろうと、今こうして再び空の種族だという存在が自分の前に現れたのは偶然ではないのかもしれない。そう思った。
『もしかしたら、西の森を預かる自分の宿命なのだろうか……』
過去に西の森で扉の守護者を捜していたシャーリーンは、シュナイトと出会った事で、空の国へ帰る事も扉の守護者を捜す事もやめ、地上に留まりこの地で彼と供に生きることを選択した。もちろん、出産後に頃合いを見て二人でアズールを訪れセレステの子供を聖地に戻し、本人の持つ力と体の調和が取れた後に、改めて地上に連れ帰って二人の子として育てるつもりでいた。
何も言わずに姿を消してしまったシャーリーンとセレステの子供が、その後どうなったのか……無事にアズールへ戻ったのかどうかは分からないが、今、目の前に現れた“ディートハルト”という名の瑠璃色の双眸をしたセレステだという青年を、扉の守護者達の元まで連れて行き無事に空の国へ帰すのは自分の義務だと思った。それに、彼が空の種族だと分かる前から、彼に対してどこか親近感を覚え出来る事なら何とか力になってやりたいと考えていたのは事実だ。そして今もその気持ちに変わりはない。
『今度は見付かるといいが……』
窓の向こうに広がる鬱蒼とした森を眺めながら、シュナイトは首を振った。
「必ず、見付けなければ」
* * * * * * *
夜――。
エトワス、翠、フレッドの3人は、シヨウが滞在中の客室を訪ねていた。
「おう、お前ら」
風呂から上がったばかりのシヨウは、タオルで髪をガシガシと拭きながら出迎えた。
「どうした?ラファエルに何かあったのか?」
シヨウの言葉に、エトワスが首を振る。
「いや、普通に眠ってるよ」
「そうか、良かったな。アズールってとこに行けば、あいつの具合は良くなる……あ!」
と、急にシヨウが声を上げる。
「いやいやいや。俺はヴィドール人だけど、帰国してもグラウカ達に話す気はないぞ!」
そう言いながら後退りする。
「そんな心配はしてない」
「そうだよ。仲間なのに」
「ヴィドールでも、ディー君の事いつも庇おうとしてたの知ってるし」
エトワスに続いてフレッドと翠が言うと、シヨウは訝し気な表情をした。
「お礼を言いに来たんだ。ディートハルトに付いていてくれて、ありがとう。それと、俺の命を助けてくれて、ありがとう」
エトワスの言葉にシヨウは頭を掻く。
「いやぁ、あれは、たまたまなんだよ。お前らが聖域を出ようとしてた時は、何か途中で離脱できなくてよ。俺まで警備兵に狙われてたし、非常階段は狭くて物理的に逃げ場もなかったしな。だから、お前らが町中に散ってった時に、俺は近くの路地裏に避難して戦闘に巻き込まれるのを避けて、騒ぎが収まったら知らん顔して普通にビルに戻るつもりだったんだよ。で、静かになったから帰ろうとしてたら、偶然お前らがそこにいたって訳だ」
と、溜息を吐いてシヨウが腕を組む。
「目が合っちまったんだよ、ラファエルと。お前の名前、ジェイドじゃなくて、なんつったっけ?」
「ジェイドも本名だけど、ファーストネームはエトワスだ」
「ああ、そう。それだ。“シヨウ、エトワスが……”つって、ガキみたいに泣いてたんだよ。どうしたらいいのか分かんねえって、“エトワスを助けて、助けてくれたら何でもする!”っつってな」
シヨウが、ディートハルトの声音を真似る。
「あのおっきな目から涙をボロボロ零してオレの腕を掴んで必死んなってな、“お願い、助けて”って。そんなん、放っておけるか?断れねえだろ?」
と、同意を求める。
「それは、断れないな」
フレッドが眉を寄せ気の毒そうに言うが、シヨウに対してではなくディートハルトに同情していた。
「罪深いな」
当時の状況を思い出して翠も苦笑いすると、エトワスは溜息を吐いた。
「そうだな」
ディートハルトに命の心配を掛けてしまったのは、これで二度目になる。いたたまれなかった。
「いや、オレの事だよ。さっさとドールを始末できてりゃさ。ちょっと、あいつらをナメてたわ」
エトワスもそうだが、自分も罪深いと思っていた翠が言う。
「だから、礼を言うならラファエルに言ってくれ」
シヨウの言葉に、エトワスは首を振った。
「そうだとしても、シヨウに助けられたのは事実だ」
「だね。オレもあの時はダウンしてたし、シヨウ君が偶然でも来てくんなきゃ間に合わなかったかも。それに、地下道なんて知らないからさ、あのまま地上を行ってたら無事逃げられてたかどうかも分かんねえ」
エトワスに続いて翠もそう言うと、シヨウは困った様に小さく笑った。
「だったらそれは、ラファエルにも言ったが、光の神のお導きって奴かもな」