2−3 髪の毛一本たりとも無関係
魔術師総会本部、その敷地はタイバンの街の三割を占めている。
時に魔術の研究を、時に優秀な魔術を育てるための学園を、時に街を活気づけるためにその敷地はを開いた。
美しく白い建造物は街のシンボルだ。
しかし今、何百年と守り守られてきたその場所は襲撃にあっていた。それも内側から。
「本当に破れないんだ」
「ルガルデが考えた防御魔術の術語も組み込まれている、お前もその防御力は身を持って知っているんじゃないか」
リベルテはまるで嵐の様な空、否、広大な魔術師総会本部の敷地を覆う巨大な魔術防御壁を見上げる。
何百年も維持され、新しい魔術語を常に取り入れて進化し続けるその防御壁は、日常ではリベルテですら視認する事はできない。
しかし今は内側からの攻撃に拒絶反応を示している。
その攻撃の張本人は今、短い白髪をたなびかせながら両手を直接防御壁に触れて、近距離から魔術攻撃を行っている。その首にはリベルテと同じ様に黒い魔術抑制の魔術具が付けられていたはずだが、彼が少し抵抗しただけで壊れてしまった。
「僕のこれをとってくだされば、ルガール魔術で抑える事ができますよ」
少し挑発する様にリベルテが言うと、魔術師総会の総帥リーブルは口角を上げた。
「お前にまで反抗されてはたまらんからな」
長い黒髪を後ろで軽く束ね左目は眼帯で覆われた男。父の兄弟子であり親友でもある男の事はリベルテも幼い頃に聞かされた記憶がある。しかし遠い記憶だからか、父がどの様に兄弟子の事を語っていたか、一言も思い出せない。そのためかリベルテは弟弟子の息子ではなく、元エグレゴアのリベルとして接しってしまい気分が悪くなった。
対してリーブルも隣に立つ青年にどう接してしまえば良いかわからずじまいでいた。
死んでいたと思っていたのだ。
ルガルデと共に。
黄金の髪と瞳、幼い頃にルガルデに連れられ訪れた太々しい少年の面影を残した青年は、その魔力からも、彼がルガルデの息子であるとすぐに理解できた。
喜ばしい事。しかしその再会は酷くリベルテは大勢の人を殺めた後、一人大きな罪を背負ってしまっていた。
(いや、もう一人いたか)
リーブルは再び白髪の青年に注視する。
エグレゴア総帥、グランの息子。そう報告が来てまずあの男に息子がいる事に驚いた。
プライベートでの男女の話以前の問題で。何度確認してもグランの息子となる存在は書類上では確認できなかったからだ。
(それにあの男の年齢で、二十に近い息子がいるのはどうなのだ)
グランはルガルデ、リーブルとは十は歳の離れた後輩になる。
リーブルは何度も観察しても青年が二十歳近くにしか見えないので、今も部下にその情報を探らせている最中だ。
「にしても、あの魔術は恐ろしいな防御壁が悲鳴を上げている」
自身が管理する防御壁が襲われているにしてはリーブルはまるで世間話でもするかの様に言った。
「魔力も、一向に変動しない」
「……聴取でも話したけど、あれは四年前に魔術移送実験で彼に移された物だよ……僕は人伝に聞いたから、実際は目にして無いけど、魔獣の魔術らしい」
「魔獣の……」
リーブルは顎に手を置く。
「魔獣の移送実験の成功率は0だ……取り込むには普通の人間の体には負担が大きい、それこそあんたみたいな魔術師、とかでないと」
見慣れた赤い瞳を思い出し。リーブルは苦笑した。
「まるで魔獣の様な男だな……でその女神はいつやってくるのだろうな」
「駄々をこねているかもしれない、僕が彼女ならもう関わりたいとは思わないからね」
特に明確な確証は無いが。彼が今の行動を起こすのに心あたりはあった。
常に魔術師の研究、時には実技訓練を行うこの場所は。外部からは魔術の干渉ができなくしてある。
それは内側から外へ向けても同じだ。
「まぁでも彼女なら意外と……」
リベルテが一人ごとに近い声量で呟くと同時に数名の騎士がこちらにやってきた。
中でも一番大柄騎士、騎士団長自ら抱えている人物に目が行きリベルテは口を半開きにし、何も言えなかった。
「ノワールめ女性は紳士に扱えと……」
リーブルはやれやれと額に手を当てる。大股でしかも全速力できた騎士達は、息を上げる様子もなくリーブル達の元に辿り着いた。それと同時に少し乱暴に降ろされ、ストンと地面に両足を付けさせられた女は、開口一番こう言った。
「何やってんだ?あいつ」
アルメは舌を動かす痛みすら忘れ、その言葉が出てしまった。
暴れているのだろうと言う考えは浮かんだが、まさか建物の上、見上げるほど高い放物線の柱の一番高い場所。そこに白髪の男が両手を前に掲げて、外からも確認できたドーム状の透明な囲いに触れている様だ。
「おーい!!」
声をかけた瞬間ぴくりと肩を揺らした男は、ゆっくりとアルメ達の方を向いた。
「おお」
背後にから聞こえた声にアルメは肩を跳ねさせた、真っ先に目に入った彼に気を取られていたが背後にはリベルテとそして眼帯の男がいた。
黒い髪を一つに束ね、ワインレットのワイシャツにベスト姿の人物は、大袈裟に拍手までしている。
「ああーと」
「こいつは、ここの《エグレゴア》総帥だ」
「適当すぎる紹介ありがとう、改めてまして素敵なお嬢さん、私は魔術師総会総帥リーブル」
「キザだろう」
割り込む様に騎士団長に声が入る。リーブルはため息を少し吐いたあとスッと笑顔を作りアルメを見据える。
「彼から聞いてね、君ならあの男を止められると、聴取が終わったばかりなのに悪い事をした」
「い、いえ」
丁重に自己紹介をされたが、空の上の様な存在にアルメは縮こまりながら返事をした。
チラリとリベルテを見ると何を思っているのかわからない目でこちらを見ていた。
(なんか言えよ!助けろよ!)
呼んだくせにフォローすらする気はないらしい。
「もう一つお願いしたいんだが、彼に降りて来るよう言ってくれないかな」
アルメは振り返り、再び顔を見上げた。白髪の男はアルメ達を見ているようだが、ジッとそれから動かない。
「一応読んでみますけど、降りて来るかは………………おーい!降りてこーい!」
知らない人の前で叫ぶのはなんと恥ずかしいことやら、これで彼が反応しなければ、さらに恥ずかしいことだろう。
「あ、」
自由落下だった、転移するのではなく。足を進ませる様に一歩踏み出し、そのまま落ちた。
しかし驚き一つ瞬きをすればその姿は消えたがその一秒後アルメの上に大きな影が現れ反射で真上を見上げると、無表情な赤い瞳と目が合った。
「ちょ!」
押しつぶされたのはアルメのみ、他の人々は一歩下がり自身の身を守るが、誰もアルメを庇おうとしない態度に、目上の人だとわかっていても腹が立つ。
「重い!」
そもそもの元凶に苛立ちの膝蹴りを下から繰り返すが、のしかかった男は全く動じない。
「なかなか、気の強い女性だ」
腕を組み見下ろしながらリーブルは言う。ジタバタと暴れ、蹴りを繰り出す少女、日頃魔術ばかり触れ合っていると。魔力を一切感じない少女はその動き、暴れる姿を視認していないと認識することが難しい。
「君はよく生きているね」
「いま、しにそうです」
深く笑みを浮かべたリーブルは組んでいた片腕を外し人差し指を彼に向けた。狙いを定めた瞬間魔術が発動し、彼は四方から現れた魔術陣から放たれる鎖に、腕ごと胴を拘束されアルメの上からどかされた。
「ありがとう、おかげで拘束できた」
「あはは」
体を起こしフラフラと起き上がるアルメは乾いた笑いしか出なかった。
拘束された男は、少し不服そうに見えるがアルメが連れて来られる前の様に抵抗することはない。
「リベルテ、何が合ったんだ」
連れて来られた理由は何となく理解したが、その前提に起きたことを知りたいと思ったからだ。
リベルテはアルメと目が合うと、今度はすぐに逸らし、数秒の無言のあと答えた。
「ここから出ようとしたんだよ、君がいないから」
「…………何で」
「さぁ、君たちの事は知らないけど、僕なりに彼の事を観察した感想」
「はぁー」
「まるでヒナの様だな」
拘束された男に目線を合わせ、しゃがんでいたリーブルはそう言った。
「魔力流れは感情に左右される、けれどこの男は常に同じ流れを維持している。表情共に変化なし。痛みには……」
観察する様に彼を見たあとしゃがんでいた体制から立ち上がり、リーブルは片手を握る仕草をした。
すると拘束魔術がさらに彼を締め付け始める。
「ちょ!」
アルメが声を上げると、瞬間鉄が弾ける音と、衝撃が起こりアルメは自身の顔を腕で覆っていた。
「痛みに反応したと言うより、外部からの魔力の圧力に内部の魔力が抵抗した。その方が近いかな」
どうやら彼の性質を確かめて用途したらしいく、その人道の無い扱いにアルメは目を見開いた。
(この人、あいつの事、人として見てない)
その考えに至りアルメは思わず、隣に並ぶリベルテの服の袖をその肉ごと摘んだ。
「イッタ」
「リベルテ、お前、エグレゴアのこと全部あいつになすり付けてないか?」
「人聞きが悪い、そんな嘘をつく理由は僕には無いよ」
アルメの手を振り払い、少し苛立った声でリベルテが言った。
「すまない、時間をかけてしまった」
「本当にな」
リーブルがアルメ達に向き直りそう言うとすかさずノアール騎士団長が自身の不満を表した。
「魔術師は研究ばかりしているから時間の感覚がおかしくなる、使われるこっちの身も気にして欲しいな」
「時間感覚がおかしいのは君の方だ、日頃身体しか使ってないから落ち着きが無いのか?」
「こっちは聴取の最中だ、王都との連携もかねているんだぞ、一分たりとも無駄にできない」
「柱で懸垂をしていた暇そうな人間を使って何が悪い、筋トレをしている時間があれば、聴取の一つでもまとめて、早く私に提出しろ」
周りに部下がいるのを忘れてしまったのか、はたまたいつもの光景なのか。少なくとも上司の口喧嘩を止めに入る物はいない様だ。
(帰って、いいかな)
予定はないが、時間が惜しい。あれから休めず疲労が蓄積されているのだから。
しかしヒートアップする良い年にしたおじさんにアルメも口出しるす事はできないでいた。
終わりの見えない揚げ足の取り合い、その中心にいた男は、先程まで拘束されていたのに何事もなかった様にアルメ達の元に歩いて来た。
一歩手前まで来た彼の赤い瞳はただただアルメを見下ろす。
「……帰っていいですか」
「それはいかん」
何の感情も見えない無機質な瞳を見て、いつの間にか口にした言葉をリーブルはすかさず拾った。
「?」
「申し訳わけないがアルメ君、君にはしばらくここに滞在してもらわなければならない」
「何で……ですか?」
「その男、聴取の際に一言も喋ら無い上、食事の催促以外これと言った反応も示さなかった」
言いながらリーブルは歩み寄って来る。どうやらもう言い合いは終わったらしいが、騎士団長は納得の言っていない顔しており勝敗はリーブルにあった様だ。
「それが今日、昼を過ぎた時間に急に動き出した。二時間おきの食事を完食したあとすぐだ」
(二時間ごとに飯食ってたのかコイツ!)
三日間アルメは一日3食、間食もつけられていないが、実際容疑者または関係者に対して実に丁重すぎる扱いである事にアルメは気づいていない。
「丁度君が本部から出た直後だった様だね。幾人かで押さえつけようとしたが失敗、魔術抑制の魔術具も壊されてしまった」
リーブルは首の辺りを指差し言う。アルメはとなりのリベルテを横目にみた。
再会した時からチラチラと視界に入る首に巻かれた黒いリング、これの事を差しているのだと理解し。アルメはリーブルに視線を戻した。
「この男を大人しくさせるには一日中結界の中に閉じ込め、四肢に魔術抑制の枷をはめ、熟練の魔術師数名を交代で見張らせる事ことくらいだろう」
「そ、そこまで……」
「素晴らしい暴れ様だった、目的を探るため部下をすぐに下がらせなければ人が死んでいたかもしれない」
完全にアルメの預かり知らぬことだ。しかしリーブルから送られる視線は、まるでアルメを攻めている様だ。
「アルメ君、君は聴取でこの男とはタイバン付近の森でつい先週会ったばかりだと言っていたね」
「はい」
「その割には、彼は随分君を信頼、いやまるで従順の様だね」
(どこがだよ!)
従順ならば、人のご飯を横取りしないだろう、従順ならば、人の上に落ち、悪びれもなく下敷きにしたままにしないだろう。
そんなアルメの記憶は残念ながら他の人には伝わらない。
「虚偽、とまではいか無い、エグレゴアと君との関係は現段階では皆無だ。しかしこの男と君の関係が君の発言通りと立証できるまで、君にはこの場所に滞在してもらわなければならない」
「……どのくらい」
「君とこの男が髪の毛一本たりとも無関係と立証できるまで」
えらく気持ちの悪い例えだ、先祖の代まで調べ尽くすのだろうか。
そんな事を思っても、口には出さない、連れ戻された時からアルメの今後の未来は決まっているのだから。
「はい……」




