25黒い天使 ~決裂1~
今、自分は“ランクX”と呼ばれて実験体としてヴィドールにいる。その理由は思い出していた。
目の前にいるエトワスは、本名エトワス・J・ラグルスのミドルネームである“ジェイド”を名乗って新人研究員として、翠とフレッドはそのまま“スイ”と“フレッド”を名乗って新人ファイターとして、ある日突然目の前に現れた。何故彼らがヴィドール国に、しかも聖域にいるのだろう?と思ったが、ラファエルだった自分に、エトワスは『俺と一緒に此処を出ようか?』と言い、翠は『ビルの外に出てみない?』と言った。つまり、彼らはここから連れ出そうと助けに来てくれているという事だ。
この国に来る事も聖域に潜り込む事も、入念に計画を立てていて色々大変だったに違いない。それなのに、たった今自分は彼らの苦労を台無しにしてしまったかもしれない。
「……」
「他のファイターも来てくれたみたいだし、俺はそろそろ戻るよ」
微笑しながら、しかしあっさりとそう言ったエトワスの言葉はディートハルトにとって意外なものだった。シヨウの存在に気が付かなかった自分は、研究員であるジェイドの事を”エトワス”と呼んでしまったし、それ以前にエトワスの方が先に”ディートハルト”という名前を口にした。一部始終を間近で見聞きしていたシヨウがそれをどう受け取ったのかは分からないが、エトワスはそれを無理矢理誤魔化して”ラファエル”を演じろというのだろうか?
困惑した表情を浮かべるディートハルトに、エトワスは素知らぬ顔で「じゃあね、“ラファエル”」と笑いかけ、シヨウの方を振り向いた。
「それじゃ、後は2人に任せて俺たちは引き上げようか?」
腑に落ちないといった表情で研究員とラファエルのやりとりを見ていたシヨウだったが、エトワスに促され彼と供に部屋を出る。
「あんた、何者だ?」
エトワスはスタッフルームのある一つ上の8階へ、シヨウは自室のある5階へ、それぞれ階段で別れる直前、シヨウは研究員にそう問いかけた。何と言ったか、確か彼は聞き覚えのない名前らしきものでラファエルに呼びかけていた。もしかしたら、この研究員はラファエルを連れ戻しに来た、ここに来る前の彼を知る者なのではないだろうか。そう疑念を抱き始めたシヨウに、白衣のポケットから取り出した眼鏡をかけて振り向いたエトワスは、「え?」と怪訝そうな表情を見せる。
「”何者だ”なんて聞かれるほど大層なものじゃないよ。ただの新入り研究員としか答えようがないな」
「でも、あんたさっきあいつの事を……」
「ああ、ラファエルの事を”ディートハルト”って呼んだから気になったんだな?あれ、彼の本名なんだ」
そう言って笑い、あまりにもあっさり白状するエトワスに、シヨウは少々拍子抜けしてしまった。
「本名?」
「そう。名前だけは思い出したみたいでね。この間教えてもらったばかりなんだ。へえ、君は知らなかったのか。仲がいいみたいだから知ってるのかと思ってた。じゃあ、もしかして、俺だけが知ってたんだな。ラファエルの名前」
そう言ってエトワスは嬉しそうな笑顔を作る。ここで、このファイターに自分が元々ディートハルトの知り合いだとばれてしまえば、彼がいくらラファエル贔屓だとはいってもその事がグラウカたちの耳に入る恐れもある。そうなれば全てが水の泡だ。何としても彼の抱いている疑念を取り除かなければならなかった。
「ランクXに、ああいった症状が出たのは今回が初めてじゃないんだろ?適当に合わせてみたけど、誰かと俺を混同してたのかな?」
「……さあな」
シヨウは肩を竦めた。少し心配そうに考え込んでいる素振りを見せるエトワスの巧みな演技により、彼の頭の中から疑惑の文字はほとんど消えかかっていた。シヨウの態度からその事を感じ取ったエトワスは、最後の仕上げに入る。
「さっきのラファエルの言動だけど。他の研究員やファイター達には言わないでおかないか?」
シヨウが“何故?”と聞き返す前に、エトワスは真剣な表情で彼の鳶色の瞳を真っ直ぐ見た。
「だって、可哀相だろ?ただでさえグラウカさんの事を怖がってるのに、グラウカさんは嫌がる彼の気持ちなんかお構いなしで、強く非難したり脅したり、戦闘なんて向いてないのに無理矢理戦わせたり、身体の事なんか考えもせずに薬を飲ませたり麻酔を使ったり」
エトワスの言葉に、シヨウは困った様な表情で頭に手をやる。
「まあな……」
「それなのに、また様子がおかしかったなんて伝えたら、さらに何をされるか分からないだろ?」
エトワスが翠やフレッドに聞いている彼の性格からすると、ストレートに情に訴えた方が効果があるだろうと考えていた。
「確かに、いい大人がガキに酷い事して、弱い者いじめみたいな事をしてんのは、気に入らねえって俺も思ってる……」
太い腕を組んでフゥと小さく息を吐き、シヨウは言った。
少なくとも“聖域”で働く者達にとって、ランクの印を付けた実験体たちは滅びた3種族の研究のための対象物でしかないはずだ。それなのに研究員の中にまさかこういった台詞を吐く者がいるとは……。
「だけど、そんなこと言ってると、あんたクビになるんじゃないか?」
それはシヨウ自身も同じだった。あまりラファエルに肩入れしすぎるのはよくない、そう何度かファイター仲間に注意されている。
「せっかく就職出来たのにいきなりクビは困るな。……でも、ついさっき、グラウカさんにも言われたよ。”ここでずっと仕事を続けたいのなら、妙な正義感や子供っぽい感情は捨てろ”って」
そう、秘密を打ち明けるかのように悪戯っぽい笑顔を作ってみせるエトワスにつられて笑いながら、シヨウはつい先程までこの新人研究員に抱きかけていた疑念を捨て詮索するのをやめた。彼の白衣の胸の辺りに広がっている染みは、先程ラファエルが盛大に泣いた時についた涙の跡だろう。あの時、ラファエルを見る彼のダークブラウンの瞳は、グラウカや他の研究員たちのものとは違っていた。本当に彼を思いやっている、そんな風に見えた。元々、研究員たちの実験体への接し方を好ましく思っていなかったシヨウである。あっさりと首を縦に振った。
「よし、分かった!俺も、ガキを傷めつけるやり方は気に食わねえからな。お互い、何も知らねえって事にしよう」
シヨウの言葉を聞き、エトワスは「ありがとう」と嬉しそうに笑った。その笑顔に、シヨウはラファエルの言った通り“いい人”な研究員なんだなと思いながら呆れた様に笑い、彼に対し好感を抱いてその場を後にする事となったのだが、エトワスの方も小さく溜息を吐いてその後姿を見送りながら、『フレッド達の言ってた通り、お人好しのファイターで助かった……』と思っていた。
エトワスとシヨウが出て行った部屋の中では、ぼーっとした顔でドアを見つめたままのディートハルトと、同じく無言の翠とフレッドの3名が残されていた。
出て行った二人の足音が遠ざかると、翠が一度部屋の扉を開いて外を確認し、周囲に誰もいない事が分かると扉を閉め改めてディートハルトに向き直った。
「ラファエル君じゃなくて、ディー君でいいんだよな?」
翠がそう言いながら立ち尽くしたままのディートハルトに近寄り、瑠璃色の瞳を覗き込んだ。大泣きしたためまだ時折クスンクスンと鼻を鳴らしていたディートハルトは、ハッと顔を上げ翠の黒い瞳と視線がぶつかると、すぐにそっぽを向ききまりの悪そうな表情をして「ああ」と、僅かに頷いた。4年に渡る学生生活のおかげでディートハルトの性格をよく知っている翠は、彼が今どんな気持ちでいるのか大体想像はついていた。他人に頼ったり弱みを見せたりするのを嫌う意地っ張りで素直ではない彼が、他人にすがって子供の様に泣きじゃくり、それをよしよしと慰められている様を目撃されてしまったのだから、本人にとって不本意きわまりないその現実は恥ずかしくてたまらないに違いなかった。
「そっか。じゃあ良かった」
翠がそう言って笑うと、フレッドもディートハルトに向かって満面の笑顔でガシッとハグをする。
「いや、ホント良かった!これで、同級生みんな無事だったって事になるな!」
フレッドの言葉にディートハルトはハッとする。
「みんなって、あのさ、さっきの研究員は本当に本物のエトワスなんだよな?」
「そうだよ。エトワスも無事だったし、エトワス達と同じ場所に居たリカルドもロイも先輩I・Kもみんな無事だよ」
ディートハルトは困惑した様に眉を顰める。
「待って……。エトワス達は全滅したって聞いてて……おれはロベリアで翠と一緒にいたけどちょっと静かなとこで休憩しとこうって思って……、そしたらヴィドール人が来て……。何でエトワスがここにいるんだろう?」
混乱しているディートハルトに、翠はベッドに座るよう促すと、フレッドは心得た様子で部屋の扉前に移動し、翠はベッド近くの椅子に腰を下ろした。
「全部ちゃんと順番に説明するから」
* * * * * * *
その日の夜――。
「どうしたい?」
2階の非常階段に座ったディートハルトは、踊り場の手すりを背に立ち穏やかな声で問いかけるエトワスの顔を見上げた。今の彼は白衣を脱ぎ、ヴィドールでは一般的なゆったりとした衣服を纏った姿になっている。
いつもは、エトワスと翠、フレッドが集まるのは、エトワスが就業後にラファエルに薬を届けに行った後でそう遅い時間ではないのだが、ディートハルトも加わった今日は深夜に集まっていた。
昼間、ディートハルトは翠とフレッドの二人に、彼らがどうやってディートハルトがヴィドール国にいる事を知ったのか、行方不明だったエトワスはどこで何をしていたのか、そして、3人が揃って今ヴィドール国にいるのは何故なのかという話を聞き、さらに彼ら以外にもI・KやE・Kがラビシュ内に潜入している事を聞いていた。
今また、それらの話に加えて、エトワスから脱出の計画を教えて貰ったばかりだったが、それが長い話で一度に大量の情報が入ってきたせいか、それとも久し振りに懐かしい面々を目にして気が緩んでしまい、話を無意識に聞き流してしまった部分もあったのか、得たばかりの情報をうまく頭の中で整理することができないでいた。
「ええと……どうって?」
「もし、帰る前に、ディートハルトがまだここで調べたい、知りたいってことがあるなら、脱出は少し先に延ばして俺たちもそれに付き合うよ」
そう言ったエトワスの言葉にディートハルトは眉を寄せ首を振った。
「調べたいことなんてねえよ。必要ねえから。だって、おれは3種族と関係ねえもん。グラウカが言うみたいに地底の種族の仲間だなんて感じないし、羽もねえし」
グラウカやルシフェルに言われた事を思い出し否定したディートハルトは、昼間見た夢の事を思い出していた。いつもなら夢の内容は大抵忘れてしまうのだが、何故か今回見た夢はその内容を完璧にではないが覚えていた。誰かは分からないが、知っているような気のする声がこう言った。
“オマエ ヲ マッテル”
『おれを待ってるって?誰が?』
そう考えて、少し気味が悪くなる。昔、学校の図書室で読んだホラー小説を思い出してしまったからだ。その小説の中で、やはり正体不明のモノに呼び続けられた主人公は、結局最後には呼び掛けていた得体の知れない怪物に惨たらしく殺されてしまうという実に後味の悪い結末を迎えている。ご丁寧な事に、そのクライマックスのシーンには妙にリアルな挿絵まで添えられていて、その本を読み終えた日の夜は怖くて朝まで眠れなかったことを覚えている。
“アナタ ハ ----”
『もう一つ何か……間違った名前みたいので呼ばれたような……』
聞き慣れない単語を思い出そうと首を傾げたディートハルトは、不意に我に返りエトワス達が見ていることに気付くと自嘲気味に薄く笑った。
『馬鹿だな、おれ。変な夢を見るのはおれの体質なのに、それを真面目に考え込むなんて。夢は夢だよ。実際エトワスだって生きてたしな』
「確かに、翼は無いけど……」
と、その生きてたエトワスが言う。
「今までの状況を見る限り、空の種族と関係があるかもしれなくて、ラズライトって石の影響を受けたりランクAの実験体にもそう言われたりしたんだろ?具合が悪いのは、もしかしたら空の種族と関係があるのかもしれない。だったら、せっかく色々な情報や資料のあるヴィドールに居るわけだし、ちゃんと調べて……」
そこまで言った時、瑠璃色の瞳は急に不機嫌そうに細められ、黙っていられなくなったディートハルトはエトワスの言葉を冷たい声で遮った。
「あのな。お前、ある日突然知らねえ奴に、”実はお前は人間じゃねーんだぞ”なんて言われて、”そうか。おれは人間じゃ無かったんだな”なんて思えんのかよ?大体、4種族なんてもん、この国の奴らしか知らねーじゃねえか。誰かの作り話かもしれねえだろ?そうに決まってる!こんな胡散臭えおとぎ話を大の大人がマジんなって研究してるなんて頭イカレてるとしか思えねえっつーの。おれは生きた化石でも実験体でもねえよ!何で、お前らまでおれの事を化け物扱いするんだ?どうかしてるぜ!グラウカの野郎に洗脳されたんじゃねえのか?」
「人間じゃない、なんて言ってないだろ?それに、”化石”に”化け物”?飛躍しすぎだよ」
腹を立てていると言うより傷ついた様な表情で睨みつけるディートハルトに、エトワスは困った様に笑顔を浮かべる。ディートハルトの言葉は、アクアやルシフェルを含めた現実に存在しているランクのついた実験体たちを無視していて滅茶苦茶だったが、“自分は3種族とは関係ない!”とディートハルトがとにかく主張したいのだという事は分かった。ラファエルの時も“普通の人間だと思う”と言っていた。きっと認めたくないのだろう。
「言い方がまずかったのなら謝る。ごめん、悪かった。俺はただ心配なんだ。お前の体の具合、相変わらず良くないんだろ?仮に昔本当に”空の種族”と呼ばれる人達が存在していたとして、ディートハルトが少しだとしてもその血を引いてるってことなんだったら、やぱりその事と何か関係があるんじゃないかと思うんだ。そうだとしたら、ファセリアの医師には体調不良の原因が分からなくても、ここでならって……」
『おれだって、自分の事ほんの少しは疑ってない訳じゃねーんだ……』
真剣に語るエトワスの言葉聞きながら、ディートハルトは心の中で本音を漏らしていた。古代にいたという水・空・地底に暮らす人間達の話は嘘だと言い切ってしまうと、今同じビル内で生活していて確かに存在している実験体のルシフェルやアクアの存在まで否定してしまう事になるのは、もちろん分かっていた。しかし、自分は違うと信じたかった。
『でも……認めるのは嫌だ』
ルシフェルに会った時にはうっかり信じかけてしまったが、もし自分が空の種族であると認めルシフェルの言葉や夢の中の声にしっかり耳を傾けたら、自分が自分でなくなってしまうのではないだろうかという不安があった。そして、そうなった時には、今いる自分の居場所は無くなって、どこか、このヴィドールよりもっと遠い所へ行ってしまわなければならないのではないだろうかという予感に対する恐れもある。自分が何者か分からないという事ももちろん怖かったが、それを認める事で親しい者達とは違う別世界の生き物になってしまう事が怖かった。
『……嫌なんだ。もう、ファセリアを離れたくない。じゃなくて、一緒に居たいんだ』
そう考えながらもディートハルトは口には出さなかった。昼間はつい涙腺が緩みさんざん格好悪い姿を見せてしまったが、これ以上情けないことは言えない。下手な事を言って子供扱いされるのも癪に障るし、エトワス達に呆れられ愛想を尽かされるかもしれないのも嫌だった。
「おれは、化け物なんかじゃない。調べる必要なんかねえよ。体調が悪いのは風邪が長引いてるだけだしな」
静かだが頑なにそう言い切ったディートハルトに、エトワスはとうとう諦めたように溜息を吐いた。
「……分かった」
同時に、翠やフレッドも密かに苦笑いする。
『風邪、ねぇ』
『相変わらずだな……』
「じゃ、もう、すぐにここを出るって事でいい?」
そう言いながら、今までエトワスの横に立って黙って煙草を銜えていた翠が、ディートハルトに視線を向ける。
「……すぐにでもここを出たい。けど……」
「けど?」
「翠の怪我が、良くなってからでいい」
「は?」
まさかディートハルトがそういった気遣いをみせるとは露ほども思っていなかった翠は、一瞬ぽかんとした後、ハハッと笑った。
「ああ、大丈夫だよ。大した事ないから。じゃあ、ディー君は“すぐにでも出たい”って事なんで、隊長、やっぱここは作戦A?」
翠の言葉にエトワスが頷いた。
「そうだな」
「了解」
ディートハルトの数段上の階段に座っていたフレッドが嬉しそうに頷いた。やっとここを出る事が出来る。そう思っていた。
「作戦Aって?」
ディートハルトが尋ねる。脱出の計画があるという事は聞いていたが、具体的な作戦内容まではまだ聞いていなかった。
「ディートハルトとアクア、それから地下にある剣を回収する班の3つに分かれる作戦だ」
エトワスの説明によれば、元々ヴィクトールにディートハルトを救出する任務を与えられていた翠とフレッドが、それぞれ翠はディートハルトを、フレッドはアクアを連れ出し、エトワスは剣を回収するという事だった
この3つの班に、それぞれE・KとI・Kも加わる事になる。ディートハルトには翠も含めたI・K4人が付き、アクアにはフレッドを含めたI・K4人と当日潜入予定のブルネットが、そして、宝剣回収はエトワスとE・K二人になるという事だった。
もう一つ用意されていた作戦Bの方は、ディートハルトはラファエルとしてグラウカ達と共にファセリアに戻るという内容だった。この場合、エトワスはヘーゼルに顔を知られていて、他のメンバーもヘーゼルと同じ場所にいたのでやはり顔を見られている可能性もあるため、ファセリア人はディートハルトに同行する事は出来ない事になる。また、アクアと宝剣は、ディートハルトがグラウカ達とヴィドールを発った後に回収し、少し遅れて全員でファセリアに戻る事になるというものだった。
「待って。アクアの班にI・K4人ってのは分かる。アクアがいるのは9階で、ルシフェルも住んでるから、あいつが気付いて邪魔する可能性もあるし。でも、おれにもI・K4人が付いて、宝剣回収がエトワスとE・K2人だけってバランスがおかしくないか?」
説明されたそれぞれのチームの構成人数について、ディートハルトが疑問を口にする。
「おれもI・Kなんだから合計5人になるだろ。I・K一人を宝剣回収に回せよ」
ディートハルトが言う。地下から宝剣を回収するのがエトワスも含めて3人というのは心配だったからだ。
「言っとくけど、ディー君はあくまで”回収物”だから、この作戦に関しての発言権はありません。でも、要望とかは受け付けてるから、あれば隊長に言ってね」
翠はそう言いながら、親指で隣に立つエトワスを指し示した。
何だよ”回収物”って。と、ディートハルトは少し癇に障ったが、エトワスが”何か、ある?”と、そうすぐに身振りで示したため、もう一度訴えた。
「だからさ。おれのとこは、おれも含めてI・K4人って事にして、誰か一人を宝剣回収にまわして欲しい」
「俺達にとっても、聖域の人間にとっても、優先順位は宝剣よりも二人の方が上だ。そして、ディートハルトとアクア、宝剣を同時に回収しようとした時、感付かれる可能性が高いのは、それぞれが居る階と警備の状況から考えると、アクア、ディートハルト、宝剣の順になると予想出来る。ついでに、宝剣は回収さえ出来れば、サイズ的に隠し持つ事も可能だし、地下3階から地上まで階段をたった3階分上れば脱出出来る。9階のアクアと7階のディートハルトが脱出するよりずっと簡単なんだよ。だから、人数の配分は今のままでいいと思ってる」
エトワスの言葉に、ディートハルトは俯いた。
「でも、だって、おれ……エトワスが心配だし……何かあって、またあんな思いしたくねえし……」
「…………」
ポソポソと言うディートハルトに、エトワスは困ってしまった。そう言われると辛いからだ。翠とフレッドは苦笑いしている。
「いいんじゃね?ディー君もI・Kだしさ。足手まといにはならないだろ。もしヴィドール人に見付かった場合でも、ディー君なら“ラファエル君”になって上手いこと言って誤魔化す事も出来るだろうし」
と、翠がディートハルトの肩を持った。
「だよな。それに、エトワスの事が心配だって言ってんだからさ、その気持ちを汲んでやったらいいんじゃないか?」
さらにフレッドも加勢する。
「それを言うなら、俺だって……」
エトワスもディートハルトの事が心配だったが、ここは翠とフレッドの言葉に従ってディートハルトの要望を受け入れる事にした。あんなに泣かせてしまった事を思うと、罪悪感でいたたまれなくなったからだ。
「……分かった。一人、こっちに回して貰う」
エトワスの言葉に、ディートハルトの顔がパァっと明るくなる。
「他に、何かあるか?」
エトワスの言葉に、ディートハルトは少し考えた後、妙に嬉々とした表情で要望を出した。
「ここを出る前に、あいつ、グラウカを殴りに行きたい」
「それは、却下」
「お前なんかに聞いてねーよ。エトワスに言ってんだ」
すぐに口を挟んだ翠にディートハルトはくってかかったが、エトワスにも同じ事を言われてしまった。
「ダメだ。なるべく騒ぎは起こしたくない」
「ンだよ!あの変態ヤローに報復すんのは当然の権利だろ!?あいつに殴られたんだから、殴り返したいだけだよ」
「ヴィドール行きの船の中で、グラウカを思いっきり蹴り飛ばしたって聞いたぞ。それであいこじゃないか?」
エトワスがそう言うと、ディートハルトはキッとエトワスを睨みつけた。
「他にも色々されてんだから、それじゃ釣り合わねえよ!別にお前らに迷惑掛けなきゃ問題ねえじゃねーか。それに、”なるべく”だったら、例外もありなんだろ?ンじゃ、いいじゃん」
「訂正する。絶対に騒ぎは起こしたくない」
エトワスが淡々と言う。
「あのねえ、作戦開始までは”ラファエル君”は”ラファエル君らしく”、大人しくしててくんなきゃ困るんだよね」
いつもなら飛びかかっていきそうな状況だったが、ディートハルトもとりあえず自分の立場はわきまえていた。加えて、ランクCとの戦闘で翠に庇われたという後ろめたさもある。翠を一度鋭い瞳で睨み付けただけで、それ以上食い下がろうとはしなかった。
「じゃあ、作戦通りいこう」
エトワスはもう一度具体的な作戦内容を説明した。それによると、3つの班は回収を同時刻に開始、アクアは、フレッドとI・Kのブランドンがファイターに扮して潜入したブルネットと共に保護して脱出、南の非常階段に待機しているリカルドとロイの誘導・援護で地上に下り、その後は西の教会へ向かう。
宝剣回収は、エトワスがE・K2人とエレベーターで地下に下り、剣を回収後は先輩I・K一人の援護で階段を使って外に脱出。その後地上で待機していたライザと共に西の教会へ向かう。
そして、ディートハルトは、翠と共に北の非常階段に向かい、先輩I・K2名の誘導・援護で地上に下り、外に出た後は同じく西の教会へ向かうという事になっていた。
「I・KとE・Kに伝えて決行の日を調整してブルネット達とも連絡を取らなければならないから、ディートハルトはもう少しだけ”ラファエル”でいてくれるか?」
疑問形で終わっている言葉だが、雰囲気的には『絶対騒ぎを起こさず、もうしばらくの間大人しく”ラファエル”でいろ』とエトワスは言っていた。こういった時に反抗しても、結局言いくるめられるかやりこめられてしまうことをディートハルトは今までの経験で学んでいる。そこで素直に頷いた。
「分かった」
その様に、エトワスは「良い子だ」とでもいうようににっこり笑って見せる。
「ンじゃ、作戦を伝えるのはオレが行ってくるかな」
そう言いながら翠はゆっくり伸びをした。
* * * * * * *
翌日の午後――。
エトワスは同僚のレイシと共に、たまたま廊下ですれ違った“RANK-C・D・E担当及び兵器開発”のフローという名の女性研究員を手伝い、紐で綴じられた膨大な量の書類を地下の書庫へ運ぶ手伝いをしていた。フローは波打つ長い赤毛が華やかな印象を与える非常に小柄な女性だった。
「ごめんなさいね。うちは人手不足だから」
自らも顔まで届くほどの書類を抱えたフローが謝罪する。
「うちもスタッフを募集しようかしら」
「お困りのようですね。私もお手伝いしましょうか?」
突然、そう言いながらフローの持つ書類の山を返事も待たずに抱え上げたのは、グラウカだった。同年代で独身者同士の二人が仕事上の付き合い以上の仲である事は、研究員達の間では周知の事実だ。
「あら、グラウカ。貴方、忙しいんじゃないの?」
そう言いながらもエトワスとレイシが手伝いを申し出た時とは明らかに違う嬉しそうな笑みを浮かべるフローに、グラウカの方もやけに人の良さそうな笑顔で「大丈夫」と言いながらフローと並んで歩きだした。その後ろを、エトワスとレイシは付いて行く。
「昨日は貴方の可愛い”弟”さん、大変だったって聞いてるけど?」
「いつもの事だよ」
フローの言葉にグラウカは薄く笑う。
「使えるのか使えないのか、未だに分からなくてね」
「”鍵”になり得るかって事?」
2人の後ろを歩いていたエトワスは、その会話に耳をそばだてた。
「いや、あれは鍵の候補ではないよ。ラズライトに近付いただけで苦しむなんて、やっぱり空の種族かどうか怪しいからね。それに“鍵”の候補はランクAだよ。彼は明らかな”空の印”も持っているんだから」
グラウカの言葉に、フローは納得した様に笑った。
「それもそうよねぇ」
「“鍵”って?”空の印”っていうのは?」
エトワスはレイシの注意を引き歩調を落として、グラウカ達には聞こえないように小声でレイシにそう尋ねた。
「あれ?まだ教えてなかった?鍵っていうのは、空の都へ続く扉を開く、扉に認められた空の都への案内人の事だよ。空の印は、見たまんまで翼の事らしいよ」
レイシの言葉にエトワスは目を瞬かせる。アクセサリー屋のサラに聞いた神話で、空の種族は“どこかの空に浮かぶ大陸にある、空の都市に生きる”と言ってはいたが、いくらなんでもそれは脚色された作り話だと思っていた。
「空の都?どこにあるんだ?」
実在しているのか?そう考えるエトワスに、レイシは当然の様に答えた。
「それはやっぱり”空”だろ」
半ば呆れているエトワスに、レイシは冗談だと言って軽く笑った。
「それを探してるのがグラウカさんたち……いや、僕たちなんだよ」
それなら、やはり存在しないのではないだろうかと思ってはいたが、質問を続ける。
「探してどうするんだ?」
「え?……見付かったら、すごいじゃないか。歴史的大発見だし、神話が現実になるなんてワクワクするだろ?」
「……それはそうだな」
確かに見付かったらすごい。そう思った。しかし、レイシはともかく”ワクワクするから”という理由でグラウカが動いているとは到底思えないが、古に滅んだとされる3種族を復活させてその力を利用しようとしているヴィドールの者達が、その古の種族達の都を探している理由というのは大体想像が付かないでもない。
『厄介な国だな。ファセリアも内紛なんて起こしてる場合じゃないような気が……』
一刻も早くファセリアへ戻って、ヴィクトールや祖父のウルセオリナ公爵へ報告しなければ。そう考えるエトワスを、振り返ったグラウカが呼んだ。
「ジェイド。そういえば、私は君を捜していたんだった。手が空いたら、ランクXの部屋へ行ってくれないか?」
「ランクXの所へ?彼に何かあったんですか?」
心配しつつエトワスは訝しげな表情を装って尋ねた。
「 いや。午前中、用があって彼のところに行ったら、“ジェイドさんに会いたい”と言っていたんだ。良かったな、両想いじゃないか」
そう言ってグラウカがニヤニヤ笑う。
「今日は、あのまま部屋にいるだろうから、しばらく相手をしてやってくれ。……そうだな。屋上にでも連れて行ってやったらいい。あそこが好きらしいから」
* * * * * * *
書類運びの手伝いを終えたエトワスがRANK-Xの部屋に行ってみると、ディートハルトはベッドに横になって蹲っていた。
「あれ?エトワス。……あいつまさか、マジでお前を呼びに行ったのか?」
身を起こしたディートハルトは、そう言って驚いたような顔でエトワスを見上げた。
「ああ。しばらく相手をしてやってくれって言われたよ。具合が悪いのか?」
「え、いや。それ程でも。昨日の事で疲れてるだけだよ。一気に色んな情報が入って来たしさ、そのストレスだよ」
予想通り、誤魔化すようにそっぽを向いてそう言うディートハルトに、エトワスは小さく笑った。
「そうか……」
「良かった。もしかしたら昨日の事は夢なんじゃないかって、ちょっと思ってたんだ。翠とフレッドには会ったし、食堂にE・Kの人がいたから本当なんだなとは思ったんだけど、エトワスには会えてなかったから、ちょっと心配だった」
そう言って、ディートハルトはフワリと明るい笑みを浮かべる。
『思ったより元気かもしれないな』
エトワスはそう考え、少し安心した。
「だから、俺に会いたいって言ったのか」
「そう」
「そういえば、ディートハルトにはお礼を言わなきゃならないんだった」
「?」
何の事だろう?と、瑠璃色の瞳は不思議そうにエトワスに注目した。
「ウルセオリナで、例の正体不明の集団と戦ってた時にさ、そのまま南に進軍するか後退するかって決断を迫られたんだ」
「ああ、うん。翠達に聞いた。北に後退したから、ブルネット?って人に会って助けられる事になったって」
そのお陰で、多くのファセリア兵が命拾いしたと聞いている。
「そうなんだ。でも、後退するまでに意見が真っ二つに分かれてて、正直俺も少し迷ってた。帝都に敵を近付けないって事が最優先なんだけど、北と南から挟み撃ちされたら全滅してしまいかねないって状況だったから」
「……」
ディートハルトは、エトワスをジッと見てその言葉に耳を傾けている。
「その時、思い出したんだ。覚えてるかな?卒業前の試験の時、お前が俺に言ったんだ。俺が『死ぬ夢を見た』って。それから『赤いヤツには近付くな』って。この言葉のおかげで命拾いしたよ」
援軍として来たI・Kによってもたらされた”赤いVゴーストを目撃した”という情報と、ディートハルトの忠告を照らし合わせたエトワスは、その自分にとって危険と警告された”赤いヤツ”を敢えて迎え撃つ事を選択し、結果命を落とさずにすんだ。そう話すエトワスに、ディートハルトは困ったような顔になる。
「あー、言ったな。でもそれって、おれのお陰じゃないだろ。エトワスの選択が正しかったって事じゃん」
礼を言われディートハルトは苦笑いしていたが、不意に何かを思い出したようにハッと顔を上げた。
「おれ、さっきその”赤いヤツ”に会った!」
「”赤いヤツ”って、Vゴーストだよな?ここではドールって呼ばれてるけど。ドールと会ったって?まさか、また戦わされたのか?」
エトワスは眉を顰める。グラウカと会っていた事は知っているが、戦わせたとは聞いていない。
「ううん、違う。そうじゃなくて」
ディートハルトは、首を横に振る。
「ドールじゃなくて、人間なんだ。おれが夢の中で見た”赤いヤツ”は、人間だった。って言っても、今その事を思い出したんだけど」
「人間?」
エトワスは少々拍子抜けしていた。ディートハルトが夢で見た”赤いヤツ”と言っていたのは、てっきり全身真っ赤な“Vゴースト”だと思っていたのだが、それが違ったというのだ。それでは、自分は運良く勘違いしてしまったのだろうか。そう思いかけ、彼もある事を思い出した。
「もしかして、ディートハルトが言う”赤いヤツ”ってのは、赤毛の長髪で目も赤茶色の、全身赤い服を着てる30代くらいの男とか?俺より背の高い」
エトワスの言葉に、ディートハルトは驚いて目を丸くした。
「何で知って……あ、そっか。エトワスも会ったんだよな。びっくりした」
「当たり、か?赤の海賊ヘーゼルの事だよな?」
エトワスの問いにディートハルトは頷いた。西の教会で仲間達と連絡を取り合ったフレッドからの報告で、ヘーゼルの船がヴィドールの港に着いたという事は昨日エトワスも聞いていた。
「さっき会ったって、聖域にいるのか……。じゃあ、ヘーゼルと会ったのは、例の2週間後にファセリアの遺跡に行くという件でか?」
グラウカが計画しているランタナ近くの遺跡への調査は、グラウカと他の研究員二人、そしてRANK-AとRANK-Xが行く事に決まっている。それに加えて護衛としてファイター4名を同行させると聞いていた。
「そう。でも、会ったというか、グラウカがおれをヘーゼルに見せたって感じ。グラウカがここに来たと思ったらさ、ヘーゼルも連れて来てて『ヘーゼルさん、これがランクXです』って。ヘーゼルは、『何だ、羽もクチバシも無いのか。その辺にいそうな普通のガキじゃないか』って言ってた」
失礼な物言いだが、当の本人のディートハルトはまんざらでもなさそうだ。“羽は無い”“普通の”と言われた事が嬉しかったからだ。
「で、それだけで帰って行ったんだ」
「そうか……」
今のところ、エトワスはまだヘーゼルと顔を合わせた事はないが、こちらが避けていても会う可能性は高いかもしれない。眼鏡だけでは心もとないため、髪型を変えようかと考えていた。
「どうした?」
ディートハルトがジーッと見ている事に気付き、エトワスは小さく微笑んだ。
「ホントに、生きてたんだなって思って。……良かったなって」
と、ディートハルトが嬉しそうに笑うため、エトワスはキュッと胸が締め付けられた。まだ翠の様に殴ろうとしてくれた方が、罪悪感は薄れる様な気がする。
「心配掛けて、ごめん」
「約束守ってくれたから、いい」
ディートハルトが笑顔で言うので、エトワスもつられて小さく笑った。
「……やっぱり、ディートハルトのお陰だよ」
「え、何で?」
ファセリア大陸で、赤いVゴーストと赤い服を着た赤の海賊ヘーゼルは、それぞれ姿を現したタイミングは違うが同じウルセオリナの海岸にいた。魔物をファセリア大陸に運び込んだヘーゼルは、間違いなくVゴーストも同じように運んでいる。つまり、赤いVゴーストと赤い海賊は一緒にいたと予想できて無関係ではない。そう主張するエトワスにディートハルトは表情を崩して笑った。
「何でもいいけど。ほんと正夢にならなくて良かった」
「そうだな」
笑顔を返し、エトワスはゆっくりと部屋の中を見回した。殺風景なその部屋はもう見慣れていたが、殆ど独房といった雰囲気でいつ来ても不快になる。
「もうすぐ、これも外せるな」
不意にディートハルトに視線を戻し、濃い金色の髪の掛かった銀色のイヤーカフに目を留め、エトワスはそっと指で触れながら言った。
「……おれ、やっとここを出られるんだよな」
ディートハルトは一語一語を噛みしめるかのように呟いた。
「おれさ、今まで生きてきて帰りたいって思う場所なんてなかった。逆にさ、少しでも遠くに行きたかった。おれの生まれ育った所なんて大嫌いだったし。まあ、それは今も同じだけど。でも、ファセリアに帰れるって事が、今すっげー嬉しいって思うんだ。何か変な感じ」
「俺も嬉しいよ」
お前と一緒にファセリアに帰れる事が。
珍しくクスリと笑うディートハルトに、エトワスは目を細めた。