23記憶の欠片 ~混沌2~
翌朝――。
聖域のスタッフルームではいつものように簡単な朝会が行われていた。 各部所の責任者たちが、連絡事項やその日行われる特別な行事をスタッフ全員に伝えるというものだが、エトワスやレイシの所属する”RANK-A・B・X担当、及び外回り班”の部屋でも研究員たちが小さなテーブルを囲み、チーム最高責任者のグラウカの言葉に耳を傾けていた。
「外回り班のサイが一人帰国して昨夜その報告を受けたんだが、彼の話では遺跡が新たに見付かったらしい」
グラウカの言葉を聞いていたエトワスは、またロベリア王国内に新しい遺跡が見付かったのだろうと予想していた。以前、レイシがランクXと出会った時の事を話してくれた際に、このサイという名前の人物だけが、一緒にロベリア王国に渡っていたメンバーの中で未だ出張中だと話していたからだ。現在、スタッフルーム内の半分程の席が空席となっているため、そのうちの何人かがサイと共にロベリア王国で活動していて、今回サイだけが戻って来たという事だろう。
「ええと、何処にやったか……」
グラウカはそう言いながら白衣のポケットを探り、一度席を立って自分のデスクの上の様々な物が積まれた山を漁っていたが、やがて畳まれた紙を見付け出すと戻って来てテーブルの中央に広げた。
それは、エトワスにとっては馴染みのあるファセリア大陸の地図だった。見ると、大陸南部のロベリア王国内に1カ所、そして、大陸のほとんどを占めるファセリア帝国の、北東部に位置するルピナス地方に一カ所、赤い色で丸く印が付けてある。
「!?」
思わず声を上げるところだった。
「今回の遺跡は空の種族のものだが、見付かったのは、ここ、ファセリア帝国のルピナス地方という場所だ」
『ディートハルトの出身地に、空の種族の遺跡が!?』
グラウカが指し示した場所はルピナス地方南部の山林地帯だったが、そこはディートハルトの出身地であるランタナという小さな町のすぐ近くだった。
『いや待て。何でヴィドール人がファセリア帝国内で遺跡を探せるんだ?』
現在、ファセリア帝国とヴィドール国間に国交は無い。輸出入などの物資のやり取りも無く商船や客船も行き来していない。入国すること自体が難しいのに遺跡の発掘までしているというのは、あり得ない事だった。
『密入国でなければ、まさか、アーヴィング殿下が?……これが、手を貸した見返りなのか?』
アーヴィングは、ヴィドールからVゴースト……ドールと魔物を借り帝国内で混乱を起こす見返りとして、ファセリア帝国内で遺跡を探し発掘する許可を与えると約束したのだろうか?そう考えていた。
『いや、でも、それより遺跡の場所がランタナの近くというのは……』
エトワスは警戒国だったはずのヴィドール国の人間が帝国内に入り込み活動しているという事実に驚かされていたが、それと同時に、ディートハルトの出身地近くで空の種族の遺跡が見付かったという事にも衝撃を受けていた。
「凄いですね。こんな遠い外国まで調べに行ってるんですね」
気持ちを落ち着かせ、エトワスは感心した様子を装って口を開いた。
「世界中を調査しているよ」
以前レイシがそうしたように、少し得意げにグラウカが答える。
「残念ながら、うちの部署はドグーのところほど資金がないので、少人数でしか動けないのが辛いところだがな」
「旅費だけでも物凄い事になりそうですよね。でも、ファセリアって国は、ヴィドールと船は行き来していないですよね?」
もちろん、ヘーゼルが手を貸している事は知っているが、不思議そうな顔を作る。
「ああ。だから、ロベリア王国経由で行くんだ。それに、協力者もいてね。少し割高だが、頼もしい人物なんだよ」
「協力者……」
グラウカの説明に、エトワスはピンと来ていないふりをして曖昧な返事をしてみせる。すると、グラウカはさらに言葉を続け、エトワスが聞きたかった事を自ら話した。
「ああ。船と海に詳しい人がいて、彼が船に乗せてくれるんだ。ファセリア帝国とは今のところ国レベルでのものも含め盛んな交流はないが、考古学の研究として遺跡を調査し発掘する目的のため入国する事は許可してくれているから、船さえ用意出来れば何の問題もなく自由に行き来出来るし、国内で調査も出来るんだよ」
エトワスの知る限り、ヴィクトールは許可していないはずだ。つまり、権限のないアーヴィングが遺跡調査・発掘の許可を出した事になる。
「そうなんですね」
納得した様に頷いて見せながら、エトワスは別の事を考えていた。
『アーヴィング殿下は、ヴィドール国がただの考古学の研究の目的で遺跡調査を望んだと考えているんだろうか?』
「2週間後に、私もここへ向かうことになっているが、向こうに行っている3人と交代してもらうため、誰か2人私に同行してもらうよ」
グラウカが機嫌良さげに言う。
「いいですか?」
セミロングの髪をヘアクリップで留めた女性研究員ロサがスッと手を上げる。
「何だ?」
「あちらに行っている3人が戻ってくるまで、実験体の世話をするのが2人だけでは手に負えないのではありませんか?特にランクXは……」
そう訴える女性研究員に、グラウカは「それなら大丈夫」と笑ってみせた。
「帰国したばかりのサイもいるだろ。今は休暇中だけど一週間で戻るよ。それに……」
どこか楽しそうにグラウカがニヤリと唇を歪める。
「次は、ルシフェルとラファエルは、一緒にファセリアに連れて行くことになっている」
この言葉にはチームの研究員ら全員が驚いた。今まで逃げ出さないよう細心の注意を払っていた2人をわざわざ外へ連れ出すということは、その遺跡は余程重要なものであるに違いない。
「誰が私に同行するかは、自分たちで話し合って決めてくれ」
チームのメンバーたちが、誰が”同行するか”ではなく、誰が”留守番するか”を真剣に話し合い出した傍らで、エトワスは密かに今後の計画を練り始めていた。
『……好都合かもしれないな。これなら、わざわざこっちで危険を冒さなくても、ファセリアに渡った後で隙を見てディートハルトを連れ出すということもできるかもしれない。ここに研究員が二人残るとして、一人は俺が残るようにしてもらえれば、実際に残る研究員は一人。アクアの方も連れ出しやすくなるよな。出発は2週間後か。それなら……』
しかし、グラウカの次の言葉によって中断されてしまった。
「同行者の件に関しては、まだ時間もあるしゆっくり話し合って決めて改めて連絡してくれ。その前に、来週予定していたランクXとランクCの戦闘データを今日採ることにする。ランクXがどう反応するか分からないから、ファセリアへ行く前になるべく早く済ませていた方が良いだろうからな」
「……」
エトワスは思わず手にしたペンを取り落としそうになってしまった。地底の種族のなれの果てと呼ばれているRANK-Cは、ファセリア帝国のギリア地方の遺跡で行われた学年末試験でディートハルトを狙い襲ってきた怪物たちと恐らく同じ生き物だ。両者が全く別の性質を持ったものでない限り、あの時と同じようにディートハルトを喰うために襲い掛かるに違いない。唯一の救いは、ラファエルの援護をするファイターたちを研究員側が指名しないという事だった。立候補であれば、必ず翠とフレッドが名乗りを上げてくれるはずだ。
『あの二人が援護してくれれば、とりあえずは安心だけど……』
「何か質問は?」
グラウカの言葉にエトワスは手を上げた。
「何だい、ジェイド?」
「ランクCとXを戦わせる事で、何が分かるんですか?」
「ランクCは、地底の種族が進化し損ねて魔物に堕ちた存在だ。ドールよりも地底の種族のオリジナルに近い。もし、ランクXとランクCが互いに本能的に戦おうとするなら、やはりランクXはランクCと同族で地底の種族の血を引くという事になる。そうでないなら、ルシフェルが主張している様に空の種族だという事になるだろう。水の種族という線はないからな。そうだとすれば、やはりラズライトはランクXが意図的に壊している事になる。いい加減はっきりさせたいんだよ。彼が何の種族の血を引いているのか。私としては、ランクXもルシフェル並みの力を持った存在に育ててやりたいから、ランクCとランクXが互角に戦闘を繰り広げる事を期待しているんだがね」
グラウカは薄く笑いながら楽しそうに話していた。
『ふざけるな!あの化け物とお前が自分で戦ってみろ!』
と、内心考えながら、エトワスは壁の時計に目を移した。戦闘開始まで、あと約4時間だった。
* * * * * * *
「え?」
寝癖がつき、サイドの金色の髪が変な方向にはねているラファエルは、ベッドに座ったままぼんやりとシヨウの顔を見上げた。
「……ハァ」
その様子にシヨウは大仰に溜息をつく。
「だから、こいつは戦闘には向いてないって言うんだ」
「僕は、またドールと戦うの?嫌だよ」
今日は少し怠くて寝坊してしまっていたのだが、シヨウら数人のファイターがただ起こしに来ただけではなく何をしに自分の部屋に来たのか理解すると、ラファエルは眉を顰めて訴えた。
「今日の相手は、ドールじゃなくてランクCらしいよ」
困ったような笑顔でそう言ったのは、翠だった。
「え……。ランクCって、僕会った事ないんだけど。ドールと違うの?」
「ドールなんかより、もっとヤバイ奴だよ」
思わずフレッドは即答していた。
「あ、大丈夫だよ。俺とスイとシヨウもラファエルと一緒に戦うから」
ラファエルがあまりに不安そうな表情をしているので、安心させようとフレッドは慌ててそう言ったのだが、すかさずシヨウがきっぱりと言い切った。
「いや。前回と同じで、お前が危なくなるまで手出しは出来ない。出来るだけ自分の力で何とかしてもらわないと、今度こそ殺されるぞ」
「!(いや、無理だろ!武器があっても苦労する相手なのに、今のフレイクに戦えるわけねえだろ!)」
と、過去に遺跡で地底の種族のなれの果てとの戦闘経験のあるフレッドが、シヨウをキッと睨み付ける。シヨウの方はラファエルを見ているためその事に気が付いていなかったが、翠が宥めるようにフレッドの肩を叩いた。
「にしても、今日のラファエル君、斬新な髪型だねえ」
不安げな表情のラファエルに視線を向け、翠がノンビリと言って笑った。
「ランクCとお前の戦闘開始は、午後1時からだ」
ラファエルは、改めてシヨウの口から、これからランクCと称される”地底の種族のなれの果て”と自分が戦闘しなければならないということを告げられた。当然、彼に拒否権はない。促されるままベッドを降りると、同じフロアの端にある洗面所へと向かう。翠に笑われたので、歯を磨き顔を洗ったついでに髪を水で濡らし何とかいつもと同じ状態の髪型に戻すと、やはりいつもと同じようにファイター専用のトレーニングルームに向かい、昼の休憩時間後に、3人と一緒に闘技場と呼ばれるフロアへ向かった。
* * * * * * *
以前ドールと戦った時と同様に、高い位置にある部屋から硝子越しにグラウカをはじめ多数の研究員たちが彼らを見下ろしている。 今回は、ランクA、B、Xの担当だけでなく、ランクC、D、E担当の研究員達の姿もあり、その責任者であるドグーも来ていた。
広い闘技場内の出入口前には、バトルに参加する3人とは別に、ファイターが2人立っている。彼らは万が一に備えて、それぞれ銃を持ち待機していた。そして、その隣にはエトワスの姿もあった。彼が、グラウカに『戦闘を間近で見たいので、是非見学させて欲しい』と頼んだからだ。グラウカは呆れていたが、若い新人研究員なので魔物の本当の恐ろしさを全く理解していないのだろう。ならば実際に近くで体験してみたらいいと考え、あっさり許していた。レイシはオロオロしていたが、エトワスに付き合って闘技場内に入る勇気はなく、グラウカ達他の研究員と共にガラス越しに見学する事を選んだ。
エトワスと待機している銃を持った2人のファイターの前には、安全のため鉄格子が下りていたが、前面をガードしているだけで左右は開いていて場内に行き来できるような造りになっている。そこは、場内で戦う者達が一時的に避難できるスペースにもなっていた。
「あんた、研究員のクセに珍しいと言うか、度胸があるな」
並んで立っていたファイターが、エトワスに笑って話し掛けてきた。
「バトルを近くで見れるなんて、面白そうだなって思ったんだ」
エトワスは呑気にそう答えて笑顔を返す。もちろん嘘だ。翠とフレッドを信用しているが、居てもたってもいられず近くまで駆けつけていた。
「あのランクCは、マジでヤバいんだぞ。俺達ファイターでも倒すのに苦労する様な奴だ。ま、あいつらが殺られたら、俺達がこいつで何とかするから、あんたはその間に逃げろよ」
と、手にした銃を見せる。
「おい、コウサ!縁起でもねえ事言ってんじゃねえよ」
すぐ近くに立っているため聞こえていたようで、振り返ったシヨウが眉を顰めて視線を向けた。
「大丈夫だよ。オレらだけで何とかするから」
コウサにではなくエトワスに向かってそう言い、翠はニヤリと笑って見せた。
「……」
部屋のほぼ中央に立ったラファエルは、ぼんやりと目の前に置かれたケージを見つめていた。
『嫌だな……』
そう思ったが、それは仕方のないことなんだと自分に言い聞かせる。
『僕は、きっと普通の人間だけど、ほんのちょっと大昔の人間たちの血を引いているかもしれなくて、それを兄さんたちは調べなければならなくて、そのためには僕がここで戦うことが必要なんだ……』
それなら、やっぱりそれは仕方がないことなのだ。我慢しなければならない、そう思う。
ギィ
軋んだ音をたててゆっくりと檻の扉が開き、人の形をした大きくて青白い怪物がのっそりとケージの中から這い出してきた。
「……」
ドクン
突然、自分の心臓が大きく脈打つのが分かった。
「?」
不安ではあったが、ケージの扉が開かれるまではこれ程までに緊張していなかったはずなのに。
急に、体だけが異常に何かに怯え警戒し出したかのようだった。
「??」
意思の方は付いていけずに、何故これ程までに緊張しているのか訳が分からずに戸惑っている。
『え……?何……?』
完全にバラバラになってしまった、精神と体の不一致にラファエルは言いようのない不快さを感じていた。
冷たい汗が背中を伝っていくのが分かる。
カシャ カシャ カシャ
鋭い爪が床に当たる固い音がゆっくりとラファエルに迫ってきた。 瑠璃色の瞳を大きく見開き、ラファエルは微動だにせずその怪物の一挙手一投足を凝視している。
対峙したランクCの鈍く光る暗く赤い瞳にも、はっきりとラファエルの姿のみが映っていた。
『こいつ、知ってる……! 』
怪物が檻からラファエルの元まで歩み寄る時間にして僅か数秒の間に、ラファエルの脳裏に突然鮮明な映像が浮かんで消えた。
ドクン
再び、鼓動が大きく高鳴る。
ラファエルは、ルシフェルのものとはまた異なるその暗く赤い濁った瞳に見覚えがあった。
『……でも1匹じゃない、沢山いたんだ……』
怪物との距離が縮まるにつれ、ラファエルの鼓動もだんだん早く大きくなっていく。
ラファエルは必死で記憶を探った。 フラッシュバックのように、様々な映像や音声が怒濤のごとく脳裏を駆けめぐる。
血にまみれた制服らしき灰色の服が……。
乾いた銃声が……。
『ナンデ オレト フレイク ガ』
自分を嫌っている誰かがそう言った。
闇の中で白刃が煌めき、赤い目をした大きな男の胸を刺し貫いた……。
赤い瞳をした怪物……。
『オマエヲ オッテキタ』
そう怪物は言った。
今目の前にいる怪物と同じ目をした怪物が。
どこで……どこで、どこで見たんだ……??
僕は………………
「ラファエル!」
誰かが背後で声を上げたのと、ランクCの大きな手が伸ばされたのはほぼ同時だった。
「!」
突然飛び掛かってきたランクCは、鋭い爪の生えた手で掴みかかりラファエルの体を押し倒すように激しく床に叩きつけた。一瞬、背中を強打したため息が止まり、ラファエルは死ぬかと思った。
「あう……っ……!」
呻きながら霞む目を開き、自分を押さえつけている怪物の姿を必死に見上げてみると、その怪物は耳の辺りまで届きそうなほど大きく裂けた口に、はっきりと笑みを浮かべていた。
『ああ、そういえば……あの時もそうだった……』
首を締め付られ酷く苦しいと感じながらも、ラファエルはそうぼんやりと考えていた。
『どうせなら、ひと思いに……。食べられるのは嫌だな……』
ラファエルは、ゆっくりと瞳を閉じた。
「……?」
不意に体が軽くなり同時に苦痛から解放され、ラファエルは不思議に思い閉じていた目を開いた。
「バカかお前は!」
そう言いながら乱暴に上着を掴んでラファエルの体を引き起こしたのは、ファイターの翠だった。
「観念してんじゃねえよ!ぼーっと見てたってしょーがねえだろ!?今は、考え事してる場合じゃねえんだよ!」
ラファエルは締められていた喉が楽になった反動で、今更ながらゴホゴホと咳き込んでいたが、傍らでシヨウとフレッドが戦っているランクCの怪物に視線を移すと、凍り付いたように固まってしまった。
「おい、ラファエル?」
翠が掛けた声は、怪物が上げた咆哮でかき消されてしまった。
「あ……」
ラファエルの瑠璃色の瞳とランクCの濁った赤い瞳が互いの姿を捉え、その視線が宙で交錯する。
シヨウとフレッドを振り切って、ランクCは再びラファエルの方へ向き直り足を踏み出した。
「グオォオオオオオオオオオオ!!!」
再び上がった低い咆哮が部屋に響く。
その瞬間、ラファエルの中で、目の前の怪物と記憶の中の怪物の姿が重なった……。
『寄越せ……目玉を血を……肉、喰わせろ……』
その時、突然はっきりと言葉になった音がラファエルの耳に届いた。 それは、実際にその場で怪物が口にしたものではないので彼以外の者には聞こえていない。
過去――ラファエルが忘れていた過去に、目の前のランクCと同じ目をして、後に同じ姿に変化した怪物が彼に向けて吐いた台詞が、今になって彼の中で甦り幻聴となってその耳に届いたものだった。
「うぅ……」
恐怖に耐えられず後退りする。
怪物は大きく跳躍し真っ直ぐラファエルめがけて飛びかかり、同時にラファエルの傍らにいた翠が動いた。
「クソッ!」
真っ赤な鮮血が飛び、ラファエルの頬と服を温かいものが濡らす。
次の瞬間、ラファエルは絶叫していた。
「わあああああああああっっ!!!」