17がらくたの街 ~接触4~
翠達2人と待ち合わせした正午もとうの昔に過ぎた午後17時過ぎ、エトワスは数時間に及ぶ筆記試験と面接からようやく解放されていた。筆記の試験終了後から面接開始までは空き時間があり“休憩”という事になったので、翠とフレッドを捜しに行きたかったのだが、まだ面接が残っていて試験は終了していないからと言う理由で他のフロアに行くことは許されず、同じ階にある図書室で時間を潰す事になり、未だ二人に会う事は出来ないでいた。
「ご苦労様!スタッフルームに案内するから、付いて来て」
面接が終わり事務室の様な小さな部屋に連れて行かれたエトワスは、彼と同世代の栗色の髪をした眼鏡をかけた青年に、綺麗に畳まれた白衣に似た服を手渡された。エトワスも、翠達二人と同じく、面接終了直後にもう採用を伝えられていた。他に受験した者がいなかったからかもしれない。余程人手不足なのだろう。そうエトワスは思っていた。
「ええと、ジェイド君って言ったっけ。それ着てね、制服だから。中は何を着ても自由だよ。あ、僕はレイシっていうんだ。君にここの事を色々教える事になったんだ……なんて言うとスゴイ偉そうだけど、君と同い年だよ。どうぞよろしく」
エトワスは、「よろしくお願いします」と言って、受け取ったばかりの白衣を着た。
「あ、僕達は同い年だしさ、同僚になった訳だから敬語とかじゃなくて普通に話してくれていいよ。周りが年上ばっかりだから今までちょっと寂しかったんだ」
そう言って、レイシが懐っこい笑顔を見せる。
「そうか。それじゃあ、改めて。よろしく、レイシ」
エトワスがそう言うと、レイシは嬉しそうに笑った。
「うん、よろしく。お腹空いただろ?食堂があるんだ。一緒に行こうか?」
昼の休憩は、翠が予想した通り受験者の昼食は用意されていて、試験会場ではなく別の空き室で食事する事になった。もちろん、翠達と約束していた場所に行くつもりだったのだが、不正防止のため休憩しているその部屋とトイレ以外に行く事を禁止されていて、待ち合わせ場所に行く事が出来なかった。
「嬉しいな。行くよ」
エトワスが答え、二人が揃って部屋を出ようとした時だった。
突然、乱暴に扉が開き、荒々しい足音と共に黒髪の男が入ってきた。
「グラウカさん、どうかしたんですか?」
不機嫌そうなその男に、レイシは驚いたような顔で尋ねた。その男は面接官で、エトワスの採用を決めた人物でもあった。
「全くあいつは手に負えない!いい加減、愛想が尽きた!」
ブツブツと文句を言いながら、グラウカは白衣を脱ぎ捨てた。
「ああ、ランクXですか……」
苦笑いするレイシの言葉には答えず、グラウカは尋ねた。
「他のスタッフは何処へ行った?」
「え、もう、みんな帰りましたよ」
レイシの言葉に、グラウカは壁の時計に視線を向けて軽く眉を顰める。「早いな」と小さく呟いていた。
「じゃあ、お前があいつに薬を持っていってくれ。私も出るから」
「ええ!?嫌ですよ!」
グラウカの言葉に、レイシはブンブンと大きく首を振った。
「だって、最近かなり不安定なんでしょ?あのランクAに大怪我をさせたって言うし、嫌です!」
「今日は大丈夫だろう。念のため、これを持って行け」
そう言いながら、グラウカはジャケットの内側から小さなケースを取り出した。
「麻酔だ。何かあった時には、ファイターに協力して貰って使えばいい」
「そんなもの、使ったことないし無理ですよ!」
受け取る事なく両手を振って拒否しながら後退りし、あくまで断ろうとするレイシの横から、エトワスが一歩進み出た。
「俺で良ければ、行きましょうか?」
とにかく、センタービル内に潜入できたからには出来る限りの場所を調べてみるつもりだった。
「うん?ああ、ええと名前は……」
グラウカは、人差し指を立てて、「ええと……」と小刻みに振り、逆の手の掌を頭に当てる。
「ジェイドです」
「そうそう、ジェイド君だ」
グラウカはポンと手を叩く。
「よし。初仕事という事で、君に頼もう。じゃあ、薬はレイシが作るから、持って行ってくれ。場所は案内して貰えばいいな。一人で心細かったら、その辺をうろついているファイターに声を掛けて付いてきて貰ったらいい。よろしく頼むよ」
グラウカはそう言うと、さっさと部屋から出ていった。
早速、レイシが部屋の隅にある棚から金属製のカップと適当に見繕った果物や野菜を取り出し、部屋の隅にあった水道で手早く洗うと、そのすぐ横の机に置いてあったハンドジューサーに放り込みドロドロの液体をカップに注いだ。
「それは?」
最後に、白い粉末を量を確かめる様子もなく金属のスプーンで適当にすくい何杯もジュースの中に入れてかき混ぜていたため、不審に思ったエトワスが尋ねると、レイシはカップを彼に差し出して言った。
「精神安定剤みたいなものだよ。これを飲ませなきゃ暴れる恐れがあるから」
「……(そんなに入れるものなのか?)」
「さ、行こうか」
レイシに促され、エトワスは部屋を出た。
採用を伝えられた直後に、実験体についての説明は多少ではあるがグラウカに聞いていた。エトワスが所属する事になる研究員チームの業務内容を簡単に教えられた際にチラリと触れられた程度だったのだが、古の失われた種族達に関りがあるとされるその実験体達には、上から順にA、B、C、D、Eのランクがあり、AやBは姿形も地上の種族である現代の人間と変わらないが、C~Eは魔物とさほど変わらないという。
実験体になっていると思われるディートハルトとアクアは、RANK-AかBではないかとエトワスは予想していた。理由は、二人は魔物ではないからだ。RANK-Xについての話は出てこなかったのでXがいるという事は知らなかったが、順番から行けば魔物かそれ以下の存在ということなのだろうかと考えていた。先程のグラウカとレイシの会話からすると、狂暴な性質である事も予想される。今日は試験を受けたばかりなので、実験体についての事も含めて、明日以降改めてこれから少しずつ詳しく教えていくと言われていた。
「僕はさ、子供の頃からすっごく歴史が好きでさ……って言っても、近代とかは興味がなくて古い程好きなんだけどね、何か夢のある物語みたいだろ?同じ理由で神話とか伝説も大好きなんだ。だから、古い遺跡とか文明とか研究してるって噂に聞いていたこの職場が凄く良いなって思って、応募したんだ。ジェイドは?何で応募したの?」
廊下を歩きながら、レイシが楽しそうに笑顔を浮かべて尋ねる。
「俺は、単純な動機だよ。ただ、センタービルっていうこの場所で働きたかったんだ」
下手に話を合わせ、レイシの様に遺跡や歴史が好きだから等と言うとボロが出ると考え、エトワスはそう答えた。
「え、何で?」
レイシは目を丸くする。
「この町で一番目立つ高い建物だし、センタービルで働いてますって言ったら、何かかっこいいだろ?」
エトワスの答えにレイシはキョトンとすると、笑い出した。
「何それ、そんなの初めて聞いた!そんな動機ってあるんだ?もしかして、面接でそれ言った?」
「いや、面接官には聞かれなかったから」
面接官のグラウカは、エトワスの志望動機に興味はなかったのか、ほとんど一方的に世間話の様なものをしただけだった。
「ああ、そういえば、僕も去年受けたんだけど聞かれなかったよ。グラウカさん、こっちには興味無さそうで自分の話ばっかりしてたな」
そう言ってレイシが笑う。
「ああ、同じだよ。でも、採用されたからには、どんどん学んで真面目で有能な研究員になれるよう努力していくつもりだから、色々教えてくれるとありがたいな」
笑顔のエトワスに、レイシは大きく頷いた。
「分かったよ。何でも聞いて!」
それなら、と、ディートハルトやアクアが属しているかもしれない実験体RANK-A、Bの事を聞こうと思ったのだが、エトワスが尋ねる間もなく目的地であるRANK-Xの部屋に着いてしまった。その部屋は彼らが居たすぐ下の階にあった。
「着いたよ」
「え、もう?」
「近いからね。あ、ファイターを探さないとな」
そう言いながら、キョロキョロと辺りを見回しウロウロし始めたレイシに、エトワスは首を横に振って見せた。
「いいよ。一人で行くから」
何も知らない新人の言葉に、レイシは困った様に笑った。
「さっき、グラウカさんと僕が話してるの聞いてただろ?RANK-Xは危ないぞ?」
「大丈夫。これでも俺は、ちょっと腕に覚えがあるんだ」
ニッコリ笑うエトワスに、レイシは呆れたようだったが、それ以上引き留めようとはしなかった。
「じゃあ、僕は一応ファイターを探してくるよ。気を付けて」
そう言って、レイシはRANK-Xの部屋の前の廊下から少し離れた階段の近くに移動した。そこなら、上下の階からやって来るファイターを捕まえる事が出来るからだ。
『薬が無ければ暴れるって事は、やっぱり魔物なのか?』
それなら、ヴィドール行きの船で見た物と同じように、部屋の中に檻があるのかもしれない。エトワスはそう考えながら、部屋の扉に手を掛けた。剣も銃も持っていないので警戒しながらドアノブを引く。
カチャ
危ないと言っていた割に、金属製の扉には鍵は掛かっておらず、重い扉だったが簡単に開いた。
「……」
とりあえず中に入り扉を閉めたのだが、部屋が薄暗いため明るい廊下から入ったエトワスには、最初、中の様子は分からなかった。しかし、魔物の気配は無く殺気のようなものも感じられなかったため、すぐに部屋の入り口の壁にある部屋の照明のスイッチを探り当てると、躊躇いもなくカチリと付けた。
「!」
そこに檻は無く、小さな部屋の小さな寝台の上に膝を抱えて座っていたRANK-Xの実験体は、突然ついた明かりに驚いたように顔を上げた。
そこに居たのは、魔物では無かった。
「…………」
大きく見開かれたダークブラウンの瞳と、やはり少し驚いたような、しかし、少し塗れた瑠璃色の瞳が互いの姿をその瞳に映している。
「ディート……ハル、ト……!?」
数十秒後、やっとそれだけ、名前を口にしたエトワスに対して、瑠璃色の瞳の主は大きく表情を変えることなく、何やら指さして言った。
「零れるよ」
「え?……あ」
駆け出す寸前だったエトワスは、その言葉で踏み留まり、自分が手にしたカップが傾き中の液体が零れそうになっていることにやっと気付いた。
「ディートハルト、俺が分からないのか!?」
エトワスは傍らにあった小さなテーブルの上にカップを無造作に置くと、彼の両肩を掴むようにして瑠璃色の瞳を覗き込んだ。その瞳は、サラに見せられた”天使の涙”の異名を持つ光を散らす石にやはりよく似ている。
「え、何?分からない。知らないよ。それに、僕は”ラファエル”だよ」
「!?」
エトワスは言葉を失って”ラファエル”の顔を食い入るように見た。見間違えるはずはない。痩せたように見えるが、確かに彼はディートハルトだった。瑠璃色の瞳はもちろん顔立ちも彼だし、喋り方が違うがその甘めの声もそうだ。しかし、雰囲気は違う。
『でも、絶対にディートハルトだ』
そう、断言出来た。
『これは……』
“ラファエル”の左耳に4つ並んだ、青くて丸い石が1個と銀の小さなフープが3つという見慣れたピアスの一番上に、銀色に光るイヤーカフのようなものが取り付けられていることに気付いた。髪に隠れているが、よく見ると”RANK-X”という文字が記されている。それは紛れもなく、説明を聞いたばかりだった実験体の完成度や価値を表す印だった。
『あいつら!』
つい先程、事務室で話していたレイシとグラウカのやり取りを思い出し、エトワスは表情を曇らせた。一瞬、彼らや他の研究員達に対して殺意にも似た強い怒りを覚えたが、彼を不思議そうに見上げていたラファエルの言葉で我に返った。
「放してくれる?」
「ああ、ごめん」
エトワスはすぐに彼の両肩を掴んでいた手を放すと、数歩身を引いた。すると、ラファエルは当然のことのように、テーブルの上に置いてあったエトワスの持ってきたカップにスッと手を伸ばした。
「待て!」
「……何?」
突然制止され、びっくりしたような瑠璃色の瞳がエトワスを見上げる。
「それを飲むな」
咄嗟にそう言っていた。深く考える余裕はない。
「どうして?変な事言うんだね。兄さんも他の研究員の人たちも、みんな来たら、すぐにこれを飲めって言うのに」
エトワスは、カップをラファエルの手から取り上げた。
「いいか、ディ……ラファエル。研究員が持ってきたものを、絶対、口にするんじゃない」
厳しい口調でそう言うと、ラファエルは困ったようにエトワスを見上げた。
「でも、毎日ちゃんと飲まなきゃ体の具合が悪くなるって、兄さんが言ってるよ。それに、飲まないと怒られるよ」
レイシは“精神安定剤みたいなものだ”と言っていたが、全く信用できなかった。
「じゃあ、飲んだことにしておけばいい」
そう言うと、エトワスは左手に持ったカップを自らの肩の辺りの高さまで上げ、一方、腰の高さに持ってきた右手目掛けてカップの中の液体を零した。
「!?」
カップから零れ落ちた液体は当然下へ……右手の方へ向かって流れ落ちた。しかし、右手を濡らすことはなく、寸前で宙に溶けるように消えていった。正確に言えば、蒸発していた。エトワスの右掌付近に生じた赤い炎のような光に触れると同時に、一瞬にして蒸発し跡形もなく消えて行く液体をラファエルは驚きの眼差しで見ていた。
「すごい!それ、手品?」
目を丸くして問われ、エトワスは切なげな表情で小さく笑う。
「いや、違うよ。ラファエル、これは多分、”飲んだら”具合が悪くなる薬なんだ。研究員たちの言うことを信じたらダメだ」
「え?……どういう事?」
狐につままれたような表情をしているラファエルに、エトワスは真剣な表情で語った。
「騙されてるんだ。グラウカや他の研究員に。実験体として協力させるために」
「でも……」
ラファエルが戸惑ったように口を開きかけたとき、小さなノックの音と共に扉の外からエトワスに向かって呼びかける声が聞こえてきた。
「おい、大丈夫か?」
恐る恐る掛けられた声は、レイシのものだった。
「ファイターが見付からないんだ。早く行こう」
「呼んでるね。帰るの?」
「行かないと、怪しまれるからな」
エトワスは小さく溜息を吐く。
「ラファエル、今俺が言ったことは分かったよな?とにかく絶対、研究員が持ってきた飲み物は飲むなよ」
エトワスはレイシに聞かれないよう、少し声を落としてそう念を押した。そこへ、再びレイシが呼ぶ声がした。
「……」
ラファエルは信用出来ないと思っているのか、エトワスの言葉に返事はせずにぼんやりと彼の顔を見上げている。
「また来るよ」
ラファエルの”兄”、グラウカがその部屋を出て行く時に口にする言葉と同じ台詞を吐き、エトワスはギュッとラファエルを抱きしめた。
「……すまない」
兄のグラウカには肩に手を触れられただけで不快でたまらなかったラファエルが、何故か今は振り払う気には全くならなかった。
「どうしたの?」
初めて会った研究員が、顔を伏せたまま動かないためラファエルは不思議に思っていた。
「すまない」
ラファエルを解放したエトワスがもう一度そう言うと、ラファエルは首を傾げた。
「何か、辛い事があったの?」
「え?」
「凄く悲しそうな顔してる」
「え、あ、そうか……」
エトワスは困った様に笑って、目元を擦った。涙をこぼしてはいないが少し涙腺が緩みかけてしまったのは事実だ。再び、レイシが呼び掛ける声が聞こえ、エトワスは仕方なくラファエルに背を向ける。
「……ねえ、君は誰?」
部屋を出る寸前、背後からそう声を掛けられたエトワスは、苦笑したように、しかし少し哀しげな瞳で笑うと、
「新入りの研究員のジェイドだよ。君の友達だ」
そう答えて部屋を後にした。
「……」
知らない人のはずなのに……。
『友達だ』と言われ、そうだった。と、すぐに納得してしまったのは何故だろう?
ラファエルはぼんやりとして、閉ざされた金属の扉を見つめていた。
数週間前、ラファエルがルシフェルに呼ばれ彼の部屋を訪れた際の出来事を、ルシフェルはグラウカたち研究員に話したらしく、それ以来ラファエルはグラウカに『早く力を目覚めさせろ』『翼を見せてみろ』と、無茶な要求をされ続けていた。ルシフェルの言葉で、グラウカはラファエルが地底の種族ではなく空の種族だということを確信したようだった。そのため、グラウカは遠い異国の遺跡で見付かった小さな”空の石”ラズライトを、幾度となくラファエルの元へ持って来て見せた。ラズライトは空の種族が好んで使用していたとされる石であるらしく、そのため、ラファエルに変化を及ぼすのではないかと考えたからだ。しかし、ラファエルの手に渡される度に、その小さな黒っぽい石は瞬間的に青く煌めき、同時にラファエルの方はひどく気分が悪くなり、わずか数秒後には石は粉々に砕けてしまう。そのような現象が続いていた。グラウカはラファエルが何らかの力を使ってわざとやっているのだと責め立て、ラファエルが何度『違う』と訴えても聞く耳を持とうとしなかった。そのせいもあり、最近ラファエルは兄であるグラウカが部屋を訪れるのを厭うようになっていた。
今日もグラウカに理不尽な事で怒鳴られて責められ、ジェイドと名乗った研究員が部屋を訪れるまでは、悲しくて不安で、一人暗い部屋にうずくまって泣いていた。
しかし、今ではすっかり気分は晴れている。突然現れた、初めて見るはずのダークブラウンの瞳をした研究員の姿を目にした途端、何故か嬉しいような気がした。抱きしめられた時には、心が癒されたような、長く続いていた不安がかき消されたような、そんな不思議な感覚もした。
『本当に、また来てくれるかな……』
ラファエルはそう考えながら、ベッドに潜り込んだ。随分久し振りに、安堵して眠れるような気がしていた。
『来てくれたらいいな』