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第八話


 設備を確認していく秀峰の姿を雪琳は見つめる。その横顔に、後ろ姿に視線が釘付けとなる。


 最近、雪琳は変だ。こんなふうに秀峰の優しさを他の人にも知って欲しいと思うと同時に誰にも知られず独り占めしてしまいたいとも思ってしまう。この感情がなんなのか、本当は薄らと気づき始めている。


 そして秀峰も、また雪琳のことを憎からず想ってくれているのでは、と感じるときがある。気のせいかも知れないけれど、ふとしたときに向けられる視線に込められた優しさが他の人に向けるものとは違うような、そんな気がする。


「それに、こうやって私のために時間を作ろうとしてくれるし」

「何かおっしゃいました?」

「い、いえ。なんでもないです」

「おかしな方ですね」


 ふっと笑みを零す秀峰に目を奪われる。ああ、もうだめだ。隠しきれない。抑えきれない。


 四阿に風が吹き抜ける。突風と呼ぶにふさわしいその風は辺りの音を消してしまう。その音に紛れるようにして、雪琳は口を開いた。


「す……き……」


 口をついて出た言葉、それはあまりに短い一言で。けれど、積もり積もった思いが二文字に載せて溢れだしてくる。


 いつの間にこんなにも秀峰のことを好きになってしまっていたのだろう。ううん、もしかしたら初めてこの場所で会ったあの日から、惹かれていたのかもしれない。だってあの日から、雪琳の胸の中にはいつだって秀峰がいたのだから。


「好き……秀峰、様。あなたが――」

「雪琳様?」

「あ……っ!」


 いつの間にかすぐそばに秀峰が立っていた。困惑するような表情を浮かべる秀峰に、雪琳は慌てて自分の口を押さえる。聞かれてしまった。


 血の気が引いていくのがわかる。頭の中がどんどん冷たくなっていく。今の雪琳の言葉を、秀峰はどう思っただろうか。もしかしたら、いや、しかし。そんな考えが頭の中を回り続ける。


 何と言われるのだろう。聞きたいようで、聞きたくない。


「今の、」

「……っ」


 肩を振るわせた雪琳に、秀峰は苦笑いを浮かべた。


「今のは、聞かなかったことに、しますね」

「え……?」


 その瞬間、長椅子に座っているはずなのに、足下から崩れ落ちていくようなそんな感覚に陥った。


「どう、して」

「それは……」


 雪琳の問いかけに、秀峰は困ったように眉をひそめる。けれど、雪琳は言葉を止めることができなかった。


「私のことが、嫌いですか?」

「そういうわけでは」

「では、好き?」

「雪琳様、それ以上はご容赦ください。あなたは主上の妃。私は主上に、そして後宮にいる妃嬪たちに使える太監です。ですから」

「私は! 太監としてのあなたではなく、秀峰としての本当の気持ちが聞きたいのです……!」


 雪琳は秀峰の手をそっと取った。秀峰は躊躇うように手を引こうとしたけれど、結局雪琳の手を振り払うことはなかった。


「今の自分の立場はわかっています。でも、それでも、あなたを想うことはいけないでしょうか……」

「雪琳様」

「駄目なら駄目だとおっしゃってください。そのときは――この気持ちを全て捨ててしまいます」


 秀峰が何というのか怖かった。あんなにもうるさかったはずの辺りのざわめきが静かになった。まるで何もない空間に二人きりになったみたいだ。ただ激しく鳴り響く自分の心臓の音だけがうるさかった。


 どれぐらいの時間が経っただろう、一瞬にも思えたし永遠のようにも感じた。そんな中で、秀峰が雪琳の手を振りほどいた。


 ああ、これが答えか。


 雪琳の胸が酷く痛む。けれど、仕方のないことではあった。秀峰の言うとおり、雪琳は妃嬪で、秀峰は太監。その二人の気持ちが交わることなんてあってはいけないのだから。


「……わかりました。今のはやはり全て忘れてください。もうこの場所にも来ません。だから――っ」

「黙ってください」

「きゃっ」


 それは一瞬の抱擁だった。でも、確かに雪琳の身体は秀峰の腕の中にあった。ほんの少しのぬくもりと、それからこの庭園と同じ花と土の匂いがした。


 けれど本当に一瞬の出来事で、それが現実なのかそれとも雪琳の願望が見せたまやかしなのか判別がつかない。『今のは――』と問いかけようと顔を上げて、真っ赤に頬を染める秀峰の姿があった。


「秀峰様、顔が……」

「今、こちらを見ないで下さい」

「ですが」

「お願いですから……」


 袖で口元を押さえる秀峰の姿に愛おしさがこみ上げる。


「もしも、いつか」

「え?」


 雪琳の言葉に、秀峰はまだ袖で口元を押さえたまま尋ね返す。


「もしもいつか、ここを出ることができたら、そのときはもう一度、私に触れてくれますか?」


 高齢となった主上の手つきとなることなく、この後宮が解散となればそのときは雪琳と秀峰の間を妨げるものは何もない。そのときは――。


 秀峰は雪琳の言葉に是とも否とも言わず、ただ曖昧に微笑むだけだった。

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