表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
LAZULI  作者: 羽月
29/77

29青の呼び声 ~イシ2~

 窓から差す朝の陽光が、大理石で作られた有翼の像をぼんやりと照らし始めている。夜が明けたばかりで未だ薄暗い礼拝堂の中に、この教会の祭司を務めるサンヨウが姿を現した。いつもならこの時間にはまだ信者の姿はなく、並んだ木製の椅子だけがひっそりと並んでいるのだが、今朝は前から1列目の神の像の正面の席にポツンと1つ人影があった。まるで光の神が見つめているようにも見えるその視線の先に、俯いて座っている。祈っているのではなく眠っているようだった。

そのままでは倒れて床に落ちてしまいそうだったので、サンヨウは左右の椅子をピタリとくっつけて置き、起こさないよう気を付けて体を横にして寝かせてやると、部屋に戻り取って来た毛布をそっと掛けてやった。


「やあ、おはよう」

サンヨウが礼拝堂の中を掃除し終えて陽光が少し強さを増してきた頃、椅子の上で眠っていたディートハルトは目を覚ました。剣の幽霊の一件をサラに話した後、リカルド達のいる部屋に戻る気にはなれず、何となく立ち寄ってしまった礼拝堂に座っていたのだが、いつのまにか眠ってしまっていたようだ。

「部屋が狭すぎて、眠れなかったかな?」

祭司というよりファイター向けの立派な体格をしたサンヨウは、渋みがありよく響く低い声の持ち主だった。

「……」

サンヨウの言葉にゆっくりと顔を上げ、ぼんやりとした視線が祭司の赤茶色の瞳を捉えた。よく日焼けした顔に真っ白な歯が印象的で、この暑い国の太陽を思わせる様な力強さも感じる。

『……この人、絶対、滅茶苦茶強いよな』

この祭司なら、きっとランクCを筋力で締め上げて瞬殺できるに違いない。そう思ってしまう程、屈強な印象を受ける人物だった。

「君は……」

祭司の方もディートハルトの容姿に何やら思う所があったらしく、軽く目を瞠っている。明るい光の下で見る瞳は、その鮮やかな瑠璃色の虹彩に紫がかった水色の煌めきを宿しているように見えた。それは、サラが露店で売っていた石が陽光を受け光を散らしている状態によく似ていた。体調が悪いせいで顔色が悪い分、余計に目だけが際立って鮮やかに見えている。

「天使の涙……」

サンヨウの呟いた言葉にディートハルトは怪訝な顔をする。グラウカから“ラズライト”という言葉は聞いていたが、“天使の涙”という異名は知らないからだ。

「あ、おれ、いつの間にかここで寝てしまって……」

毛布と寄せられた椅子に気付いたディートハルトがそう言うと、サンヨウは笑って神の像を見上げた。

「構わないよ。神様も全然気にしてらっしゃらないから」

「……この像が、光の神様なんですか?」

サンヨウの視線を追いディートハルトも像を見る。ここが光の神の教会だと言う事は聞いていたが、ディートハルトはそれが空の種族だという事は聞いていなかった。

「ああ、そうだよ」

一つ席を空け、祭司はディートハルトの横に腰を下ろした。

「空の種族は一対の翼を持っているらしいんだが、この像は翼の数が多いだろう?その辺で神らしさを表現してあるんだ」

「……」

像について何となく質問してみたものの、ディートハルトは特に何も感想を抱かなかった。

「古代神話を知ってるかい?」

「……4種族とか出てこない、人間は神が作ったものだとかって話なら」

ファセリア大陸で一般的な大地の神を信仰する宗教では、人間は4つの種族には分かれていない。ディートハルトが生まれ育った町ランタナでお世話になった神父も、大地の神の信徒だった。

「じゃあ、この大陸に伝わる4種族の話をしてあげよう」

ディートハルトの返事を待たず、祭司は神の像を見上げたまま口を開いた。

「遥か昔、まだ空間に光と闇しか存在しなかった頃……」

サンヨウのゆったりと歌うような声が礼拝堂の中に響き、創世の神話を語り始める。その瞬間、ディートハルトは何だか眠気が襲ってくるのを感じていた。全く興味がなかったからだ。

『……ダメだ』

それでもなんとか堪えサンヨウの話に耳を傾けていると、何もなかった世界に神の手によって大地や海が作られ、話が始まってからしばらくすると4つの種族が出てくるところまで行き着いた。


 昔、人は4つの種族に別れていた。


光の神の使徒とされ、光と風、そして翼や羽根を持つ生き物を操る力を持ち、空に住む”空の種族”。

闇の神の使徒とされ、闇と地、そして闇に属する魔物達を操る力を持ち、地底に住む”地底の種族”。

水そのもの、および水棲の生き物を操る力を持ち、水中もしくは水辺に住む”水の種族”。

そして、特殊な力を何も持たない地上に住む”地上の種族”。


この、現在の人間達の祖先とされる”地上の種族”は4種族の中で圧倒的に数が多く、地上の至る所に集落を作りその勢力を伸ばしていた。そして、他の3種族の様な意味で操れはしないが火を使う種族だった。


 ”空の種族”と”地底の種族”は互いの性質上、相反する存在とも言えるため交流を持つ事は全くと言っていいほど無かった。そして、”水の種族”は排他的な傾向を持つ者が少なくなく、他の種族と接する事は殆どなかった。

唯一、特殊な力を持たない”地上の種族”のみが他の3種族と積極的に交流を持ち、それぞれの種族が持つ特殊な力を分け与えられ、その恩恵に預かっていたという。現在”魔法”や”魔術”と呼ばれる属性の力は、その名残なのだそうだ。


「……」

ディートハルトは溜息を吐きたいのを堪えていた。神話なんて興味ないのに……。そう考えているディートハルトの隣で、祭司は歌うような口調で話を続けている。


 4つの種族達は、それぞれが暮らす地で栄え長い間世界の均衡は保たれていた。しかし、今からおよそ3000年程前、”地底の種族”達が、突然魔物を率いて勢力を地上にまで伸ばしてきた。一説では、”地上の種族”達が数を増やし、水と地底の種族の領域にまで進出しすぎたのがその原因とされているが、地上を侵略させまいとする”地上の種族”との間に戦争が勃発した。

”地上の種族”達は数こそ勝ってはいたが、敵の闇・地・魔物を操る力に押され、約500年の間に絶滅寸前にまで追い込まれてしまった。しかし、それまでは我関せずといった態度を決め込んでいた”空の種族”が、”地上の種族”達の側についた事により戦況は一変した。

不意を突かれた”地底の種族”達は、手を組んだ空と地上の2種族に敗れ、その時絶滅してしまったと言われている。また、”地上の種族”に手を貸した”空の種族”も、その多くが地底の種族の餌食となり、その後200年も経たないうちに完全に姿を消してしまったという。

これにはいろいろな説があり、戦争によって、特殊な力を持つ他種族に恐れを抱いた”地上の種族”が”空の種族”を裏切り、汚い手段を用いて闇討ちをかけたとか、”地底の種族”の属する闇の神が報復のために“空の種族”滅ぼしたとか、そうではなく、全ての生き物たちの頂点に立っているかのような”地上の種族”達の傲慢な態度に愛想をつかした”空の種族”達が、見限って”地上の種族”達の前から姿を消した等と言われているが、争いを忌み嫌いまた恐れて姿を隠してしまった”水の種族”も含め、”地上の種族”以外の3種族は今からおよそ2300年前を境に世界から姿を消してしまったのだという。


「我々光の神の信者は、神話では光の神の使徒とされている“空の種族”を、光の神と同一の存在だとみなしているんだよ。そして、空の種族達は地上の人間に愛想を尽かし自ら姿を消したという説を信じているんだ。我々が犯した罪を悔い改め、心を清くし、善行を積む事によって、いつの日か空の種族達が地上の種族の元へ戻って来ると考えている」

サンヨウの言葉に、ディートハルトは単純に疑問を感じていた。

「戻って来たら、どうするんですか?」

まさか、グラウカみたいに利用するつもりだろうか?そう思っていた。一方、予想外の質問だったのか、サンヨウは一瞬目を丸くした後、豪快に笑い出した。

「それは考えた事がなかったな。まず丁寧に詫びて、そうだな……我々人間のために何かお告げをくださるようお願いしてみようか」

『……お告げって、空の種族は“人間”なのに。きっと、自分の事で手一杯だと思うけど』

ぼんやりと前を見据えたまま、ディートハルトはそう考えていた。



* * * * * * *


「つまらないな……」

長椅子にゆったりと身を沈めたルシフェルは、風に乱された長い黒髪を右手でかきあげた。

強い風が部屋の中を吹き抜けていく。しかしその風は、何の香りも含んではいなかった。

「えっ、あの、じゃあ、何か欲しいものがありますか?」

彼の小さな独り言を聞いた若い研究員が、本の山を抱えたままビクビクしながら申し出る。

「気にしなくていいよ。何もいらないから」

そっけなく返ってきたその言葉に、研究員――レイシは密かにホッと胸をなで下ろした。

ランクAの実験体は、ランクXのように不安定で凶暴化する事はないが、つい昨日ランクXを捕食しようとしたと聞いている。この部屋が滅茶苦茶になっているのはその時の騒ぎのせいらしい。レイシ一人ではなく、ファイター二人も近くに居て部屋の片づけを手伝っているのでとりあえずは安全だと思うが、なるべくランクAの機嫌を損ねるような事はしたくなかった。

「でも、そうだね。強いて言えば……。ラファエルを連れ戻して、ここに連れてきて欲しいけどね」

「そ、それは、今ファイター達がラビシュ内を捜してるところで……」

レイシはしどろもどろに答えた。

『まさか、ジェイドがランクXを逃がすなんて……』


 今朝、出勤直後にグラウカから聞かされた話は、あまりにも衝撃的だった。つい昨日までは同僚だった人物が実験体を逃がしてしまい、自らも姿を消してしまうとは。その上、ヘーゼルに惨い傷を負わせただけでなく自分も重傷を負い、その生死も定かではないという。レイシとしては親しみを覚えていた相手だったため、その心境は複雑だった。

『グラウカさんの話じゃ、ランクXもジェイドもファセリア帝国の兵士だったって言ってたけど……』

ランクXが実はファセリア帝国の兵士だったということには驚いてしまったが、ジェイドの正体については納得出来る話だった。彼の話した研究員を志望した“このビルで働きたかった”という理由も、魔物との戦いに慣れていると発言した事も、細かな部分は置いておくとして辻褄が合うし、実際、地下の魔物達を目にしてもランクCと対峙しても恐れている様子はなかった。

『友達だと思ってたんだけどなぁ。だけど、ジェイドにとっては、仲間を攫った僕達は敵だったんだよなぁ……』

と、小さく溜息を吐く。

ジェイドが姿を消した昨日、いつもの様に食堂で二人一緒に昼食を取ったのだが、その時ジェイドが『レイシ、本当に色々ありがとう』と言って笑顔を見せた。それはちょうどメニューを見ていた時で『これはすごく美味しいよ』と教えた直後で、当然その事に対しての言葉だと思ったのだが、今考えると違ったのかもしれない。その日の夜に姿を消し、二度と会わなくなる事を踏まえた上での別れの挨拶だったのだろう。

『怪我って、大丈夫なのかな。ヘーゼルさんは、“腹を刺してやった”って言ってたらしいけど。無事だったらいいな……』

レイシは再び溜息を吐き、抱えていた重い本を一冊ずつ壁際の本棚に収めた。

ランクAの実験体、ルシフェルの部屋を片付けるようグラウカに言い付けられてから2時間程が経っている。その部屋は元々かなり散らかっていたようだが、昨夜のランクXとの騒動で今は嵐の後の様な状態になっていて、机や椅子等といった家具は壊れてバラバラになり、ページの破れた大量の本と供に床に山積みになっていた。

『この出入口……どうするんだろ』

特に酷いのは部屋の出入り口だった。部屋の中から外へと吹き飛ばされ扉ごと外れてしまっている。周囲の壁は焼け焦げ、扉が取り付けられていた金具はねじ曲がっていた。扉が無いおかげでランクAも彼以外の誰でも自由に出入り出来る状態になっていて、おまけに風通しが非常に良くなっている。

「まあ、いいさ。ラファエルはファセリア帝国の出身らしいから、ファセリア帝国に行けばまた会えるかもしれないし、そうでなくても、遺跡から空の種族の国に行けるかもしれないしね」

そう話すルシフェルも、予定通り数日後にはグラウカ達とファセリア大陸へ渡る事になっている。空の種族の国に行けたなら、彼の獲物はいっぱいいるだろう。

「え?あ、はい。そうですね!きっと行けますよ!」

ルシフェルの独り言に律儀に答え、レイシが慌てて同意する。

「楽しみだよ」

ルシフェルはその赤い瞳を細め、笑うように僅かに唇の端を上げた。



 同時刻――。


「昨夜のうちに姿を消した者達が全員ファセリア人だったのなら、潜り込んでいたファセリア人は11人のようです。ファイター2名、食堂のスタッフ2名、警備兵3名、清掃員3名、そして研究員1名」

最上階にいるグラウカは、形だけ畏まった様子で目の前の人物にそう告げた。彼の前の大きな椅子に腰を下ろし淀んだ目で見据えているのは、くすんだ灰色の髪をして髭を蓄えた恰幅の良い男だった。酒の入った盃を手にした豪奢な衣服を纏った彼の周囲には、同じく派手な装いで露出度の高い若い女たちが数人いて思い思いに寛いでいる。

「11人もか!?ファセリア帝国め、(たばか)ったか」

しゃがれた声で不機嫌そうに吐き捨てた男の名前はガルガ。ほとんどその姿を表に現さない名ばかりのヴィドールの君主だった。

「あぁ、いえ。私達が捕獲し実験体としていたランクXは、インペリアル・ナイトと呼ばれているヴィクトールの兵でして。ですから、潜入したのも恐らくヴィクトール側の兵かと」

グラウカはそっけなく言って肩を竦める。

「アーヴィングの方は、私達がインペリアル・ナイトを捕獲した事も知らないでしょう。約束通り遺跡調査と発掘品の持ち帰りを審査なしで許可していますし、非常に協力的です」

「何?ヴィクトールは、死んだのではなかったのか?」

「そのはずですが。ヴィクトールの指示ではなく、自分達の判断で、仲間であるランクXを奪い返しに来たという可能性もありますし」

どうでもいい、とでも言いたげにグラウカが答える。

「今のところ、我々がファセリア内で行う活動に影響はありませんので、何も問題はありません」

グラウカの言葉にガルガはフンと鼻を鳴らした。

「しかし、ランクXだけでなくランクBのまで奪われたのであろう?充分影響が出ているではないか」

ガルガの言葉に、グラウカは隠そうともせず不快げに眉を顰めた。

「残念ね。ガルガ様は珍しいものがお好きでいらっしゃるのに」

酒の入ったグラスを傾けていたきつい化粧の長い黒髪の女が、そう言ってクスクスと笑う。

「確かに、水の種族の子供は惜しい事をしました。ですが、ランクXの方は奪い返しに来る程価値のある者だったとは……」

「ファセリア人の潜入を許し、簡単に奪われておいて何を言うか。実験体だけでなく、ラズライトまで奪われたのだろうが」

叱責されたものの特に悪びれた素振りも見せず、グラウカは「はぁ」と頭を下げた。

「その件は、警備を強化するよう担当部署にご命令頂ければと。特に地下の方は……」

管轄外だ、そう言いたげなグラウカの言葉をガルガは苛立った様子で遮る。

「ラズライトが無ければ、ランクの低い実験体は制御出来ないのではないのか?飼育場から逃げ出してビル内に溢れたらどうする」

「そのような時のためにファイター達がいるんです。それに、現在のところ特に問題はありませんし、その件に関しましても私ではなくドグーに仰ってください」

奪い返されたラズライトの飾られた剣はともかく、自分達で苦労して世界中から集めたラズライトもランクXのおかげでかなり消失してしまった……。グラウカは思い出し苦い表情になった。

「残ったランクAはどうしている?」

「ルシフェルは大人しく部屋にいます。彼は大丈夫です。私たちに逆らう事はありませんので」

「どうだか」

ガルガは鼻を鳴らした。

「予定通りの日程で、ルシフェルを連れファセリア大陸へ向かいます。今回の遺跡からは扉らしきものが見つかったとの情報も入っています。ルシフェルは鍵となる可能性が高いですので道は繋がるはず。ランクXやランクB等とは比べものにならない程に価値のある収穫が期待できるかと。沢山の空の種族を連れ帰るつもりです」

高層階の大きな窓からは、砂を含んだ風のせいで黄色っぽく霞んだ町並みがオモチャの積み木の様に見えている。

「空の印を持つ者あらば、扉は開かれん……か」

およそ7年前、ヴィドール大陸の遺跡で発見された古びた書物にそう記されていた。古い文字で書かれていたため解読するのに3年を要した。

「地底の種族の血を濃く引くランクAが、空の都への鍵になり得ればの話だな」

自信ありげに笑みを浮かべるグラウカとは対照的に、ガルガは冷めた様子で窓の外に視線を投げていた。



* * * * * * *


 ディートハルトは祭司のサンヨウから長い神話を聞き、彼が去って行った後もまだぼんやりとしてそこに座っていた。色々な事がありすぎたせいか、何だか全部が夢の様な気がしていた。

「あ、居た。ディー君、エトワスんとこに行くよ」

突然、声が響く。礼拝堂にやって来た翠は、ディートハルトの姿を見付けるとすぐにそう言った。

「え!?」

「大丈夫。心配ないよ」

容体が急変でもしたのかと、血相を変えて弾かれたように立ち上がったディートハルトの頭に翠がポンと手を乗せる。

「昨夜、ルーサー先生がちゃんと処置してくれたから命には別状ないらしいよ」

安心させるために言うが、ディートハルトの顔からは不安の色が消えない。

「……エトワスは、目を覚ましたのか?」

「それは分かんない。昨夜から護衛してるライザさんと、マリウスさんが交代するらしいから、一緒に行ってみようよ」

「……おれは、いい」

ディートハルトは首を横に振り、元通り座っていた椅子にストンと腰を下ろした。付いて行きたかったが、E・K達に顔を合わせたくなかった。彼らの主をこの様な目に遭わせてしまったという罪悪感があるからだ。きっと、彼らもディートハルトの顔は見たくないだろう。そう思っていた。

「え、何で?」

「おれが、元凶だから……」

「は?何言ってんの。ヘーゼルのせいじゃん」

小さく絞り出された言葉に翠は苦笑いし、ディートハルトの隣の椅子に腰を下ろした。

「だったらさぁ、オレも悪かったんだよ。さっさとドールを倒して援護すりゃよかったんだよな。大人げなかったわ」

椅子の背に片腕を乗せ、自嘲気味に小さく笑う。

「とにかくさ、もう出るみたいだから行こ?」

「……おれは、いい。おれがルシフェルのとこに行かなきゃ誰にも気付かれずに逃げれてたかもしれないし、やっぱり全部おれのせいなんだ」

ディートハルトは、再び首を横に振った。

「いや、だから、それは……」

「キサラギー。フレイクはいたか?って、いるな。マリウスさんがもう出るよって」

声と共にフレッドが礼拝堂を覗いた。

「マジで、行かないの?」

もう一度翠は尋ねた。

「いい」

頑なに首を横に振るディートハルトに、翠は諦めて席を立った。


 翠とフレッドが姿を消してしばらくすると、入れ替わる様にシヨウが姿を現した。

「あいつらと一緒に行かなくて良かったのか?」

シヨウの言葉に、ディートハルトは不安そうな目を向ける。

「エトワスは、容体が悪いのかな?」

「スイが、そう言ったのか?」

「違う。けど、翠は、悪くてもホントの事言わないと思う」

そう言ってディートハルトは俯いた。

「なるほどな……」

と、シヨウは自身の後頭部に手を当てワシャワシャ撫でる。

「だけど、あの医者は大丈夫だって言ってたぞ。上手い具合に刺さった剣が逸れてて臓器は無事だったって」

そう言って、シヨウは不安げな瑠璃色の瞳に視線を落とす。

「スイが話してたけどな、ヘーゼルって奴はジェイドの剣が目に刺さったまま逃げてったんだろ?俺が現場を見た時、近くに折れた剣の先の方が落ちてた。ジェイドに刺さった剣は折れてなかったし、翠が持ってた剣も無傷だった。って事はだ。地面に落ちてた剣先はヘーゼルに刺さった剣の一部、要するにジェイドの剣って事になる。同時に相打ちになったんじゃなくて、ジェイドは先にヘーゼルの攻撃をガードしたんだよ。その時剣が折れたって事だな。だから、防ぎきれずにヘーゼルの剣は刺さっちまったけど、攻撃の威力は落ちてたから貫通する程深い傷でもなかったし致命傷にもならなかった。……って、お前らの仲間が分析してたぞ。みんな剣術のプロなんだろ?医者だけじゃなくて、そいつらがそう言ってんだから心配いらないと思うぞ」

シヨウの言葉に、ディートハルトはやっと安心した様に小さく息を吐いた。

「そっか……」

「この教会にも、一応、応急処置出来るくらいのもんは元々揃ってんだけど、薬とか医療器具とか、専門の病院並みに本格的な設備はねえ。だから、ちゃんとした病院に連れてったんだよ。つまり、今はもう安心していいって事だ」

「……うん」

瑠璃色の瞳は潤んでいて、シヨウは思わず苦笑いした。

「お前、ほんとによく泣く奴だな」

“ラファエル”の時から豹変してしまったと思っていたが、本来の姿に戻っても大して変わらないかもしれないと、ふと思った。強気な言動になって使う言葉も乱暴だが、本質はあまり変わらない気がする。

「泣いてねえし」

「ああ、そうだ。サラが、明日の夜出航する船がいるって言ってたぞ。一応、その船を押さえとくって」

「分かった、ありがとう。サラさんにお礼を言いに行く」

ディートハルトは小さく頷いた。

「いや、今は出掛けてていねえぞ。港に行ってるから」

「そっか。……あのさ、シヨウは本当におれと一緒にレテキュラータ王国に行くのか?元々、今日は休みだったんだろ。だったら、今日ビル内にいなくても不思議じゃないし、おれ達と一緒にいるって気付かれてないかもだし、クビにはならないで戻れるんじゃないか?もし、昨日一緒にいた事を気付かれてても、“巻き込まれただけ”って言えば大丈夫かも」

リカルド達の言葉がずっと刺さったままのディートハルトは、シヨウの顔を見上げて言った。

「おれ、そんな体調悪くねえし、一人でレテキュラータ王国に行けるけど」

「いや、お前と行く」

シヨウは首を横に振った。

「スイ達にもジェイドにも話してたんだが、元々グラウカさん達研究員のやり方は正直、気に入らなかったんだ。今回の事で、アクアもお前も勝手に拉致してきたって事が分かったから、なおさらだ。だから、ファイターに未練はねえ。それに、マジで旅行というか外国に行ってみたいって思ったんだよ。よく考えてみりゃファイターになってから、ほとんどずっとあのビルから出てなかったしな。船に乗って北の国に行くなんて面白そうじゃねえか」

ハハッと楽しそうにシヨウが笑う。

「でも、じゃあ、レテキュラータ王国から帰ったらどうするんだ?」

ファイターを辞めてどうするのだろうか。そう心配するディートハルトにシヨウは「心配すんな」と笑って見せた。

「それは、その時にまた考える。それより、レテキュラータに何しに行くんだ?」

シヨウは、まだその理由を聞いていなかった。

「……ええと。人を、探しに行くんだ」

少し躊躇ったディートハルトは、それだけ答えた。

「知り合いか?」

「違う……。その人が存在するかどうかを確かめに行くんだ」

「?」

シヨウは、やはりディートハルトとラファエルは同一人物だと思った。話している事がよく分からない。

「探してる相手が、存在する奴かどうか分からないって?」

「そう。他人に聞いた話だから」

ディートハルトは、剣の幽霊が話した事だとは言わなかった。サラには“行って確かめてみたらいい”と言われたが、剣の幽霊に聞いた話だということを伝えたら、シヨウはディートハルトが思ったように“幻聴だ”と言うかもしれない。そうしたら、自分の気が変わってしまうかもしれないと思ったからだ。そうなればサラに迷惑をかけてしまう。

「あ~……。じゃあ、その相手がいなかったらどうすんだ?」

「ファセリアに帰る」

レテキュラータ王国があるレテキュラータ大陸から見て、ファセリア大陸は海を隔てた東にある。レテキュラータ大陸からファセリア大陸行きの船は出ているだろうが、ディートハルト一人に行かせるのは少し不安だとシヨウは思っていた。

「じゃあ、その相手がいたら?」

「話をしてみて、その後はまだ分からない」

「はぁ」

やっぱ俺が付いて行った方が良さそうだな。シヨウはそう強く思った。

「とりあえず、朝飯食いに行こうぜ」

誰を探しにいくか、については改めて聞くかサラに聞いてみる事にして、シヨウはファイター専用の食堂に誘う時と同じように、親指でクイっと背後を指した。と、その時、急に子供の声が響いた。

「わぁー!」

恐らく、礼拝に来た近所の子供だろう。はしゃいで走る音と共に「走らない様に」と窘める声も聞こえて来た。

「ラファエルさーん!」

『え、何だ?』

驚いて振り返ると、見た事のある子どもの姿がそこにはあった。ランクBのアクアだ。しかし、特徴的な水色の髪が今は黒くなっている。

「こんにちはー、ラファエルさん!あ、怖いお兄さんもいるー!」

アクアは、ディートハルトとシヨウの元まで駆け寄るとピョンピョン跳ねた。非常に元気そうだった。

「怖くないだろ」

シヨウが苦笑いする。

「ええと……アクア?」

「そうだよ!髪、黒くしたんだよ。ブルネットとサラお姉ちゃんとお揃い!」

という事は、一緒にいる黒髪の人物が、エトワス達が話していたブルネットなのだろう。話には聞いていたが、昨夜は別々にセンタービルを脱出してそのまま教会に向かい、着いたのは深夜だったため顔を合わせるのは初めてだった。

「君がディートハルトか。私はブルネットだ。ファセリアの方達には色々と世話になってる」

ブルネットが白い歯を見せ小さく笑った。凛々しい青年のような男前な笑顔だった。

「アクアが、どうしても君に会いたいって言うんだ。へぇ、サラが言っていた通りだな」

ブルネットは自分よりも少し下にある瑠璃色の瞳を、ジッと覗き込んだ。

「“お人形さんみたいに可愛いのよ♪”って言っていたが、野郎共がムキになって奪い返そうとする訳だな。なあ?」

ブルネットは、ハハハハと豪快に笑い、シヨウに同意を求めた。シヨウは苦笑いしディートハルトは混乱している。

「……」

ブルネットには単純に子ども扱いされているのかもしれないが、どう反応して良いのか分からなかった。

「私はぁ?」

と、アクアがブルネットの服の裾を引いている。

「もちろん、アクアも、いい子で可愛いぞ」

ヨシヨシと、ブルネットはアクアの頭を撫でた。

「ここは安全だが、念のため私達は一足先にジャスパに移動する事にしたんだ」

ラビシュに留まる事は危険だと判断し、ブルネットはアクアを連れて町を離れる事に決めていた。医師のルーサー夫妻は、エトワスの身が心配だというブルネットの頼みでまだ教会に留まる事となっている。

「ジャスパってのは、ここから南にある港町だ」

初めて聞く地名に不思議そうな顔をしているディートハルトに、シヨウが説明する。

「ああ。船があるんだ。私達はそこで待っているから、エトワスが動ける様になったら一緒に来てくれ。アクアを無事救出できたから急いではいない。無理はしなくて良いとエトワスに伝えてくれ」

「あ……、う、うん。分かった」

ディートハルトは、ぎこちなく頷いた。エトワスの容態次第だが、明日の夜にはディートハルトは逆に北のレテキュラータ王国に向けて出発する事になるかもしれず、そうでなくてもエトワスには会わないで行くつもりだった。

「良かったな、アクア。これで家に帰れんな」

シヨウが二ッと笑いかけると、アクアはピョンピョン跳ねた。

「うん!でも、ルシフェルのとこも楽しかったし、水の種族の力の訓練も面白かったよ!ラファエルさんとも一緒に遊びたかったな」

そう言って、アクアがディートハルトの方を見る。

「一回会っただけだったもんな」

アクアがこっそり部屋を抜け出してきた時に、一度会ったきりだった。

「また会えるから、その時に遊べるといいな」

体調が悪そうなディートハルトを気遣ったのか、アクアが“今、遊ぼう”と言い出す前にブルネットが先手を打った。


そして、その日の昼過ぎには、マルコロが引く虫車に乗り込んだアクアとブルネット、そして道中の護衛としてリカルドとロイ、ブランドンともう一人の先輩I・Kクレイは、ジャスパへ向かって出発した。



* * * * * * *


 同日、夜――。


『……ここは?』

白い壁と天井に囲まれた見慣れない部屋に、エトワスは眉を顰めた。ベッドのすぐ横の窓から見える外の景色は暗くてよく分からず、この場所が何処であるかは分からない。

「エトワス様!」

と、安堵したように名前を呼んだのは、ライザだった。すぐに枕元へと近寄って来る。

「ライザ?……ここは……?」

「ラビシュの西の教会近くの病院です。覚えてらっしゃいますか?ビルから脱出する際に、ヘーゼルと交戦されて、お怪我を……」

気遣う様に言うライザの言葉で一気に思い出した。

「ディートハルトは!?」

バッと勢いよく上体を起こそうとして、痛みで思わず呻いてしまう。

「っう……」

「動いてはいけません」

慌てて体を支え、元通り寝かせたライザが溜息を吐く。

「心配いりません。キサラギさん達と教会にいますから」

「……本当だろうな?」

完全に疑っているエトワスの視線に、ライザは苦笑いした。

「嘘じゃありませんよ」

声と共に部屋に入って来たのは、E・Kのマリウスだった。

「あー、エトワス様!良かった!」

ジルも顔を覗かせ、笑顔になる。E・K達は3人で交代で護衛についていて、今はジルからライザへと交代する番だったが、マリウスも心配で様子を見に来ていて結局三人全員集まっていたところだった。

「ディートハルトは無事なのか?怪我はしていないか?体の具合は?」

怪我を負った自分の事よりも、まずディートハルトの身を案じているエトワスの言葉に三人が呆れ気味に笑う。

「無事です。怪我はありません。体調は、これ迄と変わりはないみたいですが、特に悪いという感じではありません」

マリウスが答えた。

「ただ、きっとエトワス様が怪我をされたのは自分のせいだって思っちゃってるんでしょうね。俺達の事を露骨に避けてますし、ここにも来ようとしないんです」

と、ジルが言う。

「おい!」

余計な事を言うなとばかりに、マリウスとライザが左右からジルを小突く。

「あ、ダメですよ!」

ベッドを下りようとしたエトワスを、慌ててE・K達が止めた。

「今教会に行っても、真夜中ですからフレイク君も寝てますよ」

ベッドの横の棚に置いてあった時計を指し、マリウスが言う。時計の針は午前3時前を指していた。

「明日また、エトワス様がお目覚めになってから私達が教会に知らせに行きますから、キサラギさん達と一緒にこちらに来て貰いましょう」

ライザがそう言うと、エトワスは小さく頷いた。

「……分かった」

エトワスは、流石にこの時刻なのでベッドを下りる事を諦めていた。



* * * * * * *


 そして翌日、エトワスに約束した通り、E・Kのジルがエトワスが目を覚ましたことを教会に知らせに行った。ただ、この日エトワスが目を覚ましたのは午後になってからだったので、エトワス本人が考えていたよりも少し遅い時間になってしまっていた。

知らせを受けた翠とフレッドは急いで駆けつけ、教会に残っていた先輩I・Kの2人、そして、シヨウとサラ、サンヨウ夫妻、ラリマーの医師のルーサーと看護師のベラと、次々に彼の元を見舞いに訪れた。しかし、ジルの言った通り責任を感じているのか、ディートハルトだけは姿を見せなかった。

「ディートハルトは、本当に身体の具合が悪い訳じゃないんだな?」

エトワスに尋ねられ、翠とフレッドが頷く。

「ああ、違うよ。自分が悪いんだって、思ってるみたいで”行かない”って言うんだよ。合わせる顔が無いって思ってるみたいでさ」

ジルと同じことを翠が言う。

「何でそうなるんだ?ディートハルトは全く関係ないだろ」

エトワスは表情を曇らせた。

「いや、だからオレも、悪いのはヘーゼルだって言ったんだよ。だけど、脱出前にルシフェルんとこに行った事も気にしてるみたいでさ。でも、それは、ディー君が悪いって事でもなくてさ……」

翠は、脱出の日に間近で聞いていたディートハルトとルシフェルのやり取りをエトワスに話した。


「……じゃあ、ルシフェルに脅されていたから、計画を邪魔されないために、それと、俺達の事を心配して、ルシフェルのところに行ったのか」

「だね。だけど、行く前にせめてオレに事情を話して相談してくれてたら良かったんだけどね。まあ、相談されたとしても、脅されてた事に変わりないし、あいつのところには行く事になってただろうけど」

翠が苦笑いしながら言う。

「ディートハルトは、誰にも頼ろうとしないからな……」

エトワスが溜息を吐く。

「フレイクらしいな。まあ、とりあえず帰ったら、改めて気にすんなって伝えとくよ」

フレッドが言う。

「ああ……」

エトワスは、この場所で目を覚ます前に見た最後のディートハルトが、また泣き顔だった事を思い出していた。

『最悪だな……』

額に手を当て、自分に対して心の中でそう呟く。心からの笑顔を見たいとずっと願って来たのに、何度辛い思いをさせれば気が済むのだろう。

「二人で何とか説得して、明日はここに連れて来るよ」

エトワスを元気付けようというのか、翠がそう言って笑顔を向けた。

「ああ、よろしく頼む」

とにかく、絶対にディートハルトのせいではないと言い聞かせたい。エトワスはそう思っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ