4−18 沈黙は礼儀ではない
差し出された手を、オネットは振り払った。
手を払われた騎士は無言でその手を納め、馬車から降りるオネットから視線を外さなかった。
周囲には、オネットを転移させた王国第三騎士団の騎士と、ラシラス家の家紋が入った護衛騎士が控え、オネットを見張っている。
「どうして、今なのですか?」
オネットが尋ねたのは、二人の騎士ではない。
馬車を降りた先に待ち構えていた四十代の男。その顔を見たのはおよそ六年ぶり…いや、年に一度は目にしていた顔だが、こうして真正面から直視するのは初めてだった。
オネットの父、フラム・ラシラス公爵。
そして背後に佇むラシラス公爵邸も、実に六年ぶりの光景だった。
「帰宅の挨拶がまだだ、オネット……」
「帰宅したつもりはありません」
互いに無表情のまま、冷たい声色を交わす。
その間に流れる空気は、親子のそれとは程遠い。
オネットをこの場に連れてきた騎士団の隊員は、気まずい思いをした。
「質問に答えてください。なぜ、今になって連れ戻しを行ったのですか?」
“帰還”でも“帰宅”でも、どの言葉も今の現状には当てはまらない。
特に今、アルメたちの居場所が分からない時に、強引に連れ戻されたのだ。
怒りが湧き上がるのは当然だった。
「……中に入って話そう……」
ラシラス公爵はそう言うと、娘に背を向けて歩き出した。
オネットも黙ってその後に続く。
背後で王国騎士がラシラス家の護衛騎士に任務完了を伝え、立ち去る音が聞こえた。
まるで罪人のようだ、とオネットは思った。
久々に足を踏み入れたエントランス。
敷かれた緑の絨毯。入ってすぐの場所には、湾曲した二つの階段があり、正面二階の廊下には、家族三人の絵画が飾られている。
幼いオネットと母。そして若き日の父の姿が写実的に描かれたその絵は、この邸の主が誰か、知らしめている様だと、訪れた者は言う。
その揶揄は、義母と義姉に向けられたものか。
あるいは、実の娘も妻もいないこの邸で、一人暮らす公爵への皮肉か。
オネットには分からなかった。
実際に義母は、第二夫人としてラシラス家に嫁いだ。
元はラシラス家の分家筋で、父の弟、オネットの叔父の妻だったが、叔父が病で亡くなり、未亡人となったという。
だが、だからといって、後継人ではなく“夫”として迎えるという選択をとった父を、オネットは理解できなかった。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
エントランスで立ち止まっていると、初老の執事と使用人たちがオネットを出迎え、頭を下げた。
この感覚も六年振りで、過去当たり前に、毎日のように見ていた光景とは思えない。
「魔術師総会学園、ご卒業おめでとうございます」
執事の声に合わせて、使用人たちが一斉に「おめでとうございます」と声を揃えた。
「ありがとう、ございます」
オネットがそう口にすると、顔を上げた執事がわずかに微笑んだ。
その表情は六年前と変わらず、オネットの胸に一瞬の安堵をもたらした。
「オネット……」
名を呼ばれ、父を見る。
「卒業おめでとう」
「ありがとうございます」
無表情で何を考えているのか分からないその口から、遅ればせながら祝福の言葉が発せられた。
フラムはそう言うと再び娘に背を向け、歩き出した。
「食事にしよう」
「! 待ってください。質問の答えを」
「お嬢様、まずはお休みください」
食い下がるオネットを、執事の穏やかな声が宥める。
次いで、メイドたちがオネットの杖と身に纏っていたローブを預かった。
……あぁ、そうだ。
ラシラス家、貴族の家とは、こういうものだった。
オネットはそう思い出した。
………………
…………
綺麗に並べられたカトラリーが目の前にある。
およそ六年ぶりの光景だが、オネットの胸には何の感情も浮かばなかった。
「体調が悪いのか?」
「いいえ、お父様……」
夕食の席についてからというもの、オネットは黙ってカトラリーに視線を落とすばかりだった。
父親であり王宮魔術師長を務めるフラムは、静かに“貴族の見本”のような食事を続けている。
「お父様、質問の答えを聞きたいのですが……」
「食事の後だ」
「そうよ、オネットちゃん。せっかく帰ってきたのだから……」
横から馴れ馴れしく声をかけられ、オネットは見るからに眉間に皺を寄せた。
その顔を見た義母は口を閉ざし、黙って食事を続けた。
気まずい沈黙。
この邸には義妹もいるが、今年から寮制の貴族学院に入学している。
もしこの場にいたならば、空気の読めない言葉を並べ立て、オネットをさらに苛立たせていたことだろう。
「お食事は十分に堪能いたしましたので、これにて失礼させていただきます」
オネットは席を立った。
後で、後でと核心から遠ざけるのは、父の常套手段だ。付き合っている暇はない。
「オネット、一口も口にしていないだろう」
フラムの言う通り、食事は始まったばかり。
オネットは一口どころか、カトラリーにも触れていなかった。
シェフには申し訳ないが、「もう十分」というのは、オネットなりの嫌味だった。
しかし、それも父には伝わっていないらしい。
「無駄に時間を消耗させられるのは不快です。なぜ答えてくださらないのですか?」
明らかに機嫌が悪く、率直な問いを放つオネット。
六年ぶりに帰ってきた嫡女のその姿に、義母だけでなく使用人たちにも緊張が走った。
「……一口も口にしないのは、シェフに失礼だ」
オネットは自分に配膳された食事を見る。
確かに、内心を表すためとはいえ、残すのは失礼で勿体ない。
黙って席に座り直し、カトラリーを手に取ると、目の前のステーキを素早く切り分け、
およそ貴族らしからぬ姿を父に見せつけた。
フラムが驚いて食事の手を止める間に、
ソースがドレスに飛び散るのも構わず、オネットはそれを口に運び、咀嚼した。
最後に注がれた水を口内に流し込み、
音を立ててグラスを机に置く。
叩きつけたわけではないが、義母がわずかに肩を跳ねさせたのを視界の端で捉える。
オネットは口元をナフキンで拭い、姿勢を正して父を見る。
「ご満足ですか?」
「……」
「私は問っています。なのに、貴方はすべて答えてくださらない」
僅かに目を細めて父を睨むその声色には、明確な苛立ちが含まれていた。
オネットをよく知らぬ者でも、それは伝わっただろう。
「……随分と、礼儀のなっていないことをするんだな」
「そう感じるのであれば、退室しますが」
高位貴族として、たとえ身内の席であってもしてはならない行為だった。
フラムは公爵として、父親として注意すべきだったが、その口は僅かに開いて、すぐに閉じた。
食事に口をつけず「十分に堪能した」と言い席を立ったのも、
服にシミをつけるほどの作法を犯したのも、
すべてオネットの“拒絶”の意思表示だった。
重苦しい空気の中、義母も手を止め、息を殺している。
まるで魔獣が目の前にいるかのように、顔色は青ざめていた。
「……二十分後に執務室に参ります」
「待ちなさい」
静止も聞かず、オネットは席を立った。もう誰も止める者はいない。




