4−6 手放したのは
木の影で啜り泣く少年がいた。何が辛く悲しいのかわからなかったが、見てしまったそれを放っておく事ができずに、そっと近づきハンカチを差し出しす……
しかしそれは、すぐに振り払われて、泣いていた少年は走り去ってしまった……
………………
「私を一人で殺したいか……君はいつもそうだ、周囲に手を貸す物がいると言うのに……」
リギーはやれやれ首を振る。
老いても殺意に塗れた男。子供の様に声を荒げて感情を叫ぶ男の姿は学生の頃に何度か見た事がある。
「それでも、君が一人で精神医学の魔術治療を開発したのは今でも素晴らしいと思っているよ」
「素晴らしい?生きる教本言われるとは光栄な事だ!!」
嘲りを向けた笑みは、リギーかそれともカリヤ本人に向けた物かはわからない。
友人でも、ましてやライバルにすらなる事のできなかった二人には、これ以上の会話は無駄だとわかる。
「リベルテはどこにいる?」
「さぁ」
ニタリと笑う顔が偽りを口にしている事は魔力を感じとらなくてもわかる。
「口をわらせるが……」
「できるのか、小心者のおまえが?」
杖先をカリヤに向けて僅かに雷撃はたなびかせる。
「気づいているのかね?地下のこの部屋に張られ結界、その内側から私が結界を張った……君の仲間は助けには来れないよ」
カリヤの顔が歪む、どうらや激昂のあまり、周りが見えていない様だ。
「それに……私が小心者ものならこんな場所には来てはいないよ」
争いは嫌いだが、守るべき者があるなら別だ。
今までに見た事が無い目をしている。掴みどころの無いこの世で最も嫌いな魔術師リギー・スリスの表情に焦りを見たカリヤは。醜悪な顔を更に口角を上げて歪ませた。
「お前を殺すのは私だけだ!!」
怒りと恍惚が混じった狂気は、部屋を切り裂く魔術を放つ。
すぐに防御壁を張り防ぐが棚や壁は切り裂かれて。木片や壁の破片が舞い上がり、防御壁越しだと更に視界が悪い。
身動きが取れず、防御壁の中で様子を伺っていると眼前に剣先が現れ、リギーの防御壁を砕いた。
すぐさま杖で防ぎ、老体を風魔術師で補助して右に避ける。
「良く動く老ぼれ」
「君は歳相応だ」
杖先を刃に変形させたカリヤは再びリギーを切るためにその刃を振り下ろして、周囲を切り裂く。
攻撃を塞ぐ事は問題ない。しかし通常の防御壁はカリヤの作り出した刃を耐える事は出来ない。
……そして何より、カリヤを相手に最も恐れる魔術は……
『先生』
背後の扉越しに聞こえた声に一瞬気がそれ、カリヤよ刃が頬を擦り切る。
『先生、助けてください。ここから出られない』
「くだらない事をする」
「だが、お前を切る事が出来た」
幻覚、幻聴。カリヤの魔術を知っているリギーはその危険性を理解してはいるが実際に自身の身かかると現実の界のなさに冷や汗をかく。
「良かったな、お前の愛弟子は扉の向こうにいる様だ」
カリヤの頬を切った刃はその血を浴びて魔力を吸い刃を赤く燃え上がらせる。
血を浴びて上がる炎。自身の魔力を使わずに魔術を発現させるその手法は、ルガルデが思い着いた物ではないだろう。魔力量の多い物にそう言った発想は出にくい。
「君がリベルテの講師をしていた事は知っている。だからこそ、私は彼に会う事を極力避けた。君が私を嫌っている事を知っていたからだ」
背後で聞こえる音を脳裏から追い出す。ここへの目的はリベルテだ。自身の手から離れた元弟子の声真似で目の前の目的を見失うほど、リギーは過保護ではない。
斬撃が炎と共に舞い上がる。
………………無惨な姿だ……
火が燃え上がり、やけ焦げた部屋の姿ではない……
己の力を信じ切れず、どこかで省みる事も出来ず、只々自ら生み出した劣等感に焼かれる姿は……
無惨としかし言いようがない。
「お前にはわからんよ……生まれも、魔力も……」
「私を嫌う理由はわかる……だが……ルガルデも君と同じだったろう……」
「あはは、お前にはそう見えたのか?存外目が悪いんだな!」
安定しない情緒、同じ目線に立つ事が出来ない者の声を聞く耳など、持ち合わせてはいないのだろう。
だから、何を話しても無駄だとわかっているのに。言葉を投げかけてしまうのは。
……いつか振り払われた手の行く先を弄んで仕方がないからだ。
……お前も知らないお前が真に私を嫌う理由は……この傲慢だろう。
「良い目をしていよ…お前は、だが」
リギーは杖先を強く床に打ち付ける。
瞬間、ガラスが割れる音が蒸された空間響く。
自身を包む防御壁の崩れる音ではない。外側から振動した音は、同時に扉の開放を知らせた。
カリヤが外から張らせた結界が破かれリギーが佇む背後の扉が誘う様に開く。
血は燃え尽きて、カリヤの刃に付与された炎は消えた。
ハッとした瞬間。風の塊がカリヤを襲いその老体を壁に叩きつけた。
「君の相手は、ここまでだ……」
カン、と再び硬い床を叩く音が響かせリギーは転移した。
………………煤けた灰色の空間に。カリヤは取りにこされた。
結界を地下に張り直した男は、どうらやこれ以上カリヤの相手をする気は本気で無いらしい。
丁寧に灯された蝋燭でもあるまいに。風一つで消せると思ったのか。老耄はこの火の消し方を知らないらしい。水の中に沈めるか。靴底ですりつぶして消し炭にいなければならないのに。
灰の中で燻る火種は、まだ燃えている。
…………………………………………………………
啜り泣き一つでも聞こえれば、直ぐに見つけ出せるのに。
暗い地下廊下の同じ光景に自分の場所を見失いそうになる。
一度見たあのルガルデと同じあの黄金の色彩、その一端でも見つける事ができれば……
しかしその願い空しく、リギーの魔力探知で感知したのは背後に迫る、執着な魔力だった。
迫りくる炎の魔術をリギーは防御壁で防ぎ、相手を見据える。
「いつになく、君の事を面倒だと感じているよ」
先ほどの攻撃を受けたカリヤの体は引きずられながら魔術で無理やり進んでいる。
「骨が折れているな」
その姿にそう言うと、顔を歪めたカリヤは馬鹿にした様な笑みを浮かべた。
「心配しなくとも、お前の相手は私だけでは無い」
突然周囲に現れた魔力にリギーは背筋に冷や汗をかく。
囲まれた。薄暗く、姿は曖昧だが老いたカリヤより背の低い者達はフードを被っていても、子供だとわかる。
「私を殺すのは、君だけではなかったのかね?」
何故こんな地下に子供が、嫌な想像が思考に混じる。
自分の目的を見失わない。しかし子供相手に魔術を使うのは気が引ける。
「敵わない相手に奢るほど、愚かでは無いんでね」
二人の子供がカリヤの体に回復魔術師をかける、残念ながら骨折を治すにはこの場の治療だけでは不可能だ。
無駄な事をする子供をカリヤは杖で払い、一人の腹にその杖先の刃が刺さる。
刃着いた血が、再びカリヤの手に燃え上がる刃がを現し、薄暗い地下を照らした。
「何と酷い事を……」
血の流れる腹を抑えて自身に回復魔術をかける子供を見てリギーの顔は険しくなる。
「酷いのは地位も安定も無い場所に産み落としたコイツらの親だろう?」
カリヤは炎の刃を掲げた。
周囲にいる子供達も巻き添えにするのだと悟ったリギーは防御魔術ではなくカリヤの魔術を相殺するために彼に杖を向けたが、その腕は子供達が行使した拘束魔術によって阻まれてしまう。
四方からの拘束魔術はリギーの体めがけてムチの様に動き、リギーの手から杖を弾き飛ばした。
一瞬気が逸れてしまい片腕に巻き付いた。鎖によって体勢を崩したリギーに容赦なく鎖が巻きつき、身動きを封じられる。
自身も巻き添えを喰らう恐れがあるのにカリヤの指示を守る子供等、その行動に彼等の意識はどれほどあるのだろうか。
拘束されても尚、焦りより浮かぶ思考。その冷静な表情を見てカリヤの歪む顔が掲げられた刃の炎が照らす。
「この子等を巻き込むきか?」
カリヤやはり首を傾げる
「変わりはいくらでもいる」
僅かに揺らぐ魔力と、想定していた返答に安堵し。炎の向こうに見る。魔術語は元来の魔術陣より複雑な形をしていた。
あと少しで、目障りな男を殺せる。その高揚感からリギーの異変に気づかずカリヤは刃を振り下ろす。しかし視界に見えたのは、切り裂かれた老人の姿ではなく、刃先の無い自分の杖だった。
「流石に、タングステンであ吹き飛ばす事はできなんだが」
呆気に取られ、顔を上げれば頭上から落ちた刃がカリヤの右耳を切り落とし、その肩口に刺さる。
「グァっ!」
痛みに呻き声をあげながらも思考を巡らせ、自身に起きた事を、リギーがした事に気づく。
「ッ!魔術語を返さずに魔術を」
男の手には杖は無い。杖に刻まれた魔術語の補助を使わず、魔力量のみで魔術を発動させたことを知り、痛みを忘れる程の怒りと嫉妬に襲われる。
「そいつを焼け!!」
次の主人の言葉にリギーを囲う子供等の魔力が杖に集中する。
「すまない」
しかし魔術が発動する直後、子供等はリギーを中心に巻き上がった風魔術により、壁に背を叩きつけた。
「どうらや、魔術の切り替えが甘い様だ。君はリベルテにもちゃんと指導出来ていたのかね?」
拘束魔術から攻撃魔術への切り替え、その間に生まれた僅かな綻びを逃さず。自身を捉える鎖から逃れたリギーは、肩お抑え回復魔術をほどこすカリヤに瞬時に距離を詰める。
「くっ!貴様!」
慌て杖をリギーに向けるが、出血と骨折によりよろめく体ではその狙いも定まらない。
リギーは、カリヤの手に握られた杖をー掴み、手負の身体に蹴りを入れ杖を奪い、まだ塞がっていない肩に欠けた刃を突き刺した。
「がぁ!何をしている!早く!」
「無駄だよ」
子供達は拘束魔術によって壁に縛り付けてある。
「僕と君の問題に子供等を巻き込む事はないだろう?カリヤ……」
突き刺さる刃から逃れるために、杖を握り持ち上げようとするが、血に濡れた手は滑り、欠けた刃は傷を深くする。呻き声をあげながら魔力を通し、杖に刻まれた魔術語はそれに反応するが、その手を焼いたのはカリヤの方だった。
「あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!!!」
「過度な血液は魔術陣に誤作動を起こさせる、そんな基礎も知らないのか」
痛み、怒り、憎しみ、嫉妬……
自らが生み出すそれに苦しむ姿に哀れな視線を向け。リギーはその手に弾き飛ばされた杖を呼んだ。
持ち主の魔力に呼ばれた。長く、良く手入れのされた杖はその手に収まり流れる魔力を形作りる。
「や、辞めろ!」
醜悪な憎悪に歪んだカリヤの表情に怯えが現れ、その人間らしい顔をリギーは忘れる事は無いと悟った。
「安心しなさい、人の道を外れるのはお前だけでは無い……」
リギーの杖は淡く魔術語を発動させ、その杖先には、揺らめく風魔術の弾丸が現れる。
「っ……」
………………最後の声は上がらなかった………………
激痛によってか……それとも声を発する器官を失ってか……
近距離で放たれた。弾丸はカリヤの腹部を吹き飛ばし、リギーのローブを血で濡らした。
カリヤの杖から手を離し、リギーは一歩、二歩と後に下がる。
元学友の無惨な死に様、そしてそれをしたのが自分である事に……手が震え始めた。
耳元で聞こえる激しい心音……しかしそれに、こちらに近づく足音が混じりリギーは顔を上げた。
「リベルテ!」
目的を思い出し。ここで見つかるわけにはいかないときびつを返した視界に子供の姿が入る。
リギーの拘束した子供達では無い。カリヤに腹を刺され、その血を利用された子供だ。
自ら回復魔術をかけていたが。地面に広がる血は、広がっている。
「失敗したのか…」
駆け寄り見れば、出血により意識を手放している様で、恐らく十歳ほどの少年だった。
(子供の体でこの出血の量は……)
助かるかの瀬戸際。今、それも利用されたとは言え敵側の少年を助ける意味は無い。
しかし、リギーは少年に回復魔術をかけ、止血する。
その行動は罪悪感からだろう。逃れたい衝動は思考を止まらせる。
気づけば、リギーは少年を抱えて地下を進んでいた。
魔力を感知し。追ってから逃げ、もう一人助け出したい子供の影を探す。
「リベルテ、どこだ」
迫りくる追って。見つからない焦燥……
気が狂いそうな地下迷路に吐き気を感じた時、その黄金の糸は見えた。
「……この魔術は」
懐かしい黄金色。手に取ろうと伸ばし触れてると、それは消え去ってしまった。
「ルガルデ」
………………あぁ、良かった先生
「!」
頭に響いた声は幻聴では無いか。
「どこにいるんだ」
…………あなたならここに来てくださると……
(会話は出来ていない、これは)
……これは僕の思念です、先生、言っていたでしょう?魔力と人の意識は密接に関わっていると
いつか、教えた言葉を弟子は言った。その言葉にいつか光景を思い出し、頭の中が鮮明になる。
…………リベルテの事は大丈夫です。僕は声も見る事もできなくなってしまいましたが。彼を守る魔術をかけました………………グランは彼に酷い仕打ちはできない……
「それは、リガール魔術か?」
会話は出来ないとわかっているが、どうにか話したいと尋ねてしまう。
…………どう…かご自身……安全を……
役割を終えた、魔力は消えた。
訪れた静寂の中で、こちらに近づく魔力を感知した。
ルガルデに良く似た魔力は彼と同じ黄金目に怯えを込めこちらを見ていた。
見つけた……あの黄金の糸はリベルテの周囲を漂いながら。師匠を待っていたのだろう。
しかしそれは助け出させる為では無い。
「リベルテ、君を助けにきた」
問えば帰ってきたのは。言葉ではなかった……熱い炎の弾丸がリギーを襲う。
それを防御壁で防いだ先に、敵を見る少年の目があった。
(忘却魔術……)
それも、かなり強めにかけら自身の事も忘れている。
リーブルの元に連れ帰って治癒しても記憶の障害は残るだろう。
しかし、置いて行くわけにはいかない。
担いだ少年を下ろし。目の前の少年を捉える為に杖を構える。
「子供相手に大人気無い事をしますねあなたは」
「グラン……」
背後から聞こえた声の主はエグレゴアにいないと聞かされていたグランだった。
「私の総帥就任を邪魔しに来ましたか?そう言えば先々代の総帥に、あの魔術師を推薦したのもあなたでしたね」
「お前じゃ務まらん、それはネージル伯もわかっていたから決めた事」
「老害が」
一瞬顔を歪めたグランはしかしすぐに表情を落として少年に言う。
「下がっていなさい、リベル」
「せんっ」「っ!」
その先の言葉をあの男に向けさせたくはなかった。
地下の床に叩きつけた音で少年の声を遮った杖を伝い、リギーの発動した魔術は床から伸びたニードルでグランの顎を切る。
「貴様!」
少年は激昂し、震える手で杖を持ち魔術を放とうとするが、突然横から何かが突進してきた。
「グッ!」
「君!」
それは、リギーが助けた少年だった。いつのまにか目を覚ましたのか貧血の体で杖を押さえているが腹部に蹴りを受け、壁に激突した。
リギーは駆け寄り、防御魔術を張る。
傷を塞いだグランが眉間に皺を寄せて、リギー達に攻撃魔術を猛攻する。
(これ以上魔力を消費すれば転移ができなくなる)
亀裂が入った防御壁を維持する為に魔力の減りが早くなる。このままではいけない、しかしリベルテを助けださねばならない。
…………リベルテの事は大丈夫です。
不意に脳裏で蘇る。ルガルデの声……
リギーは少年を抱えて直し。ローブの内側から転移陣の描かれた紙を取り出す。
結界が張られていても。あらかじめ、陣を刻んで場所になら転移できる。
これは、王宮や魔術師総会本部内で使われる物と同じだ。
魔力の消滅を確認したグランは攻撃を辞め、煙の立つその場所を見るが、老人の死骸はなかった。
…………………………………………………………
「チッ」
「あらあら、逃げられてしまったのね〜」
この場にそぐわない高い声が響いく。
「何故、手伝わない」
「必要ないように見えたのよ、ごめんなさいグラン」
長い黒髪と黒い体のラインのわかるドレスの様な衣服。異様な女は壁に張り付く少年を見た。
「怯えているわね〜やりすぎよ〜」
「老害を甘く見ない事だな。伊達に生きる教本と言われたわけではない」
「子供も一人連れて行かれちゃって」
「変わりはいくらでもいるだろう」
「以外と消費が激しいのよ、直ぐ死んじゃうし」
「それ以上はこの場で話すな」
冷やかな声に女はグランの顔を見上げ察し、怯えた少年を見た。
「ごめんなさい、場所を弁えるわ………………」
そうして、一度口を閉じ。グランの耳元で囁く。
「信頼は大切だものね」
スッと体を離し。黒髪を靡かせた女は我が物顔で地下を歩き出した。
「あら、そうだったわ」
何かを思い出したのか、立ち止まり、グランを振り返る。
「カリナだっけ、あの老人、まだ口をパクパクさせているけど、どうしましょう?」
「カリヤだ。生きているのか?」
「フフ、お腹に大きな穴が空いているのに頑張って呼吸しようしているわ、健気ね……生への執着嫌いじゃないわ〜」
口元に手を当て笑う女は人体の無惨な姿を見た物の反応では無い。
「ねぇ〜グラン、丁度新しい子を作ったの、お腹を空かせているから、食べさせて良い?」
グランは眉を顰めた。
「食らう前にカリヤの幻影魔術を抜き取ってからだ」
「ん〜それもそうね、あぁ〜ならあの老人にピッタリの幻影その物にするのはどう」
「好きにすれば良い」
笑い喜ぶ女は廊下の向こうに消えた。
「リベル、来なさい」
「…はい……」
何も知らぬ少年はグランの後に続いた。




