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ワンコ系シリーズ

ワンコ系男子に一目惚れされて溺愛されてます(ifストーリー)

作者: すみのもふ

 ガタンゴトンと車体が揺れる。次から次へと流れていく景色を見る間もなく、その揺れが揺かごのようで自然と瞼が下がってゆく。

 日々生きることに体力を使い、寝ても疲れが取れずにいた。くるり、と上手く上がったまつ毛が瞼を上げようと頑張るも力及ばず。


沙彩さあや


 今幡いまはたさんが私の名前を呼ぶ。ハッとして数回瞬きをしてから、電車の座席にいることとこれから久しぶりの日帰り旅行に来ていることを思い出した。

 今幡さんの顔を見るのは六日連続だった。昨日までは同僚として、今日は知り合いとして。友だちとは言い難い。私にとって友だちは親友と同等であり、それに該当するのは美希みきだけだった。


「大丈夫? 眠い?」

「へーきれす、へーき」


 眠気で舌足らずになりながら、『平気』と口にしたところで説得力はなかった。呆れた表情をした今幡さんが、何か言おうとすると電車が停止して扉が開く。アナウンスで停車駅が告げられた。


 休日の昼間の電車は家族連れやカップルで混んでいるイメージがあったけど、今はそれほど混んでいなかった。降りる人も乗り込む人もあまりいないので、各駅に停車する意味があるのかとも考えてしまうほどだ。一気に目的地まで運んでくれればいいのに、と自分勝手に思った。


「楽しみだね〜連理の木! 御神木様!」


 今幡さんと、何気ない話からパワースポットに行きたいという話になった。これから向かう八幡宮には樹齢千年を越える御神木があり、良縁のご利益があるとかないとか。

 

 現在、私も今幡さんも彼氏はいない。いないどころか、過去にセフレみたいになっちゃったり、浮気されたり、実は相手が既婚者だったりで恋愛をお休み中だ。


 運頼みだけしとこうと軽い気持ちでいる。期待はしていない。諦めに近い。おそらく、私と今幡さんの共通点が恋愛がうまくいっていないということだったから、それを口実に私を外に連れ出してくれたのだろう。私も今幡さんも、もう恋はうんざりだ。


ーーまもなく、扉が閉まります


 アナウンスの声と同時に、黒い塊が視界の端に現れて扉は閉まった。飛び込み乗車か…危ないなと思いながらもその人物には興味なかったため、意識を今幡さんへと戻した。


「御神木を見た後、占いしようね! そのあとカフェでお茶をしようね!」


 楽しそうに未来について語る今幡さんに、明るい気持ちにさせられる。仕事の疲れや過去の男の言葉『沙彩って"カラダは”最高だよな』『恋人よりセフレになろうぜ』がどうでも良くなってくる。問題は何も解決していないけど、気持ちだけは澄み切った青空が広がっていた。


 就職や進学、進級など世の中はおめでたいムードだ。次のステップに進む人もたくさんいる。

 住んでいる場所に知らないお店ができたり、お店に新しいシステムが導入され便利になったり、快適に過ごせるような商品やサービスもできた。時間は進み、季節も変わり、時代は少しずつ変わる。


 だけど、私はちっとも変わっていなかった。傷ついた過去を思い出し、傷を抉る。過去で時間が止まっていた。だから、今日もそんな止まった時の中で呼吸をしているはずだった。


「……」


 はず、だったのに。


「……」


 すっごい見てくる人がいる。勘違いではない。ものすっごい分かりやすいガン見。もう…チラ見のレベルじゃない。食い入るように見られている!

 私たちが座ってる、反対側の座席の扉を挟んだ向こう側の座席で、目線では斜めになるのだけど。


「……」


 こっちが見返しても逸らすことをしない。時が止まったかって疑いたくなるぐらい静止してる。こんなに他人に見られることはない。

 近いものがあるとするなら…面接だ。質問する人の隣にいて、笑いもせず相手を観察する人のようだ。


 怖い怖い怖い!見られてると思うと、緊張や恐怖で変な汗をかいた。最近見たニュースを思い出す。目が合っただけで喧嘩になったとか、睨まれたと思って刺したとか、些細なことや勘違いから取り返しのつかないことに繋がることもある。

 私は、試されているのかもしれない。どういう反応をするのか観察されているのかもしれない。それ次第で、どう動くか決めるのかもしれない。


「それでさ〜……あの時の上司の顔が頭から離れなくて〜!思い出し笑いを何回したことか!」


 あ。勘違いしていたのは私だったのかもしれない。私ではなく、今幡さんを見てるのかも。

 今幡さんは、デコ出しのショートボブで大人可愛いし、小動物の目を連想させる瞳はつい見入ってしまう魅力があるから。それに、耳にぶら下がる小ぶりのアクセサリーや白や茶色の服で柔らかい印象は女性を引き立てている。きっと今幡さんを見ているに違いない。


「聞いてる? …沙彩?」


 男が立ち上がり、あわあわしている私をよそに私たちの反対側の座席に座る。そこは私の目の前で、隠す気がないのか太ももに両肘を乗せ、さらに両手に顎を乗せ、穴があくほど見つめてくる。さすがに今幡さんも男に気づいたようで、小声で「知り合い?」と聞いてきた。


 知り合いなわけない。こんな黒の高級そうなスーツやキャラメル色のネクタイ、細部まで凝った時計やピカピカな革靴を身につけている人なんて。それにプラスし、白い肌にくっきり二重でくりくりの目、形の良いパーツにスラっとしたスタイル!

 なに?芸能人かなにかですか?


 そんな人が私を食い入るように見るのは、顔か洋服に何か付いてて「言いづらいな〜、でもこのままじゃ可哀想だな〜。でもな〜」って考えていて、結果的に私を凝視する羽目になってしまったのかもしれない。

 ポジティブ変換をしよう。きっと、そうだ。この人はいい人だ。そんな人のお手を煩わせるわけにはいかない。


「い…今幡さん」

「……なに?」

「私の顔や洋服に、何かついてますか?」


 今日は、全体的にナチュラルに仕上げた。アイシャドウもアイラインも薄いし、服もモノトーンで動きやすさ重視だ。長めの黒髪は、シュシュでまとめて横に流した。年相応の大人っぽい雰囲気にした。


「え〜っと………あ、可愛い顔とか黒髪にはシュシュ、モノトーンの服もついてるけど…いつも以上に可愛いよ?」


 そういう意味じゃないんだけどな、今幡さん。


「あっ……そ…そうですか」


 ついてないんかい!だったらなんじゃい!!


「決めた!」


 男は、急に立ち上がると吊り革に頭をぶつけて小さい声をあげた後、電車のブレーキによりバランスを崩し、よろめく。


「「「あ」」」


 転びはしなかったけど、手すりに掴まる姿は可愛らしく、見た目とのギャップを感じた。


ーー塚間里立つかまりだち駅〜塚間里立駅〜


「ぶふっ」


 今幡さんが吹き出した。目の前の男の状態と駅名がリンクして笑ってしまったようだ。私も少し顔の筋肉が緩んでしまったが、すぐに戻した。


「へへ。ふらついちゃった〜」


 ふにゃりと笑い、私の足元にしゃがむ。男からはふわりと甘い香りがして、黄金に輝くとろとろで甘いソースを思い出す。


「一目惚れしました。結婚を前提に、付き合って下さい」


 そう言って、上目遣いで差し出されたのは指輪…ではなく名刺だった。


「あ。名刺じゃ個人的な連絡できないじゃん」


 セルフツッコミをし、ポケットから見るからに高そうな黒とグレーのボールペンを出して、名刺に書き足してゆく男。

 陶器みたいな肌で、まつ毛も長く、鼻先もツンとしていて…容姿もいいし、ギャップもあるし、お金持ちそうなこの男がモテないなんてことはあり得ない。多くの女性に思われただろうに、私に一目惚れ?…なんで私?


「連絡して。待ってる」


 もう恋なんてしたくない。あの人は今までの人とは違う、この人ならもしかしてって期待して新しい恋をしてきたけど、結果は変わらなかった。私の外見を見てくれる人はいても、中身まで受け入れてくれる人はいない。


 所詮、あなたもそうなんでしょ?私ではなく女体に…カラダに興味があるだけでしょ?好きだよ、愛してるよ、君だけだよ、特別だよ、お前しかいない、お前が一番いい…その言葉たちに気持ちが込められていることはなかった。タダでやれる女をキープしたくて、都合よく扱いたくて、吐かれた言葉だった。全力で、私を見てくれる人なんていなかった。私のネガティブ思考や不安感を、肯定してくれた人なんていなかった。


「いらない」


 全ての男性がそういう人ばかりではないことは分かっている。頭では、分かっている。でも、もういい。放っておいて。近づかないで。そんな男しか寄ってこないなら、私、いらないから!


「扉が閉まります。ご注意下さい」

「あ、やばい! じゃあね、絶対連絡してね! 絶対だから!!」

「え、ちょ…ま……」

「連絡しなかったら全国指名手は……」


 プシューという音にかき消されて、男の言葉を最後まで聞こえなかった。


「…全国指名手配って言った? あいつ」

「……」


 今幡さんの言葉に、何も言えなかった。ただ、間違いなくやばいやつだってことは分かった。

 しばらく、あの男の余韻が抜けず呆気に取られていたが、気づいたら二人で笑っていた。


「なに、あいつ!! 外見クソいいと思ったら、思考がやばい!!」

「私、お尋ね者になるんですかね?! なにそれ!!」

「いや、沙彩は犯罪者じゃないでしょ! むしろ、あいつが沙彩のストーカーで捕まったりして!!」


 私たちだけになった車両には、笑い声が響いていた。



ーーー…


「で? 連絡しないの? 待っててあげるから連絡しなよ」


 八幡宮に行く通り道に、美味しそうなパン屋があり急遽立ち寄った。トレイに好みのパンを乗せ、支払いを終えてから店内のテーブルについた。

 準備した、ブラックコーヒー。美希と同じように飲めるようになった。苦い味。大人な味。私は、それを摂取し続けている。


「いいんです。本当に。もらっちゃった名刺は、家に帰ってからシュレッダー行きです」

「うーわ。名刺と共に記憶も裁断するつもりじゃん」

「今幡さんだったら、連絡しますか?」

「うーん…相手の会社や役職によるかなっ」


 てへっという、効果音がつきそうなお茶目な返答をする。私も、今幡さんの考えは共感できる。もう二十八歳で、アラサーと言われる歳になった。恋に躓いている私たちだが、これからの恋の先に結婚や妊娠、出産も視野に入れている。もしかしたら…という気持ちだけだけど。

 だから、過去のように無駄な時間を費やすわけにはいかない。共に生きていける人なのか、子どもを安心して育てられる経済的な余裕はあるか、そういう要素も必要なのだ。


 鞄にあるカードケースの中の名刺を取り出した。印字の隙間に、電話番号とメールアドレスとメッセージアプリのIDが書かれていて、連絡をして欲しいという必死さをひしひしと感じる。


「ウレキサイト株式会社? の…営業の村上蒼むらかみあおさんというみたいです」


 ウレキサイト…は、何かのきっかけで調べたことがあるんだけど、確か宝石の名前だった。テレビ石とも言われ、乳白色の天然石のひとつだ。絵や字の上にウレキサイトを置くと、浮かび上がって見えるらしい。


「なんだ、役職なし? シュレッダー賛成」

「そうですね」


 今幡さんのあっさりした対応に笑いそうになった。摘んでいた名刺をカードケースに入れようとすると、裏面に文字が見える。その文字に驚いて、テーブルへ投げ出した。


「え?!」

「なに?! どうした?」

「『さーやは近い将来僕のお嫁さんになるでしょう』」

「は?」


 占いのつもりだろうか。名前もなぜかバレているし。そもそも、さーやじゃなくて沙彩だから。ツッコミすることが疲れたからやめて?これ以上、ツッコませないで?


「…まさかあの男、あたしが言った『沙彩』という言葉を聞き取っていたのか……?!」


 青ざめ、怯える今幡さん。ピアスが、小刻みに揺れる。落ち着こうとしたのか、コーヒーを持ち上げたものの、手の震えで口まで持って行けず断念していた。


「全部、忘れましょう! シュレッダーで解決できる!」

「ウレキサイト……村上………?」

「今幡さん?」

「村上ホールディングスの御曹司?!」

「え……? 村上ホールディングスってあの?」


 村上ホールディングスといえば、不動産を中心に飲食事業やマネジメント事業など、幅広い事業会社を持っていて、名前を知らない人はほぼいない有名企業だ。

 今日、電車で会ったあの男がその御曹司?なんで御曹司が電車乗ってるのかが不思議だけど…あの身なりの説明はつく。


「メディアの露出がなくて謎が多い男だったけど、あたしたちより三つ年下で、政略結婚を断り続け子会社で一般の社員と同じ仕事をしてるって噂があったのよね〜」

「へー」

「はああん! いいな! 容姿端麗でセレブなんて文句なし! 玉の輿にのって、将来は社長夫人っ」


 あああ、すごい変わりよう。目をキラキラさせ、顔が紅潮こうちょうし、早口だ。


「あの…今幡さ「誰もが羨む大豪邸で優雅なひと時…庭師に手入れされた庭、執事やメイドに家事をしてもらい、三食専属シェフに作ってもらうの〜!」」

「……」

「スパダリに溺愛される日々…幸せなシンデレラストーリー!」

「はよ、魔法が解けて〜」


 今幡さんの頭から、ストーカー男や変人疑惑は頭から消え去ったらしい。御曹司という情報が、今幡さんに乙女の妄想をさせた。

 

 ただ、そんな妄想が現実で起こるはずがない。 詐欺師の可能せ…結婚詐欺師なんじゃない?じっと観察してたのも、連絡が欲しいと必死になるのも、結婚をちらつかせてくる感じも!

 そうよ。冷静に。ペースを乱されてはダメ。この世は、悪で満ちている!


「沙彩が興味ないなら、あたしが連絡する」

「え?!」

「チャンスの神様には、前髪しかないのよー!」

「えええ?!」


 名刺が奪われ、あっという間に電話をかけた今幡さん。声の微調節をし、服を整え、応答を待つ。あのう…服は通話で必要ないのよ。


「〜〜〜」

「あ、もしもし!? あの〜あたし〜今日〜電車で名刺をもらった人の同僚で〜〜」

「〜〜」

「うふ。いえいえ、いいんですよ。今ってお時間大丈夫ですか?」

「〜〜」

「よかった! お聞きしたいことがありまして。……あたしを彼女にしませんか?!」


 おお。直球だな。恋を休戦する話は、どこにいったんだろう。私に合わせてくれただけで、本当は恋をしたいのだろうか。


「〜〜」

「冗談です。分かってます」

「〜〜」

「え、今幡さん…あの…」

「あの子、いろいろあって、男がというか肉体関係にトラウマがありまして。浮気もNGです。それでも、興味はありますか?」


 男が、肉体関係なしで浮気もダメだなんて、そんな条件を突きつけられて付き合うわけがない。なんのために付き合うのってなるだろう。


 しかも、あの村上ホールディングスの御曹司が本当にあの男なら、こんな面倒な女なんて「バイバイ」の一言で終わりだ。私より美しく、肉体関係だけじゃなく、もしかしたら浮気もOKな女性もいるかもしれない。

 カラダを許さないと価値がない私が、価値を捨てたら何も残らない。それは、過去で証明された事実だ。


「え……………そうですか、分りました」


 今幡さんはスマートフォンを外し、私をじっと見る。泣きそうな表情を浮かべ俯き、名刺を返してきた。


「…OKだって。よかったね」


 そして、目に涙を浮かべながら、自分のことのように笑ってくれた。


「そんなわけないじゃん! あり得ないよ!!」


 テーブルに手をついて、立ち上がる。今幡さんの手からスマートフォンを奪い取り、耳に当てる。


「もしもし?! 滝井沙彩ですけど!」

「あっ。さーや! 僕の嫁!!」

「嫁じゃないし、呼び捨てやめていただけますか!!」


 テノールの、少し舌足らずなふわふわした声が聞こえてくる。ただのOLが大企業の御曹司様に意見を申し上げるなんて恐れ多いことなのかもしれないけど…もう黙ってるわけにはいかない。


「妻…って言った方が好きだった?」


 そこじゃないから!恐る恐る聞いても変わんないから!呼び捨ての件スルーしてるし!


「あの」

「はい」

「ご自身のことをもっと大切になさって下さい。あなたなら、選びたい放題じゃないですか! わざわざ私を選ばなくても、いい女性なんてたくさんいますから! 冷静になって「さーやだからだよ」」

「は?」

「外見や御曹司って言葉だけで踊らされない、さーやだからだよ」

「……」

「それに…運命のイタズラというか?」

「は?」

「ううん。続きは、彼女になったら話すよ」

「今! 今、話して!」

「タメ口ゲット!」

「あ。……今、話していただけますか?」

「ん? 好みのタイプ?」

「違います」

「…もう分かってるくせに。さーやだよ」

「違うって言ってるじゃないですか。私のことが好きなら、ちゃんと話聞いて下さい」

「え。分かった。ずっと側にいて話聞く。一言も聞き逃さない。さーやだけ見てる。……独占欲をぶつけられるのもいいな…」

「……」


 ぶっ飛んどる。本当に、次世代を担う男なのか?やっぱり、結婚詐欺師?!


「とにかく! 私は面倒な女なので、諦めて下さい」

「やだ。さーやこそ、諦めて」

「どうして分かってくれな「肉体関係なしでも浮気なしでも面倒な女でも? ガードが固くてもたまに勢いで流されやすくても寂しがり屋でも?」」

「……」

「誰かが自分に関わることで、その人の時間を無駄にさせたくないという謎の気遣いをしちゃう優しいさーやも?もう傷つきたくなくて避けちゃう、守りのさーやも?」

「……」

「もう、ロックオンしたので覚悟して下さいっ」

「……」


 バカな人。女見る目なさすぎる。もっと、人を見る目を養った方がいい。この先、絶対後悔する時が来るに違いない。 …でも。


「さ、沙彩……」


 むしゃむしゃパンを食べていた今幡さんが、私に気づき、ハンカチを差し出してくる。軽く頭を下げて受け取り、涙を拭いた。

 嬉しかった。言葉から、感情を読み取ってくれて。中身を、見ようとしてくれて。


 私に近づく男が私のカラダしか見ないのは、私に原因があるのかもしれないと思っていた。私に欠けている部分があるから、問題があるからなのかと。そう思ったら自信がなくなっていって、気づいたら人が私に近づくことに過敏に反応をするようになった。距離を保ち、壁を作り、私に飽きて相手から去ってくれることを望んだ。

 どうせ、私から離れるのなら、その人との思い出なんていらない。だって、結果は同じだ。だったら、最初から深く人と関わらない方がマシだ。


 そう思っていたから、"彼"も同じように、"なかったこと"にしたかった。強引なくらいに、私の固く閉じた扉をこじ開け、理解をしてくれる"彼”に心が動いた。

 鼻水が出ないようにスンスンする。


「さーや?」


 柔らかい、優しい声。どこかで聞いたことがあるような気がする。記憶の片隅に、彼を探した。


『あの…内見をしたくて電話したのですが』

『内見ですね! かしこまりました。どちらの物件でしょうか?』

『アベニュー湖というマンションで…』


 担当した男性は内見の当日、物件を紹介しながらフレンドリーに会話をしてきて、そこから物件に求めるものを察し、「日当たりならこのマンションがおすすめですが、バルコニーや収納を考えるとこのサンセット闇というマンションの方が…あ、でも少し日当たりが…」と私より悩んでて、笑った記憶がある。


 あの時の…人?思い出してみると、似たような顔をしていたような気がする。人を避けようと、顔を見ないようにしてたから記憶が曖昧だった。

 これが彼の言う『運命のイタズラ』?


「…泣いてる? さーや?」

「泣いてない」

「そう? じゃあ、沙彩のスマホから連絡来るの待ってるね」

「え……あ、はい」


 そういえばこのスマートフォン、今幡さんのだった。こんなに長電話してしまって、通話料金がとんでもない額になっているんじゃ…!

 硬貨ではなく紙幣が消える想像がつき、頭がくらくらした。


「夜、犬愛けんあいマンション前で待ってるね」

「え……は……え?」


 流れで"はい”と言いそうになるけど、おかしいことに気づいた。なんで、会うことが確定している?


「来るまで、待ってるから」

「ちょっ」


ーープツッ…プーップーップーッ


 通話が切れた音がする。その音は私を冷静にさせる効果がある。


「……」

「沙彩、電話終わった? どうだった?」

「……」


 だけど、電波が切れたと同時に私の血管も切れた。メラメラと、怒りが煮えたぎる。あの自己中野郎!!


「…今幡さん」

「うん?」

「スマホと……キューピッドになって下さり、ありがとうございました」


 今幡さんは腕を組み、椅子に仰け反り、にやりと笑う。


「そうよね? 感謝してるわよね?」

「はい、なんとお礼を申し上げればいいか」

「お礼なんて食べられないから、いらなーい」

「謝礼金を…」

「しょぼい、しょぼい! 今度、沙彩の旦那に奢ってもらおうかな」

「だっ…旦那じゃないし、私が払「2人で幸せそうにしている顔を拝ませろっつってんの」」

「……今幡さん」


 無邪気な笑顔に、再び泣きそうになった。じわじわと、視界がぼやけてくる。


「結局さ、食べたいパンを選ぶように、男を選んでいるのは私たちで、見たいものしか見てないだけなのかもね。他のパンに目を向ければ、もしかしたら新たな発見もあるのかも?」


 軽い気持ちで来た、運頼みをするという行動を起こすことで、変わることもあるのかもしれない。今日の出会いも、気づきも。


 この世にも、光はある。


「沙彩は夫を手に入れたから、良縁じゃなくて縁結びだね」



ーーー…


「さーや!」


 スーツを着たスラっとした男が、私の名前を呼びながら走ってくる。いやいやいや、御曹司なんだから高級車の後部座席から気品を漂わせての登場のパターンじゃないの?なんで走ってるの?

 っていうか、この状況は警備がガバガバすぎて、パパラッチに写真撮られ放題だ。何してるのだろう、この人!


「さーや!!」


 うるさい、うるさい!周りの人がキョロキョロして、視線の先にいる私を探してるから!私の名前が流出してるから!


 その走る姿は美しく、ウィペットというレースドッグのようだった。彫刻的な美しさを持ち、元狩猟犬の中型犬だ。


「待たせて、ごめんね?」


 改めて見ると…本当にこの人が内見の人だったかという疑問と、この人と上手くいくのかという不安が出てくる。

 彼がいい人すぎて、釣り合っていない。周りの女性が熱い視線を飛ばしているのを見ると、別の人の方が…と素直に思う。


「待ってないです。そんなことより、なんで車で来ないんですか? メディアに露出してないんですよね? 撮られちゃいますよ? しかも相手が…」


 相手が私なんて。


「いいの。わざとだから」

「は?」

「お父さんが政略結婚しろしろうるさいし、さーやとの仲を広めて、外堀から埋めていくのもいいなって」

「……」

「熱愛報道出たらさ、お父さんも少しは黙るでしょ。その間にさーやは逃げ場がなくなるので僕とラブラブしてもらい、警護をする目的で僕の近くに住んでもらうのもいいし、同棲しちゃうのもあり。周りが文句言えないほど見せつけて、さーやを僕のものにするつもり」

「……」


 策士とは、彼のことを言うのだろうか。彼にとって、どこまでが計算だった?内見…いや、それはさすがにないだろうけど、今日の出会いは計画的犯行?

 外見からは想像もつかない、彼の本性。この男はいったい、何者?


「希望に沿うので、安心して僕のところに来て」


 握られた手。でも、距離は置いてくれる気遣い。


 ねぇ、私はどうしたらいい?



ーーー…


「美希! 美希いぃぃ!」

「何? うっさいんだけど。鼓膜破れるからやめて」


 ゾッとしてテンパってしまい、美希に電話をした。ただいまの時間は、深夜一時十四分。ふと目が覚めて、スマートフォンの画面を見て恐怖で眠気が吹っ飛んだ。


「めめめめ」

「は? ってか、電話の時間考えて「メッセージ三十二件来てるううぅぅ!」」

「……」

「しかも、ひとつひとつにしっかり長文! 言いたいことは伝わった!」

「ご丁寧に読んだのか」

「でも怖いから! メッセージは一件でいいのよ!」

「…噂通りの狂愛。いや、恐愛?」

「……」

「三十二ってさ……もしかして"好き"ってサインじゃない?」

「…なんで?」

「スマホのキーボードで三の位置はひらがなに切り替えると"さ行"、二の位置はひらがなに切り替えると"か行"。さ行を三回、か行を二回押すと"好き”になる」

「…だから?」

「はあ? あんた、バカ?」

「なんでよ! だって、それで言うなら三十二は四×八でしやで、視野を広げろって意味かもしれないじゃん!」

「まあ、どうでもいいけど。なんだ、頭はしっかりしてるのか。頭まで、あのワンコに侵されてるかと思った」

「なによ! 失礼だから!!」


 すると、私たち以外の声が入る。


「……ん? ああ、友だち。ごめん、起こして」


 美希は、第三者に対して言葉を発した。


「あ、沙彩? なんの話だっけ?」

「…ううん。もう、いいや。おやすみ」


 その声が、私の元カレの遼の声に似ていたのは気のせいだろう。いくら美希がいいやつだからって…いや、放っとけなかったのかもしれない。遼のこと。美希が私に近づいて来てくれたみたいに。遼に、寄り添ってあげたのかも。美希は冷たいようで、温かい人だから。


 人間って、外見だけでは分からないことがたくさんあるよね。だから、じっくりゆっくり話して、お互いを知っていけたらいいよね。



ーーー…


「さーやああぁぁ」

「抱きついたついでにさりげなく胸触んなああぁぁ!」


 信じていいんだよね、蒼?


「ちゅーしよ?」


 ね?








おわり

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