国王ですが、息子が婚約破棄しようとしています
「息子が婚約破棄しようとしている」
とある国の王城の一室。厳重に閉じられた扉の向こう側では、これ以上ない程に沈鬱な空気が部屋を満たしていた。中央に置かれた巨大な円卓、その一席に座した国王が、ここ数日で10年は老け込んだかという顔で続ける。
「明日のパーティーでサプライズ的に発表するつもりでいるらしい。招待客の、主だった貴族たちが勢揃いした前で」
「政治上の正当な理由もなく、正式な手続きも踏まずに?」
「理由も手続きも無しにだ。しかもその場で例の……ほら、こことは異なる世界からやって来たと触れ回っている薬物中毒者との婚約を発表するつもりでいるらしい。彼女こそが真の聖女に相応しい、その眩い輝きによって自分は真実の愛に目覚めたのだ、と――」
しんじつのあい、と居並ぶ面々が思わず復唱した。
「加えて現婚約者である彼女の悪行を並べ立て、公開断罪を行う計画だとか」
「失礼ながら陛下、薬物中毒者は王太子の方なのでは?」
「本当に失礼なのやめてくれる? あー……一応、心底一応確かめておきたいのだが、糾弾されるような悪事を働いてはおらんのだろう?」
国王の言葉を受け、全員の視線が一箇所に集中する。
視線の先、まさに王太子の現婚約者であるところの令嬢は、美しい顔を困惑に染めたままふるふると首を横に振った。
「まっっっったく、これっぽっちも身に覚えがございません」
「うむ。気を悪くさせるような確認をしてすまない。……はあ……取り巻きが調子を合わせるか、適当な嘘を吹き込んだのだとしても、何故そんなデタラメを信じてしまったのか……」
「ヤク中同士、通じ合うものがあったのでしょう」
「だから本当に失礼なのやめてくれる? あと略さないで、余計に手遅れ感が出るから」
「既に計画が露見しているのですから、事が起きてしまう前に呼び出して、気付かれていないと思ったのかそのような真似は許さんぞこの愚かなヤク中めと釘を刺しては?」
「一回ヤク中から離れてお願い」
そろそろ半泣きになりつつある国王を痛ましげに見遣りながら、長年の盟友たる大臣がそっと涙を拭った。
「おいたわしや陛下……少しお休みください。私が進行を引き継ぎましょう」
「すまない、頼む」
「では、いっそ処刑してしまえばいいのでは」
「引き継いだ直後から終わらせにかかるのやめてね?」
「ですが陛下、あの手ののぼせ上がった手合いに正論をぶつけてもますます頑なになるだけですぞ。嗚呼、運命が我らの愛を阻んでいる! だが私は決して負けんぞジョセフィーヌ!などとほざいて」
「誰だよジョセフィーヌ」
「処刑が妥当かどうかはさておき、選択の初手から処刑がくる国家は国としてまずいと思うぞ、我」
部屋の空気そのものを震わせるような――否、まるで音を通して魂が揺さぶられているかのような重々しい声に、皆が一斉に口を噤んだ。しんと静まり返った室内で、これまで沈黙を貫いていた巨躯の男が腕組みを解く。
いや、果たしてこれを単純に男と称していいものか。
頭の両脇から生えた、山羊の如きねじ曲がった角。盛り上がった背中から下肢にかけて生えた漆黒の羽毛。声を発するたびに、大きく裂けた口からぞろりと覗く牙。
誰がどう見ても男の一言では済まされない。それ以前に人間ですらない。世間では魔王と呼ばれている。
緊急会議に先んじて国王自ら送った手紙の「息子が婚約破棄して別の女と結婚しようとしてるあと婚約者追放もしようとしてる。やばい」を読んで大慌てで駆け付けたのである。
「王位継承者と結ばれる女は聖女の力を持つ者である。聖女が生まれるのは一世代につき一人のみ。もしもこのまま本当に婚約破棄になって追放されようものなら、代々この国を守護してきた祈りの力が途切れて……」
「途切れて?」
「魔族の国との境界に張られた結界が破れる。我は例外として、あれは大多数の魔族を封じる要……あの結界がなくなってしまったら、こちらから貴国への侵攻を行わない理由がなくなってしまう」
「なくなったなら攻めればいいではありませんか」
「大臣ちょっと黙って」
「そう簡単な話ではないのだ。この際はっきり言っておくが、結界により南進が阻まれて数百年、内にこもるしかなかった結果我らの国は非常に安定した。支配層はもはや誰も戦争を望んどらん。いまだに全人類を滅ぼして魔族の世界を築くなどと現実見えてないお花畑のアホ抜かしてる愚民を封殺する最大の理由が結界なのだから、聖女の追放だけは何としてでも避けねばならん」
「あら、結婚しろとは仰らないのですね?」
「さすがの我もヤク中との結婚を強制するほど無慈悲ではない」
「集団でヤク中既成事実にしてくるのホントやめて」
「陛下、ここは発想を変えましょう。聖女は常に一人、という事は今の聖女を殺せば次の聖女がどこかに生まれるはずです。それで結界を維持しましょう!」
「さっきからなんでお前ら殺す以外の解決策提示してこないの? あとお前誰?」
「先月、昇進したばかりの近衛兵でございます」
「有能ですな」
「大臣」
そもそもどうして近衛兵が紛れ込んでいるのかと、国王は退室を命じる。特に悪びれる事もなくにこやかに一礼して去っていく近衛兵と入れ替わるように、閉じたばかりの扉が勢い良く開け放たれた。入ってきた、というよりは飛び込んできたと言った方が正確なその若い女に、一同は小さくどよめく。それは何も、王宮にはまるで似つかわしくない粗暴ともとれる振る舞いだけが理由ではなかった。
明らかに運動には不向きなドレス姿でここまで走ってきたらしく、女はぜいぜいと息を荒げたまま言う。
「申し訳ありません! こんな大切な席に遅れてしまうなんて!」
「こちらのレディは?」
「王太子が結婚すると言い張っている真実の愛の相手です」
「元凶の片割れではないか! 何故そのような者がここにおるのだ」
「魔王がいるよりは、異世界から来たと言い張るヤク中の方がまだ自然だと思いますよ」
「私が呼んだ、当事者からの話も聞かねばならんからな。そなた、この会議の重大性を理解しながらなぜ遅れたのだ?」
「それがずっと王子様に追い回されてて、撒くのに必死だったんです」
「あんたも被害者かよ!!」
ここにきて明かされる新事実に一同は呻く。
「むう、これは……ヤク中を利用してのし上がろうと企むヤク中かと思ったら、ヤク中に言い寄られていつの間にか元凶の片割れ扱いされていた悲劇のヒロインだったとは」
「持ち上げすぎ持ち上げすぎ」
「ごめんなさい……わたしが初めにもっと強く拒絶しなかったせいで、王子様の思い込みがどんどん強くなってしまったみたいで……」
「ちなみにどう断ったのだ」
「糞キモいんだよストーカー野郎、金輪際テメェの臭い息を嗅ぐのも嫌だっつってんだろそこの排水口に30分間顔浸してろヤク中」
「手加減って言葉知ってる?」
ともあれ真相は判明した。
二人が結託して婚約者を陥れようとしていた訳ではなく、ただただ傍迷惑な一人が暴走していただけだったのだと。
「さて、こうなると話は簡単ですな」
「陛下、今こそご決断を!」
「陛下!」
「陛下!」
「陛下!」
「陛下!」
「陛下!」
「陛下!」
円卓に集いし面々が一斉に身を乗り出す。
いつの間に魔王まで自分の配下になったのだと思いながら、国王は長い長い憂鬱な溜息を吐き出すと、言った。
「息子は謹慎の名目で幽閉。聖女殿には謝罪の上で、早急に新たな夫候補となる王家の者を探す。異世界殿にも謝罪し、落ち着いて生活できる環境を急ぎ整えよう。以上」
「なんでこんなにまともな親からあれが生まれてきたんですかね」
「ワシが知りたいわ!!」
「はっはっは、そもそも親ではないからですな」
「えっ」
この日、王子は幽閉され婚約者たる聖女と異世界からの来客には王の名のもとに正式な謝罪が行われた。
大臣は処刑された。