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くいかえし  作者: Kot
バーベナと孤独
96/101

4−18 沈黙は礼儀ではない

差し出された手を、オネットは振り払った。

手を払われた騎士は無言でその手を納め、馬車から降りるオネットから視線を外さなかった。


周囲には、オネットを転移させた王国第三騎士団の騎士と、ラシラス家の家紋が入った護衛騎士が控え、オネットを見張っている。


「どうして、今なのですか?」


オネットが尋ねたのは、二人の騎士ではない。

馬車を降りた先に待ち構えていた四十代の男。その顔を見たのはおよそ六年ぶり…いや、年に一度は目にしていた顔だが、こうして真正面から直視するのは初めてだった。


オネットの父、フラム・ラシラス公爵。

そして背後に佇むラシラス公爵邸も、実に六年ぶりの光景だった。


「帰宅の挨拶がまだだ、オネット……」


「帰宅したつもりはありません」


互いに無表情のまま、冷たい声色を交わす。

その間に流れる空気は、親子のそれとは程遠い。

オネットをこの場に連れてきた騎士団の隊員は、気まずい思いをした。


「質問に答えてください。なぜ、今になって連れ戻しを行ったのですか?」


“帰還”でも“帰宅”でも、どの言葉も今の現状には当てはまらない。

特に今、アルメたちの居場所が分からない時に、強引に連れ戻されたのだ。

怒りが湧き上がるのは当然だった。


「……中に入って話そう……」


ラシラス公爵はそう言うと、娘に背を向けて歩き出した。

オネットも黙ってその後に続く。

背後で王国騎士がラシラス家の護衛騎士に任務完了を伝え、立ち去る音が聞こえた。


まるで罪人のようだ、とオネットは思った。


久々に足を踏み入れたエントランス。

敷かれた緑の絨毯。入ってすぐの場所には、湾曲した二つの階段があり、正面二階の廊下には、家族三人の絵画が飾られている。


幼いオネットと母。そして若き日の父の姿が写実的に描かれたその絵は、この邸の主が誰か、知らしめている様だと、訪れた者は言う。


その揶揄は、義母と義姉に向けられたものか。

あるいは、実の娘も妻もいないこの邸で、一人暮らす公爵への皮肉か。

オネットには分からなかった。


実際に義母は、第二夫人としてラシラス家に嫁いだ。

元はラシラス家の分家筋で、父の弟、オネットの叔父の妻だったが、叔父が病で亡くなり、未亡人となったという。


だが、だからといって、後継人ではなく“夫”として迎えるという選択をとった父を、オネットは理解できなかった。


「おかえりなさいませ、お嬢様」


エントランスで立ち止まっていると、初老の執事と使用人たちがオネットを出迎え、頭を下げた。

この感覚も六年振りで、過去当たり前に、毎日のように見ていた光景とは思えない。


「魔術師総会学園、ご卒業おめでとうございます」


執事の声に合わせて、使用人たちが一斉に「おめでとうございます」と声を揃えた。


「ありがとう、ございます」


オネットがそう口にすると、顔を上げた執事がわずかに微笑んだ。

その表情は六年前と変わらず、オネットの胸に一瞬の安堵をもたらした。


「オネット……」


名を呼ばれ、父を見る。


「卒業おめでとう」


「ありがとうございます」


無表情で何を考えているのか分からないその口から、遅ればせながら祝福の言葉が発せられた。

フラムはそう言うと再び娘に背を向け、歩き出した。


「食事にしよう」


「! 待ってください。質問の答えを」


「お嬢様、まずはお休みください」


食い下がるオネットを、執事の穏やかな声が宥める。

次いで、メイドたちがオネットの杖と身に纏っていたローブを預かった。


……あぁ、そうだ。

ラシラス家、貴族の家とは、こういうものだった。


オネットはそう思い出した。


 


………………

…………


 


綺麗に並べられたカトラリーが目の前にある。

およそ六年ぶりの光景だが、オネットの胸には何の感情も浮かばなかった。


「体調が悪いのか?」


「いいえ、お父様……」


夕食の席についてからというもの、オネットは黙ってカトラリーに視線を落とすばかりだった。

父親であり王宮魔術師長を務めるフラムは、静かに“貴族の見本”のような食事を続けている。


「お父様、質問の答えを聞きたいのですが……」


「食事の後だ」


「そうよ、オネットちゃん。せっかく帰ってきたのだから……」


横から馴れ馴れしく声をかけられ、オネットは見るからに眉間に皺を寄せた。

その顔を見た義母は口を閉ざし、黙って食事を続けた。


気まずい沈黙。

この邸には義妹もいるが、今年から寮制の貴族学院に入学している。

もしこの場にいたならば、空気の読めない言葉を並べ立て、オネットをさらに苛立たせていたことだろう。


「お食事は十分に堪能いたしましたので、これにて失礼させていただきます」


オネットは席を立った。

後で、後でと核心から遠ざけるのは、父の常套手段だ。付き合っている暇はない。


「オネット、一口も口にしていないだろう」


フラムの言う通り、食事は始まったばかり。

オネットは一口どころか、カトラリーにも触れていなかった。


シェフには申し訳ないが、「もう十分」というのは、オネットなりの嫌味だった。

しかし、それも父には伝わっていないらしい。


「無駄に時間を消耗させられるのは不快です。なぜ答えてくださらないのですか?」


明らかに機嫌が悪く、率直な問いを放つオネット。

六年ぶりに帰ってきた嫡女のその姿に、義母だけでなく使用人たちにも緊張が走った。


「……一口も口にしないのは、シェフに失礼だ」


オネットは自分に配膳された食事を見る。

確かに、内心を表すためとはいえ、残すのは失礼で勿体ない。


黙って席に座り直し、カトラリーを手に取ると、目の前のステーキを素早く切り分け、

およそ貴族らしからぬ姿を父に見せつけた。


フラムが驚いて食事の手を止める間に、

ソースがドレスに飛び散るのも構わず、オネットはそれを口に運び、咀嚼した。


最後に注がれた水を口内に流し込み、

音を立ててグラスを机に置く。


叩きつけたわけではないが、義母がわずかに肩を跳ねさせたのを視界の端で捉える。

オネットは口元をナフキンで拭い、姿勢を正して父を見る。


「ご満足ですか?」


「……」


「私は問っています。なのに、貴方はすべて答えてくださらない」


僅かに目を細めて父を睨むその声色には、明確な苛立ちが含まれていた。

オネットをよく知らぬ者でも、それは伝わっただろう。


「……随分と、礼儀のなっていないことをするんだな」


「そう感じるのであれば、退室しますが」


高位貴族として、たとえ身内の席であってもしてはならない行為だった。

フラムは公爵として、父親として注意すべきだったが、その口は僅かに開いて、すぐに閉じた。


食事に口をつけず「十分に堪能した」と言い席を立ったのも、

服にシミをつけるほどの作法を犯したのも、

すべてオネットの“拒絶”の意思表示だった。


重苦しい空気の中、義母も手を止め、息を殺している。

まるで魔獣が目の前にいるかのように、顔色は青ざめていた。


「……二十分後に執務室に参ります」


「待ちなさい」


静止も聞かず、オネットは席を立った。もう誰も止める者はいない。


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