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LAZULI  作者: 羽月
24/78

24天使の涙 ~再会~

 勢いよく掴みかかった腕は、瑠璃色の瞳の獲物を捕らえ損ね、そのまま虚しく空を切り硬い床に激突した。

「――――――!!!」

怪物は天を仰ぎ苛立たしげに咆哮を上げ、その粟立つような声に安全圏にいるはずの研究員たちも思わず息を呑んだ。ラファエルを抱え何とかランクCの背後に回り込んだ翠は、すかさず足払いを喰らわせ、死角からの思いもかけない攻撃に不意をつかれた怪物は、倒れはしなかったものの大きくよろめいた。その隙に可能な限り怪物から距離を置こうと、翠はラファエルの上着と腕を掴み、どうでも良い荷物か何かでも扱うようにぞんざいに引き上げて半ば引きずるように移動しかけた。

その瞬間――。


「伏せろ!」

凛とした声が響き、ほぼ同時に銃声と怪物の奇声が上がった。

「グァアアアアアッ!!」

「!?」

『伏せろと言ってから攻撃までの間が短すぎねえ!?』

と、翠は冷や汗をかきながら心の中で声の主に文句を言い、それでも反射的に命令に従うよう訓練されている自らの体に感謝し、とは言ったもののやはりこれは天性の反射神経、及び運動神経の良さがあってこそなのだと自画自賛してみたりしていた。

低い姿勢を保ったまま、片手で押さえつけて強制的に伏せさせていたラファエルを見ると、瑠璃色の目を見開き焦点の定まらない瞳で怯えたような表情をしていた。

「大丈夫、大丈夫だよ。お前もオレも無事だから」

そう言って、頬に付いた血を手で拭ってやるが、まだ続いている銃声のせいでその言葉はかき消されてしまう。

少しだけ顔を上げて確認すると、すぐ近くで白衣姿のエトワスが怪物に銃弾を浴びせていた。よろめいてジリジリと後退するランクCを撃ちながら徐々に距離を縮めていき、弾切れになった事に気付くと、躊躇いもなく手にした大型拳銃を振り上げてランクCの上体を力任せに殴りつけた。鉄の塊で強打され鈍い嫌な音がする。


ドウッ


ついに、ランクCは重たげな音と供に床に倒れた。

「……今の、研究員として対処したんじゃなくて、絶対、個人的な感情が入ってただろ?」

「そう見えたか?」

背中越しに問いかける翠にエトワスはそう答えながら、手にしていたファイターのコウサから借りた、というよりほとんど奪い取った拳銃を床に捨てて振り向いた。片膝を着いた体勢の翠の傍らに、ラファエルが怯えた様子で蹲っている。

「二人とも、だいじょ……」

「君がああいったものを扱えるなんて、知らなかったな」

翠とラファエルに掛けたエトワスの言葉は、グラウカの呆れたような驚いたような声と、硝子越しの部屋から駆けつけた他の研究員らの騒々しい足音によって遮られた。

グラウカと供にやって来たランクC、D、E担当の研究員たちは、決められた仕事を処理するべく、バトルに参加していたファイターのシヨウとフレッド、そして入口前に銃を持って待機していたファイターのコウサら二人に指示を出し、自らも手伝いながら、倒れたままの恐らく失神しているだけのランクCを再び檻の中へ運び入れる作業に入った。


 その一方で、周りに集まった研究員達は、遠巻きにラファエルを取り囲んでいた。

「ラファエル?」

立場上自分まで逃げる訳にはいかないため、グラウカはラファエルから一歩離れた位置に身を屈め、警戒しながら”弟”に呼びかけた。

「どうした、ラファエル?ランクCはもういないぞ。……聞いているのか、ラファエル?」

「……」

ひどく怯えた様子で焦点の定まらない瞳を彷徨わせ、呼びかけに全く応じない弟に、グラウカは「またか」と小さく呟くと、おもむろに白衣のポケットに入れていたケースから注射器を取り出し、同時にラファエルの服をグイと引くと、特に何も確かめる事もなく流れるような素早さで肩の辺りに針を刺した。

「っ!?」

「あ」

呆気にとられて止めることの出来なかったエトワスと翠の目の前で、すぐにラファエルの首は項垂れその体も崩れ落ちる。それを見届けると、グラウカはランクCを檻に運び終えたばかりのシヨウとフレッドの二人に、今度はランクXを彼の部屋まで運ぶよう指示を出した。


「みんな、スタッフルームに集まってくれ」

そう言い残し、さっさと立ち去ったグラウカに続き、他の研究員たちも何事も無かったかのようにゾロゾロと引き上げ始める。唯一、レイシだけが戸惑った様に立ち止まっていた。

ランクCを入れた檻は、運び入れた時と同様に闘技場内の専用のリフトを使って、そのまま地下3階の飼育フロアに移された。その後は、回復する事がなければランクが付いていない魔物の餌にされ、それらの魔物が変化しなければランクDとなり、進化するればまたランクCとなるはずだった。


「クソッ!」

ぼんやりと一連の出来事を見ていたエトワスだったが、はっと我に返るとグラウカの去った闘技場出入り口に向かって苦々しげに吐き捨てた。その視線の先には、既に姿を消してしまった研究員グラウカの姿がある。

「今のは不覚だったな。あのおっさん、いい手さばきしてんじゃん。やられた……」

不意を突かれてしまった事に苦笑しつつ、翠がそうぼやく。

「でもまあ、何か今のラファエル君ヤバげだったし、眠らせてあげた方が良かったのか……」

「本当にそう思うか?」

エトワスに本気で睨まれて、翠はもう一度苦笑いした。

「オレに怒ったって、しょーがないでしょ」

「……そうだな。悪い」

エトワスは、フウと溜息を吐くと翠をまじまじと見下ろした。

「それで、大丈夫なのか?結構派手に血が出てるけど」

「あ?ああ。いや、それなりに痛いっつーか、思い出したらスゲエ痛い……」

翠はエトワスに問われるまで、自分がラファエルをランクCから庇い背中に怪我を負ったことをすっかり忘れていた。今までは意識がランクCやラファエルに向いていたせいだろう。

「医務室は確か……」

何処だったか……と、エトワスが考えていると、背後から声がした。

「2階だよ」

そう言ったのはレイシだった。

「レイシ……(居たのか!)」

思わずシマッタと思ったが、素性がバレるような会話は交わしていないはずだ。

「俺は、彼を医務室に運んでから上に行くよ」

「うん。それじゃ、僕も手伝う」

そう言ってレイシが歩み寄る。ここで追い払う訳にもいかないため、レイシも一緒に3人で2階へ向かった。


「まさか、研究員さん達が助けてくれるなんて思わなかったなぁ。同僚たちは、皆無視して行っちゃうし」

と、エレベーターの中で翠が笑う。

「ランクCを運び出して、ラファエルも連れて行く様に指示されてたからな。従うしかなかったんだろ」

翠に肩を貸しているエトワスがそう言った。

「そうだね。だからって、僕達までほっといて行っちゃう訳にもいかないからね」

そう言ってレイシが笑みを見せる。


「医務室は、売店の先の奥の方だよ。僕は一足先に行って、先生に患者が来る事を伝えとくね」

エレベーターが着き2階に下りると、レイシはそう言って走り去っていった。

「彼、信用できんの?」

レイシの姿が見えなくなると、翠はエトワスにそう尋ねた。

「レイシに他意はないと思う。善人だよ。たまに申し訳なくなる」

翠をゆっくりと歩かせながらエトワスは小さく笑った。


二人が医務室に着くと、レイシはその言葉通り、医師と共に患者を受け入れる準備をして待ってくれていた。

「それじゃ、よろしくお願いします」

翠を医師に任せると、エトワスとレイシは8階に戻るため再びエレベーターに乗り込んだ。


「ジェイドってスゴイね。銃を使えるんだ?僕、びっくりしちゃったよ」

エレベーターの扉が閉まるとレイシがすぐにそう言った。何か疑っている様子はなく、ただ驚いているようだった。

「ああ。昔、父に扱い方を教えて貰ったんだよ。ラビシュに来る前は魔物と戦った事も何度もあるし」

マズイなと思いながら笑顔でエトワスは答えた。

「ああ、そうだったのか」

レイシは納得しているのか、頷いている。

「だから、研究員の試験に落ちたらファイターの試験を受け直すつもりだったんだ」

さらにそう言うと、レイシは全く疑った様子もなく笑った。

「そうか。このビルで働きたかったって言ってたもんな。ジェイドならファイターも受かっただろうな」


 「遅かったな。何処に行ってた?」

8階のスタッフルームに戻ると、エトワスとレイシ以外の研究員……グラウカとロサ、ピングスが待っていた。グラウカは明らかに機嫌が悪そうで、ギロリと二人を睨み付ける。

「負傷したファイターが一人残って動けなくなってましたので、医務室に運んでいました」

エトワスが淡々と答える。

「すみません。放っておけなくて……」

エトワスとは違い、ビクビクしてレイシが答えた。

「なるほど。では、ジェイド。君に聞きたい事がある。改めて聞くが、何故ランクCを撃った?そして、何故、君があんな物を扱える?」

グラウカの視線は冷たい。もしかしたら、素性を疑われてしまったのかもしれなかった。

「撃ったのは、ランクXが殺されてしまうと思ったからです。銃が扱えるのは、昔、父に使い方を教わったからで、ラビシュに来るまで過去に魔物と何度も戦った事があり、魔物との戦闘に慣れていたからでもあります。研究員の試験に落ちた場合、ファイターの試験を受けるつもりでした。腕には覚えがあります」

エトワスは、レイシに話した事を改めてグラウカにも話した。

「なるほどな。度胸がある訳だ」

淡々と話す新人の言葉を聞き、グラウかはフゥと溜息を吐いた。

「もう一つ聞くが、ラファエルは君に随分懐いているようだ。君は、彼の事をどう思っているんだい?」

グラウカは、エトワスに探る様な視線を向けた。

「どう……?実験体、だと思っています。……そして、可愛い子だなと。あれ程綺麗で可愛い子に会ったのは、初めてです。正直、顔が滅茶苦茶好みです」

元々の仲間ではないかと疑われる事を避けるため、納得して貰えそうな分かりやすい理由を答えていた。案の定、話を聞いていたピングスはブフッと吹き出して笑い、ロサは「あらあら」と呆れた様に言い、レイシはポカンとしている。グラウカは「参った」とでも言う様に眉を下げ、額に手を当てた。

「そうか……。だから、ランクXにあんなに優しくしていた訳か」

エトワスが話した単純な理由を理解するのと同時に、拍子抜けしていた。

「ランクXは可愛い顔してるもんねぇ。オジサンも若くて独身ならクラッとなっちゃったかも。でも、“兄さん”としては、困っちゃいますね」

ピングスが、ニヤニヤと笑いながらグラウカに言う。

「いや、親しくしていてランクXがジェイドの言葉に従うなら、こちらとしても好都合だから言う事は無い。ただ、ジェイド、君が言った様に、彼は“実験体”だ。ここでずっと仕事を続けたいのなら、妙な正義感や子供っぽい感情は捨ててくれ。君が彼に好意を抱いているのなら、私達がやっている事は荒っぽく見えるのかもしれないが、何も私達は彼の命を奪うつもりはないんだ。私達を信頼して、くれぐれも邪魔をするような事はしないで欲しい」

「分かりました。もちろん、邪魔をする気はありませんし、実験体として接するよう気を付けます」

「よし。それならいい」

グラウカが頷く。

ひとまず、研究員達からは恋する青年と認識され、素性を疑われる事にはならなかったようだ。


* * * * * * *


 同時刻――。


「ひどい事するよな。3種族だかなんだか知らないけど、実験動物扱いはあんまりだと思わないか?あのグラウカって奴、絶対変態野郎だよな。ポケットに注射器入れてるなんて、どう考えてもヤバイだろ」

グラウカの指示通り部屋に連れ帰ったラファエルをベッドに寝かせ、薄い毛布を掛けてやりながらフレッドが同意を求めると、近くのテーブルの上に置いてあった睡眠薬の瓶を手に取って眺めていたシヨウは、「そうだな」とあっさり頷いた。最近、瓶の中の薬の減り具合が以前ほど極端ではなくなっていると気付く。

「個人的には、動物を実験対象にするのも反対だけどな。……お前、ラビシュの出身か?」

「え?」

唐突に脈絡のない質問をされ、一瞬言葉に詰まってしまったフレッドだったが、”ヴィドール人フレッド”としてのプロフィールを思い出し、慌てて言った。

「南の方だよ。ジャスパって港町があるだろ?でも、何で?」

「俺の知ってる奴みたいなこと言ってたから、もしかしてって思ったんだ。そいつ……俺もだけど、ラビシュの旧市街区出身だから。ほら、旧市街区は研究員の奴らがやってる事を嫌う光の神の信者が多いだろ?」

いまいち腑に落ちないといった表情のフレッドに、シヨウは丁寧に話してくれた。

「ああ、なるほどね」

確かに、サラもその父の祭司サンヨウも、研究員達のやっている事を批判する様な事を言っていた。光の神の信者は、ただ空の種族を神として信仰しているだけではなく、聖域と研究員達の活動に反対しているという事は知らなかった。

「こいつが、本当に空の種族の末裔で翼が生えてたりした日にゃ、旧市街区の連中が血相変えて奪いに来るかもしれねえな」

クックックと、自分の言葉にシヨウは笑った。

「ああ、光の神は空の種族だもんな」

『そんな面倒なことにならなくて、本当に良かった……』

フレッドは心の底からそう思った。もしそうであれば、センタービルから救出できても、今度はラビシュの町から脱出できる気がしないからだ。

「目を覚ましそうにないな」

不意に視線をラファエルに落とし、シヨウが言う。

二人が枕元で話しているにも関わらず、話題にされてる当の本人は固く目を閉ざしたまま懇々と眠り続けていた。



 * * * * * * *


フワフワ ヒラヒラ……


沢山の白いものが、次から次へと空から舞い落ちる。


雪だ……。


いっぱい積もってる。誰か一緒に雪ダルマ作ってくれないかな……。


そう思いながら辺りを見回すと、同じ年頃の子供達が大勢集まっているのが見えた。

『ねぇ、僕と一緒に遊ぼうよ?』

『”ボク”って、誰?』

『僕だよ。----』

『そんなヤツ知らないよ』

『僕だよ!----だよ』

『自分の名前も言えないようなヤツとは、遊んでやんない』 


クスクス アハハハ


大勢の子供達の声が、さざめきとなってこだまする。


ちゃんと言えるよ!僕は----……


ちゃんと発音しているはずなのに、何故か言葉がうまく出てこずもどかしい。


僕は……。


思わず零れそうになった涙をこらえ、歯を食いしばる。


泣くもんか!男だし、子供じゃないし。


まるで慰めるかのように頬に触れ、フワフワと落ちてきた白いものを何気なく手で受け止めてみると、今まで雪だと思っていたそれは雪ではなかった。

冷たいと感じていたのも、単なる思い込みだったのだろうか?何故か温かいような気さえする。


……羽?


驚いて空を見上げると、相変わらず空から白い雪……ではなく羽が落ちてきて……そう思い掛け、もう一つの思い違いにも気付く。


違う。

空から落ちて来てるんじゃなくて、風で舞ってるんだ……。


ハヤク……


え?何?


オマエ ヲ マッテル……


まとわりつくほどに数の増えた白い羽を手で払いのけながら、声の主に問い返す。


僕は貴方達を知らない。人違いだよ。誰を待ってるの?


オマエ ハ セレステ ア……


違う違う!僕の名前は……!!


たまらず叫んだ瞬間、失くしていたものを一つ見つけた。



* * * * * * *


チッ チッ チッ チッ


腕時計の秒針が静かな音で時を刻む。


1時間――。


ランクXとランクCの戦闘が終了してから、これだけの時が経過していた。しかし、この部屋ではそれ以前から時の流れが止まってしまっているかのようにも思える。

この1時間、ランクX――ラファエルは、狭い部屋に置かれた粗末なベッドの上で死んだように眠り続けていた。疲れ果てて眠りこけているわけでも、何かのショックで意識を失ったわけでもない。グラウカに麻酔を打たれたせいだった。

「…………」

ベッドの傍らの椅子に座った白衣姿の研究員エトワスは、ラファエルの目覚めを待ちながら、その耳元で銀色に光る”RANK-X”という文字の記されたイヤーカフをぼんやりと眺めていた。

戦闘開始から僅か数分後、突然ラファエルは絶叫した。それはランクCが彼に飛び掛かった瞬間だったので、その時ガラス越しに見ていた研究員達は皆、彼がランクCに攻撃され負傷したのだと思い、貴重な実験体が殺されてしまったと血相を変えたのだが、結局”地底の種族のなれの果て”からラファエルを庇い怪我を負ったのがファイターだったという事実が分かると、エトワスを除いた研究員達は皆ほっと胸をなで下ろした。

とは言っても、前回のドールとの戦闘の際と同様、早々に戦闘中止を余儀なくされた事に代わりはなく、殆ど皆無に近い結果にグラウカはかなり不服なようだった。


「……」

あまりにも静かなため、壁に寄りかかり立ったまま居眠りをしそうになってしまっていたシヨウは、ほとんど閉じかけていた瞼を苦労して開き、眠気を覚ますため軽く頭を振った。

ベッドの傍らに置かれた金属製の椅子に座っている若い研究員も居眠りをしているのだろうか、俯いた姿勢のままで殆ど動かない。

しかし、不意に彼は椅子から立ち上がるとベッドの方へ身を乗り出した。

「……ラファエル?」

研究員の呼び掛けに、眠っていたラファエルが小さく声を上げた。

「う……」

続いて、微かに金色の睫が震え、数秒後ゆっくりと瞼が開かれた。

「…………」

しばらく視線を彷徨わせていた瑠璃色の瞳は、やがてぼんやりとした光で傍らに立つダークブラウンの瞳を持つ研究員の姿を捉えた。

「気分はどう?」

視線が合うとすぐに、研究員――エトワスはそう尋ね少し微笑んだ。

「…………」

ラファエルは彼を見上げたままゆっくりと体を起こすと、何故か急に困ったような哀しげな表情になった。

「……ジェイド……さん……」

「ん?」

何?と首を傾げるエトワスの前で、ラファエルは一度悔しげに唇を噛み呟いた。

「何で……何で……」

シヨウは、以前グラウカに暴言を吐いた時と同じように、ラファエルがおかしくなっていると思い二人の方へ少し身を乗り出した。研究員の身の安全を守るのもファイターの務めだ。一方、エトワスにジッと視線を注いだままのラファエルは、シヨウの存在には全く気付いていなかった。

「ラファエル?」

エトワスは彼を見上げている瑠璃色の瞳を不思議に思って見返した。その瞳には闘技場で目にした時とは違い、ちゃんと理性の色が窺える。しかし、今までと比べて明らかにどこか変化が現れていた。瞳の色が変わった、という訳ではないが、生気の無かった暗い陰の差した瑠璃色が、再びその鮮やかさを取り戻したかのようにも見える。

もしかして、記憶が戻ったのだろうか?そうエトワスが思った途端、ラファエルは不敵な笑みを浮かべて彼を睨みつけた。

「……お前、死んだんじゃなかったのかよ?」

恐る恐る、しかし挑戦的な瞳をしてラファエルはそう言った。実際、彼は試していた。目の前に立つ人物が、本当に彼の”記憶”の中にある人物なのかどうか。死んだと聞かされていた人物が、自分の目の前に……居るはずのない場所に立っているのが現実なのかどうか。

「生きてるよ」

まるで、残念だったか非難されているかのようにも受け取れる言葉に、エトワスはただそれだけ答えて笑った。

シヨウは困惑しながらも、”おかしくなった”ラファエルの言動と、それに動じようともせずに”付き合ってやっている”らしい研究員のやりとりをじっと観察している。

「え……」

ラファエルは何か言おうと口を開きかけたが、急にピタリと口を閉ざしてしまった。

「ラファエ……ディートハルト?」

エトワスが久し振りにその名前を呼んだ途端、まるでその言葉が合図であったかのように瑠璃色の瞳は急速に潤み、大粒の涙がボロボロと零れ落ちた。

「えっ……エトワスうぅうーー!」

ラファエル――ディートハルトは、ベッドを下り勢いよく彼にしがみついて泣き出した。どうやら本当に記憶が戻ったようだった。エトワスは内心ほっと安堵の息を吐く。

「よかっ……ううっ、えっ、みん、な おまっ が 死んだっ て でも、ううっ……おれっ……約束っ し、から……っ……」

ディートハルトは何やら言っているのだが、その言葉は嗚咽のせいでいまいちよく聞き取れない。

「……すっげー怖かっ……ううっ……何でメガネっ……誰かっ、分かん ねえじゃ……ううっ……うっ……」

「ごめん」

見慣れない眼鏡をかけている事に対して苦情が出ているようなので、エトワスは笑いながら眼鏡を外して白衣のポケットに入れた。

「マジで、よかっ……うっ……ううっ」

悔しかった。

眼鏡をかけていたとはいえ、ヴィドールの奴らに何かされていたとはいえ、彼の姿を見てすぐ思い出すことが出来なかった自分が腹立たしかった。その上こんなに泣けてくるのも不本意だった。これではかっこ悪すぎる。余裕の笑みを浮かべて『何だ。お前、生きてたのか?ウルセオリナの奴らが心配してたぞ』くらい言ってやりたかったのに……。そう強がって考えながらも、先ほど見た子供の頃の思い出に似た夢の中の言葉を撤回する。

『男だろうが子供じゃなかろうが、涙が出るときは出るんだ。クソッ!』

「ごめん。心配してくれてたんだよな。ありがとう」

『……良かった。記憶が戻って』

記憶が戻って嬉しいのと泣きじゃくっている様子に胸が痛み、エトワスは幼い子供をあやすようにディートハルトをぎゅっと抱き締め、金色の髪をクシャクシャと撫でた。

今の今まで、この先どうしたものかと途方に暮れかけていたのが嘘のようだった。とりあえず、今彼が記憶を取り戻してくれたことを心の底から嬉しく思った。

『本当に、良かった……』


と、喜びに浸っていたのも束の間、エトワスは不意に傍らに立つシヨウの存在を思い出し一気に現実に返った。ディートハルトを見ているうちに忘れかけてしまっていたが、シヨウはずっと同じ部屋にいる。そして、この状況を最初から間近で見聞きしている。

『そうだった。居たんだ……』

シヨウは、呆気にとられた様子でその状況をただ眺めていた。

『この研究員は、ラファエルに”合わせて”るのか?そうじゃないなら、一体どういう事なんだ??』

「失礼しまーす」

と、扉が開き、間延びした声と共に部屋に入ってきたのはファイターの翠だった。傍らにはフレッドの姿もある。

ラファエルを部屋に送り届けた後、しばらくシヨウと二人で部屋に待機していたフレッドは、研究員達のミーティングを終えたエトワスがラファエルの部屋にやってきたのと入れ替わりに翠の様子を見に行くため医務室へ向かい、治療が終わった翠と二人で戻ってきたところだった。

翠はTシャツと上着が血に染まっている割には元気そうだった。背中の広い範囲に及んだ傷だったが、上着を着ていたお陰で深くはなく縫わずに済み、また、痛み止めの薬が効いているからだった。

「おっと。ラファエル君、元気になったんだ?あー……お取り込み中?」

顔を伏せていた事もあり気付くのに少し遅れたディートハルトは、容赦なく掛けられた声にギョッとしてエトワスから離れた。

「な、何だよ……。ジロジロ見てんじゃねえ!見せもんじゃねーぞっ!も、文句あんのかよ!?」

滂沱たる涙に濡れた顔をわずか数秒でゴシゴシと袖で拭った後、ディートハルトは部屋に入ってきた翠とフレッドに凄んでみせた。しかし、まだ鼻をグスグスさせていて目元も赤くなっているせいもあり、惜しくも迫力に欠けている。

「?(あれ?)」

「?(まさか!)」

翠とフレッドは目を丸くして互いにチラリと顔を見合わせた。自分たち二人を睨み付けているラファエルの姿は、間違いなく彼らのよく知ったものだったからだ。泣いている様子を目撃されて恥ずかしかったのか、それとも邪魔をされて拗ねているのか、とにかく彼は非常に不機嫌そうな表情をしている。そんな様子を見るのも久し振りだった。

『そーか、元に戻ったのか。だけど、こっちのパターンだったかぁ……。絶対キレてエトワスを殴ると思ってたんだけどなぁ。これはエトワスが調子乗んな、きっと』

『やっぱりフレイクだったのか……。良かったな。いや、マジで良かった!』

そう思いながらも二人が言葉に出さないのは、エトワスと同様、シヨウの存在を気にしているからに他ならない。そしてその様子に、遅ればせながらディートハルトも、ようやく壁際に立っているシヨウの姿に気が付いた。

『今、翠たちと部屋に入って来なかったってことは……さっきからずっと居たんだよな?何て存在感のない奴なんだ!うぅサイアクだ……!どうしよう!?』

ディートハルトはすっかり動揺してしまい、助けを求めるかのようにエトワスを見上げた。


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