34白の大陸 ~誰にも話した事のない話2~
ディートハルトはレイチェルが用意してくれた蜂蜜の入った温かいホットレモンの注がれたカップを両掌で包み込むように持ち、ぼんやりとその液面を眺めていた。
ディートハルトの周囲にはエトワスだけでなく、彼が呼んだ翠とフレッド、シヨウ、そしてシュナイトとレイチェルまでもが集まって、それぞれ椅子やソファに座っていて既に聞く体勢に入っている。ディートハルトがレテキュラータ王国へ来た目的を話すのを待っていた。
「…………」
エトワスにだけ話そうと思ったのに……。
そう、少し拗ねている。しかし、今さら話さない訳にはいかなかった。
しばらくの間、ディートハルトは居心地の悪い思いで何から話せば良いのか考えていたが、やがて意を決するとヴィドールの西の教会で体験した出来事を皮切りに少しずつ話し出した。
「ヴィドールのセンタービルを脱出した日、真夜中に一人で教会の中庭にいたら声が聞こえたんだ。声って言っても、音が耳に入って来たんじゃなくて、ルシフェルの時みたいに直接頭に響いて来る感じだった……」
サラに話した時と同じく、誰も信じないだろうという思いがよぎったが、少なくともエトワスだけは真剣に話に耳を傾けてくれている事が分かっていたので、サラに話した時とは違い、省略する事も伏せる事もなく順を追って、自分が見聞きした事、感じた事を全て隠さずに話した。
「扉の守護者に会って、アズールへ向かえ?」
「アズールって何処なんだ?聞かない地名だよな」
「ってゆーか、セレステって何?」
エトワス、フレッド、翠の3人それぞれの反応に、ディートハルトは困ったような表情になったが言葉を続けた。
「……おれ、ガキの頃から何度も見てる夢があるんだ。……青の夢」
「青の夢?」
エトワスの言葉にコクンと頷く。
「気が付くと、青い世界にいるんだ。周りには何もなくて……どっちを見ても青い色をしてる。しばらくするとそこが空だって事が分かるんだ。……おれは、その空にいつも一人でいた。でも、そのうちすぐ近くに沢山の人の気配がする。姿が見えないから、どんな奴らなのかは分からないけど、そいつらがおれに向かって『帰って来い』って言うんだ。『お前はセレステだ』、『アズールの民だ』って。……煩いって思ったし、聞いた事のない単語で何を言ってんのか分からないし、何だか気持ち悪くてすっげー嫌だった」
ディートハルトの言葉に、ほんの一瞬シュナイトが表情を変えた。
「でも、その夢は、目が覚めた時は全然覚えてなかった」
学生時代、ディートハルトが『何か嫌な夢を見た』と言って、時折怯えた表情を見せていた事をエトワスは思い出していた。確かに、その度に『どんな夢か覚えてない、忘れた』そう言っていたのも覚えている。あの時の夢が、彼の言う青空の夢だったのだろうか。
「学生の頃にも、よく“嫌な夢を見たけど内容は覚えてない”って言ってたよな。その夢だったのか?」
「うん。その時は、本当に全然覚えてなかったんだ」
ディートハルトが頷く。
「でも、段々……学校を卒業した後くらいから、やっぱりその内容は忘れてるんだけど、何か忘れちゃいけない夢を見たって事は覚えてるようになって……ラビシュの教会で剣の幽霊の言葉を聞いた時に、一気に、今まで何度も見てたその忘れてた夢の内容を思い出したんだ」
「剣の幽霊が話した内容の中に、今までに何度も見ていた夢の中で聞いていた言葉と同じ物が出てきてたから、それがきっかけになって思い出したのか」
エトワスの言葉に、ディートハルトは頷いた。
「そう。“アズール”と“セレステ”って。何の事か分からないけど」
「だから、剣の幽霊の言葉を信じて、ここまで来たんだな」
再び、ディートハルトはエトワスの言葉に頷いた。
「うん。いや、信じたってゆーか、もう何が夢で何が現実なんだか分かんなくなっててさ。おれの頭がおかしいだけかもしれないし、ホント馬鹿みたいだとは思ったんだけど、でも、サラさんに言われて、じゃあ、とりあえずレテキュラータ王国で確かめてみようと思ったんだ。扉の守護者って奴が本当にいるのかどうか。いなかったら、全部夢とか幻で片付けられるし。サラさんの言う通りだなって思ったから」
話をするだけでも体力を消耗するらしく、ディートハルトは少し咳き込んだ。
「大丈夫か?」
すぐにエトワスが心配そうな表情で尋ねる。
「……とりあえずこれで、フレイクがこの国へ来た理由と、捜さなきゃならない奴の事は大体分かったけどさ、フレイクが話した教会の倉庫にあった剣ってのは多分、例の皇帝家の家宝だろ?皇帝家の家宝って幽霊が憑いてたんだな」
気味悪そうにフレッドが言う。ディートハルトが聞いた“声”が幻聴だったとは考えていないようで、エトワスと同じように真面目に話を聞いてくれているのだという事が分かる。
「昔、その剣で斬り殺された空の種族だったのかな」
初めて剣の幽霊の言葉を聞いた時のディートハルトと同じ事を考えた翠が、のんびりと言う。一番信じる事がなさそうだと思っていた翠までディートハルトの言葉を信じている様子に、ディートハルトは嬉しくなった。
「おれも、あの剣で殺された奴なのかもって思った。恨んでて、死んでも死にきれねえから憑いてんのかも」
ディートハルトは、剣の幽霊がルベウスと名乗り、ファセリアの初代国王との契約に基づき皇帝家の血筋の者を護っている……と語った事は綺麗さっぱり忘れていた。幽霊だという事の方が彼にとっては衝撃的で、ほとんど聞き流していたからだ。
「そうだとしても、親切な幽霊じゃないか。ディートハルト、その幽霊は他には何か言ってなかったのか?」
はっきり言ってどうでも良い内容に話がそれ始めていたので、エトワスが軌道修正した。
「いつまでに探せとか。扉の守護者の具体的な特徴とか名前とか、森のどのあたりに住んでいるのか、そもそも何処の扉の番人だとか」
エトワスに問われ、ディートハルトはしばらく考え込んでいたが、やがて首を横に振った。
「いつまでに、は、“近い将来死ぬことになる”としか言わなかった。あと、扉の守護者の事も、ただ、レテキュラータの森に住んでるってだけ」
「じゃあ、セレステっていうのは何なのかとか、アズールって場所がどこなのかとかは?」
「……何も言ってなかったと思う」
記憶を辿り、やはりディートハルトは首を左右に振った。
「情報提供する気なら、詳しく話せばいいのに。出し惜しみしやがって」
舌打ちしそうな雰囲気で低く独り言を言うエトワスに、ディートハルトは一瞬固まった。
「……(エトワスって、怒らせると怖ぇよな……)」
「幽霊さんにも幽霊さんなりの事情ってのがあったんじゃないの?ってゆーか、ディー君が思いっきり逃げモードで、ぜんぜん他人様の話を聞こうとしなかったから、とりあえず逃げられる前に一番重要なとこだけ伝えたとか?」
「あぁ、それはあるかも。幻聴だと思ってたから真面目に聞く気は全く無かったし、実際逃げようとしてたから」
「ほらね」
ディートハルトはあっさり頷き、翠が苦笑いする。
「じゃあさ、夢の中でいつも会うって人達に聞いてみればいいんじゃないか?似たような事言ってんだろ、幽霊と」
フレッドの提案に、ディートハルトは「無理だ」と答える。
「最近、夢に出てこねえんだ。声も聞こえない。……あんなに煩かったのに」
「仕方ないな。じゃあ、森に入って捜してみよう。それで脈がなさそうなら、誰か一度ファセリアに戻って幽霊の憑いた宝剣を借りてくるしかないな」
エトワスがそう言った時、それまで少し離れた場所に座り黙って話を聞いていたシュナイトが、ゆっくりとベッドに歩み寄ってきた。そして、徐にディートハルトに尋ねた。
「……君は、空の種族なのか?」
「え?」
何か強い感情を押し殺しているような彼の声音と視線に、ディートハルトは困惑してシュナイトの顔を見上げた。
「”セレステ”と、呼びかけられたのだろう?」
思わず反発してしまいそうになったが、シュナイトの瞳が真剣な事に気付き、正直に事実を伝えた。
「自分では分かりません。ヴィドール人に会うまでは知らなかった、と言うか、人間に色んな種類があったなんて話、聞いた事もなかったし」
そう言ってディートハルトはエトワスの顔を見上げた。聖域に研究員として潜入していた彼の方が、自分よりも詳しい話を聞いているはずだからだ。
「ファセリア帝国には古代に存在し滅んだと言われる3つの種族の話は全く伝わっていないんです。そして、彼の事は、ヴィドール国の研究者達は、程度は分からないけど空の種族の血が混ざっているかもしれない、と言っていました」
エトワスがそう答える。
「そうか。しかし、もしセレステだとしたら……」
シュナイトは眉を顰め、ディートハルトの瑠璃色の瞳に視線を注いだ。
『左右とも青、か……。全く存在しないとは言ってはいなかったが……』
シュナイトは口を閉ざし、ディートハルトの瞳をジッと見る。
『おれは何か、このオッサンを怒らせるような事を言ったか?』
急に黙ってしまったシュナイトに気味悪くなったディートハルトは、視線はシュナイトに向けたまま無意識に傍らにいるエトワスの服の裾を掴んでいた。
『もしかして、グラウカ達と同じで、滅びた種族とかってのに異常に興味があるとか?』
エトワスは、明らかに警戒し始めているディートハルトの腕を安心させるように軽く叩き、彼に代わり尋ねた。
「セレステとはどういったものなのかを、ご存知なのですか?」
「多少、な」
溜息でも吐きそうな表情でシュナイトが頷く。
「この国にも、3種族の話は伝わっていない。しかし、私は事情があって空の種族についてだけは少し聞いた事があるんだ」
一度言葉を切り、シュナイトが話し出す。
「空の種族の中には強い力を持った一握りの者達が居て、その者達の事を”セレステ”というらしい。アズールというのは、セレステを始めとする空の種族が住む国の名だ」
一瞬、エトワスの服を掴んだままのディートハルトの手がピクリと震える。
「それでは、空の種族も、その国も、今なお存在しているという事ですか?」
エトワスの問いにシュナイトが小さく笑う。
「私がその話を聞いたのは20年以上前の事だからな。少なくとも20年以上前は、という事になるが」
「グラウカ達が聞いたら、狂ったように喜ぶだろうな」
壁際のソファに座りホットレモンを飲んでいたシヨウが、ボソリと言って小さく笑う。
「剣の幽霊というのが何者なのかは分からないが、君がこの国の森で捜すよう指示された”扉の守護者”というのは、空の種族の国アズールへ続くという扉を守護している者達の事だろう。私にはその扉が何処にあるのかは分からないが、扉の守護者が知っているはずだ。とはいえ、私は実際そういった者達に会った事もないし森のどの辺りに住んでいるのかも分からないが、あの森の中にいるという話は私も聞いた」
エトワスは、ヴィドールでグラウカやレイシが口にしていた言葉を思い出していた。彼らも”空の都”を捜していると言っていた。”空の都”とは、アズールの事である可能性が高い。そして、”鍵”と呼ばれる空の都への”案内人”についても話していたが、”鍵”は”扉の守護者”とはまた別ものなのだろうか?彼らによれば、”鍵”はルシフェルが候補だと言うことだったが……。
「”扉の守護者”の他に、”鍵”と呼ばれる空の都への案内人についての話を聞いた事がありますか?」
エトワスの問いに、シュナイトは少し考えた後、「いや」と首を振った。
「それって、ヴィドールの研究員が話してたってやつだよな。ルシフェルが候補だっていう」
フレッドと翠も、エトワスにその話は聞いていた。
「ああ」
「扉を護ってるくらいだから、その番人さんとこに鍵もあるんじゃね?あれ?”いる”だっけ?」
ワケ分かんねえ、と、少々苦笑いぎみに翠が言った。
「……それにしても。森に住む人間を捜しているという事は聞いていたが、まさか、君が捜しているのが、アズールへ続く扉の守護者達だとは思いも寄らなかった」
シュナイトが、少し愁いを帯びた表情でディートハルトに視線を注いだ。ディートハルトの方は先程から茫然とシュナイトの顔を見上げたままだ。
「君は……」
聞きたい事が幾つもあったが、シュナイトは言葉を呑み込んだ。新たに得た情報に戸惑っているらしい不安げな瑠璃色の瞳を見ると、何も言えなくなってしまう。というより、目の前の青年の意外な正体に彼自身も戸惑っていた。
「こんなに簡単に分かるんだったら、初めからちゃんとこの国に来た理由とやらを話してくれてりゃ良かったのに」
俺の苦労は一体なんだったんだ、とでも言いたげにシヨウがぼやいた。その言葉にディートハルトはハッとする。
「……そう、だよな」
やっぱり、おれは迷惑をかけてる……。そう思い、ディートハルトはシュンとした。
「自分でも現実かどうか分からない話なら、他人に話す前にまず自分で確かめてみようと思うのは悪い事じゃないだろ。多分、俺もそうする」
シヨウへ対して幾分鋭い視線を投げながら、”ディートハルトを責めるな”と婉曲的に言うエトワスに、シヨウだけでなく翠とフレッドも苦笑いしている。
「まあ、良かったじゃないの。閣下のお陰で、剣の幽霊の話は現実で、ディー君が幻を見た、あ、聞いた?訳じゃないって事も分かったし、捜さなきゃならない人達の事も分かったんだしさ。それだけでもかなりスッキリしたじゃん。早く帰っておいでーって言われてんのは、やっぱ生まれ故郷じゃないと治療できないって事だからだろうし。きっと、帰郷したら元気になるって事だろ。レトシフォン閣下に大感謝だよなぁ」
と、翠がディートハルトに笑いかけた。
「生まれ故郷じゃねえよ。おれが生まれたのはファセリアだし」
翠の言葉にディートハルトはポソリと抗議する。自分は、同じファセリア人だ。そう言いたかった。
「ああ、そう。じゃあ親かご先祖様の出身地?」
翠の言葉に、ディートハルトではなくシュナイトが口を挟む。
「君は、ファセリア帝国で生まれたのか?それは確かなのか?」
「……はい」
ただならぬ表情で尋ねるシュナイトに、ディートハルトは不審げに頷いた。
「ファセリア帝国で生まれ育ち、自分が空の種族だという事も、アズールという国が存在するという事も知らずに今まで過ごして来たんだな?」
さらに念を押すように確認され、ディートハルトは再びゆっくりと頷いた。
「そうです」
「それでは君の……」
君の親は存在するのか?どうやって産まれた?
シュナイトは続けて質問しようとしたが、思い直して口を閉ざした。目の前に居る”セレステ”と呼び掛けられたという空の種族の血を引く青年に、確認したい事が幾つかあった。しかし、立ち入った質問で、彼の今までの人生を覆していまいかねないような事になるのは気が引けた。
「……」
考え込んでいたシュナイトは、瑠璃色の瞳が言葉の続きを待ち、じっと自分に視線を注いでいる事に気付いた。
「ファセリアで生まれ育ったという事に、何か問題があるのですか?」
ディートハルトではなく、エトワスがそう尋ねる。
「ああ」
シュナイトは頷いた。長い間何も知らされずにいたというディートハルトが生まれ育った環境が気になるが、とりあえず今は、現在の彼に必用と思われる情報のみを口にする。
「彼が、ただ空の種族の血を引くというだけでなくセレステであるなら、地上で産まれ育ったという事に問題がある」
聞きたいような、聞きたくないような……と、不安げに眉を顰めながらも、ディートハルトはシュナイトの鮮やかな若葉色の瞳を見上げていた。
「君がセレステで、それが事実なら、君は本当に一刻も早く扉の守護者を捜し出し、アズールへ行かなければならない」
シュナイトは僅かに目を伏せ一度言葉を切った。それはもう随分前に、彼の妻であった女性が彼に語って聞かせた言葉だった。
「セレステは、アズールにある“聖地”と呼ばれる場所の卵の中で長い年月を過ごし、それから生まれてくるという。しかし、生まれるまでに必用とされる充分な時を聖地で過ごす事の出来なかったセレステは、そのまま成長すると自らの持つ強い力と身体の均衡が保てなくなり、やがて自滅してしまうそうだ。だから、そうなる前に早急にアズールの聖地へ行き一度休眠を取りなおす必用がある。そう聞いている」
『自滅……』
それは、やはり近い将来の確実な死を意味するのだろうか。エトワスは眉を顰めた。しかし、既に幽霊によって死を宣告されていた当の本人は、別の事に衝撃を受けていた。
『卵の中でって……おれは、タマゴから生まれたのか???って事は、”おれを産んだ人”は、タマゴを産んだのか!?……じゃあ、”おれの生まれたタマゴを産んだ人”??』
ディートハルトは鳥類のような卵ではなく、昔、図書室に置いてあったホラー漫画で見たグロテスクな怪物の卵を思い出していた。猛毒を吐き、鋭い歯で人間も頭からガリガリ食べてしまうという恐ろしい怪物の卵だ。どう見ても腐っているようにしか見えない粘液に護られたおぞましい卵から、不気味な産声を上げて這いずり出てくる怪物の幼体……。人間が手で触れようものなら一瞬にしてその毒で手が腐り骨まで解け落ちてしまうか、あっという間に補食されてしまう。
『だから、ランタナの奴らはおれの事を嫌ってたのか?』
この事実を供に聞いた友人は、気色悪くて禍々しい卵から生まれたという自分の事を一体どう思っただろうか?ディートハルトは不安になり、エトワスの顔を窺うように恐る恐る見上げた。やはり、化け物だと思われたのではないだろうか……。
「エトワス、おれ……」
まさか卵の事で思い悩んでいるとは知りもしないエトワスは、不安げな瞳で自分を見上げているディートハルトを安心させようと笑顔を作った。
「大丈夫、心配ないよ。すぐに扉の守護者を捜そう」
「……」
おれの事、やっぱり化け物だって思ったよな?そう尋ねる事はできず、ディートハルトはただ無言で頷いていた。
「あの~。話、戻していいスか?」
腕組みをして何やら考え込んでいた様子の翠が、口を挟む。
「”卵の中で”って仰ってましたけど、それって”ハラの中で”じゃなくて?まさか空の種族って鳥みたいに卵を生むって事ですか?」
どうやら翠も、卵がひっかかったらしい。ディートハルトは眉を寄せた。出来れば触れないでいて欲しかった話題だ。
『余計な事聞くな!バカ翠!』
ディートハルトの心の叫びもむなしく、シュナイトはすぐにその問いに答えた。
「セレステは、聖地に自然発生した卵から生まれるらしい。いや、逆だ。両親というものを持たない、聖地に自然発生する卵から生まれた空の種族達を”セレステ”と呼ぶらしい。それ以外の一般的な空の種族達は、我々と同じように両親を持ち、卵ではなく母親の胎内から赤ん坊として生まれるそうだ」
『あれ?』
シュナイトの言葉に、ディートハルトを始めファセリア人全員が内心首を傾げていた。
「それじゃ、おれは”セレステ”じゃない。おれを産んだ人は居るし。その人の事は、赤ん坊を取り上げた医者がよく話してたし」
他人事のような口調でディートハルトはそう話した。
シュナイトが疑問に思っていて、尋ねたかった事の答えの一つがそこにあった。
「……希に、セレステも母親代わりとなる者から産まれる場合がある」
シュナイトはそう言って一度言葉を切り、ディートハルトの瑠璃色の瞳に視線を注いだ。そして、遠い記憶を探り話を続けた。
「セレステの卵には、聖地に発生した時点で巫女が必ず一人付き、無事卵から生まれるまで護っているらしい。孵化してからは、ある程度成長するまで世話をする。……巫女には、卵を護るための様々な能力が備わっているというが、卵が危険に晒された場合、卵の中のセレステの生命をその胎内に取り込み、自らが卵の代わりとなる事も出来るそうだ」
「……」
シュナイトの話が理解出来ないのか、ディートハルトはぼんやりとシュナイトの顔を見上げていた。
「君がセレステであるなら、聖地で自然発生した君の卵は何か危険な状態になったため、巫女が卵の代わりとなり出産したのだろう。本来ならアズールで産まれるはずが、何らかの理由で巫女はその前に地上に降りて、君はファセリアで産まれたという事になる」
「……」
しばらく沈黙していたディートハルトは、自分が空の種族などではないと反発する要素が何もなくなってしまっている事に気付いた。逆に、思い当たる事は多い。
「……そっか。だから、おれには父親がいなかったのか……」
やがてゆっくりと一回瞬きし呟くように言った。納得しているのか、拍子抜けしているのか、自分でもよく分からなかった。
「……なんだ。じゃあ、別におれは間違いで出来たガキとかじゃなかったんだ」
今までずっと、自分を産んだという女性を軽蔑し続けてきていたが、それは誤解だったようだ。
悪いことをした……。
急に自責の念が強くなる。顔はもちろん、存在すら記憶にない相手を自分はずっと蔑み嫌い、呪っていた。シュナイトの話が事実なら、ただ聖地の巫女だというだけで自分を危険から護ってくれた女性をだ。
「君を産んだ人は、何も教えてくれなかったのか?」
あまり幸せでは無かった幼少時代を匂わせるディートハルトの言葉に、シュナイトは眉を顰めた。
「……おれを産んだ人は、おれを産んで3ヶ月経たないうちに亡くなったそうです」
泣きたいのを堪えているのか、ディートハルトは俯いたまま微かに震える声で答えた。
『お前を産んだせいで彼女は死んだ』
そう、何度も話していた養父の憎悪に満ちた顔を思い出す。
「だから、話をする以前に顔も覚えていないし、空の種族とかセレステがどうのって話も全く聞いてません」
視線をシュナイトに戻したディートハルトは、シュナイトが複雑な表情をして自分を見ている事に気付いた。
「……(何で、そんな目で見るんだろう?)」
憐れんでいるのか、同情しているのか……。色々教えてくれたのはありがたいし、世話になっている事には非常に感謝しているが、どちらにしても少し困ると思った。同情されるのは嫌だった。
「閣下……」
控えていたレイチェルが、気遣うように主を呼ぶ。
「……」
つい先程まで、シュナイトはこの目の前のセレステだという青年は、自分の正体を知らなかったにせよごく普通の人生を歩んできたのだと考えていた。母子家庭だったかもしれないし、養父がいたかもしれないが、その与えられた環境で大切に育てられ大きくなったのだろうと。だから、彼の生い立ちについて深く質問する事を躊躇った。知らなくても良い真実のせいで彼が傷つくかもしれないと思ったからだ。しかし、彼を産んだ女性は早くに亡くなり、父親もいなかったと発言した。それでは、彼は誰に育てられたのだろう?やはり不幸せな幼少時代を過ごしたのだろうか?尋ねたい事が次々と溢れ出して来る。
何より聞きたいのは、産んだ女性についてだった。彼の名がラファエルではなく本当はディートハルトだという事は、彼が眠っている間に友人だというファセリア人達から聞いていた。それは、シュナイトの妻が身籠もっていた子供……巫女の能力を使い、胎内に取り込んだセレステの赤ん坊が生まれたら付けようと、二人で決めていた名前だ。
セレステである事、名前の一致……これは、偶然なのだろうか?
……亡くなったという、君を産んだ女性の名は?
「大丈夫か?」
シュナイトが口を開きかけたとき、再び彼の仲間が心配そうに声を掛けている姿が目に入った。ディートハルトは身を起こしてはいるが、重ねた枕に怠そうに体を預けている。長く話したせいだけではなく、話の内容が彼を消耗させたのかもしれない。
シュナイトは質問する事をやめ、レイチェルに声を掛けると彼の友人達のために客室を用意するよう指示を出した。彼の話を疑っている訳ではないが、名前と生い立ちに関しては、噂を知っていてそれを利用し、自分を騙すつもりだという可能性が全くないとは言いきれない。
「話は止めて、そろそろ休んだ方が良さそうだな。……明日にでも、また森に入り扉の守護者を捜そう。私も協力する」
シュナイトは複雑な思いを抱いたまま、セレステの青年の部屋を後にした。