6
レンが途方に暮れたように立っていたのは、家からほど近い雑貨店の前だった。
体の半分ほどもあるゾウのぬいぐるみを抱き締めたレンが、見知らぬおばさんに何かを話しかけられているのを見つけたときは、僕は息が止まるかと思った。
早々に姿を消そうとしている夕陽に照らされて、ミルクティー色の髪の毛が金色に光っていた。
「レン……!」
僕が震える声でレンの名前を呼んで、まん丸とした瞳が僕とユコおばさんに向けられる。
「……リト!」
レンが駆け寄ってきて、思い切り僕に抱きついた。この頃からバスケットボールを始めた僕は、揺らぐことなくレンを抱き止めた。
レンの小さな体は冷えていて、僕に抱きついた途端レンは箍が外れたみたいに泣きじゃくった。
「レン、心配したのよ」
ほっとしたようにそう言ったユコおばさんの声にも、明らかに安堵が混ざっていた。
きっと、ひとりで立ち竦んでいたレンを心配して声を掛けてくれたのだろうおばさんに、ユコおばさんは頭を下げて何かを話しかけ始める。
「…良かった、レン」
僕は、ぬいぐるみと共にレンをきつく抱き締めた。
「……リトに、」
「うん」
「…これ、あげたかったの」
レンが少し体を離して、抱えていたぬいぐるみを僕に差し出す。
「……これ、」
「リト、出かけるたびにこれを見てたから、欲しいんだと思って買いに行ったの」
レンと同じような金色のふたつの作られた双眸が、真っ直ぐに僕を見つめている。
「リトをびっくりさせたくて」
そう続いた言葉ごと、僕はレンを再び抱き締めた。
きっと、このときに自覚したのだと思う。
レンに向ける気持ちが、本当なら家族に向けるものではないってこと。
「……だからって、ひとりで行ったら危ないよ」
込み上げる愛しさに、僕はどうにかなりそうだった。
「……うん、ごめんね」
このときから今もずっと、僕は切なく苦しく、でも確かに愛しい気持ちを抱き続けている。
「じゃあ、今度は自分に買ってこようっと」
あれから随分と背丈も伸びて、顔つきも少女から女性に変わりつつあるレンが、ゾウのぬいぐるみを棚から取った。
「…僕が買ってあげるよ」
「え、本当?やったー」
今ではレンの顔ほどの大きさのそのぬいぐるみを、僕は受け取って会計へと向かう。
「ありがとう、リト」
支払いが終わった証拠に赤いリボンが首に巻かれたゾウを、レンへ手渡した。
「大事にしてよ」
「うん、もちろん!」
レンが嬉しそうにそれを抱き締めて、微笑みながら僕を見上げる。
「これがあれば、ひとりでも寂しくない」
レンによると、幼かった頃の僕は、店先の大きなガラス越しに見えるそのぬいぐるみをよく眺めていたらしい。
「…そうだね」
その頃は無意識だったけれど、今ならはっきりと分かる。
そのぬいぐるみの金色の瞳が、レンとそっくりだったから。だから、僕はそのゾウから目が離せなかったのだと思う。
磨かれて曇りひとつないガラスの向こうで、琥珀みたいに綺麗な瞳がレンのものと重なって、僕は自分でも気付かないうちに見惚れていたのだろう。
「リトと離れるなんて、嫌だなー」
ぬいぐるみを抱えたレンがゾウと目を合わせて、誰にともなくそう言った。
僕だってそうだよ、口をついて出そうになった言葉は既のところで踏み留まった。
いつまでも家族の僕が、レンと一緒に居るわけにはいかないのだから。
「慣れれば、きっと楽しいよ」
レンに言っているのか、自分に言い聞かせているのか、定かでない僕の言葉にレンは何も言わなかった。
「じゃあ、帰ろっか」
「そうだね」
あと何度、こうやって同じ場所に向かい、同じ場所に帰ることが出来るのだろう。
僕の少し先を歩くレンの背中を見ながら、僕は性懲りも無くまたそんなことを考えていて、思わず苦笑が溢れた。
「リト?なに笑ってるの?」
「ううん、なんでもない」
僕を振り返ったレンが、何かを思い出したように「あ」と口に手を当てた。
「なに?」
「フライパン買うの忘れた」
僕とレンは、しばし目を合わせて、そのあと笑い合った。