13オアシスの市場 ~天使の目玉2~
オアシスの市場から近くの町ジャスパに戻ったエトワス達は、移動手段と現地の衣服を準備してくるというサラと、サラが誘った女性陣とは一旦別れ、町外れに待機していた仲間に得たばかりの情報を伝えていた。そこは町の北の出入口のすぐ近くで、砂避けのためのレンガが積まれた場所だった。
「……という事で、予定通りこのままこの国の中心都市ラビシュに向かう事になる」
「元々、ロベリア王国で発掘してたヴィドール人が向かった先は、ヴィドールの中心都市の港だって事は分かってたけど、さらに居場所までピンポイントで分かってラッキーだったね」
エトワスの言葉に続けて翠がそう言うと、真っ先にフレッドが頷いた。
「自分達で探すのは大変だっただろうからな。サラさんの、あとブルネットさんのお陰だよ」
「あのー……」
と、その場にいるメンバーの中で唯一ファセリア人ではない、ラリマーの医師ルーサーが口を挟んだ。
「それなら、ブルネットも、このまま君達とラビシュに向かう事になるのかな?」
元々の予定では、ブルネットやルーサー達ラリマーの者は、ファセリア人達とは別行動し、まずは現在いるジャスパの港でアクアの情報を集める事になっていた。
「そうなります」
ルーサーの質問にエトワスが答える。
「アクアも、俺達が捜しているディートハルトと同じ場所にいる可能性が高いと分かったので、このまま一緒に行動する事になっています」
「ああ、それは良かった。君達が一緒なら心強い」
ルーサーはニコニコしながら、うんうんと頷き、近くの地面に崩れ落ちていたレンガの塊の上に腰を下ろした。
「しかし、ヴィドール人は何を期待しているのだろうねぇ。水の種族の血を引く一族とはいっても、長もアクアも髪の色が珍しいという以外は、何も特別なところは無いんだけどねぇ。私は、何色でもいいから髪が欲しいが」
ハッハッハと笑いながら、ルーサーはツルリとした艶のある頭の汗をタオルで拭う。
「それなら、猶更フレイクの方が研究対象にはなり得ないだろうな」
腕組みをして話を聞いていたリカルドが口を開く。
「髪色などの珍しい身体的特徴もないし、生まれながらに持ってるという属性の力といったような特殊能力もないだろう?」
そう言ったリカルドは、ディートハルトよりも明るく淡い色の金髪で、針葉樹の様な深い緑色の瞳をしている。
「それとも、俺達が知らないだけで隠しているのか?」
リカルドだけでなく、フレッドとロイがエトワスと翠の顔を見ると、他の先輩I・KやE・Kも二人に注目した。
「どう?」
と、翠もエトワスの顔を見る。
「そんな話は聞いた事ないけどな」
本人じゃないのに俺に聞かれてもな……と思いつつ、エトワスが答える。
「少なくとも、髪の色は染めててあの色って訳じゃないから、隠してはいないよね」
エトワスと同じく、ディートハルトとは4年間寮で同室だった翠が言う。ルームメイト二人の知る限り、ディートハルトの髪色が変わっているところを見た事はない。
「属性の力を使ってるところも見た事ないし、『術は苦手だ』って言ってて、実際にまあ、すごく得意って方じゃないよな」
自身は複数の属性の術を扱うE・Kであるエトワスも言う。
「それなら、ヴィドールの奴らは、わざわざフレイクやアクアを連れ帰っても意味が無かったという訳だな」
フンとリカルドが鼻を鳴らすと、翠がニヤニヤと笑いながら視線を向けた。
「あれぇ?もしかして、リカルド君ってばディー君の事心配してんだ?そりゃそうだよね。毎日のように喧嘩してた大の仲良しなんだから」
笑う翠にリカルドが冷めた視線を向ける。
「アホが。そんな事は一言も言っていないだろうが。無駄な事をしたと言っているだけだ」
「でも、こちらにとっては、その方が好都合だったな。ヴィドール人にとってそれほど重要な存在とは言えないのなら、連れ戻すのもそう難しくないかもしれないぞ」
後輩たちのやり取りを聞いて先輩I・Kのブランドンが言う。「良かったな」そう言いたげな視線に、リカルドの目は「だから、違う」と言っていたが、相手が先輩であるため口に出しては言えない。
それからしばらくの間、サラたちの帰りを待つメンバーはノンビリと雑談を続けていた。
「ファセリアにも砂漠があるって思ってたけど、それどころじゃないな。こんな景色、見た事ない」
町の出入り口の向こうを暇そうに眺めていたフレッドが、感心した様に言う。オアシスには水も植物も見られたが、少なくとも今見ている方角には、遠くに岩山が見えているのだが、その手前の見渡せる範囲全てが砂で緑色の物が見えなかった。ファセリア帝国で目にする様な木々や森や山、植物に覆われた平原も農地も見当たらない。
「ファセリアの砂漠は、砂と岩で出来ているからな。あっちは荒れ地だけど、こっちは本当に砂漠だな」
ロイが言う。
「荒れ地で思い出したけどさ、ここなら、“アリジゴク”も巣を作り放題だよな。この町を一歩出たらウジャウジャいるかもしれないぞ」
ファセリア帝国学院騎士科の学生が卒業前に受ける最後の試験を思い出し、虫系が苦手なフレッドが嫌そうに言うと、元同級生だけでなく先輩I・K達も笑った。通称“アリジゴク”と呼ばれる魔物の討伐試験は毎年必ず実施されるため、ファセリア帝国学院騎士科卒であるI・K達は全員経験があり懐かしいからだ。
「お待たせしました」
と、落ち着いた声がして、全員が振り返ると荷物を抱えたライザとベラが立っていた。二人とも現地の人たちと同じような衣装に変わっている。薄手のたっぷりとした布を纏い、カラフルなアクセサリーを身に着けていた。
「おやおや、見違えたよ。華やかな色が良く似合っているね」
真っ先にそう声を掛けたのは、この場で一番年長の医師ルーサーだ。その視線の先は妻でもある看護師のベラだった。
「あら、いやだ。おとうさんったら」
コロコロと笑い、ベラがルーサーの腕をペシリと叩く。
「私に変装は必要ないからって言ったのに、サラさんが“せっかくだから”ってプレゼントしてくれたのよ」
そう話す彼女の茶色い髪と目に合わせたのか、赤とオレンジ色のグラデーションのガラスのビーズがついた腕輪とネックレスが、強い日差しを受けてキラキラと輝いている。
「何も言わなくていいです」
視線を向け口を開き掛けていたE・K二人とエトワスに気付いたのか、ライザがそう告げた。そう言う彼女は、ベラと同じ白とグレーの裾の長い衣服に、濃い緑色のガラスのビーズが付いたアクセサリーを身に着けている。
「え、褒めようと思ったのに」
E・Kのジルがそう言うと、ライザは「お構いなく」と返した。
「それより、皆さんもこちらを着てください」
そう言って抱えていた荷物を配り始める。それは、砂漠色のたっぷりとした外套だった。現地の住民が普段着として着ている衣服ではなく、砂漠を行き来する民が暑さと砂避けのため日常的に使うもので一般的に広く普及している物だ。
「サラさんとブルネットさんは、今、乗り物の手配をしてくださってます。ファセリアのメンバーは、これをラビシュに着くまでの間に読破してください」
そう言って、ライザが近くにいる者から順に手渡し始めたのは、薄めの本だ。
「これは?」
一番最初に手渡されたE・Kのマリウスが尋ねた。
「この国の子供向けのヴィドール語を学ぶための本です。幸い、ここジャスパやラビシュでは大陸間の公用語が使われているようですが、これからセンタービルに潜入する事を考えると、現地の言葉が全く分からない状態では危険だとサラさんが仰っていました」
大陸公用語というのは、ファセリア大陸やファセリア帝国から西にあるレテキュラータ大陸では元々使われている言語のため、ファセリア大陸の人間にとっては母国語だ。
「……」
本に書かれている初めて見る文字に、ファセリア人メンバーの大半が微妙な表情をしている。
ガラガラガラガラ
と、大きな音が近付いてきたため、全員が馬車の音だと認識して顔を上げた。
「!?」
「!」
目の前に現れた物を見て、全員が目を丸くした。そこにいたのは馬ではなく、謎の生物だったからだ。
「何あれ?」
「虫ッ、虫だッ!?」
少し引き気味の翠の横で、フレッドが声を上げて後ずさる。
「虫に見えるな」
冷静に観察していたエトワスがそう言うと、ライザも淡々と説明する。
「通称“フンコロガシ”だそうです」
御者が手綱を引いているのは、黒光りする丸身を帯びた甲虫の様な巨大生物だった。ファセリア帝国の通称“アリジゴク”という魔物も虫の蟻地獄とは似ても似つかない姿をしていたが、ヴィドール国の“フンコロガシ”もそうだった。ただ、アリジゴクに比べると見た目はスベスベと滑らかで丸くて可愛いらしい印象を受ける。その馬車……ではなく“虫”車が1台だけでなく4台連なっていた。
「まさか、これに乗んのか?やべ、吐く……」
フレッドが青い顔をして背を向ける。
「皆さん、お待たせっ。これでラビシュに向かうわよ」
先頭の客車からブルネットと共に下りて来たサラが、眩しい笑顔で完全に引いている一同を見た。
「あ、これは“馬”だから。やっつけちゃダメよ」
ファセリア人全員が帯剣した兵のため、サラが笑顔で言う。
「いや、馬じゃないだろ」
エトワスの背後に避難する様に隠れたフレッドが、なるべく見ない様にと目を細め、青い顔だけ出して言う。
「見ての通り、動物の馬じゃぁないわね。でも、砂漠では馬代わりに使うのよ」
「いや、馬じゃなきゃラクダって奴を使ってくれよ!砂漠だし、いるんだろ?虫はやめてくれ……」
「でも、きっと、アレは虫でもないと思うよ?」
フレッドが虫嫌いだと知っている翠がノンビリとそう言った。
「そうね。昆虫じゃないわ。ほら、足がいっぱいあるでしょ」
「だから嫌なんだ……」
と、フレッドが青い顔でブツブツ言っている。
「でも、魔物とも言えないのよ。唯一無二のこういう生き物って言った方がいいのかも。人間も動物も襲わないし、多肉植物を食べる賢くて懐っこい大人しい生き物よ。ちょっと大きすぎるからペットとして飼ってる人は少ないけど。通称は“フンコロガシ”だけど、正式名称はマルコロっていうの。足のとこからお砂糖みたいな香りがするのよ。可愛いでしょ?」
サラの、うふっ♪という擬音が付きそうなキラキラした微笑みに、先輩I・Kの一人が「可愛いッス……」と惚けていた。
「先頭の1台は、私とブルネットとライザさん、ベラさんで乗るから、後は皆さん適当に分乗してね。用意が出来次第すぐに出発するわ」
* * * * * * *
サラと共にジャスパから中心都市ラビシュに向けて一行が出発してから、1時間程が過ぎていた。今のところ魔物に遭遇することもなく何の問題もなく順調に快走を続けている。1台目の車には女性陣が、2台目の車には先輩I・K二人とリカルドとロイが、3台目の車にはエトワスと翠、フレッド、そして医師のルーサーが、最後尾の車には先輩I・KとE・Kがそれぞれ二人ずつ乗っていた。
「この印も村か何かかな?」
サラに渡されたヴィドール国の地図を広げていた翠が言う。ラビシュより南西の砂漠に小さな印を見つけていた。ラビシュや他の町は大陸間の公用語で名前が記されていたが、その印だけは非常に小さいせいかヴィドールの文字しか書かれていなかった。
「リ……マ。いや、リーマ?かな。何だろう?地名ではあるんだろうけど……」
翠の隣に座っていたエトワスが地図を覗き込み、ヴィドール国語の本と地図を見比べて言う。
「どれどれ?私に見せて」
ルーサーが眼鏡をクイっと上げて向かい側の席から身を乗り出した。
「私は生まれも育ちもラリマーなんだが、若い頃、医師になるためにヴィドールで学んでいた事があってね。その時言葉も覚えたんだよ。だから今回、長が私をヴィドール行きに指名したんだ」
翠は地図を回転させてルーサーの方へ向きを変えると差し出した。
「それじゃ、ヴィドール国に来るのは初めてじゃないんスね」
「いやいや、ヴィドール大陸に来たのは初めてだよ。この大陸に着く前に寄った一番大きな島があったろう?あの島にいたんだよ。あの島は昔からラリマーと盛んに交流があったからね」
ジャスパに着くまでの間にいくつか違う島に寄港していたが、最後に寄った島がルーサーの言う島だった。
「と言っても、ヴィドール国領ではあるけど、あの島にはあの島独自の文化があって大陸の方とは全然雰囲気が違うし、言葉も大陸間の公用語が広く使われてるんだけどね。ああ、ここだね。そう、ここは、リーマだね。村だよ」
地図の文字と記号を確認しルーサーが言う。
「リーマ……。ああ、そう言えば、昔、島の友人達に聞いた事がある。砂漠にリーマという村があって、村全体で闇の神を信仰しているって。偶然かもしれないけど、本当にそんな名前の村があったんだな」
そう言いながら、ルーサーは記憶を辿る様に顎に手を当て首を捻る。
「サラさんは、闇の神の信者の数は少ないって言ってたけど、それなのに村人全員が闇の神の信者って、なんかすごいッスね」
翠が言う。
「スゴイというか、ちょっと怖いよな」
今まで目を瞑って眠っているようだったフレッドが、急に目を開けて言う。
「そうだねぇ。確かに怖いかもしれないね。闇の神の信者たちは、神に血や生贄を捧げるような儀式を行っているって話だったからね」
「生贄?……確か、闇の神は地底の種族の事だって言ってたよな?人間が生贄を求めるって……」
ルーサーの言葉に、フレッドが引きつった笑いを浮かべる。虫が苦手なため馬車に乗る事を躊躇していたが、今は車内にいてその姿を見なくて済むため落ち着いているようだった。
「神に捧げるって話はありがちだけど、でも、人間の場合でも、その生贄が“敵”であるなら、求めたり捧げたりって事もありそうだよな」
「確かに」
エトワスの言葉に翠が同意すると、フレッドが疑問を口にした。
「だけど、同じ大陸に光の神の宗教があるのに、何で敢えて闇の神の方を信仰してるんだろう?わざわざ生贄を捧げてまで」
「それは、恐れているからだよ。闇の神の信者たちは、魔物を従え操るという闇の神の力を恐れていて、崇め敬う事で自分達を守って貰おうという考え方らしいよ」
「なるほど……」
「まあでも、血や生贄を捧げるって事に関しては、私が若い頃の話で40年くらい前に聞いた話だから、今もそういった噂があるかは分からないよ。それに、“闇の神”というだけで、勝手に怖いイメージで尾ひれがついて伝わった噂かもしれないしね」
ルーサーが穏やかに笑いながら言う。
「魔物を従え操る力を持った闇の神様ねえ……」
翠がそう言って、チラリとエトワスとフレッドに視線を向ける。
「ファセリア人としては、気になる存在だよね」
翠の言葉に、少し前に、操られているらしい魔物と遭遇した経験のある友人二人は頷いた。
「ああ。興味があるな……」
* * * * * * *
開かれた分厚い本の頁は、風に吹かれたかのようにゆっくりとまた1枚めくられた。誰も手を触れてはいない。しかし、ゆっくりとしたペースで規則正しくその本の頁は1枚ずつめくられ続けていた。長い年月を経て変色してしまった古びた紙には、どの頁にもぎっしりと黒い小さい文字が並んでいる。左から右へ……。滑るようにその文字を追うのは、黒い瞳だった。
「……」
ふと本から上げられた瞳が室内の照明を受け、その瞳の色が黒ではなく赤だということが分かる。血のように濃く暗い赤だった。
「……来る」
赤い瞳が、宙に浮いていた本から閉ざされた扉へ――この部屋へと向かうことになる人物がいるであろう方向へ向けられた途端、興味を失われてしまった本は例外なく全てのものが受ける法則に従って重たげに床に落ちた。
「僕の声が聞こえたんだね。会えるのが楽しみだよ……」