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第9話 怪しい男

 最初の質屋の入っていた街の区画には、もう一軒別の質屋があった。しかしさすがにこの間隔の近さだと、すでにその怪しい業者は昨日のうちに来ているだろうとルアンが予想して店に入ると、案の定昨日来ていたとのこと。


 やはりと言うべきか、聞いていたように特徴的な巻き帽子にあごひげ、そして人力荷車を引いていたとの情報を、ルアンは店主から聞き込んだ。その間サラは店の外で通りを眺めながらルアンを待っていた。なぜならジェリスであるサラが居ない方が、質屋の店主が本当のことを話すだろうという二人の考えだった。


 今日サラの着ている服は、妓館で着ていたドレスと呼ぶにはあまりに粗末だった衣服ではなく、もう少し小綺麗な足首まであるゆったりとした羊毛のワンピース。これは昨日妓館を出たあとすぐに立ち寄った古着屋で、ルアンがサラのために買ってくれた服のひとつだった。ただし小柄なサラに合う大人モノがなかなか無くて、多少大きめのサイズではあったけれど。


「サラ、やっぱり昨日来てたってさ。動きの悪い商品を仕入れて荷車を引いて行ったって。だから、ヤツは今日はこっちの市街じゃなくてあっちの旧市街の方を廻っているのかもしれない」


「そうですか、すいません」


 店から出てきたルアンの言葉を聞いたサラは頭を下げる。母親の首飾りのことでこれほど親身になってくれたり、自分の衣服のことまで気をつかってくれるルアンに対して、サラの申し訳ないという気持ちが徐々に高まっていく。


 昨日は昨日で、サラはルアンに右膝も看て貰っていたのだった。約半月前に捻られた右膝はまだ少し腫れが残っていて、歩くときにも少し庇いながらサラは歩いている。それに対してルアンは売り物でもある高価な炎症止めの薬草を膝に処方して、腫れが完全に引くまでは自分の薬を使うからと言ってくれたのだった。お陰で腫れはずいぶんマシにはなってきているけれど、あと数日は本来売り物であるはずの薬草のお世話になるのかと思うと、サラはルアンの商売の邪魔をしているような気持ちになっていた。


 旧市街へと向かって石畳の上を並んで歩く途中、サラは隣のルアンの姿を横目でそっと窺う。サラが右足を少しだけ庇いながら歩く速度に合わせて、ルアンはゆっくりと歩いてくれている。背はサラよりも頭一つ以上高く、並んで歩くとサラの身長はルアンの肩に届くかどうかといったところだ。腕まくりをしたシャツから覗く二の腕はやや褐色で力強く見え、昨日もこの腕に自分が軽々と抱かれたのだと思い出すと、サラは嬉しいような恥ずかしいような気持ちになって思わず顔を伏せた。


 △


 テルム王国第二の都市であるアデリーの旧市街は、都市の中を分断する河を渡って新市街の反対側にある。橋の向こう側にある旧市街は新市街に比べて道も狭く、伝統的な石組みの古い建物が並んでいた。住んでいる住民もどちらかと言えば古株が多い傾向で、そのため古くからの工芸品やら美術品を扱う質屋や古物商も、新市街に比べて店舗の数が多かった。


 最初に目についた質屋へとルアンが入って行く。先ほどと同じように店先でサラは待ち、大通りを通る荷馬車の列などを眺めていた。やがて横に首を振りながらルアンが店から出てくる。


「そういう男は来てないってさ」


「そうですか……」


「じゃあ、次に行ってみようか」


 ルアンはサラの右手をとって次の店へと歩き出す。


 と、そんなことを何度か繰り返した旧市街四軒目の質屋の店先。ここでもやはりそういう男は来ていないという情報しか得られなかったサラは、これ以上自分のわがままで首飾りを探すことに罪悪感を持ち始めていた。


 なにしろ本当に今日この街にそういう男がまだいて、質屋を廻って仕入れをしているかどうかすら不明なのだ。ルアンの推理を否定する訳ではないけれど、四軒の質屋を訪問して四軒とも来ていないというのなら、それはもうこの街にはいないのではないかと思った方が、理にかなっている気がする。


 そう考えたサラは次の店に行こうとするルアンに向かって、思い切って「もう探さなくてもいい」と告げた。


「ルアン様、もういいです」


 それを聞いたルアンは、少し困ったような表情でサラに言う。


「でもサラ、思い出の品なんだろ? お母さんの」


「それはそう、ですけど……」


 サラに残された母親の特別な遺品は実のところほとんど無い。それこそどこにでもある日用品や身の回りの小物ばかりで、母親が身につけて大事にしていたというものは、例の首飾りくらいのものだった。だから本当は自分のところに返ってきて欲しいと、サラは思う。けれどそのことにこれ以上ルアンを巻き込むのも、サラには心苦しかったのだ。


 △


 朝から半日以上をかけて新市街、旧市街と質屋を巡った二人は確かに少し疲れていた。「もういい」と諦め口調でサラに告げられたルアンではあるけれど、ここで諦めるともう二度とサラは母親の遺品には巡り会えないという事実を、ルアンはサラよりも重く受け止めている。


 陽は既に西の方に傾きかけていて、あと二時間もすれば太陽は山の陰に沈んでいく。残された時間のなかで廻れるのは残り三軒か四軒か、とにかくサラを勇気づけるためにルアンは一旦休憩をして、何かおやつでも食べることを提案した。


「サラ、少しお腹も減っただろ。ちょっと何か食べて休憩して今日一日だけでも最後まで頑張ろう。サラのことではあっても、俺も納得したいんだ」


「ルアン様が、そう仰るのなら、私は……」


 赤みがかった髪をコクリと揺らし、サラは首飾り探しを続けることに心ならずも同意した。今日のサラは右の横顔の方へと髪を垂らし、できるだけ傷を隠すような髪型をしている。当然のようにこの傷にも「傷跡が目立たなくなるように」と、ルアンは軟膏のような薬を塗ってくれていたのだった。


「じゃあサラ、おやつはあの揚げパンでいいか? さっきから良い匂いがしてると思ってたんだ」


 ルアンの指さす方を見ると、たしかに店先で揚げパンを売っている店がある。太ったオジサンが手ぬぐいを頭に巻いて、赤い顔をしながら油の中を覗き込んでいた。そういえばこんなに街中を歩き回ったのはいつ以来だろうか、とサラは思い出す。妓館に売られてからは街の中に出ることも制限され、終始監視の目のなかで暮らしていたようなものだったのだ。


 ルアンに手をとられてサラも揚げパン屋の店先へと並ぶ。出来たての揚げパンをルアンは二つ買って、一つをサラに渡した。


 お腹の空いていた二人は旧市街と新市街を結ぶ橋の上で、買った揚げパンを食べることにする。欄干に寄りかかりながら揚げパンを食べていると、西に傾きつつある太陽がキラキラと川面に反射しているのが、サラには眩しく見えた。


「なあサラ、さっきから黙ってるけど、だいぶ疲れたか?」


 先に食べ終わったルアンが手のひらをパンパンと叩いて、手についた粉を落としながらサラの顔を覗き込んだ。


「いえ、まあ……、そこまでは」


 残りの揚げパンを手に持ったままサラは首を横に振る。正直に言えば多少は疲れていた。けれど身体の疲れよりも、ここまで探してもらって申し訳ないという心の気疲れの方が大きい。でもそれをルアンに告げれば、優しいルアンのことだから「俺のことなんて気にしなくていい」と言うに違いないだろう。


 と、そんなこと考えながら、サラは隣に聞こえないように小さくため息をついてルアンの方を見上げた。


「なに?」


 ルアンの優しげな目がサラに微笑みかけてくる。漆黒の瞳にやや褐色の肌、どこか中性的な顔立ちで、そしてうなじを隠すくらいの短い黒髪。サラはついついその黒い瞳に引き込まれるように、自分の心情を吐露してしまった。


「ルアン様は……」


「ん?」


「ルアン様は、どうしてこんなに親切に首飾りを探してくれるのですか? ルアン様に関係ある遺品でもないのに……」


「えっ、ああ……、まあね」


 一瞬驚いた目をしたルアンは天に向けて両手を伸ばし、身体と背筋の運動をしてから橋の欄干に片手で頬杖をつく。


「俺には、母の遺品が無いんだ。いやゴメン違うな、遺品はあるよ、でも思い出の品というものが無いんだ。俺が小さな頃に母親は死んだからね、母親が使っていたっていう小物を見ても何も覚えてない。ただ、俺には母親は優しかったっていう記憶しかない。だから、できるだけそういうものは手に入れられるうちに、手に入れたほうがいいって思ってるだけなんだけどね。ごめん、辛気くさい話になって」


 そう言ってクルリと欄干に背を向けて、ルアンがこちらを笑顔で見返す。 


「すいませんルアン様。私、そんなこと全然知らなくて……」


「そりゃサラは知らないだろ、俺もサラに言ってなかったし」


「違います! そういう意味じゃなくて!」


 一瞬疲れも忘れてサラがムキになると、ルアンは「ハハハ、まあいいじゃん、気にするなよ」と笑い、サラの赤みがかった髪を優しく二度撫でる。ルアンの優しさの原点がわかったサラは、残っていた揚げパンを一口で食べてからルアンに向かって宣言した。


「あの、私、絶対に見つけます。今日の夜遅くになっても、絶対に怪しい男を見つけます!」


「ああそうだな、なんとか見つけような。でも怪しいかどうかは見つけてみないと分からないけどな、もしかしたら普通の男かもしれない」


「そんな、怪しいに決まってます! だって柄物の巻き帽子にあごひげですよ、絶対に怪しそうじゃないですか。おまけに人力荷車を引いてるなんて……、え、ウソ……」


 この時サラは橋の欄干にもたれかかったルアンの方を向いていた。このアデリーの街を分断するように流れる河には、通行のために何本もの橋がかかっている。いまルアンたちが休憩をしていたのは上流から数えて三番目の橋、そしてルアンが背中を預けている欄干の向こうには、河に架かる四番目の橋が見えたのだが――。


 その橋の上、夕方が迫る西日に照らされて一人の男が人力荷車を引いていた。小さくともサラの目に見分けることができた男の風体、それはどう目を細めて見ても頭に巻き帽子を巻き付けて、あごの部分には髭をたくわえているようにしか見えなかった。


「ル、ルアン様っ! あ、あっちの橋、橋の上っ! ルアン様!」


 サラは向こう側の橋を指さして、思わず大声をあげていた。

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