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第二話

 上級妃たちの宮殿近くに大きな庭園がある。一年中、色とりどりの花が咲き誇り、主上や、上級妃たちが花を愛でたりお茶をするために訪れるという。後宮で庭園といえばあれを指す人間が殆どだろう。


 その庭園の半分以下の大きさしかないであろうそこは、雪琳のお気に入りの場所だった。花の名前もわからない雪琳だったけれど、花を見るのは嫌いではなかった。


 相変わらず誰もいない庭園に入ると、雪琳は四阿(しあ)の中にある真っ白の長椅子に腰をかけ、辺りを見回す。こぢんまりとはしているけれど、手入れの行き届いた庭園。きっとここも誰かが管理をしているのであろう。なぜか今まで出会ったことはないけれど。


「あれ?」


 いつも通りの庭園を見回していた雪琳は、違和感を覚えもう一度視線を向ける。そこには見事に咲く真っ白の花があった。何重にも重なる花びらが華やかさを見せつけてくる。けれど、そのうちの一本が根元の少し上からポキリと折られていた。


「酷いっ!」


 長椅子から立ち上がると、雪琳は襦裙の裾を翻しながらその花の元へと向かった。四阿から見てもわかるほど手折られたその花は、近づいてみると目を覆いたくなるほどの惨状だった。誰かが持って行こうとしたのか、折り曲げ捻り、無理やり切り取ろうとした跡が見えた。せめてすっぱりと切られてでもいれば、こんなにも痛々しくなかっただろうに。


「痛い、よね」


 襦裙の裾を汚さないようにしながらしゃがむと、その花に手を伸ばす。どうにかしてやりたいと思うけれど、雪琳は直す術を持たない。せめて抜いてやればこんな惨めな姿を見せなくて済むのかも知れないと思うけれど、いくら手折られているとはいえまだ咲いている花を勝手に引き抜き、捨ててしまうだけの勇気も覚悟もなかった。


 結局、どうすることもできないまま真っ白な花の前で雪琳は動けずにいた。そんな雪琳の背後で、砂利を踏む音が聞こえた。


「どなたか、いらっしゃるのですか?」

「え?」


 その声が雪琳に向けられたものだと気付くまで少し時間が掛かった。慌てて振り返ると、そこには黒の宦官服を身に纏い幞頭を被った、雪琳とそう年の変わらないように見える少年が立っていた。すらっとした長身とは対象的な幼さの残る眼差しが真っ直ぐに雪琳を見つめていた。薄い唇を少し上げ、笑みを浮かべていた。

服装を見るに、おそらく太監だろう。もしかするとこの庭園を管理している者なのかもしれない。


 雪琳は立ち上がると微笑みを浮かべた。


「ご挨拶が遅れました。私、朱才人でございます」

「朱才人……」


 記憶を辿るかのように目を閉じ眉間に皺を寄せる。その表情がどこか男性的に見えて思わず目を逸らしてしまう。宦官といえども元は男性なので当たり前なのだけれど。


 後宮に入って以来、男性といえば遠くの方から拝謁する主上とそれから雪琳より随分と年上の太監たちだった。だから、目の前の少年のような年の近い異性、というのはこの二年、出会っていなかったのだ。


「ああ、朱雪琳様ですね。こちらこそご挨拶が遅れまして申し訳ございません。私、太監の秀峰と申します」

「秀峰様」

「ただの秀峰、とお呼びください」


 秀峰は膝をつき拱手の礼を取る。雪琳はその態度に慌てた。


「お、おやめください。そのようなこと、私にする必要はないのです。才人、と言っても私は主上のお目通りもない、そのあたりの女官たちと大差のない者なのですから」

「……ですが」

「秀峰、と呼ばせて頂きます。ですから、頭を上げて下さい」

「では」


 秀峰は顔を上げると、まっすぐに雪琳を見る。真っ黒の瞳に吸い込まれてしまいそうな感覚を覚える。この目を見つめ続けてはいけない。反射的に雪琳は目を逸らすと、小さく咳払いをした。


「それで、秀峰はどうしてこんなところにいらしたのです?」

「仕事です」

「仕事、ということはやはりこの庭園はあなたが管理を?」

「はい」


 雪琳の思った通りだった。けれど、それならなぜ今まで秀峰と会ったことがなかったのだろうか。ふと疑問に思うけれど、別に雪琳だって毎日ここに来ていたわけではない。たまたま会うことがなかったのだろう。


「そう。では、これなんとかならないかしら」

「これ、とは」


 秀峰はしゃがみ込む雪琳のそばに並ぶと、雪琳が指さすものを確認し顔をしかめた。


「酷い」

「でしょう。私も先程見つけたのですが、こんな……。一生懸命咲いていたのに、どうして」


 雪琳も再び視線を向けたそれに胸が痛くなる。


「私にはどうにもできず。もしも秀峰ができるのでしたら、と」

「少々お待ちください」


 そう言ったかと思うと秀峰は立ち上がり、どこかへと行ってしまう。その後ろ姿を見送りながら、雪琳は息を吐き出した。



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