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白花織物の本社は、僕たちの住む屋敷からバスに乗って少しの距離の場所にあった。
社長であるユコおばさんには、彼女の片腕で副社長でもあるパートナーが居る。
「アルおじさん」
本社の最上階にある社長室へと顔パスで案内された僕とレンは、見るからに重厚な扉を開けて、何かを書きつけている彼の名前を呼んだ。
銀縁の眼鏡越しに僕たちを見た彼はアルと言って、ユコおばさんと同じくらいの年齢に見えるけれど、それを確かめたことは無い。
「おう、よく来たな」
おじさんは僕たちを見て微笑み、椅子から立ち上がると部屋の中へと招き入れてくれた。
「適当に座ってくれ」
おじさんの後ろに見える、上から下まで一面がガラスになっている窓からは、高く青い空に掠れた雲が浮かんでいる。
ユコおばさんとアルおじさんが普段仕事をしているこの部屋はとても広くて、大きいはずのソファが小さく見える。そのソファに僕とレンは並んで座った。
「ユコはまだ時間がかかるらしい」
向かい側に座ったアルおじさんは、僕たちがわざわざ本社を訪れたわけを察していたのだろう。はあ、と溜息混じりにそう言った。
「…そうですか」
「ここ最近ずっと、海が荒れててな。船が出られないんだと」
ユコおばさんが行っているオンク国は、海を渡って数日かかるほど遠い場所にある。
おばさんはよく出張に行くけれど、オンク国ほど遠い国に行くのは珍しかった。
「あ、そうだ。ちょうど良かった」
アルおじさんは思い出したようにソファから立ち上がって机に戻ると、なにやら書類が入っている封筒を僕に差し出した。
「今度の休みに、その書類、工場に届けてくれないか」
僕たちが住む都から遠く離れた人気の少ない土地に建てられた織物製造工場は、汽車を乗り継いで行かなければならない。
今まで何度か行ったことがあるそこは、良く言えば静かで、悪く言うなら少し廃れていた。
僕は封筒を手に、隣に座るレンをそっと見た。思った通り彼女は喜色を浮かばせて、食い気味にアルおじさんの顔を見て頷いた。
「行きます!ね、リト、いいでしょ?行こうよ」
レンは行動的だから、どこかに出掛けるのがとても好きだ。そして、そんな彼女のお供はいつも僕で。
そうやっていつも一緒に居るから、離れることが出来なくなってしまったのかもしれない。
「卒業したらゆっくり出掛けるなんて出来なくなるだろうから、せっかくだしゆっくりしてこい」
幼い頃からそうなるものだと思って育てられてきたけれど、いよいよ春からは大学に通いながら社員として仕事もするなんて、考えるだけで気が重くなる。
「あっちは寒いだろうから、暖かくしていけよ」
僕は行くなんて一言も言っていないのに、アルおじさんとレンはすっかり行くつもりでいるらしい。
これがきっと、レンと一緒に出掛けられる最後の思い出だ。そう思えば、自然と僕の頬は緩んだ。
少しだけ軋む心の痛みには、気付かないふりをして。
「楽しみだね、リト」
「そうだね」
そう交わす僕たちを優しげな面差しで見ているアルおじさんは、僕たちがまだ幼い頃から不在がちなユコおばさんに代わってよく様子を見に来てくれて、父親のような存在だった。
出会った頃よりも深くなった目元の皺が、歳月の流れを感じさせる。
血のつながった父親というものは知らないけれど、眼鏡の奥にある瞳は細められていて、アルおじさんからもらった愛情はきっとそれと遜色ないのだろうと僕は思った。